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真実の扉

真実ってなんでしょうか?

もし、生まれてお母さんが「りんご」を「みかん」と呼び、子供にも「りんご」を「みかん」と呼ばせたとしたら・・・。

昔、オオカミに育てられた少女は、オオカミの毎日の習慣を真似て育ったので、四つ足で歩き ご飯も口でかぶりついていたとか・・・。

当然、服を着ることもなく排泄後始末することも、オオカミの真似をして、オオカミがお手本ですから…。

人は、出会う人 目の前の人の真似をして育ちます。

人だけではないかも知れません。

「みにくいあひるの子」は、あひるの中で育ったので あひるだと信じ、周りのみんなと比べ劣等感を持つことさえあり…。

そこにある「りんご」は確実に存在する物体。

それを、呼ぶ名称が「りんご」と名付けられ、「りんご」とみんなが呼び、当たり前に継承されていく。

だから、社会生活で混乱が起こらず 過ごせているのかも知れない。

でも聖書の中、「バベルの搭」のお話の中では、神さまは全ての言葉を変えて、混乱させ、世界中  それぞれの言語で意思が通じ合わなくされたとも…。

日本人同士であれば、固有名詞はちゃんと伝わり良いのだけれど、生活習慣や思想的なもの…そういったものに関しては、やはり真実はひとつとは限らないように思えます。

実際、今の日本には、新興宗教やキリスト教、また仏教の中にも、宗派が色々あり、真実を「これだ!!」と決めることのないのが日本人の良い所でもあり…。

また、色々あるから迷っている人もいて…。

昨年から、太陽院で扱っている「水素」や「健康寝具」に関してもそう…。

「水素」は何か薬剤を入れるわけでも無く、水が電氣分解され発生するだけのものなので、悪くても現状維持。

良ければ、体液の質が変化し、また皮膚疾患にも変化が出てくるし、しかも冬は湯冷めもしにくく、私自身がイイと思ったので取り扱わせてもらっており、

「健康寝具」に関しても、開院以来20年以上扱ってますが、モデルチェンジもなく、また私自身が使用しているマットや枕も、20年以上使えており、

素材自体も“東レ”が開発した冬面は体温をこもらせてくれる“東レぺフ”、夏面は通気性に優れ、しっかり就寝時に身体をサポートし筋肉を緩め、

自分自身の持ってる自然治癒力を引き出してくれて、なにしろ施術の回数を減らせてくれる。

まっ、何を自分自身が信じるか!

信じたものが、真実と呼べるものであるかどうかは ひとりにひとつづつなのかも知れないし、誰が言ったものを信じるかどうかなのかも。

そして、モノだけでなく   やはり見えない世界のことは、

特に誰に出逢うか?何を信じるか?っていうのは、人生を豊かにもつまらなくもしてくれる氣がします。

私は、2008年エドガー・ケイシーを伝えてくれる日本エドガー・ケイシーセンター会長光田秀氏に出逢い、伝えて下さる様々なことが真実であると直感し、それから色々学ばせて頂きました。

そして、光田先生を通して語られる見えない世界や古代史、ケイシー療法の数々も…。

見えない世界だからこそ、人はあれこれ迷うけれど、伝え続けてくれる光田先生自身がぶれずにケイシーを信じ伝えてくれてるので、私は素直にそこに真実をみることが出来てるように感じます。

その光田先生から紹介してもらったもらった三重県津市の建設会社社長赤塚高仁氏。

聖書や古事記、日本のことや、天皇陛下のことそして、真実のイスラエル…なかなか伝えることが難しいことの数々を、わかりやすく伝えてくれる赤塚さん。

赤塚さんから伝えられるひとつひとつのことが、伊勢に行き、イスラエルに行き、皇居の勤労奉仕で天皇皇后両陛下の御会釈を賜り、そしてペリリューにも行かせて頂き…。

私自身もこの目でこの足で、感じさせてもらい、そして確実に真実の扉がひとつひとつ開かれていったと感じます。

何か見えないエネルギーに寄って、出会わせて頂いたお二人が、「りんご」を「みかん」と読んでたら、私も「みかん」と呼び始めるかも知れません。

お二人を知らない方は、「えっ!!大丈夫???」って思うかもしれませんが、私はそれで良いと思ってます。

事実はひとつだけれども、真実はひとりにひとつ。

誰に出逢い、何を信じ、何を感じるか…。

自分が、自分自身はこういう人間なんだ!と思ってることでさえ、また真実の自分自身は違うかも…。

そして、それがもし間違いだとしても、真の光を求めて動くこと事態を、きっと神さまは「よし!!」としてくれるのだと…。

新約聖書「エペソ人への手紙」より

神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、

御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。 

それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。

わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。

それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。

あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。

この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

20歳頃好きで聴いてた河島英五さんの「てんびんばかり」

 

