「信仰」カテゴリーアーカイブ

霊の果実

日本エドガー・ケイシーセンターから毎日届けられる「珠玉の言葉」

肉体が食べ物を必要とするように、霊と精神にも食べ物が必要です。

It is just as necessary that there be food for the spiritual and mental man as for the physical man.

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私たちの身体の中の

ボディ(肉体)・マインド(心)・スピリット(魂)

よーし!頑張るぞ!!と、思ったとき 身体が動き、思いが溢れ、そして魂がわくわくと震える。

この魂がわくわくと震えるほどの、トキメキを人は何度経験するのだろう。

思いは、考え方 思考で、いい風に 変えることが出来る。

しかし、魂は本物にしかきっと反応しないし、魂に刻まれたツラい思いは簡単には癒えないのかも知れない。

そしてまた、喜びの記憶も…しっかり刻まれた喜びの記憶はブレずに生きる指針ともなりそうです。

そして、この魂の記憶が示されたものが「アカシックレコード」

人は、何度も生まれ変わり前世でやり残したことや、過去世での傷の修復や喜びの再確認をするのかも知れない。

過去世や前世の記憶が消されて生まれて来てるにも関わらず、人は逢うべき人に出会い、様々な経験もしていく。

そして、私の魂をいつも震わせてくれる聖なる書物…聖書。

数年前、私自身 津の赤塚さんの薦めもあり「幕屋」という無教会でのキリスト信仰の師に学ばせて頂いておりました。

そして、今は離れてはいるものの毎月「生命の光」という信仰誌が届けられ、その誌面に示された信仰者手島郁郎氏の言葉にもまた力を頂きました。

宗教は、人生の苦しみ、これをどう解決するかを一つの大きな課題とし、宗教によっては、この世に生きる苦しみ、矛盾に対し考えても仕方がないからと…諦め、悟るべきことを説いているけれど…

キリストの宗教はそうではなく、イエス・キリストは人々の苦しみを共に背負おうとし、その姿は十字架上の死によっていちばん深く表され…。

自ら傷ついてでも人々の苦しみを背負おうとする姿。

「私のさばきは正しい。ただ、父なる神の御心だけを求めているから、この世の常識や倫理、考え方、道徳と違うのだ」

と、いうキリスト・イエス。

また、「天の父は悪しき人にも善き人にも太陽を昇らせ、義(ただ)しき者にも不義な者にも  一視同仁、雨を降らせたもう神様である」とも…。

人の心の奥底に潜む「神性」

「自分からは何一つできない」というキリスト・イエス

しかし、長い間苦しむ者を見ると、その苦しみを分かち合い、背負い、その苦しみの中に自分自身も共に身を置き…癒す。

「血を流し、命を捧げた人たちの涙というものは、ただでは終わらない」とも言われる。

肉を十字架上に置き、身を以て示した 神のひとり子キリスト・イエス

…その生き方が示されている聖なる書には魂が震わされます。

触れることによって、傷ついた心も 乾いた霊も 満ち足りた精神にも多くの栄養を与えてくれます。

良いときも 悪いときも 富めるときも 貧しきときも 病めるときも 健やかなるときも…

どんな時も降り注いでいる神さまの愛と光…。

そして、その愛と光は信じ受けるだけ…。

食べ過ぎがないほど 常に受けることの出来る霊の果実の詰まった聖なる書…出会わせてくれた主に感謝いっぱいです。

 

 

 

グッドタイミング

今日、ふとあの方に会いに行くなら「今」だな!!…と、

思わされて、ちょっと長くかかりそうな事務仕事を置いて  準備。

そして、会いに行く前に電話した方がいいかな?と、思いながら携帯の電話帳みると 見当たらない!

まっ、電話かけるよりも  行ってしまおう!!…と思い、車を走らせた途端に電話が入り、スピーカーモードにして話しながら目的地へ…。

ちょうど  何だかんだ話して車で20分ほどの目的地に到着。

しかし話始めた私、途中で終われずそのまま駐車場で話しして、「流れのままに…」

建物に入った途端、ちょうどお客様を見送るところ…。

ジャストタイミング!!

