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神さまとの契約

太陽院院長  近藤 千恵子です(^_^)v

2020年が あと2日という今日…虹をみました。

聖書の中、創世記9章

ノアがアララト山にたどり着き、神さまがノアに言った 契約。


これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。

13 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。

14 わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。

15 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。

16 にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。

17 そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。


新しい元号となって2年目。

日本だけでなく、世界中を襲った 新型ウイルス。

そして、聖書の中  40日40夜続いた大洪水によって 地球上の全てのものが 洗い流され  そして ノアに語った 神さまの契約。


イザヤ書43章 5節の

恐れるな、わたしはあなたと共におる。」


見えないものに  大きく変えられた 2020年。

生き方も考え方も 半ば強制的に…

しかし  今日神さまは

「大丈夫だよ!」

と雲の中に 虹をかけて 見せてくださった。

有難いことです(*´-`)

色々あるから 本当に 人生って面白い(*^o^)/\(^-^*)

 

霜月朔日と御創祀1880年

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

霜月…朔日…11月1日

風は冷たいけれども、秋晴れの中 朝10時半から 伊予西条にある 旧國幣中社…伊曾乃神社で催行された

「御創祀1880年祭並びに幣鐉料奉幣祭」に参列して参りました。

1880年前、五十鈴川の流れも清らかな伊勢の神宮に眠る天照皇大御神さまの分け御霊として荒御魂が、ここ伊予の國西条に

第12代景行天皇の皇子である武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)によって鎮座…御創祀。

景行天皇の皇子、ヤマトタケルノミコトは良く知られているけれど、タケクニコリワケノミコトは、古事記には名前も出て来ず…知ることが出来るのは日本書紀の記述から…。

西暦にしてみると、137年。

人の寿命が60年で計算してみると、31回生まれ変わったり…31代前の祖先もこの宮で祈りを捧げて来たようで…

御神事の中、笙(ショウ)や篳篥(ヒチリキ)が奏でられ…また二人の巫女さんの浦安の舞。

きっと、この巫女さん達も 雅楽を演奏する方々も ずっとずっと昔も同じようにこの社の中 神さまに舞いや雅楽を奉納されていたんだろうな~と、思いながら…

私もこうして、この宮のそばに生を受け今日1880年の有り難い御神事に参列させて頂いてること、きっとずっとずっと昔もご縁を頂いてたんだろうな~と ゆっくりと催行される御神事の中、頭の中は悠久の昔へとタイムトリップしておりました。

昔々、まだ小さい頃…夏越まつりに舞う巫女さんを 家に戻って真似て舞ったことも…

厚かましいですが…長い長い時の中、巫女だった過去世も有るかも~なんて思ってもみたり…(笑)

人は、どの国や…どんな宗教であっても、見えるモノだけではきっと生きてはいけないモノ。

11月、七五三も近く、境内には着物姿の可愛い子供の姿も…。

子供を授かり…氏神様にお七夜、お宮参り、3つ、5つ、7つ…無事に大きく成長しましたと報告し…

そして、入学、卒業、受験、結婚…と、何かにつけて感謝を捧げ 報告し、また厄年になれば、またお宮に参り…病気になっても神頼み…。

伊曾乃神社の神さまも 1880年 ずっと変わる世の中や人を、変わらぬ大きな愛で 見守り続けてくれ またこれからもずっとずっと 地元の人々から「お伊曾乃さん」と呼ばれ慕われていくんだろうな~と…

1880年という古事記編纂よりも長い長い歴史を持つ伊曾乃の宮に、改めて感動した霜月朔日でございました。

イスラエル

アジアの西の端にある、四国と同じくらいの面積の国…イスラエル。

エドガー・ケイシーは、「イスラエル」とは、同胞に先立って召し出されたものという意味だと言われました。


旧約聖書の中、神さまが99歳のアブラムと交わした契約。

「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。
あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。
わたしは あなたを多くの国民の父とするからである。」

