「家族」カテゴリーアーカイブ

ファミサポday♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

今日は、市の子育て支援…ファミリーサポートで 3件の子供のサポートさせてもらいました。

そして、その合間に顔合わせも一件。

子育て中のお母さん…仕事も持ちながらのお母さん 恐縮しながらも大切な我が子を預からせて頂きます。

ちょうど、夕方6時から7時の間 双子を育てる様な状況に…

嬉しい悲鳴。

私自身は、男の子を預かることが多く、また2歳未満の子供ばかり…。

我が家に来て、興味を示すものが ほぼ一緒。

みんな性格は十人十色だけれど、同じようなモノに興味を持ち…。

食べ方も色々…白いご飯だけ食べる子や、おかずばかり食べる子も…。

おむつ替える時も、じっとしてる子もいれば なかなか手こずることも…。

この子達が大きくなった時、私はどんな風にこの子達と関わってるんでしょうか?

いつまでも1歳ちょっとの出会った時の印象が強烈に残るのでしょうか?

改めてファミリーサポートセンターのサポーターに登録させてもらってよかったな~と思ってます。

会員証を改めて見てみると、登録したのが平成25年4月24日。

ちょうど、市報に勉強会の案内があり…子育て中のお母さん方の少しでもお手伝いが出来たら…と、勉強会に参加。

実際、1時間サポートさせてもらって600円と言うお金をお母さんからも頂き、有償のボランティア。

今、介護なども介護保険制度が出来たことで 昔はボランティアだったヘルパーさんも 逆にお互い強者も弱者も無い状態で 介護を受けることも出来…。

東京オリンピックでは、ボランティアの件で 色々意見が出てるようだけれど、これも一人ひとりの考え方次第。

私自身、皇居勤労奉仕に参加した時は、地方からの参加ということで 当然交通費や宿泊費も自分で支払い…

それでも、4日間なかなか出来ない経験をさせて頂けたことは、お金では買えない有り難い経験。

お金のために…となると、何だか人生が本当につまらなくなってきそうで、それでも今の世の中、お金も無いと 何も出来なくて…。

今だからこそ出来る事…

我々夫婦に子供が居なかったからこそ出来る事…

5年前、何気なく勉強し登録したファミリーサポートのサポーター。

昨年辺りから 依頼会員さんも急増してるそうで…本当に出会わせて頂いた母さんや十人十色の子供達に感謝♡

明日も、お兄ちゃんが入院中でお母さんが付き添い、お父さんは育パパ中。

そして、お父さんの仕事に出かける朝6時半~保育園が始まる7時半まで、しっかり預かりに行かせて頂きます(^^ゞ

眼力アップ♡

太陽院院長 近藤  千恵子です(^^)v

ドラッグストアーの中で、展開しているエステルームで提供しているまつ毛のエクステーション。

そこで働く新人さんの技術モデルさん募集で、姪っ子もやってもらった…と聞き、私も手をあげて 今日やってもらってきました(*^^)

10年ほど前に、初めて体験したまつ毛のエクステ。

あれから10年経って 2度目。

髪のエクステは聞いたことが有ったけれど、まつ毛まで 増量されて 眼力がアップされ…マニキュアなどと同じように 女子力がアップされるまつ毛へのエクステ。

普段 お化粧も3分で終わってしまう私だけに、何もしなくても眼力と女子力アップされるんだから…有り難い技術。

ただ、10年前…エクステしてもらったあと、どうしても左目だけが痛くなりまつ毛をくっつけている接着剤の影響もちょっと怖くて2度目は10年以上経った今日。

1本1本丁寧にまつ毛を付けてくれて、1時間半ほどで完成!!

