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感謝

1979年1月21日 32歳の若さで亡くなった井村和清さんが、死の直前まで綴った手記「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」に書かれた詩

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「あたりまえ」 昭和54年1月1日新年の贈り物(井村和清)

 あたりまえ こんなすばらしいことを
みんなはなぜよろこばないのでしょう

あたりまえであることを

お父さんがいる、お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある

行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる

音がきこえて声がでる
こんなしあわせなことがあるのでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます。

食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる

空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる

走りまわれる
みんなあたりまえのこと

こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない

そのありがたさを知っているのは、
それを失った人たちだけ なぜでしょう

 あたりまえ

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今日はバレンタインデー♡

チョコレートを大好きな人に贈ることが出来るのも 受け取ることが出来るのも たくさんの奇跡の連続が重なって…。

本当にありがとう…有り難い有り難い奇跡の連続。

そして、何度読んでも 泣けてくる この詩。

変わらない日常が、幸せであること。
あたりまえのことが、あたりまえでないこと。

日本は、地震大国。そして、津波も起こるし、交通事故も毎日どこかで起こってしまっている。

「行ってきます」と出掛け、帰らなかったとしたら…いえ、いつも恐れて生きるのではなく、あたりまえに染まらないこと。

ついつい日常の中、トイレだって

紙があるのがあたりまえ。お水が流れるのがあたりまえ。
戸が閉まるのがあたりまえ。

外出の時も、車が動くのがあたりまえ。
道路があるのがあたりまえ…だと。

あー。

この日常のささやかな事柄の数々を 改めて思わせてくれるこの詩。

新約聖書 テサロニケ人への第一の手紙5章

いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって、
神があなたがたに求めておられることである。

そして 被災地の未来のために祈り歌われた 讃美歌

.(賛美歌298 安かれわがこころよ)

1.安かれわがこころよ  主イェスはともにいます
  痛みもくるしみをも  おおしくしのびたえよ
  主イェスの共にませば 耐ええぬ悩みはなし

2.安かれわがこころよ  なみかぜたけるときも
  父なるあまつ神の   みむねにゆだねまつれ
  み手もて導きたもう  望みの岸はちかし

3.安かれわがこころよ  月日のうつろいなき
  み国はやがてきたらん うれいはとわに消えて
  かかやくみ顔あおぐ  命のさちをぞ受けん

 

 

 

 

栄光

栄光に向かって走る  あの列車に乗っていこう!!

はだしのままで飛び出して あの列車に乗っていこう!!

…と始まる ザ ブルーハーツの「TRAIN TRAIN」


スキー学校1年目の春、まだ1級が取れず 志賀高原の渋峠のリフト会社でアルバイトさせてもらってた時、

同じ部屋にいた 麻里ちゃんがずっとかけていた ザ ブルーハーツの曲の数々。

世の中に抵抗するような あの熱い歌の数々に共感し やりたいこと やるべきことを やっていた私の青春。

あれから28年たっても この歌を聴くとあの頃が甦ってくる。


今日、私の住む町の市議会議員選挙の公示日でした。

各候補がそれぞれの思いをもって、市制に携わっていくのでしょうが、政治で世の中は変わるのでしょうか?

今日から一週間、いえ その前から出馬する候補者の方々は 腰も低くよろしくお願いしますと頭を下げる。

たった1票を投じることしかできないのだから、悩まされる。

凄く穿った考えだけれど、本当にこの町を良くしたいという熱い思いを持っての立候補の方は何人いるのでしょうか?

戦後、何もなかった時代 この町のために!!と 私財を投じて支えてくれた方もあったのでしょう。

モノが溢れ、豊かになり、心だけがポカンと穴が空いてしまったような今。

その穴を埋めるように、知識を詰め込み、また人は、地位や名誉、財産をこの世の中で得ようとし、懸命に頑張る。


地位や名誉や財産を 得ることが悪いことではないのは、わかっている。

地位や名誉や財産は本当に示されたモノが その「時」にぴったりと合って初めて価値があるような…。

たまに議員さんの中でも当選してしまえば 先生…先生と呼ばれ偉そうな方も…いたりして…。

地位も名誉も、そして財産も結果論…かと。


名もない画家や作家、研究者や開発者…この世から去った後 地位や名誉を得る場合も多いようだけど、

世界中の人が知っている イエス・キリストも生きている頃は その時の権力あるモノたちに捕らえられ、張付けにさせられて…。


昔、吉田拓郎氏が歌った

人間なんてララーラララララーラ
人間なんてララーラララララーラ

人間なんてララーラララララーラ
人間なんてララーラララララーラ

と、本当に人間なんて ちっぽけで きっと天から見ると滑稽で…。

こんな風にララーラララララーラと歌いながら選挙カーに乗って
この世をさらりと変えていくような政治家って出てこないかな?

