言霊のちから

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)/

8月15日 終戦記念日の今日…72年前、荒れた大地と暑い夏の陽射しの中、日本中が涙した日。

今、生活が守られ 食べるモノに困ることなく 生きていられるのも、尊い命をかけて戦って下さった英霊の方々の贖いの後に頂いたもの…。

改めて感謝と哀悼の誠を捧げますと共に、未来永劫祖国日本が永遠に続きますよう祈り…伝えて参ります。

そんな、日本にとっては深い深い哀しみの日。

日本エドガー・ケイシーセンターから、毎朝7時1分に届けられる珠玉の言霊

今日は、朝届かず おかしいな~?と、思っていたところ 10時2分に8通もの珠玉の言霊が届けられました。

以下は、パソコンの方に届いた言霊たち…

他人に対する奉仕は、神への最高の奉仕です。
Service to others is the highest service to God. (257-10)

機会は、神からの感謝の表れです。機会を大切にしなさい–自分のためではなく、神の栄光のために。
Opportunities are expressions of appreciation from thy Maker.
Embrace them, – not for self but for the glory of thy Maker. (2051-5)

主を招き入れたいと思うなら、もっと祈りと瞑想を続けなさい。
Be constant in prayer, meditate oft, if ye would have Him enter.(540-18)

毎日、毎時、祝福の水路となれ。
Be that channel of BLESSINGS each day, each hour. (276-2)

汝の日々の努力のうちに主の栄光の現れていることを、忍耐をもって、静かに見続けよ。
Be ye patient; be ye quiet and SEE the glory of the Lord in that thou may do in thine efforts day by day. (518-2)

理想が正しければ–自分を奉仕に差し出すことを恐れてはならない。Do not be afraid of giving self in a service – if the IDEAL is correct.(1957-1)

自分の兄弟に対して、自分の隣人に対して、そして–なによりも–自分自身に対して、忍耐を失ってはなりません。
Be not impatient with thine brother, with thine neighbor, and – most of all – with thine self. (262-44)

あなたの人生を、他の人々への光のようにしなさい。
Let thy life, tho, be as a light to others. (835-1)

そして、携帯の方にも同じように8通も…

先日、特攻一番戦闘機敷島隊の追悼奉賛会の副会長より
『ジュンちゃんへ「戦争に行った兄さんより」』という本を貸して頂きました。

その本には、愛媛県西条市出身の少年航空兵・松本勝正さんが家族に宛てた手紙の数々が載せられており

まだ中学校を出たばかりの 松本少年が昭和13年15歳で予科練に入隊し、昭和19年最後の手紙が届くまで…。

分刻みでの軍隊での生活の中、家族が手紙を送ってくれることを喜び、また 妹の順子さんへの手紙には色々近況を書いた後、こんなことも書かれてました。


トナリノセンユウハネ、イモンブクロヲモッテ、ジュンコノカイタヤウナ カキカタヤ ヅガ ヤ サクブンガハイッテヰタノデヨロコンデイタヨ。

マンシュウヤ支那ヘイッテヰル ヘイタイサンヘ 手ガミヲ出シテアゲナサイ。


その頃の小学生や学生から届く手紙や可愛い絵に 満州や支那の兵隊さん達の心が どんなにか癒されたことでしょう。

毎日届けられる ケイシーの珠玉の言霊も今日は 終戦…敗戦記念日ということで、たくさんの御言葉に 私自身 癒して頂くことが出来ました。

そして、8月15日と言えば、正午に流された昭和天皇の玉音放送。

この陛下の終戦の詔書の口語訳では、こんな風になるのだとか…


私は 深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り 非常の措置をもって時局を収拾しようと思い ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。

私は 日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを 通告するよう下命した。

そもそも日本国民の平穏無事を図って 世界繁栄の喜びを共有することは 代々天皇が伝えてきた理念であり 私が常々大切にしてきたことである。

先に米英二国に対して宣戦した理由も 本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり 他国の主権を排除して領土を侵すようなことは もとから私の望むところではない。

ところが交戦はもう四年を経て 我が陸海将兵の勇敢な戦いも 我が多くの公職者の奮励努力も 我が一億国民の無私の尽力も それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず 戦局は必ずしも好転していないし 世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。

それどころか 敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して しきりに無実の人々までをも殺傷しており 惨澹たる被害がどこまで及ぶのか 全く予測できないまでに至った。