途中、心地よくて寝てしまいそうなほど…痛みも無く

そして、終わって鏡で見せてもらったときには 笑ってしまうほど眼力アップ(笑)

そして、こんなに手間のかかるものを無料モデル でしてもらったことに…感謝♡

初め、「ノーマル」「キュート」「セクシー」のどれにしますか?と聞かれ…黒目が大きく見えるという「キュート」を選択。

もうすぐ56歳と言うのに まさに 「キュート」って…出来栄えに10歳は若返ったような感じで 笑ってしまいます(>_<)

叔母と認知症と日常

太陽院院長 近藤   千恵子です(^^)v

認知症の叔母が、認知症病棟に入院して1ヶ月。

正直…解放感が半端ない毎日を過ごさせて頂いてます。

で、叔母は…というと、

毎週月曜日と、木曜日はお風呂の日って言う事で、その日に合わせて洗濯物を取りに行…叔母の様子も見てきますが…

我が家にいる時と変わらず…話しかけると 話しが止まらなくなり…

話しかけないと、私のことも誰だかわからず知らない顔…。

我が家にいて、デイサービスに通ってた時とは違って、常に誰かが側に居るわけではなく、

ある日行くと、看護師さんが 「この前気が付くと パンツを頭にかぶってたんです…」と…。

広いフロアーはナースステーションから良く見えるけれど、いつの間にズボンを脱ぎ…パンツを頭にかぶってしまったのか…?

まるで、記憶を無くした酔っ払い状態。

看護師さんも驚き、その日から 病院指定の脱げない「つなぎの服」に!!

鍵が付いており、介護者が開けない限り 脱げない服。

正直、それだと パンツを脱いで、どこかで排泄を失敗することも無く…認知症の場合、排尿感があっても トイレの場所がわからず とんでもない所で排泄してしまい 介護者の負担が増え…疲れてしまう事が多く…

もちろん我が家でも、夜 先に寝ててもらって 後から寝床に行って…「ギャー!!やられた~」と、思ったことも数回。

そして認知症病棟・・・いつも2時過ぎころに行くと、デイルームで音楽療法中。

先日部屋から聞こえて来たのは、「夏の思い出」という歌。

夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空~♪

で、患者さんに「○○さん…夏の思い出ってなんですか?」と問う声?

応える声は、少し間をおいて…「家の前の川で泳いだこと」とか、他の人は、「スイカ」とか…「トマト」とかの声。

そんなことを耳にしながら、叔母に「とみ叔母さん…夏の思い出って何?」と、聞くと…

「あれが あれで…あ~なって…」と、トンチンカンな答え。

で、「とみ叔母さん…ここどこかわかる?」と、聞いても…同じ。

「わかるよ!あそこじゃろ…そこを曲がって…まっすぐ行ったとこじゃがね…」

はいはい…。

家に居た時は、いつまでこれが続くんだろう…と思ってた介護の日々。

今は、たった一週間に2日間…それも ゆっくりできる日には しばらく傍にいて 話しをするのが楽しみでもある時。

人にはそれぞれその時の状態で居場所があるのだと思わされた 叔母との時間。

私は、1年2ヵ月でギブアップ…。

そして、多くの時間をかけることになり…それがいつまで続くのかと思うと 逆に死をも望んでしまう事も…。

実際、私自身 一度だけ

「とみ叔母さん…こんなことも忘れてしまって私に怒られるの嫌じゃない?もう…はよ死んだ方がええよ…」と。

そんなことを言わせてしまう認知症の介護と言うものを経験した時、介護してて偉いわけでなく、言葉の虐待。

そして、自己嫌悪までも伴ってしまうことも…。

介護が事業になり、商売になってしまっている今。

これからもっともっと認知症になる人も増え、認知症に限らず介護が必要な状態の人々が増えて来た時、介護者も介護される者もそして家族も皆が、

ハッピー!ハッピー!ハッピー!!の「三方よし」の世になる日が来ることを夢みて…。

ちなみに近江商人が成し得た「三方よし」の商売十訓

①商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益は其の当然の報酬なり
②店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何
③売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
④資金の少なさを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし
⑤無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ
⑥良きものを売るは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり
⑦紙一枚でも景品はお客を喜ばせる、つけてあげるもののないとき笑顔を景品にせよ
⑧正札を守れ、値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ
⑨今日の損益を常に考えよ、今日の損益を明らかにしないでは、寝につかぬ習慣にせよ
⑩商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ

「売り手」「買い手」「世間」の三方に宛てた商売十訓

250年以上も受け継がれているという「近江商人」の考え方が、これからの認知症を始めとする 「多くの介護を受ける者」 「介護する者」 また「世間」でも応用できます様に…

自転車♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)v

夕食後、姉から電話が入り…車いすの父を車に移乗してた所 力が入らず 今 父をアスファルトの上に寝かせてる…と。

えええええ?

夕食時、主人とビールを一杯づつ飲んでいたので、随分乗っていなかった自転車で実家まで…

考えてみると、昨年の西条祭りに 自転車のパンクを修理してもらって以来 結局乗ることが無かった自転車。

何段階かにギアを入れ替える事が出来る自転車だけど、ペダルをこぐたびに ガシャン…ガシャン…とギアが外れ 走りにくい。

その上、乗りなれ無い自転車だけに 門を曲がる度に 自転車から降りて…めちゃくちゃ慎重な運転。

っていうか…やっと自転車に乗り始めた子供の様な感じ。

そして…数分で実家に到着!!

我が家の様に、家の前が車が通ることもなく 家の前にある敷地の中で 車の傍で横たわってる父。

きっと 知らない人が見ると 思わず「大丈夫ですか?」と声をかけそうな状態(笑)

で、姉と二人で…父を持ち上げ車いすに乗せ…我が家へ。

「アスファルトの上…どうだった?」と聞くと、

「気持ち良かった!!」と…あくまでもポジティブ♡

そして、家の中に入り…のんびりしてると姪っ子が帰宅。

この8月に新しい会社に転職し、初めての事務職から約1ヶ月。

「どう?」っと聞くと…

「いいよ!!会社の人みんな優しいし…仕事もこの前ちょっと褒めてもらった♡」…と。

そして、夕食のお刺身にわさびを付けて食べる姪っ子に…

大人になったな~と、灌漑深く…(笑)

いつまでも子供のままではない姪っ子♡

ついつい居心地良く 横たわる父の横で 姉と姪っ子と私で なんだかんだおしゃべり…

帰る!帰る!!と言いながら…1時間半くらい居て、また ガシャン…ガシャン…とギアが外れながら走る自転車…

夜風の中、一昨日の満月はまだまだ まん丸く美しいんだけれども…お月様を拝む余裕も無く自転車を走らせ…我が家まで。

もう少し軽快に走ることが出来ると 今からの季節 衰えた身体にも凄く良いな~と思わされた今日のハプニングでした。

神の愛で11年♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^_^)/

11年前の今日、8月25日…その日も今日と同じ土曜日。

あの日も今日と同じように、一日晴れた日の夕方…主人が倒れました。

救急車を呼んでもらって 病院に行く間も主人はずっと意識もあり、そして 私は「大丈夫!大丈夫!!…」と、主人と私自身に言うように繰り返してました。

「脳内出血」

右脳に5センチ大の出血!!

脳外科の先生が、ちょうど自宅に帰る途中…救急車からの連絡に戻って来てくれて、主人を診断。

11年経った今でも、あの日のことは 忘れられるものでもなく また私達夫婦にとっても新しいスタート地点に立った夜。

神さまが決めた「時」

~してなかったら…。

~だったら…。

人間が願ったり 思ったりする未来を もっともっと…もっともっと大きな神さまの計画の中、与えられている現実。

今日もふたりで車を走らせながら、不自由だけれど私たち二人だからこそ乗り越えて行ける試練を与えてくれたのだと…

病を与えられたことで知り繋がった エドガー・ケイシーの世界や、聖書の世界…またこの日本に生まれて来たことの意味。

神さまの御心を素直に受け止めて またどんどん目まぐるしく変化していく世の中や、自分自身をも…

ふたりで楽しんで過ごしていきたいものです。


聖書「ヘブル人への手紙12章」

主は、その愛する者を訓練し、受け入れるすべての子を、むち打たれるのである。

あなたがたは訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなた方を子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。

