「聖書」カテゴリーアーカイブ

約束

今朝、私のパソコンに届いた日本エドガー・ケイシーセンターからの珠玉のメッセージ。

誰かがときどきあなたを疑うからといって、それで動揺してはなりません。自分のバランスを保ち、あなたが主の愛、主の誡め、主の約束を他の人達に実践するならば、主が親しくあなたと共にいてくださることを覚えておきなさい。

Don’t be disturbed because others may at times question you.
Keep your own balance and know the Lord is with thee personally, as ye personally apply His love, His precepts, His promises toward others.

(1179-12)

主の愛、主の誡め、主の約束

主の姿を私はまだ見たことはないですが、主の愛、主の誡め、主の約束は、絶対です。

旧約聖書の中、第一章。

天と地、昼と夜、空の鳥、地に住むモノ、主に似せて造られた人。

主ってどんな方?

そんな我々のために、

「主とはこんな風に生まれ」

「こんな風に語り過ごしていくんだよ」

と、2017年前、天から使わされた主のひとり子キリスト・イエス。

明日は、2月11日この日本の國の誕生日。

7年前、イエス様の生涯を知り、初めて聞かせて頂いた陛下のお仕事。

「只々、日本国の安泰と国民の平安を祈ること」

きっとイエスさまと同じように、自分自身を犠牲にしても守りたいものとして、祈って下さっている陛下の思い。

2014年、勤労奉仕に参加させて頂き、ご会釈頂いた天皇皇后両陛下。

今の、皇后陛下は初めて民間から嫁がれた方。

嫁がれた日から、皇族として生きられる人生。

日本国の安泰と国民の平安を祈りとされる天皇陛下の一番近くで共に過ごし生きておられる美智子皇后。

この両陛下に勤労奉仕の際、団体の代表が捧げた「万歳三唱」

その後続いての万歳三唱。

お言葉を交わすことなく伝わってくる「ありがとう」の風。

明日、建国記念奉祝記念行事の中、天皇陛下への万歳三唱が行われます。

万歳とは、万の歳と書き 永遠の健康、長寿を祈るもの。

そして、日頃私たちの知らないところで  祈って下さっている陛下へのお礼。

この日本が初代天皇陛下である神武天皇によって建国を宣言された日から数えて2677年目の記念の日

わが町西条でも、由緒正しき石鎚神社にて行われる「建国記念奉祝行事」

明日、13:30~15:30まで行われます。

今回特別講演は葛城 奈海さん。

尖閣諸島に10回以上行かれ、また予備自衛官として活躍しておられる奈海さんは、とても素敵な女性。

きっと奈海さんも、今の時代を選び日本を守るために約束し生まれて来た魂。

主の愛、主の誡め、主の約束を他の人達に実践するならば、主が親しくあなたと共にいてくださることを信じ

明日、日本國の2677年目のお誕生日をお祝いさせて頂きます。

日の丸と共に…。

今日は、紀元節の歌と共に画像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きること

今日、運転中前方に2羽のカラスが雀を追いかけ…そして1羽が雀を食べてしまいました。

大通りで突然繰り広げられた「弱肉強食」の生き物の食物連鎖。

目の前で、1羽の小さい雀が逃げ延びられず終わりを迎えるその様は、自然界では当然のことなのだけど、唖然としてしまいました。

初め、1羽のカラスが雀を捕らえ それを見つけたもう1羽のカラスが近づき 先のカラスは雀を落とし、雀は命からがら逃げようとするけれど、2羽のあの黒いカラスが追いかけると…もうアウト。

この間、1分もかからない時間。

逃げて!!逃げて!!と祈り叫んだけれど、これが自然の法則。

なんとも はかない命。

ノアの方舟が、大洪水の後 トルコのアララト山に漂着し、地に緑が芽吹いて来たかと 放った初めの鳥は「カラス」

そして、カラスは戻ってくることなく、次に放ったのが「鳩」

鳩は、オリーブの葉をくわえて戻ってきたところから オリーブや鳩は平和の象徴となっていった様ですが、では初めに放った「カラス」はどんな意味があるのでしょうか?

鳩とカラス

白と黒。

草食の鳩と雑食のカラス。

日本の神話の中では、3本足の「八咫烏(ヤタガラス)」が初代神武天皇を導きます。

私にはなぜカラスだったのかわからないですが、方舟に戻って来なかったカラスを 日本の神話では3本足になって、神の使いとなり 報われないカラスを救済したのでしょうか?