なのにまだ戦争を継続するならば ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。

このようなことでは 私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り 代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか…。

これこそが 私が日本国政府に対し 共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう 下命するに至った理由なのである。

私は 日本と共に終始東アジア諸国の 解放に協力してくれた同盟諸国に対しては 遺憾の意を表せざるを得ない。

日本国民であって前線で戦死した者 公務にて殉職した者 戦災に倒れた者 さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると 我が身を引き裂かれる思いである。

また戦傷を負ったり 災禍を被って家財職業を失った人々の再起については 私が深く心を痛めているところである。

考えれば 今後日本国の受けるべき苦難は きっと並大抵のことではなかろう。

あなたがた国民の本心も 私はよく理解している。

しかしながら 私は時の巡り合せに逆らわず 堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて 未来永劫のために 平和な世界を切り開こうと思うのである。

私は、ここに 国としての形を維持し得れば 善良なあなたがた国民の真心を拠所として 常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。

もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ 

そのために進むべき正しい道を誤って 世界の国々から信頼を失うようなことは 私が最も強く警戒するところである。

ぜひとも 国を挙げて 一家の子孫にまで語り伝え 誇るべき自国の不滅を確信し 責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し 

総力を将来の建設に傾け 正しい道を常に忘れず その心を堅持し 誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し 世界の流れに遅れを取らぬよう 決意しなければならない。

あなたがた国民は これら私の意をよく理解して行動せよ。


言葉のちからは素晴らしいものです。

そして、そこに発するモノの魂が乗っかって言霊となり…人を動かす原動力にも…。

戦争の中、軍人としてひとり横浜に行った 松本勝正氏もまた 届く手紙に力をもらい その兄からの手紙で 戦死された後も兄と繋がっていること。

終戦記念日の今日…日本エドガー・ケイシーセンターからの珠玉のメッセージが8通も届けてもらえたことで 感じた言葉の素晴らしさ…に感謝です。

 

 

喫茶MORINOKO

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

もう2年程まえにOPENしていた喫茶店「MORINOKO」と言うところへ初めて行ってみました。

前は通るけれど、あんまり車も止まっておらず…ちょっと氣になっていたお店。

モリノコ - かわいい外観。

今の「MORINOKO」になる前の前のお店「ピース」があった時は、毎週1度は行ってたくらいお気に入りのお店でしたが、オーナーが海外青年協力隊のひとりとして、南米のコスタリカに行くことになり閉店。

それから、次に出来たお店は一度行ってみたけれど その一度だけで1~2年でお店が閉まってしまい…。

その後で出来た「MORINOKO」

どんな人がやってるのか?

どんなメニューがあるのか?

誰も噂する人もなく、私の耳に入ってくることもなく…。

今朝、モーニングに行ってみた先が満席で 待たないと入れず…

主人とふたり「あそこ…行ってみる?」

「ガッカリでもいいよね!」と言うことで、行ってみると…

外観と違って、中に入ってみると 落ち着くイイ雰囲氣。

  

間取りが変わっていない為か…ずっと昔「ピース」だったころの 香りまでしたようで 何だか懐かしく…

お店のマスターも女性も無口だけど、すごく感じよくて…

主人と二人で「マルだね!!」と…。

新しいお店やどこか旅先で入るお店…思ったよりちょっとでもイイと嬉しくなってしまう。

お調子者の私は「運氣上昇中」だな!と…ニンマリ(^^)

当然ガッカリの時は、その日1日なにか選択することに…慎重になってしまったり…

人の情報や意見は、お店探しや何か購入する時、凄く参考になったりもする。

私自身、太陽院の看板を背に仕事させてもらってる限り、いい加減なものは取扱い出来ないし…したくない。

昨年2月、私が敬愛する三重県津市の赤塚さんから、「水素のお風呂」のレンタルを事業として薦めてもらった時も、自身で納得できないと扱うこと事態凄く抵抗もあり

赤塚さんにも「赤塚さんは影響力のある人なんですから、ちゃんとしたものを扱かった方がいいんじゃないですか?」なんて生意気にも電話かけたほど…。

もちろん 電話かける時は 好きな人に電話をするように…

ダイヤル回して 手を止めた~♪

っていう「恋に落ちて」のフレーズがぴったりの様な状況で、電話をかけさせてらったほど緊張して…。

で、現在太陽院が水素風呂のレンタルやってる!と、言う事は…

正直、「良かったから…」

全てにおいて マル!!