誰でも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、ほんとうの子ではない。

魂の父は私たちの益のため、その聖さにあずからせるために、そうされるのである。

すべての訓練は、当座は喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっている膝とを、まっすぐにしなさい。


この神さまの祝福と叱責…これが神の愛であり恵みであり、本当にツラい経験があるからこそ 知ることの出来るもの。

 

 

 

昭和の母の歌♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

今日、二葉百合子さんが武田鉄矢さんと一緒にテレビに出てました。

そして、昭和の歌が次々と画面に映り 東海林太郎氏の歌まで…。

母を歌う歌の多いこと…

「こらっ…鉄矢!」で始まるあの名曲のことや、二葉百合子さんの「岸壁の母」や「九段の母」を聴きながら瞼に浮かぶ 戦争に我が子を送り 帰りを待つ母の姿。

私自身が中学 高校の頃も こういった歌が テレビから流れ…日曜日には浪曲が流れていたような…

思えば、本当に時代が変わったような…。

実際今夜も 地上波ではなく BS放送で流されていた昭和の歌の数々。

テレビやネット等で配信されるものから 影響を受ける今、戦争を知らない…と言われた私たちの時代よりも、もっともっと後に生まれた平成生まれの子供達。

武田鉄矢さんの「母に捧げるバラード」や二葉百合子さんの「岸壁の母」は、頭や胸の中でどんな風に描かれるのでしょうか?

昭和が昔になろうとする今、何だか私の中に確実に存在する昭和が 昭和の歌でタイムトリップした感じ。

めまぐるしく変化していく今…優しい風が吹きました。

 

 

73年目の夏の日

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

8月15日…大東亜戦争の終結を昭和天皇の玉音放送にて全国民に伝えられた73年前の今日。

日本のみならず、大日本帝国軍によって 統治していた国々は この日本の敗戦によって 他の国々の植民地になることではなく 次々に独立を宣言。

まさに アジアの多くの国々の歴史をも変えた 終戦。

73年前の正午に ラジオにより受けた昭和天皇のお言葉。

どんな思いでその玉音を聴き…そしてどんな思いでその夜を迎えたのでしょうか。

昭和天皇は、只々日本の國體を守るため…124代続く皇室が祈り守ってきた 「国家の安泰」と「国民の平安」

空襲警報が鳴らない…鳴ることの無くなった敗戦の夜。

お月さまや夜空をどんな思いで見上げたのでしょうか?

今日、8月15日…終戦記念の日、伊曾乃神社での月次祭に ファミリーサポートで預からせてもらっている 来月2歳になる「そうちゃん」と共に参列。

輪廻転生があり、そうちゃんもまた この日本に再び生まれて来たのであれば、1880年続く伊曾乃神社の静寂で神聖な空気をどう感じたでしょうか?

太鼓と雅楽の音色と、境内の蝉の声。

もしかしたら、前世へとタイムトリップしていたかも…。

古事記の中、この世に住むイザナギと黄泉の國に住むイザナミの喧嘩。

毎日1000人呪い殺すというイザナミに、毎日1500人生み出すというイザナギ…。

生れては死に…死んでは生まれる…。

どちらが本当に生きる場所なのかは 分からないけれど 私自身今年9月に56歳。

そして、そうちゃんは、9月に2歳。

生まれては死に…死んでは生まれ

そして、出逢いもまた同じく…。たくさんの英霊の方々の熱い思いが

出逢っては別れ…そして別れてはまた出逢い…。

73年前、戦争の最中 愛する祖国や家族の為に戦い散って逝った尊い魂の数々もまた 同じ愛する国に生まれ…そして家族と共に生きるために生まれ変わってるのかも…知れません。

