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すべては天の計らい

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)/

2007年8月25日(土)主人は脳出血で倒れました。

今年10年目の夏を迎えました。

主人が倒れたことで大きく私たちの生活は変わりました。

入院は倒れた後 ほぼ一か月。
毎日病院に泊り、朝戻って洗濯をし お風呂に入り、また病院へ…。

そして、患者さんの予約時間に間に合うように戻り…施術したらすぐに病院へ…という入院中の生活に、自宅で介護できた方がいいな…と、一度外泊を試してみて、退院を決断。

まだ歩くことも、立つことも出来ない状態の中、あの手この手でふたり懸命に生活しました。

ちょうど倒れる4年前2004年2月に、私のカイロの施術院が自宅である西条に移転。

住まいと施術院が同じところだったことも、退院し自宅で介護することが出来たことの一つでもあります。

携帯電話の着信音を主人からかかるものだけ変えて、私が仕事中でもナースコールのように鳴らしてもらって、患者さんもみんな状況を把握して下さっていたので、好意に甘えながら自宅での生活がスタート。

何か今までと違う状況が起こった時、人はしっかりと状況を瞬時に理解し、最善の方法へと導かれていく…ということを、両親の介護からや主人が倒れたことによって、智慧が湧き出て来たことは確か…です。

そして、窮地に陥った時 目に見えない大いなるものの力も体感。

「逆境のときこそ人は成長する」と言われるように、今この時に何をなして行くのか…。

生きた大好きな人の為だからこそ…歓ぶことをしたい!と思う氣持ち。

そして、主人も動かない半身を駆使しながら 二人三脚の生活。

今日、8月も半分以上過ぎまだまだ暑い夏の陽射しを受け蘇るあの頃のこと。

神さまは、必要なことしか起さない…とも言いますが本当に、施術院を移転してたことから始まり…全てがうまくいってくれたし、だからこそ今があるし…。

そして、今認知症の叔母を引き取り…またある意味介護1年生。

今日は、月に9日は自宅で看ないといけない日。

叔母と、お昼から病院へ行き尿検査と血液検査。
その後…あまりにも暑いので、ジョイフルへ行き二人でかき氷を食べ…

また、大きく変化している我が家。

必ず老いに向かっていく人生の中、経済の力の必要性もまざまざと見せられる今。

経済も身体も健康でなければ、本当に人生がある日突然ガラッと変えてしまわれることも多く…

また主人の発症から、10年…
その時に慌てないように…祈りながらしっかり備えておきたいものです。

神さまの愛?

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

昨日の夜中、テレビをつけると認知症のお母さんの介護をしている娘さん。

若年性アルツハイマーを患ったお母さんを 家で介護している姿に 6月から認知症の叔母を引き取り日々奮闘中の私も 共感することも多く…

そして、テレビの中 娘さん自身の誕生日を忘れてしまったお母さんに、「お母さん!今日何の日かわかる?」と問う娘さんに…

「えっ?何の日」とわからぬお母さん。

「今日は9月27日…私の誕生日」と言う娘さんに、「そう…」とそっけないお母さん。

忘れていることは わかっていながらも 問う娘さんの思いと、なんと私と同じ誕生日の娘さんに、同じように認知症の介護をしていることで、我が事のように放送を見入ってしまいました。

認知症に回復の見込みもなく、骨折してしまったことで 車いす生活になってしまっているお母さん。

そして、結婚適齢期をお母さんの介護をしながら迎えている心優しい女性に、どうか心の支えとなってくれる伴侶が現れてくれることを 願ってしまうほど…。

私自身、主人が居てくれるだけで 一服の清涼剤と、なってくれてるのは確かなので…。

そして、そんなテレビ番組を何だか涙流しながら見た後、ふと携帯電話のfacebookを開いてみると、知り合いの息子さんの野球部のマネージャーの女の子が、駐輪場で倒れ…救急車で運ばれ「脳出血」…後遺症も残るかも知れない…と。

そんな投稿に思わず溢れる涙…。

まだ17か18歳の女の子。

これが神さまの愛なんでしょうか?