先ずは、私のように なんだかんだ考えず、使ってもらうと きっと満足してもらえると…思ってます。

リタライフレンタル申し込み

今日、初めて入ってみた喫茶店「MORINOKO」のように、誰も何も言ってないお店が実は案外良かったりするように…。

私自身、自分で言うのも変だけど、かなり強運なので…是非(*^^)v

 

 

 

 

 

 

夏を満喫

太陽院院長 近藤  千恵子です(^-^)v

今日13日 お昼から 民生委員の皆さんと大島の潮流体験からの村上水軍 能島城跡散策と伯方島の花火大会に 参りました。

しまなみ海道が完成し、島を自転車で渡る人や歩いて渡る人もいて …そして 海に上がる花火の美しさに年々見物客も増加しているそうで…

お昼から バスに乗り込み来ております。

バスの中、昼間っからビールも頂き…総勢13名のなんとも幸せなツアー。

織田信長も豊臣秀吉もたじたじにさせたと言われる海の難所を守ってきた村上水軍。

通過するために、お金を治めさせ そして、言う事を聴かないモノたちは、海に沈められたというから…スゴい。

そして、海に沈められないように 村上水軍の捕虜となったモノは、額に㊤の刻印を押されていたのだとか…。

そして、能島城の3の丸跡から本丸跡まで小さな島一周を回り、大島から花火大会のある伯方島へ…。

4時前に到着し、海上から上がる花火の見える真ん前の砂浜にブルーシートを敷き、暗くなるまでおしゃべり…。

夕方6時過ぎ、夕陽の沈みかけた頃 シートの敷いてあるところに戻ってみると、なんと地元今治出身のタレント「みかん」さんが、特設ステージで物まねを始めたところ…。

さすが、人氣者!!っていう感じで 楽しませて頂きました。

そして、待ちに待った海から上がる伯方島の花火…。

浜辺に集まったかなりの人でカウントダウンから始められた花火!!

もう何年も、腰を下ろしてゆっくり花火を見ることもなかった為、目の前でドカ~ンと打ち上げられる数々の美しい花火に感動…。

途中、花火に負けないように、スーっと流れ星まで流れ…とっさに出た言葉は「ありがとうございます…」だけ…。

6000発と言われてる打ち上げ花火。

伯方島の島をあげての毎年8月13日の花火大会。
御先祖様に感謝し迎え火の様な花火。

今日は、穏やかな瀬戸内の海と夜空一杯に繰り広げられる花火に、
夏満喫!!

帰りは思っていたほどの渋滞もなく 今日の内に戻って来ることが出来ました。

夏…蝉の音…海…花火…慰霊。

夕方からは、秋の風が吹き 夏もあと少し…。

しっかりと乗り切って行きたいものです。

 

 

 

 

お盆を前に…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

今日夕方、叔母がデイサービスから戻るのを待って 一緒にお墓の掃除に行って参りました。

叔母の…そして母の…お父さん、お母さん、お姉さん達が眠るお墓。

7月にもう一人の叔母の命日に一緒にお墓の掃除とお参りをしてたので、草も生えておらず…あっという間に終わることが出来ました。

叔母が認知症になる前、ひとりで住んでた頃…

叔母が守ってきたお墓は、雑草など生えることなく お盆やお彼岸にお参りに行くと 香の花が枯れることもなく いつもお水やお米が置いてあり、線香立は柔らかく苦労なくお線香を立ててお参りすることが出来てました。

7年前グループホームに入ってからは、私や姉がお盆とお彼岸に行くくらいで、そこまで手入れも出来ておらず…。

そして、何もかも忘れてしまう叔母にとっては 今、まだ両親は生きており 姉妹もまた生きている状態でもあったり…。

忘れてしまうことは、倖せなのでしょうか?

きっと、覚えている頃は 寂しさもあり、両親や姉たちにいつも逢いにお墓に行っていたのかも知れません。

今日、ふたりで 叔母のお墓と 私の母が眠るお墓の掃除を済ませた叔母と私。

子供のいない叔母と 母を亡くし また子供のいない私。

目を離すことの出来ない叔母は、私の子供の様なものでもあり また 母の姉だけに ふとみると母が側にいるようで… 親孝行のやり直しの様なものでしょうか。

そして、子供のいなかった叔母にとっては、娘を持ったような感覚なのか…朝 目が覚めると 私に愛おしく微笑んでくれる毎日。

叔母を子供のように思える時や 母のように思える時…。

神様が、ひとり残った叔母にプレゼントするように我が家にやって来ての生活。

86歳の叔母の残りの人生が この先どう展開していくのかも 神のみぞ知るところ。

ただ、私の母が健在だったならば 母がみたであろう叔母の介護…私が変わりにしていること。

母への親孝行でもあると思い、そして認知症の叔母と一緒に暮らすことで私自身が知らない自分自身が見えてくるものもたくさんあり…この貴重な毎日に今は感謝いっぱい…。

頑張らない介護…主人とふたりで、あーだ こーだと言いながら 楽しんでやらせて頂きます(^^ゞ

 

