「聖書」カテゴリーアーカイブ

霊の果実

日本エドガー・ケイシーセンターから毎日届けられる「珠玉の言葉」

肉体が食べ物を必要とするように、霊と精神にも食べ物が必要です。

It is just as necessary that there be food for the spiritual and mental man as for the physical man.

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私たちの身体の中の

ボディ(肉体)・マインド(心)・スピリット(魂)

よーし!頑張るぞ!!と、思ったとき 身体が動き、思いが溢れ、そして魂がわくわくと震える。

この魂がわくわくと震えるほどの、トキメキを人は何度経験するのだろう。

思いは、考え方 思考で、いい風に 変えることが出来る。

しかし、魂は本物にしかきっと反応しないし、魂に刻まれたツラい思いは簡単には癒えないのかも知れない。

そしてまた、喜びの記憶も…しっかり刻まれた喜びの記憶はブレずに生きる指針ともなりそうです。

そして、この魂の記憶が示されたものが「アカシックレコード」

人は、何度も生まれ変わり前世でやり残したことや、過去世での傷の修復や喜びの再確認をするのかも知れない。

過去世や前世の記憶が消されて生まれて来てるにも関わらず、人は逢うべき人に出会い、様々な経験もしていく。

そして、私の魂をいつも震わせてくれる聖なる書物…聖書。

数年前、私自身 津の赤塚さんの薦めもあり「幕屋」という無教会でのキリスト信仰の師に学ばせて頂いておりました。

そして、今は離れてはいるものの毎月「生命の光」という信仰誌が届けられ、その誌面に示された信仰者手島郁郎氏の言葉にもまた力を頂きました。

宗教は、人生の苦しみ、これをどう解決するかを一つの大きな課題とし、宗教によっては、この世に生きる苦しみ、矛盾に対し考えても仕方がないからと…諦め、悟るべきことを説いているけれど…

キリストの宗教はそうではなく、イエス・キリストは人々の苦しみを共に背負おうとし、その姿は十字架上の死によっていちばん深く表され…。

自ら傷ついてでも人々の苦しみを背負おうとする姿。

「私のさばきは正しい。ただ、父なる神の御心だけを求めているから、この世の常識や倫理、考え方、道徳と違うのだ」

と、いうキリスト・イエス。

また、「天の父は悪しき人にも善き人にも太陽を昇らせ、義(ただ)しき者にも不義な者にも  一視同仁、雨を降らせたもう神様である」とも…。

人の心の奥底に潜む「神性」

「自分からは何一つできない」というキリスト・イエス

しかし、長い間苦しむ者を見ると、その苦しみを分かち合い、背負い、その苦しみの中に自分自身も共に身を置き…癒す。

「血を流し、命を捧げた人たちの涙というものは、ただでは終わらない」とも言われる。

肉を十字架上に置き、身を以て示した 神のひとり子キリスト・イエス

…その生き方が示されている聖なる書には魂が震わされます。

触れることによって、傷ついた心も 乾いた霊も 満ち足りた精神にも多くの栄養を与えてくれます。

良いときも 悪いときも 富めるときも 貧しきときも 病めるときも 健やかなるときも…

どんな時も降り注いでいる神さまの愛と光…。

そして、その愛と光は信じ受けるだけ…。

食べ過ぎがないほど 常に受けることの出来る霊の果実の詰まった聖なる書…出会わせてくれた主に感謝いっぱいです。

 

 

 

満月

おとめ座の満月のⅠ2日、お月様の光と共に 大阪から戻って参りました。

毎日、更新していたブログ…今日は帰宅が夜中1時を過ぎてしまい、せっかく12月から続けてるので、今 昨日の分(3月12日分)で投稿中。

朝、7時西条を出発し向かった先は  大阪城そばの 松下IMPセンター。

昨年2月、津の赤塚さんより教えて頂き、取り入れた 「水素風呂」のレンタル事業の取次店勉強会。

今日は、全国の取次店の中  850名のみと限定された勉強会。

各地での勉強会は有るものの、会社主催の勉強会は 初めての試み…。

やっと確保して頂いた5人分のチケット持って  仲間と車走らせて行って参りました。

近未来エネルギーとなる水素。

岡山からも合流し、大阪まであっという間。

旅は何処に行くかよりも  誰と行くか!が大事…と言われますが

事業も何をするかも大事だけど、誰とするか!!は、もっと大事。

OL時代、私自身一度だけ  会社に行きたくないな~と思い、車から降りて 横断歩道を渡り  事務所まで向かうことが  身体が重く 足が進まず…

そんな中  力を振り絞って  着いた会社には1枚の書き置き。

「○○商会に直接行きます」と…。

その時、心が軽くなったことは今でも忘れられません。

心と身体は密接に関わり  小さな悲鳴を浴びてることも…

人生は旅と同じ。

その中で、共に近未来エネルギーである「水素」を扱うことで繋がる仲間との絆。

人は良き仲間との出会いが  また大きなエネルギーとなり  わくわくと過ごせること。

本当に大切なことだなーと、しみじみと感じさせてもらった今日満月の日でした。

習慣

主人が作ってくれたこのホームページが出来上がったのは昨年10月。

そのホームページの中に、私の書き込むブログを付けてくれたのは良いけれど、書きづらく10月に2日書いただけでストップ。

しかし、いろんな人が様々な形で自由に情報発信出来るブログは、Facebookとはまた違う良さがあるように思っていただけに、せっかく作ってもらったブログに書き始められない自分に自己嫌悪。

