愛媛竹田研究会

太陽院院長 近藤  千恵子です(*^_^*)

今日は、今年最後の愛媛竹田研究会…主人と参加して参りました。

明治天皇の玄孫…竹田恒泰氏が古事記と時事問題を 分かりやすく伝えて下さる竹田研究会は四国では愛媛だけで開催。

数年前までは、毎月開催されていた竹田研究会も昨年辺りから3ヶ月に一度…そして、来年からは年に3回ほどになってしまうそう…

古事記も今日15代応仁天皇まで勉強させて頂き、次回は仁徳天皇…上の巻、中の巻が終わり、下の巻へと突入。

そして、時事問題は4月30日に退位され5月1日に即位の儀が執り行われることで、わずかな時間だけれども「空位」が出来てしまう事を竹田先生自ら力説。

そして、退位ではなく、譲位と言って欲しいとも…

んんん~なるほど…。

昭和天皇の崩御されたあと、すぐに同じ日に即位の儀が執り行われ…そして、新しい「平成」の時代が翌日0:00~始まった時の事を改めて話して頂き、なるほど…なるほど…と納得。

平成に元号が決まった時、なんか言いにくいな~と思いながらも、30年経った今では、当たり前に平成も使われ…そして来年平成30年で平成も終盤。

2019年5月1日から126代目となる日本の皇室。

竹田研究会に参加させて頂くようになって、丸6年。元皇族の竹田先生だから伝えて頂ける皇室のこと…天皇陛下のこと…そして日本のこと。

本当に有り難い時間です。

知れば知るほど、マスコミやテレビによって知らず知らず洗脳されている我々国民。

毎回6時半から始まり、ノンストップで絶好調でお話が繰り広げられ…いつも終了時間21時半を過ぎ…。

会場の松山椿神社まで車で1時間半はかかるけれど、あの場でお話を聴かせて頂くと、今日も来て良かった~と実感。

そして、帰りに食べる「天下一品」のこってりラーメンはうちら夫婦の定番となり…今日もしっかり食べて戻って参りました。

次回は来年3月28日(水)

初めて参加の方は、紹介があれば1,000円で受講可能。

是非、竹田先生の「日本を楽しく学ぼう」と全国で繰り広げられてる竹田研究会…参加されてみて下さいませ(^^)/

母の宝物

太陽院院長 近藤  千恵子です(^^)

今日、19日は2013年天に還って逝った母の命日。

朝から何やら時間が取れず、お墓詣りにも行けず…過ぎた一日。

そして、夜探し物をしていたら出てきた一冊のファイル。

開いてみると、母が読売新聞の地方版に、投稿し掲載された短歌や川柳

そして、姉の子供…孫たちの顔が掲載された新聞の切り抜きや幼稚園から送られたおじいちゃんおばあちゃんへのはがき。

母の宝物の数々。

歌会始の切り抜きもあり、また来年の題「苗」の募集要領が切り抜かれていたので、秘かに出していたのかも…。

切り抜きの短歌は…

湯の谷の 湯より上りて 赤々と 稲田を染むる 夕日見てをり

寺の門 足早に入る 遍路らの 白衣は染みぬ 極む もみぢに

そして川柳には…

冬物を もうひと洗い 梅雨晴れ間

立秋が 高校野球で 出番待ち

孫三人 縫上げも出来 七五三

老い二人 登校児等の 声で起き

おばあちゃん あのねのあとは 内緒ごと

手の切れる ようなお札の お年玉

そして、俳句はひとつ

リハビリの 部屋に桜の 花ざかり

そして、そんな新聞の切り抜きと共にはさまれていた 「パーキンソン病」に関する記事の数々。

切り抜きは、平成6年~7年

今から、22~23年前。

母が57~58歳の頃のもの。

今日、母の命日に「見つけて~」と、出てきたような母の宝物たち。

そして、そのなかに私の長野の住所と便箋も挟んであり 千恵  と、震える文字の書きかけの便箋が一枚…。

若い時は うるさいな~とも感じていた母。

病気で身体が動かなくなり…喧嘩することも出来なくなって やっと知る母の存在の大きさ。

そして、命日となる今日 母の宝物のような短歌や俳句などが掲載された新聞の切り抜きに 母の生きてた頃の僖びを共有。

そして、私 やっぱり母の娘に生まれて来て良かったな~と、改めて思った命日の今日でした。

 

 

 