アブラハムから始まった子は2人。


ひとりは子供に恵まれなかった妻サラの仕え目ハガルに生ませた子イシマエル。

そしてもうひとりは、年老いた妻サラが神の霊により生んだイサク。

仕え目の子イシマイルには子が、12人。そこから広まった今のアラブ人。

そして、正妻サラの子、イサクには 兄エソウと弟ヤコブのふたりの子供。


アブラハムの孫の中 イサクの子であるヤコブに神さまは

「あなたは、もはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」

そして、しばらくたって後にも神さまはヤコブの前に現れ

「わたしはアブラハムとイサクに与えた地をあなたに与えよう。また  あなたの後の子孫にその地を与えよう」と言われ、

聖書の中で初めてイスラエルと呼ばれた者。


このイサクからヤコブ、そしてヤコブの12人の子へと続く子孫がイスラエルの12部族へと繋がっていくそうなのですが…。

アブラハムから繋がって来たイスラエル…神さまから祝福された者の子孫のひとり、ヤコブの子ヨセフはやがてエジプトを救う王となり 兄弟たちも共にエジプトに住むようになるが

時が経ち、エジプトでユダヤ人はエジプト人の奴隷として使われ嫌われるようになり…。


そして、モーゼが神さまから命を受け、イスラエルの民を連れて出たエジプト。

海を越え、神さまとの約束十戒を受け、聖なる地に向かい40年。

モーゼは約束の地に入ることはなかったけれど、その意を継いだヨシュアが民を連れヨルダン川を渡って入った約束の地、イスラエル。

モーゼが受けた十戒。神さまとの約束…律法を守ることで神さまに忠実に従ってきたユダヤ人。

その10の約束事が、どんどん細かく制約されて613にまで増えてしまった律法。


とことん神さまに忠実に生きようとするユダヤの民にとって、どんどん増えていった律法は苦しみともなり…救世主を求めるように。

そのユダヤ人の願いが聞き届けられ、2017年前 天から命を受けて生まれて来たひとりのユダヤ人。

キリスト・イエス

神の言葉を伝え、神と共に生きる生き方を示し、人のために命を投げ出し救い、そして人は死なないということを示すために復活して見せた神のひとり子 救世主イエス。


私が聖書を読み、この小さな聖なる地に憧れ 訪れるようになったのも イエス様を愛し、イスラエルという国のことを多くの方々に伝え続けている三重県津市の赤塚建設社長の赤塚さんに出逢ったことから。

2014年4月に10日間 一緒に聖地イスラエルを旅させて頂きましたが、訪れるひとつひとつが、聖書に示されている聖なる地。

そして、イエス様や弟子のペテロの足音や会話が聞こえてくる空間。


2000年前、自らの救世主を自ら十字架に張り付けにさせてしまったことで 国は滅び戻る場所もなく 各地で流浪の民となってしまったユダヤ人。

イスラエルという国が、願い祈り再建された1948年。

その初代首相ベングリオン氏のお墓で歌うイスラエル国歌「ハティクバ」

希望という歌

どこまでも続く砂漠。

10日の間、旅人は雨の心配をすることのない国。逆に言えば、砂漠の中 渇き水を求め続けている国

梅雨の季節もあり、水の心配をすることなく、自然の恵みと四季折々の喜びを感じられる日本とは違う過酷な国であるにもかかわらず、

人は寄り添い、国を愛し、神と共に生きる国イスラエル。

イスラエルから戻った時感じた、不思議な感覚。


この豊かにみえる日本の中に感じる空洞。

何だか鍵っ子と呼ばれる子供が、家に帰って感じる感覚と似ているかもしれない。

大家族で過ごした子供が、ひとり暮らしを始めてふっと感じるような虚無感のような…。

無くしてみなければわからないもの。

有るから見えないもの。


きっとイスラエルの人々の細胞のひとつひとつには、祖国を失い異国で感じた寂しさ、悔しさ、虚しさ…がずっとずっと繋がれて来ているんだろうとも感じ…。

世界で唯一 再建された国イスラエルだからこそ学ぶことは多い。

日本も愛の国、神の国。

ツーと言えばカーと答えられるほど、相手の思いも感じ取れるほどの、同胞だからこそ感じられる愛。

東京オリンピックのプレゼンテーションの時に言った「おもてなし」の国。

この国が永遠に続きますように…と、一度国を失い再建した国イスラエルを肌で感じたからこそ願う思い。


平和と感じる中にどっぷりと入ってる今、何かポッカリと空いた空洞を 愛で埋められるように…

この日本という国を選び生まれさせて頂いたことに感謝し

国を愛し、自然を愛し、人を愛し、何より自分自身に求められていることを知り…

ケイシーが言うように、同胞に先立ち召し出された者のひとりとして…

希望を胸に祈り動いて参ります。

日本よ!永遠なれと…。

今日の動画はイスラエルとは違うけれど、

母をたずねて三千里 「草原のマルコ」

 

