「五軍神奉賛会」タグアーカイブ

師走朔日

太陽院院長  近藤 千恵子です(^_^)v

令和の御代の始まりと同時に なかなかブログ更新が進みませんでしたが、本日12月1日…

また 新しい何かが開き…新たな気持ちで 書いております。

先日は、我が家の10年目のクリスマスツリーも  「もろびと~こぞりて~♪」と 高らかに歌いながら 飾らせて頂きました。

そして、本日も朝10時からの  伊曾乃神社での朔日祭御神事にも参列…。

御神事の終わる頃には  次々と 七五三の可愛い紳士淑女の姿もあり  どの子も可愛いな~と思いながら神社を後にしました。

そんな私の元に、今晩 市の子育て支援ファミリーサポートで預かってる 「そうちゃん」のママから  七五三の写真…送って来てくれました。

私も主人も 孫のように可愛いそうちゃんの写真に萌え~。

そして、なんと…待ち受け画面にしてしまいました(笑)


そして…本日朔日の御神籤は「末吉」

神の教えは…

憂さも、つらさも腹立たしさも、心ひとつのおきどころ

大空にすむ 月の光(かげ)も、見る人々の心によって、楽しくも、悲しくも、腹立たしくも眺められる。

自分の身辺に起こるすべての事柄の中に神様の有難い御教え、忝ないみさとしを味わって、感謝の気持ちで眺めれば、

身も心もほがらかに、禍も自から転じて幸いとなって来る。

と…


そして、本日は 新しい月の今日 2020年の手帳も購入。

昨年に引き続き 「蔭山手帳」

新しい御代になったことで  ここ数年黒色だった手帳から  2020年は 白色の手帳を選択。

手にした瞬間  なんだか 気分も新しく 全てがリセットされた感じです…。

13の月で構成されるコズミックダイアリーでも 2019年7月26日から マヤ暦の「白い魔法使い」の13年に入った様だし

本日、伊曾乃神社の朔日御弊も白色でした。

白…

来てます!来てます!!って感じでしょうか(笑)

令和元年も 残り ひとつき…。

4月の新元号発表から  11月の大嘗祭 そして 先日の伊勢の神宮へのご報告。

皇室を抱く  日本国民として  本当に古式ゆかしく 粛々と神の息吹きを感じさせてくれる 数々の儀式を

メディアを通してですが 受け取れる今の時代に生を受けてること…

有り難くも感謝感謝の 数ヶ月。

そして、今月12月は  数年前からお手伝いさせていただいてる  敷島隊五軍神の飛び立った フィリピン  マバラカットへの追悼旅行に 12月5日夜から 地元奉賛会の仲間と出発。

西条市出身の敷島隊隊長 関行男さん始め  多くの若者が 祖国の為  家族の為に飛び立って逝ったフィリピンで 何を感じるかわかりませんが  しっかり思いを受け取って来たいと思います。

また  ブログ更新しっかりさせて頂きたいと思っておりますので  どうか引き続きよろしくお願い致します(^.^)

神風特別攻撃隊★

太陽院院長 近藤  千恵子です\(^o^)/

神風特攻…きっと日本人だからこそ理解できる特攻作戦。

昭和19年10月25日…世界で初めての人間爆弾となり散って逝った 敷島隊五軍神

19歳や20歳の若さで死んでいく身…

おとうさん… おかあさん… そして愛する人も居たかも知れない…

敷島隊隊長となった 関  行男中佐が 私の住む愛媛県西条市出身と言うことで 43年前から行われている追悼式典。

私がお手伝いをさせてもらい始めたのは ほんの数年前から…。

ふるさとの母を残して死んでいくこと…

どんな思いで突撃前夜過ごしたのでしょうか…。


海がある 山がある 空に光が溢れてる
道がある 川がある 伊予のことばが流れてる
ふるさと ふるさと わが愛媛
ゆたかな自然が あふれてる
あつい血潮が 流れてる


という、「愛媛の歌」があるけれど…

泳いだかもしれない加茂川や、きっと仰いだと思う石鎚山…

世の中は変わっても まだ自然はたくさんある西条。

今年、74回目の命日を迎える敷島隊五軍神の追悼式典で配る記念品の準備に行くとき、ちょうど踏切に引っかかり…

そして通過したのが「アンパンマン列車」

アンパンマンの作者…数年前に天に還られた  やなせたかしさんもまた お兄様を特攻により失った家族のひとり。

そのお兄様への思いは、アンパンマンの歌の中にしっかりと込められており…数年前改めて聞いた時、ノックアウトされました。


そうだ…うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷が痛んでも

何のために生まれて 何をして生きるのか?