月読命

古事記の中、「国づくり」を果たしたイザナギとイザナミの命。

その後、風の神、木の神、山の神、海の神、川の神、岩の神、石の神などなど自然の神様が次々と生まれ

最後に生んだ火の神さま。

この火の神さまを生んだところ、女神のイザナミさまは大やけどを負って死んでしまい、

残された男神イザナギさまは、寂しくて寂しくて「黄泉の国」へと逢いに行き・・・。

でも一足遅く「黄泉の国」の食べ物を食べてしまったイザナミは、もう元の世界には戻れないと…。

そこで、イザナミさまは「黄泉の国」を支配するものに、きいてみるから「私が良いというまで、この戸は開けないで下さいね」と、イザナギに言って中に入って行き…。

待ってたイザナギさまは、なかなか出て来ぬイザナミさまを待ちきれず 「開けてはいけない!」と言われた戸をこっそり開けてしまい…。

そこで見たものは、変わり果てた妻イザナミの姿。

「見たな~」「開けたな~」と、醜い姿になったイザナミ。

そして黄泉の国の者たちに追われ追われて、ようよう逃げたイザナギ様。

川のほとりにたどり着き、「あ~醜いものを見てしまった!」と、左目を洗うとアマテラスさまが生まれ。右目を洗うとツクヨミさまが…。そして、鼻を洗うとスサノオさまが誕生。

スサノオさまは、アマテラスさまの孫がこの地に降り またその孫がこの地を治めるまで、スサノオの子孫がこの地を治めており

アマテラスさまの世になった時も、スサノオさまの時も、夜の闇を照らし支配するのがツクヨミさま。

アマテラスさまが、天岩戸に隠れ闇の世になり困ったけれど、闇もまた必要。

闇があるから、光が生きる。

また光があるから、闇がまた尊い。

新約聖書「創世記」の中にも光と闇が創られる。

はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
今日は、今年初めての満月。

夜の闇を、明々と照らしてくれる。

実は2013年、私の母が亡くなる3日前の12月16日

ちょうど伊勢の外宮さんの隣にある「月夜見宮」をお参りさせてもらった時、照らす太陽がまぶしくて写真におさめようとした時、不思議な光が踊り輝いて見えて、月夜見宮でみたこの太陽の光は、お月さまを自ら光らせていることを感じさせてくれた様に思います。

2013年月夜見宮で撮った光の写真
自動代替テキストはありません。

そして、昨日のブログで書いたペリリュー。

勤労奉仕

このペリリュー島のあるパラオ共和国が、独立するとき国旗の選択をした際、一番人気があり決まったこのパラオの国旗。

パラオは日本のひとつの県にしてほしい!と願ったほど、日本が大好きで、国旗も日本の国旗に似たものが一番人気。

青い海に浮かんだ丸い月

月の光は、太陽の光を浴びて輝く。

太陽とは、日本のこと。

天皇陛下が訪問した日が、パラオの祝日に制定されたほど。

3000キロも離れた南の島で、先人が遺した大和心が今もなお生きていること…あのパラオの青い海を思いだす今日満月の夜。

聖なる導き

2010年5月、三重県津市の工務店の社長…赤塚高仁さんに会う前に聖書を知っておきたいなー!と、思い  市内のプロテスタントの教会に行き 毎週行われる日曜礼拝にも参加させてもらうようになりました。

礼拝が終わり、そのまま帰る日もあれば  婦人部での勉強会にも混ぜてもらうようになりました。

礼拝に来られてる方々は、本当に清らかで神様と共に生きる生き方をされておられました。

そんな中お昼の食事…愛餐会が終わり、婦人の方だけでのお話の中、ある方が「私などダメでダメで…」と謙遜しておられ、

それを聞いて私もったいないなーと思い

「こんなに素晴らしい聖書の世界を勉強しているのに、ダメなことはないと思いますよ。なかなか聖書を手にすることの出来ない人の方が多い中、こうやって勉強出来てること事態、幸せですから…」と…。