 

 

 

 

 

 

 

サポート

数年前から、ファミリーサポートという 市の子育て支援のひとつで、子育て中の家庭のサポーターをさせてもらってます。

市報でみつけた「子育て中の家庭のサポート勉強会」

私のこの両手で何が出来るの?…とJupiterの歌詞ではないけれど

「サポート」…支えること、支援すること、応援すること…。

もう6年程前に初めて受講させて頂き、色々な形でさせてもらっているサポート。

今日、お母さんの仕事の都合で時々1時間程 預からせてもらう

「さなちゃん」

10月にサポートして以来 4か月ぶりに会った1歳1ヶ月のさなちゃんは、我が家に天使が訪れたようにパーッと光を灯してくれました。

笑って、食べて…もちろん泣いても かわいい~。

あっという間の1時間。

また来てね~と見送り、次に会う時には もう歩き始めてるのかな?

そして、今日は夕方もピアノ教室へ連れて行くサポート。

たまたま 太陽院に来てた患者さんの小学1年の長女ちゃん。

お母さんも知ってるから また楽しい。

なかなか子供に恵まれなかったお母さんのお腹に宿ったひとつの命。

お習字とピアノ教室へ送っていく間だけの サポートだけど色々おしゃべりしてくれるのが…楽しい。

お習字の教室に行く時には、洋服を車の中で汚してもいい服に着替えるんだけど、

移動中交通整備の男の人やすれ違う男性をみると「あっ!…見ないでよエッチ!!」・・・と身体を隠す小学1年生。

「お父さんとはお風呂に入る?」と聞くと、「うん!入るよ」

家族4人、お父さんとお母さん、妹も一緒に入るよ…と。

人は裸で生まれ、衣類を纏って生活する。

今朝のさなちゃんも、心成しか離乳食を食べる時、口の開け方が主人が食べさせる方が おちょぼ口になった氣がする(笑)

子供が、むかし銭湯で 女の子はお父さんと男湯へ、男の子は女湯へと入ることをためらい始めるのは、いつからなんだろう?

旧約聖書の中、エデンの園で神と共に暮らしていたアダムとイブ。

禁断の果実を食べたことで、裸でいることを「恥ずかしい…」と思い始め、そして 誰かのせいにし、神と共に暮らしていたエデンの園を追放された。

その時の神の愛は、アダムとイブに着せた皮の衣。

動物の皮で作られた衣を着ることで、護られるこの地上で生きる身体。

人がひとりでいるのは良くない!!とアダムのアバラの骨から作られたイブ。

これも神の愛。

マタイによる福音書6章25節には

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

子育てサポートをしてる私自身の命もからだも、神さまにサポートされ生かされている日常を歓んで…。

今日は双子のまなちゃんかなちゃんが歌った「いのちのうた」

 

ご縁(3)

2008年3月、一冊の天中殺の本が導いたエドガー・ケイシー研究の第一人者光田 秀氏との出会い。

ご縁(2)

そして、広島のケイシー講座の時に出会った一本のDVDがまた私の人生に大きな祝福を持って来てくれました。

広島のケイシー講座は、当時2日間開催されており、初日参加させてもらった際、講師の光田先生が 「そちらに置いてあるDVDはお薦めですよ!!」と言われたこともあり

本やオイルなど販売されてる所に置いてあったDVDを手に取ってみました。
「イエスを人生に招き入れる」と題された2枚組のDVDセット。

光田秀氏と赤塚高仁氏

この二人のお話が収録されているDVDの様でしたが、値段を見てみると、なんと6,300円!!

