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感動をありがとう!!

太陽院院長 近藤  千恵子です(^_^)/~

愛顔つなぐえひめ大会…感動いっぱいの中、今日閉会致しました。

開会式前の、公開練習日から4日間、西条で行われたフライングディスク会場でボランティアでのお手伝い…

今日は、お土産などテントが並ぶ「みきゃん広場」で筆談でのお手伝いさせて頂きました。

朝、開場に続々と入ってくる各県の選手たち。

筆談用のボードに

「おはようございます!笑顔いっぱい…愛いっぱい…応援してます♡♡♡」

と書いてお出迎え。

昨日、一昨日の雨の日とは違って、肌寒くはなったものの、お陽さまも顔をだして爽やかな朝。

各県の選手たち、様々な障害の方が共に移動する中、自分の出来ることでお互いを支え みんなの笑顔が眩しすぎるほど…

そして、いつも支えてくれてる家族や仲間…自分自身へのお土産を一生懸命探してる姿も愛おしく…。

また、「蛇口からミカンジュース」…が出てくるブースでは どの県の選手たちもスマホやビデオを構えて撮影…凄く楽しんでくれてました。

ひとり旅など、出来にくい彼ら彼女らにとって、四国愛媛での時間は 本当に貴重な時間。

そして、今日…お昼に全ての競技がおわり、各県の選手団は閉会式の行われる松山の会場へ…

入場門からバスのある駐車場までの300mほどの通路には、市内の小学生や中学生…そして大会をお手伝いしたスタッフやボランティア達が並び、選手たちをお見送り…。

笑顔で会場を後にする選手たちに

「感動を ありがとう!」の筆談ボードを持って、右手を振ってお見送りしてるうちに、勝手に涙が溢れでて…。

たった4日間だけど、こんなに素敵な場所でお手伝いさせて頂けたことに感謝。

障害を持った方々は、みんなその障害を持って 今回の人生を生き抜くことを決めて来た尊い魂。

だからこそ、太陽よりも…ダイヤモンドよりも…キラキラ輝き 私たちに感動を届けてくれる凄い存在。

そして、日本書紀の中 書かれている 蛭子(ひるこ)さんのお話も頭に甦り…

恵比寿さんも、弁財天さんも、福禄寿さんも、毘沙門天さんも、大黒さんも、布袋さんも、寿老人さんも…実は実はみんな障害者だと…。

みんなどんなことも、どんな時も…

「あっはっは!あっはっは!!」

と、笑顔で宝船に乗って荒波を越えていく神様たち。

今日、競技会場からバスへ向かう中、小学生や多くの人々に拍手で見送られ、そして小学生は手を出し…タッチしてもらって…。

私も何人かの選手にタッチしてもらって…何だか七福神の神さまたちから「福」を頂いた感じ。

身体や精神、そして知的障がい…不自由なこともきっといっぱいいっぱい有ると思うけれど、「あっはっは!あっはっは!!」で大きく荒れた波超えてもらいたいです。

4日間…無事に出来るかな?と、不安も有りながらもボランティアに参加させて頂けたことで、またひとつ素晴らしい世界を体感させて頂きました。

来年2018年は、

福井しあわせ元氣国体!(第73回)
福井しあわせ元氣大会!(第18回)

北陸から全国に 感動が拡がります様に…♡

 

 

 

台風接近の中…

太陽院院長 近藤  千恵子です(^^ゞ

台風22号接近の中、今朝 えひめ大会しっかり開催されました。

今日私が配置されたのは、練習会場。

朝からお昼3時近くまで、どんどん降り続く雨の中…各県の選手たちが練習会場に…。

芝生の下も、びしょびしょの状態。

車椅子の選手も、サポートの方々に押してもらって、練習サイトへ…。

選手もコーチも、運営する側も…そして、ディスクを拭いたり拾ったりのボランティアスタッフもみんな1分立ってるだけでびしょびしょ…。

学校の運動会だと絶対延期になってしまうような台風接近の雨の中でも、昨日開会式をしたえひめ大会。

日本全国から集った選手たちの夢の舞台。

雷がなったり、強風や竜巻が起こらない限り…競技は開催。

秋…台風到来も多い中、72年間続けてきた国体。

開催県と、選手の思いが、今日ずっと降り続いていた雨も、競技が終盤になった頃 雨がやみ…太陽の光が射し暗かった空が青空に…。

太陽と共に優しい秋の風が吹き…一氣にジメジメしていた氣分はスッキリ(*^_^*)