かかってきた電話が長引いたのも…

行く前に電話をしなかったことも…

神さま…やるね  (*´ε`*)チュッチュ

近寄って行ってお部屋に入れてもらって…

一通りお話しさせてもらった所で、お嫁さんとお孫ちゃんがまた訪ねてきて…私は退席。

いつも この方と会う時は神さまが働いてくれて、楽しい時間を過ごさせて頂けます。

実は本当に大きな大きな病院の奥様。

なのに、氣さくに色々お話しさせてくれて…。有難い。

地位も名誉も肩書も…関係なくお話ししてくれる方。

この世は、いろんな鎧をつけてみんな過ごしてる。

この鎧の中の本当の自分。

昔、水前寺清子が歌った「いっぽんどっこの歌」

ボロは着てても心は錦 どんな花より綺麗だぜ
若いときゃ 二度ない ドンとやれ 男なら
人のやれない ことを やれ

当然、人の第一印象は見た目55%…っていうことなので、ボロでもいいよ!っていう意味ではないですが…

昭和の初め、パナソニックの創業者松下幸之助さんも、丁稚働きから世界の松下と言われるほどにまで成長し 大きな夢をつかまれた  おひとり。

サッカーのラモス瑠偉さんが言われた言葉に

「テクニックは人から教わることも。でもハートは自分で鍛えるしかない」と…。

カイロの施術や日々の生活の中、出会わせて頂く名のある会社の社長さんや大きな事業をされてる方…。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

という言葉のように、様々な人生を経験された方との会話は本当に私に真実を見る目を教えてくれます。

今では従業員を何百人も抱え、何億ものお金を動かしている会社の奥様は、会社を旦那様が立ち上げたとき、お米を買うお金もなく

お米屋さんが閉まったころ、隣の家に一升マスを持って「お米屋さん閉まってて買えんかってね…お米貸してもらえんやろか…」と一升マスを出して…。

一升のお米を借りて帰る。

そして、一升のお米で数日しのぎ、お金が入ったときにお米を返しに…。

戦国武将の前田利家がこんなことを言ってるそうです。

「とにかく金を持てば、人も世上も恐ろしく思わぬものなり」と…。

お金が全てではないけれど、「金持ち喧嘩せず」

心にゆとりがあれば、いらいらすることもなく、なのでまたお金も入ってくる…という正の連鎖。

〝心にいつも太陽!!”〝雲の上はいつも青空”っていう感じでしょうか。

日々の出会いの中、様々な形で出会わせていただく人とのご縁。

「袖触れ合うも他生の縁」

何度も生まれ変わる 我々の高貴な魂。

その魂同士の出会い…再会。前世からのご縁も…。

松下幸之助さんが経験の中、話された松下語録にもやはり

「この世で起こる事は全て必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる」と…。

今日、ふと会いに行きたくなって 何も連絡もせず向かった先で、ちょうどのタイミングでお話も出来…。

運転し始めたとき  かかってきた電話も、話終わったころ現れたお孫ちゃんとお嫁さんも…。

一瞬早すぎず 一瞬遅すぎず

一番いいタイミングで一番いい人に出会える
そして、いいことが起こってゆくと…。

これから またどんな出会いが用意されているのか…

神さまの采配に心躍らせて…日々ワクワクと過ごさせて頂きます。

 

 

 

 

 

