「縁」カテゴリーアーカイブ

婚活♡

今日、夕方5時から10時まで、市内のゆったりカフェで行わえた婚活イベントのボランティアやってまいりました!!

3年前、愛媛県が行う「愛媛結婚支援センター」のボランティアに登録。

市内で行われる婚活イベントをサポートさせてもらってます。

と、言っても3年間で参加したボランティアはまだ今日も含めて4件。

今日は、女子12名 男子18名の設定での女性には嬉しい設定。

結果は、9組のカップル成立。

そして、今回のボランティア2人で  今日成立したカップルのフォローが始まります。

私は4組のフォロー。

実は、2年前の婚活イベントで成立したカップルのフォローもまだ継続中だったり…。

根がおせっかいなだけに、どうか素敵な人生のサポートをしたい!!という思いから、ボランティア登録。

ただ、イベントのフォローは  メールだけのフォローなので、なかなか踏み入ってサポートするわけではなく、じれったいような…。

36歳で結婚した私は、早い結婚でもなく本当に母親は「この娘を嫁にやらないと勤めが終わらない!」といった感じで、本当に釣書を手裏剣のように配り…。

でも、今思うのは 本当の親孝行というものは、ひとつの家庭を作り 孫の顔を見せてあげることなのかも…と。

命には限りがあります。

そして、多くの場合  時が来て、年老いたものから天に還っていきます。

後に残る家族が、どんな風に生きていくのか?

我が子の幸せを願わない親は無いと…。

そして、親の有難さを感じられるのは、やはり同じように自分自身も親になったとき…なのかも知れません。

そして、今の時代だからこそ  自分の好きな人を色々な出会いの中から選び結婚できるけれども…。

50年前やもっと前の女性から見れば、なんて羨ましい時代なんでしょうか?

私の母も、主人の母も  お見合いで1回か2回会っただけで結婚。

主人のお母さんなどは、お父さんが長男だったので結婚すると、お姑さんはもちろん小姑さんたちまでもいて…。

そんな中、3人目を身ごもったとき「あんた3人も産むの?」って聞かれたとか…。

きっとお母さんは何もその時言わなかったと思いますが、私が結婚するときその話をしてくれて、その時  ボソッと言ったのが

「自分は7人も産んでるのにね!!」と…。

普段なかなか親孝行も出来ない私だけど、先日介護保険の申請をしておくことになり、一緒に病院へ行った帰り  「甘いものでも食べよ」っていうことで、一緒にジョイフルへ!!

ふたりで、甘いもの食べながら「ふぅーーーー」とため息。

お母さんの長い長い人生の中、動き続けフッとする間もなく過ぎていった年月。

お父さんと似ている、私の主人。

二人とも、優しいんだけど、なんだかんだ嫁がやって当たり前!!と思ってるところがあるようで、そんな愚痴も二人でこぼしながらのコーヒータイム。

一昨年の11月22日、エドガー・ケイシーの光田先生と奥様で作詞家の吉元由美さんに愛媛に来てもらっての「いい夫婦の日講演会」開催させてもらった時 感じたのは…

全く住む世界の違うふたりを、不思議な形で出会わせる何か見えない大きな力。

そして、「目が覚めるとそこに道場がある」という旦那様に、由美さんも反撃。

本当にいい夫婦だな~と、思わせていただきました。

今日、カップルになった9組が、これからどう寄り添い、どうお付き合いしていくのか?

私も母のような氣持ちで見守らせていただきます。

ただ、本当に女性は出産という〝大いなる神さまへのボランティア”を出来る身体があり、その出産もひとつの卵子と1個の精子が結びつくことで初めて生まれる命。

私自身、40歳を過ぎて不妊治療に行ったとき、女医さんに言われた言葉が、「40歳を超えると、子供自体がリスクを大きく背負って生まれる場合も多いからね」と…。

初めて生理を迎えてから、毎月毎月訪れる排卵。

昔の人は、16歳くらいで出産することも普通で、しかも8人も9人も出産することも…。

今は、晩婚の人も多くなり  そして私もそうだけど、結局子供に恵まれない人も…。

勝手に生理のある間は、出産出来る!!と思い込んでた私自身の無知。

一か月一か月…排卵ごとに、卵の鮮度は落ちてくる現実。

1年間で12回しかない排卵。

どうか、多くの独身女性が知ることで、この美しい大和の国に新しい命をどんどん誕生させてもらいたいと願います。

結婚は、どんなにこの人が一番と思っても、きっと…たぶん…違うところで生まれ暮らしてきた者同士、生活の中どこかで何らかの???が生まれてくるものだと思います。

そこをどう解決していくか?

