動けば変わる

「長考に好手なし」

将棋の世界で言われている  この言葉。

人間の頭というものは  結構厄介なもので  今までの経験や世間の常識などなど  考えれば  考えるほど、迷宮入りすることがあります。

学生時代のテストの時など、最初に書いた答えの方が正解だったことなどもあり

また  人生においても  ふっと思いついたことが人生の大きな転機になったりもします。

っていうことで、今日は津の赤塚さんの所で  仲間との新年最初の集いがあり  「おいで!」ということで、津に向かってます。

途中、神戸に寄り道しての  ロングドライブ。

神戸からは、3年前イスラエルの旅からの魂の友も合流してのドライブ。

今、神戸まで到着。

昔、スキーやってたとき、愛媛から志賀高原まで800キロ…好きな曲と冬中の生活道具を車いっぱいに積み込み  軽四で動いてた頃のように軽快に移動中♪

「長考に好手なし」

とにかく  示されるまま 動いて来た私の人生。

聖書の中でも、動けば変わる!

イエスさまが、水をブドウ酒に変えた時も  、目の見えない人が見えるようになった時も

水瓶の水を別の水瓶に動かした時、ブドウ酒になり

土に唾をかけ混ぜて瞼に塗られた目を洗うために動いた時、目が見えるようになった様に…

動けば変わる!

今回も  この先に何が 起こるのか  わくわくしながら  走って参ります♪

今日はTOKIOの宙船

 

 

空の空(くうのくう)

今朝、知り合いの奥様が天に召されたと連絡が入りました。

昨年夏、50歳近くになって、結婚したお二人は この上ない歓びに満ち 恥ずることなく 寄り添い微笑ましい光景でした。

数回しかお会いしてませんが、彼女の魂の底から歓びに満ちたあの笑顔というものは、こんなにも人の心に残るモノなのかと もう会うことが出来なくなった今 しみじみと思います。

結婚後も、遠距離での生活が続いてた様ですが、やっと一緒に暮らし始めたところに訪れたお別れの時。

なぜ?なぜ?なぜ?

神さまは、なぜこんな哀しいことを計画されたのでしょうか?

それとも、二人が出会うことによって 人を愛する歓びをプレゼントしてくれたのでしょうか?

天使のように軽やかに笑い、旦那様を愛して 天に還っていった彼女。

きっと多くの人に愛を届ける為に 地上にやって来た天使そのものだと思えてなりません。

奇しくも、今日はあの阪神淡路大震災から22年目を迎えました。

あの日も、多くの方々が最愛の人と別れ、ツラく哀しい時を過ごしたのだと思うと、本当に「今」をどう生きていくのか…改めて考えさせられます。

旧約聖書 伝道の書より
1章

伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。
伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。

日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。

日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。

風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。

川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。

すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。

先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。

「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。

前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のこともに起る者はこれを覚えることがない。

伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。
わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。
 わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。
曲ったものは、まっすぐにすることができない、欠けたものは数えることができない。
わたしは心の中に語って言った、「わたしは、わたしより先にエルサレムを治めたすべての者にまさって、多くの知恵を得た。わたしの心は知恵と知識を多く得た」。
わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。
それは知恵が多ければ悩みが多く、
知識を増す者は憂いを増すからである。
 そしてまた3章ではこう続く


天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。

生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。

わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。
またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。
わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである。
今あるものは、すでにあったものである。後にあるものも、すでにあったものである。神は追いやられたものを尋ね求められる。
わたしはまた、日の下を見たが、さばきを行う所にも不正があり、公義を行う所にも不正がある。
わたしは心に言った、「神は正しい者と悪い者とをさばかれる。神はすべての事と、すべてのわざに、時を定められたからである」と。
わたしはまた、人の子らについて心に言った、「神は彼らをためして、彼らに自分たちが獣にすぎないことを悟らせられるのである」と。
人の子らに臨むところは獣にも臨むからである。すなわち一様に彼らに臨み、これの死ぬように、彼も死ぬのである。彼らはみな同様の息をもっている。人は獣にまさるところがない。
すべてのものは空だからである。
みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る。
だれが知るか、人の子らの霊は上にのぼり、獣の霊は地にくだるかを。
それで、わたしは見た、人はその働きによって楽しむにこした事はない。これが彼の分だからである。だれが彼をつれていって、その後の、どうなるかを見させることができようか。

