神さまのいたずら

スキーが好きで好きで大好きで、朝から晩まで もっともっと…と滑り続けた青春時代。

そんな私を知ってか知らずか、1991年に初めて愛媛代表として出場した八方尾根スキー場での全日本スキー技術戦。

実はその大会がどんなものかも知らず、四国大会→西日本大会と出場し、愛媛ではまだ誰も出たことがなかった全日本技術戦。

その大会の凄さもわからぬまま、出場。

そこでのウェーデルンとまだ読んでた頃の競技。今でいう急斜面での小回りターン。

いつもの年よりも緩いと言われる名木山のこぶ斜面。

ゼッケンを付け、スタート地点に立ったけれども どこをどう滑れば良いのか全く分からぬまま顔から火が出そうなくらい恥ずかしい滑りでゴール…そして涙。

今、思い出しても あの日のあの場面は私の人生最大のピンチだった様な・・・いやいや幼稚園の頃、練習もせずに 楽譜なしでみんなの前に出さされ 間違いながら弾いたあのピアノの発表会の時と同じ。

恥ずかしくて恥ずかしくて穴が有ったら入りたい様な出来事。

ピアノと大きく違うのは、スキーは私が選んだ道だから…。

このツラく 恥ずかしい思いをしたことが また私の人生の転機ともなり、1991年の志賀高原でのスキー学校が閉校後 春にスキー場がオープンするという山形の月山スキー場へ向かい 全く初めて訪れた月山でいきなり人生初の居候生活もスタート。

月山へは、1991年から1995年まで もう今は天に還ってしまったけれど、当時70歳を過ぎたお爺ちゃんとお婆ちゃんの経営する“ロッヂかしわや”で初めての年は居候。

翌年からは春ゴールデンウェークの前から雪が溶ける6月下旬ころまで、平日2~3時間アルバイトの仲間と交代に滑りに行かせてもらって、あの苦い思い出のこぶ斜面の練習。

お爺ちゃんとお婆ちゃんの経営する「かしわや」に巡り会えたからこそ5年間も月山に行けたんだと、やはりあの日かしわやの扉を開いて良かったと、今更ながら感謝。

おかげさまで、1995年に出場した全日本スキー技術戦 不整地小回りターンでは、「雪とお友達」っていう感じで月山の宿のお客さんが、ラッパ鳴らしてくれての応援も入り、予選通過は到底出来ないものの   目の前に次々と現れるこぶ斜面を先取り。気持ちよ~く軽快に滑らせて頂きました。

ところが、いつもの年のように春 月山でアルバイトしながら滑ってた所、転んでもなく逆に おっ!いい感じ…いい感じ!!って滑った直後、膝がガクガクとなり、結果 前十字靭帯断裂(>_<)

しかも、その頃なんの医学的知識もない私。いつもかかってた鶴岡にある整体の先生の所へ。

そうしたら、先生曰く「後ろ向きに歩いて登るといいよ」…と。

数日たって腫れも引いたので、後ろ向きに歩いて、まだ滑りに行ってたんだから本当にバカそのもの。

で、夏 地元に戻り、運動具屋さんでアルバイトしてた時ずっと立っていたり、重いものを持った時は すぐに膝が腫れたり痛くなったり…。

お客さんにどこかいい整体の先生いないですか?ってまだ聞いてたくらい、私自身 靭帯が切れてるとも思っていなくて…トホホ。

そして、整体ではないけどいい整形外科があるよ!っていうことで、あのけがから3~4か月くらい経って整形外科に!!

整形外科的テストの結果、切れてる可能性が高いからと 大きい病院へ。そして、内視鏡手術。

ちょうど執刀医の先生が、「自分の体の中なんて、めったに見れないから目を開けて見れたら見てて」と言うので、ずっと内視鏡で映し出される画像を見させてもらい、半月板のササクレだった部分や、ほぼ全滅してしまってる前十字靭帯もこの目で確認。

その場で再建手術は無理なので、靭帯切れたまま1996年はシーズンイン。

装具を装着してたものの、今思えば 若かったし、バカだったな~と。もっと自分自身の身体大事にしてあげてれば良かったと、深く反省。

1996年春になると同時に、スキー学校の仲間が教えてくれた横浜にある「港湾病院」で再建手術。

屋上に上がると、ランドマークが良く見え、勝手に「ホテル港湾」と言いながら楽しく入院生活を過ごさせてもらった次第。

前の会社の東京や千葉に住む同期の仲間や、横浜に住むスキー学校の仲間にも、「今横浜で入院中。遊びに来て~」と…。

横須賀の友達の所へは、外泊もらって松葉づえつきながら泊まりに行ったことも…。

このケガをしたことで、また今の仕事カイロプラクティックにも出会えたようなものだから、まさに「ケガの功名」

神さまは 本当に いたずらがお好き。

 

 

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