使命・運命・宿命・天命

使う命と書いて「使命」

運に、命がついて「運命」

そして、宿る命で「宿命」

あとは、天の命で「天命」

「運命」と「使命」そして「宿命」と「天命」

どれも似てるようだけど、どれも違う。

運命の運は、まさに運ばれる命。

運ばれてくる命とは人との出会い、そしてご縁。

出会った人や繋がる人によって変えられて行くもの。

強運や運のいい人は、やはり人との出会いによって強運を引き寄せているように思うし、強運だと思ってる人はやはり運のいい人と出会っている。

運命は変えられるというのは、まさに思いや出会いで引き寄せられ作られていくようなものだから。

そして、「使命」と「天命」とは、この世に誕生し生きている間にどのように命を使い、神さまと約束してきた「天命」を生きて行くのか。

そして、「宿命」
生まれた場所・国・環境・時代そして肉体など、変えようと思っても変えることの出来ないこと。

この「宿命」、神さまと約束して生まれて来た「天命」を全うするために、変えることの出来ない自分自身の住む場所も生まれて来る時代も両親や兄弟までも選んで生まれ、命を使い「使命」を生きる。

「宿命」と「天命」だけは、生まれて来る時 決めて生まれて来たため変えることは出来ないけれど、「運命」と「使命」は自分自身の思いや行動によってどんどん変えられていく。

何の仕事をするか?

どんな人とご縁が繋がるか?

どこに住むか?etc…

動物になく、人間に唯一与えられたものは「思考」

ひとりひとり育った環境や性格も違うために、それぞれの「思考」は、

神さまの想像を遥かに超えたものなのかも…知れない。

「おっ!今度はこう来たか?」

「へ~そんな方法もあるんだ!」

と、きっと神さまは私たち人間それぞれがそれぞれのの思いをして過ごしているものを見て微笑んで見てるんだろうと。

そして、インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」の中で、神さまは善も悪も作ったと書かれてあり、善も悪も人間が作ったジャッジ。

闇があるから光がわかるように、悪があるから善がわかる。

「天命」にも「宿命」にも「使命」にも「運命」にも、そこに善も悪もなく、ただそれを真剣に全うすること。

今もきっと神さまが、想像も出来ないひとり一人に与えられた思いや考え方行動すべて…笑ってみてくれてると思いながら、私もいつか天に帰るその日まで、どんなことがあっても使命まっとうして…。

今日は、長淵  剛さん「素顔」

子供の頃、土を一生懸命丸めて 「どろ団子」を作り どんなことがあっても壊れないものを作ろうと 思ったことが有ります。

投げても割れない「どろ団子」

なんだって出来ると思っていた子供の時代。

子供の頃は自分自身の無限の夢の世界が広がってました。

アダムとイブが、エデンの園に居た時、労働も何もない世界。

無限に夢を追いかけていた頃。

今日、「夢を100個書いてみて!!」「書くことで夢が近づく!」と聞きました。

新月の日に願いごとを書くと願いが叶いやすく成ると…新月の日には何個か願いごとを書いたりしてたけれど…。

新月に限らず、思い当たる夢をまず100個書いてみようと…。

書くことで、パソコンの検索中のような状態が私の身体の中で、ぐるぐると起こるのでしょうか。

先ずは、ひたすら思いつく夢書いてみる。

そして、絶妙のタイミングできっと夢が叶う

無限の可能性を信じよう…。

ブルーハーツの「夢」

 

 

 

 

 

 

 

 

意識と無意識

身体が元氣な場合、歩く時 特別に、左 右 左…と考えながら歩くという人はなかなかいないと思います。

人は、1日の内 無意識のうちにいる時間の方が多いのかも知れません。

何かを始める時や日常の生活に変化をもたらしたい時、人は意識的に記憶された中で行動を起こしていくように思います。

「癖」っていうものも、また「無意識」の領域の中にあるようですが、この癖や無意識が良い方向に向かったり、はたまた混乱を起こしてしまったりすることも有ります。

無意識に行う行為は  本当に数限りなくあり、どれも最初からすんなり出来たものでもなく…

例えば、自転車とかキャベツの千切りとかアイロンがけとか…

意識と言うのは自分が現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の働き…と書かれてもあり

この意識と無意識の中間にあるモノはどんなものなのでしょうか?

