73年目の夏の日

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

8月15日…大東亜戦争の終結を昭和天皇の玉音放送にて全国民に伝えられた73年前の今日。

日本のみならず、大日本帝国軍によって 統治していた国々は この日本の敗戦によって 他の国々の植民地になることではなく 次々に独立を宣言。

まさに アジアの多くの国々の歴史をも変えた 終戦。

73年前の正午に ラジオにより受けた昭和天皇のお言葉。

どんな思いでその玉音を聴き…そしてどんな思いでその夜を迎えたのでしょうか。

昭和天皇は、只々日本の國體を守るため…124代続く皇室が祈り守ってきた 「国家の安泰」と「国民の平安」

空襲警報が鳴らない…鳴ることの無くなった敗戦の夜。

お月さまや夜空をどんな思いで見上げたのでしょうか?

今日、8月15日…終戦記念の日、伊曾乃神社での月次祭に ファミリーサポートで預からせてもらっている 来月2歳になる「そうちゃん」と共に参列。

輪廻転生があり、そうちゃんもまた この日本に再び生まれて来たのであれば、1880年続く伊曾乃神社の静寂で神聖な空気をどう感じたでしょうか?

太鼓と雅楽の音色と、境内の蝉の声。

もしかしたら、前世へとタイムトリップしていたかも…。

古事記の中、この世に住むイザナギと黄泉の國に住むイザナミの喧嘩。

毎日1000人呪い殺すというイザナミに、毎日1500人生み出すというイザナギ…。

生れては死に…死んでは生まれる…。

どちらが本当に生きる場所なのかは 分からないけれど 私自身今年9月に56歳。

そして、そうちゃんは、9月に2歳。

生まれては死に…死んでは生まれ

そして、出逢いもまた同じく…。たくさんの英霊の方々の熱い思いが

出逢っては別れ…そして別れてはまた出逢い…。

73年前、戦争の最中 愛する祖国や家族の為に戦い散って逝った尊い魂の数々もまた 同じ愛する国に生まれ…そして家族と共に生きるために生まれ変わってるのかも…知れません。

平成最後の終戦記念日。

終日降る雨が、たくさんの英霊の方々の思いを伝えてくれてたようでした。

敗戦前夜…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)v

テレビで「モスグリーンの青春」という宮崎県から特攻で飛び立って行く若者を見送って行った 整備士として飛行場で勤務していた安田郁子さん。

当時…20歳

安田郁子さんが、ひとりでも多くの方々にその時の思いや様子を 伝えていきたいと 語りべとなり宮崎特攻の事を伝え続けている安田郁子さん。

そして、明日終戦を前に93歳の安田さんが今でも忘れられない音があると…

モールス信号!!

ツゥー ツ ツ ツ ツーーーーーーーーーーー

我 只今 突撃す!というモールス信号の後、ずっと信号を押したまま通信。

音が消えると同時に、消えていく命。

明日 「終戦の詔」が発令されると同時に全てが変わっていく日本。

祖国の為に散華していった尊い命と、荒れ野原の中築き上げて行った戦後を支え生きてきた命。

どちらも尊い命。

その尊い命から繋がってる今を生きる命。

お盆と終戦記念日を前に、73年前の先人や先祖と繋がる時間。

忘れてはいけない命。

日本よ永遠に!!

そして、ヒロシマ・ナガサキと被爆地を持つ日本が、世界平和の先駆けとなります様に…

師匠…遠方より来たる…(^^)

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

大好きな師匠が奥様と この夏四国へ…!

西条に寄ってくれるといいな~と、思っていたところ、夕方お墓掃除に向かってた時に気付いた電話。

早速かけなおしてみると、西条に寄ってくれる…と、嬉しい言葉。

お盆は、あの世に戻っていった人たちだけでなく、この世の人との再会も果たしてくれる幸せなひと時。

そして…駅前の居酒屋さんで再会。

高知馬路村のおいしいゆずドリンクもお土産に頂き…感謝♡

私たち夫婦ともども大好きな御夫婦だけに、お酒の力も借りて、素直に伝えたい師匠への思い。

四国が大好きと言ってくれるご夫婦とのご縁があったから、繋がる今。

伊勢の神宮に行った時も、イスラエルに行ったことも…また日本人として、皇居の勤労奉仕へ行けたことも…私自身の中、その時々のご縁に神様からの祝福を感じ…♡

どうか共に還暦という二文字が目の前に浮かぶ年齢を迎えても神さまの愛の世界の中、この肉体をもった世界でしか出来ない修行。

心の健康、身体の健康、そして経済の健康…3つの健康を手に入れられる世界の為に…

この世で、私自身が師匠と呼べる人は…数人。

本当にうれしいひとときを共に過ごさせて頂けた神様に…感謝♡

陰と陽…夫婦相和し…

一番大切な奥様と動けるこの地球での時間。

どうかこれからも 我が家もですが、お二人仲良くまた西条にも寄っていただける様・・・楽しみにガンバります。

 

