楢本神社境内の二人の偉人

太陽院院長 近藤 千恵子です!(^^)!

愛媛県西条市大町の氏神様…楢本(ならもと)神社

境内には神風特攻敷島隊 関 行男氏ら五軍神の追悼碑

追悼碑の裏にはこんな言葉が…

「大東亜戦争末期米軍の大機動部隊のレイテ侵攻を阻止し、大和民族の純血を守らんとして神風特攻第一号敷島隊は一機一艦轟沈を目指して、世界最初の公式の人間爆弾となり国家悠久の大義に殉ず。
嗚呼若き血潮の滾る五軍神命達よ、世界恒久平和の魁としてこれの聖所に安らかに齋かれまさんことを祈る。」

そして、毎年10月25日敷島隊五軍神の命日には、大町の有志で追悼式典を開催しており…

今年度から大きく役員も変わり、先日役員会で毎月末日に 境内の掃除をしていこうということが決まり、今朝9時 蝉の声を聞きながら清掃。

そんな境内にもうひとつ ある建物が、医聖と呼ばれた眞鍋嘉一郎氏の生誕の家。

眞鍋氏は、1878年(明治11)に現在の西条市大町に生まれ5歳で父を失い、貧しい 暮らしの中で育ったそう…。

西条から松山中学校、第一高等学校、東京帝国大学医科大学(現在の
東大)へと進み、どの学校でもトップの成績で卒業され、松山中学校時代は夏目漱石の生徒でもあったそう…。

卒業後は、東大に勤め、1911(明治44)年から3年間ドイツに留学し、野口英世氏にも出合い彼が亡 くなるまで交流は続き…

帰国後、内科の治療にレントゲン線、ラジウム鉱泉などを利用する物理療法を取り入れ…1926(大正15)年には東大の教授となり、内科物理療法学の講座を開いたそう…。

眞鍋氏は、夏目漱石や野口英世…そしてあの226事件の浜口雄幸首相等 有名人との交流があり、特に、浜口首相最後の脈を 取ったことなどで知られているのだとか…。

その眞鍋嘉一郎先生の生誕の家が楢本神社境内にあり 今朝掃除が終わった後 眞鍋先生のお話を聴かせて頂きました。

軍神関行男さんや医聖眞鍋嘉一郎先生と同じ西条市大町に生を受けた者のひとりとして、お二人の偉業が後世に伝えられていく様…先ずは毎月のお掃除からお手伝いさせて頂きます。

 

未来へつむぐ!!

