「聖書」タグアーカイブ

ユダヤに学ぶ「変容の法則」

太陽院院長   近藤  千恵子です(^_^)v

2014年4月、アジアの西の端にあるイスラエルへ旅をしました。

その旅に誘って下さったのが、私が聖書を読むきっかけを作って下さった 三重県津市に住む赤塚  高仁さん。

今では、「人生を変える聖書漫談師」として  各地で引っ張りだこの赤塚さん。

9月に  赤塚さんの最新刊である、

ユダヤに学ぶ「変容の法則」

送って頂き  あっという間に2ヶ月。

やっと今日、一気に読ませて頂きました。

著者である赤塚さんが書かれた  一文字一文字を通して、イスラエルの旅の景色  や  神の愛を感じ

細かく書かれた聖書の引用と赤塚さんの聖書の読み解き…

たった一度ですが、イスラエルを巡ったあの景色が ありありと蘇って参りました。

2014年、訪れた シオニズム運動の始まりとなったトルンベルドールの開拓地「テルハイ」

トルンベルドールが最期の時まで大切にした言葉は、日露戦争のあとロシア兵として捕虜となっていた時、日本人から聞いた「国のために命を使うことほど名誉なことはありませんから…」との言葉。

そして、アラブ人からの襲撃によって失くなったトルンベルドールのお墓には…

「祖国のために死ぬことは、良きことかな」と刻まれており

テルハイで トルンベルドールの偉業を誇らしく 語ってくれた女性モリヤさんのことも…昨日のことのように思い出します。

そして西暦70年、要塞マサダでのイスラエル滅亡と2048年初代ベングリオン首相によって再建されたイスラエルという国。

長い長い間、流浪の民族となり どこにいても手放すことなく守り続けてきた旧約聖書の世界。

そして、洗礼者ヨハネによって30歳のイエスが洗礼をうけたヨルダン川の洗礼所

イスラエル国再建の1年前 「死海文書」が発見されたクムランの遺跡

弟子ぺテロとの出会いと 再会のガリラヤ湖

イエス様が生まれたナザレの町

最後の晩餐がされたと言われる 部屋の柱

イエス様が十字架に架かる前  父に祈り…

祈ってる間、弟子ぺテロとヨハネとヤコブは眠っていたと言われるゲッセマネのオリーブ園

 

そして、イバラの冠を被らされ ムチ打たれ歩いたビアドロロッサ

ペテロがイエス様の預言通り 三度イエス様を知らない…と言い ニワトリが鳴いたとされる像

「聖墳墓教会」とは違う イエス様が葬られたとされる「園の墓」

この中で、著者である赤塚さんに聞こえたイエス様の言葉…

「I love you.Because you are you」

あなたがあなただから、愛するのです。

生まれる前から ずっと知っていてくださり  何も求めることのない神さまの無条件の愛の世界。

訪れた2014年から 7年経った今でも  ありありと瞼に浮かぶ聖地イスラエルで見たもの 感じたものが

今日また一冊のこの

ユダヤに学ぶ「変容の法則」

を通して 昨日のことのように 感じさせて頂くことが出来ました。

聖書を知ることで  日本の古事記が分かり、キリスト・イエスを知ることで、神様の愛の世界を知り…

日本人の根底に流れている 思いやりやおもてなし 武士道や愛国の心も 改めて大切にしていきたいものです。

著者の赤塚さんと 洗礼者ヨハネの母エリサベツに受胎告知されたマリアさまが訪問した

「訪問教会」での一枚

最後に 新約聖書 ルカによる福音書1章46節~55節に書かれた

「マリア讃歌」

わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救主なる神をたたえます。
この卑しい女をさえ   心にかけてくださいました
今からのち代々の人々は   わたしをさいわいな女と
言うでしょう
力あるかたが、わたしに大きな事を
してくださったからです
そのみ名はきよく
そのあわれみは   代々限りなく
主をかしこみ恐れる者に及びます
主はみ腕をもって力をふるい
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし
権力ある者を王座から引きおろし
卑しい者を引き上げ
飢えている者を良いもので飽かせ
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます
主は、あわれみをお忘れにならず
その僕イスラエルを助けてくださいました
わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
とこしえにあわれむと約束なさったとおりに

神さまとの契約

太陽院院長  近藤 千恵子です(^_^)v

2020年が あと2日という今日…虹をみました。

聖書の中、創世記9章

ノアがアララト山にたどり着き、神さまがノアに言った 契約。


これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。

13 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。

14 わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。

15 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。

16 にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。

17 そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。


新しい元号となって2年目。

日本だけでなく、世界中を襲った 新型ウイルス。

そして、聖書の中  40日40夜続いた大洪水によって 地球上の全てのものが 洗い流され  そして ノアに語った 神さまの契約。


イザヤ書43章 5節の

恐れるな、わたしはあなたと共におる。」


見えないものに  大きく変えられた 2020年。

生き方も考え方も 半ば強制的に…

しかし  今日神さまは

「大丈夫だよ!」

と雲の中に 虹をかけて 見せてくださった。

有難いことです(*´-`)

色々あるから 本当に 人生って面白い(*^o^)/\(^-^*)

 

日本人ならでは…?