「結婚は最大の修業の場」

病めるときも、健やかなるときも…お互い愛を学び実践していくこと。

この広い広い地球に生まれたお互いが、かけがえのない尊い魂の存在だから…。

 

 

 

 

言葉の波動

今日、「数波勉強会」に参加してきました。

2か月に一度の数波勉強会は、言葉遊び。

ひとつの言葉、例えば「菜の花」と入力すると、コンピューターによって数波方程式が導き出され、同じ波動を持つ言葉が色々導き出されてきます。

「菜の花」=〝結ばれるご縁のエネルギー”や〝みんなが幸せになるエネルギー”とかの言葉と同調…

「近藤 千恵子」=〝一隅を照らす”と同調。

私自身、生まれたとき 千恵子という名が付けられ、安藤姓から近藤姓に変わることでまた氏名が変わり、使命も変わり…

「一隅を照らす」を意識して生活することで「近藤 千恵子」を生きる。

ちなみに旧姓「安藤 千恵子」の時の同調言葉は〝新しいことを追及していく”や〝運命は自分が舵を取っている”

うちで取り扱ってる「水素風呂リタライフ」=〝伸び伸び育つ”とか〝病氣ゎ自分で治す。これ基本”…と!!

同調する言葉はたくさんあり、その中から自分でピンとくる言葉をチョイスしていくのも楽しいひととき。

聖書の中、イエスの弟子でいちばん長生きしたというヨハネが書いた福音書には

「初めに言葉があった」と書かれ、そして「言葉は神であった」と…。

この「初めに言葉があった」は数波言葉では

○初めから調和だった
○一人で悩んでいないで
○内なる自分との対話
○生きてるだけで有難い…などなど

「言葉は神であった」は

○ゴールドの手帳を持つ
○大切な人を愛するために生きていく
○氣付いた時がスタート
○生まれてくれてありがとうね…と。

そして、今日は数波言葉の繋がりを再認識。

今日、部屋に飾られた「菜の花」が参加者へどんなメッセージをくれるのかと入力したところ

○2/3が動く
○人生が輝く…と。

人間が決めることは出来ないけれど 実際起こることがあることは 見えない2/3の世界からのモノ…。

そして菜の花を飾ったことで、2/3が動き…人生が輝くと!!

しかももう少し発展すると唱歌「ふるさと一番歌詞」と調和言葉が出て来て…

みんなで飾られた菜の花と桜、スイトピーを見ながら

兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて 忘れがたき ふるさと 

…と、「ふるさと」合唱♪

さらに、各々の名前の大切さについても教えていただきました。

名という漢字は、夕ぐれの「夕」に「口」

ウィキペディアで調べると夕は肉の意味。そして口は神器。

「名」の数波言葉は

○何を知るかで決まる
○名の存在は声なり…と。

最後に「千恵子」で同調言葉を調べてみると

○常に生き生きしていること
○想いを貫き通すこと
○一生遊んで学ぶ
○お祈りと感謝と愛と…等々

今日、名の大切さを伝えてくださった松山の岩本さんは、関わる人に「言葉の処方箋」をプレゼントしてるそう…。

私も、出会う一人ひとりが生き生きと輝ける毎日となるように、活用していこうと思います。

数波のこともっと知りたいかた…「スーハ」で検索してみると出てきます。

調和コトバ検索は、別途有料ですが…。

ちなみに、次回西条での数波勉強会は
5月の第2土曜日13時~16時半まで
西条地域創生センター3階 第2研修室で開催です!

数波開発者の渡部  晋三氏(通称ゆうじん先生)も来られての勉強会は、良いです!!

 

 

