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対面同席五百生

太陽院院長   近藤千恵子です(*´-`)

とある勉強会で 初めて聞いた「対面同席五百生」というお釈迦様の言葉。

対面し、同席している人は、最低でも五百回、人生を一緒に過ごしているという意味だそう…。

この言葉を聞いた時、ふっと浮かんだ  NSPというバンドが歌った「北北東の風」

北で生まれた僕が  寒さにふるえ、南で生まれた君が汗かいていた…♪

人が人と出逢うことの奇蹟。

世界中で思えば 77億人分の1。

海外で出逢ったあの人も、今日出逢ったこの人も…

一瞬早すぎず、一瞬遅すぎず…

その中でも、夫婦であったり  家族であったり、仕事で関わる人であったり…濃い関係となる人々。

前世でも今世でも、前々前世でも出逢う関係。

「対面同席五百生」…今生、初めて出逢った方とも「お久しぶりです」という思いで挨拶を交わすと良いのだとか…

何だか嬉しくなります。

どうか  良き出逢いを…(*^o^)/\(^-^*)

ご縁

太陽院院長  近藤 千恵子です(*^^*)

9月5日~6日、人生で初めて栃木日光東照宮を訪れました。

2017年にご縁頂いた 東京の平氏

平氏が率いる「鼓調の会」が 日光東照宮 将軍着座の間で大鼓の奉納演奏をされるということで 遠路追っかけです。

2018年には 宮古島の宮古神社で奉納演奏。

そして、今年2019年は 3月に九州宗像大社…

6月には、北海道稚内にある最北端の神社 北門神社と続き

そして9月に 日光東照宮。

由緒ある神社での奉納演奏に  私もご一緒させて頂き  演者はもちろんのこと  その場に集う仲間たちとも 良いご縁を頂戴します。

この奉納演奏の様子は NHKや新聞でも 紹介されたほど。

そして、昨日、一昨日と三重県松坂市から 今回日光で宿泊した「千姫物語」という老舗旅館で同じ部屋になった弥生さんが 愛媛に仕事も兼ねて来てくれました。

日光で「はじめまして…」だった彼女と 2度目の再会で愛媛を案内。

しまなみ海道にある 大島を訪れ、潮流体験…村上水軍資料館、そしておしゃれなお店MITUBATIでの昼食。

お天気も良く、全てがベストなタイミングで過ごすことができ  もう昔からのお友達の様な気分。

ご縁っていうものは 本当に不思議なものだな~と 改めて感じさせてもらった2日間でした。

彼女との出逢いから  私が長年求め続けた 到底夢で終わりそうな憧れの女性に逢わせて頂ける可能性が近付いたこと。

宇宙は私に 嬉しすぎる出逢いを用意してくれてたことに感謝いっぱいです。

新しい世界 神とともに…

太陽院院長   近藤 千恵子です(^^)v

今年 4月お邪魔させて頂いた 愛知県岡崎市 未来波動実践友の会 会長 野村 文子先生のご自宅に 西条のお友達2人と一緒に、またまた来させて頂いております。

お昼 1時半に到着し、特別に開催して下さった勉強会で、有難い現象や これからの生き方を改めて考えさせられる お話をたくさん伺いました。

そして  岡本 天明氏が神さまからの掲示を受けて書いたと言われる日月神示 の

「何事ももちつもたれつであるぞ。神 人ばかりではならずと申してあろうが」

との言葉通り  神と人が一体(=神人一体)にならなければ  神仕組みは 何も成就しないという…

まさに「新しい世界  神とともに…」

探求心 、忍耐力、そして体力を持って  波動測定器により  霊・菌・ウイルス・宇宙霊や神さまの存在を伝え、また新しい世界へと導いて下さる野村先生と出逢えたこと。

共にいてくださる 神さまからのギフトの様な出逢いに感謝いっぱい…。

多くの方々が 新しい世界の扉が開かれますように…祈ります。

 

ご縁♪

太陽院院長  近藤  千恵子です(*´-`)

三河安城市の発明家で未来波動実践友の会会長「野村  文子先生」の御自宅に光栄にも泊めて頂き…朝を迎えました♪

7日に西条から大阪272キロを往復

そして8日  西条から三河安城まで456キロ…

まるでトラック野郎の様な…連日のロングドライブにもかかわらず、かなり元氣な私。

しかも4月2度目の愛知県(笑)