平成最後の終戦記念日。

終日降る雨が、たくさんの英霊の方々の思いを伝えてくれてたようでした。

山の日に思うこと…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)v

今日は山の日。

我が町西条には、西日本最高峰の石鎚山。

40歳の時、登ったのが最後…膝の悪い私にとっては、今は遠くから拝むだけ…。

思えば、国鉄職員だった私の父は、列車の連結の際に左膝下を切断する事故に遭い、左足は義足。

昭和3年生まれの父は、私が生まれた時34歳。

夏には、川に泳ぎに行き 義足をはずして一緒に泳いでくれ…、そして、石鎚山の山頂にも連れて行ってくれた父。

途中まで、ロープーウェイはあるけれど、登るとなると健脚でも大変な山。

今思えば、自身のハンデを全くハンデと思わせず 堂々としている父は誰よりも偉大で尊敬出来る人。

そして、今年90歳の父は、幼子の様に可愛くて…実家に帰ると父に寄り添い、ホッペにチューしてしまうほど…。

人生の中で、何度も死と隣り合わせになった事のある父は、その山を乗り越える毎に強くなってたのかも知れません。

山にはもう登れないな~と、弱い私は山を見上げ思ってしまうけれど、義足の父が平気な顔して登った山だと思うと、山には登らなくても…これからの人生の山場…乗り越えられる原動力。

山の日に…改めてこんな強く優しい父の子に生まれたことを喜びに感じます♡

ご縁に感謝♡

太陽院院長 近藤 千恵子ですヽ(^。^)ノ

今日、夕方…市の子育て支援 ファミリーサポートでサポートさせてもらってる「そうちゃん」のお母さんから電話。

「また 突然ですが…良いですか?」

「イイです!イイです!!6時半までに迎えに行けばいいですよね…」

ってことで、夕食の準備して…6時に乳児園へお迎えに…

車に乗り込み、我が家が近くなると「ここ!…ここ!…」と、指さすそうちゃん♡

我が家に帰り、自分で靴を脱げてたので…先に部屋に入ってみたけど、まだそうちゃん上がってこない!!

???

と、思って見に行ってみると 左の靴は脱げたけど 右の靴がなかなか脱げずに苦戦中!!

ちょっと手助けし…靴を脱ぐと、一目散で主人の元へ!!

「おいちゃ~ん!!」とは言わないけれど、全身で喜びを伝えてくれる姿に わたし達夫婦はメロメロ~♡

そして、今日は7時にはお母さんが迎えに来て…さよなら!!

帰ったあとも愛の余韻が残り…そして何より、主人はそうちゃんが一目散で主人の元に駆け寄って来てくれたことが、

嬉しくて…嬉しくて…嬉しくて…

何度も「そうちゃん 走って来たんよね!!」と…。

はいはい!!あなたとそうちゃんは 相思相愛♡(笑)

我が子には恵まれなかったけれど、こうやって幼子を抱かせてもらえる倖せ。

次は15日朝8時から預かる予定♡

ちょうど、お盆でもあるけれど、9時から伊曾乃神社での月次祭。

一緒に 天照さまに御挨拶して参ります。

そして、昨日夜中…ふとテレビをつけると鶴瓶さんの「家族に乾杯」。

ゲストが、今放送中の朝ドラ「半分、青い。」の永野芽郁ちゃん。

ついつい夜更かしし、見てた所…鶴瓶さん!小学6年生相手に…

「縁を大事にすると 運が良くなり ツキが回ってくる」と…。

訪れた長崎県雲仙市…出会った6年生は5人だけ。

その中で集まった子供たちに「ご縁、運、ツキ…」としっかりとレクチャー♡

本当に、我が家もファミリーサポートで、そうちゃんや他にも可愛い子供たちに出会わせてもらったこと…神さまの御計らいと喜び、運もツキも味方にいるな~と感謝感謝(^^)