日本の国のお誕生日に向けて…

太陽院院長 近藤  千恵子です(^^♪

今朝、来年の2月11日の建国記念日奉祝大会実行委員会に参加して参りました。

例年、石鎚神社会館で開催されていた奉祝行事。

今年は、西条市総合文化会館の大ホールでの開催。

石鎚神社の神社会館では400名程の座席が満席になってはいたものの、今回の総合文化会館大ホールは、900名弱入れる会場。

12月…一週間後に訪れるイエス様のお誕生日を世界中が待ちわびるけれど、私達日本人にとっては、この日本という国が生まれた日…2月11日も共に歓び分かち合いたい日。

日本国の誕生日♡

来年皇紀2678年…イエスさま誕生の日より660年前に出来たアジアの東にある神国日本。

660年後に生まれたひとりの男性の歴史が書かれた聖書と、世界一永く続いている私たちの祖国日本が出来るまでの神話と歴史が書かれた古事記。

古事記は、イザナギ・イザナミによる国生みから始まり、天孫降臨、国譲り…と神々のお話から始まり、神武天皇の東征によってされた日本の建国。

私自身、この世に生まれて来るためには 父と母がお見合いをし 出会い結婚したことによって 今こうして地上で存在している肉体。

その父と母にも、両親がいて…またその両親にもそれぞれ両親がいて…受け継がれてきた命の歴史。

今日、来年の建国記念奉祝大会の会場が大きくなったことで、もっと大勢の方々に知ってもらいたいけれど、市の教育委員会やメディアでは取り上げることが、タブーらしく…

あ~あ…本当に日本大丈夫???と首をかしげたくなるばかり…。

戦後、作られた経済の急成長と、西洋化。

そして、利己主義の世の中…。

日本を選んで生まれて来た1億2000万人 とり一人の魂は、きっと胸の奥深い所で、

「いやだ!!いやだ!!…こんな為に日本に生まれて来た分けじゃない!!」と、叫んでいる魂も有るのかも…。

わけわからず誰かを傷つけたり、いじめたり…叫びたくなったり…。

肉体と魂のバランスが保てず、うつ病に悩まされたり…死にたくなったり…。

何もかもが手に入る世の中だからこそ、ぽっかり空いた自分の身体の中の空洞。

きっと、一人ひとりが生きて行くうえで もっとも大切なこと…自分のルーツ。

両親の良い所も嫌な所も全て受け入れることで、愛せる自分の存在。そして、また自分自身の良い所も嫌な所も知り受け入れることで、輝く自分自身。

日本の国のルーツを知る!!そして、日本の国を知る!!
そして、誇りに思い…歓び…愛する♡

家族にも…友達にも…自分自身にも繋がる愛へと繋がる道。

来年、西条での建国記念奉祝行事には、ブログ界の巨匠…ねずさんこと、小名木 善行氏♡

歴史はもちろん…古事記も百人一首もカタカムナもヲシテ文字も 何でこんなにも分かりやすく…しかも詳しいの???と言いたいほどのねずさんの伝えてくれる様々なこと。

きっと地方で、ねずさんのお話を聴けることは草々なく しかも建国記念奉祝大会は無料。

今年は、抽選会まであり大盤振る舞い!!

来年皇紀2678年、奈良の橿原で 日本国として誕生した私たちの住む日本のお誕生日2月11日。

どうか是非、西条文化会館大ホールにお集まり下さいませ!!

徒然なるままに…

太陽院院長 近藤  千恵子です(^^)/

昨年10月…太陽院と花咲塾のホームページが完成し、それと同時に作ってもらった「太陽院院長のブログ」

日記もまともに続けたことのない私。

せっかくブログが書けるようになったので、何日か書いてみたけれど、何だかスラスラと書くことが出来ず…

しばらく放置。

で、ホームページを作ってくれた主人に、「ブログ…なんか書きにくいんだけど…」と言ってみると、フォームがいろいろあるから 変えてみる?と…。

で、変えてみたところ…「ん?良いかも…」

書ける…書ける…。

そして、書き始めたブログ…何だか昨日の投稿が366日目…

今日は367日目に!!

三日坊主から脱却~(*^^)v

出来る限り毎日更新を目標に、コツコツ コツコツ書いてるうちに、習慣になり…。

そして、日常生活の中で 今日はこれを書いてみよう!!