「そして、日本人は、イエス様のことが一番理解しやすい国民だと思います。だって国家のために命をかけた特攻隊の人たちはイエス・キリストの様なもの。」

「天皇陛下も国民のために命がけで祈り続けてくれてる方だし…」

と、話した途端 そこにいた婦人の方々から総攻撃。

イエス様と特攻隊を一緒にしないで!!
天皇陛下は神さまじゃない!!…と。

えっ???  日本人なのに…天皇陛下は神さまじゃないけど、古事記から続く神様に一番近い人だし、

戦争で国家のため命懸けで戦ってくれた人たちって、イエス様と同じとまでは言わないけれど、何かのために命をかけるって神さまの示した愛のかたちじゃないのかな?と思わされ…

でも、ここで言ってもきっと平行線。

賢くその場は「そうですか…」と。

でもその翌週の日曜礼拝あたりから、あんなに心躍りながら通ってた教会へあまり行かなくなり…。

そんな中、たまたまyoutubeで見つけた「凛として愛」という映画。

1/7~7/7まで続く動画。

1/7を見始めたのが、夜中。7/7が近づいた時には夜中3時も近くなりながら、主人とふたり泣きながら見終り。

そして、知ったのがこの映画、靖国神社で上映するために作られた映画なのに、たった2日上映されただけで上映中止になってしまった映画だと…。

この映画の泉水隆一監督は無念の中、天に還って逝かれたとか…。

この映画を知ったのは2012年。

そして、知ってしまったら  どうか多くの人にこの映画を観てもらいたい!!2012年8月18日西条の文化会館で上映会を開催。

そして、その時赤塚さんにも講演をお願いし、その後の懇親会でまた聖なる導きが…。

赤塚さんの沖縄のお友達が癌にかかり、何度もお見舞いに沖縄まで行った時、共に友達のために祈ってくれたという、キリストの幕屋という無教会宗派で伝道をされていた、竹下先生。

ちょうど愛媛松山で伝道をされており、赤塚さんが西条に講演に来られることを知り、映画「凛として愛」も観に来て下さり、懇親会にも参加して下さいました。

そして、私も御挨拶させてもらいプロテスタントの教会にも行ってるという事をお話させてもらったところ、

「あなたの魂は、教会では浮かばれませんよ」…と。

あっ!!はあ~…と。

「西条まで来ますよ。お勉強してみませんか?」…と。

即答しないまでも、竹下先生ご夫婦はすごく感じの良いご夫婦で、赤塚さんも良かったら竹下先生から学んでみたら…と声かけて下さり…。

そして、またまた翌週松山での明治天皇の玄孫竹田恒泰氏主幹の「竹田研究会」で竹下先生とも再会。

「いつ西条に行きましょうか?」との言葉に、その場にいた仲間と相談し「では来週の木曜日からでも…」という事で、8月最後の週の木曜日我が家で初めての幕屋の集会が開催されることに…。

集会当日、竹下先生夫婦と「凛として愛」を一緒に観に来てくれた仲間の方も一緒に来られ、

そして引き続いてピンポーンという音に玄関に出てみると、なんとなんと三重の赤塚さん!!!

あれほどビックリしたことはないほど、ビックリさせてもらって 仲間も加わり我が家での最初の集会。

讃美歌をみんなで歌い、竹下先生が初めて幕屋の集会に行った時のお話や聖霊を受けた話、赤塚さんとの出逢いの話等々  本当に聖霊舞い降りる有難い時間を過ごさせて頂きました。

