「家族」カテゴリーアーカイブ

僕の人生は明日で終わる…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

この世に生まれた瞬間から、私達はひとりの例外もなく…死へと向かって行きます。

そして、若い頃や、50歳を超えた今でも まだまだ命が終わるということを…わかってはいても実感はありません。

戦争の真っ只中にいる人や、飢餓で苦しむ国に生まれた人…、病で苦しんでいる人々にとっては、きっと…誰よりも今この世に生きている生かされているということを実感しているはず…。

「僕の人生は明日で終わる。生きたであろう明日を 未来の君たちに託す」

と…遺書を書き、飛行機に爆弾乗せて 多くの若い若い命が 空に向かい…そして、敵艦に体当たり…。

たったひとつの尊い命を、国家の為…家族の為…愛する者の為に…捧げました。

そんな、神風特別攻撃隊が初めて編成されたのは、大東亜の戦争が終盤を迎える昭和19年10月。

そして、フィリピン…マバラカットから飛び立って行った5つの御霊。

明日、この肉体が無くなり…もう愛する人とも話すことも…触れることも出来なくなるとしたら…その前夜、どんな気持ちで夜を迎えたのでしょうか。

日本の特攻隊が初めて敵艦に体当たりしたのが、73年前の…10月25日。

特攻作戦が始まり、次々に爆弾積んで突撃してくる姿に、米軍の兵士たちは、「クレイジー」と思い…またそれが本当に怖かったそう…

そして、終戦後 徹底的に日本のことを研究した結果、変えられたのが教育。

「戦後教育」

戦後72年…特攻作戦から73年。

今日、平和で豊かな社会は、悠久の大義に殉じられた 多くの方々の尊い犠牲の上に成り立っていること…。

そして、思うに…本当に平和で豊かな社会なんでしょうか?

明日、日本で初めての特攻隊である…「敷島隊」五軍神と愛媛県の特攻戦没者の追悼式典が、私の住む愛媛県西条市で開かれますが…

訪れる人々は、60歳以上の人々がほとんど…。

自殺ではない…誰かの為に命を捧げた英霊の方々。

2000年前に、エルサレムで何の罪もなく 当時の権力者によって 十字架にかかり…人類の罪を贖うための神への燔祭となったキリスト・イエス。

私の為に生きるのではなく…人々の為に、命を捧げた神の子と、73年前から1年間…次から次へと敵艦目指して突撃していった英霊の方々は、私の中では イエス様と同じ…。

その同胞の命をかけた生き様こそが、世界に誇る…武士道。

大和魂。

明日は、あの長く続いた雨もなく…台風も去って行き きっと天も高く秋晴れの日。

遠い遠い空の上から、この平和で豊かに見える 今の日本に生きる我々を どんな風に思ってみているのでしょうか?

あの長く長く続いた雨は、天の哀しみの涙だったのでしょうか…。

「今一度、日本を洗濯致し候」と言った 龍馬の感じたような時代が、今また訪れているのかも…知れません。

追悼式典には来れなくても 10月25日…尊い命を捧げた御霊にどうか思いを寄せて頂けると嬉しいです。

感謝…合掌…

 

30年ぶりの再会♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

今朝9時8分…西条駅に坂出から30年ぶりの昔勤めていた会社の仲間が遊びに来てくれました。

お互い、在職中は 高松営業所と新居浜営業所で営業事務をしてた仲間。

私より3つ下の彼女は23歳で結婚。

ふたりの男の子をしっかり育て、長男さんは先日彼女に婚約指輪をプレゼントする年に…。

9時8分に電車が到着し、改札を抜けてから、16時27分高松行きの特急に乗り込むまで、ずっとずっと話が絶えず…。

思えば、高松と新居浜の営業所が合併することになり、私が会社を退職し、お互いの結婚式にも出席はしてるものの、こんなにゆっくりおしゃべりするのは久しぶり…。

彼女と話してるともう30年前のあのOL時代が甦り、会社の懐かしい人々の名前までがいっぱい飛び出し…懐かしくもあり…。

一氣にタイムトリップ。

そして、昔の話にも花が咲きながらも、昨年末まで開催してた「エドガー・ケイシー」の講演会の案内なども送ったこともあり、ケイシーの話も…。

ネットで調べてみたところ、何か哲学的で難しいもの…って思いや、宗教なのかも…と、思ってたことも話してくれて、ケイシーが失声症から催眠術によって、失声症から解放され…多くのリーディングを遺していること…。

