「五軍神奉賛会」カテゴリーアーカイブ

日本の夏

太陽院院長  近藤 千恵子です(^-^ゞ

終戦から75年目の夏…

大きな難局を生きた日本。

250㌔の爆弾を乗せて突撃していった 特攻兵…

8/6の広島、8/9の長崎…

今日、8/15終戦記念日 そしてお盆。

義父、父母、叔母のお墓参りのあと 四国中央市にある 関 行男氏のお墓にも行って参りました。

大義院釋暁忠居士…我が町 西条で大正10年 生を受け、昭和19年終戦の前年 始めての特攻隊「敷島隊」隊長として 飛び立ち敵鑑に体当たり…

散華していった関 行男中佐のお墓。

お母さまのサカエさんの遺志により 昭和29年、四国中央市の地に建立されたお墓は 綺麗に掃除されておりました。

蝉時雨の中、線香をたて、般若心経を唱え…深々とご挨拶。

靖国神社に眠る 英霊の御霊に恥じないよう 生きて参ります。

フィリピン…3

太陽院院長  近藤  千恵子です(^-^ゞ

フィリピン滞在3日目は いよいよ今回の旅の目的である  75年前の昭和19年…

世界で初めて 250キロの爆弾を抱え 敵空母に体当たりするという 特攻作戦の為  片道燃料だけで たくさんの若者が飛び立って行った 場所…マバラカット東飛行場へ…。

ホテルから95キロも離れた場所は 高速道路を1時間余り走り やっと到着した所は  マニラ市内とは 違う田舎の町…

 

