「縁」カテゴリーアーカイブ

神さまの贈り物

太陽院院長 近藤   千恵子です(*’▽’)

メリークリスマス!!

今日、ファミリーサポートで出会ったお母さんから、サンタとトナカイ姿の子供達の写メが送られてきました。

最高に嬉しいクリスマスプレゼント♡

ダイヤモンドはダイヤでしか磨けず…人は人によってしか磨かれないと、ずいぶん前に師と仰ぐ赤塚さんから教えて頂きました。

そして、人は人で輝きを増していくのかも…。

今年の夏に訪ねて来た情報誌のNさん。

営業慣れしていない若い彼女が凄く愛おしく…情報誌の広告にさほど期待もすることはないものの、彼女の情熱に期待し一年契約。

そして、先日配られた一月号。

実は、特別企画で新年のご挨拶のコーナー作るので一万円で如何ですか?と言われこんな風に出させて頂くことに…。

毎月の水素風呂レンタルのチラシはこんな感じ👆

配布されて一週間。

フェイスブックでつながってる方に「ふぁぶーる見たよ!」とコメント頂き…そして、今日は…

「毎月出してる水素のことも氣になるし、顔写真も出てたので…」と、10月の障害者の国体ボランティアで一緒にお手伝いしてた方からお電話いただき…

早速担当の若いNちゃんに効果を連絡すると、一緒に歓んでくれて…。

「しっかりサポートさせていただきますね!!」という言葉通り、サポートしてもらってます。

同じ町に住んでいても、言葉を交わさない人の方が多い中、ご縁合って出合せて頂いた事…。

これこそが、神さまからの最高のプレゼントだと…。

一瞬早すぎず…一瞬遅すぎず…

実は、私も主人も 来年・再来年と戌年・亥年に算命学での天中殺に入る2年。

…なので、天中殺に入る前の今がまたまた大事な時期!!

天中殺は、いつも氣にかけてくれてる神様からの守りが無い時期。試されるとき。

ちょうど主人が倒れた時も天中殺の時。

あっという間に、10年経ちまた天中殺。

クリスマスが毎年あるように、12年に2年間必ず誰にでも訪れる天中殺。

この12年間は正直すごく大変な12年でもあり、また神さまを本当に身近に感じさせていただいた12年。

そしてたくさんの方々との出会いもまた神さまが出合せてくれた恵み♡

今年もあと残り一週間。

人生は色々あって本当に面白い…くる年もまたたくさんの方々に、倖せ届けられるひとりでいたいものです(*^^)v

 

 

日本人で死んでいく為に…

太陽院院長 近藤   千恵子です(^^ゞ

今上天皇のお誕生日の今日、朝から呉で開催される「やまと人への手紙」愛蔵版出版記念コンサートと講演会…行って参りました。

三重県熊野市にある天女座の矢吹  紫帆さんの「スメラミコト」の曲に合わせての舞から始まった、今日のコンサート。

初めて聞かせてもらった紫帆さんの演奏も良かったし、友情出演の舩井勝仁さんのお話もさることながら、やっぱり私自身 何度も聴いたことはあるけれど、赤塚高仁さんのお話が良かったような…。

今年は、赤塚さんの聖書講座に通うことも無く、8月に呉と広島での講演会でお話を聴かせてもらっただけくらい…。

久しぶりのお話だけれども、やっぱり来て良かった!!と…。

そして、西条から一緒に行った恵子さんとは、呉までの往復6時間…行きも帰りも、あっという間に感じるほど お互いずっとしゃべり続け…

赤塚さんのお話を初めて聴いた恵子さん…本で読んだときも感動したけれど、直接聴かせてもらうことで更に感動し泣けて来たと…。

もっともっと聴いていたいほど…

日本人として、生まれて来たからには 日本人として、死んでいきたいと思う魂。

引き合わされ、やまとの心に火を灯され…また改めて背筋が伸びた感じです。

皇室のこと、大東亜の戦争のこと、テレビでも 学校でも教えてくれることのない大切な事。

来年の高校の教科書から、「坂本  龍馬」「吉田  松陰」「高杉  晋作」などの名前が消え…「従軍慰安婦」「南京大虐殺」などという言葉が付け加えられるのだとか…

教育を受ければ受けるほど、訳が分からない一貫性のない日本の歴史教科書。

日本建国から2677年もあと数日で終わり…。

そして、平成も来年終盤。

世界一長く続いてきた日本… 大丈夫か?これからの日本。

改めて、「日本よ!永遠なれ!!」と祈ります。

母の宝物

太陽院院長 近藤  千恵子です(^^)