高校3年間、一生懸命野球部の部員の為に動いてきた彼女…。

会ったことも、顔も分からないけれど、あまりにも悔しすぎる現状。

アルツハイマーの母親を介護する30歳前後の女性と、まだまだ今から自分自身が人生を選択できる青春真っ只中の女性。

「神は愛なり」と言うけれど、そして彼女達だからこそきっと選ばれ与えられた試練なのでしょうか。

ふたりの女性を思い、そして私も日々の生活の中 同じ誕生日の介護中の彼女のように、どんな状況をも にっこり笑って乗り越えて行きたいと感じさせて頂きました。

そして、ふたりの女性だけでなく 日本中で色々頑張ってる人々にも 神さまの愛の光が降り注ぎますようにと…祈ります。

「神は愛なり」…ですね♡

 

意識は引力

思うこと、やりたいこと、全てが手に入るわけではないけれど 自分自身の意識が引き寄せ…あたりまえでない奇跡がおこる。

目に見える世界と見えない世界。

私自身、引力は強い方だと思う。

「あ~なりたい! こうなりたい!」と思うことの全てではないが、
“神さまに私えこひいきされてるな~”と思えるほど、私自身の生きてきたこの54年間振り返ってみると、私自身以上に神様は私をよく知ってて導いてくれてることを確信する。

私自身の結婚も、そんな私の引き寄せ力が  人生のパートナーまでも引き寄せたんだと。

そして、必ずしも願いが全て成就するわけではなく、そこには神さまの壮大な計画があることも・・・。

1999年4月37歳を半年後に控え結婚。

私自身、結婚するとすぐに子供に恵まれると思っていたけれど、なかなか恵まれなく、また出逢って8ヶ月ほどでの結婚だった事と大阪と愛媛に離れていたことで、結婚生活が始まってお互い知っていくことでも有り、子供が出来ないことがその時は一番いいことだったのだとも思えます。

ただ、3年たっても4年たっても子供が出来ないことで40歳を目前にした2002年産婦人科を受診。

診察の結果、子宮内膜症もあるとのことで 内視鏡による手術。そして排卵誘発剤だけを投与する不妊治療をしたけれど、なかなか出来ず・・・。

それからまた4年程たった2004年44歳になるその年、前にかかった病院とは別の総合病院の女医さんのところへ受診。

「ちょっと遅すぎますよ!!でもアクティブにやってみましょう!」と言うことで、排卵誘発剤と共にその年の2月から人工授精。

私の卵管も主人の精子にも異常なく、卵子も多い時で4~5個出来て、「3つ子以上が出来ても大丈夫ですか?」と言われながら人工授精。

カイロの施術中も患者さんに、私三つ子が出来るかも・・・と話させてもらったら「出来たら手伝いに来るよ~」と、たら話で盛り上がり 楽しく過ごしながらも、生理が始まれば「はい!今回も残念でした~」状態。

全てに「時」があるのか・・・。

その年、2月から10月までの9か月間で6回人工授精。着床することもなく、そして総合病院の中から産婦人科が無くなるということで、女医さんの方から、「ほかの病院を紹介しましょうか?」との問いかけに、

私たち夫婦は、二人だけの生活でも  ふたり仲良く過ごせれば良いよね・・・と不妊治療を終了。

そして、翌年2007年の8月25日夕方、うちの主人が脳出血で入院。

左半身に麻痺が残る状態に・・・。

もしも、前年の不妊治療が成功し、三つ子でも4つ子でも出来ていたなら・・・どうなっていたのか?

この世の中に、「~だったら」と言うことはなく全てが最善。神さまは最善しか与えない。

主人の脳出血での左半身マヒも、私たちの家庭に子供が恵まれなかったことも・・・全て神の恩寵。

私がカイロプラクティックを学ばせて頂いた桑岡カイロプラクティック研究所の桑岡会長がいつも「私は、タイとタラは食べません」とよく言われてました。

~しタイ!     ~だっタラ!と言う人の中に成功は無いですと。

私の人生、自分自身の引力と天からの計らいとが調和し

毎時、毎分、毎秒・・・「時」の流れの中で奇跡が起こっている。

今日はクリスマス。

2016年前に地上からの願いと天上からの救いによって、人として生まれた神の子イエス。

聖書は読んだことのない人が多い日本でも、自身のお父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃんの誕生日や命日は忘れても 世界中でケーキやごちそうを囲み乾杯する今日。

きっと、こっちの世界ではキリストを知ることもなく 流れの中、ケーキやごちそうを食べ乾杯しお祝いしている姿を  神さまは笑い地球に住む全ての人に最高の愛の光を与え続けてくれてると・・・

聖なる日の今日改めて感じ、感謝いっぱいです。

求めよ、さらば与えられん!