そして、吉田 拓郎さんの「にんげんなんて…」

 

 

 

 

 

 

時の流れ

10年がひと昔ならば、もうみっつも昔に流行ったテレサテンが歌った「時の流れに身をまかせ」

時は、その時その時を鮮やかに駆けて行き、想い出に変わっていく。

今はひとり暮らしの学生さんも必ずもってる電子レンジも、出始めはかなり高級品で 使ってみると便利なので、電磁波がどうのこうのって言っても使ってしまう電氣製品。

電話だって、小学生の頃我が家に電話が着いたときは、凄くわくわくして 電話が鳴ると競って受話器に向かったような。

FAXが家庭用にも使えるようになったり、全自動洗濯機が主流になってきたり、一家に2台も3台も車があったり、道路がアスファルトになったり、木造住宅が鉄筋住宅になったり、窓がサッシに変わったり…。

世の中もどんどん移り変わって来たけれど、私自身もコーヒーにミルクやお砂糖を入れてたのが、ブラックになったり、ピーマンやシイタケが食べれるようになったり、

日本酒や焼酎を美味しいと感じたり…。

時が嗜好を変えてくれたり、思考も変えてくれたり…。

多くの便利なものが出て来てはいるけれど、そのどれもが人々の身体や生活にとって良いものかと言うと、???って言う感じのモノも多いかも知れません。

車社会になり、どんどん便利になる一方、空氣も汚れ事故も増え、テレビの番組で伝えるニュースは、悲惨な事故や悪質な犯罪。

まるで、昨日ブログで書いたソドムの町の様にも思えるような事件までも…。

夜も昼も開いているコンビニや、スーパーが私の住む田舎町でも当たり前にあり…。

日本人や田舎の人間は、同胞意識が高い為か、誰かと変わったことに凄く抵抗を感じる人も多いようです。

ツーと言えばカーと言うように、思っていること考えていることもまた凄く伝わりやすく…。

今、世の中で注目されている「水素商品」

我が家は、昨年から飲んだり水素風呂にしたりと、普通の家庭より少し早く水素のある生活を始めました。

そして、太陽院でも扱い始めました。

水を電気分解することで発生する水素。

きっと世の中の常識になっていくのもあと1~2年程かと思います。

3,780円で借りられる水素風呂は、経済にも健康にも、美容にも効果抜群!

使わないと始まらないし、使い始めるとやめられない…かっぱえびせんのような(?)水素風呂。

カセットテープがMDになり、すぐにCDに変わっていった様に、世の中はどこかで何かに仕掛けられ、また何かの力に抑圧されながら流れて行ってるような…。

宇宙にだって人が行く時代。

小学生の頃、21世紀の世界を想像してたけれど、今まさに21世紀。

便利になりすぎることで、大切なものを失ってしまってるのも今かも知れません。

アトランティス大陸が3回の地殻変動で海底に沈んだり、ノアの方舟が40日40夜洪水の中漂ったり、ソドムの町が滅ぼされた時のように、

人類のいちばんの罪は「神から離れてしまうこと」

三重県津市の赤塚さんが自身の会社でずっと提案し続けている「健康になるための住宅」の話を聞き

あー   世の中では人が住まう住宅も有害物質で簡単に張り付けられた味氣ない産業になり、

また神の宿る身体を治していく医までも算術になってしまおうとしているのかと…。

時は常に流れ、人も変わっていくけれど、変わらないものがあるとしたら、見えない世界から届けられている人々への希望と愛。

その時どう思い、どう動くか。

様々な試練にも立ち向かい、初めてのおつかいに行く幼子のように、迷いながらも自分自身が求めるモノに向かって…。

そして今宵は 懐かしい沢田 研二「時の過ぎゆくままに」

 

 

 