また、魂は永遠不滅の高貴な存在であること。

神さまのこと…日本のこと…皇室のこと…そして介護のことや水素のことも…ゆっくりゆっくり私がいろんな経験や人との出会いから知って来たことや変えられて来たこと等々

食べながら…車に乗りながら…いっぱいいっぱい話し…。

また、彼女の方も 私とはまた違う生活の中、しっかり生きて来た30年。

子育てのこと…仕事のこと…お姑さんのことや、今年退職した旦那さんのこともいっぱいいっぱい聴かせてももらい…

何年合わなくても、こうやってまた会うことが出来たことが僖しいし…。

そして、同じ四国の中…同じ会社に勤めたから出会えた奇跡に改めて感謝。

お互い50代になり、数々の転機や出会いを経験してきたからこそわかること…。

またこれからの人生が、お互いにかけがえのない毎日であり…わくわく出来る日々を過ごせます様に…と、改めて神さまに感謝の祈り捧げます。

 

金木犀と伊勢からの電話

太陽院院長 近藤 千恵子です>^_^<

今日、満月からすこーし欠けて来たお月様を眺めながら帰宅。

家に戻り 車から出た途端 甘い香り…。

えっ何? 誰かの香水?

そして、遠くでお祭りの太鼓の音。

あっ!!金木犀。

ちょうど 伊曾乃神社のお祭り…西条祭りの頃、市内に漂う金木犀の香り。

金木犀の香りとお祭りは、ある意味セットになって、心がワクワクしてきます。

一年で一番街が活氣づく お祭り。

市内の学校も、会社もお休みになるほどの「西条祭り」

10月15日~16日の西条祭りは、伊曾乃神社のお祭り。

伊勢音頭を声高らかに唄いながら 市内を練り歩くお祭りは、三重県伊勢市との繋がり深く、伊勢市長が西条祭りに来てくれたり、西条のだんじりが伊勢で練り歩いたり…と深いご縁もあり…

伊勢のおかげ横丁やおはらい横丁で、買い物させてもらう時、「どちらから?」と聞かれ「愛媛県西条市です」と言わせてもらうと、ほとんどのお店の方が「あ~西条ですか…」と、言ってくれるほど。

そして、お祭りが近づいた今日、その伊勢に住み 神宮に来られた方々への「おもてなし大使」のような 島 京子さんから電話。

伊勢と西条の御縁から、ずっと西条祭りに 旦那さまや娘さんと来られ 「くすのき」の屋台のかき夫にも登録。

お祭りに我が家にも寄ってくれたりしてた島さん。

今年は、都合つかなく 西条祭りに行くことが出来ないので、「くすのき」の屋台にお花を伊勢から送るので 届けてもらえたら…と。

島さんには、8年前の2010年12月…伊勢修養団に初めて参加させて頂いた時、一緒に参加していた主人の着替えや神宮までの送り迎えを同じく「おもてなし大使」の斉田さんと、お手伝い下さってからの御縁。

伊勢に来られる方々に、伊勢のこと…色々教えてくれたり…。

また、ちょうど2014年10月のお祭りの時は、私がペリリュー島へ千羽鶴を折って、慰霊の旅に行くと知った島さん…伊勢の五十鈴川のお水と伊勢志摩の岩戸の塩をどうか持って行って…と送ってくれて…。

お水とお塩とあれば、そうだお米も持って行こう!!と思って、千羽鶴とお水とお塩とお米…英霊の方々に持って行かせて頂きました。

ペリリュー島での慰霊を終え、パラオまで戻る船の中、まだカバンにあった岩戸の塩とお米を、「そうだ!この海に眠る英霊の方々にも届けさせてもらおう…」と、走る高速船の中からお塩とお米を海に…

全部海に届けさせてもらって、やっと英霊の方々への慰霊が出来たことへの安堵感で満たされた感じだったことを思い出します。

島さんが、お塩と五十鈴川のお水を送って来てくれなかったら、あの安堵感を感じることが出来なかったかも…と思うと本当に今更ながら感謝。

島さんのおかげで、伊勢のしめ縄も購入させて頂いたり…。

今日も電話で話してた中、うちの主人が身体が悪くなければ、島さんに手伝ってもらうことも無く…西条にだんじりのかき夫で来てても分からなかったかも…と思うと、本当にご縁は不思議。