太陽院院長   近藤  千恵子です(*´-`)

いつも いい言葉が書かれている お寺の前を通ってみると…

「主をたたえ、仏に暮れて、神に明け」と  書かれてあり  なるほどな~と…。

実際クリスマスを祝い、大晦日の除夜の鐘を寺で聞き、神社に初詣する自分は何者か?というのを 書いた川柳なのだとか…。

しかし  昨年末から  私自身  救世主イエス・キリストの誕生日を待ちわび  クリスマスツリーを飾り…

24日~25日の聖なる日は イエス様の誕生を魂いっぱい歓びお祝いし…

そして  昨年末から年越しには  お寺での除夜の鐘の96打目をつかせてもらい…

朝には 神社で歳旦祭に参列…そして初詣。

そして そして 今日は 12月のクリスマスイベントから参加させて頂いてた  八幡浜の教会での新年聖会に主人と共に参加し…

数々の讃美歌を歌い  たくさんの方々の 祈りや信仰を通しての歓びの言葉を聞かせて頂き 共に祈って参りました。

牧師先生の 聖書講話では  目の見えなかった者が イエス様によって 見える者となった ヨハネによる福音書 9章

なぜこの人は目が見えないのか?という弟子達に…

「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」と答えるキリスト・イエス。

ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである…どんな出来事も 全て、神さまの御業が 現れるためのもの。

今 、病に伏せる人も…

今、悩みを抱える者にも…

ただ 神さまの御業が現れるためのもの…。

そして  人々の信仰の度合いに応じて 結果は現れると…。

仏教も神道も また聖書の世界も…全て深く知れば面白い。

そして 見えない世界を最も理解出来るのが  日本人で有るのかも…。

アダムとイブも…

イザナギとイザナミも…

アマテラス様もスサノオ様も ツキヨミ様も…

そして 仏陀や弘法大師さまも…

全てその時々に必要な人間が 絶妙な形で現れ 人々へ希望を与えてくれること。

そして全てのものが 統合される世界も そう遠くないかも知れないですね(^-^)v

愛と喜び、希望と平安

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^。^*)

12月に入り、町にイルミネーションが灯り…主の誕生を待つ日々。

今朝、日本エドガー・ケイシーセンターから届いた珠玉の言葉は…

「覚えておきなさい、救い主は生きているということを。そして、あなたの手は救い主の愛と喜びと希望と平安を現すために用いられるかも知れないということを

Know that the Redeemer liveth, and THY hands may be used as manifestations of His LOVE, HIS joy, HIS hope, HIS peace.」

2017年前、律法や権力者によって がんじがらめになり…救世主を求め続けたユダヤ人の願いと祈りによって、生まれて来たキリスト・イエス。

30歳からたった3年間…神の言葉を話し…神の愛と喜びそして希望と平安を表わしてきたキリスト・イエス。

人の罪の贖い主となり、十字架にかかり…天と地上とを繋げたキリスト・イエス。

3日後、神の子は甦り 人々に死んでも死なない世界を示したキリスト・イエス。

10年前は、手に取ることも読むことも無かった世界一のベストセラー「聖書」

世界3200以上の言語で翻訳され 世界中で読まれ続けている人類の知恵の書。

私自身、イエスさまに出逢い救われた経験を持つ 三重県津市の工務店の社長のお話をDVDで知り…

私も逢ってみたい!!救ってもらいたい!!と、初め 教会に駆け込み日曜集会にも通い…イエスさまを学びたい…イエスさまを知りたい…と。

そんな私を導くように、教会に通い聞いてた牧師さまの話から 我が家に来てくれて無教会による伝道師の先生による聖書勉強会…そして、初めに聖書を学ぶきっかけとなった三重の工務店の社長の聖書講座へ通い…知った神さまの愛と喜びそして希望と平安。

