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やまと心の火…燃えるとき

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

戦後72年目の8月6日広島県呉市での赤塚さんの講演会主人と参加して参りました。

4ッつのお願いから始まって…糸川先生のお話…イスラエルの話…聖書の話…万穂ちゃんのお話…建国の話…9・11報道の裏側の話…戦艦ミズーリのお話…昭和天皇・今上天皇の玉音放送のお話…勤労奉仕のお話…上島先生からのペリリュウ島の話…巡視船あきつしまのお話…等々

もうこのお盆の月に、しかもあの卑劣な原爆投下で多くの市民が犠牲となった日に、広島で…天から赤塚さんにあれもこれも…と、オールキャストの方々のお願いに応えるようにお話される赤塚さん。

あっという間の2時間半!

何度も聴いたお話だけれど、その状況が目に浮かび…じわ~っと湧き出る涙。

テレビはもちろん、学校でも教えてくれない数々の本当のこと。

終戦の日まで祖国の為に戦い散っていった英霊の方々が…

暑い暑い中…壕の中に投げ込まれた火炎瓶によって奪われて逝った命が…

そして、原子爆弾によって一瞬で失った尊い命の数々が…

年間3万人以上もの自殺者を出すこの日本に今も警告を鳴らし…赤塚さんを通して熱い思いが伝えられていきます。

会場に集まった100名近い方々が、目頭を熱くし 知らなかったことを知り…やまと心に「ポッ」っと火が灯っていくのが伝わってきました。

帰り道、先月も通って帰った山陽道の尾道で 道を間違えたおかげで、 西に見える夕焼けと、南の空に赤く光る満月に近いお月様にも出会わせて頂きました。

72年前の朝、投下された爆弾の後の焼け野原に立ちつくし またその場を遠くから知った者達は、あの日どんな思いで夕焼けや夜空を見たのでしょうか?

そして、3日後に被災地となる長崎を…誰が想像したでしょうか?

平和が当たり前でないこと…。平和を祈り続けている広島は大きな犠牲を受けたからこそ 見つけた小さな平和へのともし火のかけら…

このともし火をずっとずっと繋げていく広島の人々の思い…また日本人が大切にしないといけないモノの数々を今日原爆の日に感じさせて頂き、

改めて…

「どうか安らかにお眠り下さい」…と祈ります。

 

 

 

 

 

ヤマトの心、島人の心、お産の心

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

朝8時過ぎ、西条を出発…広島フジハラレディースクリニックで開催の講演会、主人と一緒に行って参りました。

「日本はひとつ」と題した今日の講演会。

お話は、日本のジャンヌダルクと言われる我那覇 真子(がなは まさこ)さんと、岡田准一や松本潤と肩を並べる(?)ほどのイケメン(??)ヤマト心の伝道師 赤塚 高仁さん…そして 日本人の持つお産のイメージを払拭し、バーストラウマからの解放を願うフジハラレディースクリニック院長 藤原 紹生氏。

フジハラ先生のお話の中、お産への痛い!ツラい!怖い!のイメージの中生まれてくる子供達への影響を思うと…なるほどな~と…

フジハラ先生のところでの 出産直後のお母さんの表情や言葉に、私自身出産経験はないモノの そんなに倖せなお産って体感してみたいな~と、思うほど…。

そして、今日の講演会の最中にも、ひとりの命の誕生があったそうで…1階の講演会場から分娩を終えたお母さんと赤ちゃんに「おめでとう!!」の拍手と祝福の言葉 みんなで贈らせて頂きました(*^。^*)

そして、我那覇 真子さんのお話にも感動!!

まだ20代の彼女は沖縄の北部出身。

そして、今報道される沖縄の基地問題や、沖縄へ群がってくる日本をダメにしようとする報道や左翼の人々への 島人(しまんちゅ)の思いを熱く熱く語ってくださいました。

誰にも、何にも屈しない姿勢…なんと真実を伝える為に国連でも演説をされたほど…。

彼女の中に流れているのは、まさにサムライスピリット!!

そして、彼女の根っこにあるものは、まさに沖縄への愛…島人の心。

お話の中でも、我那覇という3文字の苗字は、沖縄では昔サムライだった人の名前なんですよ!!と語る彼女の笑顔。

久々にスカッとするような 講演に…エネルギーを頂きました。

そして、最後に読まれた回天の搭乗員の遺書に、ノックアウトされました。

ありがとうございます…祖国日本の為に 命を懸けて戦ってくれた先人の思い…私も忘れません!!