しかし、弱肉強食・・・食物連鎖に目の前で遭遇し、生きることの奇跡を改めて感じることとなりました。

私自身、生きて行くために お魚も食べるし、お肉も食べる。

「いただきます…とは命いただきます。」

いのちの儚さ、生きてる奇跡。

感謝して・・・。

いきものがかりの「ありがとう」

今日の雀に、そして命ある全てのモノに・・・

 

先日、「クリスマス島の塩」を購入しました。

その前は、友達にプレゼントしてもらった「地球の塩」

そして、他にも今我が家には、「フランス天日塩」や「ピンクソルト」が置いてあります。

私が生まれたその時、なかなか泣き止まない私に ゆで卵用に持って来ていたお塩を舐めさせたら泣き止んだ!!と母から聞いたことが有ります。

生まれたての赤ちゃんに塩・・・。

ちょっと 考えられない話ですが、おかげさまで私はお塩が大好きです。

ナトリウムではない 美味しいお塩。

大自然の中、手間暇かけて出来上がった海からの贈り物。

3年前、イスラエルに行った時 塩分濃度30%もある「死海」に行った時、ちょっと舐めてみるとお塩の味ではなく、にが味だけ。

濃度が違うだけで、小錦のような大きな身体までぽっかり浮かんでしまうんですから、不思議です。

聖書の中、神さまの目にはもう見ていられないほど 人々が神から離れ、堕落した者たちの住む場所となったソドムという町。

この町を滅ぼすために、ふたりの天使が町を訪れ…その天使をも犯そうとするソドムの町の者たち。

そんな中、ただ一人アブラハムの甥っ子ロトだけは、神さまから使わされたふたりの天使を心からおもてなし…。

天使たちによって告げられた、ソドムの町を神さまが滅ぼしたいという計画。

そして、ソドムの町を出る時に約束された「決して振り向いてはいけない!!」という言葉に反して、振り向いてしまったロトの奥さん。

そして、塩の柱とされてしまったロトの妻。

「後ろをみるな!!前に進め!そして神の言葉に従うように…」

その時の意志の弱さと過去への執着。

そして、ノアの方舟の大洪水と同じように、神さまから離れたモノへの見せしめ?

神さまの存在は100%

目には見えないけれど、必ず存在する聖なるモノ。

日本人には、木にも石にも山にも海にも全てのモノに宿る神の霊。

そして、この聖なるモノが穢れた時に、清めるための塩。

ロトの奥さんも塩となり、ソドムの町をずっと清めているのかも知れないですね。

そして今日は 加山 雄三さんの「海 その愛」

 

 

 

 

 

小さな幸せ

昨日の夜から、カレーを作りました。

骨付きの鶏肉を、炒めた野菜と一緒にコトコト…コトコト煮ると、野菜と鶏肉から美味しいダシも出てきます。

そして、今朝 鶏肉の骨を取り出し 市販のルーを3種類混ぜて出来上がり。

我が家では、エドガー・ケイシーを知って以来、炭水化物同士の食べ合わせは、消化に良くないそうなので…カレーにジャガイモは入れなくなりました。

炭水化物同士のラーメンとチャーハンは一緒に食べることはあるので…かなり身勝手な実践ですが…。

小学校の時 誰のお誕生会に行っても、カレーライスが出て来てました。

どこの家も、ジャガイモと玉ねぎと人参そしてバラ肉で作られた昭和のカレーライス。

でも、小学6年生の頃だったでしょうか?

回り廊下のある大きなお家に住んでる友達のお誕生会に行った時、やはりカレーライスが出て来たんですが、ルーの上に生卵の黄身がのってあり、

「お金持ちの家は、卵の黄身をのせて食べるんだ!!」と感動。

その日から、何度かカレーに生卵の黄身だけをのせて、お金持ちの真似をしてた頃が懐かしいです。

小学生の頃デパートの屋上のレストランで食べるのも、必ずカレーライスを注文してもらってました。

あの銀の容器に別に注がれて運ばれてくる、家とは違うデパートならではのライスカレー。

そう…カレーライスではなく、ライスカレーという方が似合うカレー(笑)

今、考えると幼いあの頃。小さな幸せな日々…。

坂村 真民さんの

何も知らなかった あの 素直さにかえりたい

一杯のお茶にも手を合わせて頂いた日の

あのはじめの日に かえりたい

この詩のように、誰かと比べることも 何に捕らわれることもなく

ただ感謝だけで過ごすことは、もう少し年を取らないと悟れないでしょうか?