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

靖国神社で会おう!!を合言葉に、72年前散っていった多くの尊い命。

今日、香川県坂出市民ホールで開催された舞台「未来へつむぐ」を 6月から一緒に住んでいる認知症の叔母とふたりで観て参りました。

舞台は、72年前の鹿児島県知覧特攻基地にタイムトリップしてしまった高校生の話。

そして、特攻を志願しその日を迎える特攻兵達と過ごす なでしこ隊の一員となりその場に身を置き感じる様々な思い。

実際に知覧から飛び立ち、奇しくもエンジントラブルによって徳之島に不時着し、その後2回出陣命令が出るけれども 雨で飛べず…

そして終戦を迎えてしまった愛知県に住む板津 忠正さんの体験を基に演じられる特攻兵の思いやわずか15~16歳のなでしこ隊の思い…。

板津さんは、陸軍特攻第二一三振武隊 特別攻撃隊員。

そして、終戦後 特攻で亡くなった多くの仲間の遺族へ特攻慰霊と共に当時の状況を説明され…

昭和54年には勤めておられた名古屋市役所を退職 本格的に特攻慰霊・資料収集に専念…全国行脚されておられたと…

昭和59年からは 知覧特攻平和会館の事務局長にもなり、平成7年には、陸軍全戦没者1,036名分の遺影が集まったと…。

そして、一昨年平成27年 4月6日 逝去され戦友の元へと旅立って逝かれたそうです。

「靖国で会おう!」を合言葉に、知覧陸軍での特攻作戦は昭和20年4月1日~3ヶ月…多くの隊員が突撃し散華していかれたそうで…。

舞台が始まる前、知覧観光大使と言われ延べ5000人の方々を知覧へ連れて行かれている山近 義幸氏も また舞台の中最後の映像の中でも伝えられたこの言葉…

「特攻は美化してはならない、しかし風化させてはならない」

今日の舞台の中、なでしこ隊が作ってくれたお人形を胸に飛び立つ特攻兵の遺書にも涙…。

過去と現在そして未来の日本を見つめ、日本人が忘れかけてしまっている大切なことに氣付くきっかけとなれば…と今回の舞台の

「TSUMUGI JAPAN」代表の野田さんの言葉。

靖国神社…知覧…そして沖縄…もっともっと各地に残ってはいるけれど、顔をそむけてしまっている現在の風潮。

いまも知覧特攻平和会館近くの富や旅館では、当時特攻で飛び立つ前に食べたメニューの卵かけごはんやすいとん汁などを出してくれ…

またトミさんは亡くなられましたが、後世に伝えていくために、ずっとずっとお話も伝えて下さっているそうで…

私自身はまだ残念ながら 知覧特攻平和会館は訪れたことがなく…

今日、第二一三振武隊…皆さんの遺書や思いを伝えて頂き 第二一三振武隊員6名にも逢いに行かせて頂きたいと思いました。

「特攻は美化してはならない しかし風化させてはならない」

まさに国家や愛する家族の為に、命をかけて突撃していった英霊の方々の思いに寄り添い 実現したかった平和な国日本を作っていきたいものです。

 

 

神さまの愛?

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

昨日の夜中、テレビをつけると認知症のお母さんの介護をしている娘さん。

若年性アルツハイマーを患ったお母さんを 家で介護している姿に 6月から認知症の叔母を引き取り日々奮闘中の私も 共感することも多く…

そして、テレビの中 娘さん自身の誕生日を忘れてしまったお母さんに、「お母さん!今日何の日かわかる?」と問う娘さんに…

「えっ?何の日」とわからぬお母さん。

「今日は9月27日…私の誕生日」と言う娘さんに、「そう…」とそっけないお母さん。

忘れていることは わかっていながらも 問う娘さんの思いと、なんと私と同じ誕生日の娘さんに、同じように認知症の介護をしていることで、我が事のように放送を見入ってしまいました。

認知症に回復の見込みもなく、骨折してしまったことで 車いす生活になってしまっているお母さん。

そして、結婚適齢期をお母さんの介護をしながら迎えている心優しい女性に、どうか心の支えとなってくれる伴侶が現れてくれることを 願ってしまうほど…。

私自身、主人が居てくれるだけで 一服の清涼剤と、なってくれてるのは確かなので…。

そして、そんなテレビ番組を何だか涙流しながら見た後、ふと携帯電話のfacebookを開いてみると、知り合いの息子さんの野球部のマネージャーの女の子が、駐輪場で倒れ…救急車で運ばれ「脳出血」…後遺症も残るかも知れない…と。

そんな投稿に思わず溢れる涙…。

まだ17か18歳の女の子。

これが神さまの愛なんでしょうか?

高校3年間、一生懸命野球部の部員の為に動いてきた彼女…。

会ったことも、顔も分からないけれど、あまりにも悔しすぎる現状。

アルツハイマーの母親を介護する30歳前後の女性と、まだまだ今から自分自身が人生を選択できる青春真っ只中の女性。

「神は愛なり」と言うけれど、そして彼女達だからこそきっと選ばれ与えられた試練なのでしょうか。

ふたりの女性を思い、そして私も日々の生活の中 同じ誕生日の介護中の彼女のように、どんな状況をも にっこり笑って乗り越えて行きたいと感じさせて頂きました。

そして、ふたりの女性だけでなく 日本中で色々頑張ってる人々にも 神さまの愛の光が降り注ぎますようにと…祈ります。

「神は愛なり」…ですね♡

 

銭形~♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)/

今日、香川県観音寺市に行って参りました。

約束の時間よりも 随分早く到着したので 「琴引公園」にある銭形を見ることの出来る展望台にも寄って参りました。

「銭形砂絵」は1633年(寛永10年) 高松藩主の生駒高俊公を歓迎するために急遽一夜で作り上げられたと伝えられており

「銭形を見たものは 健康で長生き、おまけにお金に不自由しない」と言われるほどの パワースポットなんだとか…(*^^)v

高校3年生の卒業遠足が、ここ琴引公園でみんなでバスに乗り来た時が初めての銭形!

そして、1年前…主人とドライブの途中、看板を見かけ 行ってみようか…と、行ったのが2回目!!

そして、そして今日3回目の銭形!!!