20世紀最大の預言者と呼ばれる エドガー・ケイシーも12歳のころから聖書を毎年通読。

そんなケイシーだったからこそ、没後70年以上たっても ケイシーが語ったリーディングは、いつも新鮮で魂に滲み愛と喜び、希望と平安に満ちた珠玉の言葉たち。

12月…主を待ち望む今、私達が神の道を歩んでいるかどうか…。

神のひとり子が示したように、目の前の人に愛と喜びと希望と平安をあたえる生き方。

神の愛

神の喜び

神の希望

神の平安

今朝、日本エドガー・ケイシーセンターから珠玉の言霊メッセージとして届けられたケイシーの言葉に、改めて主の愛と喜び、希望と平安を届けられる人間に近づけるよう 明日0:47満月を迎える大きく真ん丸なお月様に誓ってみました(*^^)v

預言★

昨日、高知から帰る車の中で聞いた「預言カフェ」

東京にあるらしい。

あるプロテスタントの教会が開いているという「預言カフェ」

平日のお昼2時~夕方6時半まで開いており、1杯800円のコーヒーを頼むと 3分間程預言を伝えてくれるという なんとも女心をくすぐるカフェ。

3分間の預言は、録音も可能らしく、あとでゆっくり聞き直すことも出来るそうで、興味深い。

占い師や霊能者とは違う預言する方たち。なにかトレーニングをすることで預言を受けることが出来るそう・・・。

預言とは、神さまからの言葉を預かる者のこと。


聖書の中、創世記からイエス様が生まれる前までのことを書いた、
約聖書。西暦ではB.Cの頃(Before  Christ  キリスト以前)

新約聖書とは、神さまのひとり子イエスを身ごもる母マリアの葛藤と讃美そしてキリスト・イエスを通して示される「神の愛」の世界。

キリストの誕生を境に、
西暦ではA.D(Anno  Domini アンノドミニ 主の年)と…。

イエス様が生まれたことで、新しい契約となった神さまとの約束。


洗礼者ヨハネが、イエスに洗礼を授ける所にヒントが書かれているが、

ヨハネによる福音書の中

洗礼者ヨハネは「わたしは水でバプテスマを授けるが…わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。」

そして、「御霊によってバプテスマを授けるかた」こそキリスト・イエス。

イエス様が死後復活し、多くの弟子の前に姿を現し そして昇天。

最後の晩餐のあった部屋で、みんなが集まって祈っているとき

「激しい風が吹いたような音が響き、また舌のようなものが炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」とある。

そして「その時、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語りだした」と…。


旧約聖書「ヨエル書」の中、預言者ヨエルが預言していたことが起こる

ヨエルの預言とは…

「神がこう仰せになる。
終りの時には、私の霊をすべての人に注ごう。
そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、
若者たちは幻を見、
老人たちは夢を見るであろう。

その時には、わたしの男女の僕たちにも
わたしの霊を注ごう。
そして彼らも預言をするであろう。

また、上では、天に奇跡を見せ、
下では、地にしるしを、
すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう

主の大いなる輝かしい日が来る前に、
日はやみに
月は血に変わるであろう。

そのとき、主の名を呼び求める者は、
みな救われるであろう」


旧約聖書の預言者とイエス様が十字架につけられ、神さまによって復活。その後、水によるバプテスマとは異なる  天からの聖霊と信仰により、聖なる霊に満ちた人々に生まれ変わらされていくと…。

高田の馬場にある「預言カフェ」を訪れた友は、預言を伝えてくれる人は数人居て 次から次へ席に着き早口で預言を3分ほど それぞれに伝えてくれるのだと言う。

占いや霊能者とは違う、その役目を負い一人一人に見えない世界から告げる「預言」

いつか、そのカフェの扉を開ける日を楽しみに…。

そして、ヨエル書に記された主の言葉

「今からでも、あなたがたは心をつくし、
断食と嘆きと、悲しみとをもってわたしに帰れ。
あなたがたは衣服ではなく、心を裂け」と…。


ボスニア・ヘルツェゴビナの傍の「メジュゴリエ」と言う町で30年以上前に、7人の子供たち(10歳~16歳)の前に現れた聖母マリア。

それから6人の子供たちが50歳近くなる今も その6人に告げられる
聖母マリアからのメッセージ。

その中では、「魂の平和へ向かいなさい」、

「時がある間に回心しなさい」

「祈り」「償い」「断食」の結果「平和へ」

そして「神と信仰を捨ててはいけません」とも…。


「預言カフェ」の話を聞き、そしてまたあのメジュゴリエの聖母マリアからのメッセージを思いだした今。

聖書を学んできた私自身も襟を正し、主の道を真摯に歩んで行くことを天から求められているようです。


マタイによる福音書第13章14~15節

「あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。
見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍くなり、
その耳は聞えにくく、
その目は閉じている。
それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、
悔い改めて癒されることがないためである」