聖書の中の一説

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。

捜せ、そうすれば、見いだすであろう。

門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

私の魂が本当の事を求め始めたのは、きっと父が脳出血で倒れ、右半身に麻痺がおこったあの時からだったのかもしれない。

私自身、3人姉妹の末っ子で父は私をいちばん色々な所へ連れて行ってくれました。そして母より優しい父が大好きでした。

母はいつも「父ちゃんは千恵子に甘いんだから・・・」と言ってたくらい。

国鉄に勤務していた父は、若いころ列車を連結する際の事故で、左足の膝下5センチくらい残して挟まれ、切断。

私が物心ついた時も、父は隠すことなく川や温泉でも 義足を外し泳いだり温泉につかったり、また西日本最高峰の石鎚山にも私が幼稚園くらいのころ登り山頂で撮った写真があるほど・・・。

義足であることの弱音など一度も聞いたことがありません。

昭和3年3月3日生まれの父。

そんな父が2002年2月脳出血で入院。1ヶ月以上ものあいだ意識も戻らず・・・そして、意識が戻ったものの  脳の左側に出血していたため、右半身が麻痺。

神さま、神さま、、、あなたは、なぜ一生懸命仕事もし、3人の子供も育て、まじめに生きてきた父を こんな風にしたんですか?

なんで、なんで、、本当に、神さま ひどすぎます。

と、両手両足のうち  動かせるのは左手と膝下から切断された左足だけの父をみてこの世の不条理を痛切に感じ憤っていました。

そんな時、ちょうどカイロを受けに来られた患者さんが、「先祖よ。先祖。先祖供養をするといいよ。」っていうことを聞き、

私がお経をあげることで、父が元気になるなら、いくらでもお経くらいあげられる!!と、その日から朝夕ろうそくと線香を立て、法華経を唱えました。

姉たちにも、お経をあげるともっと回復するから・・・と本当に父の回復だけを信じ唱えさせて頂きました。

新年年明けから立春までは、「南無妙法蓮華経…南無妙法蓮華経…」と朝5時に起き、水をかぶり寒行もさせて頂きました。

ただ、やはり新興宗教…

真剣に祈り供養し仲間も増やして参りましたが、「~せねばならない」と思うようなことや ちょうど何か違和感を感じ始めた頃

カイロで往診に行った患者さんより旦那さんが大腸がんにかかった時の話を聞かせてもらい、その話に背中を押されるように、新興宗教からは脱会。

そのお話と言うのが、

ご主人さんが病院で「大腸に癌が出来てますが、今なら手術で取ることも出来ますよ。」とのお医者さまの言葉に

「わしは、手術はせん!」と先生の前で一言。

「あっそう…ええよ。あんたが死んだら私も一緒に死ぬから」と先生の前で奥さんも宣言。

そうすると、旦那さんが「お前は死んだらいかん!お前が死ぬんだったら、わしは手術する!」ということで手術に!

この奥さんのええよ!と受け止める凄さにもビックリでしたが、

その後、手術を終え  入院中の抗がん剤投与の際、看護師さんより
「抗がん剤の副作用で目が見えにくくなって来るかも知れないですが何か異常があったらすぐ言ってくださいね」と…。

そして、その看護師さんの副作用の言葉を聞いたその時言った奥さんの言葉が「深いぃ~」

「あんたの目が見えんなったら、私の片目あげるけんね・・・」と。

私がこの新興宗教に入り、唱えてた法華経。

この法華経を読んで、書いたと言われる宮澤賢治の「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

何の宗教も知らないこの患者さんの言葉に、法華経の神髄を感じ、いくらお経を唱えようとも、実際行っていかないと意味がないな~と、目が開き新興宗教からちょうどまる1年たった2003年5月脱会させてもらいました。

ただ1年間真剣に祈り唱えてきたこと、夏も冬も1年間 水を浴びた修行の日々は私にとっては見えない世界とつながる始まりの尊い一歩であった様にも思えます。

大好きな父が倒れたからこそ、求めた本当のこと。

ただ一人の者を目覚めさせる為に、愛する我が子に重荷を負わせる主の愛。

求めよさらば与えられん!

探せよさらば見つからん!

叩けよさらば開かれん!

求め、探し、動いたその時また違う世界の扉が開いて来るのだと・・・。

あっ!!私の大好きな父は歩くことは出来ないけれど、2017年年が明けた3月3日89歳になります(^^)