お盆と終戦の8月…

太陽院院長 近藤  千恵子です(^^)v

日曜日…テレビ版「この世界の片隅に…」がドラマで放送され、実はまだアニメ版を観て無かったので、毎週綴られていく戦時下の呉での様子に目が離せない。

8月15日を数日後に控え、この先がどんな風に展開していくのか気になって仕方がないので、明日にでもレンタルビデオでアニメ版観てみたいほど…。

お盆と終戦が近くなる今の時期…日本人としては胸が熱くなる話を知ることも多く…

そして今日は、7月の最終日曜日の台風接近の予報で延期になっていた神風特攻敷島隊五軍神を祀る楢本神社の勤労奉仕。

朝、7時を過ぎると暑くなるので、朝6時から開始。

私は最近 もっぱら記念館の拭き掃除。

小学5年生の頃の敷島隊隊長 関 行男氏の写真に見守られながらの拭き掃除。

250㌔の爆弾と共に散華していった多くの英霊たち…そしてアメリカ軍により無差別に多くの命をうばってしまった原子爆弾。

その爆弾のレプリカも拭きながら…この8月は時に感慨深い。

そして、今日はお昼3時から夜8時まで 子育て支援の中ファミリーサポート。

滅多にサポート以来することも無く、久々のサポートだけれど、今日はお母さんが松山でのB’zのコンサートにやっとチケットが購入できたってことで、お友達と松山へ…!!

ちょうど目が離せない1歳4か月。

歩くけれど…不安定。

分かってる様でまだ分かってなく、ずっと目が離せない状況。

ご夫婦ともに経営者であり、時間が有るようで、子供を育てながらの生活はなかなか難しいしいだろうな~と,たった5時間預からせてもらって切に思うこと。

幼子の頃の記憶などは、ほとんど忘れてしまっており…私自身、子育ての経験もないので、サポートさせて頂くことで知る母や父の思い。

何事も「想像力」

戦争の頃の生き方も…現在の子育ても…全て想像することで見えてくるその時代を生きて来た人々の思い…。

8月…終戦とお盆を迎える日本人にとっては 一年の中でも特別な日々。

明日は、夕方からお義父さんの新盆。

今年2月8日、天に還って 半年。

そして、お盆には2013年12月天に還って逝った私の母も里帰り…。

見えないけれど、確実にある世界。

想像力を最高にアップさせ…暑い夏の終戦の思い。

そして、御先祖様への感謝の思いも祈りに載せて…迎えたいと思います。

山の日に思うこと…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)v

今日は山の日。

我が町西条には、西日本最高峰の石鎚山。

40歳の時、登ったのが最後…膝の悪い私にとっては、今は遠くから拝むだけ…。

思えば、国鉄職員だった私の父は、列車の連結の際に左膝下を切断する事故に遭い、左足は義足。

昭和3年生まれの父は、私が生まれた時34歳。

夏には、川に泳ぎに行き 義足をはずして一緒に泳いでくれ…、そして、石鎚山の山頂にも連れて行ってくれた父。

途中まで、ロープーウェイはあるけれど、登るとなると健脚でも大変な山。

今思えば、自身のハンデを全くハンデと思わせず 堂々としている父は誰よりも偉大で尊敬出来る人。

そして、今年90歳の父は、幼子の様に可愛くて…実家に帰ると父に寄り添い、ホッペにチューしてしまうほど…。

人生の中で、何度も死と隣り合わせになった事のある父は、その山を乗り越える毎に強くなってたのかも知れません。

山にはもう登れないな~と、弱い私は山を見上げ思ってしまうけれど、義足の父が平気な顔して登った山だと思うと、山には登らなくても…これからの人生の山場…乗り越えられる原動力。

