時間をはずした日

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

7月25日…何も無いような日だけれど、1ヶ月を28日そして13か月で計算するコズミックダイアリーによると この日だけは どの月にも当てはまらない 不思議な不思議な1日なんだとか…。

20年前作られたコズミックダイアリー。

7月26日からが「磁氣の月」と呼ばれる28日間。

そして、どの月にも属さない今日25日は 世界中で「時間をはずした日」のお祭りが開催されてるのだとか…。

西日本最高峰「石鎚山」を御神体とする石鎚神社でも 16時30分~1時間…能の舞に茶道、そしてダンスにジャンベと津軽三味線そして書道と華道へと繋がる何とも素晴らしい奉納でした。

書は、「神合」…かみあわせ

世界中できっと人類は目には見えないけれど、自分自身の故郷神の国と交わり暮らしてきたはず…

「祈り」と「祀り」

今日、「罪…穢れ…この意味を知ってますか?」と問われ…「ん?はてさてなんだったかな?」…と。

罪とは包んで隠してしまった身の不始末。

そして、穢れは…氣枯れ。

神聖な神社で手や口を洗い…神さまの前 そのままの自分を置きリセットされる感覚。

26日からの新しい365日に向けて設けられた空白の1日。

時間をはずした日の祭りから、今日は本当に時間から解放され ずっとゆっくりお話ししたかった方と5時間近くおしゃべりをして参りました。

26日からの「磁氣の月」 は、こんな風にダイアリーには書かれてました。

今年の目的? 今日の目的は? 人生の目的は? 宇宙の目的は?

今年とは? 一年とは?
地球が、太陽の周りを365日かけて、一周する。
地球の大航海。それが一年。

今年一年の目的とは、その大航海の目的なのでは?

地球の地軸が少し傾いているために、地球が旅をしていると
太陽の光と熱をたくさん浴びる時期と、
あまり太陽の方に向かずに、旅する時期が生まれる。
春夏秋冬が、生まれる。それは、宇宙の周期。

その大航海の間に、地球は365回自転する。
太陽の方を向いたり、背を向けたり。
朝日があり、夕日がある。それも、宇宙の周期。
地球上で365回の昼と夜が生まれる。
それがコズミックダイアリーを通じて、感じる一年。

74億人の地球人を乗せて、大航海する地球。
その地球の上に生まれた生命。
地球をはずして、私の目的はない。
my  purpose 「私の目的」からkosmic   purpose「宇宙の目的」へ。

磁氣の月の28日間は、宇宙の目的を感じてみよう。
それが、生命としての、目的そのもの。

What  is  my    purpose?

 

ヤマトの心、島人の心、お産の心

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

朝8時過ぎ、西条を出発…広島フジハラレディースクリニックで開催の講演会、主人と一緒に行って参りました。

「日本はひとつ」と題した今日の講演会。

お話は、日本のジャンヌダルクと言われる我那覇 真子(がなは まさこ)さんと、岡田准一や松本潤と肩を並べる(?)ほどのイケメン(??)ヤマト心の伝道師 赤塚 高仁さん…そして 日本人の持つお産のイメージを払拭し、バーストラウマからの解放を願うフジハラレディースクリニック院長 藤原 紹生氏。

フジハラ先生のお話の中、お産への痛い!ツラい!怖い!のイメージの中生まれてくる子供達への影響を思うと…なるほどな~と…

フジハラ先生のところでの 出産直後のお母さんの表情や言葉に、私自身出産経験はないモノの そんなに倖せなお産って体感してみたいな~と、思うほど…。

そして、今日の講演会の最中にも、ひとりの命の誕生があったそうで…1階の講演会場から分娩を終えたお母さんと赤ちゃんに「おめでとう!!」の拍手と祝福の言葉 みんなで贈らせて頂きました(*^。^*)

そして、我那覇 真子さんのお話にも感動!!