抜粋出来ないほど、聖書の言葉のひとつひとつは 心地よく胸に響いてくれます。

空の空、空の空、いっさいは空である…

そして、
みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る。
現世は、うつしよ。 すべては、空(くう)
先に天に還って逝った彼女や私の友、そして母。
天からみるとどうなんでしょうか?
まだしばらくこの「現世(うつしよ)」の世界で、魂磨いて戻ります。
今日の歌は「この空を飛べたら」
https://youtu.be/GmaiWgtaDYI

 

朝夕勤行

今日、仏さんのお正月ということで、お墓参りに行ってまいりました。

我が家は、真言宗なので いつもは般若心経だけ唱えさせてもらうのですが、今日は小雪舞う中 経本の最初からお唱えさせてもらいました。

経本の一番初めに「朝夕勤行のこと」とあり、こう書かれております。

朝は希望に起き、夕は感謝に眠る。これが菩薩行の一日一日である。

希望をもつもの必ず神に祈り、感謝をもつもの必ず佛に礼拝する。

朝に夕(ゆうべ)に、念誦(ねんじゅ)の一刻(ひととき)静座して心を正しうしなければならない。

この一節を読ませてもらうだけでも、背筋がピンとします。

神に祈り、仏に感謝する。

先祖代々、ひとり欠けても今の私は存在しないし、繋がっていない。

かくいう私は、それを途絶えさせたのだから ご先祖様には大変申し訳ないと、今の年になってつくづく思うし、本当の親孝行とは家庭を持ち、孫を見せて安心させてあげることなのかなぁ~と思うこともある。

エドガー・ケイシーが遺したリーディングの中に、

「人たる者にとって、魂がこの物質世界を経験出来るよう、そのための経路となることほど、偉大な任務はないからである。

だから(妊娠と出産を)安易な道であると思ってはならない。

むしろ全知にして慈悲深き万物の創造者が、あなたを経路として用い、あなたを通して慈悲深き神の人間に対する愛が示されることを、喜んで求めるべきである」 480-30

と、あるが誠に妊娠出産は、神さまへのボランティア。

もしも、結婚しなかったり、妊娠出産する機会に恵まれなかったとしたら、社会へのボランティアをしなさい!!とも言われています。

笑い話の様ですが、私と結婚した時 うちの主人は「結婚のきっかけは?」と、尋ねられた時いつも

「ボランティアです!!」と言って笑いを誘ってましたが、誠に結婚はお互いのボランティアなのかも知れません。

他人同士が一緒に暮らすこと。

お互いの魂の成長のために出会わされた二つの魂。

きっと前世からのご縁がかなり深くないと、「結婚」はないのだと思います。

スキーのインストラクター時代、志賀高原の麓「山ノ内町」の甘精堂という温泉まんじゅう屋さんとご縁頂き、広い一軒家を借りて住ませて頂いてました。

そして、ちょうど同じインストラクターの仲間も一緒に住みたい!と言うことで、一緒にシーズン中寝泊りを共にするのですが、

だんだん慣れてくると、どこかお互いのアラも見え始め、イヤだな~と思い始めると余計そこが目につき…。

でも、まっ…雪が溶けるまでの間…と我慢もしたことも有りました。

お互い言いたいことを言って、良くなっていくことも有りそうですが、逆に言わない優しさもあるかな…とも。

でも、友達と一緒に暮らすことと、結婚して夫婦で暮らすのは全く違うなーと、まず新婚生活が始まった時に感じました。

お互い35歳も過ぎての結婚だった為か、お互い持っている末っ子特有のあまえたれの性格か?

ん?なんで… なんでそこで そうなる???ってことも多々。

色々出て来たとき、「この人とは一生一緒に居たいから、ここは話ししないと…」と。

人は、目で見せられ 耳で聞かされ 口で話され…。

この目と耳と口をどう使っていくか!!結婚当初は、かなり言葉も選び自分の思いを愛を以て伝えていたように思います。

愛あればこそ…でしょうか。

ただ、それが1年たち、2年たち、5年たち、10年たち…今18年目。

日本の神話古事記の中でも 最初の夫婦イザナギとイザナミも夫婦喧嘩で言い争います。

黄泉の国に逝ってしまったイザナミを追いかけて黄泉の国に行ったは良いけれど、一足遅く黄泉の国の食べ物を口にしてしまったイザナミ。

もうあなた様の住む世界には戻れないと思いますが、ちょっとここで待ってて下さい。そして、待ってる間この扉は開けないで下さいね。

という夫婦の約束を破って、中を覗いてしまったイザナギ。

変わり果てた姿を見られてしまったイザナミは大激怒!