 

山の日

太陽院院長 近藤 千恵子です!(^^)!

今日、8月11日は「山の日」…国民の祝日

2014年「祝日改正法」成立によって8月11日が「山の日」となって、2016年施行されたそう…。

旗日に届けられる 愛国女性のつどい「花時計」さんからのメールに、山の日が制定された経緯などがこんな風に書いて届けられました。

祝日にした趣旨は「山に親しむ機会を得て山の恩恵に感謝する」というものだとか。

ただ、なぜ8月11日なのでしょうか?

1996年から「海の日」が施行されたことによって「山の祝日も作るべきだ」という声が上がり2009年から「日本山岳会」など5団体が運動を開始したそう…。

2010年「山の日制定協議会」が発足、2013年には超党派の国会議員によって「山の日制定議員連盟」が設立されたことで全国的な運動へと広がり…。

確かに日本は山の国であり名山も多く登山も盛ん。からといって祝日にする必要があるのでしょうか。

祝日は、国民が忘れてはいけない歴史的背景があり、国民がこぞってお祝いしたいという気持ちになるのが本来の在り方ではないでしょうか?

愛国女性のつどい…「花時計」さんからのメッセージを読ませてもらい なるほどな~と。

たしかに夏休み…お盆休みの前に この日があることで、大型連休で遠出出来たり、海外へ行けたりとか…経済効果も上がることも確かですが…。

山の日が出来るきっかけとなった海の日の制定された経緯を見てみると、確かに歴史的背景があっての制定。

1995年「国民の祝日に関する法律」が改正され、1996年から7月20日は「海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う」趣旨で祝日となったとか…。

そして、この日が海の日として選ばれた歴史的背景は…

明治9年(1876年)6月2日、明治天皇が東北・北海道御巡幸にお出かけになられ、埼玉・茨城・栃木・福島・宮城・岩手・青森の各県を御巡幸されたのち、7月16日青森から御召艦に御乗船され、函館を経由して20日横浜へ御帰着されたそうです。

「明治天皇紀」によれば、3日間荒波のため荒波のため動揺はなはだしく、遅れて夜の8時過ぎに入港したそうですが、明治天皇は終始“端然”としておられ、港で待ち受けていた人々を安心させたそうで…

これを記念して昭和16年(1941年)「海の記念日」が制定され、平成8年(1996年)から海の日として祝日に…。

またこの時に御乗船された御召艦は、灯台巡視船「明治丸」

「海の日」を通して海の恩恵に感謝する氣持ちと、明治天皇を中心に国民が一致協力して世界に雄飛した明治の時代を敬慕し、その精神を偲びながら新しい時代に向けて進んで行くための「海の日」なのだとか…。

今日、我が家でも国民の祝日と言うことで、国旗を掲揚させて頂きましたが、国旗さえも揚げることがなくなってしまった日本。

山には山の…海には海の神さまがおり、山の神さまも海の神さまも…天照さまやスサノオさま、月読さまが生まれるずっとずっと前から地球に存在するもの。

山の日…国民の祝日がこうして作られた今、その時の権力者によって制定されていくものが、どうか神の御心に沿った形でありますように…と祈らずにおれません。

憲法や皇室典範なども、どうかこの日本が永遠に神国として継続される様な形となりますように…。

五軍神奉賛会

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

今日夕方7時から、西条市楢本神社で 先日逝去された一昨年まで奉賛会会長であった寺田 幸男氏の自宅に置いてあった戦争や特攻に関する資料の数々を 整理させて頂きました。

