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イエス誕生前夜…讃美の歌

太陽院院長 近藤 千恵子です(^_-)-☆

聖書の中、旧約聖書の時代 多くの人々が待ち望んだ救世主の誕生。

11月クリスマスツリーを飾りながら 口づさんだ
「もろびと こぞりて」

諸人こぞりて 迎え祀れ 久しく待ちにし
主は来ませり 主は 主は来ませり

この世の闇路を 照らし給う たえなる光の
主は来ませり 主は 主は来ませり

しぼめる心の 花を咲かせ 恵みの露置く
主は来ませり 主は 主は来ませり

平和の君なる 御子をむかえ
救いの主とぞ ほめたたえよ
ほめたたえよ ほめ ほめたたえよ


そして…今宵は、「きよしこの夜」

きよしこの夜 星は光り 救いの御子は
みははの胸に 眠りたもう ゆめやすく

きよしこの夜 みつげ受けし 牧人達は
御子の御前に ぬかずきぬ かしこみて


歌を歌い… 主を賛美し…

今宵は聖なる時。

そして幼き子供達には 今夜 サンタさんからプレゼントが届き…

私たち大人は、ハレルヤ!ハレルヤ!…ヘブライ語で、「神に栄光あ れ」、「主をほめたたえよ」と…

そして、昨日の八幡浜第一プラザ教会で初めて聞いた
「グローリ ハレルヤ イエス勝利」」という歌…

グローリ グローリ ハレルヤ
グローリ グローリ ハレルヤ
イエス 勝利

2010年の5月に初めて聖書を手にし…色んな形で聖書を学ばせて頂いますが、ハレルヤと唱えたことがあまりなく、新鮮な気持ちで 主をほめたたえ…聖なる夜を迎えます

主はいと優しく…

太陽院院長 近藤 千恵子です(´▽`*)

太陽院で扱っている水素風呂の会社の総会に、行って参りました。

お昼2時から始まる総会…車であさ9時に出発。

と、思ってたところ 朝から叔母の調子悪い!!

階段降りるのも…やっと。

着替えもいつものようにはスルスルといかず…ようやく準備出来、今日はデイサービスでなく姉が夜までみてくれることになっていたので連れて行き…

その後、ATMに寄ると朝からメンテナンス中…。

きゃ~どうなる…と、思いながら東へ東へ…

ちょうど朝のラッシュもあり、またまたきゃ~!!

なんだかんだありながら、新居浜インターから高速に乗ったのが、10時前。

ナビでみると、大阪伊丹の会場への到着時間は13時23分。

思いっきりハイスピードで、高速走り 風の強い瀬戸大橋ではハンドル取られそうになりながらも ひるまず前進。

そして、岡山吉備パーキングでトイレに寄り、朝昼兼用でとパンを色々購入。

エドガー・ケイシーセンターから毎月送られてくる東京でのケイシー講座のCDを聴きながら、パンとコーヒー…。

久しぶりに一人でのロングドライブ。

で、急いでいても 休憩した数分間が到着時間を10分ほど遅らせてしまい、ナビの到着時間は13:32。

「あ~神さま…どうか間に合いますように…」と祈りながらもアクセル踏んで東へ東へ…。

そして、突然ナビが…

「時間短縮ルートが見つかりました」と…。

えッ!!

と、見てみると10分短縮!!

神さま…ありがとう(*´ε`*)チュッ

栄光は神に…

そして、会場近くに無事13時20分過ぎに到着したものの、駐車場がすぐに見つからず、会場周辺をぐるっとひと回り…。

んんん~ないない!!

で、道路隔てた向こう側へ車を回してみると、駐車場から車が2台出庫。

「いや~神さまはやっぱり私にエコヒイキ!!」と、またまた栄光は神さまに返し…会場へ。

13:30受付時間から10分程過ぎてたものの 氣持ちよく受け付けてもらって、二階席へ。

800人以上集まり…一階席は満席。

そして、新商品や新システムなどの最新情報をこの目と耳で見て聴いて…確認。

世の中の動きが速い中、40代の代表と社長が世の中を先取り…健康と美容…世に役立つモノをいち早く提供する事業展開にワクワクしてしまうほど…。

2時から始まった総会、5時半に終わり…帰りにはちょうど出合わした代表と社長に握手していただき…倖せ(´▽`)

