「学び」カテゴリーアーカイブ

原点回帰

太陽院院長  近藤 千恵子です(*´-`)

今朝、9:40松山空港を飛び立ち…東京へ来ております。

一昨年、11月22日 いい夫婦の日に日本エドガー・ケイシーセンター光田会長と作詞家の吉元由美さんの講演会の際、皆様から映画「リーディング」への寄付を頂いた分を足して…映画制作のために基金…寄付させて頂いてました。

その映画「リーディング」が完成し…今日 スペース汐留FSにて 完成披露試写会に来させて頂きました。

どんな風に、映画が完成したんだろう…と わくわくしながら…観させて頂きました。

10年前…広島でケイシー療法やケイシーの福音に出会い、2010年から2017年まで7年間  愛媛西条に光田会長に来ていただき「エドガー・ケイシー探求講座」も開催させて頂きました。

そして…今日大きなスクリーンを通して、いつもの講座と変わらず  ケイシーの福音を語られる光田先生。

そして、ケイシー療法によって  癌や乾癬、子宮筋腫やアトピー…高血圧等を克服していった方々の生の声。

セイン・カミュさんが演じるエドガー・ケイシー。

どちらかというと、魂の探求ライフリーディングを通して、人の魂は肉体の死後も永遠に存在し続け、転生を繰り返す永遠不滅の高貴な魂である…ということに、感銘を受けてた私…。

今日、せっかくこんなに素晴らしい健康に関するリーディング…「フィジカルリーディング」を改めて実践された方々から大スクリーンを通して伝えて頂き…

愛媛に戻ったら  さっそく「ひまし油湿布」

そして、葉物の野菜…レタス、クレソン、セロリ…そしてニンジンにゼラチンかけて食べないと~と、原点回帰でございます。

2月には 東京、名古屋、大阪、長野…そしてアメリカーシアトルでも映画館で上映されるそう…

いよいよケイシーの福音が、身体や心の悩みを 癒し…希望へと導いてくれるものになりそうです。

ケイシーをまだ知らない人々にとっては、映画を通して語られる数々のリーディングや実践し結果を得てきた方々の言葉が  にわかには信じられないかも知れないでしょうが…

我々 他の方々より先に召し出され…ケイシーを知った者の使命として  姿勢を正して 参りたいと思います。

 

 

今まで生きて来た中で…

太陽院院長 近藤   千恵子です(^^)/

25年前14歳でオリンピック金メダルを獲得し、優勝の感想を聞かれ

「今まで生きてきた中で一番嬉しいです」と、答え…誰もがその初々しさと歓ぶ姿に感動した水泳の岩崎恭子選手。

今日、夕方かかっていたテレビの中で、

「今、39歳になった岩崎恭子さん…バルセロナの金メダルが今でも生きてきた中で一番嬉しい事か?」という質問をする番組。

14歳の映像も流れ、そして現れた39歳岩崎恭子さんは 柔らかな笑顔で、テレビのインタビューに答えておりました。

そして、今でもあのオリンピックで金メダルを取ったことが人生で一番嬉しかったことか?との問いに…NO!

にこやかに笑いながら、これまでの人生で嬉しかったことは

「娘の成長」だと…。

そして、今日も学校に行く姿に、倖せを感じ…。

更に、恭子さんの話では、水泳は自分だけのことだけど…娘の為に何かする方が嬉しい…と。

倖せになる定義そのもの…。

そして、娘の成長の次には、「結婚・出産」が、オリンピックの金メダルよりも倖せ感は上!!