その日から、毎月2回竹下先生が松山から来て下さり旧約聖書の初め「創世記」から学ばせて頂くことになりました。

なるほど、なるほど…「教会ではあなたの魂は浮かばれませんよ」と言われた竹下先生の言葉通り、日本人が大和の心で読み解く聖書。

内村鑑三氏があの「Boys,be  ambitious …」と言ったクラーク博士から、札幌農学校での在学中聖書を学び

大学卒業後、「聖書が読まれている国に行ってみたい!!」と熱い思いを胸に、アメリカに行ってはみたけれど、

聖書に書かれてる神の愛の世界を感じることが出来ず、日本に戻り、教会に神様はいない…と無教会主義を唱え

その内村鑑三氏の無教会主義の流れを受け、自ら戦後 熊本阿蘇の山の中で聖霊に打たれ、「キリストの幕屋」を創設した手島 郁郎氏。

ヘブライ語から聖書を読み解き、自らイスラエルに行き、聖書を日本の心で読み解いてきた手島郁郎氏が、説いてきた聖書の愛の世界。

竹下先生は出会った時、70歳を超えており また手島先生から直々に聖書を学び、聖霊に導かれ伝道してこられた素晴らしい方。

その竹下先生から、聖書を毎月2回仲間と共に、学ばせて頂き 2014年4月にはちょうど赤塚さんの呼びかけでイスラエルに行く際にも、

10日間で巡る先々の聖書のことを予習させてもらい、あの聖地イスラエルを巡らせてもらったことは、旅を何十倍も有意義なものにしてくれました。

おそらく竹下先生がお元氣な間は、我が家での聖書集会が続くものと思っていた所、あの私を聖書の世界へと導いてくれた赤塚さんが名古屋で10回の聖書講座を開催すると知り、

「参加したいな~。」

「でも竹下先生から学ばせてもらってるし、名古屋遠いしな~。」

と、思って迎えた2015年新年。

幕屋での新年聖会に参加させて頂き、祈る前に歌った讃美歌

「二つなき誓」

1、寂しさの 極みに耐えて 祈らまし 暮れゆく み空に 魂極るまで

2、主は近し 天主イエスの 世紀近し 熱き涙もて 聖前に誓う

3、二つなき 心を 主にとどめおき 我さえ我にぞ 別れぬるかな

4、生き死にも 神のまにまに キリストの 御使いのごとく    仕えまつらん

5、山は裂け 海はあせなん 世なりとも 主にふた心 我があらめやも

この讃美歌を聖会の中、竹下先生が選ばれ、この歌詞を知った時、私の心の中のふたつの心

・赤塚さんの聖書講座に行きたい!
・竹下先生が伝道できなくなったら我が家での幕屋の集会も終わらせてもらおう。

と、この竹下先生が伝道できなくなる=寝込んだり、この世でのお別れを望んでいるような私の心をみてしまい…

あ~こんな人の死を望むような自分がイヤで、そしてふたつの心を持つことなく、私を聖書の世界へ導いてくれた赤塚さんのされる名古屋での聖書講座に行かせてもらおう!!と、

そして、竹下先生は私の思いをおおらかに受けて下さり、2015年1月大いなるキリストの愛の恵みによって導かれた我が家での聖書集会最後の集会をきちんとさせて頂き、

2015年2月から10回名古屋に通わせてもらいました。

赤塚さんの伝えて下さる聖書の世界は、教会よりも、我が家での集会よりも  また素晴らしい聖書の学びの時を持たせていただきました。

その学びはまた、ゆっくりと書いてゆけると嬉しいです。

やまとこころで読む聖書の世界は、本当に世界までも変えていくと感じます。

聖なる書

2008年、「イエスを人生に招き入れる」というひとつのDVDで知った、赤塚高仁さん。

この人に、会いたい!!と思って2年たった2010年8月初めて西条に来て頂き会えることが決まった、5月。

赤塚さんに会うには、聖書知っておかないと!!…と、思い本屋さんへ。

エドガー・ケイシーの福音を伝えてくれる光田先生が、「新共同訳」の聖書がいいよ!!ということで、探してみたけど  聖書そのもののことを全く知らない私には、本屋さんで一冊を選ぶことが出来ず…。

主人が、教会に行ってみたらあるんじゃない?…との言葉を受けて教会を訪ねてみました。

初めて訪ねた教会で、小坊主さんのような、ちょうど神学大学を卒業したばかりの牧師さんが出て来られ、私が「聖書…新共同訳の聖書が欲しいんですが…」と言ったところ、ここにありますよ。

お貸ししますから、どうぞ持って帰って下さい。そして、良かったら日曜日 精霊が舞い降りるこの場所に来てみませんか?