3回訪れたとなると、きっと神さまはじっとしてないかも…知れません(*^^)v

そして、お会いした女性は、イキイキ動かれ…月収も7ケタは行ってる 素敵な人生を満喫されてる女性。

銭形パワーとイケてる女性パワーたっぷり頂いた観音寺。

しつこい様だけれど…コズミックダイアリーでの「磁氣の月」

お金も人も…私自身が強力な磁石となり、ぐわ~っと引き寄せているような今。

「億」も夢じゃない?…と思い意識をそこに持って行ってみる。

自身の磁力引き寄せられてくる多くのモノや情報。

「取捨選択」していくのも私。

そしてこの大宇宙の中、生きているこの3次元の世界。

よく三重県津市の赤塚建設社長…赤塚高仁さんが言われる言葉
「この世の学びは、人間関係と経済活動」…だと。

そして、今日観音寺でお話しさせてもらった「観音寺グランドホテル」は、私が高校卒業後8年間務めた会社で 最後の慰安旅行の時に泊まったホテル。

会社の都合で、退職することが決まっていた私を、西日本の営業所の方々が人生で初めて「胴上げ」をしてくださった思い出の場所でした。

天井に当たりそうな恐怖と共に、心地よい空間に舞う感覚。

この世は、先の見えない楽しみな冒険の場。

こんな讃美歌のように、歌いながら歩んで行けます様に…

主にすがる我に 悩みはなし
十字架のみもとに 荷をおろせば
歌いつつ 歩まん 
ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ 歩まん
この世の旅路を

恐れは変わりて 祈りとなり
嘆きは 変わりて 歌となりぬ
歌いつつ 歩まん 
ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ 歩まん
この世の旅路を

主はいと優しく 我と語り
とぼしき時には 充たし給う
歌いつつ 歩まん 
ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ 歩まん
この世の旅路を

主の御約束に 変わりはなし
御許に行くまで ささえ給わん
歌いつつ 歩まん 
ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ 歩まん
この世の旅路を

宇宙の始まり

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

今朝、7時半からの「ひよっこ」の後、突然流れた宇宙の映像…

「宇宙はどう始まったのか?」
「なぜ我々は存在するのか?」
「宇宙はこれからどうなるのか?」
この究極の謎に迫る、世界の第一線で活躍する東京大学の素粒子物理学者・村山斉さん。

難しい事をわかりやすく伝えてくれた番組に、思わず見入ってしまったほど…。

昨日書いたコズミックダイアリーの「磁氣の月」…これを証明するような今日の映像。

熱による爆発からの宇宙の始まり…

タイのチェンマイで毎年1回、氣球を打ち上げられる「コムローイ」というお祭りの光景で夜空に散らばる星々の配置を教えてくれたり…

砂に水をまいて、地球のクレーター(くぼみ)をわかりやすく教えてくれたり…

そして、番組の中「宇宙の始まりには、“水素”と”ヘリウムしかなかった!」…と。

なるほど…宇宙の初めからある「水素」だからこそ、細胞や活性酸素を自然な状態に戻してくれるのでしょうか…。

多くの科学者や物理学者が、研究し解明してきた宇宙の始まり。

磁力により、反発したりくっついたりしながら 位置づけられてきた今の地球。

小さいころは、磁石で土を探ると 砂鉄がくっついてくるのを楽しんだものだけど、今はアスファルトになり どうなんでしょう?

たった15分の番組だけど、朝からスケールの大きな番組に感動…これを見ることが出来たことも…大きな磁力による引き寄せでしょうか。

 

 

自然時間で過ごす

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

マヤの叡智から作られたコズミックダイアリー。

古代の暦では、今日から新年…そして28日周期で周る宇宙周期。

毎年発売されていたコズミックダイアリー…20年目にしてやっと購入を赦されたようなコズミックダイアリー。

不思議に満ちたこのダイアリーは見れば見るほど、知れば知るほど興味深く…

なるほど~っていう感じです。

世界中で使われている暦は、1月31日、2月28日、3月31日、4月30日…

地球が太陽の周りをまわる周期が1年…365日。

これを、13ではなく 12で簡単に振り分けたのでしょうか?

何か大きなものが働いて12にさせられてしまったのでしょうか?