今日、19日は2013年天に還って逝った母の命日。

朝から何やら時間が取れず、お墓詣りにも行けず…過ぎた一日。

そして、夜探し物をしていたら出てきた一冊のファイル。

開いてみると、母が読売新聞の地方版に、投稿し掲載された短歌や川柳

そして、姉の子供…孫たちの顔が掲載された新聞の切り抜きや幼稚園から送られたおじいちゃんおばあちゃんへのはがき。

母の宝物の数々。

歌会始の切り抜きもあり、また来年の題「苗」の募集要領が切り抜かれていたので、秘かに出していたのかも…。

切り抜きの短歌は…

湯の谷の 湯より上りて 赤々と 稲田を染むる 夕日見てをり

寺の門 足早に入る 遍路らの 白衣は染みぬ 極む もみぢに

そして川柳には…

冬物を もうひと洗い 梅雨晴れ間

立秋が 高校野球で 出番待ち

孫三人 縫上げも出来 七五三

老い二人 登校児等の 声で起き

おばあちゃん あのねのあとは 内緒ごと

手の切れる ようなお札の お年玉

そして、俳句はひとつ

リハビリの 部屋に桜の 花ざかり

そして、そんな新聞の切り抜きと共にはさまれていた 「パーキンソン病」に関する記事の数々。

切り抜きは、平成6年~7年

今から、22~23年前。

母が57~58歳の頃のもの。

今日、母の命日に「見つけて~」と、出てきたような母の宝物たち。

そして、そのなかに私の長野の住所と便箋も挟んであり 千恵  と、震える文字の書きかけの便箋が一枚…。

若い時は うるさいな~とも感じていた母。

病気で身体が動かなくなり…喧嘩することも出来なくなって やっと知る母の存在の大きさ。

そして、命日となる今日 母の宝物のような短歌や俳句などが掲載された新聞の切り抜きに 母の生きてた頃の僖びを共有。

そして、私 やっぱり母の娘に生まれて来て良かったな~と、改めて思った命日の今日でした。

 

 

 

赤いりんごに唇寄せて…♬

太陽院院長 近藤  千恵子です(*’▽’)

先日、長野県志賀高原の麓…山ノ内町に住む友達から、りんごが届きました。

長野オリンピックの前は、大きなりんご園だったその家も、オリンピック道路が出来ることで、リンゴの木は身内で食べるほどの本数になったそうで…

毎年、販売用でなく家庭用に育てられたりんごをひと箱 送ってくれてました。

そして、今年も12月に届けてくれたリンゴは、彼女の愛と優しさがいっぱい詰まって我が家へ…。

そして、必ず入ってる手紙を楽しみに開いてみると…

母も年をとり、そしてリンゴの木も老木に…。来年は送れるかどうかわからないよ。

と、書かれた手紙。

私と同じ年の、彼女は山ノ内町生まれの山の内育ち。

ちょうどスキーのインストラクターをやってた頃、家を貸してもらってた温泉まんじゅう屋さんで働いてた彼女と出会い、それから一緒にカイロプラクティックも学んだ仲間…

彼女が高校生の頃 お父さんが脳出血で倒れ…その後お母さんや姉妹たちで りんご園を守り…お父さんを介護し…。

お母さんは、リンゴの木が好きで好きで大好きで…リンゴ園を持ってる家にお嫁に来たことが嬉しかったそうで…

毎年真っ赤な実をつける可愛いリンゴたちが お母さんの元氣の源。

氣丈なお母さんとも もう15年ほど会っておらず、近くならば会いに行けるのに…と、真っ赤なりんごを見ながら 時の流れと、距離の遠さを感じてしまう私自身も、年をとったな~とも…。