神さまの愛

覚者OSHOが誘う『インナー・ジャーニー』内なる旅講和録という本が、今日目にとまり…

本の紹介にはこんな風に書かれてありました。

「人々は逆立ちして生きている」

頭だけで生きて、根無し草になってしまった現代人に根源への氣付きと愛の開花への旅と…。

そして、「私」という声でいっぱいの人の中には、「愛」という声はない。

そして「愛」という声に満ち溢れている人の中には、「私」という声はない。

しかもその二つは、決して同時には見つからない。

それは闇と光が同時に存在するのと同じくらい不可能なことだ。

こんな風に、愛や私、エゴなどについて具体的に書かれていました。

「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」と、聖書ヨハネの福音書の中にあるように…。

「愛」というモノで満たされた時、「私」というエゴの部分が消えていくのかも知れません。

赤塚さんのお話の中、聞いた神さまの愛

「I Love You Because   You are   You」

私は、あなたを愛す。なぜなら あなたはあなただから…と。

テストが100点だったら…愛してあげる
お母さんの言うとおりにしてる から…と条件が付いた愛。

~でなければならない自分。
~してくれるから…頑張る自分。

神さまの与えてくれた、愛の世界

勉強が出来なくても…
お手伝いをしていなくても…

「I Love You Because   You are   You」

この神さまの無条件の愛を知り、自分自身が愛されていることを知り、そして自分自身の中にある根っこの部分が輝いてくるように感じます。

 

 

 

 

 


 

聖なる命

東日本大震災から6年。

愛媛でもまだまだ寒さ残るこの時期、あの日も寒い寒い中 帰る場もなく、何をどうすれば良いのか…。

途方にくれながら、きっと迎えた真っ暗な夜。

明日満月になる月は、あの日も真ん丸に輝き夜の闇を照らしていてくれてたのでしょうか?

生まれた途端から、死への旅が始まる…と言うと、不謹慎かも知れないけれど

この肉体を持った人生…この肉体はすべての人が「死」を迎えることは100%変わらない事実。

人は、死に場所を求めてさまよう旅人なのかも…。

あの飛行機に乗ってなかったら、生きていたかもしれない…

あの日、あの道を通らなかったら、事故にあうこともなかったかも…

逆に、あの電車に乗り遅れたから事故に遭わなかった…とか

あの時、早く家を出たから…とか

人の生も死も、どこか見えないモノの掌の中   動かされているのかも知れない。

その日、出張でその場所にいなかったり…

たまたま電車に乗り遅れてたり…。

聞いた話だけれど   人は息を引き取る時、まさしく息を吸って…そのまま吐くことがなく死を迎える。

そして、へその緒を切った途端  息を吐き「オギャー」となく赤ちゃん。

人が、「死」を迎える時に吸った息が  寸分狂わず  次の「生」で吐かれる。

魂は永遠不滅の高貴な存在。

そして、生まれ変わり肉体を持って生きる この3次元の世界…

生きたくても生きられない命…。

死にたくても死ねない命…。

全てに意味があり、そして時があるのだと…

その答えを探す旅。

これからもずっと探し  求める 旅なのかも…知れないですね。

東日本大震災で天に還って逝った多くの魂が 今またこの日本に生まれ

叶えられなかった夢の続き、

家族や仲間との  やり残したことの続きの為に…

今か今かと、空の上で待ち望んでいるのかも…。

 

 

春3月

愛媛県下の高校受験も終わり、今日はちょっと風も強く 春一番だったのでしょうか?

この季節、いつも頭に浮かぶのは、柏原芳恵さんが歌った「春なのに」

春なのに お別れですか
春なのに 涙がこぼれます
春なのに  春なのに
ため息 また一つ…

と歌うこの切ない曲…

春 色で言えば、ピンク。

神様は、この3月に咲く花々をあえてピンク色にし 人々の心の中に
ふんわりと優しさをプレゼントしてくれてるのでしょうか。

明後日は、あの2011年の東日本大震災から6年目。

花は花は花は咲く…

ピンクや黄色の花々の中、出逢いとお別れ。

あの日、テレビに映し出された津波と火災…そして信じられない震度と度重なる余震。

被災地から遠く離れた私たちは、もう手を合わせ祈ることしかできず…。

聖書の中

主はその愛するものを懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである

と、こう示されており、懲らしめ むちを加えることは神さまの大いなる愛

私自身、4年ほど前  地域に女性の防災士がいないから…ということで、防災士のための講座を受講。

その講座の中、日本は災害大国。

そして震災や災害が起こる毎に、問題点は見直され  対策が検討され いつどこで災害が来ても 迅速に対応していけるようにと各地で防災対策。

それをまたあざ笑うように、想像もつかない様な現実で起こる災害。

どんなことがあっても挫けず補い合う日本人だからこそ、神様は大きな愛の中懲らしめ鞭打たれるのでしょうか。

あの震災の日、命をかけて津波の状況と避難を呼びかけ続けていた南三陸町職員の女性。

自らの命を犠牲にしてでも、多くの命を救った女性は今 あの日自分の放送を聞き、命救われた人々の心に きっとピンクの花となって咲いているんでしょうね。

花は花は花は咲く…私は何を残しただろう…。

戦争で散って行った命、震災で失った命、津波に巻き込まれた命…。

災害を恐れるのではなく、祈りの中 命の限り生きていくこと。

見えない大いなる主に…今日も祈り求めます。

神様の示されるままに…。

 