親離れ

今日  市のファミリーサポートからの依頼で、近くの公民館で行われる「子育てサロン”タイ式ヨガ”」の託児サポートしてきました。

朝1時間ちょっと…

生まれて6ヶ月の子から2歳半くらいまでの  子供達12人を5人のサポーターでサポート。

お母さんと離れるときの  あの不安な表情…かと思うと、離れた途端氣になるおもちゃの方へ向かい遊び始める子供や

少しグズりながらお母さんとバイバイし、その後ずっと抱っこされながら寝てしまう子や

離れてから最後まで泣き続けてる子も…

家の中、ずっと子供と一緒にいるお母さんたち

言葉でまだ伝えることが出来ない子供達は、表情や泣き声で 伝えることしか出来ないし、ムズがる我が子をもて余すことも有るかも…

実際、私自身は子供に恵まれず  赤ちゃんや子供達を  365日24時間関わり育てたことがないので、その苦労は想像することしか出来ないのだけど…

以前、ファミリーサポートの勉強会で「人見知り」は母親の愛情がしっかり伝わってる証(愛情の刷り込みの成功)だと教えてもらったことがあります。

別に人見知りしない子が、愛情を与えられていないわけではないけれど、日頃ずっと側に居てくれる絶対的な存在。

その100%いや100%以上の信頼を寄せてもらってるお母さんって幸せだろうな~と

我が子を持てなかった私は  タイ式ヨガを終えて迎えに来たお母さん達の胸に

「待ってました!」とばかり飛び付き抱かれて帰っていく子供達を見送りながら 羨ましくも感じました。

子育て真っ最中のお母さんやお父さんは  日々の子育てで  精一杯かも知れないけれど、

「3つ子の魂100まで」と言われるように3歳までの無条件の愛を受ける時間の大切さ…

甘えたいときに甘えられなかったり、見ていて欲しいときに側にいなかったり…

ずっと前に受けた 高橋史郎先生の「親学」の勉強会の時、最近多い”発達障害”は親の愛情や目線で解決できるとも…。

今日、サポートしているときにも  チラチラっと確認するように 大人達の顔をみる子供達。

今、目をみて話の出来ない子供達や落ち着きのない子達は、すぐに発達障害と判断され  治らないとも言われているようだけど

授乳期や幼児期に しっかりと子供達の目をみて また姿を追ってみていることで軽い発達障害は改善されると聞きました。

確かに おっぱいを飲んでる間にメールチェックとかしてしまいそうだけど、一番愛情を伝えられる授乳時…大切だな~と。

「言うは易く 行うは難し」

どうかどうか 今子育て中のお母様方…あなた方を選び生まれ、100%以上の信頼を寄せてくれてる我が子達

いっぱい愛して  たまに疲れた時は、私達サポーターにお任せ下さい♪

甘えたり  抱っこされたりも  きっと あっという間。

そして、いつか親離れし  注がれた愛情は  友達や多くの出会う人々に  注いでいくことに…

 

 

ミシン

私の母の姉になる叔母は、昭和6年生まれ 今年86歳。

ずっと独身だった叔母は、若いころは洋裁をし生計を立て、既製品が出回るようになった頃、市の社会協議会でヘルパーの仕事をしていました。

わたし達三姉妹のお揃いのワンピースや中学、高校の制服もずっと、叔母が縫ってくれていました。

メジャーでサササッと、丈や首回り、肩幅を図り出来てしまう洋服は、本当に魔法のようでした。

私は、まったく洋裁に興味もなく、家庭科の授業でパジャマやブラウスを作るのも なんとか形になってたくらい。

そんな叔母が、6年程前 認知症にかかり、グループホームへ。

そして、叔母の家の中を片づけた時 持って帰った足踏みミシン。

電動ではなく、カタカタと足を踏み動くあの昭和のミシンは、洋裁に興味ない私でも 懐かしく 手放すことが出来ず 我が家へ持ち帰って来ておりました。

玄関に置き、訪れる人は「わっ!!懐かしいミシン」と言って、このレトロなミシンを見ておりました。

そして 今日 ミシンの上だけ欲しい!と言う人がいて、覗いてみると 2個のねじで止めてあるだけ。

マイナスのドライバーで、外してみると 簡単に外れ 永年、台の上に鎮座していたミシンは、隣の街のおしゃれなマダムのお家にお嫁入り。

そして、ミシンが外された台はテーブルにちょうどいい高さ。

ポッカリ空いた ミシンが鎮座してたところは ガラス板でも置くとおしゃれな感じ…かな?

 

長いあいだ、叔母と共に生きて来たミシンは また違う場所で輝き、

そして残ったこの台は、毎日訪れる人との楽しい時間を共に過ごすことになりそうです。

母の姉妹の中、ひとり残ってる叔母。

病気が、叔母の記憶をどんどん忘れさせていくけれど、わたし達3姉妹に精一杯してくれたこと…時には口うるさくも感じた時もあるけれど、大切にしてくれた思い出はずっと胸の中生き続けます。

今日は、美空 ひばりさんの「人生一路」

 

 

 

 

 

 

同行二人

弘法大師空海が開いた「四国88か所」

徳島の1番札所から高知、愛媛、そして香川の88番札所までの88ケ寺を弘法大師様と共に参る「同行二人」の巡礼。

2016年には、四国遍路1200年を迎えました。

今日、高松から帰りに、ふともう15年ほど前になるお遍路さんとの出来事を思い出しました。

ちょうど、主人の大阪の友達が新婚旅行も兼ねて四国88か所を回ってる中、西条では我が家も遍路宿のように泊まってもらい、数日間我が家を起点にお遍路。

香川県の66番札所 雲辺寺に行く日は 一緒に行かせてもらい、帰りJR箕浦駅にあった「うどんやさん」でおうどんを食べ、隣の古びた駅舎の方に行ってみた所、お遍路さんが構内に。