このコズミックダイアリーでみると、

・女性の肌の細胞の周期は28日。
・女性の整理の平均周期も28日。

そして、
・満月の周期は・・・・・29,53日
・月の公転周期が・・・27.32日
・太陽の自転の周期が・・・28日

同じ周期で周っているモノに、違う周期が混ざるときっと不協和音が起きてしまい 脳が誤作動起こしやすくなってしまうのかも知れません。

実際、肌の細胞の周期は 年齢によって28日から40日…60日…と加齢と共に遅くなるのが当たり前のように言われている現状。

きっと昔、時計も暦もなく生活していた人々は、太陽の光や星の配置…月の満ち欠けと共に生活し、自然と共に生きて来たんでしょうね。

今では 24時間開いているスーパーやコンビニがあり、電磁波で磁場が狂い…脳が誤作動を起こし続け…現代病が増えて来ているのかも知れず…。

明かりや電磁波は、本来は自然なモノだったのかも知れず…それを原子力や火力によって明かりや電氣が作られている現在。

最近多くなってきている、子供の発達障害や自閉症も またうちの叔母の様な認知症も 脳への影響が大きくかかわってる様で…とても怖くなってしまいます。

太陽院で扱っている水素も、東大理学博士・深井有氏が
「40億年前、生命は水素の時代に生まれた…」と、

氏の著書「水素分子はかなり・生命科学と医療効果の最前線」(光文社新書)の帯に書かれているほど…。

その水素商品を、「怪しい!」とか「効果が無い!」とか…使うこともなく批判してしまってる方々もいたり、

また病気がなくなったり 薬以外で症状が改善してしまうと困ってしまう方々の圧力でもかかってしまっているのか

はたまた現代の人々の直観が衰えてしまっているのか…

どっちにしても、コズミックダイアリーの28日周期…13か月を知ることでまた何か面白い世界が開いていきそうです。

そして、今日からの磁氣の月の28日間…世の中では「引き寄せの法則」だとか色々法則本もあるけれど、宇宙には本当に大きな磁力が働いており、

あの私の師赤塚さんの師糸川英夫先生も、夜空の星々がなぜぶつからないのか?
人が人と出会うにもきっと法則があると科学者の糸川博士は研究されていたように、人間の体の中にもきっと引き寄せたり、離れたり…S極とN極が働いているんだと思ったら 世の中本当に面白すぎます。

28日周期…マヤの叡智…自然時間

「叡智」とは、今の常識とは違うから「叡智」
もっと、深い、あるいは高い視点からの認識があり、
その「叡智」によって、人が進化できるから「叡智」なのです。

と、ダイアリーの中にも書かれており、そして…

叡智と呼ばれるものの共通点は、
その時代に生まれた者でも、作者が生み出したものでも、
近代科学が発展させたものでもないのです。

叡智とは、先天的に与えられているものだということです。
その時代、時々によって、
その「叡智」にアクセスした人がいて、
その一部が、書物に、ピラミッドに、書きとめられてきたのです。

そして…

叡智とつながり、地球の進化に貢献して、新しい文明を生み出すこと…。

こう書かれたコズミックダイアリー

そして、今人類が縛られている三次元の状態からシフトチェンジしていくことだと…。

今日から28日間は「磁氣の月」私の身体の中の磁場を整え、いいご縁をぐいぐい引き寄せたいと思います(*^^)v

時間をはずした日

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

7月25日…何も無いような日だけれど、1ヶ月を28日そして13か月で計算するコズミックダイアリーによると この日だけは どの月にも当てはまらない 不思議な不思議な1日なんだとか…。

20年前作られたコズミックダイアリー。

7月26日からが「磁氣の月」と呼ばれる28日間。

そして、どの月にも属さない今日25日は 世界中で「時間をはずした日」のお祭りが開催されてるのだとか…。

西日本最高峰「石鎚山」を御神体とする石鎚神社でも 16時30分~1時間…能の舞に茶道、そしてダンスにジャンベと津軽三味線そして書道と華道へと繋がる何とも素晴らしい奉納でした。

書は、「神合」…かみあわせ

世界中できっと人類は目には見えないけれど、自分自身の故郷神の国と交わり暮らしてきたはず…

「祈り」と「祀り」

今日、「罪…穢れ…この意味を知ってますか?」と問われ…「ん?はてさてなんだったかな?」…と。

罪とは包んで隠してしまった身の不始末。

そして、穢れは…氣枯れ。

神聖な神社で手や口を洗い…神さまの前 そのままの自分を置きリセットされる感覚。

26日からの新しい365日に向けて設けられた空白の1日。

時間をはずした日の祭りから、今日は本当に時間から解放され ずっとゆっくりお話ししたかった方と5時間近くおしゃべりをして参りました。

26日からの「磁氣の月」 は、こんな風にダイアリーには書かれてました。

今年の目的? 今日の目的は? 人生の目的は? 宇宙の目的は?