「どうしたもんじゃろのう~」と思って、主人に「なんかフォームが凄く書きづらいんよね!」と愚痴ってみると、なんかフォームをチェンジ出来るんだとか…。

色々開いてみて、わっ!!!いい感じ~ってことで、12月半ば 今の書きやすいフォームに決定。

「よーし!!頑張って毎日書くよ~!!」とブログの女王のような友達に宣言。

そして、もう少しで100日。

我ながら、こうやって書くことで頭の中がちょっとづつ整理されてくる毎日。

始めて良かったなー…とつくづく思います。

コツコツ書く「習慣」

元来、3日坊主の私。

テレビショッピングで、ワンダーコアを購入しながらも1~2週間使ったっきりで、後で後で…と思ってしまい…。

「続けられない」という悪しき習慣。

こんな習慣はいらないんでしょうが…。

習慣…朝起きたら歯を磨き、顔を洗い、トイレに行くと手を洗う…。

お風呂の中では同じ場所から洗い始めるのも習慣。

「おはようございます」「いただきます」「ごちそうさまでした」「行ってきます」「ありがとうございます」「どうもー」…人との会話の中での習慣のように発しているコトバ。

電話をしながら、頭を下げお辞儀をしてしまうこともある。

「習慣の奴隷」という言葉もあるそうだけど、これが「あたりまえ」ということにも繋がってくるのでしょうか。

長くお付き合いしているカップルのように…。

私も主人と出会いデイトしてた時は、ドキドキワクワク…していたのに、こんなに毎日ソバにいると そんな新鮮な氣持ちはもう全く起こることもなく…。

まっ夫婦でずっとドキドキしてたとしたら、心臓に負担掛かりすぎて大変なことになってしまいますが…。

習慣や当たり前という中の「落とし穴」の様でもあります。

スキー教本の中にも「習う」「滑る」「慣れる」とあります。

先週まで受けていた、チャレンジスクールの中「ビジネスマナー」を教えて頂き、自己紹介やお辞儀の仕方習いながらも、いざそういう場面が来たとき  なかなか実践出来ず…。

「習い」「意識し…」「習慣とする」

カイロの技術を学んできた時もそうでした。

習い…全く初めはわからなかったことが、解るようになり…。勝手に動いていくような手の感覚。

車の運転も…お料理も…このパソコンだって、結婚した時は私自身ワープロを使うことがやっと…。

パソコンの電源を入れることすらわからず、メールもチラシを作ってもらうのも主人に頼み…。

でも微妙なところが氣になる私と、このくらい大丈夫っという主人の間ではいつも喧嘩になり…(笑)