無人駅なので、その日の宿に選んだ歩き遍路さん。

88番札所からお参りする逆打ちの遍路中で、その日わたし達も訪れた雲辺寺に、ロープーウェイを使わず下から登って行く際 みつけたという「アケビ」を私たちにも分けてくださり

お礼に、まだその頃テレフォンカードが使われていたので、カードを御接待。

新居浜市に施術院を置いてた頃だったので、新居浜を通る時には連絡下さいね…と。

それから、数日たったころ お遍路さんからあの時のテレフォンカードのお礼も含めて電話いただき 数日泊まっていた新居浜の将棋会館に迎えに行かせてもらい その後施術院まで、

カイロの施術と無洗米を御接待させて頂きましたところ、お礼にと自らの句集とカメラマンさんが写してくれたという写真集まで頂き、よく話を聞くと、歩き遍路では有名な方らしく

みんなからは「遍路 幸月さん」と呼ばれているそうでした。

リヤカーに荷物を乗せ、365日歩いて…歩いて…春も夏も秋もそして冬も…。

ただ、新居浜の将棋会館では 色々と良くしてくれる人がいて、何日か泊めてもらえるらしい。

四国の中、もう何年もお遍路さんを続けている幸月さんには、私の想像も出来ないような人との大切な絆が生まれているようでした。

そして、その翌年にNHKの全国放送のドキュメンタリー番組で、遍路幸月さんが1時間番組で特集され…びっくり。

私が出会わせてもらった時も、かなり高齢で足腰も弱っており それでも歩き遍路を続けておられる幸月さんの1年を追いかけたドキュメンタリー番組は、我が子の冒険を見るような 他人事とは思えない感動を覚えたものです。

そして、その放送から数週間経った時 いきなり「幸月さん逮捕」という新聞記事。

あの箕浦駅で一緒に幸月さんと会った、大阪の友達夫婦も NHKの番組やこの逮捕という記事に驚き、連絡が入ったほど…。

なんと、大阪で傷害事件を起こし 逃走しながらの四国遍路。

ちょうど新居浜のうちの院に寄ってくれた時、お話させてもらった中で、「母親の葬式にも帰ってないんだ…。」と話されてたことも聞いており、

お母さまの死後、四国遍路の道を選んだのかも知れない。

偶然出会い、言葉を交わさせて頂き 幸月さんのことを少しでも知ってる私たち夫婦は、この逮捕されたことに逆に色々な事から解放され、獄中では冬の寒さや 夏の暑さ、雨や雪…また食事の心配をしなくて済むことに安堵した気持にもなったほど…。

全国放送で放映される際、幸月さんは本名を告げられたそう…。

ちょうどその番組を見ていた、事件当時大阪にいた刑事さんが 千葉の自宅でテレビを見ていて、わかったのだとか…。

幸月さんも、きっと救いの手を求めてたのかもしれない…。

もう何年も何年も、四国を歩き罪を償い懺悔してきた者に、神さまが愛の手を差し伸べてくれたのだと思う。

あの頃、この逮捕劇に幸月さんを悪く言う人もいました。

何度も四国を回っていたので、御接待をしていた人も 「犯罪者だったんだってね」と…。

当然、人を傷つけたり 殺してはいなくても逃走することは許されないことではあるけれど、その逃げ延びてる間 毎日事件のことは忘れられなかったことだろうと…。

そして、九州のお母さんのお葬式に行けなかったことも…。

その後、何年刑務所に居たのか?

今、生きているのか…?

全くわからないが、今日インターネットで調べてみた所 2003年6月27日にNHKの番組が放送され、7月10日に新聞に逮捕の記事が出ていたようで、

逮捕された時の年齢が80歳。14年前ということは、今生きていたら94歳。

他のひとのブログには2010年に新居浜に住む幸月さんの所に泊めてもらったとも書かれてあり 今も、生きていてくれてるとしたら残りの人生 誰かのために自分の出来ることを精一杯されているのでしょうか?