人は裸で生まれ 裸で死んで行く。

人の一生、どんなに財産を築こうが、金銀財宝を倉に山のように溜め込もうが 高価な宝石を買い集めようが

死ぬときはその金銀財宝、地位も名誉も持って行くことは出来ない。

ならばなぜ、この世に地位や名誉、財産などがあるのか?

持って行くことの出来ない数々のモノのために…。

その得たものを、どう使うか?

…なのかも知れない。

世間で有名になり、鼻高々になっても所詮は魂の修業のために生まれてきた者。

そこで、傲慢になったとしたら…神さまの思う壺。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉通り、立派な人 できた人ほど謙虚でどんな人からも愛される。

きっと人知れず夢に向かって自分の思いを手に入れた人だからこそ、謙虚なのではないかと思う。

あの松下幸之助さんなどは、お会いしたことはないけれど、丁稚時代もあり そしてまた自分の思いを実現させて行った先に 多くの人々の支えもあり 世で言う成功者になったのだと思う。

感謝すれば成功するんだったら、もっともっとたくさんの人が成功してるに違いない。

魂が震えるほどの感謝を知るかどうか。

何かしてもらったら「ありがとう」と言葉で表現されるけれど、この「ありがとう」に思いがどれだけのるか。

魂が震えるほどの感謝を人生で何度味わえるんだろうか?

先に詠んだ詩の中の杯のお茶にも手を合わせて頂いたあの日」

渇いた砂漠のなかで、飲む一杯の水のようなものでしょうか。

「ありがとう」の反対は「あたりまえ」

モノが豊かな時代…だからこそ渇いてしまう魂。

旧約聖書イザヤ書35章の中

荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ 砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 野ばらの花を一面に咲かせよ。

と、あり水の無い砂漠の中だからこそ咲く花が…尊く美しい。

そして、新約聖書マタイによる福音書5章の中、イエス様が群衆に向かって言ったこの言葉。

こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。

柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。

義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。

あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。

心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、

天国は彼らのものである。

この世の地位も名誉も財産も金銀財宝も、そこに至るまでのプロセスの中、武士道にもしめされる

・仁(思いやり)
・義(正義)
・礼(礼節)
・智(叡智工夫)
・信(信頼)
・忠(誠をつくし)
・孝(目上の者を大切に)

を肝に銘じ、鞭打たれても、父なる神に対して 仁・義・礼・智・信・忠・孝を尽くし、まことの侍であった2017年前に生まれたひとりの男性。

今この肉体を持ってしか出来ないこと、この世でしか出来ないこと、心弾ませて…。

ひとり一人が、神の愛と恵みと慈しみによって、生まれて来たのだから…。

森山  良子さんが歌う讃美歌 「緑も深き」

 

 

 

 

百薬の長

お酒は「百薬の長」と言われますが、誠にその通りだと思います。

日本酒にビールにワイン…焼酎だって大好きです。

私の原動力になってるのかも知れません。

スキーインストラクター1年目、夜9時過ぎまでナイターで練習し、宿に戻ってお風呂に入り、帰りに自動販売機でビールを購入。

同じ部屋のみんなと、なんだかんだ話しながら飲むひとときが大好きでした。

シーズンも終わりに近づくと、どんどんビールの量も増えて行きます。

OL時代は、居酒屋やスナックなど 会社の行事で連れて行ってもらうくらいで、友達と行くといっても 何か特別な日に飲みに行くくらい。

最近、時代は変わったな~と思うくらい、若者が氣軽に行けるお店が増えて来たと思います。

そして、スキーでヨーロッパへ行ったことで、好きになった赤ワイン。

滞在中、スーパーで安いワインを買ってきて、毎晩コップに1杯の赤ワインを飲むのも楽しみでした。

ドイツ語で、赤が「ロートワイン」、白が「ヴァイスワイン」そして、赤ワインをいろんな香辛料を入れて甘く作った「グリューワイン」

スキー場でも、仲間と飲みに行っても、
「アイン  ロートワイン…ビッテ!!」
「アイン  ビアー…ビッテ!!」

で、1杯のビールや赤ワインがテーブルまで届けられるのですから、ドイツ語も英語も話せなくても、必要な単語だけはちゃんと…(笑)

アルコールは、百薬の長だけでなく、仲間との交流も楽しませてくれます。

オーストリアに居た時、「シュナップス」というアルコール度40度以上のお酒。

寒い季節に最高の蒸留酒。みんなでゲームしながら小さいカップで何杯飲んだことでしょう!!