 

 

同行二人

弘法大師空海が開いた「四国88か所」

徳島の1番札所から高知、愛媛、そして香川の88番札所までの88ケ寺を弘法大師様と共に参る「同行二人」の巡礼。

2016年には、四国遍路1200年を迎えました。

今日、高松から帰りに、ふともう15年ほど前になるお遍路さんとの出来事を思い出しました。

ちょうど、主人の大阪の友達が新婚旅行も兼ねて四国88か所を回ってる中、西条では我が家も遍路宿のように泊まってもらい、数日間我が家を起点にお遍路。

香川県の66番札所 雲辺寺に行く日は 一緒に行かせてもらい、帰りJR箕浦駅にあった「うどんやさん」でおうどんを食べ、隣の古びた駅舎の方に行ってみた所、お遍路さんが構内に。

無人駅なので、その日の宿に選んだ歩き遍路さん。

88番札所からお参りする逆打ちの遍路中で、その日わたし達も訪れた雲辺寺に、ロープーウェイを使わず下から登って行く際 みつけたという「アケビ」を私たちにも分けてくださり

お礼に、まだその頃テレフォンカードが使われていたので、カードを御接待。

新居浜市に施術院を置いてた頃だったので、新居浜を通る時には連絡下さいね…と。

それから、数日たったころ お遍路さんからあの時のテレフォンカードのお礼も含めて電話いただき 数日泊まっていた新居浜の将棋会館に迎えに行かせてもらい その後施術院まで、

カイロの施術と無洗米を御接待させて頂きましたところ、お礼にと自らの句集とカメラマンさんが写してくれたという写真集まで頂き、よく話を聞くと、歩き遍路では有名な方らしく

みんなからは「遍路 幸月さん」と呼ばれているそうでした。

リヤカーに荷物を乗せ、365日歩いて…歩いて…春も夏も秋もそして冬も…。

ただ、新居浜の将棋会館では 色々と良くしてくれる人がいて、何日か泊めてもらえるらしい。

四国の中、もう何年もお遍路さんを続けている幸月さんには、私の想像も出来ないような人との大切な絆が生まれているようでした。

そして、その翌年にNHKの全国放送のドキュメンタリー番組で、遍路幸月さんが1時間番組で特集され…びっくり。

私が出会わせてもらった時も、かなり高齢で足腰も弱っており それでも歩き遍路を続けておられる幸月さんの1年を追いかけたドキュメンタリー番組は、我が子の冒険を見るような 他人事とは思えない感動を覚えたものです。

そして、その放送から数週間経った時 いきなり「幸月さん逮捕」という新聞記事。

あの箕浦駅で一緒に幸月さんと会った、大阪の友達夫婦も NHKの番組やこの逮捕という記事に驚き、連絡が入ったほど…。

なんと、大阪で傷害事件を起こし 逃走しながらの四国遍路。

ちょうど新居浜のうちの院に寄ってくれた時、お話させてもらった中で、「母親の葬式にも帰ってないんだ…。」と話されてたことも聞いており、

お母さまの死後、四国遍路の道を選んだのかも知れない。

偶然出会い、言葉を交わさせて頂き 幸月さんのことを少しでも知ってる私たち夫婦は、この逮捕されたことに逆に色々な事から解放され、獄中では冬の寒さや 夏の暑さ、雨や雪…また食事の心配をしなくて済むことに安堵した気持にもなったほど…。