私がお会いした時も、新居浜の将棋会館で数日お手伝いをされていたので、近いうち将棋会館訪ねて行ってみようかな~とも思わされます。

今日は、新月。

幸月さんも 闇の中にいる時 光を与えてくれるお月様に幸せを感じ、自身の呼び名を「遍路幸月」とされたのでしょうか。

人は、自分が望む以上に天から望まれて生かされているということ。

死にたい夜もきっとあったはず…。

生きたくても生きられず病で旅立つ人もいる。

今、いる奇蹟。

四国を巡るお遍路さんの胸の内には、きっと抱えきれないほどの悲しみを背負った人もいるかも知れないけれど、

どうかこの四国、弘法大師さんと同行二人、一筋の光を見つけ 命ある限り生きること…生き切ること願ってます。

もうすぐ3月。菜の花や梅や桜の花のもと、お遍路さんの鈴の音が響く良い季節。

今日の歌は、「糸」Bank  Bandでのカバーです。

 

 

 

 

まだ見ぬ世界

私が小学生のころ、夏 テレビで「あなたの知らない世界」という特集が組まれてました。

お化けや幽霊…見たことはないけれど 見えない空恐ろしい世界をテレビで再現。

怖いもの見たさのような感じで見ていました。

40年以過ぎた今、世相も思想も大きく変わり

スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんの「オーラの泉」という番組も深夜からゴールデンタイムに放送され

前世であったり、見えない世界の存在が当たり前だと思う人も増えてきて…。

私自身も、人は輪廻転生し、魂は永遠不滅の高貴な存在。

この世で起こることは偶然ではなく、必然。

目に見えない世界からのエネルギーがあること。

あなたの知らない世界ではなく、誰もが魂の深い所で知っている世界。

この未常識であった、見えない世界。

そして、死んだ人は帰って来たことはないけれど、しっかりと想像できる死後の世界。

こんな証明できない世界までも、しっかりと理解することの出来る時代。

今、まだ世の中では当たり前になっていない商材「水素風呂」を太陽院で取り扱い始めて1年。

実際、使ってもらってるユーザーさんからは、

「春になると花粉症に悩まされるけど、まだ症状が出てないな」とか

「お風呂から出ても、ずっとポカポカ…湯冷めしない」とか

「髪の毛も肌もしっとりしてくるね」とか

「湯船の掃除が簡単になった」とか…色々。

私が意図するものではなく たまたま巡り合った水素風呂。

初めは半信半疑。

高松や高知にも水素風呂の説明会聞きに何度も行きました。

四国という土地柄もあるのか、本州と繋ぐ橋も3本通り 情報もネットやテレビを通じて瞬時に伝えられる今でも、まだまだ未常識な水素風呂。

誰かが使わないと安心できなかったり

他の人と違うことや、未常識な世界を信じたり、一歩踏み出す勇氣を躊躇してしまう人たちも…。

自ら、取捨選択できる自由な時代。

昔のように小売店が流行らなくなり、大型店で 誰かと繋がることなく、お肉や野菜、魚を手に入れる今。

一方で、みんな みんな みんながそうなら…と、自分で決められない現実。

カイロプラクティックを始めた20年前も、カイロって何?

温めてどうするの?

とか、知らない人が大半。

ちなみにカイロはギリシャ語で「手」 プラクティックは「技法」と言う意味。

実際、スキー仲間などは スキーやってる私のことは認めるけれど、カイロの施術は???って言う感じで、

聖書の中、30歳まで大工だったイエス様も自分の育った町ナザレでは、「あれは、ヨセフの息子」「大工のイエス」と、天からの命を受けたイエス様のことを全く信じることが出来ず…。

先を見る目。

真実を知る目。

今日、高知の自由民権記念館に水素風呂の事業説明会あり、行ってきましたが、この会館の名前「自由民権運動」の始まりとなった 坂本龍馬。

「日本の夜明けぜよ」

と、龍馬が、脱藩し命をかけて目指した新しい世。

まだ常識ではない未常識な世界への第一歩。

今日、春のようなポカポカ陽氣の高知を訪れ 女子3人帰り道、真っ赤に燃えて沈む夕陽を 浴びながら この先どんな世界が用意されているのだろう…とわくわく。

動ける今。

動いた者だけが、体感できる心のトキメキ。

「世の人は  我をなにともゆわばいえ   我成すことは  我のみぞしる」

龍馬の息吹と沈む太陽の光を受けながら

あーだ… こーだ… と、夢を語れる仲間がいること。

同じ景色を見て、ワクワクできること。

遠くには彩雲も姿を見せ、天からの応援に歓喜をあげながら あっという間の時間。

まだ誰も知らない世界を作り上げる楽しみ。

信じるのは自分の内側から湧き出る直感と経験だけ。

電子レンジが各家庭に当たり前に置かれて行ったり、携帯電話が中学生小学生でも持つようになったり、

お茶やお水が売られるようになったり…と未常識が常識になっていったように、一家に一台水素風呂の時代が来る日も近そうです。

今日の歌は、米米クラブ「浪漫飛行」

 