山の日に…改めてこんな強く優しい父の子に生まれたことを喜びに感じます♡

ご縁に感謝♡

太陽院院長 近藤 千恵子ですヽ(^。^)ノ

今日、夕方…市の子育て支援 ファミリーサポートでサポートさせてもらってる「そうちゃん」のお母さんから電話。

「また 突然ですが…良いですか?」

「イイです!イイです!!6時半までに迎えに行けばいいですよね…」

ってことで、夕食の準備して…6時に乳児園へお迎えに…

車に乗り込み、我が家が近くなると「ここ!…ここ!…」と、指さすそうちゃん♡

我が家に帰り、自分で靴を脱げてたので…先に部屋に入ってみたけど、まだそうちゃん上がってこない!!

???

と、思って見に行ってみると 左の靴は脱げたけど 右の靴がなかなか脱げずに苦戦中!!

ちょっと手助けし…靴を脱ぐと、一目散で主人の元へ!!

「おいちゃ~ん!!」とは言わないけれど、全身で喜びを伝えてくれる姿に わたし達夫婦はメロメロ~♡

そして、今日は7時にはお母さんが迎えに来て…さよなら!!

帰ったあとも愛の余韻が残り…そして何より、主人はそうちゃんが一目散で主人の元に駆け寄って来てくれたことが、

嬉しくて…嬉しくて…嬉しくて…

何度も「そうちゃん 走って来たんよね!!」と…。

はいはい!!あなたとそうちゃんは 相思相愛♡(笑)

我が子には恵まれなかったけれど、こうやって幼子を抱かせてもらえる倖せ。

次は15日朝8時から預かる予定♡

ちょうど、お盆でもあるけれど、9時から伊曾乃神社での月次祭。

一緒に 天照さまに御挨拶して参ります。

そして、昨日夜中…ふとテレビをつけると鶴瓶さんの「家族に乾杯」。

ゲストが、今放送中の朝ドラ「半分、青い。」の永野芽郁ちゃん。

ついつい夜更かしし、見てた所…鶴瓶さん!小学6年生相手に…

「縁を大事にすると 運が良くなり ツキが回ってくる」と…。

訪れた長崎県雲仙市…出会った6年生は5人だけ。

その中で集まった子供たちに「ご縁、運、ツキ…」としっかりとレクチャー♡

本当に、我が家もファミリーサポートで、そうちゃんや他にも可愛い子供たちに出会わせてもらったこと…神さまの御計らいと喜び、運もツキも味方にいるな~と感謝感謝(^^)

そして明日は、知らない間に休日になってた8月11日山の日。

国民の祝日なので、しっかり国旗掲揚致します…

そして、あすの高校野球…第4試合では 奇跡の様な「下剋上」を成し遂げ甲子園初出場を手に入れた三重県代表「白山高校」の初戦。

私が中学一年の夏、初出場し…奇跡の様な準優勝を手に入れた、後のわが母校となった新居浜商業高校。

白山高校も明日の初戦…どうか神風の国の代表らしく最高の試合となります様に…。

山の日だけに…白山高校、白星になるかな?

