「聖書」カテゴリーアーカイブ

祈りの日

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^_^*)

大型で日本列島をすっぽり包むような進路で北上していく台風18号。

私の住む西条市でも、生まれて初めて避難勧告の放送があり、ドキドキしながらも 家の中で過ごし…夜10時を過ぎた頃には何とか静まり事なきを得ました。

防災士でもあり、民生員でもあるため…近所に住む一人暮らしのお年寄りの不安を感じながらも、自然の下では 何も出来ず…。

強い風と雨の音に、身をすくめ…ただ手を合わせて祈るだけ…。

ひと昔前は、こんなに大きな台風が来ると、停電が起こり 暗闇の中、何も出来なくなることが多かったけれど、最近は停電することもあまりなく…

ついつい油断してしまいそうですが…

私がまだ20代の頃、石鎚山の成就社にある白石旅館でお山開きから夏休みにかけてアルバイトさせてもらってた頃、山を暴風雨が襲ったことがあり…

当然、電氣は停電。

ライフラインが動かなくなり…、旅館だけに、たくさんご飯を炊いていたのを、全部おむすびに握ったことだけを 今もすごく覚えてて…

今日も、夕方台風が激しくなる前に、もしかして停電になると困るので、早めに夕食のご飯を炊いてみました。

日本は、地震も多いけれど 台風の通り道でもあり…数々の災難を越えて来た御先祖様たちもいて…。

北朝鮮の打つミサイルもどこに飛ばされるかわからないけれど…台風も同じ…。

以前読んだエドガー・ケイシーの本の中、
「祈ることが出来るのに、なぜ心配するのか!!」と、書かれた所があり、まさに予測も変わってしまう天災の下では、もう祈るしかない…。

聖書の中、ヨハネによる福音書14章13節に
わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。

そして、次の14節にも繰り返し
何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。

と言ってくれているほど、あらゆるものを可能にするイエスさまを通して祈ることは 願い事が叶いやすい経路なのだと…。

神さまに不可能はありません!!

主の御名を唱え…信じて祈ることで見えてくる主の栄光。

まさに「祈ることが出来るのに…なぜ心配するのか!!」である。

我が家には、朝9時とお昼12時、そして夕方6時と夜9時に 讃美歌のメロディーが流れる 時計があり、鳴りはじめると思わず手を合わせて祈っている。

以前、聖書を我が家で勉強してた頃に購入した時計。

時間に限らず、今日はきっと日本の各地で、お釈迦様やイエス様、ブッタや弘法大師様や御先祖様に手を合わせた1日だったのではないでしょうか。

今もまだ、台風北上中。

どうか大きな爪痕を遺すことなく 台風が小さくなってくれます様に…。

 

 

 

無人販売所「良心市」

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)v

2日前に見かけた「イチジク」「いちじく」「イチジク」…と掛けられた手書きの看板。

いちじく畑の横に、設けられた無人の販売所「良心市」

この時期しか食べることの出来ない いちじく…大好きで、昨日側を通った時、車を止めて買ってみました。

10個くらい入って…300円。2パック買って、1パックはお友達に…

まだ青いな~と思いながらも 食べてみると 「おいしーーーーーーい」

そして、今日もまた足を延ばして、朝行ってみると、250円~350円までの「イチジク」が 台の上にいっぱい。

今日は、4パック買おうと握りしめた1200円。

昨日は300円ばかりだったので 色々ある中、300円を3パックと250円を1パック購入。

購入といっても無人なので、竹で作ったお金入れに…

そして、隣に置いてある おつり…と書かれた箱の中。

50円玉と100円玉が無造作に置いてあり、隣には売り上げの入った筒。

台の上には、美味しいイチジクが入ったパック。

日本ならではの、この光景。

「天知る! 地知る! そして 我知る!!」

お天道様が見ているから…日本だから成り立つ「良心市」

聖書に中、何ヵ所かイチジクが出てくるけれど…

アダムとイブが禁断の果実を食べてしまい 目が開き 互いに裸でいることを恥ずかしいと思い イチジクの葉で隠したり…

また、新約聖書では イエス様が葉っぱばかりのイチジクの木に
「今からのち、お前の実を食べる者がいないように」とイチジクを呪われ、次の日には木が枯れていたイチジク。