「女心と秋の空」とは、よく言ったものです。

明日は、いよいよ最終日。

お昼までの開催。

そして、明日は「みきゃん広場」にて任務遂行。

なかなか筆談での対話は無いものの、今日は一緒に居た手話の人たちの活躍ぶりに「かっこいいな~」と…。

障害者が主役のえひめ大会。

あちこちで手話で対話してる姿や、盲導犬…そして杖を突きながら歩いてる人々や、車いすの方々。

表彰会場でも、1位のインタビューに、手話で応え…手話通訳の方が言葉にして伝えてくれ…。

感動を共に共有させて頂きました。

明日には、またそれぞれの自宅に戻られる選手やコーチ・監督さんが、愛媛に来て良かった…と、今日の雨をも打ち消すような、思いで それぞれが故郷に戻ることが出来ますように…。

明日も愛顔(えがお)で頑張ります(*^^)v」

 

 

スポーツマンシップ♡

太陽院院長   近藤  千恵子です(*^^)v

愛顔(えがお)つなぐ えひめ大会…初日、公式練習が終わりました。

今日、私は練習会場に終日居て、各県の選手団の方々の受付を手伝わせて頂きました。

選手の皆さんは、どこかに障害を持った方。

生まれながらの方もいらっしゃれば…何かあって障がいを持って人生を過ごすことになった方も…。

今日は、全ての県の選手団の方が練習会場に来られたわけではないけれど、練習会場に来られた どの県の選手の方々とも…さすが各県の大会を勝ち抜いて参加されてる方々。

スポーツマンシップをWikipediaで調べてみると…

スポーツのルールを遵守して競技を行っていくうえでの根本的な姿勢をいうものである。
スポーツマンシップは、スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表わされる。

身体や精神や知的な障がいと、障がいの状態は各々が違っても、同じスポーツを共にする仲間と、自身の県の代表となり練習される選手たちは、まさに「スポーツマンシップにのっとり…」の言葉がぴったり。

西条の会場には、市内の学生たちによって育てられた花々や、市内の小学校で作った旗で、そんな選手たちをお出迎え。

47都道府県…1年に1県づつで47年で全県。

そんな国体が10月愛媛で開催されていることが光栄なこと…。

ただせっかく全国各地から来られる選手たちをいじめる様な台風22号の到来。

そして明日から、雨の予報。

どうか、雨でも晴れでも…スポーツマンシップを存分に発揮し、キラキラ輝いていて欲しいです♡

 

僕の人生は明日で終わる…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

この世に生まれた瞬間から、私達はひとりの例外もなく…死へと向かって行きます。

そして、若い頃や、50歳を超えた今でも まだまだ命が終わるということを…わかってはいても実感はありません。

戦争の真っ只中にいる人や、飢餓で苦しむ国に生まれた人…、病で苦しんでいる人々にとっては、きっと…誰よりも今この世に生きている生かされているということを実感しているはず…。