まだ20代の彼女は沖縄の北部出身。

そして、今報道される沖縄の基地問題や、沖縄へ群がってくる日本をダメにしようとする報道や左翼の人々への 島人(しまんちゅ)の思いを熱く熱く語ってくださいました。

誰にも、何にも屈しない姿勢…なんと真実を伝える為に国連でも演説をされたほど…。

彼女の中に流れているのは、まさにサムライスピリット!!

そして、彼女の根っこにあるものは、まさに沖縄への愛…島人の心。

お話の中でも、我那覇という3文字の苗字は、沖縄では昔サムライだった人の名前なんですよ!!と語る彼女の笑顔。

久々にスカッとするような 講演に…エネルギーを頂きました。

そして、最後に読まれた回天の搭乗員の遺書に、ノックアウトされました。

ありがとうございます…祖国日本の為に 命を懸けて戦ってくれた先人の思い…私も忘れません!!

そして、そして…赤塚さんのお話は、我那覇 真子さんのお話を引き継いでの特攻兵のお話から…。

赤塚さんの著書「聖なる約束 ヤマト人への手紙~教育勅語と言う祈り~」の中にも書かれていた、ハワイ真珠湾にある戦艦ミズーリのお話。

戦艦ミズーリに体当たりするために突撃した特攻兵…石野節雄さんのお話。

へこんだ船体とその後米軍によって弔われたお話とミズーリ号の写真。

そして、お話の中 聴けなかった石野さんの遺書。

赤塚さんのメルマガより添付してみました!

石野節雄
神雷部隊第5建武隊
昭和20年4月11日 12:15出撃
岡山県出身

遺書
『お母さん、いよいよ最後の花を咲かす日が来ました。
私も笑って行きます。
すべて御国の為ですから、
何も言わないでください。
今度会う日、靖国神社で立派に咲いた花の下です。
良くやったと泣かずに、にっこり笑ってください。
私も皆の健康を何時迄も祈っております。

 では、御元気で。

 今日あるを
   かねて覚悟のあずさ弓
 敵の母艦に真一文字

      節雄 拝  4月6日』

何度も赤塚さんのお話を聴かせて頂いてますが、やはり 現場を歩き感じて来られたお話は心動かされます。

突然決めた 広島行き…。

本当に素晴らしいお話の数々に また今を生きる日本人として 出来ることを考えさせられます。

企画し無料でこんなに素敵なお話を聴かせて頂いたこと…フジハラ先生やスタッフの皆様にも感謝いっぱいです。

今日、夜10時半 自宅に戻り 沖縄オリオンビールで乾杯!!
沖縄へ思いを寄せてみました。

 

 

 

 

信仰によって…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

今晩から、うちのトミ子さん…従妹に連れられて奈良県の天理教の教会に参りました。

うちの叔母は、浄土宗…南無阿弥陀仏の世界。

ただ、四国という土地柄のため、弘法大師が開いた真言密教を唱え、たしか もう一人の叔母が荼毘(だび)に付す時は、四国88か所参りで頂いた納経帳を懐に隠して持って行った様な…。

認知症になり、何も覚えてない叔母を グループホームに居るときも、我が家に来てからも 毎月8日にお参りに誘ってくれ そして今晩からフェリーに乗り大阪まで渡り…奈良県の天理市まで連れて行ってくれるという。

