「信仰」カテゴリーアーカイブ

敬神婦人会

地元愛媛県西条市の伊曾乃神社は旧国幣中社。

有り難い天皇陛下よりの幣帛料や皇太子さまのご参拝も…

古事記、日本書紀に記され、世界で一番永く続く…神国日本。

戦後、国家神道が廃止され政教分離、祖国の建国の歴史を伝ることも排除され 神社といえば、雑誌やネットで取り上げられ…パワースポットと称され山の様な人だかり…。

愛媛県内でも旧国幣中社は、しまなみ海道の途中 大三島にある大山祇神社と伊曾乃神社の2宮のみ…。

伊曾乃神社は、御鎮座より今年1880年。

地元を支え…また支えられ続いてきたお宮。

4年前、この伊曾乃神社にも敬神婦人会が発足され 私も婦人の仲間に入れてもらい 今日4回目の敬神婦人会総会。

会則には…

「本会は伊曾乃神社の御神徳発揚のためご奉仕すると共に 会員の親睦を通じ切磋琢磨し 婦徳の涵養(かんよう)に努め 清く明るい世の中を築くことを目的とする」

と、あり…婦徳の涵養の婦徳とは婦人の守るべき道徳上の義務。

そして、涵養とは…自然にしみこむように、養成すること。無理のないようにだんだん養い作ること。

戦前、日本の女子教育の中 女性には四つの徳があるとされ

「婦言」…鮮やかであるけれど、慎み深く 汚い言葉遣いを使わない
「婦徳」…才能を表だって見せることなく、立居美しく、静かに振舞う
「婦功」…人と比較し優れる必要はないがいつも適宜対応出来ること
「婦容」…いつも身だしなみを美しく保ち、いかなる事態にも冷静に対応

この四つの徳は、女性の基本姿勢であり、徳であり…修身齊家となるそうで、家を齊(ととの)えることが、国家を治めることに繋がり…昔の人は、家庭の重要性を認識し、女性の役割を重視し…。