冬眠していた虫達が  地上で動き出すように…不思議とまた動かされている今。

人生は面白い(^^)

昨晩は夜中3時まで  わいわい言いながら  ドライブの疲れもなく…また80歳を越える方も混じり波動測定に興奮。

昨日「はじめまして!」の野村先生やお仲間の方々とも ずっと以前からの知り合いの様に楽しいひととき。

今日は、もうひとつのお話をここ三河安城の野村先生のご自宅でお聴きし…

また456キロ…一路  主人の元へと戻ります。

そして夜中、鳥取で発生した地震。すぐにLINEしたところ

「かなり 揺れたけど  大丈夫」

との返事。 震度4と表示されていた地震速報。揺れる中 ひとり心細い夜を過ごしただろう主人。

今日は遅くなるけど「帰る場所がある」ことの有り難さ。

待っていてくれる人がいることの歓び。

今日も  笑っていい一日が始まります(^^)

お~!私の骨の骨、肉の肉…

スキーやケガ、カイロの仕事と   私の思いだけでなく目の前に訪れてきた数々の出来事。

そして、1998年(平成10年)8月13日、またひとつ運命の人と出会うことに・・・。

20代まだOL時代から、スキー学校でのインストラクター時代にも 20回以上”お見合い”させてもらっていながらも、「この人に決めた!!」っていう人に巡り会えず・・・。

そんな中、1998年 8月隣の家の人を通して“お見合い話”が・・・。

実家は西条で大阪で働いてる人…って言うだけで、写真も何もない状態であった8月13日。

車を掃除しガソリン入れて家に戻ってみると、もうお父さんと一緒に我が家に来ており、35歳の私はドスドスドスっていう感じで 家に戻り慌てて着替えて・・・。

後で聞いたところ、ピアノがあり、スキーのトロフィーが置いてあった応接間で待ってる間、同じように写真も見てなかったから、妄想は∞に広がっていたとか・・・。

で、顏合わせした後、私の運転でドライブ。

ちょうど私の2つ上の姉と同級生。中学、高校と同じクラスにもなっていたらしく、共通の話題も多く、

そして、私の理想の相手の条件が「海外で生活したことのある人」

なんと、29歳で一度会社を辞めて、アメリカ・マサチューセッツ州の小学校の先生のお家で一年間ホームステイ。

その町の小学校で日本の文化…お習字とか 正座とか 玉子焼きやおにぎり等々・・・小学生に日本語で名前を書いてあげたりした経験をワクワク聞かせてもらった私がその時思ったのが