愛媛から長野への距離を車で走り…、また長野から山形への距離を遠いとも思わず雪を求めて動いてた青春の日々。

今でも、車の運転は嫌いでは無く、ホントどこにでも運転していきたいけれど、周りの状況が色々変わり  自分の事だけを思って動けてた時代とは違う今。

昔、聴いた歌に

北で生まれた僕が寒さに震え…
南で生まれた君が汗かいていた

日本にはたくさんの人が住んでるけど
こうして出会ったのも  何かの縁でしょう

という歌詞が凄く好きで 本当に1億3000万人…世界には70億人もの人が住んでいながら、出会える人は、ほんのわずか…。

日本にはスキー場もいっぱいあるけれど、志賀高原に引き寄せられ、そして出会った借りてた家の大家さんやりんごを送ってくれる友達。

あと私の人生が何年あるのか、どんな人とまたこれから ご縁があるのか…想像も出来ないけれど、限りある動ける時…

また長野まで軽やかに車走らせて会いに行きたい!!と、真っ赤なりんごを前に思う友の存在。

そんな友が居ること…出合せて頂いてる天の計らいに感謝です♡

 

伊勢の修養団

太陽院院長 近藤  千恵子です(´▽`*)

今朝、地元 伊曾乃神社での朝10時からの師走の月次祭に、参列させて頂きました。

伊勢の神宮でも、15日夜は外宮さん…16日夜は内宮さんで粛々とかがり火の中、ご神事が執り行われる月次祭…

数多い一年の神宮のご神事の中でも、6月の月次祭と10月の神嘗祭、そして12月の月次祭は三節祭として、大変重要なご神事なのだとか…。

7年前2010年11月に、三重県津市の工務店の社長赤塚高仁さんに 誘っていただき、初めて参加した伊勢修養団での「神話を体感する会」

正座行から始まり、童心行、反省行、そして12月寒波の押し寄せる中での五十鈴川の禊…。

初めて参加させてもらった2010年12月16日~17日の「神話を体感する会」は、脳出血からまだ3年経つか経たないかの半身不随の主人を、ひとり置いて行くことも考えられず夫婦と愛媛の友達5人で参加。

参加することになったのは、ちょうど西条での第4回のエドガー・ケイシー探求講座。

第3回のケイシー講座の時に初めて赤塚さんに西条でお話頂き 私の中の何かにせかされるように、第4回のケイシー講座にも特別ゲストで来ていただいた赤塚さん。

第3回のケイシー講座の時は、ちょうど「はやぶさ」がみつかり地球に帰還する前の2008年8月7日。

第4回は3ヶ月後の11月。

その時は、ペリリュー島のお話しを初めて聞かせて頂き、そしてイエス様ではなく、昭和天皇とマッカーサー元帥との秘密の謁見のお話し。

天皇陛下の存在の有難さを魂の底から感謝が沸き上がり 知ったことで、伊勢の扉が開いてくれたのか…第4回の講座後の懇親会の時、

ケイシーセンター会長の光田先生を囲むテーブルでお話しを聴いてたところ…ふと赤塚さんを囲むテーブルへ向きを変えると、五十鈴川での禊に話が盛り上がってた様で…

「千恵子さんも行く?五十鈴川での禊もあるんだってよ!!」と…

実は、「そんな寒いのいや~」と断ってくれると思い、私に話をふったらしいのだけど…

もともと 荒行大好きな変な私…興味津々で聞き…そして、「主人も行っても大丈夫ですか?」と、聞いたところ…赤塚さんがニコニコ笑いながら「大丈夫!大丈夫!!」と…。

赤塚さんが言うなら…と、私と主人、そしてその日話を聞いてた仲間と5人で12月の月次祭に合わせた「神話を体感する会」へ…。

五十鈴川への禊場がどこにあるのか?

童心行が何なのか?

何も分からない私達ふたり…。

無我夢中でついて行き…夜の五十鈴川の禊では、男性4人に付き添われ…私たちが「禊」終わったころ やっと禊場に到着した主人と介助してくれてる方々。

その中に、「うさと」の佐藤 うさぶろうさんも 主人をサポートしてくれてたり…

そして、禊の後は 短い時間で正装に着替え…神宮に行くというのに、なかなか主人たち一行は戻って来ず…

遠くの方で聞こえるピーポー ピーポーという救急車のサイレンの音に、不安も募り…

そんな中、禊場から車で連れて戻ってくれたり、着替えた後神宮まで車を出してくれたりと、色々お世話をしてくれたのが 伊勢のおもてなし隊の 島  京子さんと斎田  信子さん。