メジュゴリエの奇跡は 菊谷泰明氏の著書に詳しく書かれております。
「聖母マリアからのメッセージ」(PHP),「聖母マリアの秘密」(青鷗社)

今日は、 カッチーニのアヴェ・マリア ~歌 森 麻季

 

聖なる導き

2010年5月、三重県津市の工務店の社長…赤塚高仁さんに会う前に聖書を知っておきたいなー!と、思い  市内のプロテスタントの教会に行き 毎週行われる日曜礼拝にも参加させてもらうようになりました。

礼拝が終わり、そのまま帰る日もあれば  婦人部での勉強会にも混ぜてもらうようになりました。

礼拝に来られてる方々は、本当に清らかで神様と共に生きる生き方をされておられました。

そんな中お昼の食事…愛餐会が終わり、婦人の方だけでのお話の中、ある方が「私などダメでダメで…」と謙遜しておられ、

それを聞いて私もったいないなーと思い

「こんなに素晴らしい聖書の世界を勉強しているのに、ダメなことはないと思いますよ。なかなか聖書を手にすることの出来ない人の方が多い中、こうやって勉強出来てること事態、幸せですから…」と…。

「そして、日本人は、イエス様のことが一番理解しやすい国民だと思います。だって国家のために命をかけた特攻隊の人たちはイエス・キリストの様なもの。」

「天皇陛下も国民のために命がけで祈り続けてくれてる方だし…」

と、話した途端 そこにいた婦人の方々から総攻撃。

イエス様と特攻隊を一緒にしないで!!
天皇陛下は神さまじゃない!!…と。

えっ???  日本人なのに…天皇陛下は神さまじゃないけど、古事記から続く神様に一番近い人だし、

戦争で国家のため命懸けで戦ってくれた人たちって、イエス様と同じとまでは言わないけれど、何かのために命をかけるって神さまの示した愛のかたちじゃないのかな?と思わされ…

でも、ここで言ってもきっと平行線。

賢くその場は「そうですか…」と。

でもその翌週の日曜礼拝あたりから、あんなに心躍りながら通ってた教会へあまり行かなくなり…。

そんな中、たまたまyoutubeで見つけた「凛として愛」という映画。

1/7~7/7まで続く動画。

1/7を見始めたのが、夜中。7/7が近づいた時には夜中3時も近くなりながら、主人とふたり泣きながら見終り。

そして、知ったのがこの映画、靖国神社で上映するために作られた映画なのに、たった2日上映されただけで上映中止になってしまった映画だと…。

この映画の泉水隆一監督は無念の中、天に還って逝かれたとか…。

この映画を知ったのは2012年。

そして、知ってしまったら  どうか多くの人にこの映画を観てもらいたい!!2012年8月18日西条の文化会館で上映会を開催。

そして、その時赤塚さんにも講演をお願いし、その後の懇親会でまた聖なる導きが…。

赤塚さんの沖縄のお友達が癌にかかり、何度もお見舞いに沖縄まで行った時、共に友達のために祈ってくれたという、キリストの幕屋という無教会宗派で伝道をされていた、竹下先生。

ちょうど愛媛松山で伝道をされており、赤塚さんが西条に講演に来られることを知り、映画「凛として愛」も観に来て下さり、懇親会にも参加して下さいました。

そして、私も御挨拶させてもらいプロテスタントの教会にも行ってるという事をお話させてもらったところ、

「あなたの魂は、教会では浮かばれませんよ」…と。

あっ!!はあ~…と。

「西条まで来ますよ。お勉強してみませんか?」…と。

即答しないまでも、竹下先生ご夫婦はすごく感じの良いご夫婦で、赤塚さんも良かったら竹下先生から学んでみたら…と声かけて下さり…。

そして、またまた翌週松山での明治天皇の玄孫竹田恒泰氏主幹の「竹田研究会」で竹下先生とも再会。

「いつ西条に行きましょうか?」との言葉に、その場にいた仲間と相談し「では来週の木曜日からでも…」という事で、8月最後の週の木曜日我が家で初めての幕屋の集会が開催されることに…。

集会当日、竹下先生夫婦と「凛として愛」を一緒に観に来てくれた仲間の方も一緒に来られ、

そして引き続いてピンポーンという音に玄関に出てみると、なんとなんと三重の赤塚さん!!!