全国放送で放映される際、幸月さんは本名を告げられたそう…。

ちょうどその番組を見ていた、事件当時大阪にいた刑事さんが 千葉の自宅でテレビを見ていて、わかったのだとか…。

幸月さんも、きっと救いの手を求めてたのかもしれない…。

もう何年も何年も、四国を歩き罪を償い懺悔してきた者に、神さまが愛の手を差し伸べてくれたのだと思う。

あの頃、この逮捕劇に幸月さんを悪く言う人もいました。

何度も四国を回っていたので、御接待をしていた人も 「犯罪者だったんだってね」と…。

当然、人を傷つけたり 殺してはいなくても逃走することは許されないことではあるけれど、その逃げ延びてる間 毎日事件のことは忘れられなかったことだろうと…。

そして、九州のお母さんのお葬式に行けなかったことも…。

その後、何年刑務所に居たのか?

今、生きているのか…?

全くわからないが、今日インターネットで調べてみた所 2003年6月27日にNHKの番組が放送され、7月10日に新聞に逮捕の記事が出ていたようで、

逮捕された時の年齢が80歳。14年前ということは、今生きていたら94歳。

他のひとのブログには2010年に新居浜に住む幸月さんの所に泊めてもらったとも書かれてあり 今も、生きていてくれてるとしたら残りの人生 誰かのために自分の出来ることを精一杯されているのでしょうか?

私がお会いした時も、新居浜の将棋会館で数日お手伝いをされていたので、近いうち将棋会館訪ねて行ってみようかな~とも思わされます。

今日は、新月。

幸月さんも 闇の中にいる時 光を与えてくれるお月様に幸せを感じ、自身の呼び名を「遍路幸月」とされたのでしょうか。

人は、自分が望む以上に天から望まれて生かされているということ。

死にたい夜もきっとあったはず…。

生きたくても生きられず病で旅立つ人もいる。

今、いる奇蹟。

四国を巡るお遍路さんの胸の内には、きっと抱えきれないほどの悲しみを背負った人もいるかも知れないけれど、

どうかこの四国、弘法大師さんと同行二人、一筋の光を見つけ 命ある限り生きること…生き切ること願ってます。

もうすぐ3月。菜の花や梅や桜の花のもと、お遍路さんの鈴の音が響く良い季節。

今日の歌は、「糸」Bank  Bandでのカバーです。

 

 

 

 

預言★

昨日、高知から帰る車の中で聞いた「預言カフェ」

東京にあるらしい。

あるプロテスタントの教会が開いているという「預言カフェ」

平日のお昼2時~夕方6時半まで開いており、1杯800円のコーヒーを頼むと 3分間程預言を伝えてくれるという なんとも女心をくすぐるカフェ。

3分間の預言は、録音も可能らしく、あとでゆっくり聞き直すことも出来るそうで、興味深い。

占い師や霊能者とは違う預言する方たち。なにかトレーニングをすることで預言を受けることが出来るそう・・・。

預言とは、神さまからの言葉を預かる者のこと。


聖書の中、創世記からイエス様が生まれる前までのことを書いた、
約聖書。西暦ではB.Cの頃(Before  Christ  キリスト以前)

新約聖書とは、神さまのひとり子イエスを身ごもる母マリアの葛藤と讃美そしてキリスト・イエスを通して示される「神の愛」の世界。

キリストの誕生を境に、
西暦ではA.D(Anno  Domini アンノドミニ 主の年)と…。

イエス様が生まれたことで、新しい契約となった神さまとの約束。


洗礼者ヨハネが、イエスに洗礼を授ける所にヒントが書かれているが、

ヨハネによる福音書の中

洗礼者ヨハネは「わたしは水でバプテスマを授けるが…わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。」

そして、「御霊によってバプテスマを授けるかた」こそキリスト・イエス。

イエス様が死後復活し、多くの弟子の前に姿を現し そして昇天。

最後の晩餐のあった部屋で、みんなが集まって祈っているとき

「激しい風が吹いたような音が響き、また舌のようなものが炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」とある。

そして「その時、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語りだした」と…。


旧約聖書「ヨエル書」の中、預言者ヨエルが預言していたことが起こる

ヨエルの預言とは…

「神がこう仰せになる。
終りの時には、私の霊をすべての人に注ごう。
そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、
若者たちは幻を見、
老人たちは夢を見るであろう。