イチジクの季節でもない時に、実のないイチジクは当然だと思ってしまうけど…イエス様は、必要な時に備えていつでも準備しておきなさい…と言う事を言われたのでしょうか。

それとも、エデンの園の禁断の果実そのものが イチジクで…この実を食べてしまい楽園を追放させられたこと。

神さまの約束を破ったあの時…神さまから離れてしまうとこんな風に魂は枯れてしまうよ…ということでもあるのでしょうか。

とにかく、アダムとイブの時代からある「イチジク」のおいしい季節。

今年初めてみつけた イチジクの無人販売所…スーパーよりも 安くておいしくて…癖になりそうです。

 

 

祝福の水路♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

主よ!あなたの御心が 私の内に 私を通して行われますように…
今日、今…わたしが接するすべての人に対して、私を祝福の水路としてください。

2008年、エドガー・ケイシーを学び知った祈りの御言葉。

28日続けてみてください…と、教えてもらい、夜 寝る前に主人と二人で唱えました。

そして、数日たったころから 言葉がスラスラと出てくるようになり…昼間、仕事してる時も、車を運転しているときも…私の身体が天と誰かを繋ぐ 水路となっていく感覚がアリアリと感じられるようにもなっていたようにも思います。

私の祈りの言葉の原点でもある この言葉。

21世紀に入り、昔「あなたの知らない世界」…と恐ろしいモノを見る様な感じから、見えないけれど確実に存在する何か不思議なチカラを多くの人が認める時代。

そして、多くの施術院の中から、うちの院を選んでくれた方との出逢い…。

市のファミリーサポートでサポートさせて頂くお母さんと子どもとの出会い。

地元の高齢者の方々との「イキイキ体操」を通しての出会い。

日々の生活の中、「人は人で磨かれ…そして、誰かの為に動ける喜び」

「祝福の水路」

この人生の中、祈ることを知り…天と人との水路となる様な生き方が、どれだけ出来るのでしょうか。

私の願いでなく 主よ! あなたの御心が 私の内に 私を通して行われますように…。
今日、今 私が出会う 全ての人々に対して 祝福の水路と成りますように…。

 

ライオンゲート

太陽院院長 近藤 千恵子です\(^^)/

今日、8月8日は地球が銀河の中心となり霊的世界の扉が開くと言われ、また今年は満月…そして月食とも重なり特別なパワーを感じる日なんだとか…。

私も真ん丸なお月様に、月光浴させて頂きました。

で、私が「ライオンゲート」と聞いて頭に浮かぶのが、ステパノという聖書「使徒行伝」に出てくる殉教者。

イエス様の十字架での死後、律法学者たちはイエスと共にいた弟子たちを迫害し、罪に上げようと躍起になっていた頃、ステパノを捕らえます。

そして、ステパノは「いつも聖霊に逆らって、律法を守ったことがない」とユダヤ人たちを断罪し…

この言葉に怒りを燃やしたユダヤ人たちは、ステパノを殺そうと周りを取り囲む。

そして身の危険を感じたステパノは、天を見上げこう言う…「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」…と。

神を冒涜することばと捉えた彼らは大声で叫びながら耳をおおい、ステパノを町の外に追い出して、石で撃ち殺してしまう。

体中の激しい痛みと遠のいていく意識の中で、ステパノは祈る。
「主イエスよ。私の霊をお受けください」そして、また
「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」とも…。

命を奪おうとする者たちに囲まれて天を見上げた時、ステパノはイエスと同じ苦しみを受けることの喜びと感謝の思いで満たされ平安に満ちていたとも…。

2014年、イスラエルに行った際 エルサレムの神殿に入るいくつかの門の中、「ライオンゲート」から入場。

キリストイエスが十字架の拷問にかかってなお…
「父よ。彼らをおゆるしください。彼らは自分が何をしているのか自分でわからないのです」と言ったのと同じように

ステパノも、この「ライオンの門」の外に出されて、大きな石をぶつけられながらも 天を見上げ…平安に満ちていたのかと思うと、2000年も前の出来事ながら、光に包まれたステパノがその場にいるようで、何とも言えない氣持ちになったことを覚えています。