翌年の6月もお二人が、うちの主人が来るからと…張り切ってお手伝いしてくれたほど…

主人が身体が不自由な事で、逆に初めて会う方々に覚えてもらい 様々な状況の中優しさが身に沁み…。

有難いな~と。

神宮内のご神事の際にも、修養団の先生方が一緒に車いすを押して下さり、神宮内の細かい説明も教えて頂けたり…

初めて参加させてもらった二日間は、あれよあれよと盛りだくさんな中終わり…そして二人で来られたことに終わった後、感動の涙。

赤塚さんの「大丈夫!大丈夫!!」という言葉に、何も知らず飛び込み…途中大丈夫じゃない!!とも思いながらも…やり遂げられた2日間。

懲りずに、次の6月の「伊勢の風を感じる会」にも夫婦ふたりで参加したほどだから、やっぱり何か我々を虜にするものがあるのかも…。

主人は、その後家で留守番するほうが、いい事に氣づき…(笑)私がいつも近藤家代表で、お伊勢さんへ…

伊勢の神宮にご縁をいただいた事で、地元の神社の有難さにも氣付くことが出き…

昨年の6月の月次祭以来、伊勢にお参りもしていないけれど、2000年続く日本人の心のふるさと伊勢の神宮。

明日も、寒波の中
「五十鈴川 清き流れの 末汲みて 心を洗へ 秋津島人」

と、和歌が朗詠され素晴らしい日本人ならではの修業を  身を持って体感されるのだな~と思うと、私自身も身が引き締まります。

今年は、例年に比べて 寒さが一層厳しい冬。

愛媛から どうか良き二日間となりますよう…魂いっぱい祈ります。

 

生と死を見つめて…

太陽院院長 近藤  千恵子です(*^^)v

8日、インフルエンザA型と診断された叔母…ようやく熱も平熱になり、あと数日でデイサービスにも行けるかな?と思ってた12日朝、排泄物に大量の出血。

えっ?何これ??何処からの出血?

と、思い主治医に相談に…。

インフルエンザにもかかってるから、あと少し様子見て総合病院に紹介状書いてもらうことに…。

ところが、その日の夜も…翌日の朝も…出血が続き…原因が分からないだけに心配!!

で、昨日インフルエンザ以来姉がみてもらってた叔母、我が家に戻り 8日から入ってなかった水素のお風呂に入り…膣からの出血かと、まずは産婦人科へ…。

2年程前にも 大量出血した事もあり、その時は原因も分からないまま 出血も止まり…

今回2度目っていうことで、しっかり調べてもらったところ、婦人科系の原因でもない様で…もしかして「ぢ」かも?っていうことで総合病院の外科に紹介状書いてもらい…

今朝9時、早速受診。

先ずは「ぢ」の疑いも消え、大腸が原因かも…?と言うことで、明日内視鏡検査するために入院することに…。

病院内、腹部のCT撮りに行ったり…入院するために肺のレントゲン撮ったり…大きな病院を3階に行ったり、1階に行ったり…。

そして、4階に入院。

インフルエンザで体力弱ったことで起こったのか?

もともと病気が隠れていたのか?

結果がちゃんとわかれば良いんだけれど…。

しかし正直、叔母が入院してくれたことで、ちょっと介護から解放される自分が居て…

しばらく入院してくれても良いかも…なんて思う私。

叔母は年が明けると87歳。

まだまだ…と言えばまだまだ平均寿命くらい。

ただ、何もかも忘れてしまう認知症の叔母にとっては、長生きってどうなんだろう?と今日色々検査を受ける姿をみて 改めて思ってしまったりもして…。

母の介護の時、何も話せなくても この身体がこの世にいてくれてたことが嬉しくて、病室に行き全身にオイルマッサージし…触れることが嬉しくて…。

母の時ほどではないけれど、半年も一緒に生活すると 普段元氣すぎるほど元氣な叔母さんの人生の終焉の時を思うと 大変ではあるけれど また寂しくもあり…。

生きるも死ぬも…天任せ!!恐れた奴が負けなのさ…。

この世の旅路の中、親子として…叔母と姪として…夫婦として…姉妹として…友として…出会わせて頂いたご縁の数々に改めて感謝(´▽`*)