もともと、信仰心はある叔母だったけれど、毎月のお参りも…今回のお参りもどこかで神さまが叔母をその場に導いてくれているのか…

片時も目を離すことの出来ない叔母を連れてのお参りは、本当に大変なことなのに それを使命としてしてくれる従妹。

従妹と言っても、父方の従妹。

叔母とは全く血は繋がっているわけでもなく…本当にこの信仰心には頭が下がります。


ずっとずっと昔…。

やはり、大阪に向かうフェリーの中で、まだ私が20代の頃…熱心な天理教の信者さんと隣り合わせになったことがありました。

その女性は、ずっとずっと昔、自分自身のおじいちゃんが目が見えなくなったところ天理教の教祖様に見えるようにしてもらい…それから代々教会を継続させているのだと…。

まだ若く、全く見えない世界のことを知らなかった時…その話は、私自身にはかなり興味深いものでもありました。


と、言うことで今晩フェリー乗り場まで送っていき…月曜日まで少し解放される週末。

そして、明日は広島へうちの主人と大好きな赤塚さんのお話を聴きに参ります。

そして、今回は2年前名古屋で、昨年は神戸で一緒に赤塚さんの聖書講座を受けていた 名鉄構内にある「小さな時計屋さん」の照ちゃんとも講演会場近くの駅で合流。

楽しみに行って参ります。


そして、赤塚さんの聖書講座の中、伝えてもらった信仰によって変えられた聖書の中の人々のこと

「へブル人への手紙11章」

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。

信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。

信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。

信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。

信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。

信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。

彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。

信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。

このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。

もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。

しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。

この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。

彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。

信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した。

信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。

信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。

信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。

信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、

罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、

キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。

信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。

信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。

信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。

信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた。

信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。

このほか、何を言おうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう。

彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、

火の勢いを消し、つるぎの刃をのがれ、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。

女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。

なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。

あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、

(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。

さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。

神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。


「へブル人への手紙」11章1節から40節までの間に何度も何度も出てくる「信仰」という言葉。

単純に…信仰とは、信じて仰ぎ見るモノ…。そして、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認すること…とある。

アブラハムもヤコブもモーゼもノアも…そしてキリストイエスも…このへブル人への手紙を書いた使徒パウロも…目には見えないけれど確実に存在する大いなるモノに動かされる世界。

明日、久しぶりに話を聴かせて頂く赤塚さんも 何か大いなるものによって導かれ、話させられてる世界。

今日、叔母を天理にまで導いてくれた従妹もそう…。

求めよ…さらば与えられん
探せよ…さらば見つからん
叩けよ…さらば開かれん

信仰によって与えられ、見つかり…そして開かれていく世界。

日本人こそ  この見えない世界を大切にしてきた民族。

そして、日本にたくさんある新興宗教もまた神さまの臨済によって開かれて来たであろう宗教。

どうか、教理や教則ではない真の信仰が世の中を救っていきますように…祈り求めます。

居場所

太陽院院長 近藤 千恵子です(^o^)

5月31日、7年間お世話になっていたグループホームを出て、我が家で一緒に暮らすことになった認知症の叔母…トミ子さん♡

癌の患者さんが2人にひとり…と言われる今、認知症やその予備軍とされる患者さんの数も65歳以上の高齢者の中、4人にひとりがかかってしまうと言われる病。

そして、叔母自身 結婚をしておらずもちろん子供もいなかったので認知症で一人暮らしをさせることは無理…と思い、7年前にグループホームへ入所。

その頃、私自身の両親も介護が必要な状態でもあり、とてもとても叔母の世話までは無理…ということで、迷いもなくグループホームへ。

そして、5年くらいたった頃から、私自身の名前も忘れてしまうようになり…施設の人からも「かなり認知症進んできてるね」と…言われながらも認知症の叔母を家でみる…なんていう発想は全くなくて…。

それが、今年5月…色々な流れから我が家でみることに…。

そして、1ヶ月と20日!!

介護4の叔母…日曜日以外は、ほぼ毎日デイサービスにも嫌がらず出掛けてくれて…そして、なんだかんだ想定外のことも 想定内のことも有りながらの生活。

認知症の人と一緒に暮らすこと事態、凄くいい経験。

一緒に暮らすまでは、絶対無理!!と思ってたことが、「え~なんでこうなるの~?」っていう出来事も交えながらも、本当に人間の脳が様々なことを忘れてしまう事実を体感。

7年前、グループホームに入る前の状態で引き取り、ほぼ1対1の介護状態だったらどうだったんだろうか?