そして、ライオンゲートを通るとき、そっと門に手をやり 傷つきながらも光に満ちたステパノをギュッと抱きしめさせて頂きました。

スピリチュアルな世界で伝わるライオンゲートと聖書の中のエルサレムの神殿に繋がるライオンゲートが 繋がっているのかどうかわからないけれども、

今日ゲートが開き、どんな理不尽なことも 殉教者ステパノの様にまっすぐに光輝く方に向かって歩む強さを持っておきたいと改めて感じる

2017年8月8日満月の日でした。

∞の∞の日に感謝(^^ゞ

 

10の言葉

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^。^*)

毎月「生命の光」という キリスト聖書塾が発行している小冊子が我が家に届けられます。

冊子の中には、キリストの幕屋を開いた手島郁郎氏の聖書講話が記されており、今月届けられた小冊子の講話は、1973年7月1日に東京全国町民会館でお話しされたもの…。

時がたっても色褪せない真実への扉。

私自身、聖書に触れるようになったのは、エドガー・ケイシーと三重の赤塚さんの影響から…

地元のプロテスタントの教会に2年半毎週日曜日の礼拝にも通い、

そしてその後 赤塚さんの紹介で松山の「キリストの幕屋」で長年伝道されている竹下仁平先生からも毎月一度我が家で聖書の勉強会が始まり…

そして、2年前 赤塚さんが名古屋で聖書講座をされるということで、毎月名古屋まで通わせて頂き…その後長崎や神戸の聖書講座へ…

そして今は、どこに勉強に行くことも無い私の元に毎月届けられる「生命の光」は、届くのが楽しみでもあり…

そして、この今月届いた「生命の光」の中に 書かれてあったモーゼが受けた「十戒」のお話。

大阪に住んでおられる伊藤正明さんと言う方の随想のなかに、十戒のことが書かれてあり、聖書(口語訳)の中には

・あなたはわたしのほかに、なにものも神としてはならない。
・あなたは殺してはならない。
・あなたは姦淫してはならない

と十戒のすべてが「~してはならない」「~せよ」と、命令形で訳されているけれど、

原文では、未完了形の動詞が使われていて「あなたは 殺さないであろう」「あなたは姦淫しないであろう」とも訳せるのだとか…。

そして、なぜそう訳した方が良いと思ったかと言うと 十戒の前提となる前文に

「神はこのすべての言葉を語って言われた。『わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導きだした者である』」…と、書かれてあり。

今から3千年以上の昔、イスラエルの民はエジプトで奴隷となっており、その苦しみから天に向かって祈った時、彼らを救い出し、乳と蜜の流れるよき地に導いたのは、主なる神だったと…。

そんな神の憐れみを受けた者なのだから、神さまは
「あなたは他の神を拝んだりしないよね。人を殺したり、姦淫したりはしないよね…」というのが、十戒の土台となる心ではないかと…伊藤氏は書いており

アーメン…アーメン…あ~ホントそうだな…と。

ちなみに十戒と言う言葉も、ヘブライ語では「アセレット ハディブロット」➟「10の言葉」と言うらしく戒律とは違った意味を使っているのだとか…。

どの家庭の親も「うちの子がそんなことをすることは無い」と思うのが親心」でもあり…その思いを受け育つのが子供。

聖書の神さまは、一人ひとりを生まれる前からずっと知っててくれていて、赤塚さんの聖書の勉強会で伝えてくれた神さまは、「~だから愛する」なんていう条件の付いたちっぽけな神さまではなく