イザナギに向かって「一日に千人の人を殺してやる!!」と…。

そうすると、イザナギは、「ならば私は、千五百人の人を生みましょう!!」と…。

イザナギとイザナミの夫婦喧嘩によって、生死があるとしたら「えっ?」って感じではあるけれど、この数が反対ならば それもまた怖いことなのかも知れないし…。

以前、このイザナギとイザナミの夫婦げんかのお話を三重の赤塚さんがお話下さった時に、言われたのが

「怒る女とスネる男」

さすが…そうだな~と納得したことを覚えており名言。

男の人はいつまでも子供!!とよく耳にするし、またヒステリーは女性の代名詞の様なもので、「怒る女とスネる男」は私の中で大ヒットでした。

と、今日仏さんのお正月からなんだかんだで、夫婦喧嘩の話にもなってしまったけれど、元来夫婦は「相和し」と、明治天皇が発した教育勅語の中でも書かれており、

夫婦相和しの前に、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ…と続く教育勅語。

アマテラスさまの孫がこの地に降りてきた「天孫降臨」の頃から大切にしてきた日本人の掟…神様とのお約束でもあるようです。

時に、エデンの園でイブに禁断の果実を食べさせたあの蛇の誘惑のように、この掟を破ってしまいそうなのが、誘惑多いこの世の生活。

父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ…そして、仏経本の中  朝は希望に起き、夕は感謝に眠る。神に希望…仏に感謝。

そして、願わくは、此の功徳を以て あまねく一切に及ぼし 我らと衆生とみな共に 仏道を成ぜんことを…

神道の教え、仏教の教え、また聖書の教え…さまざまなことを与えられ、真実を求めて生き 仏の道を超えた時 本物の光へと向かっていくのでしょうか。

今日は菩薩と呼ばれた百恵ちゃんの「さよならの向こう側」

 

 

真実の扉

真実ってなんでしょうか?

もし、生まれてお母さんが「りんご」を「みかん」と呼び、子供にも「りんご」を「みかん」と呼ばせたとしたら・・・。

昔、オオカミに育てられた少女は、オオカミの毎日の習慣を真似て育ったので、四つ足で歩き ご飯も口でかぶりついていたとか・・・。

当然、服を着ることもなく排泄後始末することも、オオカミの真似をして、オオカミがお手本ですから…。

人は、出会う人 目の前の人の真似をして育ちます。

人だけではないかも知れません。

「みにくいあひるの子」は、あひるの中で育ったので あひるだと信じ、周りのみんなと比べ劣等感を持つことさえあり…。

そこにある「りんご」は確実に存在する物体。

それを、呼ぶ名称が「りんご」と名付けられ、「りんご」とみんなが呼び、当たり前に継承されていく。

だから、社会生活で混乱が起こらず 過ごせているのかも知れない。

でも聖書の中、「バベルの搭」のお話の中では、神さまは全ての言葉を変えて、混乱させ、世界中  それぞれの言語で意思が通じ合わなくされたとも…。

日本人同士であれば、固有名詞はちゃんと伝わり良いのだけれど、生活習慣や思想的なもの…そういったものに関しては、やはり真実はひとつとは限らないように思えます。

実際、今の日本には、新興宗教やキリスト教、また仏教の中にも、宗派が色々あり、真実を「これだ!!」と決めることのないのが日本人の良い所でもあり…。

また、色々あるから迷っている人もいて…。

昨年から、太陽院で扱っている「水素」や「健康寝具」に関してもそう…。

「水素」は何か薬剤を入れるわけでも無く、水が電氣分解され発生するだけのものなので、悪くても現状維持。

良ければ、体液の質が変化し、また皮膚疾患にも変化が出てくるし、しかも冬は湯冷めもしにくく、私自身がイイと思ったので取り扱わせてもらっており、

「健康寝具」に関しても、開院以来20年以上扱ってますが、モデルチェンジもなく、また私自身が使用しているマットや枕も、20年以上使えており、

素材自体も“東レ”が開発した冬面は体温をこもらせてくれる“東レぺフ”、夏面は通気性に優れ、しっかり就寝時に身体をサポートし筋肉を緩め、

自分自身の持ってる自然治癒力を引き出してくれて、なにしろ施術の回数を減らせてくれる。

まっ、何を自分自身が信じるか!