言葉が乱れ…家庭が乱れ…世の中が乱れて行かないように…。

伊予の国西条に鎮座された伊曾乃の大神さまの御許での敬神婦人会…出来ること私も四つの徳を身に着けていきながら…お手伝いさせて頂きます。

ふと、こんな讃美歌が脳裏に…

主よ みもとに 近づかん のぼるみちは 十字架に
ありともなど かなしむべき
主よ みもとに 近づかん

さすらう間に 日はくれ 石のうえの 仮寝の
夢にもなお 天をのぞみ
主よ みもとに 近づかん

主のつかいは みそらに 通うはしの うえより
まねきぬれば いざのぼりて
主よ みもとに 近づかん

めさめてのち まくらの石をたてて めぐみを
いよよ切に 称えつつぞ
主よ みもとに 近づかん

現世をば はなれて 天がける日 きたらば
いよよちかく みもとにゆき
主のみかおを あおぎみん

2677年続く神国日本。

婦徳を積み 家庭を齊(ととの)えてきた 女性たちもまた 神さまに支えられ 家庭を支えてきたんだろうな…と 改めて感じさせて頂きました。

愛の世界

今日突然届いた、「真央さん死去」の訃報。

34歳…2人の愛しいわが子を残し、また愛する旦那さまとのこの世のお別れ。

癌と向き合い、多くの人々の希望になれば…とブログで思いを綴り…天に還って逝った真央さん。

きっとあと1日…あと1日…せめて子供達が一人立ちするまで…と、願い祈り…愛を与え続けた毎日。

母や妻に先立たれ…残された家族も、遠く離れた世界へ旅立つ母も…無情な思いを胸に抱き過ごすこれからの時間。

毎日どこかで誰か生まれ…どこかで誰かが死んでいくこの世。

そして、天上界では今日も使命を以てこの世に旅立ち…そしてこの世での使命を終えて戻って来る魂達。

ふと…金子みすゞさんのこんな詩を思い出した。

「大漁」

朝焼け小焼けだ 大漁だ
おおばいわし の 大漁だ

浜は まつりの ようだけど
海のなかでは 何万の
いわし の とむらい するだろう

独特の金子みすゞさんの詩の世界。

他にはこんな詩も…

「おさかな」

海の魚は かわいそう

お米は人につくられる
牛は牧場で飼われてる
鯉も お池で麩をもらう

けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうして私に食べられる

ほんとに魚はかわいそう

この世では、あの知的で優しく可愛い女性…真央さんを多くの人々が悼み、そして天上界では神さまが 使命を終え戻って来た真央さんを大きな光で包み、やさしく迎え…

早くに母を亡くした子供達やパートナーを失った海老蔵さんにもまた…大きな光と神さまの大きな愛がきっと優しく包んでくれると…

愛別離苦…愛する者と別れる苦しみを超えて…見えてくる世界。

「愛してる」と旅立って逝った真央さん自身も、愛する者達とのツラく苦しい肉体の世界…この世とのお別れのとき。

そして、今日大東亜戦争の中、あまりにも卑劣な戦いとなった沖縄で一方的に被災され旅立って逝った方々への72年目の鎮魂のための慰霊祭。

限りあるこの世での命の時間…人はどう生まれ、どんな風に生き…どう死んでいくのか…。

生も死も…善も悪も…神さまがつくる世界。

生まれ来る時代や場所…全てのことに大きな学びの時があり、今の時代を生きる私自身も、健康・平和・人間関係・経済等々 多くの学びを通して神さまの愛の世界感じていきたいです。

 

 

 

 

 

 

何を欲するか?

聖書の中、有名な聖句

「求めよ、さらば与えられん。 尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。」

私たちが願い求めるならば、神さまは聞いて下さる…と、書かれてあり 「何を欲するか?」と、求めた時 人間の欲求に応えてくれるもの…これが神さまであり…。

しかしまた、人間の方は 神さまに願っていながらも…性急に求めたモノを得ようとし…私自身もそうだけれど、きっとだいたいの人間が そこで自分のチカラでなんとか開こうとしてしまう。