そして、そして…赤塚さんのお話は、我那覇 真子さんのお話を引き継いでの特攻兵のお話から…。

赤塚さんの著書「聖なる約束 ヤマト人への手紙~教育勅語と言う祈り~」の中にも書かれていた、ハワイ真珠湾にある戦艦ミズーリのお話。

戦艦ミズーリに体当たりするために突撃した特攻兵…石野節雄さんのお話。

へこんだ船体とその後米軍によって弔われたお話とミズーリ号の写真。

そして、お話の中 聴けなかった石野さんの遺書。

赤塚さんのメルマガより添付してみました!

石野節雄
神雷部隊第5建武隊
昭和20年4月11日 12:15出撃
岡山県出身

遺書
『お母さん、いよいよ最後の花を咲かす日が来ました。
私も笑って行きます。
すべて御国の為ですから、
何も言わないでください。
今度会う日、靖国神社で立派に咲いた花の下です。
良くやったと泣かずに、にっこり笑ってください。
私も皆の健康を何時迄も祈っております。

 では、御元気で。

 今日あるを
   かねて覚悟のあずさ弓
 敵の母艦に真一文字

      節雄 拝  4月6日』

何度も赤塚さんのお話を聴かせて頂いてますが、やはり 現場を歩き感じて来られたお話は心動かされます。

突然決めた 広島行き…。

本当に素晴らしいお話の数々に また今を生きる日本人として 出来ることを考えさせられます。

企画し無料でこんなに素敵なお話を聴かせて頂いたこと…フジハラ先生やスタッフの皆様にも感謝いっぱいです。

今日、夜10時半 自宅に戻り 沖縄オリオンビールで乾杯!!
沖縄へ思いを寄せてみました。

 

 

 

 

水無月月次祭

伊勢の神宮では、10月の神嘗祭と6月12月の月次祭を 三節祭として、数ある御神事の中でも特に重要な祭事として執り行われており

私自身、2010年12月16日~17日に初めて神宮内宮さんでの月次祭に合わせて参拝させて頂きました。

伊勢修養団での「神話を体感する会」では、夜10時からの御神事拝観の前に、五十鈴川での禊も体感。

10月の神嘗祭は地元西条でも伊勢神宮に合わせて、伊曾乃神社での祭礼が執り行われるため…参加したことは無いのですが、

月次祭は、2010年12月から2016年の6月まで、10回ほど参加させて頂きました。

昨年は、6月15日夜の外宮さんでの月次祭も拝観させて頂くことができ、内宮さんとはまた違った流れの中…そして、外宮さん内宮さん共に大雨の中での御神事…。

6月の月次祭は、雨の時が多いけれども 昨年2016年の6月の内宮さんで夜の御神事の時の雨は、今までにない土砂降り。

ちょうど、4月伊勢で行われたサミットのあと…。

伊勢のサミットでは、7か国の首脳が 神宮の大宮司さまの案内の中、内宮御垣内で正式な作法にのっとり参拝をされたと…

各国の首脳が天照さまに御挨拶されたと…

私が師と仰ぐ三重県津に住む赤塚 高仁氏が伝えて下さいましたが…

あの日の大雨は、サミットで世界中の首脳が祈り…世界の浄化の雨となりいつも以上に凄い雨だったのかも…。

そして、内宮さんでの夜の御神事…大雨の中、ふと木立に目をやると無数の蛍…。

寒い冬も、雨降る中でも…2000年ずっと伝えられ守られてきた神宮の大切な大切な御神事。

人も自然も共に息づく森の中。

そして、翌朝 御垣内での正式参拝…御垣内の中に入るまでパラパラと降ってた雨が、ひざまづき…2礼2拍手…祈り…頭をあげた時に差した太陽の光。

目には見えないけれども確実に そこにあるもの…。

そんな見えない世界と対話しながら守られ続けてきた神宮での御神事。

御縁頂き、伊勢の神宮に参らせて頂けたこと…。

あの神宮の森の静寂の中、繰り広げられる2000年続く御神事。

そして、伊勢の神宮に参らせて頂いたことで改めて知った 地元西条で1880年続く伊曾乃神社の素晴らしさ。

今朝は、朝9時からの伊曾乃神社での月次祭に参列させて頂き…神話から繋がるこの神国日本に生まれ 生かされていることに感謝。

今朝、伊曾乃神社の堀川宮司様のお話しは、昨晩の高知での震度3の地震のお話…昔から台風や地震…諸々の災害も全て神さまが宿るものとしてきたやまとの心。

どんな時にも、ずっとずっと神さまと共に…♪

そして、大好きな讃美歌

主にすがる我に 悩みはなし 十字架のみもとに 荷をおろせば
歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ歩まん この世の旅路を

おそれは 変わりて 祈りとなり 嘆きは 変わりて 歌となりぬ
歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ歩まん この世の旅路を

主は いと優しく 我と語り とぼしき時には 充たし給う
歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ歩まん この世の旅路を

主の御約束に 変わりはなし 御許に行くまで ささえ給う
歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ歩まん この世の旅路を 

四国を攻めよ!