克っちゃん♡

ぞろ目の…222。

数字が続くと何だかいいことが起こるような氣がする

今日は、2月22日。

この日を、にゃん にゃん にゃんの日と呼んでた克っちゃん。

昨年のこの日、天に還ってしまった克っちゃん。

お昼、花屋さんでピンクのチューリップを買ってお家を訪ねて行くと、98歳のお婆ちゃんが出迎えてくれ、

ありがとうね~。今、お母さんお墓に行ってるから、ちょっと待っててね…と。

42歳で天に還って逝った克っちゃんの自慢の婆ちゃん。

LINEのプロフィール写真も婆ちゃんの笑ってる写真。

克っちゃんの願いは、婆ちゃんが100歳まで笑って暮らしていること。

克っちゃんの願いは、両親が共に笑っていてくれること。

お父さんが、昨年頸椎の手術を受けることになった時も、一番心配してた克っちゃん。

自身が倒れる日の昼間も お父さんに術後の頸椎の具合を聞いていたとか…。

無口なお父さんは、「うんうん」って言っただけで、きちんと答えなかったことを悔やんでいると…。

今日、お花屋さんに行った時、一目でピンクのチューリップが飛び込んできて、「あっ!克っちゃん!!」と…。

迷わず手に取った かわいいピンクのチューリップの鉢植え。

お婆ちゃんが、「克っちゃん、チューリップ好きでね~。昨年、亡くなった時も、克っちゃんが植えたチューリップが花咲かせて  それを見るとツラかった…と。

昨年の2月22日と言う日を選び、天に還った克っちゃん。

ちょうど、私は2月21日から始まった赤塚さんの長崎での聖書講座を受けて、夜行バスで帰ってきた日。

いつも一緒に色々と手伝ってくれてた由香里さんも、沖縄でのアクセスバーズの講習会を受けて帰ってきた日。

23日、お通夜まで誰も克っちゃんがこの世からいなくなるなんて信じられず、お通夜に参列して始めて、近しい人たちに回ってきた訃報。

私に連絡が入ったのは、夜8時を過ぎた頃 由香里さんから…。

「今、良いですか?」と…。

運転中ながら、「いいよ!!」と…。

ちょうど、往診から帰ってきている途中…。

「克江さんが…」

「えっ…克っちゃんが何?」

「克江さんが、亡くなったんです…」と。

・・・・・・・・・・。

えっ!!!!!