「僕の人生は明日で終わる。生きたであろう明日を 未来の君たちに託す」

と…遺書を書き、飛行機に爆弾乗せて 多くの若い若い命が 空に向かい…そして、敵艦に体当たり…。

たったひとつの尊い命を、国家の為…家族の為…愛する者の為に…捧げました。

そんな、神風特別攻撃隊が初めて編成されたのは、大東亜の戦争が終盤を迎える昭和19年10月。

そして、フィリピン…マバラカットから飛び立って行った5つの御霊。

明日、この肉体が無くなり…もう愛する人とも話すことも…触れることも出来なくなるとしたら…その前夜、どんな気持ちで夜を迎えたのでしょうか。

日本の特攻隊が初めて敵艦に体当たりしたのが、73年前の…10月25日。

特攻作戦が始まり、次々に爆弾積んで突撃してくる姿に、米軍の兵士たちは、「クレイジー」と思い…またそれが本当に怖かったそう…

そして、終戦後 徹底的に日本のことを研究した結果、変えられたのが教育。

「戦後教育」

戦後72年…特攻作戦から73年。

今日、平和で豊かな社会は、悠久の大義に殉じられた 多くの方々の尊い犠牲の上に成り立っていること…。

そして、思うに…本当に平和で豊かな社会なんでしょうか?

明日、日本で初めての特攻隊である…「敷島隊」五軍神と愛媛県の特攻戦没者の追悼式典が、私の住む愛媛県西条市で開かれますが…

訪れる人々は、60歳以上の人々がほとんど…。

自殺ではない…誰かの為に命を捧げた英霊の方々。

2000年前に、エルサレムで何の罪もなく 当時の権力者によって 十字架にかかり…人類の罪を贖うための神への燔祭となったキリスト・イエス。

私の為に生きるのではなく…人々の為に、命を捧げた神の子と、73年前から1年間…次から次へと敵艦目指して突撃していった英霊の方々は、私の中では イエス様と同じ…。

その同胞の命をかけた生き様こそが、世界に誇る…武士道。

大和魂。

明日は、あの長く続いた雨もなく…台風も去って行き きっと天も高く秋晴れの日。

遠い遠い空の上から、この平和で豊かに見える 今の日本に生きる我々を どんな風に思ってみているのでしょうか?

あの長く長く続いた雨は、天の哀しみの涙だったのでしょうか…。

「今一度、日本を洗濯致し候」と言った 龍馬の感じたような時代が、今また訪れているのかも…知れません。

追悼式典には来れなくても 10月25日…尊い命を捧げた御霊にどうか思いを寄せて頂けると嬉しいです。

感謝…合掌…

 

やっと晴れました(*^^)v

太陽院院長 近藤  千恵子です(*^^)v

今日は、やっとお陽さまを拝むことが出来ました。

随分長い間、雨が続き…また一雨ごとに、寒くもなり…

四季のある日本ならではの、この氣温の移り変わり。

そして、年々寒さが応える様になって来てます。

小学校の頃、男子が冬の間ずっと半ズボンで過ごすことがかっこいいような感じで、クラスの男子は結構半ズボンで過ごしてましたが…

55歳になった今では、考えられないほど…。

「伊達の薄着」…なんていうのも若いから出来ること。

これからの季節は、しっかり暖かくして「クシュン」なんて…風邪をひかないように過ごしたいものです。

と、書きながら…実は今かなり薄着でパソコン打ってますが…。

水素のお風呂にじわ~っと20分程入ると、かなり湯上りにポカポカが継続してくれるので、ついつい…。

さてさて…今日はブログを書いた後、またひと踏ん張りして 25日西条楢本神社で開催する
「神風特攻敷島隊五軍神及び愛媛県特攻戦没者追悼式典」の席次表の作成。

今年は、昨日までイヤというほど降ってくれたので…25日はきっと快晴。

お天氣が良いと、記念飛行もしてもらえるので…ホント有り難い。

今年は、事務局をさせてもらっており、参加の返信はがきが 9月20日過ぎから次々に届き…

その中でも、「高齢になり、出向くことが出来ません。」というメッセージがかなりあり…

72年前に終戦を迎えたけれど、特攻で亡くなった方々にとっては 73年目のお法事。

終戦間際の、最後の最期に行った特攻作戦。

しかも私が生まれ育ったこの町で同じように生まれ育った、関行男さんが、特攻作戦1番戦闘機「敷島隊」の隊長。

250㌔の爆弾積んで、敵艦に体当たりしていった…若い御霊。

母を…父を…家族を…そして祖国を守れるならばと、命を掛けて戦って下さった同郷の先人たち。

天からみれば、きっと歯がゆいような今の世の中だと、思いますが…、どうか天から叡智を…そしてなにものにも屈しない力を与えて下さい。

この祖国日本が、永遠に続きます様に…と今日も祈りながら…しっかり準備させて頂きます(^^)