わっ!こんなにするんだー!!…と、そっと元のテーブルに戻させて頂きました。
光田先生は知ってるけど、赤塚高仁氏って知らないし…。

3~4セットほどあった、DVD はその日のうちに売り切れ まっ私は買わなくて良かったんだ!!売り切れたし…良かった!良かった!!と思ったほど。

広島に主人と二人で参加してたので、交通費や宿泊費、講座参加費とかかっており、無駄使いも出来ないし…っということで。

そして、翌朝 2日目の講座に参加させてもらった時、前日も参加されてた女性が 昨日購入したあのDVDを戻してるところを発見。

見てしまったんです(笑)

見てしまった私の心の中では、「光田先生が薦めるDVD…やっぱり観てみたーい!!」と湧き上がり ちょうどその日の会場の一階にあったATMでお金を引き出し購入。

いろいろな会場があるけれど、会場の中にATMがあるところも 珍しく、ちょうどすぐに引き出せたことも…天の計らい?

と、いう事で6,300円のDVD「イエスを人生に招き入れる」を持ち帰り、早速観ることに!!

心踊るケイシー講座を受けたからか、広島から愛媛西条まで約180km。ドライブの疲れもなく、そしてお薦めのDVDの内容が氣になって、氣になって…。

ピンクのシャツを着た「赤塚 高仁さん」

衝撃でした!!

運転の疲れもなく、魂震える赤塚さんのお話し。

この人に会ってみたい!!と思わされました。

そして、2010年8月6日、思いが実現。

2010年2月から始まった西条でのケイシー講座の3回目にゲストで来ていただけくことになり、前日に光田先生とふたりで西条に到着!

JR伊予西条駅の改札で、光田先生に続いて 改札を抜けて初めてお会いした赤塚さんは両手を大きく広げ登場!!

その日の晩餐が、本当に最初の晩餐となり その後大きく私の人生が変わっていったのですから、本当に私の人生にキリスト・イエスを招かせて頂いた様な感じです。


再版されたこのDVD、3,500円

太陽院または横浜のケイシー用品専門店「テンプルビューティフル」さんにて 好評販売中です。
テンプルさん⇒http://www.caycegoods.com/shop

意識は引力

思うこと、やりたいこと、全てが手に入るわけではないけれど 自分自身の意識が引き寄せ…あたりまえでない奇跡がおこる。

目に見える世界と見えない世界。

私自身、引力は強い方だと思う。

「あ~なりたい! こうなりたい!」と思うことの全てではないが、
“神さまに私えこひいきされてるな~”と思えるほど、私自身の生きてきたこの54年間振り返ってみると、私自身以上に神様は私をよく知ってて導いてくれてることを確信する。

私自身の結婚も、そんな私の引き寄せ力が  人生のパートナーまでも引き寄せたんだと。

そして、必ずしも願いが全て成就するわけではなく、そこには神さまの壮大な計画があることも・・・。

1999年4月37歳を半年後に控え結婚。

私自身、結婚するとすぐに子供に恵まれると思っていたけれど、なかなか恵まれなく、また出逢って8ヶ月ほどでの結婚だった事と大阪と愛媛に離れていたことで、結婚生活が始まってお互い知っていくことでも有り、子供が出来ないことがその時は一番いいことだったのだとも思えます。

ただ、3年たっても4年たっても子供が出来ないことで40歳を目前にした2002年産婦人科を受診。

診察の結果、子宮内膜症もあるとのことで 内視鏡による手術。そして排卵誘発剤だけを投与する不妊治療をしたけれど、なかなか出来ず・・・。

それからまた4年程たった2004年44歳になるその年、前にかかった病院とは別の総合病院の女医さんのところへ受診。

「ちょっと遅すぎますよ!!でもアクティブにやってみましょう!」と言うことで、排卵誘発剤と共にその年の2月から人工授精。

私の卵管も主人の精子にも異常なく、卵子も多い時で4~5個出来て、「3つ子以上が出来ても大丈夫ですか?」と言われながら人工授精。

カイロの施術中も患者さんに、私三つ子が出来るかも・・・と話させてもらったら「出来たら手伝いに来るよ~」と、たら話で盛り上がり 楽しく過ごしながらも、生理が始まれば「はい!今回も残念でした~」状態。