なんて…些細なことも頭の中で整理し過ごし…夜、コツコツ書くのが楽しみになり…

まるまる1年分

元来、不器用でスキーやってた時も、人よりいっぱい練習することで、必ず上手くなると信じ滑っていたあの頃…。

このブログも同じ…。

ちょっと変わった私が、ひとりコツコツ…書き続けてみたこの1年。

何年も毎日毎日書き続けている人が多い中、書くことの難しさや楽しさも感じることが出来…。

そして、いつまで続けられるかわからないけれど、せっかくの習慣。

歯磨きするように…

しっかりブログ書き続けてみたいな~と、367日目を迎えた今日思わされてます。

徒然なるままに…。

 

赤いりんごに唇寄せて…♬

太陽院院長 近藤  千恵子です(*’▽’)

先日、長野県志賀高原の麓…山ノ内町に住む友達から、りんごが届きました。

長野オリンピックの前は、大きなりんご園だったその家も、オリンピック道路が出来ることで、リンゴの木は身内で食べるほどの本数になったそうで…

毎年、販売用でなく家庭用に育てられたりんごをひと箱 送ってくれてました。

そして、今年も12月に届けてくれたリンゴは、彼女の愛と優しさがいっぱい詰まって我が家へ…。

そして、必ず入ってる手紙を楽しみに開いてみると…

母も年をとり、そしてリンゴの木も老木に…。来年は送れるかどうかわからないよ。

と、書かれた手紙。

私と同じ年の、彼女は山ノ内町生まれの山の内育ち。

ちょうどスキーのインストラクターをやってた頃、家を貸してもらってた温泉まんじゅう屋さんで働いてた彼女と出会い、それから一緒にカイロプラクティックも学んだ仲間…

彼女が高校生の頃 お父さんが脳出血で倒れ…その後お母さんや姉妹たちで りんご園を守り…お父さんを介護し…。

お母さんは、リンゴの木が好きで好きで大好きで…リンゴ園を持ってる家にお嫁に来たことが嬉しかったそうで…

毎年真っ赤な実をつける可愛いリンゴたちが お母さんの元氣の源。

氣丈なお母さんとも もう15年ほど会っておらず、近くならば会いに行けるのに…と、真っ赤なりんごを見ながら 時の流れと、距離の遠さを感じてしまう私自身も、年をとったな~とも…。

愛媛から長野への距離を車で走り…、また長野から山形への距離を遠いとも思わず雪を求めて動いてた青春の日々。

今でも、車の運転は嫌いでは無く、ホントどこにでも運転していきたいけれど、周りの状況が色々変わり  自分の事だけを思って動けてた時代とは違う今。

昔、聴いた歌に

北で生まれた僕が寒さに震え…
南で生まれた君が汗かいていた

日本にはたくさんの人が住んでるけど
こうして出会ったのも  何かの縁でしょう

という歌詞が凄く好きで 本当に1億3000万人…世界には70億人もの人が住んでいながら、出会える人は、ほんのわずか…。

日本にはスキー場もいっぱいあるけれど、志賀高原に引き寄せられ、そして出会った借りてた家の大家さんやりんごを送ってくれる友達。

あと私の人生が何年あるのか、どんな人とまたこれから ご縁があるのか…想像も出来ないけれど、限りある動ける時…

また長野まで軽やかに車走らせて会いに行きたい!!と、真っ赤なりんごを前に思う友の存在。

そんな友が居ること…出合せて頂いてる天の計らいに感謝です♡

 

伊勢の修養団

太陽院院長 近藤  千恵子です(´▽`*)

今朝、地元 伊曾乃神社での朝10時からの師走の月次祭に、参列させて頂きました。

伊勢の神宮でも、15日夜は外宮さん…16日夜は内宮さんで粛々とかがり火の中、ご神事が執り行われる月次祭…

数多い一年の神宮のご神事の中でも、6月の月次祭と10月の神嘗祭、そして12月の月次祭は三節祭として、大変重要なご神事なのだとか…。

7年前2010年11月に、三重県津市の工務店の社長赤塚高仁さんに 誘っていただき、初めて参加した伊勢修養団での「神話を体感する会」

正座行から始まり、童心行、反省行、そして12月寒波の押し寄せる中での五十鈴川の禊…。

初めて参加させてもらった2010年12月16日~17日の「神話を体感する会」は、脳出血からまだ3年経つか経たないかの半身不随の主人を、ひとり置いて行くことも考えられず夫婦と愛媛の友達5人で参加。