バルセロナの次のオリンピック…アトランタにも鳴り物入りで出場…かなりのプレッシャーだったと思うけれど、アトランタでは 予選落ち。

さぞツラい思い出のアトランタかと思い見ていると、

「アトランタにも出させて頂き、人生の中 2度もオリンピックに出られたこともバルセロナで金を取った時と同じくらい嬉しかった」と…。

人は自分だけの為に生きようとしても…所詮自己満足の世界。

誰かの僖ぶ顔を見る時、自分自身のなかで僖び物質セロトニンやドーパミンが発生。

こうやってブログ書きながら、私の母が52歳からかかっていた「パーキンソン病」のことを思うと、今更ながら我儘な私を反省してしまいます。

パーキンソン病とは、脳の中でドーパミンが出ないことで 半身の筋肉が硬直したり、震えたり…。

家族や子供の為に、一生懸命してくれた母に…私自身「あたりまえ」と思ってしまってた所がいっぱい。

生まれた時から、ずっと母の愛は変わらず降り注いでくれるものと、思い込み…あたりまえと感謝すらなかった若い頃。

病にかかり、老いていく母を見せられた時 初めてあたりまえでない存在に、感謝が改めて湧き出たほど…。

母の愛にもっともっと素直にありがとう…と感謝していたら、母の脳内物質ドーパミンも、もっともっと出ていたかも…。

今更…ですが…。

岩崎恭子さんの「娘の成長」がオリンピックの金メダルよりも、2度のオリンピック出場よりも…僖びが2倍だという言葉に、

私の母も同じように 娘達の成長や僖びを何よりも誰よりも 僖びにしていたのかな~と思い、また天に還った今でも同じ思いで見守ってくれてることを思うと…

本当に母の愛に…感謝いっぱいです。

文化の日

太陽院院長  近藤   千恵子です(^^♪

11月3日…国民の祝日の今日。

今日は、叔母のデイサービスもお休みで、ちょっと朝はゆっくり…。

おかげさまで、今日は尿の失敗も無く…(*^^)v

そんな遅い朝の始まりでしたが、年間 数少ない旗日。

しっかり日の丸掲揚させて頂きました。

戦前は天長節…明治節と呼ばれていた明治天皇のお誕生日の今日…終日快晴の中、叔母と主人と3人でお昼からグルッとドライブ楽しんで参りました。

銀杏が黄色く色づき…桜の葉も紅葉するこの季節。

はらはらと舞い落ちる落葉樹の葉。

春の桜の季節も好きだけど、今の葉っぱが色づく季節も大好き。

そして、明日…14:23に満月を迎えるお月様。

今日は、昼間の太陽…そして街路樹の紅葉…夜の満月と、文化の日にふさわしく芸術の秋満喫させて頂きました(^^)

きっと、明治天皇がお生まれになった1852年11月3日も、優しい秋の陽射しと、山々の紅葉…そして実りの秋だったんだろうな~と…

外国の文化が入り、浮足立ってしまう様なあの明治の時代。

そして、明治23年10月30日に「教育に関する勅語」を発布され、明治45年(1912年)御崩御。

美しい日本の四季の景観や、食べ物…そしてなにより日本人が大切にしてきたものを誰よりも知っている天皇陛下だからこそ  教育に関する勅語を配布されたのかも…などと思ってしまいます。

きっと神さまは、その時その時にぴったりと必要な人物を、少しのズレもなく 配置される人材派遣のエキスパート。

私の人生も、半世紀以上を過ぎ…自由に動ける時間もきっと決められてるとしたら、これからどんな場に配置されるのか…ワクワクでもあります。

その時その時、今いる場所で 輝いて行けます様に…。

だって、きっと明治天皇さまの過ごされた時代の時よりも、もっともっと贅沢で便利な生活をさせて頂いてる今の私達。

ずっと前、まだカイロを始めた頃…高知の山の中で施術会をさせて頂いてた時、お婆ちゃんが

「今は、便利になっていいね~」

「水道も通ってなかった時、川からパイプ通してお水が来るだけでも有り難かったし、今はお殿様よりもいい生活させてもらってるね~」

と、話してくれることで また今の生活が当たり前になってしまってる私自身…背筋が伸びたような…。

明治維新のころ、西洋の良いモノを取り入れ…そして、この日本の風習やしきたり…大和魂を守っていくことを誰よりも望んだ明治天皇さま。

時代が変わっても、世の中が変わっても…絶対守らなければならないモノ…聖書の中、モーゼが神さまから示された「十戒」とそして、日本人は十戒に加えて、「教育に関する勅語」

私も今回、この風情豊かで四季の恵も豊かな日本に生まれた一人の女性としてしっかり生きて行きたいと…

11月3日文化の日 玄関に掲げた日の丸そして明日満月になるお月様に誓います(*^_^*)

 

 

感動をありがとう!!