使命・運命・宿命・天命

使う命と書いて「使命」

運に、命がついて「運命」

そして、宿る命で「宿命」

あとは、天の命で「天命」

「運命」と「使命」そして「宿命」と「天命」

どれも似てるようだけど、どれも違う。

運命の運は、まさに運ばれる命。

運ばれてくる命とは人との出会い、そしてご縁。

出会った人や繋がる人によって変えられて行くもの。

強運や運のいい人は、やはり人との出会いによって強運を引き寄せているように思うし、強運だと思ってる人はやはり運のいい人と出会っている。

運命は変えられるというのは、まさに思いや出会いで引き寄せられ作られていくようなものだから。

そして、「使命」と「天命」とは、この世に誕生し生きている間にどのように命を使い、神さまと約束してきた「天命」を生きて行くのか。

そして、「宿命」
生まれた場所・国・環境・時代そして肉体など、変えようと思っても変えることの出来ないこと。

この「宿命」、神さまと約束して生まれて来た「天命」を全うするために、変えることの出来ない自分自身の住む場所も生まれて来る時代も両親や兄弟までも選んで生まれ、命を使い「使命」を生きる。

「宿命」と「天命」だけは、生まれて来る時 決めて生まれて来たため変えることは出来ないけれど、「運命」と「使命」は自分自身の思いや行動によってどんどん変えられていく。

何の仕事をするか?

どんな人とご縁が繋がるか?

どこに住むか?etc…

動物になく、人間に唯一与えられたものは「思考」

ひとりひとり育った環境や性格も違うために、それぞれの「思考」は、

神さまの想像を遥かに超えたものなのかも…知れない。

「おっ!今度はこう来たか?」

「へ~そんな方法もあるんだ!」

と、きっと神さまは私たち人間それぞれがそれぞれのの思いをして過ごしているものを見て微笑んで見てるんだろうと。

そして、インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」の中で、神さまは善も悪も作ったと書かれてあり、善も悪も人間が作ったジャッジ。

闇があるから光がわかるように、悪があるから善がわかる。

「天命」にも「宿命」にも「使命」にも「運命」にも、そこに善も悪もなく、ただそれを真剣に全うすること。

今もきっと神さまが、想像も出来ないひとり一人に与えられた思いや考え方行動すべて…笑ってみてくれてると思いながら、私もいつか天に帰るその日まで、どんなことがあっても使命まっとうして…。

今日は、長淵  剛さん「素顔」

私には、姉がふたりいます。

2歳づつ離れて、生まれたので 小学校の時の参観日、母は大忙し。

それも楽しかったのかも知れません。

あの頃の参観日は、どのお母さんもプ~ンとお化粧の匂いをさせて、着物を着てくるお母さんも会ったほど…。

「学校の先生」っていうのが、また権威も持っていたような氣もします。

私は姉たちといっぱい喧嘩もしました。

すぐ上の姉は一番喧嘩したかもしれません。

3人姉妹なので、1:2で戦う(笑)ことが多かったかも…。様々な組み合わせで…(笑)