人間がアレコレやろうとするから、かえって運命が閉じてしまうのだとか…。

運命の門を開くのは神さまの方から…。

空を飛ぶ鳥…海の中の魚…。野に咲く花も…。

神さまが、求めに応じて養ってくれる。

生も死も、善も悪も無い世界。

実は、あるドクターが配信するメールの中…

“脳卒中は発症したら、その人の人生が不幸になることを御伝え致しました”…とあり、一瞬で凍り付いてしまいました。

当然、脳卒中にも癌にも…病と名のつくものに、成りたくてなる人はいなくて…どんなにいろいろと氣をつけていても、病にかかってしまうことも…。

神さまは、私以上に私自身を知っていてくれて、私が求めるモノをすんなりと手に入れさせてくれるわけではなく…

でもずっと信じ祈り求めること…そして、その求め自身も神さまの御心にかなうことと思い望むこと。

病も、物質的な求めも…心の渇きを癒す求めも…。

「求めよ、さらば与えられん」

与えられた時…それが神さまの与えてくれたものとすぐにはわからない時も有るかもしれないけれど…

全ては主の恵みによるもの。

あの時も…この時も…あの出会いも…この出会いも…

神さまの息吹の中…感謝です♡

水無月月次祭

伊勢の神宮では、10月の神嘗祭と6月12月の月次祭を 三節祭として、数ある御神事の中でも特に重要な祭事として執り行われており

私自身、2010年12月16日~17日に初めて神宮内宮さんでの月次祭に合わせて参拝させて頂きました。

伊勢修養団での「神話を体感する会」では、夜10時からの御神事拝観の前に、五十鈴川での禊も体感。

10月の神嘗祭は地元西条でも伊勢神宮に合わせて、伊曾乃神社での祭礼が執り行われるため…参加したことは無いのですが、

月次祭は、2010年12月から2016年の6月まで、10回ほど参加させて頂きました。

昨年は、6月15日夜の外宮さんでの月次祭も拝観させて頂くことができ、内宮さんとはまた違った流れの中…そして、外宮さん内宮さん共に大雨の中での御神事…。

6月の月次祭は、雨の時が多いけれども 昨年2016年の6月の内宮さんで夜の御神事の時の雨は、今までにない土砂降り。

ちょうど、4月伊勢で行われたサミットのあと…。

伊勢のサミットでは、7か国の首脳が 神宮の大宮司さまの案内の中、内宮御垣内で正式な作法にのっとり参拝をされたと…

各国の首脳が天照さまに御挨拶されたと…

私が師と仰ぐ三重県津に住む赤塚 高仁氏が伝えて下さいましたが…

あの日の大雨は、サミットで世界中の首脳が祈り…世界の浄化の雨となりいつも以上に凄い雨だったのかも…。

そして、内宮さんでの夜の御神事…大雨の中、ふと木立に目をやると無数の蛍…。

寒い冬も、雨降る中でも…2000年ずっと伝えられ守られてきた神宮の大切な大切な御神事。

人も自然も共に息づく森の中。

そして、翌朝 御垣内での正式参拝…御垣内の中に入るまでパラパラと降ってた雨が、ひざまづき…2礼2拍手…祈り…頭をあげた時に差した太陽の光。

目には見えないけれども確実に そこにあるもの…。

そんな見えない世界と対話しながら守られ続けてきた神宮での御神事。

御縁頂き、伊勢の神宮に参らせて頂けたこと…。

あの神宮の森の静寂の中、繰り広げられる2000年続く御神事。

そして、伊勢の神宮に参らせて頂いたことで改めて知った 地元西条で1880年続く伊曾乃神社の素晴らしさ。

今朝は、朝9時からの伊曾乃神社での月次祭に参列させて頂き…神話から繋がるこの神国日本に生まれ 生かされていることに感謝。

今朝、伊曾乃神社の堀川宮司様のお話しは、昨晩の高知での震度3の地震のお話…昔から台風や地震…諸々の災害も全て神さまが宿るものとしてきたやまとの心。

どんな時にも、ずっとずっと神さまと共に…♪

そして、大好きな讃美歌

主にすがる我に 悩みはなし 十字架のみもとに 荷をおろせば
歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ歩まん この世の旅路を

おそれは 変わりて 祈りとなり 嘆きは 変わりて 歌となりぬ
歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ歩まん この世の旅路を

主は いと優しく 我と語り とぼしき時には 充たし給う
歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ歩まん この世の旅路を

主の御約束に 変わりはなし 御許に行くまで ささえ給う
歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ歩まん この世の旅路を 