今年とは? 一年とは?
地球が、太陽の周りを365日かけて、一周する。
地球の大航海。それが一年。

今年一年の目的とは、その大航海の目的なのでは?

地球の地軸が少し傾いているために、地球が旅をしていると
太陽の光と熱をたくさん浴びる時期と、
あまり太陽の方に向かずに、旅する時期が生まれる。
春夏秋冬が、生まれる。それは、宇宙の周期。

その大航海の間に、地球は365回自転する。
太陽の方を向いたり、背を向けたり。
朝日があり、夕日がある。それも、宇宙の周期。
地球上で365回の昼と夜が生まれる。
それがコズミックダイアリーを通じて、感じる一年。

74億人の地球人を乗せて、大航海する地球。
その地球の上に生まれた生命。
地球をはずして、私の目的はない。
my  purpose 「私の目的」からkosmic   purpose「宇宙の目的」へ。

磁氣の月の28日間は、宇宙の目的を感じてみよう。
それが、生命としての、目的そのもの。

What  is  my    purpose?

 

ヤマトの心、島人の心、お産の心

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

朝8時過ぎ、西条を出発…広島フジハラレディースクリニックで開催の講演会、主人と一緒に行って参りました。

「日本はひとつ」と題した今日の講演会。

お話は、日本のジャンヌダルクと言われる我那覇 真子(がなは まさこ)さんと、岡田准一や松本潤と肩を並べる(?)ほどのイケメン(??)ヤマト心の伝道師 赤塚 高仁さん…そして 日本人の持つお産のイメージを払拭し、バーストラウマからの解放を願うフジハラレディースクリニック院長 藤原 紹生氏。

フジハラ先生のお話の中、お産への痛い!ツラい!怖い!のイメージの中生まれてくる子供達への影響を思うと…なるほどな~と…

フジハラ先生のところでの 出産直後のお母さんの表情や言葉に、私自身出産経験はないモノの そんなに倖せなお産って体感してみたいな~と、思うほど…。

そして、今日の講演会の最中にも、ひとりの命の誕生があったそうで…1階の講演会場から分娩を終えたお母さんと赤ちゃんに「おめでとう!!」の拍手と祝福の言葉 みんなで贈らせて頂きました(*^。^*)

そして、我那覇 真子さんのお話にも感動!!

まだ20代の彼女は沖縄の北部出身。

そして、今報道される沖縄の基地問題や、沖縄へ群がってくる日本をダメにしようとする報道や左翼の人々への 島人(しまんちゅ)の思いを熱く熱く語ってくださいました。

誰にも、何にも屈しない姿勢…なんと真実を伝える為に国連でも演説をされたほど…。

彼女の中に流れているのは、まさにサムライスピリット!!

そして、彼女の根っこにあるものは、まさに沖縄への愛…島人の心。

お話の中でも、我那覇という3文字の苗字は、沖縄では昔サムライだった人の名前なんですよ!!と語る彼女の笑顔。

久々にスカッとするような 講演に…エネルギーを頂きました。

そして、最後に読まれた回天の搭乗員の遺書に、ノックアウトされました。

ありがとうございます…祖国日本の為に 命を懸けて戦ってくれた先人の思い…私も忘れません!!

そして、そして…赤塚さんのお話は、我那覇 真子さんのお話を引き継いでの特攻兵のお話から…。

赤塚さんの著書「聖なる約束 ヤマト人への手紙~教育勅語と言う祈り~」の中にも書かれていた、ハワイ真珠湾にある戦艦ミズーリのお話。

戦艦ミズーリに体当たりするために突撃した特攻兵…石野節雄さんのお話。

へこんだ船体とその後米軍によって弔われたお話とミズーリ号の写真。

そして、お話の中 聴けなかった石野さんの遺書。

赤塚さんのメルマガより添付してみました!