中学校の時は、すぐ上の姉と手を繋いで学校に行ってました。

あたりまえに手を繋ぎ登校してたところを、誰かに「仲イイね~」と言われて、ん?仲は良くないけど…(笑)手、繋いでる!!と…。

私は、妹がいないので 姉の氣持ちはわかりません。

でも生まれた時から、いる姉。

姉としたら、一人っ子だったのに妹が出来て、また一人で来て…

「姉ちゃんなんだから…と言われて。」

すぐ上の姉も、わたしが生まれてなければ、末っ子。

もっと両親に甘えられたかも知れません。

姉妹って不思議です。

前世ではどんな関係だったんでしょうか?知ったところで、何が変わるわけでも無いですが、今回の人生では 私は生まれた時から姉がいます。

私の旦那様は、すぐ上の姉と同級生です。

だから、姉のことを「みちこ」と呼び捨てにします。

姉の旦那様は、姉のことを「みちこちゃんとかお母さん」と呼ぶのに・・・。

私たちが新婚旅行から帰って、お土産を持って行った時 私の旦那様に「我が儘な子やけど、我慢してね」と言ったとか…。

姉は、我が儘な妹という見方をしてたんだと、その時初めて知りました。

うちの姉たちは、市内の伝統ある進学高校にふたりとも行きました。

お勉強も出来てました。

私は…というと、自分の予想に反して全く成績が悪く、それと姉と同じ学校に行って、「~の妹」と言われ続けてきた小・中学校の頃がイヤで、

誰も私のことを知らないところに行きたい!!という思いも手伝い、電車に乗って隣の市の商業高校に通いました。

姉がいなかったら、高校の選択も違ってたかも知れないですが、母は頭のいい姉たちの方が自慢でした。

自分が選び進んだ高校を卒業したことは、私の選択に自信が出来た一番最初の出来事だったかも知れません。

姉たちは、受験勉強をして短大に進みました。

母は、女の子は短大で十分という考えでしたし、長女に至っては四国から外に出ることはNGという感じでした。

私は…というと、商業科だったので進学するにしても、専門学校の方に興味あり、勉強も嫌いなのに短大に行くことは選択肢になく…。

私は、あまり母に相談はしてませんでした。

高校3年の夏、先生と母と私の3人で三者面談の際、私が専門学校に行きたい!!と言うと、母は「専門学校は学校じゃない…」と。

今 思えば、え~って感じですが、昭和8年生まれの母は典型的な学歴重視の時代に子育てをしたことで、そういう思い込みがあった様で・・・。

高校進学の時も、わたしが隣の市の商業高校に行きたいと言った時、猛反対。市内にも学校があるんだから…と。

中学校の時も、高校の時も、担任の先生は私の氣持ちを察してくれて、母を説得してくれました。

3人目だったからこそ、自由な選択が出来たのかも知れません。

結局短大にも、専門学校も行かず、あのやりとりを見ていた学校の先生が紹介してくれた会社に就職することになり、姉たちよりも一足早く運転免許も取り、OLになったのですから…本当に末っ子だったからの選択なのかも知れません。

高校の卒業式の後、母が「この高校に来れて良かったね」と、言ってくれたことは本当に嬉しかったです。

姉たちがいるおかげで、両親の介護も落ち着いて出来たのかも知れません。

上の姉は、私のやっている水素風呂早々に一緒にやり始め…すぐ上の姉も今日一緒に始めようか!!って事で、60歳を前に3姉妹でまた新しい世界が広がりそうで、今日何だかワクワクです。

3姉妹…3人違ってみんないい!!

3と言う数字は、今の私にはちょっとしたキーポイント。

水素・酸素・カイロ

オステ・バーズ・カイロ そして

けいこ・みちこ・ちえこ

父・子・聖霊

そして、先日勤労奉仕に行った友達が送ってくれた★★★星3ッつオリオン星が描かれた夫婦揃いのお箸。

1の今年、トリニティー三位一体がポイントになるのでしょうか。

3人姉妹と言えば、かしまし娘(笑)

 

 

セレンディピティー

数年前、ニュートリノの検出でノーベル賞を受賞した小柴博士が、受賞会見の中こんな風に言われた、

「ニュートリノを観測するために、作られたものではなく、いくつもの偶然が重なった、まさにセレンディピティによる成功だった。やれば出来る…。長い期間準備し、自ら招き寄せたとてつもない幸運…。」

この時、初めて耳にした「セレンディピティ―」という言葉に 何だか凄い魅力を感じ…メモ。

Wikipediaによると、こう書かれている。

セレンディピティとは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

よくいう「引き寄せ力」

人と人の出逢いも偶然のようで、偶然でなくて そこから始まる不思議な世界。

三重の赤塚さんがお話の中で、1日に新しい人10人と出会い続けて行った時、1億2000万人の人全てと出会うには、何年かかるか?と・・・。

1年で3650人
10年で3万6500人
100年で36万5000人
1000年で365万人
1万年で3650万人
2万年で7,300万人
3万年で1億950万人

日本の人口1億2000万人に出会うためには、約3万2000年以上かかるのだと…

では、この地球に住む世界中の人々と出会うためにはどのくらいかかってしまうのか?

ニュートリノの検出も凄いけれど、人が人と出会う奇跡…引き寄せも偶然ではなく、幸運に向けてのセレンディピティ。

そして、昨年末から書き始めたブログの中でも 書いてるうちに
「あっ!これも書いておこう!!」
と書き始めたこととは別のことを書いてたり…。

また、今までは文章にしたこともなく カイロの施術中話す言葉の中で、「あっ!今 わたしいいこと言ってるな~(笑)」なんて、思いながら後で思い出そうとしても言葉が出て来なかったりして…。

実は昨日「カレーライス」のことを書いてたのに、最後は聖書の中「砂漠よ喜び 花を咲かせよ」と…書かされている(笑)