そして、「鎮魂」と記し我々五軍神奉賛会の名前を入れた 日章旗を掲げ…

元皇宮警察の安藤さんが特別に取り寄せてくれた 献上酒「二重橋」と

地元石鎚酒造のお酒や愛媛のお菓子、お米とお塩、西条の水もお供えし…

ろうそく と お線香、菊の花を 各々で捧げさせて頂きました。

そして、その風景を動画で撮影してたとき  近寄って来た現地の方が  突然私に差し出し渡してくれた 日本統治時代の10ペソ紙幣。

これまでも 何人もの日本人が訪れて来たと思うけれど  私に手渡してくれた不思議に 感謝し…

きっと飛び立って逝った特攻兵の方からのプレゼントだと思って大切にさせて頂きます。

この地では、「君が代」「関中佐の顕彰歌」「同期の桜」そして「悠久の5つ星」最後は「海行かば」を合唱。

ちょうど一緒になった 沖縄から慰霊に来た方々も加わり…皇居のお酒「二重橋」を皆で献杯…。

関さん…やっと あなたが飛び立ったこの地まで来る事が出来ました…

あなたが  命をかけて守った祖国日本は 今、また令和という新しい御代となり  少し良い国になりかけてると思います。

なんて…語りながら献杯させて頂きました。

この後、私設の博物館…バンバン歴史博物館へ。今回 慰霊の時 掲げた 鎮魂と記した 日章旗は このバンバン歴史博物館へ納めさせてことに…。

その後、当時関 行男さん達に 特攻を指示したと言われる 大西 瀧治朗中将のお墓に…

「俺も後に続く…」と 片道だけの燃料で飛び立った行った多くの若い特攻兵達を見送った 大西中将の気持ち…

今は、靖国神社で共に  皇室の弥栄と我々後輩達のために、毎日きっと祈っていてくださっていることに改めて感謝。

今回の旅の目的である マバラカット飛行場慰霊の日が  当初12月7日の予定が  前日のコレヒドール島と前後し…

12月8日、太平洋戦争開戦の日に訪れることになり  カメラを通して 天からの優しい緑色のひかりが常に射して来て  天からの大いなる計らいと思えてなりません。

フィリピン…2

太陽院院長  近藤  千恵子です(^-^ゞ

昨日に引き続き、フィリピン報告です。

フィリピン滞在2日目の12/7は 旅の予定が 前後し 船でコレヒドール島へ…

コレヒドール島は  フィリピンの島々の中でも唯一戦いの跡が残る島。

そして、今回の旅の仲間であり メンバーの中の最高齢となる91歳の岡村さんにとっては  この島に渡る船から  フィリピンの海に眠る お兄さまへの慰霊の時。

日本初の特攻作戦が行われた10/25より少し前の10/16…偵察機で飛び立った岡村さんのお兄様は そのまま 戻らず 還らぬ人に…

今年 愛媛県西条市での追悼式典の前日、当日と 愛媛新聞で追悼式典の事が大きく取り上げられ  その中でフィリピン慰霊の旅のことも知り  旅の仲間に…

91歳とは思えないほど 若々しく 元気な岡村さん。

コレヒドール島に渡る船の上から  現地で準備してもらった菊の花と 自ら書いてきた般若心経の写経  そして日本のお米とお水を お兄様へ…

傍らで日の丸の小旗を振り 共に遠い戦争の時に思いを寄せ、大切な家族との時を共有させて頂きました。

コレヒドール島に渡ると  あちこちに日本兵が掘った洞窟の跡が残り…

海から襲ってくるアメリカ軍に対する奇襲作戦の跡が…

おたまじゃくしの様な形のコレヒドール島は 1日で 島をぐるりと回ることが出来…

島にある日本平和庭園では  平和観音さまや記念碑に、ろうそくとお線香を供え  皆で 「君が代」「海行かば」「ふるさと」を合唱…。

志を果たして いつの日にか帰らん…と続くふるさとの歌詞がなんとも切なく 胸を締め付けられます。

そして 夕方 マニラ市内に戻ると 金曜日の夜の市内では  クリスマスイベントで大盛りあがり。

ガイドのバージーさんの気転で 市内の大きなスーパーに連れて行ってもらい  バナナチップスや 乾燥マンゴー、バナナケチャップを購入。

ずっと前に 戦時中フィリピンに居たことのある方から 「日本のバナナは美味しくないので食べん!」と聞いたことがあり  本場のバナナ食べてみたい!!と購入。

んんん~本当に食べて納得(*´-`)

そして 2日目の夜は黒ビールを初めて作ったと言われる老舗のスペイン料理店。

もちろん黒ビールで乾杯…

朝から充実の2日目を終え、いよいよ 翌日は今回の旅のメインイベントマバラカットへ…参ります。

師走朔日

太陽院院長  近藤 千恵子です(^_^)v

令和の御代の始まりと同時に なかなかブログ更新が進みませんでしたが、本日12月1日…

また 新しい何かが開き…新たな気持ちで 書いております。

先日は、我が家の10年目のクリスマスツリーも  「もろびと~こぞりて~♪」と 高らかに歌いながら 飾らせて頂きました。

そして、本日も朝10時からの  伊曾乃神社での朔日祭御神事にも参列…。

御神事の終わる頃には  次々と 七五三の可愛い紳士淑女の姿もあり  どの子も可愛いな~と思いながら神社を後にしました。

そんな私の元に、今晩 市の子育て支援ファミリーサポートで預かってる 「そうちゃん」のママから  七五三の写真…送って来てくれました。

私も主人も 孫のように可愛いそうちゃんの写真に萌え~。

そして、なんと…待ち受け画面にしてしまいました(笑)


そして…本日朔日の御神籤は「末吉」

神の教えは…

憂さも、つらさも腹立たしさも、心ひとつのおきどころ

大空にすむ 月の光(かげ)も、見る人々の心によって、楽しくも、悲しくも、腹立たしくも眺められる。

自分の身辺に起こるすべての事柄の中に神様の有難い御教え、忝ないみさとしを味わって、感謝の気持ちで眺めれば、

身も心もほがらかに、禍も自から転じて幸いとなって来る。

と…


そして、本日は 新しい月の今日 2020年の手帳も購入。

昨年に引き続き 「蔭山手帳」

新しい御代になったことで  ここ数年黒色だった手帳から  2020年は 白色の手帳を選択。

手にした瞬間  なんだか 気分も新しく 全てがリセットされた感じです…。

13の月で構成されるコズミックダイアリーでも 2019年7月26日から マヤ暦の「白い魔法使い」の13年に入った様だし

本日、伊曾乃神社の朔日御弊も白色でした。

白…

来てます!来てます!!って感じでしょうか(笑)

令和元年も 残り ひとつき…。

4月の新元号発表から  11月の大嘗祭 そして 先日の伊勢の神宮へのご報告。

皇室を抱く  日本国民として  本当に古式ゆかしく 粛々と神の息吹きを感じさせてくれる 数々の儀式を

メディアを通してですが 受け取れる今の時代に生を受けてること…

有り難くも感謝感謝の 数ヶ月。

そして、今月12月は  数年前からお手伝いさせていただいてる  敷島隊五軍神の飛び立った フィリピン  マバラカットへの追悼旅行に 12月5日夜から 地元奉賛会の仲間と出発。