そして明日は、知らない間に休日になってた8月11日山の日。

国民の祝日なので、しっかり国旗掲揚致します…

そして、あすの高校野球…第4試合では 奇跡の様な「下剋上」を成し遂げ甲子園初出場を手に入れた三重県代表「白山高校」の初戦。

私が中学一年の夏、初出場し…奇跡の様な準優勝を手に入れた、後のわが母校となった新居浜商業高校。

白山高校も明日の初戦…どうか神風の国の代表らしく最高の試合となります様に…。

山の日だけに…白山高校、白星になるかな?

きっと明日は、イチローの母校 愛工大名電アウェイでの試合の様になってしまうかも…。

残暑お見舞い申し上げます♡

太陽院院長 近藤 千恵子ですヽ(^。^)ノ

なんだか空が高く感じ、少し秋の気配を感じるな~と思ってたら…昨日立秋を迎えてました。

改めまして…残暑お見舞い申し上げます♡

そして、今日は8がふたつ並ぶ8月8日。

ライオンゲートが開く日なのだとか…。

ライオンゲートと聞くと、頭に浮かぶのがエルサレムのライオンの門。

そして、そこで石打ちの刑を受けながらも キリストの光に包まれ天に還って逝ったステパノのこと。

昨年同じ8月8日のブログでも ライオンゲートとステパノのこと…書いてました。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/chieko/wordpress/2017/08/08/%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%82%aa%e3%83%b3%e3%82%b2%e3%83%bc%e3%83%88/

実は私…「ステパノLOVE♡」

ステパノは、イエス様の昇天後に誕生した初代教会において12弟子たちの働きを助けるために選ばれた7人の執事のひとり…。

共に傍にいた弟子たちではなく、イエス様を通して伝えられた神の栄光を受け殉教したステパノの信仰に本当の神様と手を結んだ人間の強さを見させてもらったような出来事。

そして、今日ポストに届いていたキリストの幕屋の「生命の光」8月号

我が家で2012年8月から2015年1月まで聖書を学ばせて頂いてた松山幕屋の伝道師竹下仁平先生のお孫さん「ゆうげん君」の病との葛藤の様子が数ページにわたり記されており…

そこにも信仰に生きたモノへの神様の愛をヒシヒシと感じさせて頂きました。

わずか15歳で脳腫瘍を患い、闘病の末16歳で召天していった「ゆうげん君」の最期のノート。

ゆうげん君の魂を捕らえたのは、幕屋の創始者手島郁郎先生の講義録の中、ロバート・ブラウニング氏の英詩「ラビ・ベン・エズラ」

「私は死ぬために生きない、生きるために死んでゆく。
これキリストの死生観である。
…生死を透脱しても働くは、キリストの霊である。
永遠の義である。
死は死でない、愛である。」

この詩を知り、ゆうげん君は日記に…

「死は死でない、愛である」
という言葉を聞いた時、涙があふれ出る。すごく嬉しい!

と、こう最後のページに記していたそう…。

そして、いよいよ天に還るとき、祖父である竹下仁平先生は、孫のゆうげん君に、ヨハネ伝12章のイエス様が十字架を前に祈ってる箇所を読み、天に行く導きをし…そして

「ゆうげん!次は君の死を通して、キリストの栄光は現れるんだ」と…。

そして、意識の無かったゆうげん君が、天に向けて「うわっ!うわっ!」と、二度声を上げたのち昏睡状態に…。

キリストを知り、キリストに生き…、キリストの栄光を、自ら現わすこと…。

世に言う「ライオンゲート」は、8月8日地球が銀河系の中心にやってきて、私たちがいる物質世界と霊的世界が繋がる時なのだそうだけれど…

私自身、ステパノやゆうげん君の死を通して神さまの栄光を感じ、いつか死を迎える時も「死は死でない、愛である」という言葉の中 生きていきたいです(*^^)v