数年前から、聖書や古事記、皇室やエドガー・ケイシー、介護のことやカイロのこと…様々な経験の中 いろんなことが点となって残され、繋がってきている今…。

未来におこる何かのために、今準備させられてるのかも知れないと思うとワクワクする。

人生も出会いも、面白い…。

今日はあの小田 和正氏の名曲「ラブストーリーは突然に」

動けば変わる

「長考に好手なし」

将棋の世界で言われている  この言葉。

人間の頭というものは  結構厄介なもので  今までの経験や世間の常識などなど  考えれば  考えるほど、迷宮入りすることがあります。

学生時代のテストの時など、最初に書いた答えの方が正解だったことなどもあり

また  人生においても  ふっと思いついたことが人生の大きな転機になったりもします。

っていうことで、今日は津の赤塚さんの所で  仲間との新年最初の集いがあり  「おいで!」ということで、津に向かってます。

途中、神戸に寄り道しての  ロングドライブ。

神戸からは、3年前イスラエルの旅からの魂の友も合流してのドライブ。

今、神戸まで到着。

昔、スキーやってたとき、愛媛から志賀高原まで800キロ…好きな曲と冬中の生活道具を車いっぱいに積み込み  軽四で動いてた頃のように軽快に移動中♪

「長考に好手なし」

とにかく  示されるまま 動いて来た私の人生。

聖書の中でも、動けば変わる!

イエスさまが、水をブドウ酒に変えた時も  、目の見えない人が見えるようになった時も

水瓶の水を別の水瓶に動かした時、ブドウ酒になり

土に唾をかけ混ぜて瞼に塗られた目を洗うために動いた時、目が見えるようになった様に…

動けば変わる!

今回も  この先に何が 起こるのか  わくわくしながら  走って参ります♪

今日はTOKIOの宙船

 

 

空の空(くうのくう)

今朝、知り合いの奥様が天に召されたと連絡が入りました。

昨年夏、50歳近くになって、結婚したお二人は この上ない歓びに満ち 恥ずることなく 寄り添い微笑ましい光景でした。

数回しかお会いしてませんが、彼女の魂の底から歓びに満ちたあの笑顔というものは、こんなにも人の心に残るモノなのかと もう会うことが出来なくなった今 しみじみと思います。

結婚後も、遠距離での生活が続いてた様ですが、やっと一緒に暮らし始めたところに訪れたお別れの時。

なぜ?なぜ?なぜ?

神さまは、なぜこんな哀しいことを計画されたのでしょうか?

それとも、二人が出会うことによって 人を愛する歓びをプレゼントしてくれたのでしょうか?

天使のように軽やかに笑い、旦那様を愛して 天に還っていった彼女。

きっと多くの人に愛を届ける為に 地上にやって来た天使そのものだと思えてなりません。

奇しくも、今日はあの阪神淡路大震災から22年目を迎えました。

あの日も、多くの方々が最愛の人と別れ、ツラく哀しい時を過ごしたのだと思うと、本当に「今」をどう生きていくのか…改めて考えさせられます。

旧約聖書 伝道の書より
1章

伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。
伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。

日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。

日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。

風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。

川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。

すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。

先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。

「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。

前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のこともに起る者はこれを覚えることがない。

伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。
わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。
 わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。
曲ったものは、まっすぐにすることができない、欠けたものは数えることができない。
わたしは心の中に語って言った、「わたしは、わたしより先にエルサレムを治めたすべての者にまさって、多くの知恵を得た。わたしの心は知恵と知識を多く得た」。
わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。
それは知恵が多ければ悩みが多く、
知識を増す者は憂いを増すからである。
 そしてまた3章ではこう続く


天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。

生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。

わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。
またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。
わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである。
今あるものは、すでにあったものである。後にあるものも、すでにあったものである。神は追いやられたものを尋ね求められる。
わたしはまた、日の下を見たが、さばきを行う所にも不正があり、公義を行う所にも不正がある。
わたしは心に言った、「神は正しい者と悪い者とをさばかれる。神はすべての事と、すべてのわざに、時を定められたからである」と。
わたしはまた、人の子らについて心に言った、「神は彼らをためして、彼らに自分たちが獣にすぎないことを悟らせられるのである」と。
人の子らに臨むところは獣にも臨むからである。すなわち一様に彼らに臨み、これの死ぬように、彼も死ぬのである。彼らはみな同様の息をもっている。人は獣にまさるところがない。
すべてのものは空だからである。
みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る。
だれが知るか、人の子らの霊は上にのぼり、獣の霊は地にくだるかを。
それで、わたしは見た、人はその働きによって楽しむにこした事はない。これが彼の分だからである。だれが彼をつれていって、その後の、どうなるかを見させることができようか。