そして、実はその日から2年半毎週日曜日、教会の日曜集会にも行かせて頂き、学ばせて頂きました。

スキーでオーストリアに行ってた頃、村の教会にも行かせて頂いたり、ザルツブルグまで出かけて行った時には、大きな教会にも入らせて頂きましたが

その中に描かれたキリスト・イエスと十字架への道の絵。

私自身、あんな犯罪を犯した人のことをなんでみんなアーメン、アーメンって祈るのかな?と思っていたくらい。

精霊舞い降りると言われる教会で、聖書を学び、讃美歌を歌い、救世主イエスさまのことを知り、私の中で救世主イエスさまがありありと描かれ始めました。

8月7日第3回目の西条でのケイシー講座の時、初めて赤塚さんにお話して頂いた時は、ちょうどあの「はやぶさ」が見つかり地球に帰ってくる前。

はやぶさの打ち上げのお話や神さまのお話もして頂き…やっぱり来てもらって良かった~と。

そして、8月二人の講座が終わった後も、また来て頂きたい!!と、思いは益々湧き上がり…。

いつ?いつ来てもらおう??

その時、ふと「間髪入れずに来てもらいたい!!」と思わされ、光田先生を通してお願いさせて頂き、そして次回11月開催の時にも来てもらうことに…。

2回目の時に聴いたお話が、ペリリュー島での日本兵のこと。

そして、昭和天皇とマッカーサー元帥との謁見のお話。

2010年11月、私は日本に生まれたことを…、
この天皇陛下が祈ってくれるこの日本に生まれて来たことを…、心底有り難いと感じることが出来るように変えられました。

マッカーサーとのお話の中、昭和天皇が

この度の出来事は、全て私の責任です。私の身体はどうなっても構いません。どうか国民を飢えから救って頂きたい」と言われたお言葉。

そして、この言葉を聴いた時、あの聖書の中のただひとり 神様が
「神さまとはこういう風に生きるんだよ」と、無私の心で、神共に生きる生き方を示し33歳で何も悪いこともしていないのに、鞭打たれ   十字架にかけられた

救世主キリスト・イエスのような人が天皇陛下なんだ!!と思えた時、魂震え有り難く…私自身この天皇の国、日本に生まれたことに感謝溢れ…。

そして、ここから続く伊勢の神宮、ペリリュー、イスラエル、皇居へと導かれていくのですから、本当に聖なる書  精霊が働き導いてくれた様なこの始まり…人生は面白いですね。

 

 

祈り…

もう何年か前、友人が言うことをきかない我が子を、お仕置きで押入れに入れた時の話。

ごめんなさーい…と、言いながらけたたましく泣く息子。

いやいや今回は、しっかり反省するまで出せないよ!と、しばらく側にいたが、突然泣き止み「神さま~ 助けて下さい!」と。

特に家族が信仰を持っているわけでもなく、神社に通ってるわけでも無いのに、小さな子供が窮地に立たされた時  出てきた 神さまを求める言葉に  お母さんはびっくりしたそう。

当然、すぐに押入れからは出したそうですが…。

日頃、見えない世界からの愛の存在は感じることが出来にくいけれど、窮地に立たされた時、「神さま!」と、求め祈ることを生まれた時からきっと赦されてる私たち。

まだ言葉も話せない幼子は、泣いて自分の願いを伝え その声を聞いて大人が動く。

ツラい、苦しい、どうしたらいいんだろう…という時、あきらめず、祈り求めること。そして、その祈りによって示され何かが動く。

「人の最悪は神の最善」

あのイエス・キリストも鞭打たれ、十字架に張り付けられながらも

「父よ、赦して下さい。この人たちは何もわかっていないのです…」

と天に祈ったのだから、祈りの更に上級編には、誰かの為に祈ること。

あと4日で新しい年。

宮中では 元旦まだ夜が明けない早朝、陛下は特別の建物に入られ、四方の神々をお招きして、『四方拝』

「どうかこの1年、災いが起きませんように。
もし起こるのであれば、私の身体を通して起こりますように」

と、祈り捧げられるそうです。

神武天皇以来125代今上天皇まで、今もずっと変わらず、国家の安泰国民の幸せのため祈り続けてくれている天皇という存在。

まさに自分を十字架にあげられても祈り続けた、キリスト・イエスの様な愛。

エドガー・ケイシーが言った祈りの言葉

「私が願うことでなく、主よ…あなたの御心が私の内に私を通して行われますように。
今日、今 私が出会うすべての人に私を祝福の水路として下さい。」

この祈りを知った時から、日々の生活の中  カイロの施術中にも 見えない何か偉大な力が、ますます近くにいる感じでもあり

私たちは神さまや2676年続く皇室の祈りに守られ存在しているように感じます。

聖書 民数記(6-24)