そんなんだったら私がやる!!って言うことから、チラシも自己流ながら作れるようになり…。

やっぱり「時」が来て習慣が出来てくるのでしょうか。

人にはそれぞれの「時」があり、私自身このブログを書き始めるのに「時」が来て始まり…そしてまた終わりが来るのでしょうか。

三重県の津に住む赤塚さんがヘブライ語で示された創世記の一節の中で見つけた神さまが創ったものに「始まり」と「終わり」があると…。

光と闇、天と地、海と陸、地に住むモノ、海に住むモノ、空を飛ぶもの、自分に似せて作られた人。

しかし、日本語に翻訳された聖書の中には記されていない、ヘブライ語で示された創世記の中に、もうひとつ神さまが創ったものがあり、それが「始まり」と「終わり」だと…

なるほど…

人のこの地上での始まり「生」も、この地上の最期「死」の時も見えない神さまが創られるもの。

この地球の始まりも終わりも…きっと然り。

人の出会いも別れも、やはり自分自身で選んでいるようで、やはりみえない神さまに寄って私たちは出会わされ、そして離れていくのでしょか。

結婚することにによって新しい人生が「始まり」そして二人の間にもいろいろな形で「終わり」があり

また子供もそう…。

子供が生まれることにより「母」や「父」という親になることが「始まり」そしていつかこの世を離れるとき「終わり」が訪れる。

私自身、このブログのフォームを変えたところで毎日書くことが始まり、いつどういう風に終わりを迎えるのか想像も出来ないけれど、示されるままに…。

54年間の人生を振り返り、少しづつ文字に書くことで整理され

そして、どこかで誰かが読んでくれて、私の学んで来たことや思いが、チカラになってくれると嬉しいです。

預言★

昨日、高知から帰る車の中で聞いた「預言カフェ」

東京にあるらしい。

あるプロテスタントの教会が開いているという「預言カフェ」

平日のお昼2時~夕方6時半まで開いており、1杯800円のコーヒーを頼むと 3分間程預言を伝えてくれるという なんとも女心をくすぐるカフェ。

3分間の預言は、録音も可能らしく、あとでゆっくり聞き直すことも出来るそうで、興味深い。

占い師や霊能者とは違う預言する方たち。なにかトレーニングをすることで預言を受けることが出来るそう・・・。

預言とは、神さまからの言葉を預かる者のこと。


聖書の中、創世記からイエス様が生まれる前までのことを書いた、
約聖書。西暦ではB.Cの頃(Before  Christ  キリスト以前)

新約聖書とは、神さまのひとり子イエスを身ごもる母マリアの葛藤と讃美そしてキリスト・イエスを通して示される「神の愛」の世界。

キリストの誕生を境に、
西暦ではA.D(Anno  Domini アンノドミニ 主の年)と…。

イエス様が生まれたことで、新しい契約となった神さまとの約束。


洗礼者ヨハネが、イエスに洗礼を授ける所にヒントが書かれているが、

ヨハネによる福音書の中

洗礼者ヨハネは「わたしは水でバプテスマを授けるが…わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。」

そして、「御霊によってバプテスマを授けるかた」こそキリスト・イエス。

イエス様が死後復活し、多くの弟子の前に姿を現し そして昇天。

最後の晩餐のあった部屋で、みんなが集まって祈っているとき

「激しい風が吹いたような音が響き、また舌のようなものが炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」とある。

そして「その時、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語りだした」と…。


旧約聖書「ヨエル書」の中、預言者ヨエルが預言していたことが起こる

ヨエルの預言とは…

「神がこう仰せになる。
終りの時には、私の霊をすべての人に注ごう。
そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、
若者たちは幻を見、
老人たちは夢を見るであろう。

その時には、わたしの男女の僕たちにも
わたしの霊を注ごう。
そして彼らも預言をするであろう。

また、上では、天に奇跡を見せ、
下では、地にしるしを、
すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう

主の大いなる輝かしい日が来る前に、
日はやみに
月は血に変わるであろう。

そのとき、主の名を呼び求める者は、
みな救われるであろう」


旧約聖書の預言者とイエス様が十字架につけられ、神さまによって復活。その後、水によるバプテスマとは異なる  天からの聖霊と信仰により、聖なる霊に満ちた人々に生まれ変わらされていくと…。

高田の馬場にある「預言カフェ」を訪れた友は、預言を伝えてくれる人は数人居て 次から次へ席に着き早口で預言を3分ほど それぞれに伝えてくれるのだと言う。

占いや霊能者とは違う、その役目を負い一人一人に見えない世界から告げる「預言」

いつか、そのカフェの扉を開ける日を楽しみに…。

そして、ヨエル書に記された主の言葉

「今からでも、あなたがたは心をつくし、
断食と嘆きと、悲しみとをもってわたしに帰れ。
あなたがたは衣服ではなく、心を裂け」と…。


ボスニア・ヘルツェゴビナの傍の「メジュゴリエ」と言う町で30年以上前に、7人の子供たち(10歳~16歳)の前に現れた聖母マリア。

それから6人の子供たちが50歳近くなる今も その6人に告げられる
聖母マリアからのメッセージ。

その中では、「魂の平和へ向かいなさい」、

「時がある間に回心しなさい」

「祈り」「償い」「断食」の結果「平和へ」

そして「神と信仰を捨ててはいけません」とも…。


「預言カフェ」の話を聞き、そしてまたあのメジュゴリエの聖母マリアからのメッセージを思いだした今。

聖書を学んできた私自身も襟を正し、主の道を真摯に歩んで行くことを天から求められているようです。


マタイによる福音書第13章14~15節

「あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。
見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍くなり、
その耳は聞えにくく、
その目は閉じている。
それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、
悔い改めて癒されることがないためである」


メジュゴリエの奇跡は 菊谷泰明氏の著書に詳しく書かれております。
「聖母マリアからのメッセージ」(PHP),「聖母マリアの秘密」(青鷗社)

今日は、 カッチーニのアヴェ・マリア ~歌 森 麻季

 