シュナップスという呼び名は「命の水」という意味もあるそうです。

そして、カイロプラクティックを始めたことで、好きになったのが日本酒。

この日本酒という呼び名は、明治天皇の玄孫竹田恒泰氏によると、 日本酒ではなく、「国酒」。日本史ではなく「国史」と…。

なるほど、わざわざ日本と付けなくても祖国のお酒。祖国の歴史ですよね。

もともと日本は稲穂の国。
アマテラスの孫、ニニギノミコトが天孫降臨の際伝えられた
「天壌無窮の神勅」と「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」にも稲のことが示されており、

中でも「斎庭の稲穂の神勅」は …
『吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。』

とあり、天上界の田で育った稲を地上に植えて、この国を天上界のような稔り豊かで安定した国にしなさいと。

この稲から取れたお米で作る国酒。

日本の祭日には、稲に関わる祭日が多くお米は欠かせないもの。
陛下ご自身がお手植えの稲を神様に捧げるのですから、本当に日本は瑞穂の国。

聖書の国では、ぶどうから作られたワイン。

ヨハネによる福音書15章にはこうある

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

そして、最後の晩餐の中にも記されている。

マタイによる福音書26章より

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、
「取って食べよ、これはわたしのからだである」。

また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、
「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」

古事記にも聖書にも示されている、神さまが用意してくれた命の水。

やはり、お米から作るお酒のほうが、田植えから稲刈り、またお酒になるまで手間・暇かけて作られ 本当に世界に誇れるアルコールなのではないかと思います。

色々と講座や講演会を開催させてもらう時にも、一番大切なのは、終わった後の「懇親会」

「乾杯」…乾いたさかずきとはひとり一人の魂のことでしょうか?

「レハイム」…ヘブライ語で「乾杯」は…命頂きますとのこと。

72年前、特攻隊員が出撃前に交わしたのは「別盃」と呼ばれるそうですが、どんな味がしたのでしょうか。

人生色々な場面で登場するお酒。
百薬の長として、嬉しい時も…哀しい時も…歓びの時も…別れの時も…!

今日は、梓みちよの「二人でお酒を」

 

 

 

神は愛なり

今日、新しいアメリカ大統領の就任演説の中、アメリカをどの国よりも愛することを宣言されました。

自分の生まれた祖国を愛することは、大切なこと。

この演説の通り、自国だけを愛することが今後どのようになっていくのかは、私には想像も出来ず神のみぞ知るところですが、

アメリカ国民によって選ばれたのですから、これも神さまの計画の中のひとつの出来事。

聖書マルコによる福音書12章の中でイエス様が、律法学者の質問に対して答えた言葉と今日の演説を聴き改めて読んでみました。

「すべてのいましめの中(で、どれが第(一のものですか」…との律法学者の問いに

イエスは答()えられた。

(一のいましめはこれである、『イスラエルよ、(け。(なるわたしたちの(は、ただひとりの(である。

(をつくし、精神(をつくし、(いをつくし、(をつくして、(なるあなたの(を愛()せよ』。

(二はこれである、『自分((するようにあなたの(((せよ』。これより大事(ないましめは、ほかにない」。

そこで、この律法学者()(はイエスに()った、
先生((せのとおりです、『()はひとりであって、そのほかに(はない』と(われたのは、ほんとうです。

また『(をつくし、知恵(をつくし、(をつくして((し、また自分((するように(((する』ということは、すべての燔祭(犠牲(よりも、はるかに大事(なことです」。

自分を愛するように隣人を愛すること…この言葉の通り、自分も他人も同じように愛することがどんなものよりも大切であると・・・。

両親を愛し、兄弟を愛し、
自分の住む地を愛し、その地に共に住む人々を愛し、
国を愛し、その国に住む人を愛し、
隣国を愛しその隣国に住む人を愛し、
地球を愛し、その地球に住む人々を愛し、
宇宙を愛し、その宇宙に住む全てを愛し…