今、四国4県とJRグループ6社が大型観光キャンペーンとして、全国のJR主要駅や列車に「四国を攻めよ」と言うタイトルで四国がPRされてるそうで

当の四国に住む人間は知らなかったけれど、宇都宮から旅をしてきた未央ちゃんという不思議女子が三重県津駅で「四国を攻めよ」のポスターに心惹かれ、四国を訪れたと話し写真を見せてくれました。

「四国を攻めよ 良き日本は 四国に残っている」

君は 自分が信じた道を 
歩み続けているのか

四国を 吹き抜ける風が 
旅人に ささやく

夢は巡り 花は咲く

君は 心の内を見つめる
祈りの時に 包まれる

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弘法大師空海が、開いた四国88か所があることで、昔からお接待と言う風習が残る四国。

古事記の中、淡路島の次に生まれたという 四国。

今では、瀬戸大橋や鳴門大橋、しまなみ海道が通り本州と地続きとなり、便利になりながらも まだまだ四国は、本州に住む人々からみると遠い国。

一時、四国を「死国」と言われたこともあるほど、同じ本州と離れた 北海道や九州よりも 足が向きにくい所なのかも知れない。

弘法大師さまが結界を張ったからか、その死の国と言われるからか…
なかなか訪れにくいから今回の様なキャンペーンまで設けられたのかも知れない。

私自身、結構色々出向くことは躊躇なく動くけれど、案外四国から出ない人も多く…。

「四国を攻めよ」…なんてちょっと怖いような言葉。

現に豊臣秀吉が四国征伐を想像してしまいそうな…。

このJRのキャンペーンを知ってか知らずか、時の流れの中で 7月23日西条で、「ヤマトとユダヤ」 「イスラエルと四国」 「聖書と古事記」そして144000人の祈り…等々タイムリーな講演会が開催される。

https://www.facebook.com/events/260485847751851/?ti=cl

イベント詳細は☝こちら。

私自身を、聖書やイスラエル、伊勢の神宮に導いてくれた赤塚 高仁さんや 赤塚さんとのイスラエルの旅でご一緒させてもらった舩井 勝仁さんや 高知に住む不思議な小川 雅弘さん そして村中  愛さんも来られてのスペシャルな講演会。

「四国を攻めよ」

日本列島を龍に例えると、四国は子宮。

全てが生まれるところ…。

2017年5月、私も大きく風が吹き また違う自分に出会う旅が始まりました。

「四国を攻めよ 良き日本は 四国に残っている」

君は 自分が信じた道を 
歩み続けているのか

四国を 吹き抜ける風が 
旅人に ささやく

夢は巡り 花は咲く

君は 心の内を見つめる
祈りの時に 包まれる

攻める…と言うよりも

四国を吹き抜ける風を感じに 是非多くの方々に感じて頂きたいです。

 

変容の時

人生はゲームであるとも、ドラマであるとも言われますが…。

さすがに、50年以上この世での生活をしていると、自分の意志ではなく動かされている今があり、思い通りにならない出来事や、逆に思ってもいないような喜びもあったり…。

どこに生まれ…、どこで過ごし…、誰と出会い…、誰と過ごすのか…。

その時、どう思い…、どんな風に動き…、どう感じるか…。

いつもと同じ人、いつもと同じ場所、いつもと同じ考えの中で過ごすことで、日々の生活が過ぎる中、突然いつもと違う状況が起きた時

ゲームやドラマでは見ている側は、最高に面白い!!

だけど、当の本人は???