きっと明日は、イチローの母校 愛工大名電アウェイでの試合の様になってしまうかも…。

忘れてはいけない4つの日

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

今上天皇がまだ皇太子時代、「日本人が忘れてはいけない4つの日がある」とお話になられたそうです。

その4つの日とは…

8月6日の「広島原爆の日」
8月9日の「長崎原爆の日」
8月15日の「終戦記念日」
そして、6月23日の「沖縄戦終結の日」

暑い暑い日差しの中、原子爆弾が投下された中心部付近では3000℃~4000℃にもなる熱さ…

一瞬にして、すべてのモノを焼き尽くしてしまった核兵器爆弾。

今日も被災地ナガサキでは、73回目の原爆の日。

ノーモア長崎! ノーモア広島! ノーモア被爆者…と、今回初めて式典に参加された国連グレテス事務総長。

どんなに言葉を並べても…戻ることの無い悲しく、悔しい出来事。

大浦天主堂の鐘の音と、蝉の鳴く声…そして暑い暑い夏。

そして今日、長崎に生まれ…長崎に住むお友達のfacebookの投稿に、「正午に虹がかかりました」…と。

大きな日輪の下には、虹色の龍のような雲…。

ツラく 哀しい出来事を、祈りと讃美歌と神さまへの絶対的な信仰を持って乗り越えて来た ナガサキに…日輪と虹♡

言葉に出さなくても…ちゃんと一人ひとりの胸の中の思いを暖かく包み示してくれる神さまの愛。

平成最後の大切な4つの日が全て過ぎ、2019年74回目は新しい元号で迎える日本人が忘れてはいけない4つの日。

元号が変わっても、世の中がどんなに変わっても忘れてはいけない出来事。

未来永劫 追悼と鎮魂そして平和への思いが繋がれていきます様に…。

残暑お見舞い申し上げます♡

太陽院院長 近藤 千恵子ですヽ(^。^)ノ

なんだか空が高く感じ、少し秋の気配を感じるな~と思ってたら…昨日立秋を迎えてました。

改めまして…残暑お見舞い申し上げます♡

そして、今日は8がふたつ並ぶ8月8日。

ライオンゲートが開く日なのだとか…。

ライオンゲートと聞くと、頭に浮かぶのがエルサレムのライオンの門。

そして、そこで石打ちの刑を受けながらも キリストの光に包まれ天に還って逝ったステパノのこと。

昨年同じ8月8日のブログでも ライオンゲートとステパノのこと…書いてました。

http://taiyohanasaku.waterblue.ws/chieko/wordpress/2017/08/08/%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%82%aa%e3%83%b3%e3%82%b2%e3%83%bc%e3%83%88/

実は私…「ステパノLOVE♡」

ステパノは、イエス様の昇天後に誕生した初代教会において12弟子たちの働きを助けるために選ばれた7人の執事のひとり…。

共に傍にいた弟子たちではなく、イエス様を通して伝えられた神の栄光を受け殉教したステパノの信仰に本当の神様と手を結んだ人間の強さを見させてもらったような出来事。

そして、今日ポストに届いていたキリストの幕屋の「生命の光」8月号

我が家で2012年8月から2015年1月まで聖書を学ばせて頂いてた松山幕屋の伝道師竹下仁平先生のお孫さん「ゆうげん君」の病との葛藤の様子が数ページにわたり記されており…

そこにも信仰に生きたモノへの神様の愛をヒシヒシと感じさせて頂きました。

わずか15歳で脳腫瘍を患い、闘病の末16歳で召天していった「ゆうげん君」の最期のノート。

ゆうげん君の魂を捕らえたのは、幕屋の創始者手島郁郎先生の講義録の中、ロバート・ブラウニング氏の英詩「ラビ・ベン・エズラ」

「私は死ぬために生きない、生きるために死んでゆく。
これキリストの死生観である。
…生死を透脱しても働くは、キリストの霊である。
永遠の義である。
死は死でない、愛である。」

この詩を知り、ゆうげん君は日記に…

「死は死でない、愛である」
という言葉を聞いた時、涙があふれ出る。すごく嬉しい!

と、こう最後のページに記していたそう…。

そして、いよいよ天に還るとき、祖父である竹下仁平先生は、孫のゆうげん君に、ヨハネ伝12章のイエス様が十字架を前に祈ってる箇所を読み、天に行く導きをし…そして

「ゆうげん!次は君の死を通して、キリストの栄光は現れるんだ」と…。

そして、意識の無かったゆうげん君が、天に向けて「うわっ!うわっ!」と、二度声を上げたのち昏睡状態に…。

キリストを知り、キリストに生き…、キリストの栄光を、自ら現わすこと…。

世に言う「ライオンゲート」は、8月8日地球が銀河系の中心にやってきて、私たちがいる物質世界と霊的世界が繋がる時なのだそうだけれど…

私自身、ステパノやゆうげん君の死を通して神さまの栄光を感じ、いつか死を迎える時も「死は死でない、愛である」という言葉の中 生きていきたいです(*^^)v

 

 

夏こそ水素風呂♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

認知症の叔母との生活から解放され、広々ゆったりと浸かる水素のお風呂は 至福のひととき。

そして、前世人魚だった…(笑)と勝手に思ってる私は、水素風呂に頭から浸水する時が最高にしあわせ♡

圧が変わり、母胎にいた時の様な静寂感。

太陽院に設置している酸素カプセルも海底3mほど潜ったくらいの圧がかかるので、母胎で眠ってるような感覚♡

そんな水素風呂や酸素カプセルは、体力減退の今の季節の救世主。

そして、そんな水素風呂を取り扱うきっかけを作ってくれた 三重県津市の赤塚建設社長 赤塚高仁氏の今朝のブログ…☟“「ビックリ現象」こそ決め手”にビックリ!!