スキーの教本の中に、「習う」→「滑る」→「なれる」という練習段階を示した言葉が有ります。

先人が経験の中 秘訣を教えてくれ、そして日常の生活の中で活用していき、その行為があたりまえになっていく。

私たちは、生まれた時から誰かの真似をして生きて来た!!と以前ブログで書かせてもらったことが有りますが、

最初の最初にお米を炊いた人は、きっと試行錯誤を繰り返したに違いありません。

失敗して…失敗して…どこかに光を見つけ完成していく。

その光は、頭で考えている間はなかなか届いて来ないかも…知れません。

日常の無意識の中、ふとした瞬間に「ハッと」示される神様からの福音。

目に見えないものがあるから、目に見えるものが現れる!!

天上界にいる大いなる者の姿は誰もみたこともなく、ただそこから放たれるエネルギーは、ひらめきや光となり その後、形になっていく…のかも知れません。

2017年、今日 立春を迎え、新しい年。

お昼、行かせてもらった「数派」の勉強会の中、教えて頂いた今年の流れ。

火の酉…鳳凰…フェニックス…不死鳥。

今年は、60年に一度の「火の酉」だそうです。

大きな流れが終わり、新たな局面への大変化が始まる年でもあると…。

また日本だけでなく、政治・経済が大きく動くとも…。

そして、「酉」という字は、器の中で酒が発行している状態。

少し意識して、今までの自分とは違う 光り輝く意識に切り替え、新しい何かを現していければ幸いです。

今日教えてもらった 人の身体の中、「発酵できない身体の10の行動」

1.氣づくとグチ・不平・不満・文句を言っている人。

2.生活の中、浴室や洗面所、水回りが汚い人

3.いつも誰かに嫉妬している人

4.女性らしい容姿を意識していない人

5.愛を感じていない!愛に飢えている人

6.頑固で柔軟さがない人

7.肌や髪のケアを怠り、肌や髪に氣を使ってない人

8.添加物を多くとり、身体に氣を使わない人

9.出来ない!だって!!でも…とやる氣のない発言の人

10.常にイライラしていて、人を攻撃する人

意識ある内も無意識の中でも、身体の中でしっかりと発酵するエネルギー。

そして、マタイによる福音書24章42節のこの言葉

だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである

主の時が来たときに、発酵した状態でいることが出来ますように…。

そして意識高い系で(笑)!!

そして、今日はなんとなく 円広志さんの「夢想花」

 

 

不条理

筋道が通らない!!道理が合わないこと…を「不条理」と言うそうですが、とかくこの世は「不条理」なことが本当に多いと思います。

今日は、朝から私が昨年2月から取り扱ってる「水素風呂レンタル事業」のフォーラムに行って参りました。

水素風呂の研究協力者の方々のお話や、会社の社長の思い、水素に関する学術発表と、あっという間の3時間でした。

中でも、最後にお話された友田最高顧問の思いにまた心打たれました。

「世の中の不条理を無くしたい!!」と静かに語られる中に、今の世に対する怒りとやるせなさ、どうしようもない思いが伝わり泣けてきました。

どうせこんなもんだろう…と「臭いものに蓋」をするような世の中。

反骨精神からではなく、やるせない仁と義を思わせる言葉の数々。

先の大戦で、何もかも無くなった焼野原からひとつひとつ作り上げてきた人々。

両親を亡くした人もいただろう。

父の無い家庭もあっただろう。

この日本を支えてきた人々の生活が、今 本当にそれに見合うだけの喜びに生きているのでしょうか?

生活保護を受けることは、多くの人に申し訳ないからと申請もせず、あるモノだけで今を生き延びている高齢者と言われる人々。

机上の計算だけで決められ変えられていく「介護保険事業」や「年金」。

誰か偉い人たちが、決めていく現実感のない理想郷。

介護も今や産業となり、事業所が乱立し その中で大きな病院が強い力を持ち、いずれ高齢者が減っていくと小さな事業所はどうしようもなくなっていくであろう現実。

昭和の初めに起業した会社は、一世を風靡し そして モノが溢れ会社はどこかと合併することで、やっと生き残っていく現実。

困っていても、誰を頼ることも出来ず、誰も助けてくれない現実に直面している現実。

下流老人…と言われる言葉が出て来る今、戦後この国を作り上げてきた人々は、何を思い毎日暮らしているのか?

いや…下流老人だけでなく、「ゆとり世代」と呼ばれる世代を作り上げたのも大人たち。

就職する先もなく、やりたいこともみつけられない世代。

なぜこんなことが、起こって来たのでしょうか?

戦後、核家族化が進み、個人主義 そして 学歴重視の世の中となり、おちこぼれを生み…誰かのために命がけで動く心を失ってしまったのもひとつの要因の様な氣がする。

そして、2011年3月11日天から警告がなり、寒い東北に生きる人たちが世界に示した「やまとの心」「武士道」

世界が絶賛した日本。

根っこの根っこの部分を作り支えてきた人々は今、幸せでしょうか?