先の見えない未来の扉。

「思い」 と 「言葉」 と 「行動」

私自身がそんな状況に立たされた時、ふと浮かぶ聖書の言葉

「恐れるな! 主はあなたと共にいる」

どんな偉い人も…どんな頑固な人も…オギャーと生まれた時は真っ白な真っ白な心。

様々な人生、出来事の中で、作られてきたその人の性格や考え方。

三重県津市の赤塚建設社長、赤塚高仁氏に聖書をやまとの心で読み学ばせて頂いた時、人が大きく変えられる時のことをわかりやすく教えてくれたことがあります。

“アオムシ” が “サナギ” になり、“蝶” に変わる様に…。

“やご” が “トンボ” に変わる様に…。

「変容」

全く違うものに変えられていくこと。

「アオムシ」が成長して大きなアオムシになるのではない変容。

変容の前に、大きな転機を与えられるのかも知れない。

キリスト・イエスが十字架にかけられ、3日後に復活。

復活したイエスに逢い、神の存在そのものを信じたものが50日後、天に昇っていったキリスト・イエスを見て、

もう一度  どうか もう一度戻ってほしい!!  戻ってください!!

と、叫び…願い…祈った時に起こった人々の変容。

神の霊に満たされ、神の言葉を話し始め、神と共に生きる者へと変えられていった「ペンテコステ」と言われる現象。

アダムとイブが神さまとのたった一つの約束を破り、神の住むエデンの園から追放され、神と共に生きる生き方を学ぶための日々。

旧約聖書の中でも、神と共に生きた人物は数えることが出来るほど…。

やっと救世主が送られて来ても、その方が救世主であることを感じることなく十字架に送ってしまった垢(アカ)にまみれた人々。

大切なものは、目には見えない…ようにさせられているのかも…。

一人一人の人生のゲームやドラマ。

「楽しむために生まれて来た」地上での生活。

ただ肉の世界の楽しみではなく、

主が望む生き方の中 楽しんで勝利していきたいものです。

 

 

 

give & gag

毎朝届けられる吉元由美さんのファンクラブからのメッセージ

今朝届いた言葉は

「give & gagで時代は大Happy時代を迎えよう」

由美さんの御主人日本エドガー・ケイシーセンター会長の光田秀氏が永年翻訳・研究を続けられてるエドガー・ケイシーも笑いについてはこんな風に残しています

「いつも誰かの役に立とうとする態度、快活な姿勢、希望に満ちている態度を保つようにせよ。

楽観的であれ! 毎日、あなたが何か言うことで、少なくとも3人の人を心から笑わせなさい!

それはあなただけでなく、他の人を助けることになる」(798-1)

この798-1のリーディングはある病人に対し与えられたものだったそうです。

ケイシーは、様々な要因で、日によっては陽気になることもあれば、陰鬱な日になることもあると認めてはいます。

しかし「それでも」…  ケイシーは、こう言葉を続けています。

「毎日3人の人を笑わせるという処方(レシピ)を忘れてはならない! 」

悪口は言わない。辛辣な言葉を吐かない。そして1日3回人を笑わせる。まずは今日1日だけでも…と。

ツラいときほど笑うことが出来たなら、きっと神さまは胸の内をちゃんとわかってくれていてギュッと抱きしめてくれているに違いない。

光田先生に紹介して頂いた三重県津の赤塚建設社長赤塚高仁氏は、講演会のはじめによく「4つのお願い」をされてお話が始まります。

先ず、うなずくこと。
そして、拍手。
そして、笑うこと…。

この笑うことをお願いするときに、言われるのが

面白い話を聞いて笑うのは素人。面白くないのに笑えるのはプロ…。
何でもないのに笑っているのは達人ですと…。

笑いを投げられ、受ける側も「素人」「プロ」「達人」とレベルがあるのですから、日々油断できません(笑)

そして、4つ目のお願いは「講師に期待しない!」と言って笑わせる赤塚さんの講演はなんとも神業の様なものかもしれません。

私の武器は「笑顔」だと勝手に思ってます。

美人でもなく、特に頭がいいわけでもない私…

「女は愛嬌」という言葉通り、無愛想な顔でいても何もいいことがないことにいつ頃から氣づいたでしょうか。

氣づくと笑っていました。無理して笑ってたこともあったのでしょうか?
記憶力の悪い私。そして泣き虫の私。

ツラい思い出は、涙と共に流されてしまったのかも知れません。

ずっと前に、ツラい時に我慢をしてしまうと「うつ状態」になってしまうと聞いたことがあります。

人間のもつ感情-喜怒哀楽というものは蓋をしないことが本当に大事なことなんだな…と思わされます。

習う…慣れる…そして習慣に…。笑うことも練習から…。

笑いを与える方も、受け取る側も…相手を思いやるところから始まるのかも知れません。

いつか、誰かが私の話す言葉や笑顔で勇氣がでたり、笑顔になったりすることが出来ますように…。

いつも「give & gag」を心がけて…大大大Happy時代へ。

 

 

 

霊の果実

日本エドガー・ケイシーセンターから毎日届けられる「珠玉の言葉」

肉体が食べ物を必要とするように、霊と精神にも食べ物が必要です。

It is just as necessary that there be food for the spiritual and mental man as for the physical man.