信じたものが、真実と呼べるものであるかどうかは ひとりにひとつづつなのかも知れないし、誰が言ったものを信じるかどうかなのかも。

そして、モノだけでなく   やはり見えない世界のことは、

特に誰に出逢うか?何を信じるか?っていうのは、人生を豊かにもつまらなくもしてくれる氣がします。

私は、2008年エドガー・ケイシーを伝えてくれる日本エドガー・ケイシーセンター会長光田秀氏に出逢い、伝えて下さる様々なことが真実であると直感し、それから色々学ばせて頂きました。

そして、光田先生を通して語られる見えない世界や古代史、ケイシー療法の数々も…。

見えない世界だからこそ、人はあれこれ迷うけれど、伝え続けてくれる光田先生自身がぶれずにケイシーを信じ伝えてくれてるので、私は素直にそこに真実をみることが出来てるように感じます。

その光田先生から紹介してもらったもらった三重県津市の建設会社社長赤塚高仁氏。

聖書や古事記、日本のことや、天皇陛下のことそして、真実のイスラエル…なかなか伝えることが難しいことの数々を、わかりやすく伝えてくれる赤塚さん。

赤塚さんから伝えられるひとつひとつのことが、伊勢に行き、イスラエルに行き、皇居の勤労奉仕で天皇皇后両陛下の御会釈を賜り、そしてペリリューにも行かせて頂き…。

私自身もこの目でこの足で、感じさせてもらい、そして確実に真実の扉がひとつひとつ開かれていったと感じます。

何か見えないエネルギーに寄って、出会わせて頂いたお二人が、「りんご」を「みかん」と読んでたら、私も「みかん」と呼び始めるかも知れません。

お二人を知らない方は、「えっ!!大丈夫???」って思うかもしれませんが、私はそれで良いと思ってます。

事実はひとつだけれども、真実はひとりにひとつ。

誰に出逢い、何を信じ、何を感じるか…。

自分が、自分自身はこういう人間なんだ!と思ってることでさえ、また真実の自分自身は違うかも…。

そして、それがもし間違いだとしても、真の光を求めて動くこと事態を、きっと神さまは「よし!!」としてくれるのだと…。

新約聖書「エペソ人への手紙」より

神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、

御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。 

それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。

わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。

それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。

あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。

この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

20歳頃好きで聴いてた河島英五さんの「てんびんばかり」

 

冬の妖精

夕方、愛媛にも雪が降りました。

この冬、私にとっては初雪。

スキーやってた頃は、北から初雪の便りがあると、ワクワクしたものです。

空から舞い降りる妖精たち。

真冬の乾燥した日にみえる、太陽に照らされて光るダイヤモンドダスト。

そして、ふわっと舞い降りる雪は あの雪印のマークが束になって降りてきて、寒さよりも白い世界に包まれる幸せを誰よりも感じてたあの頃。

膝のケガや、新しくカイロプラクティックの仕事を始めたことで、志賀高原にも行かなくなり、

またどんどん太っていったこともあり、冬スキー場に行くことがだんだんなくなり、寒さが身に沁みる年に(笑)なってきたけれど

朝早くから、夜はナイターまであの かたいかたいスキーブーツを、スニーカーのように履いてたあの頃は、やっぱり私の青春そのもの。

吹雪の中でもリフトが動いてさえいれば滑り、滑った分だけ上手くなってると信じてたあの頃。

「明日の僕は今日より上手い!」

という、どこかのスキーメーカーのキャッチコピーの言葉が大好きでした。

スキーバカでしたね。

でもとことんやって、怪我してもう滑れなくなって、今でも膝は痛くて走ることも出来ないけど、肉体の痛みを知ったからこそ、今の仕事に生かされてると…。

新約聖書詩編103編

わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。

わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。

主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、

あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、

あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。

ケガや病気全て起こる事、全ての出来事が主の最善。

今日、明日とセンター試験…毎年、センター試験の頃一番寒波厳しく、受験生も受験生の家族も 試練の2日間。

どうか、主の祝福が豊かに降り注ぎ ひとりひとりの人生にとって最善の道が開かれます様に…

今日はあのユーミンの「ブリザード」

 

月読命

古事記の中、「国づくり」を果たしたイザナギとイザナミの命。

その後、風の神、木の神、山の神、海の神、川の神、岩の神、石の神などなど自然の神様が次々と生まれ

最後に生んだ火の神さま。

この火の神さまを生んだところ、女神のイザナミさまは大やけどを負って死んでしまい、

残された男神イザナギさまは、寂しくて寂しくて「黄泉の国」へと逢いに行き・・・。

でも一足遅く「黄泉の国」の食べ物を食べてしまったイザナミは、もう元の世界には戻れないと…。

そこで、イザナミさまは「黄泉の国」を支配するものに、きいてみるから「私が良いというまで、この戸は開けないで下さいね」と、イザナギに言って中に入って行き…。

待ってたイザナギさまは、なかなか出て来ぬイザナミさまを待ちきれず 「開けてはいけない!」と言われた戸をこっそり開けてしまい…。

そこで見たものは、変わり果てた妻イザナミの姿。

「見たな~」「開けたな~」と、醜い姿になったイザナミ。

そして黄泉の国の者たちに追われ追われて、ようよう逃げたイザナギ様。

川のほとりにたどり着き、「あ~醜いものを見てしまった!」と、左目を洗うとアマテラスさまが生まれ。右目を洗うとツクヨミさまが…。そして、鼻を洗うとスサノオさまが誕生。