数多くの資料や本の数々…。

1945年8月6日の広島。 8月9日の長崎。 そして8月15日敗戦。

1941年12月8日真珠湾攻撃による開戦から 1944年10月25日フィリピンでの神風特攻の始まり…。

そして残ったものは…

アジアで長い間他国の支配下にあった島々の独立宣言。

そして、日本人の自虐史観。

侵略するためでも…領土を奪うためでもなく…只々長い間米国により経済上・軍事上の度重なる理不尽な脅威に 長い間、忍耐し…また話し合いによる和解をと望む日本をあざ笑う様な米国の対応。

日本人は、忠誠心・愛国心に満ちた非常に感受性の強い、誇り高き、かつ勇敢な民族…

そして、戦わずして国を失うことは考えられなかった…。

今日目にした、多くの戦争の資料や写真や本。

広島や長崎の原爆で尊い命を奪われた方々も、5年に満たない大東亜の戦争で散華していった方々も…

ひとりひとりに両親や兄弟姉妹、そしてお嫁さんや子供、そして、友もいて…。

役員の持っている資料の中に、敷島隊隊長の関さんの学生時代のテニス部の仲間と一緒に写った写真。

そして、記念館にある小学5年の関さんが、友と2人で写ってる写真には、私も知っている方の小学5年生の時の顔が…。

どんな思いで、遠く離れたフィリピンの地で身体ごと体当たりしていった同級生の死を知ったのか…。

私の知っているその方は、もう10年以上前に天に還られたけれど、カイロの施術をさせてもらってる間 色々なお話もさせてもらったけれど、一度も戦争の話や関さんのお話は聴かせてもらったことはなく…。

天に戻って逝った時、同級生たちは関さんを囲み どんな話をしたのでしょうか。

命をかけて守ってくれた英霊の方々のこと…日本のこと…きちんと伝わって行くのでしょうか。

そして今日、ちらっと聞いた話

我が町西条市で毎年行われる8月17日のお観音さんの花火。

天正13年7月豊臣秀吉の四国攻めの合戦で禎祥寺(通称 お観音さん)の僧 林端和尚 外豪族がことごとく西条市の野々市ヶ原で戦死、その人々の霊を慰めるため 翌年の新盆7月17日に送り火として打ち上げた花火。

四百余年の伝統の花火大会。

その花火大会が戦没者慰霊のための花火大会だから…ということで、今まであった西条市からの助成が無くなったんだとか…。

西条…私は大好きです。

「過去が咲いている今、未来の蕾で一杯な今」

と、言う言葉のように、過去にこの町に住んでいた人々がいて繋がっていること。

どんなことがあって、西条市の助成が無くなったのかわからないけれど、私自身しっかり経済手に入れて ドカ~ンと大きな花火を天の英霊の方々に届けられるようになりたいものです。

 

ライオンゲート

太陽院院長 近藤 千恵子です\(^^)/

今日、8月8日は地球が銀河の中心となり霊的世界の扉が開くと言われ、また今年は満月…そして月食とも重なり特別なパワーを感じる日なんだとか…。

私も真ん丸なお月様に、月光浴させて頂きました。

で、私が「ライオンゲート」と聞いて頭に浮かぶのが、ステパノという聖書「使徒行伝」に出てくる殉教者。

イエス様の十字架での死後、律法学者たちはイエスと共にいた弟子たちを迫害し、罪に上げようと躍起になっていた頃、ステパノを捕らえます。

そして、ステパノは「いつも聖霊に逆らって、律法を守ったことがない」とユダヤ人たちを断罪し…

この言葉に怒りを燃やしたユダヤ人たちは、ステパノを殺そうと周りを取り囲む。

そして身の危険を感じたステパノは、天を見上げこう言う…「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」…と。

神を冒涜することばと捉えた彼らは大声で叫びながら耳をおおい、ステパノを町の外に追い出して、石で撃ち殺してしまう。

体中の激しい痛みと遠のいていく意識の中で、ステパノは祈る。
「主イエスよ。私の霊をお受けください」そして、また
「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」とも…。

命を奪おうとする者たちに囲まれて天を見上げた時、ステパノはイエスと同じ苦しみを受けることの喜びと感謝の思いで満たされ平安に満ちていたとも…。

2014年、イスラエルに行った際 エルサレムの神殿に入るいくつかの門の中、「ライオンゲート」から入場。

キリストイエスが十字架の拷問にかかってなお…
「父よ。彼らをおゆるしください。彼らは自分が何をしているのか自分でわからないのです」と言ったのと同じように

ステパノも、この「ライオンの門」の外に出されて、大きな石をぶつけられながらも 天を見上げ…平安に満ちていたのかと思うと、2000年も前の出来事ながら、光に包まれたステパノがその場にいるようで、何とも言えない氣持ちになったことを覚えています。