(3624-1)

私たちの身体の中の

ボディ(肉体)・マインド(心)・スピリット(魂)

よーし!頑張るぞ!!と、思ったとき 身体が動き、思いが溢れ、そして魂がわくわくと震える。

この魂がわくわくと震えるほどの、トキメキを人は何度経験するのだろう。

思いは、考え方 思考で、いい風に 変えることが出来る。

しかし、魂は本物にしかきっと反応しないし、魂に刻まれたツラい思いは簡単には癒えないのかも知れない。

そしてまた、喜びの記憶も…しっかり刻まれた喜びの記憶はブレずに生きる指針ともなりそうです。

そして、この魂の記憶が示されたものが「アカシックレコード」

人は、何度も生まれ変わり前世でやり残したことや、過去世での傷の修復や喜びの再確認をするのかも知れない。

過去世や前世の記憶が消されて生まれて来てるにも関わらず、人は逢うべき人に出会い、様々な経験もしていく。

そして、私の魂をいつも震わせてくれる聖なる書物…聖書。

数年前、私自身 津の赤塚さんの薦めもあり「幕屋」という無教会でのキリスト信仰の師に学ばせて頂いておりました。

そして、今は離れてはいるものの毎月「生命の光」という信仰誌が届けられ、その誌面に示された信仰者手島郁郎氏の言葉にもまた力を頂きました。

宗教は、人生の苦しみ、これをどう解決するかを一つの大きな課題とし、宗教によっては、この世に生きる苦しみ、矛盾に対し考えても仕方がないからと…諦め、悟るべきことを説いているけれど…

キリストの宗教はそうではなく、イエス・キリストは人々の苦しみを共に背負おうとし、その姿は十字架上の死によっていちばん深く表され…。

自ら傷ついてでも人々の苦しみを背負おうとする姿。

「私のさばきは正しい。ただ、父なる神の御心だけを求めているから、この世の常識や倫理、考え方、道徳と違うのだ」

と、いうキリスト・イエス。

また、「天の父は悪しき人にも善き人にも太陽を昇らせ、義(ただ)しき者にも不義な者にも  一視同仁、雨を降らせたもう神様である」とも…。

人の心の奥底に潜む「神性」

「自分からは何一つできない」というキリスト・イエス

しかし、長い間苦しむ者を見ると、その苦しみを分かち合い、背負い、その苦しみの中に自分自身も共に身を置き…癒す。

「血を流し、命を捧げた人たちの涙というものは、ただでは終わらない」とも言われる。

肉を十字架上に置き、身を以て示した 神のひとり子キリスト・イエス

…その生き方が示されている聖なる書には魂が震わされます。

触れることによって、傷ついた心も 乾いた霊も 満ち足りた精神にも多くの栄養を与えてくれます。

良いときも 悪いときも 富めるときも 貧しきときも 病めるときも 健やかなるときも…

どんな時も降り注いでいる神さまの愛と光…。

そして、その愛と光は信じ受けるだけ…。

食べ過ぎがないほど 常に受けることの出来る霊の果実の詰まった聖なる書…出会わせてくれた主に感謝いっぱいです。

 

 

 

習慣

主人が作ってくれたこのホームページが出来上がったのは昨年10月。

そのホームページの中に、私の書き込むブログを付けてくれたのは良いけれど、書きづらく10月に2日書いただけでストップ。

しかし、いろんな人が様々な形で自由に情報発信出来るブログは、Facebookとはまた違う良さがあるように思っていただけに、せっかく作ってもらったブログに書き始められない自分に自己嫌悪。

「どうしたもんじゃろのう~」と思って、主人に「なんかフォームが凄く書きづらいんよね!」と愚痴ってみると、なんかフォームをチェンジ出来るんだとか…。

色々開いてみて、わっ!!!いい感じ~ってことで、12月半ば 今の書きやすいフォームに決定。

「よーし!!頑張って毎日書くよ~!!」とブログの女王のような友達に宣言。

そして、もう少しで100日。

我ながら、こうやって書くことで頭の中がちょっとづつ整理されてくる毎日。

始めて良かったなー…とつくづく思います。

コツコツ書く「習慣」

元来、3日坊主の私。

テレビショッピングで、ワンダーコアを購入しながらも1~2週間使ったっきりで、後で後で…と思ってしまい…。

「続けられない」という悪しき習慣。

こんな習慣はいらないんでしょうが…。

習慣…朝起きたら歯を磨き、顔を洗い、トイレに行くと手を洗う…。

お風呂の中では同じ場所から洗い始めるのも習慣。

「おはようございます」「いただきます」「ごちそうさまでした」「行ってきます」「ありがとうございます」「どうもー」…人との会話の中での習慣のように発しているコトバ。