願わくは主があなたを祝福し、 あなたを守られるように。
願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、 あなたを恵まれるように。
願わくは主がみ顔をあなたに向け、 あなたに平安を賜わるように。

讃美歌「歌いつつ歩まん」

 

クリスマスイヴ

2016年前、12月25日イスラエルのベツレヘムという町に生まれたひとりの子 ヨシュア ベン ヨセフ・・・のちのキリストイエス。

実は、催眠状態で色々な問いかけに  的確に答えたという今から71年程前に亡くなったエドガー・ケイシーによると、キリスト・イエスの誕生は3月18日前後春分の頃だとか・・・。

道理で、我が家のクリスマスローズもその頃にちょうど花を咲かせるので、きっとそのころ 救い主イエスは生まれたのだと思いますが、

そういうことよりも、なぜイエスは生まれて来たのか?

聖書の中の初めての人、アダムとイブ。

天上の楽園「エデンの園」に住むふたりへ言われた神さまとの約束事はたったひとつ。

園の中央にある「善悪を知る木」その木の実は食べてはいけないと・・・。

しかし、そのたったひとつの約束事でさえ、蛇の誘惑によって破ってしまった、アダムとイブ。

その上、神さまに知られないようにと隠れて見たり、誰かのせいにしてみたりと、「善悪を知る木」を食べたことで、神々の住む天上の楽園「エデンの園」では住むことを許されず追放。

エデンの園が神の支配する国であれば、この地上は悪魔の支配する国?

蛇だけでなく様々な誘惑溢れる地上世界。

実際、分厚い旧約聖書の中に登場する人物の中でも、この地上で神と共に過ごせた人は数えられるほど。

地上世界が神から離れ、氾濫し神様がこの地上世界を創ったことを悔い、全てのものを洗い流してしまいたい!と思い実行された「ノアの方舟」のノアや、

ソドムの町に住んでいたロトの家族、息子を燔祭に捧げるほど神の声に忠実な人類の父アブラハム…などなど。

そして、エジプトから約束の地カナンを目指しイスラエルの民を連れ40年荒野を歩いたモーゼ。

このモーゼが神さまから受けた10の約束事。誰もが耳にしたことのある「モーゼの十戒」

1.あなたは、わたしのほかに、何ものをも神としてはならない。
 2.あなたは、自分のために、刻んだ像を作ってはならない。
 3.あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
 4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。
 5.あなたの父と母を敬え。
 6.あなたは、殺してはならない。
 7.あなたは、姦淫してはならない。
 8.あなたは、盗んではならない。
 9.あなたは、隣人について、偽証してはならない。
10.あなたは、隣人の家をむさぼってはならない。

そして、10個の約束事を守って過ごしてきたユダヤの民と、それを裁く律法学者。

これがだめならこれもダメ。こっちも違法になるよ!!と年月を経て増えていく律法。

最後には細かく分けられ10個の戒律は「613」にまで増え、ユダヤの民は救世主を求めた。

「神様!神さま!どうか我々に救世主を授けて下さい」と・・・。

そして預言者(神の言葉を預かる者)を通して告げられた言葉は

「救世主は来るよ!こういう形で生まれ、こういう形で人々に教えを伝え、こういう形で死んでいくよ。そしてこういう形で復活するとも・・・」

そして、その予言どおりに今から2016年前に処女マリアから生まれたひとりの男の子

神のひとり子として、この世に生まれ30歳からたった3年間、神さまだったらこんな時はこうするんだよ。神とはこういうもんなんだよ。神と共に生きる生き方を伝えた救い主イエス。

善悪を知る木の実を食べたことで、神さまから離れてしまったそれぞれが  また神と共に歩む「エデンの園」に戻れるように・・・。

そして、今日は2016年前 その救い主が生まれた前夜。  

主を待ちわび 共に賛美してみませんか♪

讃美歌「もろびとこぞりて」 

もろびとこぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

悪魔のひとやを 打ち砕きて
とりこをはなつと
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 主は来ませり

この世の闇路(やみじ)を 照らしたもう
たえなる光の
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

しぼめる心の 花を咲かせ
恵みのつゆおく
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

平和の君なる 御子をむかえ
救いの主(ぬし)とぞ
ほめたたえよ ほめたたえよ
ほめ ほめたたえよ


 

 

 