あれほどビックリしたことはないほど、ビックリさせてもらって 仲間も加わり我が家での最初の集会。

讃美歌をみんなで歌い、竹下先生が初めて幕屋の集会に行った時のお話や聖霊を受けた話、赤塚さんとの出逢いの話等々  本当に聖霊舞い降りる有難い時間を過ごさせて頂きました。

その日から、毎月2回竹下先生が松山から来て下さり旧約聖書の初め「創世記」から学ばせて頂くことになりました。

なるほど、なるほど…「教会ではあなたの魂は浮かばれませんよ」と言われた竹下先生の言葉通り、日本人が大和の心で読み解く聖書。

内村鑑三氏があの「Boys,be  ambitious …」と言ったクラーク博士から、札幌農学校での在学中聖書を学び

大学卒業後、「聖書が読まれている国に行ってみたい!!」と熱い思いを胸に、アメリカに行ってはみたけれど、

聖書に書かれてる神の愛の世界を感じることが出来ず、日本に戻り、教会に神様はいない…と無教会主義を唱え

その内村鑑三氏の無教会主義の流れを受け、自ら戦後 熊本阿蘇の山の中で聖霊に打たれ、「キリストの幕屋」を創設した手島 郁郎氏。

ヘブライ語から聖書を読み解き、自らイスラエルに行き、聖書を日本の心で読み解いてきた手島郁郎氏が、説いてきた聖書の愛の世界。

竹下先生は出会った時、70歳を超えており また手島先生から直々に聖書を学び、聖霊に導かれ伝道してこられた素晴らしい方。

その竹下先生から、聖書を毎月2回仲間と共に、学ばせて頂き 2014年4月にはちょうど赤塚さんの呼びかけでイスラエルに行く際にも、

10日間で巡る先々の聖書のことを予習させてもらい、あの聖地イスラエルを巡らせてもらったことは、旅を何十倍も有意義なものにしてくれました。

おそらく竹下先生がお元氣な間は、我が家での聖書集会が続くものと思っていた所、あの私を聖書の世界へと導いてくれた赤塚さんが名古屋で10回の聖書講座を開催すると知り、

「参加したいな~。」

「でも竹下先生から学ばせてもらってるし、名古屋遠いしな~。」

と、思って迎えた2015年新年。

幕屋での新年聖会に参加させて頂き、祈る前に歌った讃美歌

「二つなき誓」

1、寂しさの 極みに耐えて 祈らまし 暮れゆく み空に 魂極るまで

2、主は近し 天主イエスの 世紀近し 熱き涙もて 聖前に誓う

3、二つなき 心を 主にとどめおき 我さえ我にぞ 別れぬるかな

4、生き死にも 神のまにまに キリストの 御使いのごとく    仕えまつらん

5、山は裂け 海はあせなん 世なりとも 主にふた心 我があらめやも

この讃美歌を聖会の中、竹下先生が選ばれ、この歌詞を知った時、私の心の中のふたつの心

・赤塚さんの聖書講座に行きたい!
・竹下先生が伝道できなくなったら我が家での幕屋の集会も終わらせてもらおう。

と、この竹下先生が伝道できなくなる=寝込んだり、この世でのお別れを望んでいるような私の心をみてしまい…

あ~こんな人の死を望むような自分がイヤで、そしてふたつの心を持つことなく、私を聖書の世界へ導いてくれた赤塚さんのされる名古屋での聖書講座に行かせてもらおう!!と、

そして、竹下先生は私の思いをおおらかに受けて下さり、2015年1月大いなるキリストの愛の恵みによって導かれた我が家での聖書集会最後の集会をきちんとさせて頂き、

2015年2月から10回名古屋に通わせてもらいました。

赤塚さんの伝えて下さる聖書の世界は、教会よりも、我が家での集会よりも  また素晴らしい聖書の学びの時を持たせていただきました。

その学びはまた、ゆっくりと書いてゆけると嬉しいです。

やまとこころで読む聖書の世界は、本当に世界までも変えていくと感じます。

聖なる書

2008年、「イエスを人生に招き入れる」というひとつのDVDで知った、赤塚高仁さん。

この人に、会いたい!!と思って2年たった2010年8月初めて西条に来て頂き会えることが決まった、5月。

赤塚さんに会うには、聖書知っておかないと!!…と、思い本屋さんへ。

エドガー・ケイシーの福音を伝えてくれる光田先生が、「新共同訳」の聖書がいいよ!!ということで、探してみたけど  聖書そのもののことを全く知らない私には、本屋さんで一冊を選ぶことが出来ず…。

主人が、教会に行ってみたらあるんじゃない?…との言葉を受けて教会を訪ねてみました。

初めて訪ねた教会で、小坊主さんのような、ちょうど神学大学を卒業したばかりの牧師さんが出て来られ、私が「聖書…新共同訳の聖書が欲しいんですが…」と言ったところ、ここにありますよ。

お貸ししますから、どうぞ持って帰って下さい。そして、良かったら日曜日 精霊が舞い降りるこの場所に来てみませんか?