そして、繋がっていく我々に出来ること…。

片田社長が、知覧の特攻記念館で目にした2つの手紙

「僕の命は明日で終わる。僕が生きたであろう未来を君に託す」そして

「私は親も上官も信じません。ここに無邪氣に遊ぶ子供たちだけを信じる」とも・・・。

自身が玉となり、祖国のために散って逝った19や20歳の若者たちの祖国を思う心。

こんな「不条理」な世を空の上から、どんな風に見ているのでしょうか?

THE BLUE HEARTS 「青空」

 

 

 

 

風習

何年ほど前だったでしょうか?

コンビニで「恵方巻き」という風習が大きく書かれ、「予約受付中」と…。

その年の吉方を向き、お巻寿司を無言で食べきるというもの。

何か難しいことをするわけでも無く、お巻寿司を食べるだけで 幸せを引き寄せるのなら こんなに有り難いものはない。

立春を迎えると、玄関で豆をまき…、自分の年の分だけ豆を食べる。そして恵方巻き◎

10代の頃は、もっといっぱい食べたいな~と思いながらも、年の数以上食べると 何か悪いことが起きると嫌だな~と思い 年の数だけ豆を食べたものです。

あの頃、いっぱい豆が食べられる大人が羨ましかった…かも(笑)

昔から、受け継がれてきた風習。

お正月のしめ縄やお供え餅…豆まきやお雛様。

お花見やこいのぼり、菖蒲湯に七夕様。

夏越せ祭りに秋祭り…お月見や大祓いなどなど。

そこに、バレンタインやホワイトデー、ハロウィンやクリスマス。

大きな和の心で受け入れ育んできた日本人。

しかし、度が過ぎてしまうと 全てがどこかの企業が仕組んできたもののようにも見えてくる。

葬儀の形式もそうかもしれない。

豊かな国だな~とつくづく思います。

「地獄の沙汰も金次第?」

私には子供もいなく、主人が二男のため、亡くなってから入るお墓はまだありません。

主人の実家のお墓に入る方法もあるのかも知れないですが、常日頃思うのは、「生きてるうち…」という考え。

生きているうちに何が出来るか?

いくら高いお金を払って最高のお経をあげてもらっても、高い戒名を付けてもらい、立派なお墓に入ったとしても…。

天の神様は、そんなもので人を判断することはきっとないと思うし。

昨日書いた「犬の十戒」ではないけれど、人は神様との約束を持って この混沌としたこの世で暮らし、そして神のもとへと還っていく。

そしてそんな中、立春の日には「鬼は~外、福は~内」と豆をまき、恵方に向かってお巻寿司を無言で食べ…。

1999年の新婚当時から、欠かしたことのない風習。

そんな中、脳出血で倒れた主人…。

入院中、看護師さんが

「近藤さんのお宅は「豆まき」とかされますか?」と、聞かれ…、

はい!我が家は恵方巻きも、豆まきも欠かさずやってますよ。でも病気にはなるんですよね…と(苦笑)。

この病に倒れることも恵方巻きによる、ご利益なのかも知れない。

坂村 臣民が書いた詩の中に

「病がまたひとつ 新しい世界をひらいてくれた…桃咲く」

成ってみなければわからない世界。

死んで戻ってくることはないけれど、ただ一人復活したひとりのユダヤ人が示した、死んでも死なない世界。

永遠の命に繋がるモノのために、頭ではなく先人が残してくれた風習を感じることも大切なことなのかも知れない。

今日、小学校1年のS子ちゃんが、「明日、鬼来るの怖い!!」…と。

初め鬼が「うに」と聞こえ、えっ?明日給食でウニ?って返答してしまった私は反省。

鬼やサンタさんをリアルに感じられる「おさなごころ」持ち続けていたいですね。

今日の歌は、「鬼は外、福は内」

 

 

 

 

 

犬の十戒

通りがかったトリマーさんのお店の前に掲げられていた「犬の十戒」

家に戻って、ネットで調べてみると 海外で作者不明で広がって来たものらしい。

内容はこんな感じ…

犬からの心の叫び

The Ten Commandments

犬の十戒

1. My life is likely to last ten to fifteen years.
Any separation from you will painful for me.
Remember that before you buy me.

私の寿命は、10年。長ければ15年。
何があっても最後まで、あなたのそばにおいてもらえますか。
私を飼う前に、どうかそのことをよく考えてください。

2. Give me time to understand what you want of me.

あなたが私に望んでいることを、ちゃんと分かるようになるまで
少し時間をください。

3. Place your trust in me- it’s crucial to my Well-being.

私を信頼して下さい……それが何より嬉しいのです。

4. Don’t be angry at me for long and don’t lock me up as punishment.
You have your work your entertainment and your friends.
I have only you.