克っちゃん♡

ぞろ目の…222。

数字が続くと何だかいいことが起こるような氣がする

今日は、2月22日。

この日を、にゃん にゃん にゃんの日と呼んでた克っちゃん。

昨年のこの日、天に還ってしまった克っちゃん。

お昼、花屋さんでピンクのチューリップを買ってお家を訪ねて行くと、98歳のお婆ちゃんが出迎えてくれ、

ありがとうね~。今、お母さんお墓に行ってるから、ちょっと待っててね…と。

42歳で天に還って逝った克っちゃんの自慢の婆ちゃん。

LINEのプロフィール写真も婆ちゃんの笑ってる写真。

克っちゃんの願いは、婆ちゃんが100歳まで笑って暮らしていること。

克っちゃんの願いは、両親が共に笑っていてくれること。

お父さんが、昨年頸椎の手術を受けることになった時も、一番心配してた克っちゃん。

自身が倒れる日の昼間も お父さんに術後の頸椎の具合を聞いていたとか…。

無口なお父さんは、「うんうん」って言っただけで、きちんと答えなかったことを悔やんでいると…。

今日、お花屋さんに行った時、一目でピンクのチューリップが飛び込んできて、「あっ!克っちゃん!!」と…。

迷わず手に取った かわいいピンクのチューリップの鉢植え。

お婆ちゃんが、「克っちゃん、チューリップ好きでね~。昨年、亡くなった時も、克っちゃんが植えたチューリップが花咲かせて  それを見るとツラかった…と。

昨年の2月22日と言う日を選び、天に還った克っちゃん。

ちょうど、私は2月21日から始まった赤塚さんの長崎での聖書講座を受けて、夜行バスで帰ってきた日。

いつも一緒に色々と手伝ってくれてた由香里さんも、沖縄でのアクセスバーズの講習会を受けて帰ってきた日。

23日、お通夜まで誰も克っちゃんがこの世からいなくなるなんて信じられず、お通夜に参列して始めて、近しい人たちに回ってきた訃報。

私に連絡が入ったのは、夜8時を過ぎた頃 由香里さんから…。

「今、良いですか?」と…。

運転中ながら、「いいよ!!」と…。

ちょうど、往診から帰ってきている途中…。

「克江さんが…」

「えっ…克っちゃんが何?」

「克江さんが、亡くなったんです…」と。

・・・・・・・・・・。

えっ!!!!!

2月11日、建国記念の日の記念行事に石鎚神社の会館で一緒に手伝ってくれて、その時愛車のFIATの調子が悪いと言ってたけど、本人はあんなに元氣だったのに…。

終わった後も、一緒にコーヒー飲みに行って  おしゃべりしてたのに…。

晩御飯もそこそこに、克っちゃんの家に…。

お通夜も終わり、お父さんとお母さんと棺に入った克っちゃん。

「ウイルス」が原因だったらしくて、夜  突然家で倒れて病院に運ばれて行ったとか…。

自宅で、しかも42歳という若さだけに、お母さんなどは警察の人に第1発見者と言われ色々聞かれたんだとか…。

病院に運ばれてから、数日意識不明の状態が続き、息を引き取ったのが昨年の2月22日だったとか。

その後、解剖の結果原因が「ウイルス」だったとわかり、お母さん自身原因がわかったことにひと安心。

大事な大事な娘が倒れ、たとえ仕事とはいえ犯人扱いされてきたお母さんやお父さんの心情。

いたたまれない思いもたくさんあって、やっと我が家に戻ってきた克っちゃん。

「ウイルス」なんて目に見えない、どこで  どう入ってくるのかわからないモノに、ひとりの命が無くなったこと。

共に我が家での聖書の勉強会にも始まった時から最後まで一緒に学んできた克っちゃん。

始めて神さまへのお祈りの言葉を言う時

「お父様・・・」

と言ったあと、笑いが込み上げて もう次に言葉が出なくなり そのまま次の人に…。

でもあの時の克っちゃんの 胸の中 魂の奥深いところからの歓びが あの止まらない笑いだったこと…私は知ってます。

本当に神さまが克っちゃんを私に出会わせてくれて共に歩み学べた数年間。

伊勢の五十鈴川の禊も6月と12月両方とも体感。

皇居の勤労奉仕も共に参加し、天皇皇后両陛下の御会釈も賜り…。

西条でのケイシー講座も、赤塚さんの講演会も いつも気持ちよくお手伝いしてくれて、我が家での聖書の集会後は、終わった後 夜中の1時、2時まで共に語り合い…。

まだまだずっとずっと続くと信じてたこの世で共に過ごす時間。

命に限りがあることを教えてくれた克ちゃん。

今日も、主人と訪れ  お婆ちゃんやお母さんと克っちゃんの祭壇の前で 克っちゃんの話をいっぱいいっぱいしてきました。

想い出すたびに、今もすぐ傍にいる克っちゃん。

「人は2度死ぬ。」と、赤塚さんから聴かせてもらったけれど、肉体との別れは昨年。

そして2度目は克っちゃんのことを忘れる日。

きっと私の記憶の中から、克っちゃんのことを忘れる日はもっともっとずっと後。

ありがとう!!この言葉しか思い浮かばない克っちゃんへの言葉。

いつもいつもこの世で共に過ごした以上に、一緒に居てくれるような今。

にゃん にゃん にゃん と忘れられない日を選んで逝った克ちゃん…改めて ありがとう♡

今晩は、辛島 美登里さんの歌う「サイレント・イヴ」

イスラエル

アジアの西の端にある、四国と同じくらいの面積の国…イスラエル。

エドガー・ケイシーは、「イスラエル」とは、同胞に先立って召し出されたものという意味だと言われました。


旧約聖書の中、神さまが99歳のアブラムと交わした契約。

「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。
あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。
わたしは あなたを多くの国民の父とするからである。」