秋の香りと共に…

 

決断…。

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

太陽院でも扱っている水素風呂の会社のフォーラムが、今日10月22日(日)大阪で開催されることを、前回9月1日東京で発表され…スケジュールを確保。

そして、認知症の叔母の施設への宿泊も決め…愛媛から一緒に行くことにしてた仲間とのドライブも楽しみにしてた矢先に、台風21号が大接近。

一昨日から「大型で強い勢力の台風」と言われる中、何としても大阪へ行く!!と思いながらも…結局、選挙の期日前投票に行けなかったことが大きな足止めになり…出掛けることをストップ。

橋は出来たけれども、やはり四国は島国…結果的には想像してたよりも帰れたみたいだけれど…私も一家の主婦でもあり…。

独身の時の様に、自分のことだけ考えてるわけにもいかず…。

次の日のこともまず考えさせられ…決断。

そして今回、私の住んでる地区…愛媛3区は大激戦。

そして、きちんと雨の中、主人と1票を投じて来ました。

夜9時過ぎに当確が決定しましたが、私の住む愛媛3区は…なんと希望の党に所属の議員が当選。

前衆議院議員の自民党議員が癌の為に逝去され、初めは補欠選挙の予定が 9月解散総選挙になり…

世の中…特にメディアや小池氏が「安倍降ろし」を声高らかに叫ぶ中、新人で前衆議院議員の父の意思を継ぎ立候補した息子さん。

補欠選挙がまだ言われてた頃、いきなり週刊誌で書かれた政治とは関係のない私的な生活のこと。

私自身、お父様の秘書をされていた時、腰が低く…また若く穏やかな息子さんは好印象。

選挙期間中も麻生副総理が、「全面的にバックアップします」の声も頂きながら…残念ながら今日落選。

選挙なので、議席はたったひとつ。

今回当選した希望の党からの立候補者は、あの民主党が以前政権を取った…鳩山内閣の時に一度当選。

なので、前回は与党としての衆議院議員を経験。

しかし、今回は自民党が全国的に政権維持…と言うことで、私の住む愛媛3区の当選議員は「野党」での国会議員。

なかなか立候補者の性格や人間性…色んなことは、わからない所に メディアや週刊誌の影響は大きすぎ…

今日大阪に行くことも、選挙に行くことも…大切な大切な決断。

実際、そこまで大きな台風では無かった氣もするけれど…今日、行かないことを決めた私も私自身の日々の流れの中での決定。

毎日、大きな決断があったり…小さな決断があったり…決めてたことが出来なくなったりすることもあるけれど、それもこれも全部わたし…。

そして、実際何が起こっても、全ては最善…。

誰かの為ではなく…ましてや自分の為でもなく、この国や今、何が最善か…。

政治家に任せるだけでなく、しっかり1票の重みを感じ…、

そして、祖国日本が永遠に続きます様に…。

 

 

 

30年ぶりの再会♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

今朝9時8分…西条駅に坂出から30年ぶりの昔勤めていた会社の仲間が遊びに来てくれました。

お互い、在職中は 高松営業所と新居浜営業所で営業事務をしてた仲間。

私より3つ下の彼女は23歳で結婚。

ふたりの男の子をしっかり育て、長男さんは先日彼女に婚約指輪をプレゼントする年に…。

9時8分に電車が到着し、改札を抜けてから、16時27分高松行きの特急に乗り込むまで、ずっとずっと話が絶えず…。

思えば、高松と新居浜の営業所が合併することになり、私が会社を退職し、お互いの結婚式にも出席はしてるものの、こんなにゆっくりおしゃべりするのは久しぶり…。

彼女と話してるともう30年前のあのOL時代が甦り、会社の懐かしい人々の名前までがいっぱい飛び出し…懐かしくもあり…。

一氣にタイムトリップ。

そして、昔の話にも花が咲きながらも、昨年末まで開催してた「エドガー・ケイシー」の講演会の案内なども送ったこともあり、ケイシーの話も…。

ネットで調べてみたところ、何か哲学的で難しいもの…って思いや、宗教なのかも…と、思ってたことも話してくれて、ケイシーが失声症から催眠術によって、失声症から解放され…多くのリーディングを遺していること…。