石野節雄
神雷部隊第5建武隊
昭和20年4月11日 12:15出撃
岡山県出身

遺書
『お母さん、いよいよ最後の花を咲かす日が来ました。
私も笑って行きます。
すべて御国の為ですから、
何も言わないでください。
今度会う日、靖国神社で立派に咲いた花の下です。
良くやったと泣かずに、にっこり笑ってください。
私も皆の健康を何時迄も祈っております。

 では、御元気で。

 今日あるを
   かねて覚悟のあずさ弓
 敵の母艦に真一文字

      節雄 拝  4月6日』

何度も赤塚さんのお話を聴かせて頂いてますが、やはり 現場を歩き感じて来られたお話は心動かされます。

突然決めた 広島行き…。

本当に素晴らしいお話の数々に また今を生きる日本人として 出来ることを考えさせられます。

企画し無料でこんなに素敵なお話を聴かせて頂いたこと…フジハラ先生やスタッフの皆様にも感謝いっぱいです。

今日、夜10時半 自宅に戻り 沖縄オリオンビールで乾杯!!
沖縄へ思いを寄せてみました。

 

 

 

 

信仰によって…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

今晩から、うちのトミ子さん…従妹に連れられて奈良県の天理教の教会に参りました。

うちの叔母は、浄土宗…南無阿弥陀仏の世界。

ただ、四国という土地柄のため、弘法大師が開いた真言密教を唱え、たしか もう一人の叔母が荼毘(だび)に付す時は、四国88か所参りで頂いた納経帳を懐に隠して持って行った様な…。

認知症になり、何も覚えてない叔母を グループホームに居るときも、我が家に来てからも 毎月8日にお参りに誘ってくれ そして今晩からフェリーに乗り大阪まで渡り…奈良県の天理市まで連れて行ってくれるという。

もともと、信仰心はある叔母だったけれど、毎月のお参りも…今回のお参りもどこかで神さまが叔母をその場に導いてくれているのか…

片時も目を離すことの出来ない叔母を連れてのお参りは、本当に大変なことなのに それを使命としてしてくれる従妹。

従妹と言っても、父方の従妹。

叔母とは全く血は繋がっているわけでもなく…本当にこの信仰心には頭が下がります。


ずっとずっと昔…。

やはり、大阪に向かうフェリーの中で、まだ私が20代の頃…熱心な天理教の信者さんと隣り合わせになったことがありました。

その女性は、ずっとずっと昔、自分自身のおじいちゃんが目が見えなくなったところ天理教の教祖様に見えるようにしてもらい…それから代々教会を継続させているのだと…。

まだ若く、全く見えない世界のことを知らなかった時…その話は、私自身にはかなり興味深いものでもありました。


と、言うことで今晩フェリー乗り場まで送っていき…月曜日まで少し解放される週末。

そして、明日は広島へうちの主人と大好きな赤塚さんのお話を聴きに参ります。

そして、今回は2年前名古屋で、昨年は神戸で一緒に赤塚さんの聖書講座を受けていた 名鉄構内にある「小さな時計屋さん」の照ちゃんとも講演会場近くの駅で合流。

楽しみに行って参ります。


そして、赤塚さんの聖書講座の中、伝えてもらった信仰によって変えられた聖書の中の人々のこと

「へブル人への手紙11章」

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。

信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。

信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。

信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。

信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。

信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。

彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。

信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。

このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。

もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。

しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。

この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。

彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。

信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した。

信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。

信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。

信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。

信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、

罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、

キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。

信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。

信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。

信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。

信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた。

信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。

このほか、何を言おうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう。

彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、

火の勢いを消し、つるぎの刃をのがれ、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。

女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。

なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。

あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、

(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。

さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。

神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。


「へブル人への手紙」11章1節から40節までの間に何度も何度も出てくる「信仰」という言葉。

単純に…信仰とは、信じて仰ぎ見るモノ…。そして、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認すること…とある。

アブラハムもヤコブもモーゼもノアも…そしてキリストイエスも…このへブル人への手紙を書いた使徒パウロも…目には見えないけれど確実に存在する大いなるモノに動かされる世界。

明日、久しぶりに話を聴かせて頂く赤塚さんも 何か大いなるものによって導かれ、話させられてる世界。

今日、叔母を天理にまで導いてくれた従妹もそう…。

求めよ…さらば与えられん
探せよ…さらば見つからん
叩けよ…さらば開かれん

信仰によって与えられ、見つかり…そして開かれていく世界。

日本人こそ  この見えない世界を大切にしてきた民族。

そして、日本にたくさんある新興宗教もまた神さまの臨済によって開かれて来たであろう宗教。

どうか、教理や教則ではない真の信仰が世の中を救っていきますように…祈り求めます。

居場所

太陽院院長 近藤 千恵子です(^o^)