そして、同じように自分自身も愛すること。

「如己愛人」

そして、全てを愛する者にも そうでない者にも常に変わらぬ愛を与え続けてくれている神さまという存在。

「私はお前を見捨てはしない!」という この詩。

*************************************************足跡(FOOTPRINTS) マーガレット パワーズ

ある日私は夢を見た。
私は、主と共に渚を歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出されていた。
どの光景にも砂の上に二人の足跡が残されていた。

一つは私の足跡、
もう一つは、主の足跡だった。

これまでの人生の最後の光景が映し出された時、私は砂の上の足跡に目を留めた
そこには一つの足跡しかなかった。

私の人生で一番つらく悲しい時だった。
このことがいつも私の心をみだしていたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ、私があなたに従おうと決心した時、あなたはすべての道で、私と共に歩み、私と語り合ってくださると約束されました。

それなのに、私の人生でいちばんつらい時
一人の足跡しかなかったのです。

いちばんあなたを必要とした時に、
あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、
私にはわかりません。」

主はささやかれた。

「私の大切な子よ、
私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
足跡が一つだった時、
私はあなたを背負って歩いていた。」

*************************************************大好きなこの詩と共に
愛国心と利他の心…育んでいきたいです。

讃美歌 聖歌392番(新聖歌89番)

神はひとり子を たもうほどに
よびとを 愛したもう
神は愛なり
あゝ神は愛なり けがれはてし
われさえ愛したもう
神は愛なり

罪をばおかして 神にそむき
てきとうわれさえ
なお愛したもう
あゝ神は愛なり けがれはてし
われさえ愛したもう
神は愛なり
罪ゆるさんために われにかわり
イエスきみ十字架に
死にたまえり
あゝ神は愛なり けがれはてし
われさえ愛したもう
神は愛なり
いざとく来りて 神の愛に
汝身をゆだねよ
すくわるべし
あゝ神は愛なり けがれはてし
われさえ愛したもう
神は愛なり

9の年

2016年も、残りあと数時間で終わる本日は大みそか。

2016年は、2+0+1+6=9ということで、9の年だったそうなんですが、

そこに自分の生年月日、私は9月27日生まれなので

2+0+1+6+9+2+7=27

そして、さらに一けたにするために、2+7=9

ということで、私にとっても9の年でした。

占いやジンクスをまるっきり信じるわけではないけれど、世の中は9年周期で動いてるという話を聞き、9は9年間の総決算の年。

2016年の元旦に出した年賀状に、偶然にこんな聖書の一説を書いて出させてもらってました。

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救世主キリスト・イエス誕生前、書かれた旧約聖書の中「伝道の書」

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
と、全てに「時」があると…。
そして、この3章はもう少しこのようにも続いている。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。
またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。
わたしは心に言った、「神は正しい者と悪い者とをさばかれる。神はすべての事と、すべてのわざに、時を定められたからである」と。
わたしはまた、人の子らについて心に言った、「神は彼らをためして、彼らに自分たちが獣にすぎないことを悟らせられるのである」と。
みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る。
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全てに「時」があり、神のなされることは皆その時にかなって美しく、今大晦日を迎え また明日は新年。
 
太陽は今日も西に沈み、明日はいつもと変わらず東から昇ってくるが、大晦日とかお正月を作ったのも神さまの計らい。
以前、明治天皇の玄孫である竹田 恒泰氏主幹の「竹田研究会」で
『正月はめでたいか?』
という題でお話下さった時、お正月は特にめでたいわけではないと…。
Why???
この聖書の一節にも書かれているが、
『人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごす』
『人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得る』
『人はその働きによって楽しむにこした事はない』
神さまが求める楽しむこと=歓ぶこと!!
ここに繋がってくるようで、1年365日毎日は変わらないけれど、お正月の三日間だけくらいみんなが
「おめでとう!!おめでとう!!おめでとう~!!!」と歓ぶためにあるんだと。
昔、宮中では天皇陛下にいつも歓んでもらってようと、毎日食事にお頭付きの鯛が出され、宮中で働く者もまた不幸事や何かある時には出入りを禁止されたそうで・・・。
もしかすると、天照大神様から繋がる天皇家には、あの天照大神様が天の岩戸に隠れ、世の中が真っ暗になったあの古事記の一節も関係しているようです。
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以下、古事記の天岩戸開きの一節
スサノオは調子に乗り、アマテラスの田んぼを壊し、御殿で汚物をまき散らす等の乱暴を働きます。
 