アブラハムから始まった子は2人。


ひとりは子供に恵まれなかった妻サラの仕え目ハガルに生ませた子イシマエル。

そしてもうひとりは、年老いた妻サラが神の霊により生んだイサク。

仕え目の子イシマイルには子が、12人。そこから広まった今のアラブ人。

そして、正妻サラの子、イサクには 兄エソウと弟ヤコブのふたりの子供。


アブラハムの孫の中 イサクの子であるヤコブに神さまは

「あなたは、もはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」

そして、しばらくたって後にも神さまはヤコブの前に現れ

「わたしはアブラハムとイサクに与えた地をあなたに与えよう。また  あなたの後の子孫にその地を与えよう」と言われ、

聖書の中で初めてイスラエルと呼ばれた者。


このイサクからヤコブ、そしてヤコブの12人の子へと続く子孫がイスラエルの12部族へと繋がっていくそうなのですが…。

アブラハムから繋がって来たイスラエル…神さまから祝福された者の子孫のひとり、ヤコブの子ヨセフはやがてエジプトを救う王となり 兄弟たちも共にエジプトに住むようになるが

時が経ち、エジプトでユダヤ人はエジプト人の奴隷として使われ嫌われるようになり…。


そして、モーゼが神さまから命を受け、イスラエルの民を連れて出たエジプト。

海を越え、神さまとの約束十戒を受け、聖なる地に向かい40年。

モーゼは約束の地に入ることはなかったけれど、その意を継いだヨシュアが民を連れヨルダン川を渡って入った約束の地、イスラエル。

モーゼが受けた十戒。神さまとの約束…律法を守ることで神さまに忠実に従ってきたユダヤ人。

その10の約束事が、どんどん細かく制約されて613にまで増えてしまった律法。


とことん神さまに忠実に生きようとするユダヤの民にとって、どんどん増えていった律法は苦しみともなり…救世主を求めるように。

そのユダヤ人の願いが聞き届けられ、2017年前 天から命を受けて生まれて来たひとりのユダヤ人。

キリスト・イエス

神の言葉を伝え、神と共に生きる生き方を示し、人のために命を投げ出し救い、そして人は死なないということを示すために復活して見せた神のひとり子 救世主イエス。


私が聖書を読み、この小さな聖なる地に憧れ 訪れるようになったのも イエス様を愛し、イスラエルという国のことを多くの方々に伝え続けている三重県津市の赤塚建設社長の赤塚さんに出逢ったことから。

