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求めよ、さらば与えられん!

聖書の中の一説

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。

捜せ、そうすれば、見いだすであろう。

門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

私の魂が本当の事を求め始めたのは、きっと父が脳出血で倒れ、右半身に麻痺がおこったあの時からだったのかもしれない。

私自身、3人姉妹の末っ子で父は私をいちばん色々な所へ連れて行ってくれました。そして母より優しい父が大好きでした。

母はいつも「父ちゃんは千恵子に甘いんだから・・・」と言ってたくらい。

国鉄に勤務していた父は、若いころ列車を連結する際の事故で、左足の膝下5センチくらい残して挟まれ、切断。

私が物心ついた時も、父は隠すことなく川や温泉でも 義足を外し泳いだり温泉につかったり、また西日本最高峰の石鎚山にも私が幼稚園くらいのころ登り山頂で撮った写真があるほど・・・。

義足であることの弱音など一度も聞いたことがありません。

昭和3年3月3日生まれの父。

そんな父が2002年2月脳出血で入院。1ヶ月以上ものあいだ意識も戻らず・・・そして、意識が戻ったものの  脳の左側に出血していたため、右半身が麻痺。

神さま、神さま、、、あなたは、なぜ一生懸命仕事もし、3人の子供も育て、まじめに生きてきた父を こんな風にしたんですか?

なんで、なんで、、本当に、神さま ひどすぎます。

と、両手両足のうち  動かせるのは左手と膝下から切断された左足だけの父をみてこの世の不条理を痛切に感じ憤っていました。

そんな時、ちょうどカイロを受けに来られた患者さんが、「先祖よ。先祖。先祖供養をするといいよ。」っていうことを聞き、

私がお経をあげることで、父が元気になるなら、いくらでもお経くらいあげられる!!と、その日から朝夕ろうそくと線香を立て、法華経を唱えました。

姉たちにも、お経をあげるともっと回復するから・・・と本当に父の回復だけを信じ唱えさせて頂きました。

新年年明けから立春までは、「南無妙法蓮華経…南無妙法蓮華経…」と朝5時に起き、水をかぶり寒行もさせて頂きました。

ただ、やはり新興宗教…

真剣に祈り供養し仲間も増やして参りましたが、「~せねばならない」と思うようなことや ちょうど何か違和感を感じ始めた頃

カイロで往診に行った患者さんより旦那さんが大腸がんにかかった時の話を聞かせてもらい、その話に背中を押されるように、新興宗教からは脱会。

そのお話と言うのが、

ご主人さんが病院で「大腸に癌が出来てますが、今なら手術で取ることも出来ますよ。」とのお医者さまの言葉に

「わしは、手術はせん!」と先生の前で一言。

「あっそう…ええよ。あんたが死んだら私も一緒に死ぬから」と先生の前で奥さんも宣言。

そうすると、旦那さんが「お前は死んだらいかん!お前が死ぬんだったら、わしは手術する!」ということで手術に!

この奥さんのええよ!と受け止める凄さにもビックリでしたが、

その後、手術を終え  入院中の抗がん剤投与の際、看護師さんより
「抗がん剤の副作用で目が見えにくくなって来るかも知れないですが何か異常があったらすぐ言ってくださいね」と…。

そして、その看護師さんの副作用の言葉を聞いたその時言った奥さんの言葉が「深いぃ~」

「あんたの目が見えんなったら、私の片目あげるけんね・・・」と。

私がこの新興宗教に入り、唱えてた法華経。

この法華経を読んで、書いたと言われる宮澤賢治の「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

何の宗教も知らないこの患者さんの言葉に、法華経の神髄を感じ、いくらお経を唱えようとも、実際行っていかないと意味がないな~と、目が開き新興宗教からちょうどまる1年たった2003年5月脱会させてもらいました。

ただ1年間真剣に祈り唱えてきたこと、夏も冬も1年間 水を浴びた修行の日々は私にとっては見えない世界とつながる始まりの尊い一歩であった様にも思えます。

大好きな父が倒れたからこそ、求めた本当のこと。

ただ一人の者を目覚めさせる為に、愛する我が子に重荷を負わせる主の愛。

求めよさらば与えられん!

探せよさらば見つからん!

叩けよさらば開かれん!

求め、探し、動いたその時また違う世界の扉が開いて来るのだと・・・。

あっ!!私の大好きな父は歩くことは出来ないけれど、2017年年が明けた3月3日89歳になります(^^)