http://www.akatsukakensetsu.co.jp/akatsukakoji-blog/%e3%80%8c%e3%81%b3%e3%81%a3%e3%81%8f%e3%82%8a%e7%8f%be%e8%b1%a1%e3%80%8d%e3%81%93%e3%81%9d%e6%b1%ba%e3%82%81%e6%89%8b/

まだ水素が世間で知られる前に水素の良さを「ビックリ現象」のひとつとして、あの舩井幸雄氏が紹介されてたとは…流石です。

舩井幸雄氏は、エドガー・ケイシーも大好きで 私が初めてケイシーと出会うことになったPHP社の「賢者たちのメッセージ」での、エドガー・ケイシーセンター光田秀会長との対談では、ケイシーの事を絶賛。

まだ誰も知ることの無い時に、自身の直感や体感を伝える人は本当に少ないと思うけれど、(故)船井幸雄氏もやはりそのひとりだったに違いなかったようです。

世間には色々な水素風呂が出て来ているけれど、太陽院で扱ってるWCJ社水素風呂のリタライフは、充電式ではないので 何時間使っても、何人が使っても…水素発生量が安定してるところがGood!!

しかもレンタルは、気に入らなければ最低3ヶ月使用した後ならば、いつでも解約OK!!

日本で一番使われてる水素風呂なのだとか…。

まだまだ 未常識なこの水素風呂…クーラーで冷えた身体や夏の暑さで弱った身体だからこそお薦めです。

大阪の取次店の方はSNSで
「暑すぎて水素風呂なんか入れるか!って方、バケツの水で水素生成して足を浸けてメシでも食えば良かよ♪」…って!!

ホント色んな形で使って頂けます(*^^)v

お申し込みは、太陽院まで…
FAX0897-56-1980 携帯090-1170-5215

平和への誓い♡

太陽院院長 近藤   千恵子です(^_^)/

蝉の声が響き渡る中…たくさんの方々の集い開催された広島原爆死没者慰霊式典。

そして、広島市長による平和宣言に続き、伝えられた「平和への誓い」

被爆50周年の平成7年より小学生が宣言をするようになって23回目。

今日のヒロシマの平和宣言もまた 胸を熱くさせられました。

以下貼り付けます。


~平成30年度「平和への誓い」~

人間は、美しいものをつくることができます。
人々を助け、笑顔にすることができます。
しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です。

昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。
原子爆弾の投下によって、街は焼け、たくさんの命が奪われました。

「助けて。」と、泣き叫びながら倒れている子ども。
「うちの息子はどこ。」と、捜し続けるお父さんやお母さん。
「骨をもいでください。」と頼む人は、皮膚が垂れ下がり、腕の肉が無い姿でした。

広島は、赤と黒だけの世界になったのです。

73年が経ち、私たちに残されたのは、
血がべっとりついた少女のワンピース、焼けた壁に記された伝言。

そして今もなお、遺骨の無いお墓の前で静かに手を合わせる人。

広島に残る遺品に思いを寄せ、今でも苦しみ続ける人々の話に耳を傾け、 今、私たちは、強く平和を願います。

平和とは、自然に笑顔になれること。
平和とは、人も自分も幸せであること。
平和とは、夢や希望をもてる未来があること。

苦しみや憎しみを乗り越え、平和な未来をつくろうと懸命に生きてきた広島の人々。

その平和への思いを繋いでいく私たち。

平和をつくることは、難しいことではありません。
私たちは無力ではないのです。

平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々へ届けます。

73年前の事実を、被爆者の思いを、
私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります。

平成30年(2018年)8月6日
こども代表    広島市立牛田小学校    6年 新開 美織
広島市立五日市東小学校 6年 米廣 優陽


広島は、赤と黒だけの世界になった…と、伝える平和大使の姿に 平和への思いを新たにさせて頂きました。

そして、最初のこの3行
人間は、美しいものをつくることができます。
人々を助け、笑顔にすることができます。
しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です。

善と悪…そして闇と光を明るい方へと…

そして…多くの被災された方々の御霊が、
どうか やすらかに眠っていただけます様に…♡

 

最高の笑顔はすべての健康から