2014年4月に10日間 一緒に聖地イスラエルを旅させて頂きましたが、訪れるひとつひとつが、聖書に示されている聖なる地。

そして、イエス様や弟子のペテロの足音や会話が聞こえてくる空間。


2000年前、自らの救世主を自ら十字架に張り付けにさせてしまったことで 国は滅び戻る場所もなく 各地で流浪の民となってしまったユダヤ人。

イスラエルという国が、願い祈り再建された1948年。

その初代首相ベングリオン氏のお墓で歌うイスラエル国歌「ハティクバ」

希望という歌

どこまでも続く砂漠。

10日の間、旅人は雨の心配をすることのない国。逆に言えば、砂漠の中 渇き水を求め続けている国

梅雨の季節もあり、水の心配をすることなく、自然の恵みと四季折々の喜びを感じられる日本とは違う過酷な国であるにもかかわらず、

人は寄り添い、国を愛し、神と共に生きる国イスラエル。

イスラエルから戻った時感じた、不思議な感覚。


この豊かにみえる日本の中に感じる空洞。

何だか鍵っ子と呼ばれる子供が、家に帰って感じる感覚と似ているかもしれない。

大家族で過ごした子供が、ひとり暮らしを始めてふっと感じるような虚無感のような…。

無くしてみなければわからないもの。

有るから見えないもの。


きっとイスラエルの人々の細胞のひとつひとつには、祖国を失い異国で感じた寂しさ、悔しさ、虚しさ…がずっとずっと繋がれて来ているんだろうとも感じ…。

世界で唯一 再建された国イスラエルだからこそ学ぶことは多い。

日本も愛の国、神の国。

ツーと言えばカーと答えられるほど、相手の思いも感じ取れるほどの、同胞だからこそ感じられる愛。

東京オリンピックのプレゼンテーションの時に言った「おもてなし」の国。

この国が永遠に続きますように…と、一度国を失い再建した国イスラエルを肌で感じたからこそ願う思い。


平和と感じる中にどっぷりと入ってる今、何かポッカリと空いた空洞を 愛で埋められるように…

この日本という国を選び生まれさせて頂いたことに感謝し

国を愛し、自然を愛し、人を愛し、何より自分自身に求められていることを知り…

ケイシーが言うように、同胞に先立ち召し出された者のひとりとして…

希望を胸に祈り動いて参ります。

日本よ!永遠なれと…。

今日の動画はイスラエルとは違うけれど、

母をたずねて三千里 「草原のマルコ」

 

 

 

 

 

 

 

 

道の主ミカエル

父と子と聖霊という三位一体の中、聖霊とは 草や木、花々や石などに宿る聖なる霊。

日本で言う八百万の神。

そして、天使や大天使、妖精は精霊。

この天使や大天使、妖精たちは神さまの使いとなるような御使い。

エドガー・ケイシーの遺した「神の探求」(たま出版)の中、第8課と第9課に突然ミカエルからのメッセージ…霊界通信が伝えられるところがあり私の大好きなところ。


日本のケイシー研究の第一人者である光田先生の講座の中、「神の探求」を解説してもらっている中、

静まれ、我が子らよ!頭を垂れよ。…と突然現れる大天使ミカエル。

水戸黄門もビックリ!!な登場ですが、エドガー・ケイシーが存命中、催眠状態のケイシーに突然告げられるミカエルからのメッセージ。

突然部屋に風が吹き  窓はガタガタと震え、速記者のグラディス・デイビスも感動で泣きながら書き留めたそうです。

「神の探求」第8課、「扉を開く」でのミカエルによるメッセージはこんな感じ☟

3つまとめて転記してみました。


静まれ、我が子らよ!頭を垂れよ。

かの《霊》をこの世に顕現させることがこれほど必要とされるこの時代にあって、奉仕のために召し出された汝らに、「道の主」が―《光》を求める人には道が示されるであろうことを―知らせよう。

父の栄光は、召し出されたところの目的に忠実なる汝らを通して現されるであろう!

主の御名を呼び続けてきた汝らは、日々の生き方を通じて人々に主の道を示すであろう。

自分自身の人生の一部としてきた教訓をささやかな行為に移す時、あるいは祈りや瞑想の中で人々と交わることで、人々に主の道が知らされるであろう。

なぜなら、主はすべての人のもとを訪れ―誰でも望む者のところに来たり―

そして、黄金の笏はイスラエルから離れることはないことを、主の道は虚しからざることを汝らが知るよう、汝らの良心の戸口に立ち給うからである。

汝らが聞きさえすれば、今日、道は汝らに開かれん。

われ、ミカエルが汝らに告げる!        (262-27)


汝ら人の子らよ、頭を垂たれよ。

汝らが主の道を知ることができるよう、「道の主」なる我ミカエルが汝らに戒めを与える。

汝らの兄弟の道を妨げてはならぬ。

嘲る者の座についてはならぬ。

むしろ、すべての人が恐れから解放されるよう、主の御名には愛と栄光と御力があることを知らせよ。

われ、ミカエルが語った!         (262-28)


おお汝ら、人の子らよ!頭を垂れよ。

汝ら一人一人に置かれた信頼に誠実であるなら、主の栄光は汝らのものである!

汝らが信じてきた方は誰なのか!

主は、すべてのものの主であり、日々忠実な者に対して主の言葉は虚しからず。

そのことを覚えよ。

主の御顔を尋ね求める者を、われ、ミカエルが守る!(262-29)


転記してても、ワクワクしてくる大天使ミカエルからのメッセージ。

講座の中、この部分を読んでもらった時は、そこにミカエルの霊が乗っかり 私の魂を震わせ涙が溢れ止まらず…。

第9課の「神とともに」の中では、


神の臨在を求めんとする汝らよ、頭を垂れよ。神の力の内に強くあれ。

汝自身の弱さに躓かぬようにせよ。

汝の救い主は生きておられ、汝らと共にあるのだから。

今日、汝らの心にそれが明らかにされるかも知れぬ。

主がお入りになることを妨げるあらゆるものを汝の肉体と意識から一掃せよ。

されば主は来りて汝と共に食せられん。

おお人間よ、汝はその決意を宣言するか?汝らは神と一つになることを求めるか?

