数年前から、ファミリーサポートという 市の子育て支援のひとつで、子育て中の家庭のサポーターをさせてもらってます。
市報でみつけた「子育て中の家庭のサポート勉強会」
私のこの両手で何が出来るの?…とJupiterの歌詞ではないけれど
「サポート」…支えること、支援すること、応援すること…。
もう6年程前に初めて受講させて頂き、色々な形でさせてもらっているサポート。
今日、お母さんの仕事の都合で時々1時間程 預からせてもらう
「さなちゃん」
10月にサポートして以来 4か月ぶりに会った1歳1ヶ月のさなちゃんは、我が家に天使が訪れたようにパーッと光を灯してくれました。
笑って、食べて…もちろん泣いても かわいい~。
あっという間の1時間。
また来てね~と見送り、次に会う時には もう歩き始めてるのかな?
そして、今日は夕方もピアノ教室へ連れて行くサポート。
たまたま 太陽院に来てた患者さんの小学1年の長女ちゃん。
お母さんも知ってるから また楽しい。
なかなか子供に恵まれなかったお母さんのお腹に宿ったひとつの命。
お習字とピアノ教室へ送っていく間だけの サポートだけど色々おしゃべりしてくれるのが…楽しい。
お習字の教室に行く時には、洋服を車の中で汚してもいい服に着替えるんだけど、
移動中交通整備の男の人やすれ違う男性をみると「あっ!…見ないでよエッチ!!」・・・と身体を隠す小学1年生。
「お父さんとはお風呂に入る?」と聞くと、「うん!入るよ」
家族4人、お父さんとお母さん、妹も一緒に入るよ…と。
人は裸で生まれ、衣類を纏って生活する。
今朝のさなちゃんも、心成しか離乳食を食べる時、口の開け方が主人が食べさせる方が おちょぼ口になった氣がする(笑)
子供が、むかし銭湯で 女の子はお父さんと男湯へ、男の子は女湯へと入ることをためらい始めるのは、いつからなんだろう?
旧約聖書の中、エデンの園で神と共に暮らしていたアダムとイブ。
禁断の果実を食べたことで、裸でいることを「恥ずかしい…」と思い始め、そして 誰かのせいにし、神と共に暮らしていたエデンの園を追放された。
その時の神の愛は、アダムとイブに着せた皮の衣。
動物の皮で作られた衣を着ることで、護られるこの地上で生きる身体。
人がひとりでいるのは良くない!!とアダムのアバラの骨から作られたイブ。
これも神の愛。
マタイによる福音書6章25節には
それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
子育てサポートをしてる私自身の命もからだも、神さまにサポートされ生かされている日常を歓んで…。
今日は双子のまなちゃんかなちゃんが歌った「いのちのうた」