愛と信頼

キリストに逢い、キリストを伝え…多くの人々にキリスト信仰へと導いた手島 郁郎氏。

終戦後、阿蘇の山の中でキリストの声を聴き、たった5人から始まった「キリストの幕屋」という 教会に属しない無教会宗派。

聖書を通じて神を知り、キリストの愛と光を全身で浴びる教え。

2012年8月末から2015年1月まで我が家に、松山に住む幕屋の伝道師竹下 仁平先生が来て下さり、聖書を細かく伝えて下さいました。

その後、竹下先生を紹介してくださった三重県津市の赤塚 高仁さんが名古屋で聖書を読み解いて下さるということで、我が家での学びの会は終了。

赤塚さんの語る聖書の学びもまた聖霊に満ち…また我々神の国の日本人だからこそ理解できる神さまの教え。

そして、今でも幕屋の信仰誌「生命の光」は毎月初めに我が家に送られており、先日も6月号が届けられました。

この「生命の光」の中の最初に載せられている手島郁郎先生による聖書講話。

これは、1973年今から44年前に天に召された伝道師手島 郁郎先生が死を迎える最後まで 多くの人々に伝えてきたキリストの愛の世界。

今月届けられた「生命の光」には、恐れを克服するには 愛の中にいることだ!と書かれています。

赤ん坊は、母親の懐の中大きな大きな愛を感じているから、スヤスヤと休む事が出来るのだと…。

もともと生まれたばかりの赤ちゃんは、大人のもつような恐れはないのだとか…。

成長する中で、恐怖を感じ…恐れるのだとか。

聖書の中…イエスさまが、海の上に立ち歩いて弟子たちの船の近くに来た時、「幽霊だと思って恐れた…」とあり、そして…

「なぜ恐れるのか。どうして信仰がないのか」と、イエス様自身が弟子たちを叱ったとも…。

恐れるという事は、不信仰の一番の特徴だとも…。

恐れの克服は愛であり、愛を知らずに育った人は権力欲を持とうとするとも…。

自身を保護し愛してくれる者がいない時、権力のある人に保護を求めたり、自身で権力の座につこうと求めるそうで…。

私の一番好きな、聖句。
「恐れるな!主はあなたと共にいる」

幕屋での学びや、エドガー・ケイシーの学びの中、また日常の生活の中で ありありと主の存在を感じ…。

明日は、姪っ子と共に大阪まで車で行きます。

もちろん「注意一秒 けが一生」 そして…

「恐れるな!主はあなたと共にいる」

讃美歌…神は愛なり♪

めぐみの ひかりは わが行き悩む
やみじを照らせり 神は愛なり
我らも 愛せん 愛なる神を

憂き雲 覆えど みかおの微笑は
さやかに 照り出づ 神は愛なり

憂いのときにも 希望をあたえ
慰めたまえり 神は愛なり

もの皆うつれど めぐみのひかり
永久にぞ かがやく 神は愛なり

この世は、愛と信頼の実習場所。

大いなる神さまの愛と信頼の光の中 生きて行きたいと思います。

 

 

 

四国を攻めよ!

今、四国4県とJRグループ6社が大型観光キャンペーンとして、全国のJR主要駅や列車に「四国を攻めよ」と言うタイトルで四国がPRされてるそうで

当の四国に住む人間は知らなかったけれど、宇都宮から旅をしてきた未央ちゃんという不思議女子が三重県津駅で「四国を攻めよ」のポスターに心惹かれ、四国を訪れたと話し写真を見せてくれました。

「四国を攻めよ 良き日本は 四国に残っている」

君は 自分が信じた道を 
歩み続けているのか

四国を 吹き抜ける風が 
旅人に ささやく

夢は巡り 花は咲く

君は 心の内を見つめる
祈りの時に 包まれる

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弘法大師空海が、開いた四国88か所があることで、昔からお接待と言う風習が残る四国。

古事記の中、淡路島の次に生まれたという 四国。

今では、瀬戸大橋や鳴門大橋、しまなみ海道が通り本州と地続きとなり、便利になりながらも まだまだ四国は、本州に住む人々からみると遠い国。

一時、四国を「死国」と言われたこともあるほど、同じ本州と離れた 北海道や九州よりも 足が向きにくい所なのかも知れない。

弘法大師さまが結界を張ったからか、その死の国と言われるからか…
なかなか訪れにくいから今回の様なキャンペーンまで設けられたのかも知れない。

私自身、結構色々出向くことは躊躇なく動くけれど、案外四国から出ない人も多く…。

「四国を攻めよ」…なんてちょっと怖いような言葉。

現に豊臣秀吉が四国征伐を想像してしまいそうな…。

このJRのキャンペーンを知ってか知らずか、時の流れの中で 7月23日西条で、「ヤマトとユダヤ」 「イスラエルと四国」 「聖書と古事記」そして144000人の祈り…等々タイムリーな講演会が開催される。

https://www.facebook.com/events/260485847751851/?ti=cl

イベント詳細は☝こちら。

私自身を、聖書やイスラエル、伊勢の神宮に導いてくれた赤塚 高仁さんや 赤塚さんとのイスラエルの旅でご一緒させてもらった舩井 勝仁さんや 高知に住む不思議な小川 雅弘さん そして村中  愛さんも来られてのスペシャルな講演会。

「四国を攻めよ」

日本列島を龍に例えると、四国は子宮。

全てが生まれるところ…。

2017年5月、私も大きく風が吹き また違う自分に出会う旅が始まりました。

「四国を攻めよ 良き日本は 四国に残っている」

君は 自分が信じた道を 
歩み続けているのか

四国を 吹き抜ける風が 
旅人に ささやく

夢は巡り 花は咲く

君は 心の内を見つめる
祈りの時に 包まれる

攻める…と言うよりも

四国を吹き抜ける風を感じに 是非多くの方々に感じて頂きたいです。

 

