「敷島隊五軍神」タグアーカイブ

神風特別攻撃隊★

太陽院院長 近藤  千恵子です\(^o^)/

神風特攻…きっと日本人だからこそ理解できる特攻作戦。

昭和19年10月25日…世界で初めての人間爆弾となり散って逝った 敷島隊五軍神

19歳や20歳の若さで死んでいく身…

おとうさん… おかあさん… そして愛する人も居たかも知れない…

敷島隊隊長となった 関  行男中佐が 私の住む愛媛県西条市出身と言うことで 43年前から行われている追悼式典。

私がお手伝いをさせてもらい始めたのは ほんの数年前から…。

ふるさとの母を残して死んでいくこと…

どんな思いで突撃前夜過ごしたのでしょうか…。


海がある 山がある 空に光が溢れてる
道がある 川がある 伊予のことばが流れてる
ふるさと ふるさと わが愛媛
ゆたかな自然が あふれてる
あつい血潮が 流れてる


という、「愛媛の歌」があるけれど…

泳いだかもしれない加茂川や、きっと仰いだと思う石鎚山…

世の中は変わっても まだ自然はたくさんある西条。

今年、74回目の命日を迎える敷島隊五軍神の追悼式典で配る記念品の準備に行くとき、ちょうど踏切に引っかかり…

そして通過したのが「アンパンマン列車」

アンパンマンの作者…数年前に天に還られた  やなせたかしさんもまた お兄様を特攻により失った家族のひとり。

そのお兄様への思いは、アンパンマンの歌の中にしっかりと込められており…数年前改めて聞いた時、ノックアウトされました。


そうだ…うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷が痛んでも

何のために生まれて 何をして生きるのか?

答えられないなんて そんなのは…いやだ!

今を生きることで 熱い心燃える
だから 君は行くんだ 微笑んで…

そうだ…うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷が痛んでも

ああアンパンマン やさしい君は
いけ! みんなの夢まもるため…


お兄様を、戦争の真っ只中 特別攻撃隊の一員として 見送った やなせたかしさん…

だからこそ、この歌の内容を深く知った時、泣けて泣けて…涙が止まりませんでした。

そして、追悼式典の準備に向かう私の前を 通り過ぎて行った
「アンパンマン号」

これもきっと神さまの御計らい♡

天からの応援も受け…しっかり準備させて頂きます(^^ゞ

悠久の五つ星

太陽院院長 近藤   千恵子です(^.^)