そして、小雨の降り出した中 家へと急ぎ高速へ…。

順調に行ってたつもりが、なんとなんと阪神高速に乗った途端目にしたのが、ガソリンメーター。

エンプティランプが点灯し、給油してください!と…。

わわわわわ…。

阪神高速って、パーキングなんて無いかも…と、次の出口「からと」で降りたところが 六甲有料道路へと繋がる道。

ラブホテルがズラリと並び建ち、どんどん山道へ…

そして有料道路の入り口Uターン。

ナビで、「近くのガソリンスタンド」と検索しても、かなり離れてて…大丈夫?と不安も過ぎりながらも 町のにおいのする方へ…。

どんどん下へ下へと下り、ファミリーマートが見え、向こう側にEssoの看板が…

「あ~神さま…またまたありがとうございます!!」

そしてお礼の(*´ε`*)チュッ

結局 戻る時間は1時間ほど遅れ、叔母はなんとインフルエンザにかかってた様で 今晩はそのまま姉の所で世話してくれることになり…。

でも往復8時間ちょっとのロングドライブ

そして、アクシデントに出会う度に感じる神さまのやさしさ。

神さまのやさしさに触れるたびに、主と共に過ごすという生き方。

そしてついつい口ずさんでいる讃美歌「歌いつつ歩まん」

主にすがる我に 悩みはなし 十字架のみもとに 荷を降ろせば
歌いつつ歩まん ハレルヤ!ハレルヤ!
歌いつつ歩まん この世の旅路を

恐れはかわりて 祈りとなり 嘆きはかわりて 歌となりぬ
歌いつつ歩まん ハレルヤ!ハレルヤ!
歌いつつ歩まん この世の旅路を

主はいと優しく 我と語り 乏しきときには 満たしたもう
歌いつつ歩まん ハレルヤ!ハレルヤ!
歌いつつ歩まん この世の旅路を

主のみ約束に 変わりはなし みもとに行くまで 支えたまわん
歌いつつ歩まん ハレルヤ!ハレルヤ!
歌いつつ歩まん この世の旅路を

クリスマスイヴ

2016年前、12月25日イスラエルのベツレヘムという町に生まれたひとりの子 ヨシュア ベン ヨセフ・・・のちのキリストイエス。

実は、催眠状態で色々な問いかけに  的確に答えたという今から71年程前に亡くなったエドガー・ケイシーによると、キリスト・イエスの誕生は3月18日前後春分の頃だとか・・・。

道理で、我が家のクリスマスローズもその頃にちょうど花を咲かせるので、きっとそのころ 救い主イエスは生まれたのだと思いますが、

そういうことよりも、なぜイエスは生まれて来たのか?

聖書の中の初めての人、アダムとイブ。

天上の楽園「エデンの園」に住むふたりへ言われた神さまとの約束事はたったひとつ。

園の中央にある「善悪を知る木」その木の実は食べてはいけないと・・・。

しかし、そのたったひとつの約束事でさえ、蛇の誘惑によって破ってしまった、アダムとイブ。

その上、神さまに知られないようにと隠れて見たり、誰かのせいにしてみたりと、「善悪を知る木」を食べたことで、神々の住む天上の楽園「エデンの園」では住むことを許されず追放。

エデンの園が神の支配する国であれば、この地上は悪魔の支配する国?

蛇だけでなく様々な誘惑溢れる地上世界。

実際、分厚い旧約聖書の中に登場する人物の中でも、この地上で神と共に過ごせた人は数えられるほど。

地上世界が神から離れ、氾濫し神様がこの地上世界を創ったことを悔い、全てのものを洗い流してしまいたい!と思い実行された「ノアの方舟」のノアや、

ソドムの町に住んでいたロトの家族、息子を燔祭に捧げるほど神の声に忠実な人類の父アブラハム…などなど。

そして、エジプトから約束の地カナンを目指しイスラエルの民を連れ40年荒野を歩いたモーゼ。

このモーゼが神さまから受けた10の約束事。誰もが耳にしたことのある「モーゼの十戒」

1.あなたは、わたしのほかに、何ものをも神としてはならない。
 2.あなたは、自分のために、刻んだ像を作ってはならない。
 3.あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
 4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。
 5.あなたの父と母を敬え。
 6.あなたは、殺してはならない。
 7.あなたは、姦淫してはならない。
 8.あなたは、盗んではならない。
 9.あなたは、隣人について、偽証してはならない。
10.あなたは、隣人の家をむさぼってはならない。

そして、10個の約束事を守って過ごしてきたユダヤの民と、それを裁く律法学者。

これがだめならこれもダメ。こっちも違法になるよ!!と年月を経て増えていく律法。

最後には細かく分けられ10個の戒律は「613」にまで増え、ユダヤの民は救世主を求めた。

「神様!神さま!どうか我々に救世主を授けて下さい」と・・・。

そして預言者(神の言葉を預かる者)を通して告げられた言葉は

「救世主は来るよ!こういう形で生まれ、こういう形で人々に教えを伝え、こういう形で死んでいくよ。そしてこういう形で復活するとも・・・」

そして、その予言どおりに今から2016年前に処女マリアから生まれたひとりの男の子

神のひとり子として、この世に生まれ30歳からたった3年間、神さまだったらこんな時はこうするんだよ。神とはこういうもんなんだよ。神と共に生きる生き方を伝えた救い主イエス。

善悪を知る木の実を食べたことで、神さまから離れてしまったそれぞれが  また神と共に歩む「エデンの園」に戻れるように・・・。

そして、今日は2016年前 その救い主が生まれた前夜。  

主を待ちわび 共に賛美してみませんか♪

讃美歌「もろびとこぞりて」 

もろびとこぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

悪魔のひとやを 打ち砕きて
とりこをはなつと
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 主は来ませり

この世の闇路(やみじ)を 照らしたもう
たえなる光の
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

しぼめる心の 花を咲かせ
恵みのつゆおく
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

平和の君なる 御子をむかえ
救いの主(ぬし)とぞ
ほめたたえよ ほめたたえよ
ほめ ほめたたえよ


 