西条市出身の敷島隊隊長 関行男さん始め  多くの若者が 祖国の為  家族の為に飛び立って逝ったフィリピンで 何を感じるかわかりませんが  しっかり思いを受け取って来たいと思います。

また  ブログ更新しっかりさせて頂きたいと思っておりますので  どうか引き続きよろしくお願い致します(^.^)

お役目いっぱいの10月でした(^-^ゞ

太陽院院長  近藤  千恵子です(^-^ゞ

毎年、10月は 地元西条伊曾乃神社の秋祭りと  日本初の特攻作戦で突撃した神風特攻敷島隊の追悼式典が行われます。

10月16日には  町内の婦人部が総出で 朝から炊き出し…。

今年も 朝5時から  手伝って参りました。

で、神風特攻敷島隊の追悼式典には  3年前から 会計や事務局で受付簿の作成…

当日までは 気も抜けず…終わってからも色々有りますが…

そんな毎年の出来事に 今年は 天皇陛下 即位令正殿の儀が 10/22に執り行われるって言うことで、 西条でも お祝いモード。

伊曾乃神社敬神婦人会役員での 日の丸作りや  当日記帳所でのお手伝い…等々。

あれもこれもだけれども、その中で出会う方々とのご縁が凄く有難い…。

今年の神風特攻敷島隊の命日での追悼式典には、昨年も参列してくださっていた 神戸と今治に住む 姉妹の方が 共に参列下さり…

昨年に続いて 今年も一緒に写真撮ってくれました。

色々お話していたところ  自宅には 戦没者慰霊のコーナーがあり…感動。

私の作成した チラシも真ん中に置いて下さっており…恐縮でした。

ある日の夕方には  ちょうど5軍神の写真のところに光が当たっていたのだと…見せてくれた写真が…

そんなこんなで  あっという間に 今年もあと2ヶ月。

私に出来ること…精一杯させて頂きます。

おまけの写真は 孫の様に可愛い~そうちゃんとの記念の写真(*^o^)/\(^-^*)

自衛隊さん…ありがとう!

太陽院院長  近藤  千恵子です(*^o^)/\(^-^*)

今日は、朝7時~ 楢本神社の清掃ご奉仕のあと 陸上自衛隊松山駐屯地創立64周年記念行事行って参りました。

有難いことに 神風特攻敷島隊五軍神奉賛会会長の同伴者として会長と一緒に出席させてもらったところ…

真っ赤なリボンを私にも付けて下さり…

かなりVIP待遇で 観閲式、模擬戦闘訓練、音楽隊演奏、また4月からの新人隊員による 自衛隊体操等々…拝見させて頂きました。

国旗が 車で入場…。

善通寺の音楽隊の方々

今年4月入隊の新人隊員たちの 自衛隊体操

戦闘車による空爆

厳しい訓練の毎日を過ごす 隊員の方々を想像すると 泣けて来そうなほど…

隊員の家族の方も 来ているようで…きっと 我が子の姿に ジーンと目頭を熱くしてたお母様方もいたはず…

国家のため…私たち国民のために日夜訓練に訓練を重ねている自衛隊の皆さんに、改めて感謝と敬意を感じさせて頂きました。

おとひめさんの呟き💛

太陽院院長  近藤  千恵子です(*^^*)

今日 火曜日は、お昼1時から おとひめ会での「イキイキ100歳体操」の日。

体操の後のおしゃべりタイムも楽しみのひとつ。

今日もおしゃべり中  大正生まれのMさん…

「私  令和まで生きられるかな~」と…。

生きれます!生きれます!

あと、15日も経たないうちに 訪れる令和の時代。

そして、今日9人の参加者の中、大正-昭和-平成-令和と  4つの時代を生きているおとひめさんは、なんと3人。

大正12年1月、大正15年1月、そして大正15年3月生まれ…。

そんな話のなか 大正15年が11月に終わったこと 大正15年は知ってたものの  大正15年が11月で終わり 大正元年が1ヵ月程しかなかったのだとか…

大正15年10月に生まれた今は亡きご主人さんが、昭和5年生まれの嫁さんに  昭和生まれをなじったのだとか…

ほんの数ヶ月違うだけで  何かが違ったのでしょうか…。

実際、令和元年をあと数日後に控え  ひ孫がもうすぐ生まれるんだ…という話も。

平成で生まれていれば良いのか…令和元年生まれが良いのか…微妙なところ。

全ては 主の 御心のままに…

そして、話は新紙幣発行の話へ…

今年 89歳のFさん…発表が会った日  家で娘さんに  新紙幣までは生きてないわ~と言ったのだそう…

そうすると  オリンピックが決まった時にも言いよったね!!と ズバリなお言葉に(笑)