スサノオさまは、アマテラスさまの孫がこの地に降り またその孫がこの地を治めるまで、スサノオの子孫がこの地を治めており

アマテラスさまの世になった時も、スサノオさまの時も、夜の闇を照らし支配するのがツクヨミさま。

アマテラスさまが、天岩戸に隠れ闇の世になり困ったけれど、闇もまた必要。

闇があるから、光が生きる。

また光があるから、闇がまた尊い。

新約聖書「創世記」の中にも光と闇が創られる。

はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
今日は、今年初めての満月。

夜の闇を、明々と照らしてくれる。

実は2013年、私の母が亡くなる3日前の12月16日

ちょうど伊勢の外宮さんの隣にある「月夜見宮」をお参りさせてもらった時、照らす太陽がまぶしくて写真におさめようとした時、不思議な光が踊り輝いて見えて、月夜見宮でみたこの太陽の光は、お月さまを自ら光らせていることを感じさせてくれた様に思います。

2013年月夜見宮で撮った光の写真
自動代替テキストはありません。

そして、昨日のブログで書いたペリリュー。

勤労奉仕

このペリリュー島のあるパラオ共和国が、独立するとき国旗の選択をした際、一番人気があり決まったこのパラオの国旗。

パラオは日本のひとつの県にしてほしい!と願ったほど、日本が大好きで、国旗も日本の国旗に似たものが一番人気。

青い海に浮かんだ丸い月

月の光は、太陽の光を浴びて輝く。

太陽とは、日本のこと。

天皇陛下が訪問した日が、パラオの祝日に制定されたほど。

3000キロも離れた南の島で、先人が遺した大和心が今もなお生きていること…あのパラオの青い海を思いだす今日満月の夜。

勤労奉仕

もう年が明けたので、3年前になるけれど、2014年の5月、皇居の勤労奉仕へ参加させて頂きました。

2010年11月に、昭和天皇がマッカーサー元帥に、謁見された際

『この度の出来事は、全て私の責任です。私の身体はどうなっても構いません。どうか国民を飢えから救ってください』

と、自らの命を引き換えにするほど、国民を愛し守り続けてくれた昭和天皇のお話を聞いた時から、天皇陛下や皇室に対する思いが180度変えられたこと、今も忘れられません。

その後、東北の震災があり、今上天皇と美智子皇后が共に被災地へ行かれ、ひざまずき被災された方々に寄り添われるお姿や多くの犠牲者をのみこんだあの海に向かって、追悼されるお姿に、

慈愛あふれる両陛下に守られているこの日本に生まれて良かった…!!と魂いっぱいの歓びを感じ…

そんな私に、声かけて頂いた『勤労奉仕』

三重県の赤塚さんを団長に28名の全国から集まった仲間と愛媛からは3人で参加させてもらいました。

4日間東京に宿泊し、東宮御所と皇居へのご奉仕。

私たちの時は、ちょうど出雲大社の権宮司さまと高円宮典子女王との結婚発表があった時。

出雲と言えば、美智子皇后が詠った歌が大好きで

「国譲り 祀られましし 大神の 奇しき 御業を 偲びて止まず」

2677年前、譲られたアマテラスオオミカミの世。

アマテラス様の世に、そのころ奇しき御業によって譲られ2677年。

その譲り、譲られた出雲の大神様にご縁ある方とアマテラス様のご子孫の結婚が決まったのですから、また素晴らしい!!

私たちが、勤労奉仕に参加させて頂いた際、初日は赤坂御用地内のご奉仕そして東宮御所での皇太子さまの御会釈。

そして、勤労奉仕2日目、皇居での清掃初日に天皇皇后両陛下の御会釈を賜りました。

奉仕団は全部で4団体。その代表で、我らが団長赤塚さんが両陛下に『万歳三唱』をすることになり、赤塚さんに続いて我々4つの奉仕団員が万歳!!