過去には戻れないけれど…

叔母の入っていた施設自体 個人経営でかなり少人数でアットホームなグループホーム。

でも、一人だけを介護するわけではなく…どこかでやっぱり介護が業務になってるところもあったのか…。

我が家で住むようになって一週間くらいたったころ、お風呂で身体洗っているとき

「こんな 人間らしい生活させてもらって…お姉さん トミちゃん嬉しいわ~」と…。

どこまで解っての言葉なのかは、わからないけれど 介護ってやっぱり業務じゃない!!と。

私のことを、「お姉さん お姉さん…」と呼ぶ叔母に、何度 「姪の千恵子よ」と言っても、「そうそう 千恵子ちゃん」と言いながら 30秒で忘れてしまい「お姉さん!!」と呼ぶ叔母…。

そして、自分自身は5歳くらいの状態なのか… 「トミちゃん 嬉しいわ~」「帰ったら母ちゃんに言うとくね」そして「ありがとう ありがとう」と…。

「帰ったら母ちゃんに言うとくね!」には、

「あ~ いずれ天に還った時 私のおばあちゃんに 伝わるのかな」なんて、思うことも…。

現実の世界と何かが違い、そして本当に脳の中はどんな働きをしているのかを覗いてみたいほど…すぐ忘れてしまうし…何が見えてどう理解しているのか?

ただ、私自身 一緒に居るときはずっと叔母から目を離すことも出来ず、本当に目を離せない子供を育ててる親の思いを感じられるほど…

ただこうして接してきて思うのは、わからないからこそ寄り添うことの重要性。
すぐ忘れてしまうから、もっともっと側に居て笑ったり話したりすることが大事なんだろうな~と。

太陽院で扱ってる水素も、叔母には ずっと 飲む!吸う!浸かる!!の三点セットで実験中(*^^)v

86歳の叔母は、若い子たちよりも 細胞の生まれ変わりが遅いとは思うけれど 信じて飲む!吸う!浸かる!!を機嫌よくやってもらってます。

今日も目を うるうる させながら、「トミちゃんはホント倖せモンじゃわ~」 「有り難いわ~」 「帰ったら母ちゃんに言うとくけんね」 「お姉さんホントにありがとう」と、言いながら布団に入りました。

2013年12月天に還った私自身の母も きっときっと こんな自身の姉と娘の生活を喜んで見守り、 我儘言ってきかない時の叔母さんと私のバトルをも 笑いながら見てくれてるのかも知れません。

これからの世の中、認知症はまだまだもっと増えてしまうかもしれないけれど、病氣になりにくい身体にするための生活改善となってしまってからの介護や関わり方次第で、何かが変わる様な氣がしています。

自分の居場所が、頭の中では理解できてなくても 身体の深い所で ストレスなく 倖せを感じてくれるような状態になってもらえるように…

頑張らない介護…やっていきます♪

梅雨明け

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

今日、四国も梅雨が明けました!!

夏です!!

夏はプール…。

私は、小学校の頃から水泳大好き!!

小学校6年の時は、水泳の記録会…個人では予選落ちだったけど、4人での自由形200Mリレーでは、県で3位以内に入ったことも…。

あの日、泳いだとき 私の中の人魚だった前世が呼び起されたような感じ…(笑)

しかし、本当にもう42年も前の夏のプールでの出来事を本当に鮮明に記憶している自分がいることも 不思議なほど…。

ちょうど、25mプールをターンする直前から視界に入った隣のレーンの子。

あれよあれよ…と追い抜く事が出来た時の感動。

実際、個人戦で予選敗退の事実を知った後の団体戦。

個人戦は緊張しすぎて後半 息が続かず、6回掻いて1回ブレス…が2回に1回ブレスとなってしまった大失敗もあったから…

きっと小学校の頃から 痩せてはいない私…浮力は他の子達よりもあり…。

実は、スポーツ万能の同級生の女の子…浮くことが出来ず、小学4年生の時の担任の先生 体育のプールの時間 その子だけを浮かすためにずっと私たちは放りっぱなし…。

可愛い子だっただけに、ひとりだけを特別扱いし「あ~エコヒイキだ!!」と思ったことも…。

勝手に浮いてしまう私には想像もできないような カナヅチ状態。

今、それ自体、体脂肪が大きく作用してた事を知り…納得。

私の小学校の頃は スイミングスクールもなく 夏にプールで泳ぐだけ…。

で、中学校の1年の時 学校のプールが完成。

で、「水泳部」に入りたかった所、春 入学と同時にはまだプールは出来ておらず…私はバスケットボール部に!!

