新約聖書 ヨハネによる福音書/15章13節
人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
と、あります。
友ってなんだろう?と、ふと思いました。
学生時代の友、OL時代の友、スキー学校での友、カイロを学んできた中での友、そして結婚してからの友との関わり。
今年もたくさんの年賀状をパソコンで簡単に作り、宛名書きさえもプリンターに頼ってしまい、でも一年に一度だけの元旦に届く友からの便りはまた嬉しくて…
美味しいものを食べに行ったり、どこかに旅に出たり、悩んでることを話してみたり、嬉しいことを共有してみたり、たまに思いが伝わらずすれ違ってみたり…。
この聖書の一節のように、命を捨てられるほどの友って、私にはいるのだろうか?
逆に命を捨ててくれるほどの友もいるのだろうか?
あの大東亜の戦争の時、祖国の為に散って逝った命があり、その命もまた同胞。
アメリカ軍は、誰かが死んでも自分だけは生きて帰りたい!!という思いで戦地へ行き…。
日本軍は、誰かのために 命懸けで戦おうと戦地へ行き…。
250kの爆弾を積んで、敵艦に突撃していった 若き英霊たち。
その様をみて、「クレイジー」と思ったアメリカ軍。
日本が敗戦となり、アメリカが一番恐れていたのは、この武士道精神、大和魂、日本精神。
戦後、教育が変わり私が生まれた昭和37年は、昭和20年の終戦からたった17年。
昔と違って、玄関に鍵がかかり サッシの窓が音も消し、教育や高度成長によって変えられてしまったのか…。
信じる心、愛する心。そして真実を見抜く心。
軍歌であり、準国歌として 歌われてきた「海ゆかば」
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
初めてこの歌を目にしたとき、私は衝撃でした。
この歌を小学校から歌ってきた日本。
イスラエルが2000年ぶりに建国される基となった ユダヤ人トルンペルドールは、日露戦争の後、大阪でロシア軍の捕虜としていた時に、日本を手本に もう一度自分の祖国を取り戻したい!とシオニズム運動を興し、
そして トルンペルドールは、テル・ハイの村で開拓中、アラブ人の侵略によって 命尽きる最期の時
「国のために死ぬことはよいことだ」
と言って死んで行ったそうな…。
親子や兄弟姉妹、そして隣近所、学校、職場…魂の触れ合うこの世の中、「袖振り合うも多生の縁」
人類の罪を背負って十字架にかけられたキリスト・イエスのように…
また夏の暑い日も 冬の寒い日も、国民(くにたみ)のため、無私の氣持ちで祈り続けて下さっている陛下のように…
同じ時代に生まれ、出会えた多くの友に…
愛のかたちを、届けられる人になっていきたいと 思う今日でした。