そして、実はその日から2年半毎週日曜日、教会の日曜集会にも行かせて頂き、学ばせて頂きました。

スキーでオーストリアに行ってた頃、村の教会にも行かせて頂いたり、ザルツブルグまで出かけて行った時には、大きな教会にも入らせて頂きましたが

その中に描かれたキリスト・イエスと十字架への道の絵。

私自身、あんな犯罪を犯した人のことをなんでみんなアーメン、アーメンって祈るのかな?と思っていたくらい。

精霊舞い降りると言われる教会で、聖書を学び、讃美歌を歌い、救世主イエスさまのことを知り、私の中で救世主イエスさまがありありと描かれ始めました。

8月7日第3回目の西条でのケイシー講座の時、初めて赤塚さんにお話して頂いた時は、ちょうどあの「はやぶさ」が見つかり地球に帰ってくる前。

はやぶさの打ち上げのお話や神さまのお話もして頂き…やっぱり来てもらって良かった~と。

そして、8月二人の講座が終わった後も、また来て頂きたい!!と、思いは益々湧き上がり…。

いつ?いつ来てもらおう??

その時、ふと「間髪入れずに来てもらいたい!!」と思わされ、光田先生を通してお願いさせて頂き、そして次回11月開催の時にも来てもらうことに…。

2回目の時に聴いたお話が、ペリリュー島での日本兵のこと。

そして、昭和天皇とマッカーサー元帥との謁見のお話。

2010年11月、私は日本に生まれたことを…、
この天皇陛下が祈ってくれるこの日本に生まれて来たことを…、心底有り難いと感じることが出来るように変えられました。

マッカーサーとのお話の中、昭和天皇が

この度の出来事は、全て私の責任です。私の身体はどうなっても構いません。どうか国民を飢えから救って頂きたい」と言われたお言葉。

そして、この言葉を聴いた時、あの聖書の中のただひとり 神様が
「神さまとはこういう風に生きるんだよ」と、無私の心で、神共に生きる生き方を示し33歳で何も悪いこともしていないのに、鞭打たれ   十字架にかけられた

救世主キリスト・イエスのような人が天皇陛下なんだ!!と思えた時、魂震え有り難く…私自身この天皇の国、日本に生まれたことに感謝溢れ…。

そして、ここから続く伊勢の神宮、ペリリュー、イスラエル、皇居へと導かれていくのですから、本当に聖なる書  精霊が働き導いてくれた様なこの始まり…人生は面白いですね。

 

 

ご縁(3)

2008年3月、一冊の天中殺の本が導いたエドガー・ケイシー研究の第一人者光田 秀氏との出会い。

ご縁(2)

そして、広島のケイシー講座の時に出会った一本のDVDがまた私の人生に大きな祝福を持って来てくれました。

広島のケイシー講座は、当時2日間開催されており、初日参加させてもらった際、講師の光田先生が 「そちらに置いてあるDVDはお薦めですよ!!」と言われたこともあり

本やオイルなど販売されてる所に置いてあったDVDを手に取ってみました。
「イエスを人生に招き入れる」と題された2枚組のDVDセット。

光田秀氏と赤塚高仁氏

この二人のお話が収録されているDVDの様でしたが、値段を見てみると、なんと6,300円!!

わっ!こんなにするんだー!!…と、そっと元のテーブルに戻させて頂きました。
光田先生は知ってるけど、赤塚高仁氏って知らないし…。

3~4セットほどあった、DVD はその日のうちに売り切れ まっ私は買わなくて良かったんだ!!売り切れたし…良かった!良かった!!と思ったほど。

広島に主人と二人で参加してたので、交通費や宿泊費、講座参加費とかかっており、無駄使いも出来ないし…っということで。

そして、翌朝 2日目の講座に参加させてもらった時、前日も参加されてた女性が 昨日購入したあのDVDを戻してるところを発見。

見てしまったんです(笑)

見てしまった私の心の中では、「光田先生が薦めるDVD…やっぱり観てみたーい!!」と湧き上がり ちょうどその日の会場の一階にあったATMでお金を引き出し購入。

いろいろな会場があるけれど、会場の中にATMがあるところも 珍しく、ちょうどすぐに引き出せたことも…天の計らい?

と、いう事で6,300円のDVD「イエスを人生に招き入れる」を持ち帰り、早速観ることに!!

心踊るケイシー講座を受けたからか、広島から愛媛西条まで約180km。ドライブの疲れもなく、そしてお薦めのDVDの内容が氣になって、氣になって…。

ピンクのシャツを着た「赤塚 高仁さん」

衝撃でした!!

