「家族」カテゴリーアーカイブ

母の宝物

太陽院院長 近藤  千恵子です(^^)

今日、19日は2013年天に還って逝った母の命日。

朝から何やら時間が取れず、お墓詣りにも行けず…過ぎた一日。

そして、夜探し物をしていたら出てきた一冊のファイル。

開いてみると、母が読売新聞の地方版に、投稿し掲載された短歌や川柳

そして、姉の子供…孫たちの顔が掲載された新聞の切り抜きや幼稚園から送られたおじいちゃんおばあちゃんへのはがき。

母の宝物の数々。

歌会始の切り抜きもあり、また来年の題「苗」の募集要領が切り抜かれていたので、秘かに出していたのかも…。

切り抜きの短歌は…

湯の谷の 湯より上りて 赤々と 稲田を染むる 夕日見てをり

寺の門 足早に入る 遍路らの 白衣は染みぬ 極む もみぢに

そして川柳には…

冬物を もうひと洗い 梅雨晴れ間

立秋が 高校野球で 出番待ち

孫三人 縫上げも出来 七五三

老い二人 登校児等の 声で起き

おばあちゃん あのねのあとは 内緒ごと

手の切れる ようなお札の お年玉

そして、俳句はひとつ

リハビリの 部屋に桜の 花ざかり

そして、そんな新聞の切り抜きと共にはさまれていた 「パーキンソン病」に関する記事の数々。

切り抜きは、平成6年~7年

今から、22~23年前。

母が57~58歳の頃のもの。

今日、母の命日に「見つけて~」と、出てきたような母の宝物たち。

そして、そのなかに私の長野の住所と便箋も挟んであり 千恵  と、震える文字の書きかけの便箋が一枚…。

若い時は うるさいな~とも感じていた母。

病気で身体が動かなくなり…喧嘩することも出来なくなって やっと知る母の存在の大きさ。

そして、命日となる今日 母の宝物のような短歌や俳句などが掲載された新聞の切り抜きに 母の生きてた頃の僖びを共有。

そして、私 やっぱり母の娘に生まれて来て良かったな~と、改めて思った命日の今日でした。

 

 

 

日本の国のお誕生日に向けて…

太陽院院長 近藤  千恵子です(^^♪

今朝、来年の2月11日の建国記念日奉祝大会実行委員会に参加して参りました。

例年、石鎚神社会館で開催されていた奉祝行事。

今年は、西条市総合文化会館の大ホールでの開催。

石鎚神社の神社会館では400名程の座席が満席になってはいたものの、今回の総合文化会館大ホールは、900名弱入れる会場。

12月…一週間後に訪れるイエス様のお誕生日を世界中が待ちわびるけれど、私達日本人にとっては、この日本という国が生まれた日…2月11日も共に歓び分かち合いたい日。

日本国の誕生日♡

来年皇紀2678年…イエスさま誕生の日より660年前に出来たアジアの東にある神国日本。

660年後に生まれたひとりの男性の歴史が書かれた聖書と、世界一永く続いている私たちの祖国日本が出来るまでの神話と歴史が書かれた古事記。

古事記は、イザナギ・イザナミによる国生みから始まり、天孫降臨、国譲り…と神々のお話から始まり、神武天皇の東征によってされた日本の建国。

私自身、この世に生まれて来るためには 父と母がお見合いをし 出会い結婚したことによって 今こうして地上で存在している肉体。

その父と母にも、両親がいて…またその両親にもそれぞれ両親がいて…受け継がれてきた命の歴史。

今日、来年の建国記念奉祝大会の会場が大きくなったことで、もっと大勢の方々に知ってもらいたいけれど、市の教育委員会やメディアでは取り上げることが、タブーらしく…

あ~あ…本当に日本大丈夫???と首をかしげたくなるばかり…。

戦後、作られた経済の急成長と、西洋化。

そして、利己主義の世の中…。

日本を選んで生まれて来た1億2000万人 とり一人の魂は、きっと胸の奥深い所で、

「いやだ!!いやだ!!…こんな為に日本に生まれて来た分けじゃない!!」と、叫んでいる魂も有るのかも…。

わけわからず誰かを傷つけたり、いじめたり…叫びたくなったり…。

肉体と魂のバランスが保てず、うつ病に悩まされたり…死にたくなったり…。

何もかもが手に入る世の中だからこそ、ぽっかり空いた自分の身体の中の空洞。

きっと、一人ひとりが生きて行くうえで もっとも大切なこと…自分のルーツ。

両親の良い所も嫌な所も全て受け入れることで、愛せる自分の存在。そして、また自分自身の良い所も嫌な所も知り受け入れることで、輝く自分自身。

日本の国のルーツを知る!!そして、日本の国を知る!!
そして、誇りに思い…歓び…愛する♡

家族にも…友達にも…自分自身にも繋がる愛へと繋がる道。

来年、西条での建国記念奉祝行事には、ブログ界の巨匠…ねずさんこと、小名木 善行氏♡

歴史はもちろん…古事記も百人一首もカタカムナもヲシテ文字も 何でこんなにも分かりやすく…しかも詳しいの???と言いたいほどのねずさんの伝えてくれる様々なこと。

きっと地方で、ねずさんのお話を聴けることは草々なく しかも建国記念奉祝大会は無料。

今年は、抽選会まであり大盤振る舞い!!