「I LOVE YOU,BECAUSE YOU ARE YOU」
「私はあなたを愛する なぜなら あなたは あなただから…」と…。

今月届けられた「生命の光」のこの十戒の訳に神さまの温かさと深い愛を教えて頂きました。

①あなたには、わたしのほかに、他の神々があることはないよね。

②あなたは、自分のために、偶像を造ることはないよね。ましてやそれらを拝むことも、それらに仕えることもないよね。

③あなたは、あなたの神、主の御名をみだりに唱えることはないよね。

④安息日忘れることはないよね。また聖なる日であることもわかっているよね。

⑤あなたは父と母を敬い大事にするよね。

⑥殺したりなんてしないよね。

⑦姦淫したりもしないよね。

⑧人のモノ盗むなんてしないよね。

⑨あなたの隣人に、偽って証言なんてしないよね。

⑩あなたの隣人の家をほしがるなんてしないよね。

信仰とは、信じ仰ぎ見る何か…

私たちが信じるように、天の神さまもずっとずっと信じてくれてるんだな~と思うと、なんだかワクワクしてきます。

イエスさまが言われた
「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」という主の戒めでさえも…

「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主はあなたを愛してるよ。」とも 受け取れるかも…。

そう思うと、もうひとつイエスさまが言われた戒め
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と…言う言葉でさえも

「あなたの隣人もあなたと同じくらい私は愛してるから嫉妬しないでね」とも取れるかも…。

聖書も誰から学ぶか? どんな風に感じるか?で大きく解釈が変わることもあり…

私自身、初め教会に行ったことも無駄ではなく、また幕屋の竹下先生、三重の赤塚さんの聖書講座 またエドガー・ケイシーや 「生命の光」を通して学ばせて頂けること…

本当に「神は愛なり…」と改めて感じさせて頂きました。

 

 

 

文月朔日

7月文月…文書く月。

思いを口に出して言うのではなく、文にしたため伝える言葉。

今日、文月朔日…伊曾乃神社での朔日祭に参列させて頂き、引かせてもらった御神籤は44番末吉。

そして 書かれていた「神の教」

なさけこもった 其のひと言に 死んだ心も 生き返る

優しいひと言が どれ程 先方の胸に暖かい光を与え、力を添えるか。
言葉には魂があり、力がある。常に神さまと御一体になって、暖かい心を養い、よい言葉、優しい言葉で人を慰め、人をいたわり、明るい世の中を作りましょう。
とげある言葉は 人をきずつける。

文月に言霊のチカラを改めて氣付かせてくれる メッセージ。

そして、名古屋に住む照ちゃんが届けてくれた熊本の大野勝彦先生の7月のカレンダーには こんな言葉のことが…

きれいと言われたことは ありません
好きも 結婚してくださいも ありません
でも言われなくても 分かっていました
今 孫の笑顔を見ながら 
正解だったと 微笑んでいます

実は我が家もプロポーズの言葉を言ってもらってません。

きっとこの世を終わるまで言ってくれないと思います。

でもそんな旦那さんだからこそ 一緒に居られるのだと思います。

上っ面の言葉ではなく 深い深い愛をきっと持っていてくれるから、こんな我儘な私と一緒に居てくれるのだと…。

昨日、散髪屋さんで私は前髪を少しカットしてもらってヘナ染とシェービング。

そして、旦那さんも隣で長~い髪をカットしてもらって、ほぼ出来上がった頃…「わっ!!男前上がったね~」と言ったのに、何も言わず…。

で、お店の旦那さんが 「旦那さん…無表情スルーですね」と…。

お~いつも私が話してもそんな時がチョコチョコあるけど、「無表情スルー」って、いい言葉。

早速、「ホント!無表情スルーっていい表現ですね~」なんて喜んでたら、こらえきれなくて うちの旦那さんニンマリ…

もうひとつある 大野先生の日めくりカレンダーには

あなたの瞳の中に やさしさを見た
ついて行こう その時 そう 思った

ともあり、そうなんだよな~ 千の甘い言葉よりも やさしいまなざし。

ちょうど大野先生の下の伊勢修養団で頂いた日めくりには

やさしい目 明るい声で 「こんにちは」

そして、岐阜のぜんきゅうさんの日めくりは

笑顔から はじまる

おまけに洗面所に置いてある坂村真民さんの今日一日の日めくりは…

念ずれば 花ひらく

ちなみに今日の御神籤のもうひとつの言葉の方は

もえ出ずる 若葉の色ぞ 美しき
花さき 実る 末もみえつつ
次第次第に運がひらけて盛んになります。あまりに一足飛びに飛んで事をしようとするとあやまります。
時を見て 心ながくのぞみを 達しなさい

とあり…まさに「笑う門には福来る」のような今日の御神籤。

目は口ほどにモノを言う…と言われるように、目と目で通じ合う関係。

目の奥の奥に輝く愛の光。

今日、朝の連続テレビ小説「ひよっこ」で主人公みねこのお父さんの弟、叔父の宗雄さんがすっごくイイこといっぱい言ってました。

「東京の空には星がないな~  でも若者諸君  星は見えないだけで無いのではない… わかるか!」と…。

そして、ビートルズの初めての来日武道館ライブを前に ビートルズラブの宗男さんがビートルズを語った言葉が…深イイ!!