わが守護する道は、主の力にある栄光へと導くものである。

われ、ミカエルが汝を導かん。

道に背いてはならぬ。躓くな。

汝は道を知るのだから。         (262-33)


汝は道を知るのだから・・・という「道の主」といわれるミカエル。

天使というとふわりと優しいイメージがあるが、4つのミカエルから示されたメッセージで示されるように 力強く導く言葉の数々。

新約聖書の中、処女マリアに

「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」

と告げる大天使ガブリエル。

きっとその時も、ガタガタと窓を震わせ この世のものとは思えない光と威厳を放ってたに違いない。


私は大天使にまだ一度も出会ったことはないけれども、主の御使いとされる大天使や数々の聖霊は確実に存在し、導いてくれてることは信じて疑いません。

そして、明日は祈年祭。

五穀豊穣を祈る11月新嘗祭と対になるほどの大切なお祭り。

見えない世界を粛々と守り続けている日本の神道。

地元伊曾乃神社は西暦137年にお祀りされ、今年1880年。

世界で一番長く続く天皇の國、日本。

どうか、日本に天の祝福が慈雨のように降り注ぎ、永遠に続きますように…。

GREEEEN  道

 

感謝

1979年1月21日 32歳の若さで亡くなった井村和清さんが、死の直前まで綴った手記「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」に書かれた詩

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「あたりまえ」 昭和54年1月1日新年の贈り物(井村和清)

 あたりまえ こんなすばらしいことを
みんなはなぜよろこばないのでしょう

あたりまえであることを

お父さんがいる、お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある

行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる

音がきこえて声がでる
こんなしあわせなことがあるのでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます。

食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる

空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる

走りまわれる
みんなあたりまえのこと

こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない

そのありがたさを知っているのは、
それを失った人たちだけ なぜでしょう

 あたりまえ

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今日はバレンタインデー♡

チョコレートを大好きな人に贈ることが出来るのも 受け取ることが出来るのも たくさんの奇跡の連続が重なって…。

本当にありがとう…有り難い有り難い奇跡の連続。

そして、何度読んでも 泣けてくる この詩。

変わらない日常が、幸せであること。
あたりまえのことが、あたりまえでないこと。

日本は、地震大国。そして、津波も起こるし、交通事故も毎日どこかで起こってしまっている。

「行ってきます」と出掛け、帰らなかったとしたら…いえ、いつも恐れて生きるのではなく、あたりまえに染まらないこと。

ついつい日常の中、トイレだって

紙があるのがあたりまえ。お水が流れるのがあたりまえ。
戸が閉まるのがあたりまえ。

外出の時も、車が動くのがあたりまえ。
道路があるのがあたりまえ…だと。

あー。

この日常のささやかな事柄の数々を 改めて思わせてくれるこの詩。

新約聖書 テサロニケ人への第一の手紙5章

いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって、
神があなたがたに求めておられることである。

そして 被災地の未来のために祈り歌われた 讃美歌

.(賛美歌298 安かれわがこころよ)

1.安かれわがこころよ  主イェスはともにいます
  痛みもくるしみをも  おおしくしのびたえよ
  主イェスの共にませば 耐ええぬ悩みはなし

2.安かれわがこころよ  なみかぜたけるときも
  父なるあまつ神の   みむねにゆだねまつれ
  み手もて導きたもう  望みの岸はちかし

3.安かれわがこころよ  月日のうつろいなき
  み国はやがてきたらん うれいはとわに消えて
  かかやくみ顔あおぐ  命のさちをぞ受けん

 

 

 

 

サポート

数年前から、ファミリーサポートという 市の子育て支援のひとつで、子育て中の家庭のサポーターをさせてもらってます。

市報でみつけた「子育て中の家庭のサポート勉強会」

私のこの両手で何が出来るの?…とJupiterの歌詞ではないけれど

「サポート」…支えること、支援すること、応援すること…。

もう6年程前に初めて受講させて頂き、色々な形でさせてもらっているサポート。

今日、お母さんの仕事の都合で時々1時間程 預からせてもらう

「さなちゃん」

10月にサポートして以来 4か月ぶりに会った1歳1ヶ月のさなちゃんは、我が家に天使が訪れたようにパーッと光を灯してくれました。

笑って、食べて…もちろん泣いても かわいい~。

あっという間の1時間。

また来てね~と見送り、次に会う時には もう歩き始めてるのかな?

そして、今日は夕方もピアノ教室へ連れて行くサポート。

たまたま 太陽院に来てた患者さんの小学1年の長女ちゃん。

お母さんも知ってるから また楽しい。

なかなか子供に恵まれなかったお母さんのお腹に宿ったひとつの命。

お習字とピアノ教室へ送っていく間だけの サポートだけど色々おしゃべりしてくれるのが…楽しい。

お習字の教室に行く時には、洋服を車の中で汚してもいい服に着替えるんだけど、

移動中交通整備の男の人やすれ違う男性をみると「あっ!…見ないでよエッチ!!」・・・と身体を隠す小学1年生。

「お父さんとはお風呂に入る?」と聞くと、「うん!入るよ」

家族4人、お父さんとお母さん、妹も一緒に入るよ…と。

人は裸で生まれ、衣類を纏って生活する。

今朝のさなちゃんも、心成しか離乳食を食べる時、口の開け方が主人が食べさせる方が おちょぼ口になった氣がする(笑)

子供が、むかし銭湯で 女の子はお父さんと男湯へ、男の子は女湯へと入ることをためらい始めるのは、いつからなんだろう?