「生」と「死」そして「病」と「老い」

この世に生まれること…。

老いていくこと…。

病にかかること…。

死ぬこと…。

生老病死。

お釈迦様も、この世で起こるこの四つのことを説くために瞑想。

天上の世界では、老いることも 病にかかることも無い世界。

聖書の中、智慧の実を食べたことから 神と共に過ごすことを許されず、地上に追放されたアダムとイブ。

追放と言っても、最大限の神さまの愛を受けながら、この混沌とした地上で修行するため。

そして最後は、エデンの園に戻るため。

人は、老いて行くとき 不安になり、病を持つと更に不安に…。

不安や心配事…この世を生きる時、この不安や心配事の心の隙間に忍び込んでくるのが悪魔。

天使がいるのであれば、きっと悪魔も存在する。

不安になったり心配事で暗い気持ちになった時に、スッと心の隙間に忍び込もうとする悪魔。

またこの不安や心配事から逃れたり救われようと、祈りや宗教がその人々の人生を変えることも…。

日本には、スゴい数の新興宗教もあり 信仰によって心が救われる人々も大勢いる反面、かつてのオウム真理教のように、宗教によっては逃れられないような、また依存の様な状況を招いてしまうことも…。

何を自分自身の中心に置くか…?

イエス様も、弘法大師様も、お釈迦様も、日蓮さんも…また各新興宗教の教祖様方も、大いなる天と繋がり天の御力によって不思議を見せたり、また見せられた者たちも、信じる心によって奇跡を体感してきたように思う。

今、多くの人々の魂のレベルは、何度もの輪廻転生を経験し、魂は大いに成長した魂たちが、この地球規模で混沌とした地上に送り出され、修行させてもらっている。

5月、多くの障害を持った子供や大人と出会う機会を頂きました。そして、病や老いを迎えた方々とも 日常の中で接することが多くあります。

この病や老いを「善」「悪」で、区切ることは出来ず、「病」や「老い」を経験することで、大いなる魂の成長をもたらすと 私自身感じます。

もちろん、出来ればずっと健康で、ずっと若々しく居たいという思いは誰もが持ってる希望でもあります。

しかし、敢えて神さまがその人々の肉体を通して「病」や「老い」を体験させてくれてるのであれば、またそれを乗り越えられるだけの魂のレベルに達したからこそ与えられた「病」や「老い」であれば、

ニッコリ微笑んで、見えないけれど確実に存在するであろう神さまに

「頑張ります…(*^^)v」と言いたいものです。

いつか訪れる「老い」

そして、自分自身だけでなく、大切な家族や友人、知人の中にも起こる「病」そして「死」

生まれて来たからこそ出会う人と人。

家族で会っても、友達であっても、今世の修行のなかで必要として出会う人々。

・愛する者と別れる 愛別離苦

・怨み憎んでいる者に会う 怨憎会苦

・求める物が得られない 求不得苦

・肉体と精神が思うようにならない 五蘊盛苦

生老病死と共に、この四つの苦を神さまやご先祖様を信じ、何より自分自身の見えない可能性を信じ、四苦八苦しながらも生きて行くこと…

隙間から忍び寄ろうとする、悪魔をも退散していくような、強い精神と肉体で また新しい一週間 迎えさせていただきます。

 

 

 

生まれ変わるとき

人が変わるとき、大きな光が包んでくれるのでしょうか?

目には見えない大きく暖かな光。

月曜日、ある総合病院の脳外科の先生が愛のエネルギー治療をされるクリニックをオープンすることを、ヒポクラテスの誓いと共にブログに書かせて頂きました。

そのブログを書いてる時、ひとりの患者さんの事が脳裏から離れず、少しの間悶々としておりました。

そして、夜中の3時過ぎに ドクターにメッセージを送らせて頂いておりました。

実は、私自身カイロの施術を通して聞いた、ある一人の患者さんはその先生に平成11年末に脳腫瘍の手術を受けた患者さんでした。

愛媛県下では指折りの脳外科的手術のトップと言われているその先生の手術。

そのドクター的には、手術は成功!