2月11日、建国記念の日の記念行事に石鎚神社の会館で一緒に手伝ってくれて、その時愛車のFIATの調子が悪いと言ってたけど、本人はあんなに元氣だったのに…。

終わった後も、一緒にコーヒー飲みに行って  おしゃべりしてたのに…。

晩御飯もそこそこに、克っちゃんの家に…。

お通夜も終わり、お父さんとお母さんと棺に入った克っちゃん。

「ウイルス」が原因だったらしくて、夜  突然家で倒れて病院に運ばれて行ったとか…。

自宅で、しかも42歳という若さだけに、お母さんなどは警察の人に第1発見者と言われ色々聞かれたんだとか…。

病院に運ばれてから、数日意識不明の状態が続き、息を引き取ったのが昨年の2月22日だったとか。

その後、解剖の結果原因が「ウイルス」だったとわかり、お母さん自身原因がわかったことにひと安心。

大事な大事な娘が倒れ、たとえ仕事とはいえ犯人扱いされてきたお母さんやお父さんの心情。

いたたまれない思いもたくさんあって、やっと我が家に戻ってきた克っちゃん。

「ウイルス」なんて目に見えない、どこで  どう入ってくるのかわからないモノに、ひとりの命が無くなったこと。

共に我が家での聖書の勉強会にも始まった時から最後まで一緒に学んできた克っちゃん。

始めて神さまへのお祈りの言葉を言う時

「お父様・・・」

と言ったあと、笑いが込み上げて もう次に言葉が出なくなり そのまま次の人に…。

でもあの時の克っちゃんの 胸の中 魂の奥深いところからの歓びが あの止まらない笑いだったこと…私は知ってます。

本当に神さまが克っちゃんを私に出会わせてくれて共に歩み学べた数年間。

伊勢の五十鈴川の禊も6月と12月両方とも体感。

皇居の勤労奉仕も共に参加し、天皇皇后両陛下の御会釈も賜り…。

西条でのケイシー講座も、赤塚さんの講演会も いつも気持ちよくお手伝いしてくれて、我が家での聖書の集会後は、終わった後 夜中の1時、2時まで共に語り合い…。

まだまだずっとずっと続くと信じてたこの世で共に過ごす時間。

命に限りがあることを教えてくれた克ちゃん。

今日も、主人と訪れ  お婆ちゃんやお母さんと克っちゃんの祭壇の前で 克っちゃんの話をいっぱいいっぱいしてきました。

想い出すたびに、今もすぐ傍にいる克っちゃん。

「人は2度死ぬ。」と、赤塚さんから聴かせてもらったけれど、肉体との別れは昨年。

そして2度目は克っちゃんのことを忘れる日。

きっと私の記憶の中から、克っちゃんのことを忘れる日はもっともっとずっと後。

ありがとう!!この言葉しか思い浮かばない克っちゃんへの言葉。

いつもいつもこの世で共に過ごした以上に、一緒に居てくれるような今。

にゃん にゃん にゃん と忘れられない日を選んで逝った克ちゃん…改めて ありがとう♡

今晩は、辛島 美登里さんの歌う「サイレント・イヴ」

青春

16年ぶりの友と、再会しました。

カイロプラクティックを共に学びながら、ちょうど介護のケアマネージャーの資格習得の為 忙しくなりなかなか合うことがなくなり16年。

8年前に自身で介護事業所も立ち上げ、今は所長となりイキイキと動いてる彼女の話に、あの頃と体系も変わりお互いおばさんになってしまったけれど、16年たっても変わらずあっという間の時間でした。

これから、また新たに繋がり、共に歩んで行くことになる彼女とのご縁に感謝。

その後、またまた数年ぶりに、花咲塾の1期生と再会。

今は、松山に住むという彼女の彼はフランス人。

英悟も日本語も苦手な彼女にとって、フランス語は一番しっくりくるんだとか…。

中学生時代もなかなかクラスメートとの距離や考え方に馴染めず少し不登校ぎみだった彼女。

人が人と出会うことの奇跡を思った時、きっと一生懸命生きてる彼女の前にフランス人の彼が現れたのも主の祝福。

しかも絵を描くことの好きな彼女にぴったりの、彼の家族。
お父様が画家だとか…。

彼のワーキングビザが3月で切れるらしく、もうこれで別れてもいいと言う彼女だけど、

色々聞いてると、本当に彼女の不器用な所も含めて守り、大切にしてくれる彼氏の存在は貴重。

日本好きの彼氏は、6歳の頃「7人の侍」を観て日本に憧れ、まずは京都に来たのだとか…。

そこで出会った彼女は、逆にフランスに興味あり 夢の中で第一次世界大戦のころドイツ軍に攻め入られた夢を見たこともあるとも…。

しかも、まだまだ21歳の若い彼女。

舞台は揃い、フランスへの一歩を踏み出すかどうかは、彼女が「決める」ことなのだけれど、

絵の勉強も含め、環境を変える絶好のチャンス。

色々、私が彼女と話してる中ずっと黙ってた主人が放った一言が…

「人間は環境の奴隷になってしまう」と…。

自分が変わりたければ、環境を変えることが一番であると…。

自分の身を置く場所によって、人は向上もするが、堕落もしていく。

カイロを教えてくれていた会長が「腐ったミカンは伝染する」と、いつも言ってたことを想い出します。

大きく一歩踏み出すか、このまま見送り美しい思い出で終わるのか…。

一歩踏み出すためには、NHKの朝のドラマではないけれど

「勇気」「愛情」「信頼」「希望」と四つ葉のクローバーが揃うことで大きく羽ばたいて行けるそう。

ただWikipediaによると、「希望」「誠実」「愛情」「幸運」の4つのようですが…。

そんなことはどうでもよいことで、出逢った人が自分自身の使命に氣付きイキイキと過ごすことが出来たなら嬉しいです。

いつまでたっても青春!
いくつになっても求め探し動く者の道は開かれる!!

今日、久しぶりに会えたふたりと話してるとき、ふと浮かんだ【青春】というこの詩

詩:サミュエル・ウルマン  訳詩:岡田義夫

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ

年を重ねただけで人は老いない
理想を失う時に初めて老いがくる

歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か

曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる
事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる

明日は、昨年42歳の若さで突然旅立った友の1周忌。

いつまで…と自分自身でも知ることが出来ない人生。

いつ、終了~とサイレンが鳴るかわからない現実。

「今」「この時」を、共に生きることの奇跡噛みしめて…。

そして歌は、「こころ旅」

 

 

 

毎日、パソコンのメールに届けられる日本エドガー・ケイシーセンターからの珠玉のメッセージ

手にあるものを用いるならば、より多くのものがあなたに与えられます。

手にあるものを使うなら、それを自分だけのために使うのでない限り、その日その日に充分なものがあります。

As ye apply, as ye make use of that in hand, more is given thee.
For, day unto day is sufficient, if use is made thereof; not to self, not to self alone.               (1206-13)