来年皇紀2678年、奈良の橿原で 日本国として誕生した私たちの住む日本のお誕生日2月11日。

どうか是非、西条文化会館大ホールにお集まり下さいませ!!

冬将軍到来☆

太陽院院長 近藤 千恵子です>^_^<

12月に入り…5日目。

早くも冬将軍が、日本列島に寒波を運び…年の瀬モードにスイッチが入ったような感じ。

高校を卒業して、就職した先のボーナス支給日が毎年7月5日と12月5日。

25歳で会社を退職して もう30年経っても 7月5日と12月5日は、「あ~ボーナスもらってたな~」と、思いだすほど…(笑)ぼー

世のサラリーマンの人やOLさんを唯一良いな~と思ってしまうような日。

OL時代のボーナスは、旅行や買い物…そしてスキー始めてからは、夏と冬のボーナス全てスキーにつぎ込んでたような感じ…。

ちょうどバブルの頃、12月に入るとクリスマスのパーティー券なんかもあり、年に数回の夜遊びを楽しみにしてた頃…。

あれから30年…時代も変わり、私自身の生活も変わり、そんな中 考え方も昔とは変わったような…。

一つひとつ扉が開き、一つひとつ変わっていくモノ。

だから人生は面白い。

スキーが大好きでやってた頃 冬将軍がやってきた!!と聞くと、嬉しくて嬉しくて わくわくしてた私だったけれど、今では冬の寒さに 身体は縮みアウトドアなんて とてもとても…。

52歳で 筋肉が硬縮するパーキンソン病にかかってた母にとっては、本当にひと冬ひと冬寒さが堪えてなんだろうな~と、今更ながら思わされ…

年を取り…原因不明と言われるパーキンソン病を抱え 不安さえも抱きながら過ごしていた50代後半…

母のツラさや思いなど見ないふりして、スキーに行ってた冬。

雪の季節、家を離れて住む私のところへ母が届けてくれるお米やみかん…そして、 その中に入っている 病で震える右手で書かれた手紙。

私自身、今55歳…母が病と共に生きた数十年を考えると、本当に勝手な娘で、何もしてあげることが出来なかったな~と今更ながら「ごめんね…ありがとう…」と、頭が下がります。

そして、膝は悪いけれど まだまだ元氣で動ける今…母が出来なかった 遊びも 仕事も 介護も…すべてのこと…

にっこり笑ってやっていきたいと 思わされます。

記憶されない脳

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

11月も今日で終わり…明日から師走今年最後の月。

認知症の叔母が我が家に来て、丸6ヶ月が経ちました。

我ながら、頑張ってるな~と自分でも思うほど…記憶されない脳からの行動。

9月に介護度の調査があり、身体的には元氣過ぎるほどの叔母…グループホームに入った時が介護2の状態から、5年目辺りで介護度が高くなり、介護4に…。

そして、我が家に来て必ず目の届く範囲に居ることで、グループホームで生活していた時のような数々の失敗はなくなったものの、今回の調査でも介護度は4のままで、認定はおり…。

身体の機能が低下して介護を受けるのとはまた違う、認知症の叔母との生活。

朝起きて、身支度をしデイサービスに送り出し、夕方帰って来て寝るまで…何度 「とみおばさん!」と呼びかけることでしょうか?

そして日々子供ならば記憶され成長していく脳と行動。

トイレの蓋を開ける所から座ること…水を流すことも全て毎日繰り返し繰り返し「これはこうして…これはこう…」

そして、時に全く違うことをしたり…なかなかやってくれなかったり…。

子育ての経験のない私…良く小さい頃 母が言う事を聞かない私に、「もーーー何しよん!!」「はよ これもせんかね…」と、イライラしながら怒っていたことがあるけれど、

私自身、今 叔母との生活の中 自分でもびっくりするほど 声を荒げて怒鳴ってたりする自分に出会い…、そして、そんなにひどく怒っているのに、30秒もすると忘れて 私に甘えてくる叔母が居たり…

2年前くらいは、グループホームに行っても 「千恵子ちゃん!!」と名前を呼んでくれてたのに…今ではいつも「お姉さん」と呼ばれ…。

何度、覚えて…と言っても 一瞬で忘れ…「お姉さん」

もう6ヶ月も呼ばれると慣れてくるのも…不思議(^^)

デイサービスも毎日初めまして…。

戻ってくる我が家も、我が家ではなく…遊びに来ているような叔母。

私自身は、ちゃんと社会生活を送っていた まともな叔母を知ってるけど、主人からすると 叔母のどの行動も信じられないような行動。

「これが認知症」と、わかっていても 理解しがたい行動の数々…。

「認知症の人と暮らす体験セミナー」でも開きたいくらい!!