私のことをずっと叱り続けたり、罰として閉じ込めたりしないで下さい。
あなたには仕事や楽しみもあるし、友達もいるけれど
私には….あなたしかいないのです。

5. Talk to me sometimes.
Even if I don’t understand your words,
I understand your voice when it’s speaking to me.

時には私に話しかけて下さい。
たとえ、あなたの話す言葉はわからなくても、
あなたの声を聞けば、私に何を言ってくれているのか、分かるのです。

6. Be aware that however you treat me, I’ll never forget it.

私のことをいつもどんな風に扱っているか、考えてみてください。
あなたがしてくれたことを、私は決して忘れません。

7. Remember before you hit me that l have teeth
that could easily crushthe bones of your hand
but that I choose not to bite you.

私を叩く前に思い出して下さい。
私には、あなたの手の骨など簡単に噛み砕ける歯があるけれど、
決してあなたを噛まないようにしているということを。

8. Before you scold me for being uncooperative obstinate or lazy,
ask yourself if something might be bothering me.
Perhaps I’m not getting the right food
or I’ve been out in the sun too long
or my heart is getting
old and weak.

言うことをきかないとか、手におえないとか、怠け者だと叱る前に
そうさせてしまった原因が無かったか、思い起こしてください。
ちゃんとした食事をさせてもらっていたでしょうか
太陽が照りつけている中に、長い間放っておかれたことはなかったでしょうか
老いた私の心臓が弱っているせいで、動けないのかもしれません。

9. Take care of me when I get old ; you, too, will grow old.

私が年老いても、どうか世話をして下さい。
私達はお互いに、同じように歳をとるのです。

10. Go with me on difficult journeys.
Never say, “I can’t bear to watch it .” or ” Let it happen in my absence.”
Everything is easier for me if you are there.
Remember I love you.

最期のお別れの時には、どうか私のそばにいてください。
「つらくて見ていられない」とか「立ち会いたくない」とか
そんなこと、言わないでほしい。
あなたがそばにいてくれるなら、
私は、どんなことも安らかに受け入れます。

そして、どうぞ忘れないで。
私がいつまでも
あなたを愛していることを。

Author Unknown

作者不詳
(訳:ソマリ+ism【Somalism】りんぽぽ&しゃおらん)

最後まで読み、何だか胸が苦しいです。

昨年2月22日、朝姪っ子からLINEが入り「パウロが死んだ!」と…。

パウロっていうのは、実家で飼っていたプードルの名前。

実は私が、名付け親。

6年前、実家にやって来たパウロは、やっぱり家族の一員でした。

亡くなる7~8ヶ月前に白内障にかかり、目がどんどん白くなっていき、私が実家に寄っても、ジッとしてることが多くなっていってました。

亡くなる朝、パウロは姪っ子の腕の中で亡くなってたそうです。

目が覚めても動かないパウロに、想像もしていなかった突然のお別れの時。

連絡もらって、すぐに駆けつけて 動かない身体に何も言えず…。

亡くなる日の前日、姪っ子が仕事から帰ってきたとき、いつもはジッとしてるのに、フラフラとしながら 玄関に出て来てお迎えしてくれた…と。

「さよなら…」と伝えたくても 伝えられないもどかしさ。

「ありがとう…」と伝えたくても 伝えられないもどかしさ。

「またね…」と伝えたくても 伝えられないもどかしさ。

この十戒に書かれた犬の氣持ち。

どれだけわかってたでしょうか…。

最後の日、ちょうど仕事もお休みの日。

パウロ自身が、ちゃんとわかって選んだお別れの日。

十戒の最後に書かれた

最期のお別れの時には、どうか私のそばにいてください。
「つらくて見ていられない」とか「立ち会いたくない」とか
そんなこと、言わないでほしい。
あなたがそばにいてくれるなら、
私は、どんなことも安らかに受け入れます。

そして、どうぞ忘れないで。
私がいつまでも
あなたを愛していることを。

今日、「犬の十戒」に目が留まったのも、パウロからのメッセージでしょうか。

2月を迎えた今日、22日はパウロともうひとり大切な友も天に還った日。

命のはかなさと限りある生の時間 生きることはまた死に近づくことでもあり、全ての人や生き物がたどる道。

「今」を精一杯生き…生も死もない次元に上昇して行けますように…。

そしてこの歌 山口 百恵「さよならの向こう側」