太陽院院長 近藤  千恵子です(^_^)/~

愛顔つなぐえひめ大会…感動いっぱいの中、今日閉会致しました。

開会式前の、公開練習日から4日間、西条で行われたフライングディスク会場でボランティアでのお手伝い…

今日は、お土産などテントが並ぶ「みきゃん広場」で筆談でのお手伝いさせて頂きました。

朝、開場に続々と入ってくる各県の選手たち。

筆談用のボードに

「おはようございます!笑顔いっぱい…愛いっぱい…応援してます♡♡♡」

と書いてお出迎え。

昨日、一昨日の雨の日とは違って、肌寒くはなったものの、お陽さまも顔をだして爽やかな朝。

各県の選手たち、様々な障害の方が共に移動する中、自分の出来ることでお互いを支え みんなの笑顔が眩しすぎるほど…

そして、いつも支えてくれてる家族や仲間…自分自身へのお土産を一生懸命探してる姿も愛おしく…。

また、「蛇口からミカンジュース」…が出てくるブースでは どの県の選手たちもスマホやビデオを構えて撮影…凄く楽しんでくれてました。

ひとり旅など、出来にくい彼ら彼女らにとって、四国愛媛での時間は 本当に貴重な時間。

そして、今日…お昼に全ての競技がおわり、各県の選手団は閉会式の行われる松山の会場へ…

入場門からバスのある駐車場までの300mほどの通路には、市内の小学生や中学生…そして大会をお手伝いしたスタッフやボランティア達が並び、選手たちをお見送り…。

笑顔で会場を後にする選手たちに

「感動を ありがとう!」の筆談ボードを持って、右手を振ってお見送りしてるうちに、勝手に涙が溢れでて…。

たった4日間だけど、こんなに素敵な場所でお手伝いさせて頂けたことに感謝。

障害を持った方々は、みんなその障害を持って 今回の人生を生き抜くことを決めて来た尊い魂。

だからこそ、太陽よりも…ダイヤモンドよりも…キラキラ輝き 私たちに感動を届けてくれる凄い存在。

そして、日本書紀の中 書かれている 蛭子(ひるこ)さんのお話も頭に甦り…

恵比寿さんも、弁財天さんも、福禄寿さんも、毘沙門天さんも、大黒さんも、布袋さんも、寿老人さんも…実は実はみんな障害者だと…。

みんなどんなことも、どんな時も…

「あっはっは!あっはっは!!」

と、笑顔で宝船に乗って荒波を越えていく神様たち。

今日、競技会場からバスへ向かう中、小学生や多くの人々に拍手で見送られ、そして小学生は手を出し…タッチしてもらって…。

私も何人かの選手にタッチしてもらって…何だか七福神の神さまたちから「福」を頂いた感じ。

身体や精神、そして知的障がい…不自由なこともきっといっぱいいっぱい有ると思うけれど、「あっはっは!あっはっは!!」で大きく荒れた波超えてもらいたいです。

4日間…無事に出来るかな?と、不安も有りながらもボランティアに参加させて頂けたことで、またひとつ素晴らしい世界を体感させて頂きました。

来年2018年は、

福井しあわせ元氣国体!(第73回)
福井しあわせ元氣大会!(第18回)

北陸から全国に 感動が拡がります様に…♡

 

 

 

台風接近の中…

太陽院院長 近藤  千恵子です(^^ゞ

台風22号接近の中、今朝 えひめ大会しっかり開催されました。

今日私が配置されたのは、練習会場。

朝からお昼3時近くまで、どんどん降り続く雨の中…各県の選手たちが練習会場に…。

芝生の下も、びしょびしょの状態。

車椅子の選手も、サポートの方々に押してもらって、練習サイトへ…。

選手もコーチも、運営する側も…そして、ディスクを拭いたり拾ったりのボランティアスタッフもみんな1分立ってるだけでびしょびしょ…。

学校の運動会だと絶対延期になってしまうような台風接近の雨の中でも、昨日開会式をしたえひめ大会。

日本全国から集った選手たちの夢の舞台。

雷がなったり、強風や竜巻が起こらない限り…競技は開催。

秋…台風到来も多い中、72年間続けてきた国体。

開催県と、選手の思いが、今日ずっと降り続いていた雨も、競技が終盤になった頃 雨がやみ…太陽の光が射し暗かった空が青空に…。

太陽と共に優しい秋の風が吹き…一氣にジメジメしていた氣分はスッキリ(*^_^*)