かっこつけずに 思ったことを 思いっきり叫んでるのがビートルズ。
ビートルズの音が大きいのは、出来るだけ大きな音で思ってることを遠くまで届けたいから…だと。

きっと音に包まれる感覚なんでしょうか。

私自身、あまりビートルズは知らないけれど、「イエスタデイ」や「イエロー・サブマリン」、「レット・イット・ビー」は魂が喜ぶ名曲だと思います。

言葉は世界をも変える力があり、聖書の中一番長生きしたイエスさまの弟子ヨハネが書いた「ヨハネによる福音書」のはじめのところにも…

最初に言があった 言は神と共にあった。言は神であった
この言は初めに神と共にあった。

すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

この言に命があった。 そしてこの命は人の光であった。

光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝てなかった。

言葉の世界は奥が深いです。

語らずとも伝わる言葉もまた言葉。

7月文月…優しい言葉、暖かい言葉で 少しでも明るい世の中を作れるように 謹んで過ごして参りたいと御神籤や日めくりから学ばせて頂きました。

何を欲するか?

聖書の中、有名な聖句

「求めよ、さらば与えられん。 尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。」

私たちが願い求めるならば、神さまは聞いて下さる…と、書かれてあり 「何を欲するか?」と、求めた時 人間の欲求に応えてくれるもの…これが神さまであり…。

しかしまた、人間の方は 神さまに願っていながらも…性急に求めたモノを得ようとし…私自身もそうだけれど、きっとだいたいの人間が そこで自分のチカラでなんとか開こうとしてしまう。