電話をしながら、頭を下げお辞儀をしてしまうこともある。

「習慣の奴隷」という言葉もあるそうだけど、これが「あたりまえ」ということにも繋がってくるのでしょうか。

長くお付き合いしているカップルのように…。

私も主人と出会いデイトしてた時は、ドキドキワクワク…していたのに、こんなに毎日ソバにいると そんな新鮮な氣持ちはもう全く起こることもなく…。

まっ夫婦でずっとドキドキしてたとしたら、心臓に負担掛かりすぎて大変なことになってしまいますが…。

習慣や当たり前という中の「落とし穴」の様でもあります。

スキー教本の中にも「習う」「滑る」「慣れる」とあります。

先週まで受けていた、チャレンジスクールの中「ビジネスマナー」を教えて頂き、自己紹介やお辞儀の仕方習いながらも、いざそういう場面が来たとき  なかなか実践出来ず…。

「習い」「意識し…」「習慣とする」

カイロの技術を学んできた時もそうでした。

習い…全く初めはわからなかったことが、解るようになり…。勝手に動いていくような手の感覚。

車の運転も…お料理も…このパソコンだって、結婚した時は私自身ワープロを使うことがやっと…。

パソコンの電源を入れることすらわからず、メールもチラシを作ってもらうのも主人に頼み…。

でも微妙なところが氣になる私と、このくらい大丈夫っという主人の間ではいつも喧嘩になり…(笑)

そんなんだったら私がやる!!って言うことから、チラシも自己流ながら作れるようになり…。

やっぱり「時」が来て習慣が出来てくるのでしょうか。

人にはそれぞれの「時」があり、私自身このブログを書き始めるのに「時」が来て始まり…そしてまた終わりが来るのでしょうか。

三重県の津に住む赤塚さんがヘブライ語で示された創世記の一節の中で見つけた神さまが創ったものに「始まり」と「終わり」があると…。

光と闇、天と地、海と陸、地に住むモノ、海に住むモノ、空を飛ぶもの、自分に似せて作られた人。

しかし、日本語に翻訳された聖書の中には記されていない、ヘブライ語で示された創世記の中に、もうひとつ神さまが創ったものがあり、それが「始まり」と「終わり」だと…

なるほど…

人のこの地上での始まり「生」も、この地上の最期「死」の時も見えない神さまが創られるもの。

この地球の始まりも終わりも…きっと然り。

人の出会いも別れも、やはり自分自身で選んでいるようで、やはりみえない神さまに寄って私たちは出会わされ、そして離れていくのでしょか。

結婚することにによって新しい人生が「始まり」そして二人の間にもいろいろな形で「終わり」があり

また子供もそう…。

子供が生まれることにより「母」や「父」という親になることが「始まり」そしていつかこの世を離れるとき「終わり」が訪れる。

私自身、このブログのフォームを変えたところで毎日書くことが始まり、いつどういう風に終わりを迎えるのか想像も出来ないけれど、示されるままに…。

54年間の人生を振り返り、少しづつ文字に書くことで整理され

そして、どこかで誰かが読んでくれて、私の学んで来たことや思いが、チカラになってくれると嬉しいです。

イスラエル

アジアの西の端にある、四国と同じくらいの面積の国…イスラエル。

エドガー・ケイシーは、「イスラエル」とは、同胞に先立って召し出されたものという意味だと言われました。


旧約聖書の中、神さまが99歳のアブラムと交わした契約。

「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。
あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。
わたしは あなたを多くの国民の父とするからである。」

アブラハムから始まった子は2人。


ひとりは子供に恵まれなかった妻サラの仕え目ハガルに生ませた子イシマエル。

そしてもうひとりは、年老いた妻サラが神の霊により生んだイサク。

仕え目の子イシマイルには子が、12人。そこから広まった今のアラブ人。

そして、正妻サラの子、イサクには 兄エソウと弟ヤコブのふたりの子供。


アブラハムの孫の中 イサクの子であるヤコブに神さまは

「あなたは、もはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」

そして、しばらくたって後にも神さまはヤコブの前に現れ

「わたしはアブラハムとイサクに与えた地をあなたに与えよう。また  あなたの後の子孫にその地を与えよう」と言われ、

聖書の中で初めてイスラエルと呼ばれた者。


このイサクからヤコブ、そしてヤコブの12人の子へと続く子孫がイスラエルの12部族へと繋がっていくそうなのですが…。

アブラハムから繋がって来たイスラエル…神さまから祝福された者の子孫のひとり、ヤコブの子ヨセフはやがてエジプトを救う王となり 兄弟たちも共にエジプトに住むようになるが