答えられないなんて そんなのは…いやだ!

今を生きることで 熱い心燃える
だから 君は行くんだ 微笑んで…

そうだ…うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷が痛んでも

ああアンパンマン やさしい君は
いけ! みんなの夢まもるため…


お兄様を、戦争の真っ只中 特別攻撃隊の一員として 見送った やなせたかしさん…

だからこそ、この歌の内容を深く知った時、泣けて泣けて…涙が止まりませんでした。

そして、追悼式典の準備に向かう私の前を 通り過ぎて行った
「アンパンマン号」

これもきっと神さまの御計らい♡

天からの応援も受け…しっかり準備させて頂きます(^^ゞ

パソコン♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^*)

結婚した当初、夜パソコンの前に座り真剣になってる主人に向かって…

「パソコンする人…嫌い!!」と言ってた私。

そんな私ですが、パソコンが出来る主人のおかげで、太陽院のチラシや様々な講演会のチラシ…作ることが出来るようになりました。

と言うか…、初め作ってもらってたものの 性格は大雑把な割に 細かい所が気になる私。

もうちょっと ここのところ右へ…

もうちょっと上に持ってきて…

と、言う度に 怪訝そうな主人。

そして、あげくの果てに も~私がする!!と、マウスの動かし方も クリックの仕方も ダブルクリックも上手く出来ないながら、悪戦苦闘。

36まで独身で何でも自分でやってきた女は強い(笑)

あれから結婚して19年と6か月。

ブラインドタッチなど出来ないけれど…今日もチラシの大作仕上げました(*´▽`*)

今月25日の神風特攻敷島隊五軍神と愛媛特攻戦没者追悼式典のチラシ♡

せっかくの開催…多くの方々に参列頂けるようにと、新聞折り込みに入れることになり…。

そして、やっと出来たチラシ…

我ながら力作…。

 

西条に住んで居ながら 私自身この追悼式典を知ったのは 7年ほど前…。

特攻なんて馬鹿げたことで死んでいくなんて…自殺行為とまで思ってた私。

そんな私が 三重県津市の赤塚建設社長 赤塚高仁さんのお話しの中 特攻隊のお話しを聞き…そう言えば西条にも居たな~と、慰霊碑を訪ねて行ってびっくり。

フィリピンで特攻作戦が始まり 最初の突撃隊の隊長が関行男氏だったこと…。

同じ小学校を出てたこと…

そして、今回チラシや先日は歌詞カードを作ったことで、五軍神の一人ひとりが尊くて…

今日のチラシにも一人ひとりのお顔の写真と出身地や行年を書きながら…当時のそれぞれの故郷や両親への思いを思うと耐えきれず 泣けてきて…。

19才や20才の青年が、祖国のために命を懸けて体当たりし散華していったこと。

チラシを見た若者がどんなふうに思うのか…

どうかひとりでも多くの方が、英霊の存在を知り 英霊に哀悼の思いを寄せることが出来ると嬉しいです。

そして、チラシが作れるようになったり パソコンが使えるようになったこと…主人と結婚して良かった!!と思えることのひとつです(´∀`*)ウフフ

楢本神社清掃奉仕

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

先月より、始まった愛媛県西条市大町の楢本神社さまへの清掃奉仕。

楢本神社は、私の住む大町地区の氏神さまであるだけでなく、大東亜の戦争が終わる1年前フィリピン・マバラカットより初めての特攻作戦で散華された神風特攻一番戦闘機「敷島隊五軍神」の御霊を追悼慰霊してる神社。

五軍神と愛媛特攻戦没者の方々の追悼式典は、毎年「敷島隊」が米軍に突撃した10月25日。

平日にも、関行男さんのことを知った方が愛媛を訪れた際 足を延ばし手を合わせに来て下さる方もいて、地元西条の人間よりも 全国で知る人ぞ知る…関行男さん♡

私自身、西条に生を受け楢本神社の近くの中学校にも通い、部活の時には慰霊碑の前をいつも走っていたけれど…ちゃんと知って手を合わせるようになったのは、2011年8月くらいだったでしょうか。