5月31日、7年間お世話になっていたグループホームを出て、我が家で一緒に暮らすことになった認知症の叔母…トミ子さん♡

癌の患者さんが2人にひとり…と言われる今、認知症やその予備軍とされる患者さんの数も65歳以上の高齢者の中、4人にひとりがかかってしまうと言われる病。

そして、叔母自身 結婚をしておらずもちろん子供もいなかったので認知症で一人暮らしをさせることは無理…と思い、7年前にグループホームへ入所。

その頃、私自身の両親も介護が必要な状態でもあり、とてもとても叔母の世話までは無理…ということで、迷いもなくグループホームへ。

そして、5年くらいたった頃から、私自身の名前も忘れてしまうようになり…施設の人からも「かなり認知症進んできてるね」と…言われながらも認知症の叔母を家でみる…なんていう発想は全くなくて…。

それが、今年5月…色々な流れから我が家でみることに…。

そして、1ヶ月と20日!!

介護4の叔母…日曜日以外は、ほぼ毎日デイサービスにも嫌がらず出掛けてくれて…そして、なんだかんだ想定外のことも 想定内のことも有りながらの生活。

認知症の人と一緒に暮らすこと事態、凄くいい経験。

一緒に暮らすまでは、絶対無理!!と思ってたことが、「え~なんでこうなるの~?」っていう出来事も交えながらも、本当に人間の脳が様々なことを忘れてしまう事実を体感。

7年前、グループホームに入る前の状態で引き取り、ほぼ1対1の介護状態だったらどうだったんだろうか?

過去には戻れないけれど…

叔母の入っていた施設自体 個人経営でかなり少人数でアットホームなグループホーム。

でも、一人だけを介護するわけではなく…どこかでやっぱり介護が業務になってるところもあったのか…。

我が家で住むようになって一週間くらいたったころ、お風呂で身体洗っているとき

「こんな 人間らしい生活させてもらって…お姉さん トミちゃん嬉しいわ~」と…。

どこまで解っての言葉なのかは、わからないけれど 介護ってやっぱり業務じゃない!!と。

私のことを、「お姉さん お姉さん…」と呼ぶ叔母に、何度 「姪の千恵子よ」と言っても、「そうそう 千恵子ちゃん」と言いながら 30秒で忘れてしまい「お姉さん!!」と呼ぶ叔母…。

そして、自分自身は5歳くらいの状態なのか… 「トミちゃん 嬉しいわ~」「帰ったら母ちゃんに言うとくね」そして「ありがとう ありがとう」と…。

「帰ったら母ちゃんに言うとくね!」には、

「あ~ いずれ天に還った時 私のおばあちゃんに 伝わるのかな」なんて、思うことも…。

現実の世界と何かが違い、そして本当に脳の中はどんな働きをしているのかを覗いてみたいほど…すぐ忘れてしまうし…何が見えてどう理解しているのか?

ただ、私自身 一緒に居るときはずっと叔母から目を離すことも出来ず、本当に目を離せない子供を育ててる親の思いを感じられるほど…

ただこうして接してきて思うのは、わからないからこそ寄り添うことの重要性。
すぐ忘れてしまうから、もっともっと側に居て笑ったり話したりすることが大事なんだろうな~と。

太陽院で扱ってる水素も、叔母には ずっと 飲む!吸う!浸かる!!の三点セットで実験中(*^^)v

86歳の叔母は、若い子たちよりも 細胞の生まれ変わりが遅いとは思うけれど 信じて飲む!吸う!浸かる!!を機嫌よくやってもらってます。

今日も目を うるうる させながら、「トミちゃんはホント倖せモンじゃわ~」 「有り難いわ~」 「帰ったら母ちゃんに言うとくけんね」 「お姉さんホントにありがとう」と、言いながら布団に入りました。

2013年12月天に還った私自身の母も きっときっと こんな自身の姉と娘の生活を喜んで見守り、 我儘言ってきかない時の叔母さんと私のバトルをも 笑いながら見てくれてるのかも知れません。

これからの世の中、認知症はまだまだもっと増えてしまうかもしれないけれど、病氣になりにくい身体にするための生活改善となってしまってからの介護や関わり方次第で、何かが変わる様な氣がしています。

自分の居場所が、頭の中では理解できてなくても 身体の深い所で ストレスなく 倖せを感じてくれるような状態になってもらえるように…

頑張らない介護…やっていきます♪