人間がアレコレやろうとするから、かえって運命が閉じてしまうのだとか…。

運命の門を開くのは神さまの方から…。

空を飛ぶ鳥…海の中の魚…。野に咲く花も…。

神さまが、求めに応じて養ってくれる。

生も死も、善も悪も無い世界。

実は、あるドクターが配信するメールの中…

“脳卒中は発症したら、その人の人生が不幸になることを御伝え致しました”…とあり、一瞬で凍り付いてしまいました。

当然、脳卒中にも癌にも…病と名のつくものに、成りたくてなる人はいなくて…どんなにいろいろと氣をつけていても、病にかかってしまうことも…。

神さまは、私以上に私自身を知っていてくれて、私が求めるモノをすんなりと手に入れさせてくれるわけではなく…

でもずっと信じ祈り求めること…そして、その求め自身も神さまの御心にかなうことと思い望むこと。

病も、物質的な求めも…心の渇きを癒す求めも…。

「求めよ、さらば与えられん」

与えられた時…それが神さまの与えてくれたものとすぐにはわからない時も有るかもしれないけれど…

全ては主の恵みによるもの。

あの時も…この時も…あの出会いも…この出会いも…

神さまの息吹の中…感謝です♡

愛と信頼

キリストに逢い、キリストを伝え…多くの人々にキリスト信仰へと導いた手島 郁郎氏。

終戦後、阿蘇の山の中でキリストの声を聴き、たった5人から始まった「キリストの幕屋」という 教会に属しない無教会宗派。

聖書を通じて神を知り、キリストの愛と光を全身で浴びる教え。

2012年8月末から2015年1月まで我が家に、松山に住む幕屋の伝道師竹下 仁平先生が来て下さり、聖書を細かく伝えて下さいました。

その後、竹下先生を紹介してくださった三重県津市の赤塚 高仁さんが名古屋で聖書を読み解いて下さるということで、我が家での学びの会は終了。

赤塚さんの語る聖書の学びもまた聖霊に満ち…また我々神の国の日本人だからこそ理解できる神さまの教え。

そして、今でも幕屋の信仰誌「生命の光」は毎月初めに我が家に送られており、先日も6月号が届けられました。

この「生命の光」の中の最初に載せられている手島郁郎先生による聖書講話。

これは、1973年今から44年前に天に召された伝道師手島 郁郎先生が死を迎える最後まで 多くの人々に伝えてきたキリストの愛の世界。

今月届けられた「生命の光」には、恐れを克服するには 愛の中にいることだ!と書かれています。

赤ん坊は、母親の懐の中大きな大きな愛を感じているから、スヤスヤと休む事が出来るのだと…。

もともと生まれたばかりの赤ちゃんは、大人のもつような恐れはないのだとか…。

成長する中で、恐怖を感じ…恐れるのだとか。

聖書の中…イエスさまが、海の上に立ち歩いて弟子たちの船の近くに来た時、「幽霊だと思って恐れた…」とあり、そして…

「なぜ恐れるのか。どうして信仰がないのか」と、イエス様自身が弟子たちを叱ったとも…。

恐れるという事は、不信仰の一番の特徴だとも…。

恐れの克服は愛であり、愛を知らずに育った人は権力欲を持とうとするとも…。

自身を保護し愛してくれる者がいない時、権力のある人に保護を求めたり、自身で権力の座につこうと求めるそうで…。

私の一番好きな、聖句。
「恐れるな!主はあなたと共にいる」

幕屋での学びや、エドガー・ケイシーの学びの中、また日常の生活の中で ありありと主の存在を感じ…。

明日は、姪っ子と共に大阪まで車で行きます。

もちろん「注意一秒 けが一生」 そして…

「恐れるな!主はあなたと共にいる」

讃美歌…神は愛なり♪

めぐみの ひかりは わが行き悩む
やみじを照らせり 神は愛なり
我らも 愛せん 愛なる神を

憂き雲 覆えど みかおの微笑は
さやかに 照り出づ 神は愛なり

憂いのときにも 希望をあたえ
慰めたまえり 神は愛なり

もの皆うつれど めぐみのひかり
永久にぞ かがやく 神は愛なり

この世は、愛と信頼の実習場所。

大いなる神さまの愛と信頼の光の中 生きて行きたいと思います。

 

 

 

四国を攻めよ!

今、四国4県とJRグループ6社が大型観光キャンペーンとして、全国のJR主要駅や列車に「四国を攻めよ」と言うタイトルで四国がPRされてるそうで

当の四国に住む人間は知らなかったけれど、宇都宮から旅をしてきた未央ちゃんという不思議女子が三重県津駅で「四国を攻めよ」のポスターに心惹かれ、四国を訪れたと話し写真を見せてくれました。

「四国を攻めよ 良き日本は 四国に残っている」

君は 自分が信じた道を 
歩み続けているのか

四国を 吹き抜ける風が 
旅人に ささやく

夢は巡り 花は咲く

君は 心の内を見つめる
祈りの時に 包まれる

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弘法大師空海が、開いた四国88か所があることで、昔からお接待と言う風習が残る四国。

古事記の中、淡路島の次に生まれたという 四国。

今では、瀬戸大橋や鳴門大橋、しまなみ海道が通り本州と地続きとなり、便利になりながらも まだまだ四国は、本州に住む人々からみると遠い国。

一時、四国を「死国」と言われたこともあるほど、同じ本州と離れた 北海道や九州よりも 足が向きにくい所なのかも知れない。

弘法大師さまが結界を張ったからか、その死の国と言われるからか…
なかなか訪れにくいから今回の様なキャンペーンまで設けられたのかも知れない。

私自身、結構色々出向くことは躊躇なく動くけれど、案外四国から出ない人も多く…。

「四国を攻めよ」…なんてちょっと怖いような言葉。

現に豊臣秀吉が四国征伐を想像してしまいそうな…。

このJRのキャンペーンを知ってか知らずか、時の流れの中で 7月23日西条で、「ヤマトとユダヤ」 「イスラエルと四国」 「聖書と古事記」そして144000人の祈り…等々タイムリーな講演会が開催される。

https://www.facebook.com/events/260485847751851/?ti=cl

イベント詳細は☝こちら。

私自身を、聖書やイスラエル、伊勢の神宮に導いてくれた赤塚 高仁さんや 赤塚さんとのイスラエルの旅でご一緒させてもらった舩井 勝仁さんや 高知に住む不思議な小川 雅弘さん そして村中  愛さんも来られてのスペシャルな講演会。