「女心と秋の空」とは、よく言ったものです。

明日は、いよいよ最終日。

お昼までの開催。

そして、明日は「みきゃん広場」にて任務遂行。

なかなか筆談での対話は無いものの、今日は一緒に居た手話の人たちの活躍ぶりに「かっこいいな~」と…。

障害者が主役のえひめ大会。

あちこちで手話で対話してる姿や、盲導犬…そして杖を突きながら歩いてる人々や、車いすの方々。

表彰会場でも、1位のインタビューに、手話で応え…手話通訳の方が言葉にして伝えてくれ…。

感動を共に共有させて頂きました。

明日には、またそれぞれの自宅に戻られる選手やコーチ・監督さんが、愛媛に来て良かった…と、今日の雨をも打ち消すような、思いで それぞれが故郷に戻ることが出来ますように…。

明日も愛顔(えがお)で頑張ります(*^^)v」

 

 

国体ってやっぱり凄い!!

太陽院院長 近藤 千恵子です!(^^)!

障害者の国体…えひめ大会2日目の今日は、雨の中の開会式と、フライングディスクの中、アーキュリーが行われました。

今日は、表彰会場で 情報公開の為のお手伝い。

そして、次から次へと 競技を終えて表彰式に来る選手の方々。

天候とはうらはらに晴れやかな顔で表彰会場へ到着し、大会のマスコットみきゃんの描かれた金メダル・銀メダル・銅メダルとブーケを1位、2位3位の人々は手にし…

照れながら歓んでる人や、両手をあげてガッツポーズで歓ぶ人…年齢も性別も、障がいの状態も様々な中で繰り広げられるフライングディスクという競技。

表彰台に立って、涙ぐむ選手も…。

きっとこの日の為に、毎日毎日練習を重ねて来たんだろうな…と思わず私の目頭まで熱くなり…。

実は昨日、練習会場のお手伝いをしていた時、ディスクを投げさせてもらったけれど…なかなか難しいもので。

どうしても力入れ過ぎて右の方に飛んで行ってしまったり…なかなか決められたワッカの中を通すのは難しい…。

ましてや、集中力を要する競技…そしてバランスも良くないと思うところに飛ばないし…。

そして、どの選手も各県の代表。

青森の選手をみると、青森の友を思い…

長崎の選手をみると、長崎の友を思い…、

山形の選手をみると月山でアルバイトしていた頃のあの景色を思い…、

長野の選手には、志賀高原でお世話になった方々の顔が浮かび…、

三重県の選手には、私のやまと心のスィッチをonにしてくれた伊勢の景色や恩師を思い…

広島の選手をみると、ケイシー講座に初めて行ったあの頃を思い…

新潟…福島…岩手…秋田…東京…茨城…福井…新潟…富山…京都…大阪…奈良…兵庫…山口…岡山…etc…etc…。

そして、恥ずかしながら今日知ったのが、国体…今年で72回目だと…。

なんと、戦後昭和21年第1回が開催されて今年72回目。

日本って凄い! 国体って凄い!!

こうやって、各地の道路や施設が整い…経済が動き…日本が戦後焼け野原から世界でも有数の経済大国になって来たんだと…本当に実感。

豊かになるために、国体が開催され始めて、豊かだからこそ…大会が継続されていく…。

スポーツが…多くの人々に感動と歓びを与えてくれ、生きる力ももらえて来たのかも…。

今晩から、台風22号の影響から風が出て来ており…明日の競技が開催出来るかどうかもわからないけれど…

どうか愛媛で過ごす数日間が一人ひとりにとって素敵な時間になってもらえます様に…と、祈ります。

スポーツマンシップ♡

太陽院院長   近藤  千恵子です(*^^)v

愛顔(えがお)つなぐ えひめ大会…初日、公式練習が終わりました。

今日、私は練習会場に終日居て、各県の選手団の方々の受付を手伝わせて頂きました。

選手の皆さんは、どこかに障害を持った方。

生まれながらの方もいらっしゃれば…何かあって障がいを持って人生を過ごすことになった方も…。

今日は、全ての県の選手団の方が練習会場に来られたわけではないけれど、練習会場に来られた どの県の選手の方々とも…さすが各県の大会を勝ち抜いて参加されてる方々。

スポーツマンシップをWikipediaで調べてみると…

スポーツのルールを遵守して競技を行っていくうえでの根本的な姿勢をいうものである。
スポーツマンシップは、スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表わされる。