スサノオがやらかす度にアマテラスは弟を庇いますが、調子に乗ったスサノオは止まりません。ついに機織りの部屋に馬の皮を投げ入れ、それによって中に居た機織女が死んでしまいます。
 

これにはついにアマテラスの堪忍袋の緒が切れ、天岩戸に閉じこもってしまいました。

太陽の化身でもあるアマテラスが天岩戸に隠れた為、世界は闇に閉ざされてしまいます。

八百万の神々は集まって相談し、思慮の神オモイカネを中心に作戦をたてます。

まず、太陽の使いの長鳴鳥を集めて、いっせいに「アサー」と鳴かし、

タマノオヤに玉飾りを、イシコリドメに鏡を作らせると、これらをマサカキ(サカキ(榊)のこと)に結びつけました。

そしてアメノコヤネが祝詞を献上するなか、玉飾りと鏡を結んだマサカキを携えた神々が岩戸の外を取り囲みます。

岩戸の前ではアメノウズメが踊り舞い、これを八百万の神々がはやしたてます。まさに大宴会。

騒がしい外の様子が気になったアマテラスは、戸を少し開けます。

すると踊っているアメノウズメが「あなた様よりも貴い神様がいらっしゃいます」と言うではありませんか。

そこへ差し出されたマサカキ。そのマサカキに結ばれた鏡には、美しい女神が映っています。

その女神を自分だとは思わずに、アマテラスは身を乗り出します。

その時、岩戸のすぐ横に隠れていたタヂカラオがぐいっとアマテラスの手を握り、外へと引っ張り出します。

そしてフトダマがしめ縄を張り、中へ戻れないようにしました。

こうして、世界は光りを取り戻しました。

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 この天の岩戸開きでも、アメノウズメの舞を見てみんなが 笑い歓び楽しんだところでアマテラスが出てきたとされ…、楽しむこと、歓ぶこと。
新約聖書の中、パウロがテサロニケ人にあてた第一の手紙の中でも
いつも喜んでいなさい
絶えず祈りなさい
すべての事について、感謝しなさい

これが、キリスト・イエスにあって、神があなた方に求めておられることである。

毎年、11月に入ると喪中欠礼のハガキが届くけれど、この年内に親族が亡くなったりした場合は送られ、喪中の人はお正月が出来ないか?というと、そうではないらしい。

 宮中で働く者もまた不幸事や何かある時には出入りを禁止された様に、他の人が喜べないといけないからだけで、喪中のお家であっても外に言っては他の人が氣をつかってしまうから、

家の中では「おめでとう!!おめでとう!!おめでとう~!!!』と歓んで新年を迎えると良いそうです。

っていうことで、天皇陛下は毎日尾頭付きの鯛を食べてもらい、毎日新しい正絹のふんどしを身に着け、いつもお正月状態で喜んでいてもらうということが、以前はあったそうです。
今は、毎日尾頭付きの鯛を食べて…という形ではないですが、天皇皇后両陛下がいつも喜んでくれていることが一番大切なことで、私たちはお正月3日間だけでも、歓ぶ日を…ということで、お正月がおめでたい日とされてるようです。
しかし、聖書にも古事記にも 歓び楽しんでいなさいと書かれていることは、本当に何があっても神さまの胸の中、喜んで生きていきたいと改めて思う大晦日でもあります。
そして、古事記天の岩戸開きでも、まず初めに太陽の使いの長鳴鳥を集めて、いっせいに「アサー」と鳴かしたそうで、
神社での御神事の際にも、神主さんによって「うぉー―――――」と長鳴鳥の声真似をされ始まり、終わる時も「ううぉ―――――」と。
2017年の干支でもある鳥は始まりの知らせでもあり、また終わりの時でもあるようです。
ということで、最初の9の年に戻りますが、
来る年2017年は
2+0+1+7=10   一桁に足すと1+0で1
2017年は、終わりではなく、9年周期で動く世の「1」始まりの時。
何だか うきうき…ワクワク…してきます。

私自身も「1」始まりの時、あっ!水素も原子記号1番。水素の年かな?

今年もたくさんお世話になりました。

そして12月本格的に始めたブログも毎日更新目標に、

また1年…楽しみ歓んで参ります。
 
 
 
 

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