 

引き寄せ力

太陽院院長 近藤 千恵子です(*’▽’)

世の中では、「引き寄せの法則」なんて言葉があるけれど、確かに人は何か見えない大きな力によって出逢ったり…別れたり…。

世界中に35億人いる男性の中、引き寄せられた主人は今、私よりもテレビの「陸王」に夢中。

んんん~感動するな~と、隣をみると涙ぐみながら真剣にテレビを見ている主人の顔。

出逢った時、誰も見つけられなかったこんな繊細なやさしさに 引き寄せられたのかも…。

最近、すごく思うのに 人の身体の中にも磁力があり N極とS 極で引き寄せられ…

そしてN極とN極、S極とS極は 近づきたいけど、もうちょっとの所で引き寄せられず…

夫婦はもしかすると 初めN極とS極で引き寄せられ…だんだんだんだん似た者同士に…。

N極とS極からNとN…もしくはSとSに…

そして、子供が生まれて 子供を通して繋がりあう関係。

「子はかすがい」と言われるけれど、本当に磁力で反発してしまいそうな夫婦のもとに、生まれ繋げる子供。

地球の中、磁場が働き…どこに行っても方位磁針はN…北を示し、大海原の中でも目的地に辿り着けるように導く磁力の力。

そして、きっと私たちの身体の中にも 目には見えないけれど羅針盤のようなものがあり 本能によって導き動かされているのかも…。

そしてちょうど今、9日の雅子妃殿下のお誕生日を記念して美智子皇后と雅子妃殿下をクローズアップした番組が放送され…。

皇室に生まれた陛下や皇太子さまと何か大きな力によって出逢い導かれた美智子皇后と雅子妃殿下。

テレビの中、今の今上天皇の時代は「国民と共に歩む皇室」から皇太子さまが即位する時代は「世界と共に歩む皇室」だと…。

なるほど、外交官であった雅子さま…そして昭和の時代民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さま。

神さまは、どの磁石にも引き合わさせず、その時代に一番ぴったりと寄り添う美智子さまや雅子さまを 引き寄せ…。

長い間、身体と精神の不調で苦しまれた雅子さまだからこそ、この混沌とした世界の中、世界一長く続いている日本のエンペラーに寄り添う女性として引き寄せられたのだと…。

126代目の皇室…世界と共に歩む皇室。

そして、ずっと皇室の祈りによって支えられてきた我々日本人は、新しい時代には 我々自身が祈りで持って日本の皇室を守る時代に来たようです。

主はいと優しく…

太陽院院長 近藤 千恵子です(´▽`*)

太陽院で扱っている水素風呂の会社の総会に、行って参りました。

お昼2時から始まる総会…車であさ9時に出発。

と、思ってたところ 朝から叔母の調子悪い!!

階段降りるのも…やっと。

着替えもいつものようにはスルスルといかず…ようやく準備出来、今日はデイサービスでなく姉が夜までみてくれることになっていたので連れて行き…

その後、ATMに寄ると朝からメンテナンス中…。

きゃ~どうなる…と、思いながら東へ東へ…

ちょうど朝のラッシュもあり、またまたきゃ~!!

なんだかんだありながら、新居浜インターから高速に乗ったのが、10時前。

ナビでみると、大阪伊丹の会場への到着時間は13時23分。

思いっきりハイスピードで、高速走り 風の強い瀬戸大橋ではハンドル取られそうになりながらも ひるまず前進。

そして、岡山吉備パーキングでトイレに寄り、朝昼兼用でとパンを色々購入。

エドガー・ケイシーセンターから毎月送られてくる東京でのケイシー講座のCDを聴きながら、パンとコーヒー…。

久しぶりに一人でのロングドライブ。

で、急いでいても 休憩した数分間が到着時間を10分ほど遅らせてしまい、ナビの到着時間は13:32。

「あ~神さま…どうか間に合いますように…」と祈りながらもアクセル踏んで東へ東へ…。

そして、突然ナビが…

「時間短縮ルートが見つかりました」と…。

えッ!!

と、見てみると10分短縮!!

神さま…ありがとう(*´ε`*)チュッ

栄光は神に…

そして、会場近くに無事13時20分過ぎに到着したものの、駐車場がすぐに見つからず、会場周辺をぐるっとひと回り…。

んんん~ないない!!