抜粋出来ないほど、聖書の言葉のひとつひとつは 心地よく胸に響いてくれます。

空の空、空の空、いっさいは空である…

そして、
みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る。
現世は、うつしよ。 すべては、空(くう)
先に天に還って逝った彼女や私の友、そして母。
天からみるとどうなんでしょうか?
まだしばらくこの「現世(うつしよ)」の世界で、魂磨いて戻ります。
今日の歌は「この空を飛べたら」
https://youtu.be/GmaiWgtaDYI

 

友!

新約聖書 ヨハネによる福音書/15章13節

人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

と、あります。

友ってなんだろう?と、ふと思いました。

学生時代の友、OL時代の友、スキー学校での友、カイロを学んできた中での友、そして結婚してからの友との関わり。

今年もたくさんの年賀状をパソコンで簡単に作り、宛名書きさえもプリンターに頼ってしまい、でも一年に一度だけの元旦に届く友からの便りはまた嬉しくて…

美味しいものを食べに行ったり、どこかに旅に出たり、悩んでることを話してみたり、嬉しいことを共有してみたり、たまに思いが伝わらずすれ違ってみたり…。

この聖書の一節のように、命を捨てられるほどの友って、私にはいるのだろうか?

逆に命を捨ててくれるほどの友もいるのだろうか?

あの大東亜の戦争の時、祖国の為に散って逝った命があり、その命もまた同胞。

アメリカ軍は、誰かが死んでも自分だけは生きて帰りたい!!という思いで戦地へ行き…。

日本軍は、誰かのために 命懸けで戦おうと戦地へ行き…。

250kの爆弾を積んで、敵艦に突撃していった 若き英霊たち。

その様をみて、「クレイジー」と思ったアメリカ軍。

日本が敗戦となり、アメリカが一番恐れていたのは、この武士道精神、大和魂、日本精神。

戦後、教育が変わり私が生まれた昭和37年は、昭和20年の終戦からたった17年。

昔と違って、玄関に鍵がかかり サッシの窓が音も消し、教育や高度成長によって変えられてしまったのか…。

信じる心、愛する心。そして真実を見抜く心。

軍歌であり、準国歌として 歌われてきた「海ゆかば」

行かば 漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

初めてこの歌を目にしたとき、私は衝撃でした。

この歌を小学校から歌ってきた日本。

イスラエルが2000年ぶりに建国される基となった ユダヤ人トルンペルドールは、日露戦争の後、大阪でロシア軍の捕虜としていた時に、日本を手本に もう一度自分の祖国を取り戻したい!とシオニズム運動を興し、

そして トルンペルドールは、テル・ハイの村で開拓中、アラブ人の侵略によって 命尽きる最期の時

「国のために死ぬことはよいことだ」

と言って死んで行ったそうな…。

親子や兄弟姉妹、そして隣近所、学校、職場…魂の触れ合うこの世の中、「袖振り合うも多生の縁」

人類の罪を背負って十字架にかけられたキリスト・イエスのように…

また夏の暑い日も  冬の寒い日も、国民(くにたみ)のため、無私の氣持ちで祈り続けて下さっている陛下のように…

同じ時代に生まれ、出会えた多くの友に…

愛のかたちを、届けられる人になっていきたいと 思う今日でした。

 

 

 

 

ご縁(2)