改めて振り返ってみても、主人が半身不随にならなかったら、出会うことの無かったご縁もたくさんあり、病氣になることは決して嬉しい出来事ではないけれど…そうなったからこそ見えてくるものや、出会う数々の愛ある方々とのご縁。

本当に神さまは、全てにおいて完璧に計らってくれるんだな~と、金木犀の香りやお祭りの太鼓の音…そして今日かかってきた一本の電話から改めて感じさせて頂きました。

島さん!また浩二ちゃんと伊勢に行くので 待ってて下さいね~♡

国体真っ盛り中…♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

えひめ国体真っ盛りの今、愛媛に皇族の方々がお越し下さり…何とも有り難い日々…。

先日の天皇皇后両陛下の行幸啓から始まり、今日は今治に 秋篠宮 真子さま  そして、西条には 寛仁親王家の瑶子女王殿下…

そしてそして、10月28日には 皇太子さまが今治へ…

世界一長く続いている日本…神話から繋がる皇室の祈りがあってこその日本。

その天皇皇后両陛下を初め、皇族方が四国愛媛に来て下さることは、この上ない光栄の極み。

天照さまから繋がる125代天皇。

天皇陛下の御来県は、24年ぶりでもあり 今年続々と皇族の方々に来て頂いたことで、愛媛に大きな大きな光が降りてきた感じ。

そして、各県の代表選手たちもまた パワー溢れる方々。

国体を招致することの凄さを、国体が開催されて初めて実感させてもらう今。

愛媛に国体を招致したのが、15年前…加戸知事の時代。

加戸知事が蒔いた種が15年後の今 大きく輝く花となって開いた感じ…。

あの、加計学園問題で国会で説明した加戸前知事。

狂牛病や鳥インフルエンザ…感染により大きなことが起こった時に 四国に獣医学部が無いことは、大変問題でもあり…

多くの獣医学部のある学校に聞いてみたが、どこも四国愛媛への新設に振り向いてくれず…加計学園一校だけが愛媛からの要求に応えてくれたただ一つの獣医学部だったと…。

加戸前知事は、教育勅語や古事記の復活をも願っており、また祝日には国旗掲揚を…。

数年前の建国記念の日に、講演された加戸前知事。

加戸さんが知事をされていた時、私自身が日本のことを全く知らず…15年経って 県と県民の為に こんなに素晴らしい体育の祭典を招致されたこと…

また 動物たちにも優しい思い….

この日本に生まれただけで、勝ち組…でもずっと勝ち続けていくためには、勝ってる原因をみんながちゃんと理解し、守り続けていかないと…

周りには、日本のことを嫌いな国が牙をむいてる様な今の状況。

皇室の祈りと共に、私達国民もまた皇室の弥榮を共に祈らせて頂きます。

 