2025年新紙幣発行までも 是非是非 今と変わらず  わいわいおしゃべり出来ると嬉しいです。

しかし  昭和の初め…あの大東亜戦争を経験し生き抜いて来た おとひめさん達の話は 本当に濃い人生。

大正15年生まれで  小学校の先生でありながら  自身の子供も育ててきたMさん。

産休は42日間だけだったんだとか…

そして、小学校でのお昼ご飯…お弁当持って来てる子も居るなか  家で食べて来ます…と言いながら  家に帰っても何も食べ物がない時代。

家に戻ることなく  お昼ご飯を食べずに教室に戻って来る子供もいたのだと…。

女の先生ならではの 気付きがあり  こっそりおにぎりを渡したこともあったのだとか…。

修学旅行だって 行ける子供と 行けない子供がいた時代。

先生も生徒達も お父さんもお母さんも  あの時代…必死で築いてきた日本。

大きな時代の変わり目  ひとときでも楽しい時間を共に過ごせる様に お手伝い更にしっかりさせて頂きます

四国最西端 佐田岬

太陽院院長  近藤  千恵子です(*´∀`)

先週の日曜日  四国の最西端佐田岬へ 姪っ子とふたりで行って参りました♪

姪っ子は 佐田岬へ行きたくて  私は 途中にある 三机の九軍神の慰霊碑を訪れたくて…

伊方原発のある伊方を抜けて  かなり距離のある  国道197号線。

通称「行くな国道」と言われる197号線。

20代初め…初めての行った時 まだ高速も通っておらず  佐田岬灯台に着いた時には ヘロヘロ…

姪っ子が行きたい!と言うんだから  叔母さん頑張りました(笑)

ちょうど佐田岬の先端に到着する直前  路肩からお婆ちゃんが 手を振り 車を止めたところ  みかんの入った袋を渡してくれ…

「えっ!頂けるんですか?」と喜んで聞いたところ…「買うて!!」と…

一袋500円と言われ  婆ちゃん達やるな~と思いながら  2袋買って貢献。

佐田岬の先端の駐車場には看板に…

「押し売りに注意!」と…(笑)

しかし…無農薬で 育ったみかんは  食べてみたところ  美味しくて  強引な販売のお婆ちゃん達だったけれど  美味しいのでヨシと言うことに…。

九州がもうすぐ目の前の 四国最西端の佐田岬。

キラキラ光る  海の風景に 癒されます。

その後、三机湾へ…

真珠湾攻撃に向けて  秘密裏に訓練を受け 74年前12月8日 ハワイ真珠湾海底で魚雷と共に散華して逝った9名の若者達。

三机湾が ハワイの真珠湾と似ていることから  そこで訓練が行われていたそう…。

毎年 12月8日 三机の青年団が 仕事を終えたあと 夕方からこの地で訓練を続け 日本で初めての人間魚雷となった9名の御霊を弔う為 追悼式典を開いているのだとか…。

佐田岬と三机湾 行きたかったふたつの場所に無事訪れ  名物のジャコかつを食べながら  姪っ子とのふたり旅 楽しんで参りました。

霊峰石鎚も雪化粧

太陽院院長 近藤 千恵子です(^_^)/

寒波が押し寄せ、石鎚スキー場では 夜 人工降雪機を稼働中。

そして 昼間見てみると 石鎚スキー場のAコースとBコース両方が真っ白に…

さらに、石鎚山は 自然の雪で…雪化粧。

冬の石鎚山は最高に美しく大好きです♡

今年も明日で最後…。

そして今日は12月最終日曜日ってことで、五軍神をお祀りする楢本神社の清掃ご奉仕。

落ち葉も雑草もほとんど無かったけれど、敷地内にある西条出身の医聖 真鍋嘉一郎先生の生家を大掃除。

1878年ー1941年明治後期から昭和初期の医学者であり レントゲンを初めて使用し日本に定着させたという 真鍋嘉一郎氏。

生家には たくさんの賞状や修了書…そして食卓となっていたところは 釜戸やおひつがあったり 掘りごたつの中の練炭入れや糸を紡ぐ機械も…

ずっと閉めているだけに 埃もいっぱいで ちょっとの掃除ではなかなか追いつかないけれど…

少しづつ関行男隊長の五軍神と眞鍋嘉一郎氏のこと 多くの方々に知ってもらえるように お手伝いしていきたいと思います。