時が経ち、エジプトでユダヤ人はエジプト人の奴隷として使われ嫌われるようになり…。


そして、モーゼが神さまから命を受け、イスラエルの民を連れて出たエジプト。

海を越え、神さまとの約束十戒を受け、聖なる地に向かい40年。

モーゼは約束の地に入ることはなかったけれど、その意を継いだヨシュアが民を連れヨルダン川を渡って入った約束の地、イスラエル。

モーゼが受けた十戒。神さまとの約束…律法を守ることで神さまに忠実に従ってきたユダヤ人。

その10の約束事が、どんどん細かく制約されて613にまで増えてしまった律法。


とことん神さまに忠実に生きようとするユダヤの民にとって、どんどん増えていった律法は苦しみともなり…救世主を求めるように。

そのユダヤ人の願いが聞き届けられ、2017年前 天から命を受けて生まれて来たひとりのユダヤ人。

キリスト・イエス

神の言葉を伝え、神と共に生きる生き方を示し、人のために命を投げ出し救い、そして人は死なないということを示すために復活して見せた神のひとり子 救世主イエス。


私が聖書を読み、この小さな聖なる地に憧れ 訪れるようになったのも イエス様を愛し、イスラエルという国のことを多くの方々に伝え続けている三重県津市の赤塚建設社長の赤塚さんに出逢ったことから。

2014年4月に10日間 一緒に聖地イスラエルを旅させて頂きましたが、訪れるひとつひとつが、聖書に示されている聖なる地。

そして、イエス様や弟子のペテロの足音や会話が聞こえてくる空間。


2000年前、自らの救世主を自ら十字架に張り付けにさせてしまったことで 国は滅び戻る場所もなく 各地で流浪の民となってしまったユダヤ人。

イスラエルという国が、願い祈り再建された1948年。

その初代首相ベングリオン氏のお墓で歌うイスラエル国歌「ハティクバ」

希望という歌

どこまでも続く砂漠。

10日の間、旅人は雨の心配をすることのない国。逆に言えば、砂漠の中 渇き水を求め続けている国

梅雨の季節もあり、水の心配をすることなく、自然の恵みと四季折々の喜びを感じられる日本とは違う過酷な国であるにもかかわらず、

人は寄り添い、国を愛し、神と共に生きる国イスラエル。

イスラエルから戻った時感じた、不思議な感覚。


この豊かにみえる日本の中に感じる空洞。

何だか鍵っ子と呼ばれる子供が、家に帰って感じる感覚と似ているかもしれない。

大家族で過ごした子供が、ひとり暮らしを始めてふっと感じるような虚無感のような…。

無くしてみなければわからないもの。

有るから見えないもの。


きっとイスラエルの人々の細胞のひとつひとつには、祖国を失い異国で感じた寂しさ、悔しさ、虚しさ…がずっとずっと繋がれて来ているんだろうとも感じ…。

世界で唯一 再建された国イスラエルだからこそ学ぶことは多い。

日本も愛の国、神の国。

ツーと言えばカーと答えられるほど、相手の思いも感じ取れるほどの、同胞だからこそ感じられる愛。

東京オリンピックのプレゼンテーションの時に言った「おもてなし」の国。

この国が永遠に続きますように…と、一度国を失い再建した国イスラエルを肌で感じたからこそ願う思い。


平和と感じる中にどっぷりと入ってる今、何かポッカリと空いた空洞を 愛で埋められるように…

この日本という国を選び生まれさせて頂いたことに感謝し

国を愛し、自然を愛し、人を愛し、何より自分自身に求められていることを知り…

ケイシーが言うように、同胞に先立ち召し出された者のひとりとして…

希望を胸に祈り動いて参ります。

日本よ!永遠なれと…。

今日の動画はイスラエルとは違うけれど、

母をたずねて三千里 「草原のマルコ」

 

 

 

 

 

 

 

 

真実の扉

真実ってなんでしょうか?