ふたりのかっちゃん♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)/

今日、13時から 葬儀に行って参りました。

家族葬と言うことで、記帳も御香典も受け付けられず…

ただ、棺の中の故人に献花させて頂き…最後のお別れ。

29日、一緒に天皇皇后両陛下の行幸啓…御来県奉迎大提灯パレードに共に参加させて頂いた若干51歳の勝行さん。

昨日、訃報が知らされ…驚きしかない中、今日 棺の中で目を閉じた勝行さんを見送らせて頂きました。

奇しくも、今日10月3日は2年前に亡くなった「克っちゃん」と読んでた友の この世でのお誕生日。

克っちゃんが、2年前の2月22日亡くなる前の2月11日、建国記念のお手伝いの際、カメラマンである勝行さんに

「克っちゃんのお見合い写真撮ってもらっていいですか!」のお願いに、快く最高の写真を撮ってくれた勝行さん。

彼女が亡くなった時も、「えっ?あの彼女ですよね…」と、驚きの中 悲しんでくれた勝行さん。

勝行さんも、仲間からは「勝っちゃん」と呼ばれており…

そして、先日 松山での提灯パレードに行った際にも、主人が車いすで参加させてもらっていた中 そっとお手伝いをしていただき…

おとなしくて…実直で…やさしくて…

両陛下のホテルからの写真もそっとメッセンジャーに届けてくれて…。

facebookでは、予讃線を走るアンパンマン列車を いつも凄く素敵なアングルで写真をアップされ…

季節ごとの石鎚山の写真や西条の風景…そして何より西条祭り どの屋台も区別することなく写しており…

本当に写真が好きで、仕事を楽しんでされてるな~と思ってました。

お父さん、お母さんが同じ町内と言うこともあり…お母さんには、勝行さんが写した凄い写真を逆に私が「息子さんの写真…凄いんですよ~」

「今日の写真も凄かったんですよ~」と、見せてたくらい…。

今日、葬儀の中 小さくなったたお父さんとお母さん…。

私が感じる以上に 寂しく哀しくやるせない思いをされてる家族の方々…

心筋梗塞か脳梗塞で ひとり突然この世での生活にピリオドを打ち…旅立って逝かれた尊い魂。

あの世での生活が2年先輩の人懐っこい克っちゃん…今日旅立って逝った勝っちゃんをよろしくお願いします。

同じ呼び名で、何だか共通点が多い「かっちゃん」ふたり。

ふたりが私達夫婦にしてくれた たくさんのことに ただただ感謝。

人生は本当に何が起こるかわからない!!

与えられた命の尊さと、儚さを思う時、今自身に出来ること…しっかり目を開いて歩ませて頂きます。

二人のかっちゃんに 愛と感謝…♡

 

 

いつも傍に…♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

いよいよ10月…神無月。

神さまが出雲へ集まるから…神無月と言われ 逆に出雲では神有月とも言われているけれど…

以前、宮司さんがお話されてたのが 神さまはロウソクの火を繋いでいくキャンドルサービスの様なもので、どこに行ってもちゃんとこの社にもいらっしゃる…と。

実際、我が町 西条のお祭りでも 15日早朝~16日夕方まで 神さまだんじりと呼ばれる「御神輿」に神さまを乗せて市内を巡回。

15日朝、お宮出しの際、いつも御本殿に鎮座されている神さまが御神輿に移り16日夕方、お宮入りまで御神輿の中に神さまは いらっしゃり…その間も、御本殿の中にも神様はいらっしゃる。

ひとつのロウソクの火が、次のロウソクに灯され…同じように熱く燃え上がってるように…どこにいても神さまは同じように そこにいる存在だと…。

なので、出雲での全国の神さまが来られる御神事にも遭遇してみたいけれど…神無月と呼ばれる10月も、ちゃんと神さまはここにいらっしゃるんだな~と。

これは、日本の神々も 聖書の中のイエス様もきっと同じ…。

って言う事で、いつでもどこでも「神さまと共に…!!」

そして10月…認知症の叔母が5月末に我が家にやって来て 丸4ヶ月が経ちました。

何だか…あっという間。

きっと、初めての赤ちゃんを育てたり…2番目の赤ちゃんが生まれて新しい生活パターンになった時も 慣れるのに3ヶ月から4か月はかかるように…

我が家でも、今の生活がもうずいぶん前から続いてたような感じ。

こんな時はこうしてた方がいいな!とか、こう来たらこうなるから…こうしておこう!!とか

人間成せばなる…成さねばならぬ何事も…。

10年前、主人が脳出血で半身不随になった時も…そうでした。

ガラッと生活が変わり…でも確実にそこに神さまが居てくれて…こうしてみたら? こっちの方がいいんじゃない? と、本当に逃げることの出来ない逆境の時だからこそ 智慧が湧き…。

そして その智慧の湧き出る源に 見えないけれどいつも傍に居てくれてる神さまが居て…。

今回の認知症の叔母との生活も、「案ずるより産むが易し!!」

今から、どんな状況が起きるか その時どう切り抜けていくのか…全くそうぞうも出来ない未来。

その時、その時に 求め示されるものをまた楽しんで、行きたいな~と思う10月朔日 秋の夜長…(^^)

 

 

如己愛人…55歳に思うこと

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^。^*)

今日…正確にいうと夜中12時を越えてしまったので昨日、55回目の誕生日を迎えさせて頂きました。

55年前の朝8時50分…大町小学校の前の産婆さんのお家で、生まれました。

女ばかりの三番目。

父は、私が生まれた時 女の子だったことで しばらくは下を向いて歩いていたんだそう…

そして、55回目のBirthday。

今日は、朝からfacebookやLINE そしてメッセンジャーにお祝いメッセージをたくさん送っていただき有り難く…一つひとつお礼を書いていたらこんな時間に…。

おめでとう…の5文字に、ありがとうの5文字。

いくつになっても 自分が生まれた日は嬉しいもので…おめでとう!と言ってもらうと 嬉しいし…また有り難い。

生まれる日と死んでいく日。

どちらも、自分自身では決めることの出来ない 神さまが決めてくれた私が地球に生を受ける日とこの地球から離れる日。

そして、この世界一長く続く歴史ある国…日本を選んで生まれて来たこと。

もしも、私自身が 電氣も通っていない…着る服もままならない国に生まれていたとしたら…どうだったんでしょうか?