毎年10月25日に開催される 神風特攻敷島隊五軍神と愛媛特攻戦没者慰霊追悼式典。

いよいよあと数日後に開催と言うことで、色々準備をさせてもらってる中 式典の中での追悼歌の歌詞カードを作っております。

「関中佐功績顕彰歌」 「海行かば」 「同期の桜」 そして 今年の追悼式典で初めて歌われる「悠久の五つ星」

敷島隊は特攻作戦が始まった昭和19年10月25日 米艦隊に250㌔の爆弾を乗せ機体共々突撃し散華した最初の隊。

隊長に愛媛県西条市出身の23歳 関 行男大尉…そして第一番機。

そして、福島県原町出身の19歳 中野 磐雄一飛曹は第二番機。

第三番機は、京都府舞鶴市出身 20歳の谷 暢夫一飛曹。

第四番機は 宮崎県宮崎市出身 19歳 永峰 肇飛長。

最後に突撃した第五番機には 愛媛県新居浜市出身 20歳の大黒 繁男飛長。

今年初めて追悼式典で歌う 「悠久の五つ星」は 甲府市に住む作詞家 竹内秀秋氏が平成7年 戦後50年の節目に作詞し、愛媛県の作曲家河本 忠氏が曲を付けたもの…。

五隊員の心情があふれた 詞が一番から五番まで。

悠久の五つ星
           竹内秀秋 作詞
           河本 忠 曲編

一 決めた道なら尊い命 散って花咲く          関中佐
  誠ひとすじ 旅立つ空よ
  敷島隊長 一番機 ああ 平和の星 だ 悠久の星

二 夢は予科練 男の翼 翔けて錦を 着て帰る
  泣くな歎くな 相馬の父母よ
  若鷲中野は 二番機ぞ ああ 平和の星だ 悠久の星

三 親の恩こそ 海より深し 散るを惜しまぬ 谷少尉
  誓う手紙は 辞世の歌よ
  人生火の玉 三番器 ああ 平和の星だ 悠久の星

四 若さ十九の 蕾は赤い 春を思えば 花が咲く
  大和ごころに 殉じた君よ
  輝け永峰 四番機 ああ 平和の星だ 悠久の星

五 負けず嫌いの 氣性が強い 花も実もある 若櫻
  偲ぶ故郷は 伊予路の空よ
  さらば大黒 五番機ぞ ああ 平和の星だ 悠久の星


敷島隊の五人だけでなく 大東亜戦争によって 散華していった多くの御霊お一人ひとりに 故郷があり… 家族があり…。

アメリカ軍が 「クレイジー」と叫んだ 特攻作戦。

守るモノがあり…命を懸けて守る為に闘った 多くの先人が居たからこそ戦争に負けた今も存続する 祖国日本。

そして、米軍をはじめ アジアの国々に知らしめた 大和魂。

「世の為 人の為 惜しまれながら 死んでいく」

私たち 今を生きる者が 思いを形にし… この追悼式典も続けて参ります。

今年も 10月25日 朝10時30分~ 快晴の中で…。

やっと晴れました(*^^)v

太陽院院長 近藤  千恵子です(*^^)v

今日は、やっとお陽さまを拝むことが出来ました。

随分長い間、雨が続き…また一雨ごとに、寒くもなり…

四季のある日本ならではの、この氣温の移り変わり。

そして、年々寒さが応える様になって来てます。

小学校の頃、男子が冬の間ずっと半ズボンで過ごすことがかっこいいような感じで、クラスの男子は結構半ズボンで過ごしてましたが…

55歳になった今では、考えられないほど…。

「伊達の薄着」…なんていうのも若いから出来ること。

これからの季節は、しっかり暖かくして「クシュン」なんて…風邪をひかないように過ごしたいものです。

と、書きながら…実は今かなり薄着でパソコン打ってますが…。

水素のお風呂にじわ~っと20分程入ると、かなり湯上りにポカポカが継続してくれるので、ついつい…。

さてさて…今日はブログを書いた後、またひと踏ん張りして 25日西条楢本神社で開催する
「神風特攻敷島隊五軍神及び愛媛県特攻戦没者追悼式典」の席次表の作成。

今年は、昨日までイヤというほど降ってくれたので…25日はきっと快晴。

お天氣が良いと、記念飛行もしてもらえるので…ホント有り難い。

今年は、事務局をさせてもらっており、参加の返信はがきが 9月20日過ぎから次々に届き…

その中でも、「高齢になり、出向くことが出来ません。」というメッセージがかなりあり…

72年前に終戦を迎えたけれど、特攻で亡くなった方々にとっては 73年目のお法事。

終戦間際の、最後の最期に行った特攻作戦。

しかも私が生まれ育ったこの町で同じように生まれ育った、関行男さんが、特攻作戦1番戦闘機「敷島隊」の隊長。

250㌔の爆弾積んで、敵艦に体当たりしていった…若い御霊。

母を…父を…家族を…そして祖国を守れるならばと、命を掛けて戦って下さった同郷の先人たち。

天からみれば、きっと歯がゆいような今の世の中だと、思いますが…、どうか天から叡智を…そしてなにものにも屈しない力を与えて下さい。

この祖国日本が、永遠に続きます様に…と今日も祈りながら…しっかり準備させて頂きます(^^)

秋の香りと共に…