全てに「時」があるのか・・・。

その年、2月から10月までの9か月間で6回人工授精。着床することもなく、そして総合病院の中から産婦人科が無くなるということで、女医さんの方から、「ほかの病院を紹介しましょうか?」との問いかけに、

私たち夫婦は、二人だけの生活でも  ふたり仲良く過ごせれば良いよね・・・と不妊治療を終了。

そして、翌年2007年の8月25日夕方、うちの主人が脳出血で入院。

左半身に麻痺が残る状態に・・・。

もしも、前年の不妊治療が成功し、三つ子でも4つ子でも出来ていたなら・・・どうなっていたのか?

この世の中に、「~だったら」と言うことはなく全てが最善。神さまは最善しか与えない。

主人の脳出血での左半身マヒも、私たちの家庭に子供が恵まれなかったことも・・・全て神の恩寵。

私がカイロプラクティックを学ばせて頂いた桑岡カイロプラクティック研究所の桑岡会長がいつも「私は、タイとタラは食べません」とよく言われてました。

~しタイ!     ~だっタラ!と言う人の中に成功は無いですと。

私の人生、自分自身の引力と天からの計らいとが調和し

毎時、毎分、毎秒・・・「時」の流れの中で奇跡が起こっている。

今日はクリスマス。

2016年前に地上からの願いと天上からの救いによって、人として生まれた神の子イエス。

聖書は読んだことのない人が多い日本でも、自身のお父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃんの誕生日や命日は忘れても 世界中でケーキやごちそうを囲み乾杯する今日。

きっと、こっちの世界ではキリストを知ることもなく 流れの中、ケーキやごちそうを食べ乾杯しお祝いしている姿を  神さまは笑い地球に住む全ての人に最高の愛の光を与え続けてくれてると・・・

聖なる日の今日改めて感じ、感謝いっぱいです。

神さまのいたずら

スキーが好きで好きで大好きで、朝から晩まで もっともっと…と滑り続けた青春時代。

そんな私を知ってか知らずか、1991年に初めて愛媛代表として出場した八方尾根スキー場での全日本スキー技術戦。

実はその大会がどんなものかも知らず、四国大会→西日本大会と出場し、愛媛ではまだ誰も出たことがなかった全日本技術戦。

その大会の凄さもわからぬまま、出場。

そこでのウェーデルンとまだ読んでた頃の競技。今でいう急斜面での小回りターン。

いつもの年よりも緩いと言われる名木山のこぶ斜面。

ゼッケンを付け、スタート地点に立ったけれども どこをどう滑れば良いのか全く分からぬまま顔から火が出そうなくらい恥ずかしい滑りでゴール…そして涙。

今、思い出しても あの日のあの場面は私の人生最大のピンチだった様な・・・いやいや幼稚園の頃、練習もせずに 楽譜なしでみんなの前に出さされ 間違いながら弾いたあのピアノの発表会の時と同じ。

恥ずかしくて恥ずかしくて穴が有ったら入りたい様な出来事。

ピアノと大きく違うのは、スキーは私が選んだ道だから…。

このツラく 恥ずかしい思いをしたことが また私の人生の転機ともなり、1991年の志賀高原でのスキー学校が閉校後 春にスキー場がオープンするという山形の月山スキー場へ向かい 全く初めて訪れた月山でいきなり人生初の居候生活もスタート。

月山へは、1991年から1995年まで もう今は天に還ってしまったけれど、当時70歳を過ぎたお爺ちゃんとお婆ちゃんの経営する“ロッヂかしわや”で初めての年は居候。

翌年からは春ゴールデンウェークの前から雪が溶ける6月下旬ころまで、平日2~3時間アルバイトの仲間と交代に滑りに行かせてもらって、あの苦い思い出のこぶ斜面の練習。

お爺ちゃんとお婆ちゃんの経営する「かしわや」に巡り会えたからこそ5年間も月山に行けたんだと、やはりあの日かしわやの扉を開いて良かったと、今更ながら感謝。

おかげさまで、1995年に出場した全日本スキー技術戦 不整地小回りターンでは、「雪とお友達」っていう感じで月山の宿のお客さんが、ラッパ鳴らしてくれての応援も入り、予選通過は到底出来ないものの   目の前に次々と現れるこぶ斜面を先取り。気持ちよ~く軽快に滑らせて頂きました。