神さまから許されて、この日本に生まれて来れたこと…そして、私の選んだ父・母だったからこそ、今の私がつくりあげられて来たこと。

私自身、末っ子だったので、凄く父から可愛がってもらいました。

母も、我儘な私に 姉ほど厳しく制約しませんでした。

三番目に生まれることも、きっと決めて来たんだと思います。

聖書の中、求める者は得…探す者は見出し…門をたたく者はあけてもらえる…とあり、

私は姉妹の中でいちばん甘え上手。甘え上手は求め上手…なのかも。

そしてそのおかげで、たくさんの愛も受けて来たと思います。

きっとカインとアベルのように、兄弟の間での嫉妬。

別に私は姉から殺されるほどの嫉妬は受けてはいないですが、私から見てると 姉達は、本当に甘えべた。

きっと小さい頃からの生活の中…我慢することが自然と身について来たのかも…。

生まれる順番や、環境…全てのことが 今の自分を作り上げているのであれば、本来持ってる自分自身の欲求や性格までもが勝手に作られてしまったものにもなるのでしょうか。

私はナルシストなので…(笑)、私は私が大好き♡

頑張ってる私も… 怠けてる私も… 優しい私も… 頑固な私も… 全て私。

そして、55歳になった今…もっともっと私自身が私自身を好きになってみようかなと思います。

そして、私を愛するように あなたの隣人を愛しなさい!と言われる

「如己愛人」

私と共に暮らす主人や叔母…そして父や姉たち…そして出会う地域の方々…。

そして、共に集う仲間達にも…

肉の父や母が与えてくれた愛や、見えない世界から暖かくどんな時にも見捨てることなく見守り続けてくれてる 神さまの愛の世界を繋げて行きたいと思います。

神さまはえこひいき。

本当に求めるところに一番に来てくれるのだと…。

 

天使たちをサポート♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

昨日3ヶ月の赤ちゃん…今日6ヶ月の赤ちゃん…と、引き続いて我が家でファミリーサポートの見守り。

昨日は、実家が離れた場所にあり、お母さんが歯医者さんに行ってる間の1時間。

ご機嫌で抱かれてたけれど…20分後くらいから ぐずり始め…そうこうしてる間に 腕の中でネムネム…ZZZ

眠り始めた赤ちゃんは、まさに天使そのもの。

そして、今日我が家に来たKくんは 朝から風邪気味の中 お母さんはお仕事で京都まで…

夜の電車で、お母さん戻って来るけど お父さんの仕事が終わるまで病児保育所へ迎えに行き、我が家で子育てサポート。

明日、55回目の誕生日を前に、まだ食べることも…歩くことも…話すことも…出来ない赤ちゃんをサポートさせてもらい

私が生まれた55年前…今とは違う不便な中 しっかり愛情を注いでもらって育ててもらったこと…

今更ながら、両親や関わって下さった多くの人々に感謝。

私自身も、また多くの方々に愛を渡せる人間でいたいと思います。

 

人生はキラキラ宝物

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)/

今日、午後1時半~市内の文化会館で開催された映画「人生フルーツ」観て参りました。

東海テレビが制作した  愛知県春日井市に住む90歳と87歳…合わせて177歳の コツコツ、ゆっくり、丁寧に 時を重ねたご夫妻のドキュメント。

「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とされるモダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉通りの 我が家での過ごし方。

映画はもちろん素晴らしかったのですが…なんと開演直前 私の中学校時代の恩師が御夫婦で会場に来られ、私のすぐ後ろの席に…。

着席された後、くるりと振り返らせて頂き…ごあいさつ。

初めてお会いした奥様に…「私の大好きな先生だったんですよ!」と、御挨拶させて頂き…映画が始まり…。

そして、映画が終わった後 ちょうど一緒に会場を出て…

実は最近、よく先生とバッタリ会うことが多く その度ごとに、言うと泣きだしてしまいそうで  言えなかったことを 奥様に聞いてもらいたいな~と、話し始めたところ 先生が近づいて来られて…