そして、夏前にプールは完成したけれど、部活をやめる勇気もなく…結局3年間バスケットボール部の補欠で過ごし…

何だか、やっぱり水泳部の夢が捨てられず、選んだ高校。

そして 入学と同時に、「水泳部」に入部…。

でも…いくら泳いでも爽快さは全く感じられず、1年生の時 一度大会に出ただけで、退部。

その後、ブラスバンドへ…。

過去の記憶が自分自身を奮起させてくれたり、また過去の記憶があるがゆえに執着してしまうことも…

人の記憶…6月から一緒に住んでる叔母は、日々新しい。

…が、しかし 深部にきっと記憶された日常での動作…歩くこと、食べること…排泄は まだしっかりしているから有り難い。

先日は、お風呂上りに歯磨きしてもらおうと 歯磨き粉をつけて渡したところ…髪をブラッシング。

わわわわわ!べったり髪についた歯磨き粉。

そして、鏡の自分に向かって話しかけることも…。

忘れられることを、羨ましいとも 思えるときもあり…。

今言った事をしっかり忘れていたり…。

そして、前世の記憶が 生まれながらに残っていたとしたら、逆に面白くないかも…

私など、勝手に前世は「人魚」だとか・・・「マリーアントワネット」だとか、「楊貴妃」までも 前世っていうことに(笑)

真実は全くわかりませんが…言ったもの勝ち!!っていうことで…(*^^)v

とにかく各地で水の災害も多く出た今年の梅雨が明け…今から夏本番。

海へ山へ…たくさんの思い出が多くの人々の胸に広がりますように…。

 

 

 

親の心子知らず…子の心親知らず!

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

今日、火曜日「おとひめ会」の日。

「いきいき100歳体操」「かみかみ100歳体操」のあと…今月誕生日のMさんを囲んで甘酒でハッピーバースデー♪

それから平均年齢90歳くらいの女子会。

ほとんどの「おとひめ会」のメンバーが一人暮らしの中、話題は健康と事と、今後の暮らしのこと。

細胞は年と共に老化していく中、大切なのは「酵素」と「水素」あとは「教育と教養」だと…。

麹から作られた甘酒は酵素がいっぱい!

そして、身体のサビ取りの水素…そして、大事なのはやっぱり「教養と教育」

今日…用(教養)があるか?

今日…行く(教育)ところがあるか?

が一番細胞を若返らせてくれるそう…。

「おとひめ会」のメンバーは、おしゃべり大好き!!

そして、あっちこっちへと出掛けていくから本当に細胞がイキイキしているんだと思えるほど…。

と、その中で最近 病氣をしたことで、遠くに嫁いだ娘さんや 遠くで働いている息子さんから、施設への入所を薦められてる…という話に…。

結婚し、子供を育て、家も持ち…お姑さんお舅さんを見送り…旦那さまを見送り…そして ひとり年老い… 一人暮らしを心配する子供達と、永年住み慣れた我が家を離れる不安…。