お~!私の骨の骨、肉の肉…

スキーやケガ、カイロの仕事と   私の思いだけでなく目の前に訪れてきた数々の出来事。

そして、1998年(平成10年)8月13日、またひとつ運命の人と出会うことに・・・。

20代まだOL時代から、スキー学校でのインストラクター時代にも 20回以上”お見合い”させてもらっていながらも、「この人に決めた!!」っていう人に巡り会えず・・・。

そんな中、1998年 8月隣の家の人を通して“お見合い話”が・・・。

実家は西条で大阪で働いてる人…って言うだけで、写真も何もない状態であった8月13日。

車を掃除しガソリン入れて家に戻ってみると、もうお父さんと一緒に我が家に来ており、35歳の私はドスドスドスっていう感じで 家に戻り慌てて着替えて・・・。

後で聞いたところ、ピアノがあり、スキーのトロフィーが置いてあった応接間で待ってる間、同じように写真も見てなかったから、妄想は∞に広がっていたとか・・・。

で、顏合わせした後、私の運転でドライブ。

ちょうど私の2つ上の姉と同級生。中学、高校と同じクラスにもなっていたらしく、共通の話題も多く、

そして、私の理想の相手の条件が「海外で生活したことのある人」

なんと、29歳で一度会社を辞めて、アメリカ・マサチューセッツ州の小学校の先生のお家で一年間ホームステイ。

その町の小学校で日本の文化…お習字とか 正座とか 玉子焼きやおにぎり等々・・・小学生に日本語で名前を書いてあげたりした経験をワクワク聞かせてもらった私がその時思ったのが

「うわっ~  こんないい人が残ってたんだ!!」と・・・

旧約聖書創世記の中、初めに神様は天と地、光と闇、陸と海、海に住む魚、野に住む生き物、この世の全てのものを創造し、そして自分に似せて創られた男アダム。

そして、「人はひとりでいるのは良くない…」とアダムを深く眠らせ、アバラの骨を取って創られた女イブ。

そして神様がアダムの為に創ったその女イブを見た瞬間言ったアダムの言葉「お~私の骨の骨、肉の肉」と最高の賛美の言葉。

日の本…日本でいう、「お~私の太陽!!」って感じでしょうか。

その最高の賛美の言葉を放ったアダムのように、私自身この運命の出会いに「お~私の骨の骨、肉の肉」と言う言葉がピッタリかと・・・。

そんなこんなで、36歳を間近にした1998年8月神様が今後人生を共にするパートナーと出会わせて頂きました。

その後、大阪と愛媛の遠距離ながら、月1度か2度のデイト そしておかげさまで1999年2月結納、4月30日結婚へと。

結婚式に書いてもらった私の後輩でもあり、結婚生活は先輩である和美ちゃんのメッセージに「結婚は忍耐です」と・・・。

そのことの意味は、結婚17年を超えた今…本当に大きく頷けるメッセージ。

「私の骨の骨、肉の肉」と言って、一緒になったアダムとイブも、神さまからのたった一つの約束事

「エデンの園の真ん中にある善悪を知る木、この実だけは食べてはだめ!」

と言われながらも、「この実を食べると神様と同じように賢く成れるよ」という蛇の誘惑に負けたイブ。

そしてまた、イブの誘惑に負けたアダム。

全て御見通しの神様から、「アダムよ!イブよ!」と呼びかけられた時、隠れたふたり。

そして、「なぜ、食べた?」の問いに

神さまにむかって、アダムがなんとなんと                   「あなたが創ったこの女が、私に食べろと言った!!」と・・・。

そしてイブもまた「この蛇が・・・」と誰かのせいに・・・。

私自身もまた、このアダムやイブのように  「私の骨の骨、肉の肉!」「こんなにいい人が残ってたんだ!!」と思った思いとは裏腹に、

「なんでこの人と一緒になったんだろう???」とも思う時も…。

17年以上共に過ごし、子供も出来なかったせいか  お互いが子供の様な感じでもあり 日々修行・・・道場。

日本創造の神さま、イザナギ・イザナミの命もまた 黄泉の国に還ったイザナミに会いに行った時にも夫婦喧嘩。

神さまが逢わせてくれた今回の人生を共に歩いていく最高のパートナーと

健やかなるときも
病めるときも
喜びのときも
悲しみのときも
富めるときも
貧しいときも

これを愛し
これを敬い
これを慰め
これを助け
その命ある限り

真心を尽くすことを誓います♡

そして、共に  エデンの園に戻れるように・・・。