天皇陛下に3回、皇后陛下に3回。合計6回の万歳の渦。

代表の赤塚さんは、1メートルほどの至近距離で、言葉に出さずとも伝わる思い。

言挙げせずとも聞こえてくる両陛下の「ありがとう」の言葉。

あの日。万歳三唱の代表をされた赤塚さんを通して、ペリリュー島の英霊が両陛下の訪問を願ったのではないのか。

赤塚さん自身、あのペリリュー島で軍医をされていた三重県松坂市の上島先生がもう一度行きたい!と言ってた南の島ペリリューに2010年10月ご縁あって訪れペリリューの英霊たちに触れ

その後、行く先々でパラオの国旗とペリリューでの激戦玉砕されたお話をされてきて、私自身も何度聴いたことか…。その度に涙。

そんな赤塚さんが、万歳三唱の際、「陛下どうかペリリューを顧みて下さい。」という思いものせて万歳三唱。

言挙げせずとも伝わるペリリュー島への想い。

そして、勤労奉仕が終わり7~10日ほどたったある日、宮内庁から発表された

『天皇皇后両陛下ぺリリュー島ご訪問』

そして、もう2年前になってしまいましたが、ペリリュー島を両陛下がご訪問され、あの軍艦「あきつしま」にてご宿泊。

陛下のひとりひとりへの想い、あの島に眠る多くの英霊の御霊が、祖国日本へと戻って来られたことだと感じます。

以下ペリリュー島の島民と日本軍のお話☟

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遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。

「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」

沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。

老人は村の若者達と共にその作業に参加した。

日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという

やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。

「自分達も一緒に戦わせて欲しい」と。

それを聞くなり隊長は激高し叫んだという。

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

日本人は仲間だと思っていたのに・・・。

みせかけだったのか。

裏切られた想いで、みな悔し涙を流した・・・。

船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。

村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

しかし、船が島を離れた瞬間に日本兵全員が浜に走り出てきた。

そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。

先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。

その瞬間、彼は悟ったという。

あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。

 

国旗

今日は、1月9日成人の日で カレンダーでは国民の祝日…旗日。

ハッピーマンデーが制定されるまでは1月15日が成人の日。小正月。

我が家が、祝日に国旗を掲揚するようになったのは、もう6年前になるでしょうか。

ホームセンターで購入し、6年前の元旦。しっかりと国旗掲揚させてもらいました。

白地に赤く 日の丸染めて
あぁ 美しや 日本の旗は

アサヒの昇る 勢見せて
あぁ 勇ましや 日本の旗は

戦前の唱歌「日の丸の旗」

歌の通り、昔日本の家々の軒先には祝日となると、国旗がどの家にも掲げられ、赤と白のおめでたい色が 心を穏やかにしてくれていたように思います。

011正月の朝

私がまだ小学生のころまでは、我が家でも祝日には国旗を揚げて…

翌日、学校では「昨日、国旗を揚げた人?」と調査があったのを覚えてますが、これは日教組の行った調査だったのでしょうか?

そのうち、右翼と呼ばれる街宣車が、車には天皇陛下万歳と書き、日の丸をはためかせ、軍歌や君が代を大音量でかけて街の中を走ったり、若者がバイクにまたがり日の丸を振り回し…。

国旗を揚げたり天皇という存在が軍国主義の象徴のような錯覚を起こさせるようになってしまったようで…

祝日の街中では、日の丸を掲げる所がなくなり、挙句の果てには学校で君が代も歌わない学校も出てきたりしているようで・・・。

そういう私も、私が師と仰ぐ三重の赤塚さんから 7年前の47歳の時、日本のことを教えてもらうことがなかったら…国旗を揚げることもなかったと思います。

6年前の元旦の朝、ホームセンターで購入してきた新しい国旗を玄関に…。

1年間の祝日や祭日は、たった15日だそうで、心躍らせながら朝国旗を掲揚させてもらい始めました。

ところが、その年の5月3日夕方4時私が往診に出かけるときはあったのに、戻ってみると

「ない!!」

しかも棒が半分残って…。

ちょうど、夕方6時半から来ていた主人の塾の子供たちに、

「塾に来たとき国旗掲かってた?」と聞くと、

「あったよ!」と。

じゃ~塾の子が来た夕方6時半~私が帰ってきた7時半までの間の1時間に誰かが持って行ったとしか考えられない。

ホームセンターで5千円もしないくらいの値段だったので、特に被害届を出すようなものではないけれど、モノが国旗だけに なんかもやもやして、警察に電話。

そして、事の経緯を告げて もし町の中で旗振り回してる子がいたら注意してください。そしてなんていう名前だったか忘れましたが話を聞いてくれた警察の方の名前を教えてもらい電話を切りました。

そして、またホームセンターに行き2つめの国旗を購入。

しかしまたその年の9月の祝日、2度目の国旗盗難。
この日は、朝掲げたと思ったら すぐに消えてしまい…

すぐに警察に電話。前回の警察官の方がその日はおらず、5月にもあった件を伝えさせてもたったですが、聞いてもらっただけで、その後何も音沙汰なし。

取られることよりも、なぜ国旗を取って行ったのか?