旧約聖書の中、エデンの園で神と共に暮らしていたアダムとイブ。

禁断の果実を食べたことで、裸でいることを「恥ずかしい…」と思い始め、そして 誰かのせいにし、神と共に暮らしていたエデンの園を追放された。

その時の神の愛は、アダムとイブに着せた皮の衣。

動物の皮で作られた衣を着ることで、護られるこの地上で生きる身体。

人がひとりでいるのは良くない!!とアダムのアバラの骨から作られたイブ。

これも神の愛。

マタイによる福音書6章25節には

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

子育てサポートをしてる私自身の命もからだも、神さまにサポートされ生かされている日常を歓んで…。

今日は双子のまなちゃんかなちゃんが歌った「いのちのうた」

 

日の本

今日2月11日は、建国記念の日。

日本國が誕生して2677年。

明治21年に作られた「紀元節唱歌」

紀元節

一、
くもにそびゆる たかちほの  たかねおろしに くさ
なびきふしけん 大御世おほみよを  あふけふきょうこそ たのしけれ
二、
うなばらなせる はにやすの  いけのおもより なほひろき
めぐみのなみに あみしを  あふけふきょうこそ たのしけれ
三、
あまつひつぎの たかみくら  千代ちよよろづうごきなき
もとゐさだめし そのかみを  あふ今日きょうこそ たのしけれ
四、
そらにかがやく もとの  よろずくにに たぐひなき
くにのみはしら たてしを  あふけふきょうこそ たのしけれ

文献によると、天照大神の孫 ニニギノミコトが高天原に降りてきた後、神武天皇が奈良の橿原に向かうまでの時は179万2470年あまりになると書かれていました。

古事記の中、神武天皇はニニギノミコトの子供…山幸彦の孫。

ニニギノミコトが山の神さまの娘コノハナサクヤヒメと結婚し、

また山幸彦は海の神さまの娘トヨタマヒメと結婚。

そのトヨタマヒメと山幸彦の間に生まれたウガヤフキアエズノミコト。

このウガヤフキアエズノミコトの孫が神武天皇となるんですから、ニニギノミコトから6代。

初代神武天皇は、天照、山の神、海の神の全ての血縁を得ての建国。

179万2470年間で6代…それは1代約298,700年づつ生きていたことのようで、

また神武天皇から125代目の今の今上陛下までが2,677年を単純に計算すると、1代21,4年間。

聖書の中でもノアは950歳まで生き、アブラハムは175歳だったと…。

まっ深く探求はしませんが、「日の本」日本を治めていく天皇とは 身を犠牲にしながらも国民、国家の平安を祈り守っていく尊く有り難い存在。

そして、日本國の建国を宣言する前

スサノオノミコトの子孫が納めた179万2470年と

アマテラス子孫が繋いできた2677年を足してみると、

179万5147年。

ニニギノミコトが天孫降臨の時預かって来た詔

「天壌無窮の神勅」

豊葦原の千五百秋の瑞穂の國は、
これ吾が子孫の王たるべき地なり。

爾皇孫、就きて治らせ。
行矣。

寶祚の隆えまさむこと、
當に天壤と窮まりなかるべし
(日本書紀巻二)
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現代語に訳すと次のようになるそうです。

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豊かな葦原で、
秋になると稲穂がたくさん稲が稔る國は
私の子孫が統治する地です。

なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。
元気で行きなさい。

寶祚(天皇の御位)が栄えることは、
当然に天地と共に永遠で窮まりないことです。

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奪うことなく、和をもって尊しとなすと読んだ聖徳太子

シラス國。

和の国。

紀元節第4章に「万の国にたぐひなき」と示されたように

世界に類を見ない唯一無二の日の本日本。

イザナギ、イザナミによって国生みされ179万5147年余り。

出雲の国譲りからアマテラスの世へと移り2677年。

人の寿命は、長く生きても今は100年。

多くの人が生まれては死に、死んでは生まれ…。

永い永い年月を山や海、大自然に包まれ、また地震や津波 厳しい天からの試練をも越えて存在する「今」

アトランティス大陸などは、3度の地殻変動で海底に沈まされたんですから、「在る」ということは奇跡の連続、神さまの計らい。

「今」を歓び、堪能し、何が私に出来るのだろうと天に問いつつ

世界が、日本が主の御恵に満ち満ちたものとなりますように…。

日本國 皇紀2677年 お誕生日 万歳…!!

そして、今日は吉元由美さん作詞 平原綾香さんの歌う「Jupiter」