ところが、いつもの年のように春 月山でアルバイトしながら滑ってた所、転んでもなく逆に おっ!いい感じ…いい感じ!!って滑った直後、膝がガクガクとなり、結果 前十字靭帯断裂(>_<)

しかも、その頃なんの医学的知識もない私。いつもかかってた鶴岡にある整体の先生の所へ。

そうしたら、先生曰く「後ろ向きに歩いて登るといいよ」…と。

数日たって腫れも引いたので、後ろ向きに歩いて、まだ滑りに行ってたんだから本当にバカそのもの。

で、夏 地元に戻り、運動具屋さんでアルバイトしてた時ずっと立っていたり、重いものを持った時は すぐに膝が腫れたり痛くなったり…。

お客さんにどこかいい整体の先生いないですか?ってまだ聞いてたくらい、私自身 靭帯が切れてるとも思っていなくて…トホホ。

そして、整体ではないけどいい整形外科があるよ!っていうことで、あのけがから3~4か月くらい経って整形外科に!!

整形外科的テストの結果、切れてる可能性が高いからと 大きい病院へ。そして、内視鏡手術。

ちょうど執刀医の先生が、「自分の体の中なんて、めったに見れないから目を開けて見れたら見てて」と言うので、ずっと内視鏡で映し出される画像を見させてもらい、半月板のササクレだった部分や、ほぼ全滅してしまってる前十字靭帯もこの目で確認。

その場で再建手術は無理なので、靭帯切れたまま1996年はシーズンイン。

装具を装着してたものの、今思えば 若かったし、バカだったな~と。もっと自分自身の身体大事にしてあげてれば良かったと、深く反省。

1996年春になると同時に、スキー学校の仲間が教えてくれた横浜にある「港湾病院」で再建手術。

屋上に上がると、ランドマークが良く見え、勝手に「ホテル港湾」と言いながら楽しく入院生活を過ごさせてもらった次第。

前の会社の東京や千葉に住む同期の仲間や、横浜に住むスキー学校の仲間にも、「今横浜で入院中。遊びに来て~」と…。

横須賀の友達の所へは、外泊もらって松葉づえつきながら泊まりに行ったことも…。

このケガをしたことで、また今の仕事カイロプラクティックにも出会えたようなものだから、まさに「ケガの功名」

神さまは 本当に いたずらがお好き。

 

 

やりたい事とやるべき事

あの日、あの時、あの出来事があったからこそ、今がある?

54歳の今、このブログを書くことになり 改めてこれまでの人生を振り返ってみると、あのスキー場で出会ったひとりの素敵なお姉さんとの出会いから・・・http://taiyohanasaku.waterblue.ws/chieko/wordpress/2016/10/28/始まりは出会いから/

そして、志賀高原でのインストラクターとしての生活の始まりは同時にその頃言われ始めた「フリーター」という、生活へ。

その前に会社を解雇されるという「リストラ」まで経験してるのだから、今思えば かなり時代の先端いってる!って感じでしょうか?

夏は、スキーショップで働き、冬はインストラクター。

時間の許す限りジムにも通ってたあの頃・・・。

先日朝のドラマ「べっぴんさん」の中で、言ってた言葉

        “やりたい事とやるべき事が一致している”  

その事に出会うこと  

それは奇跡の様なこと・・・

1988年から1997年まで26歳から35歳までのスキーの事だけ思い過ごした毎日。   本当に奇跡の様な日々。

そして、今の私だからこそわかる 私自身も知らない私を知っている 大いなる存在。

ただその大いなる存在も 私自身の中で、求め 探し 動いたからこそなのだと…。

そして出会えた奇跡の様な毎日にも、

試練はあるんだから・・・ 

人生は面白い!

「主は、愛するものを戒められる。あたかも父がその愛する子を戒めるように…」  と聖書の中にもあるように…。

あ~ この試練の頃から、神さまのえこひいきは始まってたんだな~と思う
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