いつでもお貸しします(笑)

ただ、本当に日々誰かの為に動くこと…考えることは僖びでもあるし、私が居ないと何も出来ない叔母が愛おしくもあり…♡

6ヶ月も一緒に暮らすと、何となくパターンがわかり智慧がわき…なんだかんだで11月も無事1ヶ月終えることが出来ました。

普通でも慌ただしい師走12月。

どんな状況も、笑って超えるために神さまが与えてくれた修行の様な日々。

どんな風に、この一年が締めくくられるのか…そして、なんだかんだで片づけも後回しの我が家…どうなるんだ~(>_<)

祈っても…願っても…動かなければ 何も起こらない!!

よ~し…先のことは誰も分からないけれど、叔母と暮らすことによって 自分の中の凄い怒りにも出会い…

そして、やっぱり放っておけない愛の世界も日々体験し…。

この坂を越えた向こうにまだ見たことのないような 大きな光があること… 自身の中で、不思議な確信となっている今。

このブログも もう少しで投稿日数365日。

三日坊主の私だけど…何だかこうして書くことで頭の中が整理され 私を改めて生きる。

お風呂に入り…赤子のように寝る叔母の倖せな寝顔に 今日も無事終えられたこと 全ての人に…感謝感謝です。

チラシ最強のルール

太陽院院長 近藤 千恵子です(´▽`*)

昨日商工会議所から送られてきたFAX。

何だろう?と見てみると、経営力向上セミナーご案内。

タイトルは
「繁盛店が必ずやっているチラシ最強のルール」

商工会議所さんのセミナーは、年会費5,000円払ってるだけなのに、かなり中身の濃い講師の先生のセミナーを地元で無料で受けられ…凄く有難く氣になるセミナーは早めに申し込みさせて頂いてたのですが…

今回のセミナー…うっかり見落としてしまってたみたいで…送られてきたFAXに 今日のお昼14:00~2時間

行ける~!!ってことで、行って参りました(*^^)v

講師は、中小企業診断士の渋谷 雄大(しぶや たけひろ)氏

テンポ良く、展開していくチラシ作りのヒントを次から次へと伝授頂き…なるほどなるほど~。

カイロを始めた頃、施術会の案内をパワーポイントで自分で作り…色々な講演会の案内のチラシも何度も作ったことはあるけれど…

今日お話し伺い…位置や文字、タイトルをちょっと変えるだけで大きくインパクトが違ったり、効果抜群になる方法。

そして、何よりターゲットの絞り方が大事な事を痛感!!

万人に愛され見てもらうことを、ついつい思ってしまうけれど そうじゃなかったんだ~!!と目から鱗。

男性が好む女性でも、人によって好みが違い…

天然ボケタイプの女性が好きな人もいれば…
理系女子のような女性を好む人も…
そして、今はインスタ映えするような女子を好む人も…。

また、この3タイプの女性をターゲットに商品を売り込む場合…

天然ボケタイプ(私はたぶんこのタイプ)の女性は、体験してみたり、お店の人の人柄や雰囲気重視だったり…

そして、理系女子はもちろん商品の中身(商品のスペックやエビデンス)、そして権威に弱く、理屈・根拠・開発秘話に弱かったり…

またインスタ映えするような女子への売り込みは、とにかくおしゃれに…また、他の人が持って無い!そしてついつい衝動買いしてしまうのもこのタイプなんだとか…。

カイロプラクティックの院を開いて早22年目を迎え…老若男女を相手に出来る仕事ではあるけれど、私のキャラ事態が矯正師っていう感じでも無く…近所のたこ焼き屋のおばちゃん。

そんな氣さくな所が良いって思ってくれる人ばかりではないのも確か…。

まさに金子みすゞさんの世界「みんな違ってみんないい」

今日、私自身天然ボケタイプの人間と知ったことで、変わってくる様々なタイプの方々との関わり方。

知ることの大切さ。

元来不器用だけれど…いつも素敵なセミナーを開いて下さってる商工会議所の方々の厚意に感謝し、そしてしっかり繁盛店目指します(^.^)

 

 

 

母の乳房にゃかなわない♪

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)

今年に入り、市の子育て支援のひとつ…ファミリーサポートは大人氣♡

今日は、朝10時半から1時間…生まれて4か月の男の子 そして、夕方5時半から2時間…1歳1ヶ月の男の子のサポート。

実家が遠く、西条に知り合いがいても いつもお願いが出来るわけでもなく…そんな子育て中のお母さんへ心と体でサポート。

そして、今朝10時半からのサポートは お母さんが歯医者さん受診の為のサポート。

出掛ける30分程前から お昼寝モードに入り…私は、起きて泣いたらアヤしてくださいと言われ…こたつの中でのんびり。

そして、お母さんが戻ってくるまで…起きることも無く任務完了。

今日のサポートは申し訳ないくらいですが…居るだけで安心するんだと言ってもらって、何だかホッ!!