今日のこのメッセージは、10年前 我が家にとって凄く力をもらった珠玉の言葉。

うちの主人が2007年脳出血で倒れ、半身不随の状態になりながらも、たまたま翌年出会ったエドガー・ケイシーの言葉の数々。

倒れる前まで、機械の設計をやってたものの 同じ仕事に復帰するには色々困難もあり、そんな時に知ったこのリーディング。

「今、手元にあるものから…」

おかげさまで、右手と言語、そして頭脳だけは回復したことで始めた進学塾。


学生時代から「アメリカに行きたい!」という夢から、29歳の時 アメリカで小学校の先生の家にほぼ1年間、ホームステイ。

その間、小学生に日本の文化や風習を伝えたり 英語を学んだり…。


つい最近聞いた話ですが、昭和36年生まれの主人が29歳の頃なので、戦争が終わってまだ45年ほど。

ホームステイ先のホストファミリーにとっては、戦争の時日本人が命をかけて突撃してきたことが本当に信じられなかったようで、

日本から来た青年に

「国のために命懸けられるか?」…と、29歳の主人に問うたそう…。

その話を聞いた時、どう答えたかを、ドキドキしながら聞いていたけど「offcourse…もちろん!!」と…答えたそう。

そうすると、またホストファミリーのお父さんは

「really?本当??」と聞かれ、「yes!!」…と。

続いて「why?なんで??」と…。

その後の答えがかっこいいから、惚れ直してしまったんだけど・・・

なんと私の旦那様は、「なぜ命をかけられるか?」の問いに

「because … I  Love  Japan」 と…。

惚れてしまうじゃないの…って感じですが、主人の小学校の時の先生がいろいろ教えてくれていたと…。


そんな主人は、アメリカから帰国後、大阪の進学塾で3年間塾講師を経験もあり

ちょうど、広島で受講したケイシー講座で聞いた「今、手元にあるもので始めなさい!!」というリーディングを知り、

「塾、やってみる…」ということに…。

責任ある仕事に、私と結婚するときと同じくらい真剣な面持ちでしたが…。


元々、理系の頭脳に アメリカ帰り(1年だけですが…)の英語力。

そして先ずは、塾の名前。

私の「太陽院」と名付けてくれたはんこ屋さんにお願いして付いた名前は「花咲塾」・・・なんとも縁起の良い名前。

そして、始まった花咲塾。

今、手元にあるものから始めて丸8年。


子供のいない我々夫婦にとって、子供たちとの触れ合いは最高の時間。

嫁の私が言うのも手前味噌のようなアピールだけど、英語も理科も数学も一緒に教えられる先生って凄いと…改めて思う今日この頃。

神さまは、まだ終身雇用が当たり前のような時代に、退職しアメリカへ行かせ…。

その後、大阪の大手進学塾で就職させて…

そしてそして、旦那が倒れようが何が起きようが、めげない能天気なこんな嫁と出会わし結婚させたこと。

人生何が起こるかわからない!!


今日、携帯の方に送られてきたケイシーの珠玉のメッセージは

あなた方は肉体的な意識の中で、一度に一日しか約束されていない。

それを生かしなさい。それを乱用してはならない。

For ye are not promised more than one day in the physical consciousness at a time.Use it – don’t abuse it!              (5392-1)


聖書の中、出エジプト記に書かれたマナの話ではないけれど、

今日は今日の1日。

明日はまた明日の1日。


そして、もうかなり前チェーンメールで流行った「時間銀行」というお話をふと思い出したので、転記します。

次のような銀行があると、考えてみましょう。

その銀行は、 毎朝あなたの口座へ86,400円を振り込んでくれます。同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。

つまり、 86,400円の中で、あなたがその日に使い切らなかった金額は、すべて消されてしまいます。

あなただったらどうしますか。もちろん、毎日86,400円全額を引き出しますよね。

私たちは一人一人が同じような銀行を持っています。

それは時間です。

毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。

毎晩、あなたが上手く使い切らなかった時間は消されてしまいます。それは、翌日に繰り越されません。それは貸し越しできません。

毎日、あなたの為に新しい口座が開かれます。そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまいます。

もし、あなたがその日の預金を全て使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。過去にさかのぼることはできません。

あなたは今日与えられた預金の中から今を生きないといけません。だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。

そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を引き出しましょう。時計の針は走り続けてます。今日という日に最大限の物を作り出しましょう。

1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。

1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみると
いいでしょう。

1週間の価値を理解するには、週刊誌の編集者に聞いてみるといいでしょう。

1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。

1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。

1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。

0.1秒の価値を理解するには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。

そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、十分に大切にしましょう。

その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。

そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。

昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。明日は、まだわからないのです。今日は与えられるものです。

だから、英語では今をプレゼント(=present)と言います。

今日は、主人の好きな曲 EAGLES の「Hotel California」