しかし、患者さんの身体は、特に頭蓋にシビレや麻痺、また頭痛などの症状が出て来て、うちの施術院に平成13年初来院。

その後、2~3か月に一度施術を受けに来られてましたが、その都度「手術をしたことを悔やみ…そして、先生に行っても“手術は成功しています”の言葉だけ…。

そんなことが、続いてその患者さんはある時から食べることが出来なくなり、市内の老人専門の様な総合病院に入院。

その後、ご主人様も体調を崩してしまい…

エネルギー治療自体に不審を感じることは無いですが、私自身この患者さんから病院への憤りをお話しされてたことから

どうか遠隔でも直接でも良いので、患者さんに愛のエネルギー治療与えてほしい…と御願いのメッセージを今週初め送らせて頂いておりました。

そして、今晩…なんと開院前の忙しい中…ドクター自らメッセージを書いて送ってくださいました。

そして、遠隔ではなく 必ず時間を見つけて 直接エネルギー治療をさせてもらいます!!とのメッセージ。

メッセージには、「過去の私の愚かな過ち」とも書かれており、また「これから全力で償っていくつもりです」…とも。

知らなかったこと…それが招く過ち。

聖書の中、イエス様や弟子たちを迫害しようとしていたパウロが、大きな光を受け180度変えられたこと。

今日、メッセージを返して頂き、パウロが光を受け主に出会ったような強烈な何かが、ドクターにきっと降り注ぎ今、多くの方々を癒して行くんだろうな…と感じさせていただきました。

実際、ドクター自身が初めて愛のエネルギー治療を受けに九州に行かれたとき、涙が勝手に溢れて来たことをブログの中で書かれており、

私自身その時のブログに一筋の光を頂いたような感じです。

多くの病院やドクターが持っている限界を超えた新しい時代の医療が、ここ西条から発進されるのかもしれません。

ドクターが入院中の病める患者さんへエネルギー治療に行かれた際には、きちんとドクターとクリニックの詳細をお知らせしたいと思います。

きっと、何かが変わりますね。

神のなされることは皆その時にかなって美しい…ですね。

今日から…

我が家に家族が増えました。

と、言ってもワンちゃんとか、ニャンちゃんでもなく、赤ちゃんでもなく…、認知症の叔母。

今晩の夕食まで、グループホームで済ませ 夜8時迎えに行って来ました。

帰りの車の中、「晩御飯食べた?」と、聞いたら「まだ…食べてない!」

「じゃ~一緒に食べようか!!」ってことで、準備してる間  さっそく水素吸入。

そして、主人と私と叔母の最初の晩餐。

まとめておかずを盛って食べ始め、「いっぱい食べてよ!」と言うと、「さっき食べてきたとこだからもうお腹いっぱい」ってことで夕食は好きなモノに手をつけたくらいで終了。

夕食前に発生させていた「水素風呂」に、一息ついて一緒に入ってきました。

私が小さいころ、叔母の家にはお風呂が無くて我が家に入りに来てました。

叔母の頭を洗い、身体を洗いながら…ふとその頃にタイムトリップ。

私の母は、4人姉妹。

長女は、戦争の時 看護師で満州にわたり死亡。

そして、次女は小学校1年の時 脊髄カリエスにかかり 背中に大手術の痕を持ち、小さい身体で77年間生きて逝去。

そんな姉と共に生涯を生きて来た叔母は、洋裁をして家計を支え、既製品が出回って来てからは、市の福祉課でヘルパーとして勤務。

人の世話が好きで、私からすると口うるさいな~と思ってたほどの叔母。

結婚をしていなかったので、妹の子である私達3姉妹を 本当にかわいがってくれました。

きっと、お風呂も入りに来る時も、私達に逢うことを楽しみに来てたんだと思います。

末っ子の私は一番あまえたがりで、お風呂に入って帰ろうとする叔母たちに

「おばちゃんの所…行く~!行くん…行くん…」

と、言って自転車にもう一人の叔母と3人乗りで 夜泊りに行くこともしばしばあったそうです。

叔母の所に行くと、一人っ子のように大事にしてくれる事が きっと嬉しかったんだと思います。

エドガー・ケイシーが「自分の蒔いた種は、必ずいつか自分が刈り取る」と、される様に 叔母が私が小さいころいっぱい可愛がってくれたから、今こうして我が家で一緒に住むようになったのでしょうか。