患者さんが持って来てくれたご縁には、色々なモノがあります。

ちょうど10年程前、「算命学」を勉強している患者さんがおり 私自身は学ばないけれど、算命学ってどんなもんだろう?と本屋さんで一冊の本を買ってきました。

2008年版の算命学の本。

その中に、

「戌亥天中殺の人は、3月になると、本屋さんへ行って氣になる本を一冊買うといい」

と、書かれており  ちょうど私も主人も戌亥天中殺なので 3月に入って早々本屋さんへ…。

NHKでちょうど「篤姫」をやってた頃で、すぐに目についたのが「篤姫」の本。

でもこれは、欲しい本であって氣になる本ではないな~と、もう一冊を探すことに…。

主人は車いすで、色々探しており 私も店内をきょろきょろと見て回り…、

見つけたのが黄色い表紙の「ツキを呼ぶ魔法の言葉」というCDがおまけに付いた、五日市 剛さんの本。

「篤姫」と「ツキを呼ぶ魔法の言葉」この二冊を購入して、早速駐車場でおまけに付いてたCDをセット。

五日市剛さんがお話される、40分くらいのお話を、主人とふたりドライブしながら聴いて…ワクワク。

五日市 剛さんが、イスラエルで出会ったひとりのおばあさんから教えてもらった魔法の言葉。そして変化していった自分自身のこと。

良い本購入できたな~と、我ながらご満悦。

そして、「ツイテル!ありがとう!!感謝します!!!」の
3つの魔法の言葉を 呪文のように唱え…。

そして、この黄色い本を読んでいる中、紹介されてる一冊の本が氣になり、本屋さんへ。

紹介されていたこの本「賢者たちのメッセージ」

その頃、テレビでは「オーラの泉」が放送されており、江原さんや美輪明宏さん、そして著名な方々の名前が記されたこの本もワクワク購入。

一氣に読み終え、そして衝撃を受けたのは巻末に記された「エドガー・ケイシーの珠玉の言葉」の数々。

表紙に書かれた「エドガー・ケイシーに学ぶ」という言葉がやっと目に入り、えっ?エドガー・ケイシーって誰???

と…。

改めて本をよーく読んでみると、ケイシーのことも詳しく書かれており、もっともっとエドガー・ケイシーって何々???と思い、インターネットで調べることに…。

そして、たどり着いた日本エドガー・ケイシーセンターのホームページ。
http://www.edgarcayce.jp/

そこで見つけたのが、5月に広島で2日間開催されるエドガー・ケイシー講座。

「行きたい!知りたい!!」と思ったらじっとしておれず、前年8月に脳出血で倒れ、半身不随の主人を置いていくわけにはいかないから、一緒に広島に行くことに!!

病氣をして初めての旅行。

せっかくなので、講座の前日から広島に行き 厳島神社のある宮島の老舗旅館「岩惣」で一泊。

慣れない車いすでの旅行ということで、由緒正しいこの旅館にさせてもらって、今思えば私たち夫婦にとっても再スタートになったような広島の旅。

そして、翌日広島に移動し会場へ…。

エドガー・ケイシーのことを全く知らない我々夫婦にとっては、この2008年5月、広島で受けた日本エドガー・ケイシーセンター会長光田 秀氏がお話下さるケイシー講座は本当に感激。

実際、案内の中「会長」なんて書かれてた時、もっともっとおじいさんがお話されるのかと思ってただけに、爽やかな笑顔の若い光田先生との出会いは最高に好印象でした。

主人は、ケイシーのなかの健康に関するリーディングに興味津々。その後、ケイシーの食事療法やデトックスの数々を実践させて頂き、

私の方は、ケイシーの語る神さま論に共感。

ちょうど初めて参加させてもらった時「神の探求」の中、“理想”について学ばせてもらえた事は、私にとってベストなタイミングだったと思います。

この初めての広島行き、2日間のケイシー講座は、我々夫婦にとっても旅行と学びとが重なり、その後 何度か参加させて頂くことになり、参加する度に私自身歓びに満ち溢れ、カイロの施術中もケイシーの話でもちきり。

そして、私の中で芽生えた思い…。

「西条に、光田先生 来て頂き、もっともっと多くの方に直接ケイシーのお話を聞いてもらいたいなー」と…。

その願いが、実現されたのが2010年2月。

初めて広島でケイシー講座に参加して2年目の時でした。

もしも2008年3月、本屋さんで違う本を購入していたら、また違う人生が用意されていたのでしょうか?

ケイシーの祈りの言葉に
「私の願いではなく、主よ!あなたの御心が私の内に私を通して行われますように…。今日、今 私が出会う人に対して私を祝福の水路としてください」

この言葉に出会う前に、神さまが私たち夫婦を まだ見ぬ世界へと導いてくれていたことが、今思えば  また 有り難く尊い出来事でもあります。

そして、あの算命学を学んでいた患者さんに会っていなければ、本屋さんにも行くこともなく、ケイシーの光田先生から続いていったご縁もなかったのですから…人生は面白すぎます。

本当に魔法の言葉になった
「ツイテル!ツイテル!ありがとう!!感謝します!!!」