また、魂は永遠不滅の高貴な存在であること。

神さまのこと…日本のこと…皇室のこと…そして介護のことや水素のことも…ゆっくりゆっくり私がいろんな経験や人との出会いから知って来たことや変えられて来たこと等々

食べながら…車に乗りながら…いっぱいいっぱい話し…。

また、彼女の方も 私とはまた違う生活の中、しっかり生きて来た30年。

子育てのこと…仕事のこと…お姑さんのことや、今年退職した旦那さんのこともいっぱいいっぱい聴かせてももらい…

何年合わなくても、こうやってまた会うことが出来たことが僖しいし…。

そして、同じ四国の中…同じ会社に勤めたから出会えた奇跡に改めて感謝。

お互い50代になり、数々の転機や出会いを経験してきたからこそわかること…。

またこれからの人生が、お互いにかけがえのない毎日であり…わくわく出来る日々を過ごせます様に…と、改めて神さまに感謝の祈り捧げます。

 

新玉通り屋台

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^_^*)

お祭りが近づき、お祭り2日目…16日のお昼はうちの町内の炊き出しはカレーライス。

が、例年 前日から仕込み作ってきたカレーライス。

しかし、我が町内にも高齢化の波が押し寄せ…年々婦人部で動ける人達も減り…。

と、言う事で 今年は思い切って業務用のカレー缶を購入。

近頃は、何でもネットで購入可能。

で、業務用・イベント用のカレー缶を検索。

50人前のカレー缶を 具が入った「スペシャル」と「テイスティ」を1缶づつ。

そして、カレールーのみの缶をもうひとつ。

50人前…9K入りのカレー缶3缶と、当日の取り皿や割り箸、豚汁用の器やカレー皿等々も一緒にお昼、集会所へ。

「だんじり」が組み立てられ、お祭り間近な集会所。

実際、「新玉通り」(あらたまどおり)のだんじりは、昭和56年に自治会で購入。

明治26年に作られた歴史のある黒塗りの二階建てだんじり。

横黒自治会が新調し、その後大正13年天皇自治会に渡り…、そして昭和45年古川自治会の屋台となり…昭和56年に新玉通り自治会の屋台へ…。

明治26年から、毎年10月15日から16日 伊曾乃神社での秋祭りに多くのかき夫さん達に担がれ奉納されてきた由緒あるだんじり。

明治26年は西暦で1893年…124年前。

市内のだんじりは、新調する屋台も多く…また124年経った屋台は修理個所も増え…そして ある所で展示されていた屋台を来年は、購入することに…。

と、言う事で 今年でこのだんじりが 市内を巡行するのも最後のお祭り。

今日、お昼にカレー缶や器などを持って行った時、ガレージの中で静かに立ってるだんじりが、何だか…愛しい。

私は担ぐことも…ついて歩くことも…なかったし、実際 白木で新調していく 他の町内のだんじりが良いな~なんて思ってたけれど…

こんなに長い年月、みんなに大切にされ繋がってきた 歴史ある屋台を思うと…灌漑深い。

伊勢音頭を高らかに歌いながら、市内を歩く西条祭りは 伊勢とのご縁も深く…我が町内のだんじりも 何度か伊勢へも…。

築地の移転ではないけれど、今の歴史ある屋台の行き場所はまだ決まってい無く…どこに嫁いで行くのか 何だか今になって娘を嫁に出す親の様な氣分。

この屋台にとっては、新玉の提灯を付けての最期のお祭り…。

この屋台の最期を共に過ごすかき夫さん達の為にも、私達婦人部も影でしっかり支えさせて頂こうと思います。

カレーは、業務用だけど…愛いっぱいで温めさせて頂きます♡

金木犀と伊勢からの電話

太陽院院長 近藤 千恵子です>^_^<

今日、満月からすこーし欠けて来たお月様を眺めながら帰宅。

家に戻り 車から出た途端 甘い香り…。

えっ何? 誰かの香水?