で、道路隔てた向こう側へ車を回してみると、駐車場から車が2台出庫。

「いや~神さまはやっぱり私にエコヒイキ!!」と、またまた栄光は神さまに返し…会場へ。

13:30受付時間から10分程過ぎてたものの 氣持ちよく受け付けてもらって、二階席へ。

800人以上集まり…一階席は満席。

そして、新商品や新システムなどの最新情報をこの目と耳で見て聴いて…確認。

世の中の動きが速い中、40代の代表と社長が世の中を先取り…健康と美容…世に役立つモノをいち早く提供する事業展開にワクワクしてしまうほど…。

2時から始まった総会、5時半に終わり…帰りにはちょうど出合わした代表と社長に握手していただき…倖せ(´▽`)

そして、小雨の降り出した中 家へと急ぎ高速へ…。

順調に行ってたつもりが、なんとなんと阪神高速に乗った途端目にしたのが、ガソリンメーター。

エンプティランプが点灯し、給油してください!と…。

わわわわわ…。

阪神高速って、パーキングなんて無いかも…と、次の出口「からと」で降りたところが 六甲有料道路へと繋がる道。

ラブホテルがズラリと並び建ち、どんどん山道へ…

そして有料道路の入り口Uターン。

ナビで、「近くのガソリンスタンド」と検索しても、かなり離れてて…大丈夫?と不安も過ぎりながらも 町のにおいのする方へ…。

どんどん下へ下へと下り、ファミリーマートが見え、向こう側にEssoの看板が…

「あ~神さま…またまたありがとうございます!!」

そしてお礼の(*´ε`*)チュッ

結局 戻る時間は1時間ほど遅れ、叔母はなんとインフルエンザにかかってた様で 今晩はそのまま姉の所で世話してくれることになり…。

でも往復8時間ちょっとのロングドライブ

そして、アクシデントに出会う度に感じる神さまのやさしさ。

神さまのやさしさに触れるたびに、主と共に過ごすという生き方。

そしてついつい口ずさんでいる讃美歌「歌いつつ歩まん」

主にすがる我に 悩みはなし 十字架のみもとに 荷を降ろせば
歌いつつ歩まん ハレルヤ!ハレルヤ!
歌いつつ歩まん この世の旅路を

恐れはかわりて 祈りとなり 嘆きはかわりて 歌となりぬ
歌いつつ歩まん ハレルヤ!ハレルヤ!
歌いつつ歩まん この世の旅路を

主はいと優しく 我と語り 乏しきときには 満たしたもう
歌いつつ歩まん ハレルヤ!ハレルヤ!
歌いつつ歩まん この世の旅路を

主のみ約束に 変わりはなし みもとに行くまで 支えたまわん
歌いつつ歩まん ハレルヤ!ハレルヤ!
歌いつつ歩まん この世の旅路を

平和はベッドから…♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

今、お風呂から上がって ブログを書こうとしたところ…テレビでかかるジョンレノンの歌。

明日12月8日は、ジョンレノンの命日の様で…東京ではジョンレノンとオノヨーコの未公開写真展も開かれるのだとか…。

1980年12月8日に射殺され…今年で没後37年。

洋楽をあまり聞かない私でさえ知っているビートルズ…そしてジョンレノン。

番組の中では、ベトナム戦争の真っ只中…オノヨーコさんとふたりベッドに入り…「HAIR PEACE」「BED PEACE」と書いた紙を窓に貼り…

「戦争をする代わりにベッドで過ごそう、髪を伸ばそう、平和になるまで」と、平和を訴え…

その時作られた「Give Peace a Chance(平和を我等に)」の歌が流れ、そして、あの「Imagine(想像しなさい)」と共にジョンレノンとオノヨーコさんが世界に向けて発信した平和へのメッセージ。

もし変えようと思うなら。
本当に変えようと思うなら
世界は変えられる。

とも、言われ…そのためには「想像すること!!」

平和を想像すること!!

多くの人々が、共に戦争ではなく ベッドで愛し合う人たちのように愛の世界を想像すること。

テレビを見ながら…「アーメン!」「アーメン!!」と何度頷いたことでしょう。

心の中…何か少しでも不安の種があると、安心して眠れないように…平和はベッドから!と訴えたジョンレノンとオノヨーコさんに、今更ながら天晴れ!!