きっと日本中で、今 こういう状態はいろんな所で起こっているのかも知れません。

核家族化により…嫁や子供と住むことのない生活。

また、子供たち自身も転勤や大学からの延長で自分の生まれ育った故郷に住むことのない現状。

一人では心配…と、親を思う子の心 と

子供達には迷惑をかけたくない…と、子を思う親心。

どちらも優しさから…

生まれて独り立ちするまで、いえ…働けるようになっても…子供が出来て親になっても…子供は子供…。

きっと天に還っても、親は子を思い…子は親を思い…繋がれていくんだな~とも思わされた今日「おとひめ会」後の女子会。

行政が関わる介護事業もいろいろ手を変え品を変え、事業が成り立っているようで…

そんな中、賢く利用し、自分自身が一番合った居場所を探していって欲しいものです。

そして、天に還るその日まで、笑って過ごす毎日でありますように…。

 

主の契約

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)/

旧約聖書…まだアブラハムもイサクもモーゼも出てくる前のお話。

新約聖書は、キリスト・イエスを身ごもった母マリアのお話から始まるから、今から2017年程前の出来事から書かれており…

そのもっともっともーーーーっと前、イエス様誕生より3000年程まえの「ノアの方舟」のお話。

旧約聖書、創世記6章5節に…


主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。

主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも、わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。

しかし、ノアは主の前に恵みを得た。

神はノアに言われた、

「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。」

そして、主はノアに三階建の方舟を造らせ ノアの家族と地に住むすべての清い獣の中からオスとメスとを七つづつ…、清くない獣の中からオスとメスを二つづつ…また空を飛ぶ鳥の中からオスとメスを七つづつ…

その選ばれた獣や鳥が全地のおもてに生き残るように…と。

方舟が完成し、そして主の言われた通り 獣や鳥たちと共にノア一家も方舟の中に入り…

七日後雨は降りはじめ、そしてそして四十日四十夜地に雨が降り 主の造ったすべての生き物…人も家畜も、這うものも、空の鳥も…みな地からぬぐい去られた…。

ただノアと、彼と共に方舟に居た者だけが残ったそう…。

そして、天から雨が降らなくなり 水が地の上から引いて方舟が今のトルコのアララテの山にとどまったのが…今日の日付と同じ7月17日と書かれています。

そして、その後 主はノアと契約を立てたそう…

契約には、こう書かれてます!
「すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起こらないであろう…」と。

そして、契約のしるしとして  雲の中に、にじを置く…とも。


もう二度と洪水は起こさないと、約束した契約は今、崩れていってしまったのでしょうか?

旧約聖書とは、キリスト・イエスが生まれ出る前の神さまとの約束…契約が書かれた書。

そして、今 主イエス様が十字架にかかったことで 人類の罪を贖い、救いをもたらす…という新しい神さまとの約束。

しかし先週、襲った九州の大雨や土砂崩れ…。そして、2011年3月11日の東日本大震災。

各地で起こる目や耳を塞ぎたくなるような事件や災害。

「我が子…イエスを信じなさい」と母マリア様は、メジュゴリエの小さな村で35年以上も現れ メッセージを残しています。

神のひとり子が、神さまの生き方を多くの人々に示した…この地上で神と共に生きる生き方。

人は何度も生まれ変わり…未熟だった魂も少しづつでも成長し…

もしかすると2000年前、目の前でイエス様の十字架への歩みを見た人も…

復活を見た人も…

その後神さまの臨在をありありと感じたことのある人々も…

ただ、イエス様ひとりに贖ってもらうのではなく、あの東日本の大震災で天に還って逝った何万人もの方々は…救い主イエス様と同じ?

きっときっと今回の大雨によって天に還って逝かれた魂も…

あのノアの方舟の時、神さまがノアを救ったように…神さまが選び世の人々に、あのビアドロロッサ…十字架への道をイバラの冠を打ちつけられ十字架を背負い、血を流しながら歩いた罪なき贖いびとイエスさまを見せられるような…