身体や精神や知的な障がいと、障がいの状態は各々が違っても、同じスポーツを共にする仲間と、自身の県の代表となり練習される選手たちは、まさに「スポーツマンシップにのっとり…」の言葉がぴったり。

西条の会場には、市内の学生たちによって育てられた花々や、市内の小学校で作った旗で、そんな選手たちをお出迎え。

47都道府県…1年に1県づつで47年で全県。

そんな国体が10月愛媛で開催されていることが光栄なこと…。

ただせっかく全国各地から来られる選手たちをいじめる様な台風22号の到来。

そして明日から、雨の予報。

どうか、雨でも晴れでも…スポーツマンシップを存分に発揮し、キラキラ輝いていて欲しいです♡

 

海ゆかば…

太陽院院長 近藤  千恵子です!(^^)!

海行かば 水漬く屍(みづくかばね)
山行かば 草生す屍(くさむすかばね)

大君の辺(おおきみのへ)にこそ死なめ
かえりみはせじ

海に行けば、水に漬かった屍となり
山を行けば、草の生す屍となって、

大君のお足もとにこそ死のう。
後ろを振り返ることはしない。

終戦まで、「準国歌」と言われ、小学校では毎日唱和していたほど…

今日、朝10時半からの 神風特攻敷島隊五軍神・愛媛特攻戦没者追悼式典でも 参列者全員での合掌♪

私自身、この詩を知った時、この歌詞に正直ビックリしたほど…。

海に行けば海で…、山に行けば山で…

「死」と言うものの 捉え方の違いから、その後に続く、「誰かの為に…」が基本。

この歌が、軍歌とか 危険な歌と思われ… 歌われなくなった今…。

海で…山で…自分自身の為に命を落とす人が増えた今。

「自殺」とは、誰の為でもなく 自分自身の為に、自分を殺してしまう事。

戦後の高度成長の中、心が置き去りにされ… 誰かと比べて落ち込んだり…、誰かと比べて優越感を持ったり…。

ただ、日本人として生まれて来た我々は、長い長い歴史の中 この細胞の一つひとつが覚えている 大和の心。

教えられなくても…取り去られようとしても…きっと ふとした瞬間にスイッチがONになるもの。

「海行かば」の歌も、スイッチがONになる様な日本人の魂が甦る歌。

先週末の台風21号と、今週末に近づいて来ている台風22号の間の秋晴れの日に…私も大きな声で「海行かば」歌わせて頂き、やまと心にスイッチONして参りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の人生は明日で終わる…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

この世に生まれた瞬間から、私達はひとりの例外もなく…死へと向かって行きます。

そして、若い頃や、50歳を超えた今でも まだまだ命が終わるということを…わかってはいても実感はありません。

戦争の真っ只中にいる人や、飢餓で苦しむ国に生まれた人…、病で苦しんでいる人々にとっては、きっと…誰よりも今この世に生きている生かされているということを実感しているはず…。

「僕の人生は明日で終わる。生きたであろう明日を 未来の君たちに託す」

と…遺書を書き、飛行機に爆弾乗せて 多くの若い若い命が 空に向かい…そして、敵艦に体当たり…。

たったひとつの尊い命を、国家の為…家族の為…愛する者の為に…捧げました。

そんな、神風特別攻撃隊が初めて編成されたのは、大東亜の戦争が終盤を迎える昭和19年10月。

そして、フィリピン…マバラカットから飛び立って行った5つの御霊。

明日、この肉体が無くなり…もう愛する人とも話すことも…触れることも出来なくなるとしたら…その前夜、どんな気持ちで夜を迎えたのでしょうか。

日本の特攻隊が初めて敵艦に体当たりしたのが、73年前の…10月25日。

特攻作戦が始まり、次々に爆弾積んで突撃してくる姿に、米軍の兵士たちは、「クレイジー」と思い…またそれが本当に怖かったそう…

そして、終戦後 徹底的に日本のことを研究した結果、変えられたのが教育。

「戦後教育」

戦後72年…特攻作戦から73年。

今日、平和で豊かな社会は、悠久の大義に殉じられた 多くの方々の尊い犠牲の上に成り立っていること…。

そして、思うに…本当に平和で豊かな社会なんでしょうか?