先日も、ファミリーサポートで5か月になった旭くんサポートさせてもらい、ご機嫌さんでニコニコしてた所 急にぐずりだし…「ん?眠くなったのかな?」と思い抱っこしてトントンゆらゆらしていたら…スーっと眠ってくれて…。

3ヶ月の頃からちょこちょこサポートさせてもらってる旭くん。

きっと初めの頃だとこんなにすんなり眠ってはくれなかったはず…。

少しづつ少しづつ…幼子でさえ少しづつ安心を覚えて行き、平安を覚えるもの。

心に平安がある時、初めてベッドで休むことが出来ること…。

テレビの中でも、きっとジョンレノンだけではこの曲たちは出来てはおらず、日本人であるオノヨーコさんと愛し合い結婚したことによって作られたモノなのだと…

事実、今年6月「Imagin」の作詞作曲が ジョンレノンだけで作ったものでなく、二人での共作であることが認められたのだとか…。

ジョンレノンが、靖国神社の入り口…菊の御紋の前で取ってる写真はあまりにも有名であり…また伊勢の神宮にも訪れ、日本の神道をまさにその場に立つことで、想像し地球の平和への未来を願ったのかも知れません。

そして、日本の畳の生活を体験することは、玄関で靴を脱いでの生活…これもベッドでの平和へのメッセージのきっかけになったのかも…

神さまが、イギリスで生まれたひとりの男性と日本で生まれたひとりの女性を出会わせ…共に愛し合い、そこで芽生えた平和への芽。

誠に、神のなさることは、すべて時にかなって 美しい…です♡

昔、船井幸雄さんが 「100匹の猿現象」というお話をされたように、一人ひとりが平和を想像すること…地上にエデンの園をつくることを思い描き想像した時、大きな大きなものが動き出すと思うと、本当にワクワクしてしまいます。

そして、先ず平和は家庭から…ってことでしょうか(*^^)v

 

 

 

 

 

冬将軍到来☆

太陽院院長 近藤 千恵子です>^_^<

12月に入り…5日目。

早くも冬将軍が、日本列島に寒波を運び…年の瀬モードにスイッチが入ったような感じ。

高校を卒業して、就職した先のボーナス支給日が毎年7月5日と12月5日。

25歳で会社を退職して もう30年経っても 7月5日と12月5日は、「あ~ボーナスもらってたな~」と、思いだすほど…(笑)ぼー

世のサラリーマンの人やOLさんを唯一良いな~と思ってしまうような日。

OL時代のボーナスは、旅行や買い物…そしてスキー始めてからは、夏と冬のボーナス全てスキーにつぎ込んでたような感じ…。

ちょうどバブルの頃、12月に入るとクリスマスのパーティー券なんかもあり、年に数回の夜遊びを楽しみにしてた頃…。

あれから30年…時代も変わり、私自身の生活も変わり、そんな中 考え方も昔とは変わったような…。

一つひとつ扉が開き、一つひとつ変わっていくモノ。

だから人生は面白い。

スキーが大好きでやってた頃 冬将軍がやってきた!!と聞くと、嬉しくて嬉しくて わくわくしてた私だったけれど、今では冬の寒さに 身体は縮みアウトドアなんて とてもとても…。

52歳で 筋肉が硬縮するパーキンソン病にかかってた母にとっては、本当にひと冬ひと冬寒さが堪えてなんだろうな~と、今更ながら思わされ…

年を取り…原因不明と言われるパーキンソン病を抱え 不安さえも抱きながら過ごしていた50代後半…

母のツラさや思いなど見ないふりして、スキーに行ってた冬。

雪の季節、家を離れて住む私のところへ母が届けてくれるお米やみかん…そして、 その中に入っている 病で震える右手で書かれた手紙。

私自身、今55歳…母が病と共に生きた数十年を考えると、本当に勝手な娘で、何もしてあげることが出来なかったな~と今更ながら「ごめんね…ありがとう…」と、頭が下がります。

そして、膝は悪いけれど まだまだ元氣で動ける今…母が出来なかった 遊びも 仕事も 介護も…すべてのこと…

にっこり笑ってやっていきたいと 思わされます。