ノアの時代とは違う、尊い魂を持つ人々の召天。

どうか、多くの人々が罪ない方々が 世の罪を背負うことのない世の中になりますように…

今日、ノアの方舟が5000年前トルコのアララテ山にたどり着いた日…旧約聖書の時代とは違う 今。

益々、この世での生き方が問われるように思わされた神さまの契約。

世界一のベストセラーである聖書を読む機会が少ない日本人。

日本人だからこそ、深い所で理解することが出来る聖書。

九州熊本は、私が2年半勉強させてもらった無教会の「キリストの幕屋」が開かれた場所。

幕屋の創始者手島郁郎氏は、阿蘇の山の中で、神さまの声を聴き聖書集会を子供も含む5人から始まったんだとか…。

イエス様が群衆に神の御言葉伝えていた場所は、教会ではなく野原や湖上…。

日々の生活の中に、神さまとの対話が生まれてくるのかも…。

今朝、私の携帯に届いたエドガー・ケイシーセンターからの珠玉の御言葉

内なる静かで小さな声こそが、人を動かす力に命をもたらし、その命が人間の奮闘努力の土台となるものを与えるのです。(239-1)

 

 

 

 

母校の一勝と子ツバメとの遭遇

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

先ず…昨日ブログに書かせてもらった 私の母校…おかげさまで一回戦勝利致しました(*^^)v

まだ テレビ中継もなく 勝利の校歌は直接聴いていませんが、私の胸にはあの感動の校歌が鳴り響いてます♪

そして、もうひとつ嬉しいことが…

5月に書かせて頂いた今年我が家に来たツバメ…

今年のツバメ

今年は、家族もなく昨日の夜も一羽で夜を過ごしていたのに…今日の夕方 私が車を降りると挨拶するように一羽のツバメ。

そして、洗濯物を取り入れに いつもツバメが一羽で休んでるベランダに出たところ…三羽の子ツバメ ♡♡♡

夕方我が家の周りを 飛んでいた子ツバメ達…

いつも一羽で停まっている所に、並んで三羽 ♡♡♡

きっと 去年我が家で育ったツバメの子供…。

今まで一羽だけだったのは、お父さんとお母さんが別居生活中だったからなのか…?

連休だから親戚に遊びに来たのか…?

養女や養子でもらわれて来たのか…?

我が家も六月から認知症の叔母が増えて三人家族になったし…

あの餌を待つ雛鳥の時は見られなかったけど、我が家の周りをおしゃべりしながら飛ぶツバメは 私を本当に倖せな氣分にしてくれます。

母校の一勝と子ツバメたちの訪問…

お昼は天に還って逝かれた五軍神奉賛会の前々会長へお焼香でのお別れも…

まさに別れと出会い… そして巡る時代

巡る巡るよ 時代は巡る…
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ

17日は海の日…ちょうどノアの方舟がトルコのアララト山についた日。

神さまが全てのモノをゼロにしたいと計画した洪水。

そして、ノア一家にだけに託された未来への希望。

オリーブの葉と鳩、そして雲の中に契約の虹。

主のなさることは 時にかなって 美しい

 

高校野球

太陽院 院長 近藤 千恵子です(*^。^*)

各地で高校野球の地区予選が始まりました。

そして、明日朝9時からの試合を前に、酸素カプセルに入りに来た彼は高校三年生。

明らかに野球部とわかる 坊主頭。

聞くと、私の母校…。

そして、連れて来てくれたお父さんも同じ私の母校の野球部出身…。

わが母校、私が高校二年生の時の夏、県大会で優勝し甲子園へ…。

その年だけ、ブラスバンドに入りクラリネットを吹いてたので、有り難いことに私も甲子園に…。

開幕試合の一試合目…県大会で負けなしだったから当たり前に勝つと思っていた私。

なんと、あっけなく一回戦敗退…(+_+)

帰りに食べた高速のパーキングでのたこ焼きがなんだか侘しかったのを思い出します。

そして、その私が高校2年生の時生まれたという 酸素カプセルに入りに来た高校球児のお父さん。

そして、思った…「どうか勝ってもらって、母校の校歌が聴きたい!!」と…。

若人ら 眉上げよ
南の空 むらさきに
連山崚しく 聳ゆるところ
泉は湧けり 淙々と
あゝ この窓に 光あふれて
新生の 意氣高らかに
われら 新居浜商業高校
こゝに集えり こゝに集えり

あの暑い夏…バスに乗って球場まで行き、一喜一憂した日々。

選手にとっては、誰もが目指す一勝!!