参加することになったのは、ちょうど西条での第4回のエドガー・ケイシー探求講座。

第3回のケイシー講座の時に初めて赤塚さんに西条でお話頂き 私の中の何かにせかされるように、第4回のケイシー講座にも特別ゲストで来ていただいた赤塚さん。

第3回のケイシー講座の時は、ちょうど「はやぶさ」がみつかり地球に帰還する前の2008年8月7日。

第4回は3ヶ月後の11月。

その時は、ペリリュー島のお話しを初めて聞かせて頂き、そしてイエス様ではなく、昭和天皇とマッカーサー元帥との秘密の謁見のお話し。

天皇陛下の存在の有難さを魂の底から感謝が沸き上がり 知ったことで、伊勢の扉が開いてくれたのか…第4回の講座後の懇親会の時、

ケイシーセンター会長の光田先生を囲むテーブルでお話しを聴いてたところ…ふと赤塚さんを囲むテーブルへ向きを変えると、五十鈴川での禊に話が盛り上がってた様で…

「千恵子さんも行く?五十鈴川での禊もあるんだってよ!!」と…

実は、「そんな寒いのいや~」と断ってくれると思い、私に話をふったらしいのだけど…

もともと 荒行大好きな変な私…興味津々で聞き…そして、「主人も行っても大丈夫ですか?」と、聞いたところ…赤塚さんがニコニコ笑いながら「大丈夫!大丈夫!!」と…。

赤塚さんが言うなら…と、私と主人、そしてその日話を聞いてた仲間と5人で12月の月次祭に合わせた「神話を体感する会」へ…。

五十鈴川への禊場がどこにあるのか?

童心行が何なのか?

何も分からない私達ふたり…。

無我夢中でついて行き…夜の五十鈴川の禊では、男性4人に付き添われ…私たちが「禊」終わったころ やっと禊場に到着した主人と介助してくれてる方々。

その中に、「うさと」の佐藤 うさぶろうさんも 主人をサポートしてくれてたり…

そして、禊の後は 短い時間で正装に着替え…神宮に行くというのに、なかなか主人たち一行は戻って来ず…

遠くの方で聞こえるピーポー ピーポーという救急車のサイレンの音に、不安も募り…

そんな中、禊場から車で連れて戻ってくれたり、着替えた後神宮まで車を出してくれたりと、色々お世話をしてくれたのが 伊勢のおもてなし隊の 島  京子さんと斎田  信子さん。

翌年の6月もお二人が、うちの主人が来るからと…張り切ってお手伝いしてくれたほど…

主人が身体が不自由な事で、逆に初めて会う方々に覚えてもらい 様々な状況の中優しさが身に沁み…。

有難いな~と。

神宮内のご神事の際にも、修養団の先生方が一緒に車いすを押して下さり、神宮内の細かい説明も教えて頂けたり…

初めて参加させてもらった二日間は、あれよあれよと盛りだくさんな中終わり…そして二人で来られたことに終わった後、感動の涙。

赤塚さんの「大丈夫!大丈夫!!」という言葉に、何も知らず飛び込み…途中大丈夫じゃない!!とも思いながらも…やり遂げられた2日間。

懲りずに、次の6月の「伊勢の風を感じる会」にも夫婦ふたりで参加したほどだから、やっぱり何か我々を虜にするものがあるのかも…。

主人は、その後家で留守番するほうが、いい事に氣づき…(笑)私がいつも近藤家代表で、お伊勢さんへ…

伊勢の神宮にご縁をいただいた事で、地元の神社の有難さにも氣付くことが出き…

昨年の6月の月次祭以来、伊勢にお参りもしていないけれど、2000年続く日本人の心のふるさと伊勢の神宮。

明日も、寒波の中
「五十鈴川 清き流れの 末汲みて 心を洗へ 秋津島人」

と、和歌が朗詠され素晴らしい日本人ならではの修業を  身を持って体感されるのだな~と思うと、私自身も身が引き締まります。

今年は、例年に比べて 寒さが一層厳しい冬。

愛媛から どうか良き二日間となりますよう…魂いっぱい祈ります。

 

生と死を見つめて…

太陽院院長 近藤  千恵子です(*^^)v

8日、インフルエンザA型と診断された叔母…ようやく熱も平熱になり、あと数日でデイサービスにも行けるかな?と思ってた12日朝、排泄物に大量の出血。

えっ?何これ??何処からの出血?

と、思い主治医に相談に…。

インフルエンザにもかかってるから、あと少し様子見て総合病院に紹介状書いてもらうことに…。

ところが、その日の夜も…翌日の朝も…出血が続き…原因が分からないだけに心配!!