その年の10月25日、初めて慰霊祭をお手伝いさせて頂き…そして、今年4月また新たに役員改定され 10月の式典だけでなく毎月最終日曜日の朝、楢本神社の清掃をしていこう!!と決まり…。

7月は、朝9時から掃除を始めたところ…暑くて暑くて…。

どうせなら、朝6時半からしよう!!っていうことで、朝の光と爽やかな風を全身に浴びながら…清掃奉仕させて頂きました。

普段持つことのない、竹ぼうきで境内の落ち葉を掃いていると、3年前の5月…皇居の勤労奉仕に行った時のことが鮮やかに甦ってきました。

28人の勤労奉仕の仲間の中…ふたりも天に還って逝った仲間がいます。

そして、ふたりとも本当に大切な大切な仲間だったからこそ…今思い出しても涙が止まりません。

同じ時を共に過ごした仲間。

毎月、同じ時間に神聖な境内を掃き清めていく、年齢も職業も違う五軍神奉賛会の仲間達ともまた、この清掃奉仕を通して同郷の愛と勇氣溢れる英霊の方々を通して繋がっていけること嬉しく思います。

来月は9月24日(日)

一緒に清掃奉仕する仲間も大募集中です(^^)/

 

お国訛り

大東亜戦争末期、軍機と共に突撃していった 神風特別攻撃隊。

その特攻作戦が始まった昭和19年10月、フィリピン マバラカットより飛び立ち、散って行った、西条市出身の関行男中佐。

関中佐を隊長に飛び立った 神風特攻一番敷島隊の5人。

軍神となった5人の御霊を弔うための追悼式典。

終戦後30年過ぎた40年程前から始まり、今も10月25日には 西条市の楢本神社で開催。

追悼式典を今後も継承していくために、今年新たに新体制でスタートした「神風特攻敷島隊五軍神・愛媛特攻戦没者奉賛会」

略して、「五軍神奉賛会」

昨日、その奉賛会の総会が開催され  その中で  聴かせてもらった深いい話。

今60歳は過ぎている、I さんが東京の飲食店で若いころ仲間と話していた中、隣に座っていたおじさんから 「どこの出身?」と聞かれ

「四国です」と答えると、四国のどこ?

「愛媛です」と…。

すると、愛媛のどこ?と…。

「西条です」と言ったところ、

「やっぱり」と…。

その隣り合わせた方、関中佐とフィリピンで一緒に居たらしく、飛び立つ敷島隊を見送ったとか…。

関行男さんが、きっとフィリピンでも西条弁で「ほじゃけん」とか「ほうよ」とか「あんのーえー」とか言っていたんでしょうか。

お国訛りというのは、その人の風貌と共に覚えているようで、おそらく関さんが飛び立った日から 30年以上は経っているその頃にも その西条弁を耳にし 関さんを一瞬で思い出したのかと思うと…胸が熱くなります。

そして、その若かった、I さんが東京で聴いた軍神関行男中佐のお話し。

終戦後、教育が変えられ 学校では戦争が無かったかのような授業の中、聴かせてもらった関さんのお話は強烈だったそう…。

高校の教員をされてたその方は、教員仲間の中では「あいつはちょっと右寄りだ」と言われながらも

追悼式典の開催される楢本神社傍の高校に赴任中などは、10月25日追悼飛行で飛ぶ自衛隊機を仰ぎ、生徒たちにも敷島隊や祖国の為に命を懸けた英霊の話をしてきたそうで…。

戦争を賛美するわけではなく、ただただこの日本が世界で一番長く続き、今こうして家があり、食べることが出来る生活の陰では、

命を懸け祖国の為に闘ってきた英霊の方々がいること。

そこを、ないがしろにするわけにはいけない。

命を懸け、行ってくるよ!と、ぐっと奥歯を噛み締め笑って飛び立って行ったからこそ、何十年経っても人の脳裏から離れることのない存在なのだと…感じます。

そして「カミカゼ」と読んでいた「神風」は実は「シンプウ」というらしく、正式には「シンプウ特攻敷島隊」だと…。

今年も、10月25日、西条楢本神社にて執り行われる追悼式典。

同じ石鎚の湧水を飲み、同じ小学校を卒業し、同じ言葉を話していた先人の思いもまた共に…継承させて頂きます。