運転の疲れもなく、魂震える赤塚さんのお話し。

この人に会ってみたい!!と思わされました。

そして、2010年8月6日、思いが実現。

2010年2月から始まった西条でのケイシー講座の3回目にゲストで来ていただけくことになり、前日に光田先生とふたりで西条に到着!

JR伊予西条駅の改札で、光田先生に続いて 改札を抜けて初めてお会いした赤塚さんは両手を大きく広げ登場!!

その日の晩餐が、本当に最初の晩餐となり その後大きく私の人生が変わっていったのですから、本当に私の人生にキリスト・イエスを招かせて頂いた様な感じです。


再版されたこのDVD、3,500円

太陽院または横浜のケイシー用品専門店「テンプルビューティフル」さんにて 好評販売中です。
テンプルさん⇒http://www.caycegoods.com/shop

クリスマスイヴ

2016年前、12月25日イスラエルのベツレヘムという町に生まれたひとりの子 ヨシュア ベン ヨセフ・・・のちのキリストイエス。

実は、催眠状態で色々な問いかけに  的確に答えたという今から71年程前に亡くなったエドガー・ケイシーによると、キリスト・イエスの誕生は3月18日前後春分の頃だとか・・・。

道理で、我が家のクリスマスローズもその頃にちょうど花を咲かせるので、きっとそのころ 救い主イエスは生まれたのだと思いますが、

そういうことよりも、なぜイエスは生まれて来たのか?

聖書の中の初めての人、アダムとイブ。

天上の楽園「エデンの園」に住むふたりへ言われた神さまとの約束事はたったひとつ。

園の中央にある「善悪を知る木」その木の実は食べてはいけないと・・・。

しかし、そのたったひとつの約束事でさえ、蛇の誘惑によって破ってしまった、アダムとイブ。

その上、神さまに知られないようにと隠れて見たり、誰かのせいにしてみたりと、「善悪を知る木」を食べたことで、神々の住む天上の楽園「エデンの園」では住むことを許されず追放。

エデンの園が神の支配する国であれば、この地上は悪魔の支配する国?

蛇だけでなく様々な誘惑溢れる地上世界。

実際、分厚い旧約聖書の中に登場する人物の中でも、この地上で神と共に過ごせた人は数えられるほど。

地上世界が神から離れ、氾濫し神様がこの地上世界を創ったことを悔い、全てのものを洗い流してしまいたい!と思い実行された「ノアの方舟」のノアや、

ソドムの町に住んでいたロトの家族、息子を燔祭に捧げるほど神の声に忠実な人類の父アブラハム…などなど。

そして、エジプトから約束の地カナンを目指しイスラエルの民を連れ40年荒野を歩いたモーゼ。

このモーゼが神さまから受けた10の約束事。誰もが耳にしたことのある「モーゼの十戒」

1.あなたは、わたしのほかに、何ものをも神としてはならない。
 2.あなたは、自分のために、刻んだ像を作ってはならない。
 3.あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
 4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。
 5.あなたの父と母を敬え。
 6.あなたは、殺してはならない。
 7.あなたは、姦淫してはならない。
 8.あなたは、盗んではならない。
 9.あなたは、隣人について、偽証してはならない。
10.あなたは、隣人の家をむさぼってはならない。

そして、10個の約束事を守って過ごしてきたユダヤの民と、それを裁く律法学者。

これがだめならこれもダメ。こっちも違法になるよ!!と年月を経て増えていく律法。

最後には細かく分けられ10個の戒律は「613」にまで増え、ユダヤの民は救世主を求めた。

「神様!神さま!どうか我々に救世主を授けて下さい」と・・・。

そして預言者(神の言葉を預かる者)を通して告げられた言葉は

「救世主は来るよ!こういう形で生まれ、こういう形で人々に教えを伝え、こういう形で死んでいくよ。そしてこういう形で復活するとも・・・」

そして、その予言どおりに今から2016年前に処女マリアから生まれたひとりの男の子

神のひとり子として、この世に生まれ30歳からたった3年間、神さまだったらこんな時はこうするんだよ。神とはこういうもんなんだよ。神と共に生きる生き方を伝えた救い主イエス。

善悪を知る木の実を食べたことで、神さまから離れてしまったそれぞれが  また神と共に歩む「エデンの園」に戻れるように・・・。

そして、今日は2016年前 その救い主が生まれた前夜。  

主を待ちわび 共に賛美してみませんか♪

讃美歌「もろびとこぞりて」 

もろびとこぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

悪魔のひとやを 打ち砕きて
とりこをはなつと
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 主は来ませり

この世の闇路(やみじ)を 照らしたもう
たえなる光の
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

しぼめる心の 花を咲かせ
恵みのつゆおく
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

平和の君なる 御子をむかえ
救いの主(ぬし)とぞ
ほめたたえよ ほめたたえよ
ほめ ほめたたえよ


 

 

 

求めよ、さらば与えられん!