もし、生まれてお母さんが「りんご」を「みかん」と呼び、子供にも「りんご」を「みかん」と呼ばせたとしたら・・・。

昔、オオカミに育てられた少女は、オオカミの毎日の習慣を真似て育ったので、四つ足で歩き ご飯も口でかぶりついていたとか・・・。

当然、服を着ることもなく排泄後始末することも、オオカミの真似をして、オオカミがお手本ですから…。

人は、出会う人 目の前の人の真似をして育ちます。

人だけではないかも知れません。

「みにくいあひるの子」は、あひるの中で育ったので あひるだと信じ、周りのみんなと比べ劣等感を持つことさえあり…。

そこにある「りんご」は確実に存在する物体。

それを、呼ぶ名称が「りんご」と名付けられ、「りんご」とみんなが呼び、当たり前に継承されていく。

だから、社会生活で混乱が起こらず 過ごせているのかも知れない。

でも聖書の中、「バベルの搭」のお話の中では、神さまは全ての言葉を変えて、混乱させ、世界中  それぞれの言語で意思が通じ合わなくされたとも…。

日本人同士であれば、固有名詞はちゃんと伝わり良いのだけれど、生活習慣や思想的なもの…そういったものに関しては、やはり真実はひとつとは限らないように思えます。

実際、今の日本には、新興宗教やキリスト教、また仏教の中にも、宗派が色々あり、真実を「これだ!!」と決めることのないのが日本人の良い所でもあり…。

また、色々あるから迷っている人もいて…。

昨年から、太陽院で扱っている「水素」や「健康寝具」に関してもそう…。

「水素」は何か薬剤を入れるわけでも無く、水が電氣分解され発生するだけのものなので、悪くても現状維持。

良ければ、体液の質が変化し、また皮膚疾患にも変化が出てくるし、しかも冬は湯冷めもしにくく、私自身がイイと思ったので取り扱わせてもらっており、

「健康寝具」に関しても、開院以来20年以上扱ってますが、モデルチェンジもなく、また私自身が使用しているマットや枕も、20年以上使えており、

素材自体も“東レ”が開発した冬面は体温をこもらせてくれる“東レぺフ”、夏面は通気性に優れ、しっかり就寝時に身体をサポートし筋肉を緩め、

自分自身の持ってる自然治癒力を引き出してくれて、なにしろ施術の回数を減らせてくれる。

まっ、何を自分自身が信じるか!

信じたものが、真実と呼べるものであるかどうかは ひとりにひとつづつなのかも知れないし、誰が言ったものを信じるかどうかなのかも。

そして、モノだけでなく   やはり見えない世界のことは、

特に誰に出逢うか?何を信じるか?っていうのは、人生を豊かにもつまらなくもしてくれる氣がします。

私は、2008年エドガー・ケイシーを伝えてくれる日本エドガー・ケイシーセンター会長光田秀氏に出逢い、伝えて下さる様々なことが真実であると直感し、それから色々学ばせて頂きました。

そして、光田先生を通して語られる見えない世界や古代史、ケイシー療法の数々も…。

見えない世界だからこそ、人はあれこれ迷うけれど、伝え続けてくれる光田先生自身がぶれずにケイシーを信じ伝えてくれてるので、私は素直にそこに真実をみることが出来てるように感じます。

その光田先生から紹介してもらったもらった三重県津市の建設会社社長赤塚高仁氏。

聖書や古事記、日本のことや、天皇陛下のことそして、真実のイスラエル…なかなか伝えることが難しいことの数々を、わかりやすく伝えてくれる赤塚さん。

赤塚さんから伝えられるひとつひとつのことが、伊勢に行き、イスラエルに行き、皇居の勤労奉仕で天皇皇后両陛下の御会釈を賜り、そしてペリリューにも行かせて頂き…。

私自身もこの目でこの足で、感じさせてもらい、そして確実に真実の扉がひとつひとつ開かれていったと感じます。

何か見えないエネルギーに寄って、出会わせて頂いたお二人が、「りんご」を「みかん」と読んでたら、私も「みかん」と呼び始めるかも知れません。

お二人を知らない方は、「えっ!!大丈夫???」って思うかもしれませんが、私はそれで良いと思ってます。

事実はひとつだけれども、真実はひとりにひとつ。

誰に出逢い、何を信じ、何を感じるか…。

自分が、自分自身はこういう人間なんだ!と思ってることでさえ、また真実の自分自身は違うかも…。

そして、それがもし間違いだとしても、真の光を求めて動くこと事態を、きっと神さまは「よし!!」としてくれるのだと…。

新約聖書「エペソ人への手紙」より

神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、

御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。 

それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。

わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。

それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。

あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。

この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

20歳頃好きで聴いてた河島英五さんの「てんびんばかり」