「四国を攻めよ」

日本列島を龍に例えると、四国は子宮。

全てが生まれるところ…。

2017年5月、私も大きく風が吹き また違う自分に出会う旅が始まりました。

「四国を攻めよ 良き日本は 四国に残っている」

君は 自分が信じた道を 
歩み続けているのか

四国を 吹き抜ける風が 
旅人に ささやく

夢は巡り 花は咲く

君は 心の内を見つめる
祈りの時に 包まれる

攻める…と言うよりも

四国を吹き抜ける風を感じに 是非多くの方々に感じて頂きたいです。

 

「生」と「死」そして「病」と「老い」

この世に生まれること…。

老いていくこと…。

病にかかること…。

死ぬこと…。

生老病死。

お釈迦様も、この世で起こるこの四つのことを説くために瞑想。

天上の世界では、老いることも 病にかかることも無い世界。

聖書の中、智慧の実を食べたことから 神と共に過ごすことを許されず、地上に追放されたアダムとイブ。

追放と言っても、最大限の神さまの愛を受けながら、この混沌とした地上で修行するため。

そして最後は、エデンの園に戻るため。

人は、老いて行くとき 不安になり、病を持つと更に不安に…。

不安や心配事…この世を生きる時、この不安や心配事の心の隙間に忍び込んでくるのが悪魔。

天使がいるのであれば、きっと悪魔も存在する。

不安になったり心配事で暗い気持ちになった時に、スッと心の隙間に忍び込もうとする悪魔。

またこの不安や心配事から逃れたり救われようと、祈りや宗教がその人々の人生を変えることも…。

日本には、スゴい数の新興宗教もあり 信仰によって心が救われる人々も大勢いる反面、かつてのオウム真理教のように、宗教によっては逃れられないような、また依存の様な状況を招いてしまうことも…。

何を自分自身の中心に置くか…?

イエス様も、弘法大師様も、お釈迦様も、日蓮さんも…また各新興宗教の教祖様方も、大いなる天と繋がり天の御力によって不思議を見せたり、また見せられた者たちも、信じる心によって奇跡を体感してきたように思う。

今、多くの人々の魂のレベルは、何度もの輪廻転生を経験し、魂は大いに成長した魂たちが、この地球規模で混沌とした地上に送り出され、修行させてもらっている。

5月、多くの障害を持った子供や大人と出会う機会を頂きました。そして、病や老いを迎えた方々とも 日常の中で接することが多くあります。

この病や老いを「善」「悪」で、区切ることは出来ず、「病」や「老い」を経験することで、大いなる魂の成長をもたらすと 私自身感じます。

もちろん、出来ればずっと健康で、ずっと若々しく居たいという思いは誰もが持ってる希望でもあります。

しかし、敢えて神さまがその人々の肉体を通して「病」や「老い」を体験させてくれてるのであれば、またそれを乗り越えられるだけの魂のレベルに達したからこそ与えられた「病」や「老い」であれば、

ニッコリ微笑んで、見えないけれど確実に存在するであろう神さまに

「頑張ります…(*^^)v」と言いたいものです。

いつか訪れる「老い」

そして、自分自身だけでなく、大切な家族や友人、知人の中にも起こる「病」そして「死」

生まれて来たからこそ出会う人と人。

家族で会っても、友達であっても、今世の修行のなかで必要として出会う人々。

・愛する者と別れる 愛別離苦

・怨み憎んでいる者に会う 怨憎会苦

・求める物が得られない 求不得苦

・肉体と精神が思うようにならない 五蘊盛苦

生老病死と共に、この四つの苦を神さまやご先祖様を信じ、何より自分自身の見えない可能性を信じ、四苦八苦しながらも生きて行くこと…

隙間から忍び寄ろうとする、悪魔をも退散していくような、強い精神と肉体で また新しい一週間 迎えさせていただきます。