「うわっ~  こんないい人が残ってたんだ!!」と・・・

旧約聖書創世記の中、初めに神様は天と地、光と闇、陸と海、海に住む魚、野に住む生き物、この世の全てのものを創造し、そして自分に似せて創られた男アダム。

そして、「人はひとりでいるのは良くない…」とアダムを深く眠らせ、アバラの骨を取って創られた女イブ。

そして神様がアダムの為に創ったその女イブを見た瞬間言ったアダムの言葉「お~私の骨の骨、肉の肉」と最高の賛美の言葉。

日の本…日本でいう、「お~私の太陽!!」って感じでしょうか。

その最高の賛美の言葉を放ったアダムのように、私自身この運命の出会いに「お~私の骨の骨、肉の肉」と言う言葉がピッタリかと・・・。

そんなこんなで、36歳を間近にした1998年8月神様が今後人生を共にするパートナーと出会わせて頂きました。

その後、大阪と愛媛の遠距離ながら、月1度か2度のデイト そしておかげさまで1999年2月結納、4月30日結婚へと。

結婚式に書いてもらった私の後輩でもあり、結婚生活は先輩である和美ちゃんのメッセージに「結婚は忍耐です」と・・・。

そのことの意味は、結婚17年を超えた今…本当に大きく頷けるメッセージ。

「私の骨の骨、肉の肉」と言って、一緒になったアダムとイブも、神さまからのたった一つの約束事

「エデンの園の真ん中にある善悪を知る木、この実だけは食べてはだめ!」

と言われながらも、「この実を食べると神様と同じように賢く成れるよ」という蛇の誘惑に負けたイブ。

そしてまた、イブの誘惑に負けたアダム。

全て御見通しの神様から、「アダムよ!イブよ!」と呼びかけられた時、隠れたふたり。

そして、「なぜ、食べた?」の問いに

神さまにむかって、アダムがなんとなんと                   「あなたが創ったこの女が、私に食べろと言った!!」と・・・。

そしてイブもまた「この蛇が・・・」と誰かのせいに・・・。

私自身もまた、このアダムやイブのように  「私の骨の骨、肉の肉!」「こんなにいい人が残ってたんだ!!」と思った思いとは裏腹に、

「なんでこの人と一緒になったんだろう???」とも思う時も…。

17年以上共に過ごし、子供も出来なかったせいか  お互いが子供の様な感じでもあり 日々修行・・・道場。

日本創造の神さま、イザナギ・イザナミの命もまた 黄泉の国に還ったイザナミに会いに行った時にも夫婦喧嘩。

神さまが逢わせてくれた今回の人生を共に歩いていく最高のパートナーと

健やかなるときも
病めるときも
喜びのときも
悲しみのときも
富めるときも
貧しいときも

これを愛し
これを敬い
これを慰め
これを助け
その命ある限り

真心を尽くすことを誓います♡

そして、共に  エデンの園に戻れるように・・・。

 

 

 

数々の奇跡

9年間のインストラクター生活の中では、数々の喜びと試練もありました。

4度の全日本技術選手権出場、指導員取得、シーズンイン前のオーストリア滞在と想像もしていなかった数々の奇跡の出逢いのおかげで、たくさんの経験もさせて頂きました。

オーストリアに行くことになったのも、1990年夏 京都の比叡山スキー場でのSWANS主催のサマーキャンプに出たあと、京都に住むスキー学校の先輩に連絡させてもらったことから。       ※先輩は女性です(笑)

向かった先は、アキレス腱の手術で入院中の病院へ。

そしてなんとその時に、シーズン始まる前の10月中旬から11月いっぱいオーストリアへ行くけど一緒に行ってみる?と誘って頂き…。

正直その時点で28歳の私にとっては、初めての海外旅行。

少しの不安はありながらも、即決。   一緒に 参加させて頂くことに…。

しかも先輩とは出発日程が合わず、少し遅れて一人でのオーストリア入り。

スイスのチューリッヒ空港に着き、ホテルに1泊。その後列車でオーストリアへ入り、目的のZELL AM SEEの駅に向かいその後タクシーで先輩たちが借りているアパートへ。

いまから思えば初めての海外旅行。

英語もドイツ語も出来ない私が アパートの一室の扉の前までたどり着いたのだから 我ながら「いい線いってる!」…いやいや全て神さまのおかげ…だったと。

到着後ビックリしたのは、あの比叡山スキーキャンプのコーチでもあったプロスキーヤーの千葉信哉さんや澤口学さんも同じスキー場にトレーニングに来られており、再会。

数少ない日本人っていうことで、何度か食事も御一緒させて頂いたのは、海外だからこその特権でもあったような…。

ザルツブルグ州にあるカプルーンという村の氷河スキー場「キッツシュタインホルン」のスキー場には、その後4年ほど続けてシーズン前になると1ヶ月~1ヶ月半ほど滞在させてもらったくらい、私にとっては忘れられない場所でもあります。

そして、この滞在中ほぼ毎日通い滑っていた「キッツシュタインホルン」実は2000年11月11日ゲレンデまで向かう登山列車で火災事故が起こり、155人もの人が亡くなったところ。

朝一番の登山列車は毎日大勢のスキーヤーが乗っており、改札のカウンターで乗車人数も数えられ、目の前で次の便まで待たなければならないことも…。

あの日のあの時刻のあの列車に、いつもと同じように乗った人々。

長いトンネルの中、火や煙に巻き込まれながら天に逝った155人の魂。

日本エドガー・ケイシーセンター 光田会長の講座の中で話されるケイシーのリーディングの中では、

「多くの魂は自身のこの世での命の寿命を理解し、そういった現場に居わせることになっている」…とも言われ、

「その被害にあった方々の遺された家族や親友もまた、その哀しみや状況に耐えうるだけの魂を持っていると…。」

思わぬ事故や出来事で、天に還って逝った魂のひとつひとつが、そして残され哀しみを背負う魂の中にも 強いものが必ずあると、ケイシーの遺したリーディングから一筋の光を見させてもらっている感じです。

今、生きてること 出会っていることは、

本当に数々の奇跡の連続であり 

奇跡そのもの…。

そしてどの魂も永遠不滅の高貴な魂である…と。

日本エドガー・ケイシーセンターのホームページは  ☛http://www.edgarcayce.jp/