明日、日本で初めての特攻隊である…「敷島隊」五軍神と愛媛県の特攻戦没者の追悼式典が、私の住む愛媛県西条市で開かれますが…

訪れる人々は、60歳以上の人々がほとんど…。

自殺ではない…誰かの為に命を捧げた英霊の方々。

2000年前に、エルサレムで何の罪もなく 当時の権力者によって 十字架にかかり…人類の罪を贖うための神への燔祭となったキリスト・イエス。

私の為に生きるのではなく…人々の為に、命を捧げた神の子と、73年前から1年間…次から次へと敵艦目指して突撃していった英霊の方々は、私の中では イエス様と同じ…。

その同胞の命をかけた生き様こそが、世界に誇る…武士道。

大和魂。

明日は、あの長く続いた雨もなく…台風も去って行き きっと天も高く秋晴れの日。

遠い遠い空の上から、この平和で豊かに見える 今の日本に生きる我々を どんな風に思ってみているのでしょうか?

あの長く長く続いた雨は、天の哀しみの涙だったのでしょうか…。

「今一度、日本を洗濯致し候」と言った 龍馬の感じたような時代が、今また訪れているのかも…知れません。

追悼式典には来れなくても 10月25日…尊い命を捧げた御霊にどうか思いを寄せて頂けると嬉しいです。

感謝…合掌…

 

決断…。

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

太陽院でも扱っている水素風呂の会社のフォーラムが、今日10月22日(日)大阪で開催されることを、前回9月1日東京で発表され…スケジュールを確保。

そして、認知症の叔母の施設への宿泊も決め…愛媛から一緒に行くことにしてた仲間とのドライブも楽しみにしてた矢先に、台風21号が大接近。

一昨日から「大型で強い勢力の台風」と言われる中、何としても大阪へ行く!!と思いながらも…結局、選挙の期日前投票に行けなかったことが大きな足止めになり…出掛けることをストップ。

橋は出来たけれども、やはり四国は島国…結果的には想像してたよりも帰れたみたいだけれど…私も一家の主婦でもあり…。

独身の時の様に、自分のことだけ考えてるわけにもいかず…。

次の日のこともまず考えさせられ…決断。

そして今回、私の住んでる地区…愛媛3区は大激戦。

そして、きちんと雨の中、主人と1票を投じて来ました。

夜9時過ぎに当確が決定しましたが、私の住む愛媛3区は…なんと希望の党に所属の議員が当選。

前衆議院議員の自民党議員が癌の為に逝去され、初めは補欠選挙の予定が 9月解散総選挙になり…

世の中…特にメディアや小池氏が「安倍降ろし」を声高らかに叫ぶ中、新人で前衆議院議員の父の意思を継ぎ立候補した息子さん。

補欠選挙がまだ言われてた頃、いきなり週刊誌で書かれた政治とは関係のない私的な生活のこと。

私自身、お父様の秘書をされていた時、腰が低く…また若く穏やかな息子さんは好印象。

選挙期間中も麻生副総理が、「全面的にバックアップします」の声も頂きながら…残念ながら今日落選。

選挙なので、議席はたったひとつ。

今回当選した希望の党からの立候補者は、あの民主党が以前政権を取った…鳩山内閣の時に一度当選。

なので、前回は与党としての衆議院議員を経験。

しかし、今回は自民党が全国的に政権維持…と言うことで、私の住む愛媛3区の当選議員は「野党」での国会議員。

なかなか立候補者の性格や人間性…色んなことは、わからない所に メディアや週刊誌の影響は大きすぎ…

今日大阪に行くことも、選挙に行くことも…大切な大切な決断。

実際、そこまで大きな台風では無かった氣もするけれど…今日、行かないことを決めた私も私自身の日々の流れの中での決定。

毎日、大きな決断があったり…小さな決断があったり…決めてたことが出来なくなったりすることもあるけれど、それもこれも全部わたし…。

そして、実際何が起こっても、全ては最善…。

誰かの為ではなく…ましてや自分の為でもなく、この国や今、何が最善か…。

政治家に任せるだけでなく、しっかり1票の重みを感じ…、

そして、祖国日本が永遠に続きます様に…。