その時には、わたしの男女の僕たちにも
わたしの霊を注ごう。
そして彼らも預言をするであろう。

また、上では、天に奇跡を見せ、
下では、地にしるしを、
すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう

主の大いなる輝かしい日が来る前に、
日はやみに
月は血に変わるであろう。

そのとき、主の名を呼び求める者は、
みな救われるであろう」


旧約聖書の預言者とイエス様が十字架につけられ、神さまによって復活。その後、水によるバプテスマとは異なる  天からの聖霊と信仰により、聖なる霊に満ちた人々に生まれ変わらされていくと…。

高田の馬場にある「預言カフェ」を訪れた友は、預言を伝えてくれる人は数人居て 次から次へ席に着き早口で預言を3分ほど それぞれに伝えてくれるのだと言う。

占いや霊能者とは違う、その役目を負い一人一人に見えない世界から告げる「預言」

いつか、そのカフェの扉を開ける日を楽しみに…。

そして、ヨエル書に記された主の言葉

「今からでも、あなたがたは心をつくし、
断食と嘆きと、悲しみとをもってわたしに帰れ。
あなたがたは衣服ではなく、心を裂け」と…。


ボスニア・ヘルツェゴビナの傍の「メジュゴリエ」と言う町で30年以上前に、7人の子供たち(10歳~16歳)の前に現れた聖母マリア。

それから6人の子供たちが50歳近くなる今も その6人に告げられる
聖母マリアからのメッセージ。

その中では、「魂の平和へ向かいなさい」、

「時がある間に回心しなさい」

「祈り」「償い」「断食」の結果「平和へ」

そして「神と信仰を捨ててはいけません」とも…。


「預言カフェ」の話を聞き、そしてまたあのメジュゴリエの聖母マリアからのメッセージを思いだした今。

聖書を学んできた私自身も襟を正し、主の道を真摯に歩んで行くことを天から求められているようです。


マタイによる福音書第13章14~15節

「あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。
見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍くなり、
その耳は聞えにくく、
その目は閉じている。
それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、
悔い改めて癒されることがないためである」


メジュゴリエの奇跡は 菊谷泰明氏の著書に詳しく書かれております。
「聖母マリアからのメッセージ」(PHP),「聖母マリアの秘密」(青鷗社)

今日は、 カッチーニのアヴェ・マリア ~歌 森 麻季

 

道の主ミカエル

父と子と聖霊という三位一体の中、聖霊とは 草や木、花々や石などに宿る聖なる霊。

日本で言う八百万の神。

そして、天使や大天使、妖精は精霊。

この天使や大天使、妖精たちは神さまの使いとなるような御使い。

エドガー・ケイシーの遺した「神の探求」(たま出版)の中、第8課と第9課に突然ミカエルからのメッセージ…霊界通信が伝えられるところがあり私の大好きなところ。


日本のケイシー研究の第一人者である光田先生の講座の中、「神の探求」を解説してもらっている中、

静まれ、我が子らよ!頭を垂れよ。…と突然現れる大天使ミカエル。

水戸黄門もビックリ!!な登場ですが、エドガー・ケイシーが存命中、催眠状態のケイシーに突然告げられるミカエルからのメッセージ。

突然部屋に風が吹き  窓はガタガタと震え、速記者のグラディス・デイビスも感動で泣きながら書き留めたそうです。

「神の探求」第8課、「扉を開く」でのミカエルによるメッセージはこんな感じ☟

3つまとめて転記してみました。


静まれ、我が子らよ!頭を垂れよ。

かの《霊》をこの世に顕現させることがこれほど必要とされるこの時代にあって、奉仕のために召し出された汝らに、「道の主」が―《光》を求める人には道が示されるであろうことを―知らせよう。

父の栄光は、召し出されたところの目的に忠実なる汝らを通して現されるであろう!