そこが知りたい!!

そして3代目の国旗は、今年のお正月や今日の祝日にも 我が家の軒先で力強くはためいておりました。

ちなみに、70歳くらいの知り合いに国旗紛失事件を言ったところ

「あんた 国旗なんかあげるけんよ!右翼みたいなけん もうあげられんよ!!」と一言。

自分の祖国の国旗を尊いと思えないようになってしまったこと。

オリンピックやワールドカップでしか日の丸を大切にしなくなってしまったこと。

私自身は、何度盗まれようと、自分自身の出来ることで もう一度この日本に生まれて良かったな~と思える生き方をしていきたいし、

私が来た時よりも、もっともっと素晴らしい日本になって天に還るようにしたいな…と思います。

「来た時よりも 美しく!!」ですね。

 

聖なる導き

2010年5月、三重県津市の工務店の社長…赤塚高仁さんに会う前に聖書を知っておきたいなー!と、思い  市内のプロテスタントの教会に行き 毎週行われる日曜礼拝にも参加させてもらうようになりました。

礼拝が終わり、そのまま帰る日もあれば  婦人部での勉強会にも混ぜてもらうようになりました。

礼拝に来られてる方々は、本当に清らかで神様と共に生きる生き方をされておられました。

そんな中お昼の食事…愛餐会が終わり、婦人の方だけでのお話の中、ある方が「私などダメでダメで…」と謙遜しておられ、

それを聞いて私もったいないなーと思い

「こんなに素晴らしい聖書の世界を勉強しているのに、ダメなことはないと思いますよ。なかなか聖書を手にすることの出来ない人の方が多い中、こうやって勉強出来てること事態、幸せですから…」と…。

「そして、日本人は、イエス様のことが一番理解しやすい国民だと思います。だって国家のために命をかけた特攻隊の人たちはイエス・キリストの様なもの。」

「天皇陛下も国民のために命がけで祈り続けてくれてる方だし…」

と、話した途端 そこにいた婦人の方々から総攻撃。

イエス様と特攻隊を一緒にしないで!!
天皇陛下は神さまじゃない!!…と。

えっ???  日本人なのに…天皇陛下は神さまじゃないけど、古事記から続く神様に一番近い人だし、

戦争で国家のため命懸けで戦ってくれた人たちって、イエス様と同じとまでは言わないけれど、何かのために命をかけるって神さまの示した愛のかたちじゃないのかな?と思わされ…

でも、ここで言ってもきっと平行線。

賢くその場は「そうですか…」と。

でもその翌週の日曜礼拝あたりから、あんなに心躍りながら通ってた教会へあまり行かなくなり…。

そんな中、たまたまyoutubeで見つけた「凛として愛」という映画。

1/7~7/7まで続く動画。

1/7を見始めたのが、夜中。7/7が近づいた時には夜中3時も近くなりながら、主人とふたり泣きながら見終り。

そして、知ったのがこの映画、靖国神社で上映するために作られた映画なのに、たった2日上映されただけで上映中止になってしまった映画だと…。

この映画の泉水隆一監督は無念の中、天に還って逝かれたとか…。

この映画を知ったのは2012年。

そして、知ってしまったら  どうか多くの人にこの映画を観てもらいたい!!2012年8月18日西条の文化会館で上映会を開催。

そして、その時赤塚さんにも講演をお願いし、その後の懇親会でまた聖なる導きが…。

赤塚さんの沖縄のお友達が癌にかかり、何度もお見舞いに沖縄まで行った時、共に友達のために祈ってくれたという、キリストの幕屋という無教会宗派で伝道をされていた、竹下先生。

ちょうど愛媛松山で伝道をされており、赤塚さんが西条に講演に来られることを知り、映画「凛として愛」も観に来て下さり、懇親会にも参加して下さいました。

そして、私も御挨拶させてもらいプロテスタントの教会にも行ってるという事をお話させてもらったところ、

「あなたの魂は、教会では浮かばれませんよ」…と。

あっ!!はあ~…と。

「西条まで来ますよ。お勉強してみませんか?」…と。

即答しないまでも、竹下先生ご夫婦はすごく感じの良いご夫婦で、赤塚さんも良かったら竹下先生から学んでみたら…と声かけて下さり…。

そして、またまた翌週松山での明治天皇の玄孫竹田恒泰氏主幹の「竹田研究会」で竹下先生とも再会。

「いつ西条に行きましょうか?」との言葉に、その場にいた仲間と相談し「では来週の木曜日からでも…」という事で、8月最後の週の木曜日我が家で初めての幕屋の集会が開催されることに…。

集会当日、竹下先生夫婦と「凛として愛」を一緒に観に来てくれた仲間の方も一緒に来られ、

そして引き続いてピンポーンという音に玄関に出てみると、なんとなんと三重の赤塚さん!!!