実は、私が大人になってからは口うるさい叔母が大嫌いでした。

私達姉妹のうち誰かを養子にしたくて、何だか「えこひいき」するような態度も氣に入らず…。

疎遠になったこともありました。

そして、もう一人の叔母が亡くなり 一人暮らしになり…いろんなものが変わり、だんだん認知症が進んできて…

7年前、グループホームへ入居。

1年前くらいから、私の名前を呼んでくれることが無くなり だんだん認知症も進んでる状態。

叔母と一緒に暮らしたことのない私や主人にとって… また認知症を持った状態の叔母との生活。

あ~何が私にできるのか…なんだかちょっとワクワクします。

大きな赤ちゃんを育てる様な感じでしょうか?

「いと弱きもの、小さいモノに生すことは、私にしたことと同じである」ともケイシーリーディングにあるようで、叔母が小さい私にしてくれたことは今、天から私を通して共に過ごす機会を与えてくれているようで…。

そして、まだ未常識な水素を導入することで、変わっていく叔母を観察していきたいと…楽しみに思ってます。

「御愛の天の神さま…どうか私達夫婦が叔母にとって最善の晩年の協力者となれるよう ご霊導下さい」と祈らずにいられません。

天からの御助けをお願いするばかりです。

神の教え

皐月15日、月次祭に参列させて頂きました。

伊曾乃神社の朔日祭と月次祭に参列させて頂き始めて、何年になるでしょうか?

御本殿、静寂の中粛々と取り怒られる行われる御神事。

今月朔日は、三重県津へ行っていたので参列できず、今日の月次祭で毎月1回ひかせて頂く御神籤もひいてみました。

御神籤をひくときは、御神籤の前で手を合わせ 住所と名前を言って神さまに問いたいことを願えば、ちゃんとそこに答えが出てくるそうで…。

「吉」とか「凶」「大吉」とか「中吉」に一喜一憂することなく、神さまが御神籤を通して伝えたい言葉。

今月も私達夫婦への神さまからのメッセージを頂戴いたしました。

「神の教」にはこんなことが書かれてました!

神のこころはかわらぬものを、かわり易いは人こころ

難儀苦労の起こった時、一生懸命御願いする。そしてお祐け(おたすけ)を蒙ると(こおむる)とこころの底から喜ぶが、喉元すぎれば熱さを忘れ

間もなくろくろく御拝みもしなくなる、可愛いと思ぼしめす(おぼしめす)神さまの御心はいつまで立っても変わらぬ。有り難いと思うこちらのこころも変わってはならぬ

神さまは常に我々と共におり、いつも変わらない愛ある御心。

そして、敢えて神さまに立ち返る時を持たせてくれてるのかも…。

この御神籤の教えを知り、変わらない信仰を誓いたいものです。

そして、今日 月次祭の後 宮司さまが伊曾乃神社に7~800年前鎌倉時代から、鎮座する大楠が弱っているというお話をしてくださいました。

4年前たまたま訪ねてこられた樹木のお医者様が見つけてくれて また今年もやって来られ先日の日曜日には、有志の方々が楠のまわり…根っこから薬剤を投入…。

7~800年のながい長い間、多くの訪れる人々を癒し続けてきてくれた楠木。

何も言わず、風が吹くとともになびき…。雨や嵐、台風の中でも凛としてそこにいてくれるのが、当たり前だった大きな大きな楠木。

今日、ひいた御神籤の言葉と同じように、何かパワーが欲しい人は楠木に手を当てたり身体を近づけたり…与えて与えて与えっぱなし…

今日、そんな弱ってしまっているというお話を聴かせて頂き

「いつもありがとう!!どうか元氣になってこれから先100年後もみんなに大きなパワーを与えてください!!」と祈るばかり。

常に今 この時。

共にこの地上に生まれた命として輝き、共に見えない何かに守られて生きていけたらと…感じます。