で、昨日インフルエンザ以来姉がみてもらってた叔母、我が家に戻り 8日から入ってなかった水素のお風呂に入り…膣からの出血かと、まずは産婦人科へ…。

2年程前にも 大量出血した事もあり、その時は原因も分からないまま 出血も止まり…

今回2度目っていうことで、しっかり調べてもらったところ、婦人科系の原因でもない様で…もしかして「ぢ」かも?っていうことで総合病院の外科に紹介状書いてもらい…

今朝9時、早速受診。

先ずは「ぢ」の疑いも消え、大腸が原因かも…?と言うことで、明日内視鏡検査するために入院することに…。

病院内、腹部のCT撮りに行ったり…入院するために肺のレントゲン撮ったり…大きな病院を3階に行ったり、1階に行ったり…。

そして、4階に入院。

インフルエンザで体力弱ったことで起こったのか?

もともと病気が隠れていたのか?

結果がちゃんとわかれば良いんだけれど…。

しかし正直、叔母が入院してくれたことで、ちょっと介護から解放される自分が居て…

しばらく入院してくれても良いかも…なんて思う私。

叔母は年が明けると87歳。

まだまだ…と言えばまだまだ平均寿命くらい。

ただ、何もかも忘れてしまう認知症の叔母にとっては、長生きってどうなんだろう?と今日色々検査を受ける姿をみて 改めて思ってしまったりもして…。

母の介護の時、何も話せなくても この身体がこの世にいてくれてたことが嬉しくて、病室に行き全身にオイルマッサージし…触れることが嬉しくて…。

母の時ほどではないけれど、半年も一緒に生活すると 普段元氣すぎるほど元氣な叔母さんの人生の終焉の時を思うと 大変ではあるけれど また寂しくもあり…。

生きるも死ぬも…天任せ!!恐れた奴が負けなのさ…。

この世の旅路の中、親子として…叔母と姪として…夫婦として…姉妹として…友として…出会わせて頂いたご縁の数々に改めて感謝(´▽`*)

 

歳神様をお迎えする為に…

太陽院院長 近藤  千恵子です(*^^)v

今日13日は、すす払いの日と言うことで、伊曾乃神社の敬神婦人会で御本殿や境内をお掃除。

すす払いを始める前、御神事で私たちの身も浄めて頂いた後 長い長い笹竹で、お社のすす払い。

今年初めてお手伝いさせて頂き、お社を隅から隅まで 笹竹で こちょ こちょくすぐる様にすす払い。

きっと神さま…くすぐったかったはず(^^)

そして、来る年の五穀豊穣を約束してくれるという 歳神さまをお迎えするための大切な行事。

今日13日にするようになったのは、江戸時代江戸城のすす払いが12月13日だったから…全国の神社仏閣でもこの日にするようになったのだとか。

平安時代から、目には見えない 歳神さまを迎える御神事。

社を笹竹で こちょこちょ しながら 勝手に私の頭の中はタイムトリップ。

伊曾乃神社は今年1880年を迎え、悠久の歴史を越え 続く平安への誘い。

そして、しなやかながらも強い笹竹にも驚き…。

御本殿の隅から隅までこちょこちょ…境内のすべての社をこちょこちょさせて頂きましたが、笹の葉は取れることも無く、枝が折れることも無く…

すす払いに笹竹を使うようになったのもきっと日本人の知恵。

そして、すす払いの後の直会では、ぶり丼に大根やキンカン、ブリ焼きにぶりの御汁。

美味しく頂戴し…清々しい氣持ちで我が家へ…。

我が家のすす払いも さてさて頑張らねば…(*^_^*)

 