主の御名を呼び続けてきた汝らは、日々の生き方を通じて人々に主の道を示すであろう。

自分自身の人生の一部としてきた教訓をささやかな行為に移す時、あるいは祈りや瞑想の中で人々と交わることで、人々に主の道が知らされるであろう。

なぜなら、主はすべての人のもとを訪れ―誰でも望む者のところに来たり―

そして、黄金の笏はイスラエルから離れることはないことを、主の道は虚しからざることを汝らが知るよう、汝らの良心の戸口に立ち給うからである。

汝らが聞きさえすれば、今日、道は汝らに開かれん。

われ、ミカエルが汝らに告げる!        (262-27)


汝ら人の子らよ、頭を垂たれよ。

汝らが主の道を知ることができるよう、「道の主」なる我ミカエルが汝らに戒めを与える。

汝らの兄弟の道を妨げてはならぬ。

嘲る者の座についてはならぬ。

むしろ、すべての人が恐れから解放されるよう、主の御名には愛と栄光と御力があることを知らせよ。

われ、ミカエルが語った!         (262-28)


おお汝ら、人の子らよ!頭を垂れよ。

汝ら一人一人に置かれた信頼に誠実であるなら、主の栄光は汝らのものである!

汝らが信じてきた方は誰なのか!

主は、すべてのものの主であり、日々忠実な者に対して主の言葉は虚しからず。

そのことを覚えよ。

主の御顔を尋ね求める者を、われ、ミカエルが守る!(262-29)


転記してても、ワクワクしてくる大天使ミカエルからのメッセージ。

講座の中、この部分を読んでもらった時は、そこにミカエルの霊が乗っかり 私の魂を震わせ涙が溢れ止まらず…。

第9課の「神とともに」の中では、


神の臨在を求めんとする汝らよ、頭を垂れよ。神の力の内に強くあれ。

汝自身の弱さに躓かぬようにせよ。

汝の救い主は生きておられ、汝らと共にあるのだから。

今日、汝らの心にそれが明らかにされるかも知れぬ。

主がお入りになることを妨げるあらゆるものを汝の肉体と意識から一掃せよ。

されば主は来りて汝と共に食せられん。

おお人間よ、汝はその決意を宣言するか?汝らは神と一つになることを求めるか?

わが守護する道は、主の力にある栄光へと導くものである。

われ、ミカエルが汝を導かん。

道に背いてはならぬ。躓くな。

汝は道を知るのだから。         (262-33)


汝は道を知るのだから・・・という「道の主」といわれるミカエル。

天使というとふわりと優しいイメージがあるが、4つのミカエルから示されたメッセージで示されるように 力強く導く言葉の数々。

新約聖書の中、処女マリアに

「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」

と告げる大天使ガブリエル。

きっとその時も、ガタガタと窓を震わせ この世のものとは思えない光と威厳を放ってたに違いない。


私は大天使にまだ一度も出会ったことはないけれども、主の御使いとされる大天使や数々の聖霊は確実に存在し、導いてくれてることは信じて疑いません。

そして、明日は祈年祭。

五穀豊穣を祈る11月新嘗祭と対になるほどの大切なお祭り。

見えない世界を粛々と守り続けている日本の神道。

地元伊曾乃神社は西暦137年にお祀りされ、今年1880年。

世界で一番長く続く天皇の國、日本。

どうか、日本に天の祝福が慈雨のように降り注ぎ、永遠に続きますように…。

GREEEEN  道

 

感謝

1979年1月21日 32歳の若さで亡くなった井村和清さんが、死の直前まで綴った手記「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」に書かれた詩

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「あたりまえ」 昭和54年1月1日新年の贈り物(井村和清)

 あたりまえ こんなすばらしいことを
みんなはなぜよろこばないのでしょう

あたりまえであることを

お父さんがいる、お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある

行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる

音がきこえて声がでる
こんなしあわせなことがあるのでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます。