あれほどビックリしたことはないほど、ビックリさせてもらって 仲間も加わり我が家での最初の集会。

讃美歌をみんなで歌い、竹下先生が初めて幕屋の集会に行った時のお話や聖霊を受けた話、赤塚さんとの出逢いの話等々  本当に聖霊舞い降りる有難い時間を過ごさせて頂きました。

その日から、毎月2回竹下先生が松山から来て下さり旧約聖書の初め「創世記」から学ばせて頂くことになりました。

なるほど、なるほど…「教会ではあなたの魂は浮かばれませんよ」と言われた竹下先生の言葉通り、日本人が大和の心で読み解く聖書。

内村鑑三氏があの「Boys,be  ambitious …」と言ったクラーク博士から、札幌農学校での在学中聖書を学び

大学卒業後、「聖書が読まれている国に行ってみたい!!」と熱い思いを胸に、アメリカに行ってはみたけれど、

聖書に書かれてる神の愛の世界を感じることが出来ず、日本に戻り、教会に神様はいない…と無教会主義を唱え

その内村鑑三氏の無教会主義の流れを受け、自ら戦後 熊本阿蘇の山の中で聖霊に打たれ、「キリストの幕屋」を創設した手島 郁郎氏。

ヘブライ語から聖書を読み解き、自らイスラエルに行き、聖書を日本の心で読み解いてきた手島郁郎氏が、説いてきた聖書の愛の世界。

竹下先生は出会った時、70歳を超えており また手島先生から直々に聖書を学び、聖霊に導かれ伝道してこられた素晴らしい方。

その竹下先生から、聖書を毎月2回仲間と共に、学ばせて頂き 2014年4月にはちょうど赤塚さんの呼びかけでイスラエルに行く際にも、

10日間で巡る先々の聖書のことを予習させてもらい、あの聖地イスラエルを巡らせてもらったことは、旅を何十倍も有意義なものにしてくれました。

おそらく竹下先生がお元氣な間は、我が家での聖書集会が続くものと思っていた所、あの私を聖書の世界へと導いてくれた赤塚さんが名古屋で10回の聖書講座を開催すると知り、

「参加したいな~。」

「でも竹下先生から学ばせてもらってるし、名古屋遠いしな~。」

と、思って迎えた2015年新年。

幕屋での新年聖会に参加させて頂き、祈る前に歌った讃美歌

「二つなき誓」

1、寂しさの 極みに耐えて 祈らまし 暮れゆく み空に 魂極るまで

2、主は近し 天主イエスの 世紀近し 熱き涙もて 聖前に誓う

3、二つなき 心を 主にとどめおき 我さえ我にぞ 別れぬるかな

4、生き死にも 神のまにまに キリストの 御使いのごとく    仕えまつらん

5、山は裂け 海はあせなん 世なりとも 主にふた心 我があらめやも

この讃美歌を聖会の中、竹下先生が選ばれ、この歌詞を知った時、私の心の中のふたつの心

・赤塚さんの聖書講座に行きたい!
・竹下先生が伝道できなくなったら我が家での幕屋の集会も終わらせてもらおう。

と、この竹下先生が伝道できなくなる=寝込んだり、この世でのお別れを望んでいるような私の心をみてしまい…

あ~こんな人の死を望むような自分がイヤで、そしてふたつの心を持つことなく、私を聖書の世界へ導いてくれた赤塚さんのされる名古屋での聖書講座に行かせてもらおう!!と、

そして、竹下先生は私の思いをおおらかに受けて下さり、2015年1月大いなるキリストの愛の恵みによって導かれた我が家での聖書集会最後の集会をきちんとさせて頂き、

2015年2月から10回名古屋に通わせてもらいました。

赤塚さんの伝えて下さる聖書の世界は、教会よりも、我が家での集会よりも  また素晴らしい聖書の学びの時を持たせていただきました。

その学びはまた、ゆっくりと書いてゆけると嬉しいです。

やまとこころで読む聖書の世界は、本当に世界までも変えていくと感じます。

最高の笑顔はすべての健康から