12.12

太陽院院長 近藤  千恵子です(*^^)v

今日は、12.12…。

ワンツー、ワンツー!!元氣が出る数字。

そして、今日は コズミック・ダイアリー13の月の「倍音の月の28日」

明日からは、「リズムの月」

7月26日から始まった13の月も5つ目の月が終わり…6つ目の月。

リズムの月は 人と、植物と、動物と、微生物にいたるまで、平等であること。

それが、宇宙の構造…そんな平等を広がる月。

んんん~ 人も 花も 鳥も 動物も アメンボも ミジンコも…みんな同じ宇宙の中 同じリズムで 生まれ死んでいくもの。

そこに、上も下もなく…平等。

29年前、平成が始まった時…「この平成の時代は、いろいろなモノが平らに成る」と、言った人がいて…

誠に、平成始まってすぐバブルは崩壊し…30年目を迎える今、「全てのモノが平に成って来たような」

名は体を表すと、言われるけれど…誠に平成の時代 その通りだと思わされます。

隠されたモノが表に出て、表にあるモノが 綺麗に整理され…

太陽院と言う名前も付けてもらった時、おそれ多く もったいなく 遍く世の人々を照らす存在…

アマテラスであり、南無大師遍照金剛である 太陽。

私は、そんな名前に恥じない様に 生きて行きたいと願うばかり…。

そして、2年程前出逢った方が 私の名前「千恵子」を、千めぐむ人だと…。

私自身、小さい頃から、千めぐまれる子なんだと 思っていたけれど、千人の人…たくさんの人を恵む役割何だと 知り…そっか~と、何だか大きな荷物を背負う覚悟をさせられたような…

そして、その大きな荷物を背負う覚悟の私を支えてくれるのが、聖書の一句

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

まさに、主にすがる我に悩みはなし…です。

そして、徳川家康もまた、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」と…。

人には人の生き方…植物には植物の生き方、動物には動物の生き方、微生物には微生物の生き方。

平穏に、背伸びせず…まさにワンツー、ワンツーです。

 

あらゆることが相まって 益へと導かれ…

太陽院院長 近藤  千恵子です(*´з`)♥

毎日、寒いです!!

洗濯物もシャキっと乾いてくれず、あの夏の陽射しが懐かしい毎日。

今夜は、また特に冷え込みます。

先週8日、私が大阪に行った日  一緒に暮らしている認知症の叔母はインフルエンザA型だと診断され…

ちょうど姉が  8日からずっと代わりにみてくれており 今日、3時間ほど手伝いに行ってみると、叔母…熱は平熱になったものの身体はシャキンとしない様で、立つのがやっと…。

元氣な時は、あれやこれや触ったり ペラペラしゃべったりしてたものの、今はずっと横になってるだけ。

他の人にうつっては大変と…一週間ほどは、デイサービスもお休み。

こんな時、姉妹が近くに居るのは本当に有難い。

まっ!姉にとっても叔母さんだし…実際叔母は姉の方を小さい時から可愛がってて…

今でも、本人の区別はつかないけれど、姉の名前はちゃんと覚えてるほど…。

まっ!どこの家でも 第一子ほど可愛い者はなく…しかし また初めての子育てで、余裕などは無く…。

末っ子の私からすると、不器用な姉は(ゴメン)何もかも母や叔母のあやつり人形のような 育ち方のせいもあるような…。

姉や叔母の望む通りに、学校の成績も良く 中学校の頃は生徒会の役員までするような姉。

洋裁をやってた叔母は、「〇〇高校じゃなかったら  制服なんか縫わんよ!!」とも言ったとか…。

今でこそ10年程前合併し、高校の数も増えては来たけれど、昔は市内に二校だけ…

私自身は、末っ子だし 私の時まで熱い情熱が母や叔母には残っておらず…私は思い通りの隣の町の高校に。

しっかり、叔母には高校の制服も作ってもらい…。

叔母には、すっごく大事にしてもらったこともあるけれど、かなり自分本位の所があり、私達三姉妹の一人を養女に…と 誰かをエコヒイキしてみたり…

私の母に「あんたの子育てが間違ってる!!」と言ったり…。

実は、そんな叔母が私…世界で一番嫌いでした。

私が嫌うと、叔母も意地っ張りで 私の結婚式にも出なかったほど…。

そんな叔母と今、暮らし…数日我が家に居ないとなんだか氣が抜けたような…。

叔母が、認知症になってなかったら、今のような関係は絶対無かったかも…。

7年前…久しぶりに会った叔母は ひとりで暮らしていたものの 何度も同じことを話し…また知り合いの人に騙されてることが分かり…

急きょ、グループホームへ手続きし…入ることに。

認知症で無かったら、騙されることなどなかったかも知れないけれど、認知症になったから 私自身過去のことも覚えていない叔母を許すことが出来たり…

神さまは、あらゆることが相まって 益に導かれる…と言われるけれど、誠にその通りだと…。

今、叔母が姉の家で世話になってることも、私自身が一緒に住む様になった事も…全ての事が良き方に…。

今日、4日目は36.6分 平熱!!

インフルエンザの菌も、ちょうど今 かかって…身体の中に抗体をしっかり作ってもらっておくのが、良いのかも…。

また、氣が休まらない介護の毎日が始まるまで、私も身体にエネルギー蓄えておきます(´∀`)

最高の笑顔はすべての健康から