そして、ライオンゲートを通るとき、そっと門に手をやり 傷つきながらも光に満ちたステパノをギュッと抱きしめさせて頂きました。

スピリチュアルな世界で伝わるライオンゲートと聖書の中のエルサレムの神殿に繋がるライオンゲートが 繋がっているのかどうかわからないけれども、

今日ゲートが開き、どんな理不尽なことも 殉教者ステパノの様にまっすぐに光輝く方に向かって歩む強さを持っておきたいと改めて感じる

2017年8月8日満月の日でした。

∞の∞の日に感謝(^^ゞ

 

10の言葉

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^。^*)

毎月「生命の光」という キリスト聖書塾が発行している小冊子が我が家に届けられます。

冊子の中には、キリストの幕屋を開いた手島郁郎氏の聖書講話が記されており、今月届けられた小冊子の講話は、1973年7月1日に東京全国町民会館でお話しされたもの…。

時がたっても色褪せない真実への扉。

私自身、聖書に触れるようになったのは、エドガー・ケイシーと三重の赤塚さんの影響から…

地元のプロテスタントの教会に2年半毎週日曜日の礼拝にも通い、

そしてその後 赤塚さんの紹介で松山の「キリストの幕屋」で長年伝道されている竹下仁平先生からも毎月一度我が家で聖書の勉強会が始まり…

そして、2年前 赤塚さんが名古屋で聖書講座をされるということで、毎月名古屋まで通わせて頂き…その後長崎や神戸の聖書講座へ…

そして今は、どこに勉強に行くことも無い私の元に毎月届けられる「生命の光」は、届くのが楽しみでもあり…

そして、この今月届いた「生命の光」の中に 書かれてあったモーゼが受けた「十戒」のお話。

大阪に住んでおられる伊藤正明さんと言う方の随想のなかに、十戒のことが書かれてあり、聖書(口語訳)の中には

・あなたはわたしのほかに、なにものも神としてはならない。
・あなたは殺してはならない。
・あなたは姦淫してはならない

と十戒のすべてが「~してはならない」「~せよ」と、命令形で訳されているけれど、

原文では、未完了形の動詞が使われていて「あなたは 殺さないであろう」「あなたは姦淫しないであろう」とも訳せるのだとか…。

そして、なぜそう訳した方が良いと思ったかと言うと 十戒の前提となる前文に

「神はこのすべての言葉を語って言われた。『わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導きだした者である』」…と、書かれてあり。

今から3千年以上の昔、イスラエルの民はエジプトで奴隷となっており、その苦しみから天に向かって祈った時、彼らを救い出し、乳と蜜の流れるよき地に導いたのは、主なる神だったと…。

そんな神の憐れみを受けた者なのだから、神さまは
「あなたは他の神を拝んだりしないよね。人を殺したり、姦淫したりはしないよね…」というのが、十戒の土台となる心ではないかと…伊藤氏は書いており

アーメン…アーメン…あ~ホントそうだな…と。

ちなみに十戒と言う言葉も、ヘブライ語では「アセレット ハディブロット」➟「10の言葉」と言うらしく戒律とは違った意味を使っているのだとか…。

どの家庭の親も「うちの子がそんなことをすることは無い」と思うのが親心」でもあり…その思いを受け育つのが子供。

聖書の神さまは、一人ひとりを生まれる前からずっと知っててくれていて、赤塚さんの聖書の勉強会で伝えてくれた神さまは、「~だから愛する」なんていう条件の付いたちっぽけな神さまではなく

「I LOVE YOU,BECAUSE YOU ARE YOU」
「私はあなたを愛する なぜなら あなたは あなただから…」と…。

今月届けられた「生命の光」のこの十戒の訳に神さまの温かさと深い愛を教えて頂きました。

①あなたには、わたしのほかに、他の神々があることはないよね。

②あなたは、自分のために、偶像を造ることはないよね。ましてやそれらを拝むことも、それらに仕えることもないよね。

③あなたは、あなたの神、主の御名をみだりに唱えることはないよね。

④安息日忘れることはないよね。また聖なる日であることもわかっているよね。

⑤あなたは父と母を敬い大事にするよね。

⑥殺したりなんてしないよね。

⑦姦淫したりもしないよね。

⑧人のモノ盗むなんてしないよね。

⑨あなたの隣人に、偽って証言なんてしないよね。

⑩あなたの隣人の家をほしがるなんてしないよね。

信仰とは、信じ仰ぎ見る何か…

私たちが信じるように、天の神さまもずっとずっと信じてくれてるんだな~と思うと、なんだかワクワクしてきます。

イエスさまが言われた
「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」という主の戒めでさえも…

「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主はあなたを愛してるよ。」とも 受け取れるかも…。

そう思うと、もうひとつイエスさまが言われた戒め
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と…言う言葉でさえも