 

 

生まれる前から

この世に生まれる前から、育み育ててくれる 母親という存在。

2013年12月19日、夕方5時すぎ  携帯を別の部屋に置いたまま施術中、何度も電話がかかり、最後には主人の携帯に姉から電話が入り、

「とうとうその時が来てしまったのか?」と、車で5分もかからない入院先の病院へ。

駆けつけた時、ちょうど一番上の姉がエレベーターから出てきて母の死を告げてくれ、最後の着替えを取りに家に戻り 私は病室へ。

亡くなってどのくらい時間が経ったのかはわからなかったけれど、

「人は臨終のあとも   しばらくは聞こえてる」と聞いてたので、
耳元で「母ちゃん…ありがとう!楽になったね!!ありがとう…」と言わせてもらいました。

実は亡くなる1年前の12月初め、低酸素・低血圧状態が続いてるという連絡が入り、

その日から毎日、脊柱と両足にオイルマッサージそして頭骸と顔面の骨格矯正。

それから1年は熱を出すこともなく、看護士さんもまだもう少しは持ってくれると思ってたと言われるほど・・・。

実は、私  毎日母のケアしながら  耳元で「母ちゃん!しんどいけど   もうちょっと私に甘えさせてね」「ごめんね」「ごめんね」「もうちょっとこの身体も触らせてね!!」・・・と。

末っ子の私は、一番遅くまでおっぱいをもらい、甘えられる特権を得てた様で、

好きなことや思うことをさせてもらえなかった姉たちと比べると ホント好きなことしかしていない私は、放蕩娘。

35歳くらいのころ、自己啓発セミナーに参加した時 何が怖いですか?という質問に「両親の死」と答えてたほどの私。

母の死を迎えるまでちょうど1年間。

いつかは触れなくなる その肉体をいっぱい触らせてもらい、帰り際にはほっぺにチュをして帰ってたほど…。

もう数年前から  寝返りも話すことも出来ない母に思い残すことの無いようにと…。

本当にその1年があったからこそ、死を迎えたその時の心の穏やかさは他の人からみると、きっとなんて冷静って思われそうなほど穏やかで…。

そしてもっともっと思えば、亡くなった日が19日。
ちょうどその前、12月16日~17日と伊勢の神宮の月次祭に合わせて伊勢の修養団で行われる「神話を体感する会」に仲間と参加しており

伊勢に行く前の日15日も病院に寄ることが出来ず、戻ってきた18日は姉から「今日は私が行ったから行かなくていいよ!」と連絡が入り、そして19日昼間も病院の前を通った時、「いつも通り夜行けばいっか!!」とそんな感じで、

毎日「私の為にがんばってよ!」「もうちょっと甘えさせてね」と言ってた私が、5日間行けず・・・。

後でふと思ったのは、
「きっと千恵子が来るとまた頑張れって言うし…。来ないうちに逝かせてもらお!!」「さいなら~」と…

私の携帯が氣づかないところに置いてたり、病室に5日間も行けなかったことも母を思う天の計らい。

母親は、我が子の為に命削っても守り愛してくれる。

私の母、厳しい所もいっぱいあったけれど、本当に優しくて結局私の耳元でささやく「頑張ってね」の言葉に頑張り続けてくれていたんだと…。

私がこの世に生まれる時も、お腹にいる十月十日の間もずっとずっと、護り続けてくれてた母。

きっと天に還っても  見守ってくれてるようで…。

昨日19日命日、お墓に行ったとき、うっかりライターを忘れてしまっており…どうしよう!!って思いながら、

ちょうどその日1段上で工事をしてた青年に「ライター誰かもってたら貸してもらいたいんですが…」と。

その青年、何も言わず降りてきてくれ、すっとライターを渡してくれた時は、あーこの青年神様が使わせてくれたな~と思ったくらい。

お盆やお彼岸でもない滅多に人に会うこともない平日。あの時間に工事してたのも天の計らい。

ろうそくとお線香に火を点すと、火は一連の出来事を喜ぶようにどんどん大きくなり 「私は元氣でやってるよ」「ありがとう」「いつも見てるし守ってるからね。」「大丈夫だよ」と言ってくれてるようで 涙溢れスーっと母と一体になった感じでした。

52歳でパーキンソン病と診断され、すぐに悪くはならないものの  筋肉の硬縮が起これば左手が震え。

そんな病の中でも母は、私が勝手氣ままにスキーをしている間も 娘の身体を案じ、嫁に行かない娘をどうにか行かせられないものかと方々に釣書を配り・・・。

今思えば、本当に親不孝の放蕩娘。

今、私が54歳。母が病を持って生きた52歳から80歳までの28年間。
母のやりたかったことも一手に引き受けて生きていこうと思った4回目の命日。

母の病室に行ったとき、CDのスイッチをオンにし、一番初めにかかるこの曲をきっと脳裏に焼き付けて母は天に還っていったのだと思う

思い出の讃美歌「主よみもとに近づかん」

是非聴いてもらえると嬉しいです。