どうか ご縁のあった彼に 大いなるエネルギーが降り注ぎますように…。

そして、明日の一戦が彼の人生にとって 悔いのない一日となりますように…。

帰り際思わず 「明日、勝って…校歌聞かせてね!!」…と、ついついお願いしてしまいました。

母校の一勝を祈ります。

愛媛二つの慰霊祭

太陽院の近藤 千恵子です(^^ゞ

今日、夕方7時半より毎年10月25日に行われる神風特攻五軍神及び愛媛県特攻戦没者追悼奉賛会の役員会開催されました。

そして、帰り際頂いた7月1日に発行された防衛協会会報新聞。

その中に、「愛媛県の二つの慰霊祭」として、昭和16年12月8日真珠湾攻撃に先立って潜水艦母艦から発進し、密かに至近距離まで接近した特殊潜航艇5隻。

愛媛県佐田岬半島の三机湾で特殊潜航艇の訓練をしてきた20代の若者9人がその日海底の中 散華していったそう…。

先任艇長岩佐直治海軍中佐(27歳)の辞世の句には
「身はたとへ 異郷の海に果つるとも 護らでやまじ 大和皇国(みくに)を」

そして昭和41年須賀公園に地元民の浄財で当時の首相佐藤栄作揮毫により建立された「大東亜戦争九軍神慰霊碑」

毎年、地元の青年団によって12月8日の命日に慰霊祭が続けられており、こんな青年団主催での慰霊祭は全国でも珍しいらしい。

青年たちに脈々と受け継がれる慰霊の営み…

三机の人々は、そこに純粋な心で散華された方々を記憶に留め語り継いでるそうです。

そしてもう一つの慰霊祭は、私の住む地元西条。

昭和19年、10月25日…大東亜戦争末期の戦法で魚雷・爆弾を抱いたまま航空機もろとも敵艦艇に体当たりした特別攻撃隊。

そして、特別攻撃隊最初の敷島隊隊長 関 行男中佐と共に散っていった若人4人。

戦後、西条市楢本神社宮司の石川梅蔵氏は小さいころから知っている関中佐の慰霊碑を建立しようと各方面に協力を求めたけれど叶わず

ところが昭和49年5月7日、フィリピン人のカミカゼ記念協会によってマバラカットの海軍航空基地跡に建立された慰霊碑

「第二次世界大戦に於いて日本神風特別攻撃隊」と刻まれた慰霊碑の除幕式にはたくさんの参列者があったにも拘らず、日本人からの参列者はひとりもいなかったという事実。

楢本神社の石川梅蔵宮司はその事実に日本国民として恥ずかしく思い、翌年3月関中佐の慰霊碑を建立。

そして毎年10月25日五軍神だけでなく、愛媛県出身の散華された陸海軍の特別攻撃隊員93柱の慰霊祭も同じ日に催行されております。

そして、この記事を書かれた、愛媛県防衛協会 折戸善彦氏は、9月11日に発生した民間人を犠牲にした「同時多発テロ」

このテロと特別攻激隊を同列に扱うことに対して大きな間違いであると…。

日本の「特攻隊」が民間人をターゲットにしたことがないと…。

西条での慰霊祭は毎年10月25日。

そして、石川梅蔵宮司さん亡き後 2年前まで奉賛会会長として慰霊祭を仕切って来られた寺田幸男氏が 昨日13日ご自宅の庭で倒れ 誰にも氣づかれず天に還って逝かれました。

享年91歳…きっと天に還り、海軍での戦友と再会し「今の若いモノは…」と話してるのでしょうか。

寺田元会長のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

今の若いもんも若いモノで精一杯先人の思い繋がせて頂きます。

 

最高の笑顔はすべての健康から