そして、遠くでお祭りの太鼓の音。

あっ!!金木犀。

ちょうど 伊曾乃神社のお祭り…西条祭りの頃、市内に漂う金木犀の香り。

金木犀の香りとお祭りは、ある意味セットになって、心がワクワクしてきます。

一年で一番街が活氣づく お祭り。

市内の学校も、会社もお休みになるほどの「西条祭り」

10月15日~16日の西条祭りは、伊曾乃神社のお祭り。

伊勢音頭を声高らかに唄いながら 市内を練り歩くお祭りは、三重県伊勢市との繋がり深く、伊勢市長が西条祭りに来てくれたり、西条のだんじりが伊勢で練り歩いたり…と深いご縁もあり…

伊勢のおかげ横丁やおはらい横丁で、買い物させてもらう時、「どちらから?」と聞かれ「愛媛県西条市です」と言わせてもらうと、ほとんどのお店の方が「あ~西条ですか…」と、言ってくれるほど。

そして、お祭りが近づいた今日、その伊勢に住み 神宮に来られた方々への「おもてなし大使」のような 島 京子さんから電話。

伊勢と西条の御縁から、ずっと西条祭りに 旦那さまや娘さんと来られ 「くすのき」の屋台のかき夫にも登録。

お祭りに我が家にも寄ってくれたりしてた島さん。

今年は、都合つかなく 西条祭りに行くことが出来ないので、「くすのき」の屋台にお花を伊勢から送るので 届けてもらえたら…と。

島さんには、8年前の2010年12月…伊勢修養団に初めて参加させて頂いた時、一緒に参加していた主人の着替えや神宮までの送り迎えを同じく「おもてなし大使」の斉田さんと、お手伝い下さってからの御縁。

伊勢に来られる方々に、伊勢のこと…色々教えてくれたり…。

また、ちょうど2014年10月のお祭りの時は、私がペリリュー島へ千羽鶴を折って、慰霊の旅に行くと知った島さん…伊勢の五十鈴川のお水と伊勢志摩の岩戸の塩をどうか持って行って…と送ってくれて…。

お水とお塩とあれば、そうだお米も持って行こう!!と思って、千羽鶴とお水とお塩とお米…英霊の方々に持って行かせて頂きました。

ペリリュー島での慰霊を終え、パラオまで戻る船の中、まだカバンにあった岩戸の塩とお米を、「そうだ!この海に眠る英霊の方々にも届けさせてもらおう…」と、走る高速船の中からお塩とお米を海に…

全部海に届けさせてもらって、やっと英霊の方々への慰霊が出来たことへの安堵感で満たされた感じだったことを思い出します。

島さんが、お塩と五十鈴川のお水を送って来てくれなかったら、あの安堵感を感じることが出来なかったかも…と思うと本当に今更ながら感謝。

島さんのおかげで、伊勢のしめ縄も購入させて頂いたり…。

今日も電話で話してた中、うちの主人が身体が悪くなければ、島さんに手伝ってもらうことも無く…西条にだんじりのかき夫で来てても分からなかったかも…と思うと、本当にご縁は不思議。

改めて振り返ってみても、主人が半身不随にならなかったら、出会うことの無かったご縁もたくさんあり、病氣になることは決して嬉しい出来事ではないけれど…そうなったからこそ見えてくるものや、出会う数々の愛ある方々とのご縁。

本当に神さまは、全てにおいて完璧に計らってくれるんだな~と、金木犀の香りやお祭りの太鼓の音…そして今日かかってきた一本の電話から改めて感じさせて頂きました。

島さん!また浩二ちゃんと伊勢に行くので 待ってて下さいね~♡