聖書の中の一説

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。

捜せ、そうすれば、見いだすであろう。

門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

私の魂が本当の事を求め始めたのは、きっと父が脳出血で倒れ、右半身に麻痺がおこったあの時からだったのかもしれない。

私自身、3人姉妹の末っ子で父は私をいちばん色々な所へ連れて行ってくれました。そして母より優しい父が大好きでした。

母はいつも「父ちゃんは千恵子に甘いんだから・・・」と言ってたくらい。

国鉄に勤務していた父は、若いころ列車を連結する際の事故で、左足の膝下5センチくらい残して挟まれ、切断。

私が物心ついた時も、父は隠すことなく川や温泉でも 義足を外し泳いだり温泉につかったり、また西日本最高峰の石鎚山にも私が幼稚園くらいのころ登り山頂で撮った写真があるほど・・・。

義足であることの弱音など一度も聞いたことがありません。

昭和3年3月3日生まれの父。

そんな父が2002年2月脳出血で入院。1ヶ月以上ものあいだ意識も戻らず・・・そして、意識が戻ったものの  脳の左側に出血していたため、右半身が麻痺。

神さま、神さま、、、あなたは、なぜ一生懸命仕事もし、3人の子供も育て、まじめに生きてきた父を こんな風にしたんですか?

なんで、なんで、、本当に、神さま ひどすぎます。

と、両手両足のうち  動かせるのは左手と膝下から切断された左足だけの父をみてこの世の不条理を痛切に感じ憤っていました。

そんな時、ちょうどカイロを受けに来られた患者さんが、「先祖よ。先祖。先祖供養をするといいよ。」っていうことを聞き、

私がお経をあげることで、父が元気になるなら、いくらでもお経くらいあげられる!!と、その日から朝夕ろうそくと線香を立て、法華経を唱えました。

姉たちにも、お経をあげるともっと回復するから・・・と本当に父の回復だけを信じ唱えさせて頂きました。

新年年明けから立春までは、「南無妙法蓮華経…南無妙法蓮華経…」と朝5時に起き、水をかぶり寒行もさせて頂きました。

ただ、やはり新興宗教…

真剣に祈り供養し仲間も増やして参りましたが、「~せねばならない」と思うようなことや ちょうど何か違和感を感じ始めた頃

カイロで往診に行った患者さんより旦那さんが大腸がんにかかった時の話を聞かせてもらい、その話に背中を押されるように、新興宗教からは脱会。

そのお話と言うのが、

ご主人さんが病院で「大腸に癌が出来てますが、今なら手術で取ることも出来ますよ。」とのお医者さまの言葉に

「わしは、手術はせん!」と先生の前で一言。

「あっそう…ええよ。あんたが死んだら私も一緒に死ぬから」と先生の前で奥さんも宣言。

そうすると、旦那さんが「お前は死んだらいかん!お前が死ぬんだったら、わしは手術する!」ということで手術に!

この奥さんのええよ!と受け止める凄さにもビックリでしたが、

その後、手術を終え  入院中の抗がん剤投与の際、看護師さんより
「抗がん剤の副作用で目が見えにくくなって来るかも知れないですが何か異常があったらすぐ言ってくださいね」と…。

そして、その看護師さんの副作用の言葉を聞いたその時言った奥さんの言葉が「深いぃ~」

「あんたの目が見えんなったら、私の片目あげるけんね・・・」と。

私がこの新興宗教に入り、唱えてた法華経。

この法華経を読んで、書いたと言われる宮澤賢治の「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

何の宗教も知らないこの患者さんの言葉に、法華経の神髄を感じ、いくらお経を唱えようとも、実際行っていかないと意味がないな~と、目が開き新興宗教からちょうどまる1年たった2003年5月脱会させてもらいました。

ただ1年間真剣に祈り唱えてきたこと、夏も冬も1年間 水を浴びた修行の日々は私にとっては見えない世界とつながる始まりの尊い一歩であった様にも思えます。

大好きな父が倒れたからこそ、求めた本当のこと。

ただ一人の者を目覚めさせる為に、愛する我が子に重荷を負わせる主の愛。

求めよさらば与えられん!

探せよさらば見つからん!

叩けよさらば開かれん!

求め、探し、動いたその時また違う世界の扉が開いて来るのだと・・・。

あっ!!私の大好きな父は歩くことは出来ないけれど、2017年年が明けた3月3日89歳になります(^^)