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四国最西端 佐田岬

太陽院院長  近藤  千恵子です(*´∀`)

先週の日曜日  四国の最西端佐田岬へ 姪っ子とふたりで行って参りました♪

姪っ子は 佐田岬へ行きたくて  私は 途中にある 三机の九軍神の慰霊碑を訪れたくて…

伊方原発のある伊方を抜けて  かなり距離のある  国道197号線。

通称「行くな国道」と言われる197号線。

20代初め…初めての行った時 まだ高速も通っておらず  佐田岬灯台に着いた時には ヘロヘロ…

姪っ子が行きたい!と言うんだから  叔母さん頑張りました(笑)

ちょうど佐田岬の先端に到着する直前  路肩からお婆ちゃんが 手を振り 車を止めたところ  みかんの入った袋を渡してくれ…

「えっ!頂けるんですか?」と喜んで聞いたところ…「買うて!!」と…

一袋500円と言われ  婆ちゃん達やるな~と思いながら  2袋買って貢献。

佐田岬の先端の駐車場には看板に…

「押し売りに注意!」と…(笑)

しかし…無農薬で 育ったみかんは  食べてみたところ  美味しくて  強引な販売のお婆ちゃん達だったけれど  美味しいのでヨシと言うことに…。

九州がもうすぐ目の前の 四国最西端の佐田岬。

キラキラ光る  海の風景に 癒されます。

その後、三机湾へ…

真珠湾攻撃に向けて  秘密裏に訓練を受け 74年前12月8日 ハワイ真珠湾海底で魚雷と共に散華して逝った9名の若者達。

三机湾が ハワイの真珠湾と似ていることから  そこで訓練が行われていたそう…。

毎年 12月8日 三机の青年団が 仕事を終えたあと 夕方からこの地で訓練を続け 日本で初めての人間魚雷となった9名の御霊を弔う為 追悼式典を開いているのだとか…。

佐田岬と三机湾 行きたかったふたつの場所に無事訪れ  名物のジャコかつを食べながら  姪っ子とのふたり旅 楽しんで参りました。

大東亜戦争開戦記念日

太陽院院長 近藤 千恵子です(^_^)/

昭和16年 1941年…12月8日 ハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃。

その際、上空からの攻撃の際 愛媛県西宇和郡伊方町三机で開戦の2年前から日本海軍により 秘密兵器、特殊潜航艇の訓練基地とし 極秘で訓練をし…

そして2016年12月8日 三机湾沖に止まっていた母艦「千代田」と共に 人間魚雷となった 九軍神。

我が町西条出身の関行男氏が隊長となり 昭和19年10月25日米軍母艦に突撃した 神風特攻敷島隊五軍神 よりも もっともっと前 開戦の時に 自らの命を懸けて突撃して逝った9名の士官たち。

岩佐 直治 中佐 26歳(前橋市出身)
横山 正治 少佐 22歳(鹿児島市出身)
古野 重実 少佐 23歳(福岡県遠賀郡出身)
広尾 彰 大尉 21歳 (鳥栖市出身)
横山 薫範 少尉 24歳(鳥取県東伯郡出身)
佐々木 直吉 特務少尉 28歳(島根県那賀郡出身)
上田 定  兵曹長 25歳(広島県山県郡出身)
片山 義雄 兵曹長 23歳(岡山県赤盤郡出身)
稲垣 清 兵曹長 26歳(三重県一志郡出身)

以上…九軍神の方々。

昭和19年初めて人間爆弾となった五軍神だったけれど、もっともっと前の昭和16年に 人間魚雷となり 静かに天に還って逝った9人の御霊。

そして、三机の青年団が 毎年12月8日に追悼式典を開催しているのだそう。

ちょうど 明日 宇和島に住む友達が 八幡浜市の教会でのクリスマスイベントでゴスペルをするから来て~ということで

近くまで行くので 少し足を延ばして 三机港まで行き 御霊に手を合わせて来ようと思ってます。

今日はちょうど 西条駐とん地 防災カフェ 結さんで 迷彩服をお借りし 自衛官気分を味わったところ。

日本人として生まれた私 彼らが過ごした 三机の港に立ち 彼らが観ていた景色 私も感じて来たいと思います。h

それにしても 伊予の國で始まりの始まり…

今朝 NHKのちこちゃんの番組で言ってたのが

三々七拍子の初めに 「いよ~」という掛け声は 「祝う」という意味なのだとか…

伊予が選ばれたのは 神さまの祝福の祝福だったのかも知れません。