御夫婦を前に、やっと感謝の思いを伝えさせて頂くことが出来ました。

中学3年の冬…進路を決める時 母と私の意見が合わなかった時に、母を説得してくれ…私の思いを叶えてくれた先生。

本当に今、思っても高校進学から始まった選択の人生。

反対されながらも進んだ高校。

自分で決めたから…どんなことでも頑張れたことや、高校卒業の時 母が「この学校に来て良かったね」と言ってくれたこと…。

本当に先生が味方してくれたから、今があることを 拭いても拭いても溢れてくる涙流しながら…やっと伝えさせて頂きました。

照れながら聞いてくれた先生の隣で、奥様が
「あなた先生やってて良かったね。先生みょうりにつきるね」…と、微笑まれ…

「だから…私が大好きな先生」なんです…と。

やさしく、思いやり溢れる 素晴らしい先生の生徒だったことが、本当に私にとっては宝物。

今日は、映画のご夫妻の生き方も素晴らしかったけれど、今日3回上映予定の中 あの時間にあの席に座り…先生ご夫妻に御挨拶させて頂けたこと…

そして、ずっとずっと言いたかった感謝の気持ちを伝えられたこと…本当に神さまはイキな計らいをしてくれるな~と、

改めて神さまにもチュ(^_-)-☆

家も…人生も…出会いも…キラキラ宝物。

私自身の人生の宝石箱の中、有り難い宝物がいっぱいです!!

介護は現場で起きてます!!

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

今日、午後3時半から叔母の介護保険の更新がありました。

今年5月末までグループホームに居た叔母。

7年前、要介護2でグループホームに入り…だんだんだんだん介護度は上がり、現在要介護4。

要介護4だから、6月から利用しているデイサービスにも 一か月の20日以上は利用出来たり、1泊~2泊のショートステイも使えたり…。

そして、今日3時半からの介護保険の更新。

叔母は身体的には、どこも問題もなく、階段も上がり 手足も動きます。

しかし、脳の中の記憶野だけが衰え…10秒前のことさえ忘れてしまいます。

部屋にひとりで居ると、排泄しようとしても どこにどうすれば良いのかわかりません。

ひとりでいると、食べることも出来ません。

ひとりで出かけてしまうと、戻っても来れません。

ひとりでいると、本当に何も出来ません。

これが…要介護状態だと思いますが…

帰りに市役所の調査員の方と、今お世話になっている介護施設のケアマネージャーさんが言いました。

「身体的に問題もなく、認知行為もひどくないので…介護度は変わるかも」と…。

結果が出るまで解りません。

だけど、何か不自由が無いように一生懸命 デイサービスでも、我が家でも…介護してるから、人間らしい生活が出来てると思ってます。

そして、今の介護状態だから 限度の範囲内で 仕事と併用して日中はデイサービスも出来る範囲で利用させて頂き 介護の負担が家族に重荷にならないように使わせて頂いてます。

実際、5月末日にグループホームを出て 我が家で暮らし始めたことで、24時間 誰かが側で見守っている状態で暮らせています。

グループホームや施設になると、1対1の介護は皆無です。

ひとりひとりに部屋があり、孤立状態。

夜中に起きてトイレに行きたくても、どこに行ったら良いのかわかりません。

ゴミ箱の中にしてしまったこともあるようです。

窓から、ごみや汚物を投げたこともあるようです。

夜中起きていても、見回りに来ないとわかりません。

高い高い利用料を払って7年やって来て…介護度も上がり…。

そして、我が家で看始めた途端 また介護度が普通に戻るのでしょうか?

結果が出ないと本当に何とも言えませんが、介護認定は実際 机上で専門家達によって審査会があるようです。

事件は現場で起きてます!

いやいや…介護は現場で起きてます!!

介護が事業になり、介護されるものがお金儲けの道具になっていたり、介護事業がきれいごとのような事業になってしまってるのかも知れません。

全部ではないです。

叔母の介護度がどのくらいになるのか…不安でもあり楽しみでもあります。

とにかく、我が家の叔母は 我が家に来てやっと人間らしく戻ったのかも知れません。

今までのグループホームが悪いのではなく、私自身「認知症」は自宅介護は無理!!という思い込みもあり、

また叔母が認知症でグループホームに入った頃は、自身の母の介護や主人の介護もあったので…

聖書の中

「~にするに時があり…」とあります。

誠に主の成されることは美しい…と。

と、言うことで、介護度がどんな形で返って来るのか、これも主のなさることと 結果を楽しみに待ってみます。

神さま~!! 出来れば、現状維持が良いんですが…^^;