「あなたの隣人もあなたと同じくらい私は愛してるから嫉妬しないでね」とも取れるかも…。

聖書も誰から学ぶか? どんな風に感じるか?で大きく解釈が変わることもあり…

私自身、初め教会に行ったことも無駄ではなく、また幕屋の竹下先生、三重の赤塚さんの聖書講座 またエドガー・ケイシーや 「生命の光」を通して学ばせて頂けること…

本当に「神は愛なり…」と改めて感じさせて頂きました。

 

 

 

やまと心の火…燃えるとき

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

戦後72年目の8月6日広島県呉市での赤塚さんの講演会主人と参加して参りました。

4ッつのお願いから始まって…糸川先生のお話…イスラエルの話…聖書の話…万穂ちゃんのお話…建国の話…9・11報道の裏側の話…戦艦ミズーリのお話…昭和天皇・今上天皇の玉音放送のお話…勤労奉仕のお話…上島先生からのペリリュウ島の話…巡視船あきつしまのお話…等々

もうこのお盆の月に、しかもあの卑劣な原爆投下で多くの市民が犠牲となった日に、広島で…天から赤塚さんにあれもこれも…と、オールキャストの方々のお願いに応えるようにお話される赤塚さん。

あっという間の2時間半!

何度も聴いたお話だけれど、その状況が目に浮かび…じわ~っと湧き出る涙。

テレビはもちろん、学校でも教えてくれない数々の本当のこと。

終戦の日まで祖国の為に戦い散っていった英霊の方々が…

暑い暑い中…壕の中に投げ込まれた火炎瓶によって奪われて逝った命が…

そして、原子爆弾によって一瞬で失った尊い命の数々が…

年間3万人以上もの自殺者を出すこの日本に今も警告を鳴らし…赤塚さんを通して熱い思いが伝えられていきます。

会場に集まった100名近い方々が、目頭を熱くし 知らなかったことを知り…やまと心に「ポッ」っと火が灯っていくのが伝わってきました。

帰り道、先月も通って帰った山陽道の尾道で 道を間違えたおかげで、 西に見える夕焼けと、南の空に赤く光る満月に近いお月様にも出会わせて頂きました。

72年前の朝、投下された爆弾の後の焼け野原に立ちつくし またその場を遠くから知った者達は、あの日どんな思いで夕焼けや夜空を見たのでしょうか?

そして、3日後に被災地となる長崎を…誰が想像したでしょうか?

平和が当たり前でないこと…。平和を祈り続けている広島は大きな犠牲を受けたからこそ 見つけた小さな平和へのともし火のかけら…

このともし火をずっとずっと繋げていく広島の人々の思い…また日本人が大切にしないといけないモノの数々を今日原爆の日に感じさせて頂き、

改めて…

「どうか安らかにお眠り下さい」…と祈ります。

 

 

 

 

 

原爆投下前夜

太陽院院長 近藤 千恵子です!(^^)!

明日6日…72年前世界で初めての原子力爆弾が広島に投下された日。

明日、命が無くなるとわかっていたら…

以前目にした1989年にアメリカ・ケンタッキー州出身の詩人ノーマ・コーネット・マレックが10歳で亡くなった息子サムエル君に捧げた詩

「最後だとわかっていたなら(Tomorrow Never Comes)」

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう 

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を 
どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを 
しっかりと抱きしめよう   そして 
その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば 
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

熱い熱い夏の日、思いもよらない出来事。

やるせなく悔しい思い…怒りさえも持っていたかも知れない残された人々。

そして、何度か広島を訪れたことがあるけれど、いつも「静かな町だな~」と感じてしまう。

明日は、呉で三重県津市の建設会社社長 赤塚さんの講演会。

広島に原爆投下された日の講演ということで 主人と一緒に行って来ようと思います。

後悔しないために…

 

 

 

 

 

 

最高の笑顔はすべての健康から