食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる

空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる

走りまわれる
みんなあたりまえのこと

こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない

そのありがたさを知っているのは、
それを失った人たちだけ なぜでしょう

 あたりまえ

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今日はバレンタインデー♡

チョコレートを大好きな人に贈ることが出来るのも 受け取ることが出来るのも たくさんの奇跡の連続が重なって…。

本当にありがとう…有り難い有り難い奇跡の連続。

そして、何度読んでも 泣けてくる この詩。

変わらない日常が、幸せであること。
あたりまえのことが、あたりまえでないこと。

日本は、地震大国。そして、津波も起こるし、交通事故も毎日どこかで起こってしまっている。

「行ってきます」と出掛け、帰らなかったとしたら…いえ、いつも恐れて生きるのではなく、あたりまえに染まらないこと。

ついつい日常の中、トイレだって

紙があるのがあたりまえ。お水が流れるのがあたりまえ。
戸が閉まるのがあたりまえ。

外出の時も、車が動くのがあたりまえ。
道路があるのがあたりまえ…だと。

あー。

この日常のささやかな事柄の数々を 改めて思わせてくれるこの詩。

新約聖書 テサロニケ人への第一の手紙5章

いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって、
神があなたがたに求めておられることである。

そして 被災地の未来のために祈り歌われた 讃美歌

.(賛美歌298 安かれわがこころよ)

1.安かれわがこころよ  主イェスはともにいます
  痛みもくるしみをも  おおしくしのびたえよ
  主イェスの共にませば 耐ええぬ悩みはなし

2.安かれわがこころよ  なみかぜたけるときも
  父なるあまつ神の   みむねにゆだねまつれ
  み手もて導きたもう  望みの岸はちかし

3.安かれわがこころよ  月日のうつろいなき
  み国はやがてきたらん うれいはとわに消えて
  かかやくみ顔あおぐ  命のさちをぞ受けん

 

 

 

 

栄光

栄光に向かって走る  あの列車に乗っていこう!!

はだしのままで飛び出して あの列車に乗っていこう!!

…と始まる ザ ブルーハーツの「TRAIN TRAIN」


スキー学校1年目の春、まだ1級が取れず 志賀高原の渋峠のリフト会社でアルバイトさせてもらってた時、

同じ部屋にいた 麻里ちゃんがずっとかけていた ザ ブルーハーツの曲の数々。

世の中に抵抗するような あの熱い歌の数々に共感し やりたいこと やるべきことを やっていた私の青春。

あれから28年たっても この歌を聴くとあの頃が甦ってくる。


今日、私の住む町の市議会議員選挙の公示日でした。

各候補がそれぞれの思いをもって、市制に携わっていくのでしょうが、政治で世の中は変わるのでしょうか?

今日から一週間、いえ その前から出馬する候補者の方々は 腰も低くよろしくお願いしますと頭を下げる。

たった1票を投じることしかできないのだから、悩まされる。

凄く穿った考えだけれど、本当にこの町を良くしたいという熱い思いを持っての立候補の方は何人いるのでしょうか?

戦後、何もなかった時代 この町のために!!と 私財を投じて支えてくれた方もあったのでしょう。

モノが溢れ、豊かになり、心だけがポカンと穴が空いてしまったような今。

その穴を埋めるように、知識を詰め込み、また人は、地位や名誉、財産をこの世の中で得ようとし、懸命に頑張る。


地位や名誉や財産を 得ることが悪いことではないのは、わかっている。

地位や名誉や財産は本当に示されたモノが その「時」にぴったりと合って初めて価値があるような…。

たまに議員さんの中でも当選してしまえば 先生…先生と呼ばれ偉そうな方も…いたりして…。

地位も名誉も、そして財産も結果論…かと。


名もない画家や作家、研究者や開発者…この世から去った後 地位や名誉を得る場合も多いようだけど、

世界中の人が知っている イエス・キリストも生きている頃は その時の権力あるモノたちに捕らえられ、張付けにさせられて…。


昔、吉田拓郎氏が歌った

人間なんてララーラララララーラ
人間なんてララーラララララーラ

人間なんてララーラララララーラ
人間なんてララーラララララーラ

と、本当に人間なんて ちっぽけで きっと天から見ると滑稽で…。

こんな風にララーラララララーラと歌いながら選挙カーに乗って
この世をさらりと変えていくような政治家って出てこないかな?

そして、吉田 拓郎さんの「にんげんなんて…」