そして、夕方5時半からは 乳児園にお迎えに行き、お母さんが迎えに来るまで我が家で夕食済ませて待つサポート。

11月から職場復帰したお母さん。

きっと生まれてからずっとお母さんの愛情いっぱい受けて来たのか…今日で3回目のサポート…乳児園に迎えに行って連れて帰るときもいっぱい涙流して泣き…

そして、我が家に到着しても泣きやまず…これまでもそうだったから、んんん~いつ慣れてくれるかな?と思いながら…夕食。

人見知りは、子育てが上手く出来てる証拠なのだとか…。

誰にでも 人懐っこい子も可愛いけれど…人見知りでお母さんを世界でひとり全身全霊で頼ってくれる赤ちゃん!

私自身子供が居ないから…正直うらやましいくらい。

で、今日も泣きながらだけど、ちゃんとご飯は口を開けて食べてくれて…

前回は、さつまいもや豆乳を加えた甘いカレー。

そして、今日は鶏肉とシイタケ、ニンジン、玉ねぎの中に、ごはんと卵を入れて…お雑炊&サバのしょうが煮。

ホント泣きながらだけど、お口はしっかり開いてくれて、8本生えてる歯でモグモグ…ゴクン。

そして、コップの中の水素水もスプーンですくって口元に置くと…すーっと飲んでくれて…。

今度はコップを指さしお水が欲しい…と。

だんだん泣き止んで食べ終わった時にはケロリ。

そして、テーブルの近くに置いてあった電卓をいじって見たり、ボールペンを右手と左手に握って…にクルクル神に書いてみたり…。

そんな風にだんだん我が家にも慣れてくれて…

子供が居るだけで癒される空間。

認知症の叔母も子供にくぎ付け…。

ずっと眺めて居たいけれど、お母さんがお迎えに…。

お母さんの顔をみると、またウェーンと泣いては見たけど 今日はすぐに泣き止んで…

でも、お母さんに抱っこされて帰っていく姿みていると、随分昔流行った明石家さんまさんが歌った「真赤なウソ」っていう歌の一節

「女の乳房にゃかなわない♪」っていう歌詞が頭にリフレイン。

今度、預かるときはもう少し人見知り減っているかな?…と、次も楽しみに…。

それにしても…まだ言葉も発しない子育て中のお母さんには、ホントにいっぱいいっぱいエールを送りたいです。

 

なんとなんと…

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^。^*)

なんとなんと…私 大丈夫?って感じです。

と、言うのも昨日の太陽院院長のブログ…11月21日なのに、1221ミラーナンバー…なんてことを。

まだ11月なのに…12月21日なんて書いてしまった…私。

んんんんん~認知症は感染症ではないので、叔母からうつされたわけでもなく…ただのうっかり だと思いたいのですが…。

そして、今日は昨日のポカポカな日とは、打って変わって小雨…。

そして、今日は11月22日…正真正銘のいい夫婦の日♡

2年前の今日、エドガー・ケイシー研究の第一人者光田  秀氏と奥様の作詞家 吉元由美さんをお迎えして…「いい夫婦の日講演会」開催させてもらいました。

夢の大家 坂内 慶子先生が夢をみて…出会うことになった一組の夫婦。

人間の叡智を越えた 超意識から与えられるのメッセージ。

そのメッセージを真摯に受け入れることの出来る坂内慶子先生と光田先生そして由美さんだからこその夢からのメッセージ。

そして、私自身は夢予知などは無かったけれど…うちの主人に初めて会った時思ったのは…

「うわっ!!こんないい人が残ってた…」

と、大盛況のお店に閉店ギリギリに入って…お目当てのモノが残ってた~って感じ。

そして、結婚して…ん?ん?んんん??

家族でもない…友達でもない…他人だけど他人じゃない…夫婦♡

ブルゾンちえみじゃないけれど、この地球上に男性は…35億。

その中で、巡り合い結婚まで繋がることの奇跡。

骨まで愛して…という歌がありますが、私の父…

母が一足早く天に還って逝き、通夜の日病院から戻った母を迎えた父。

愛おしそうに、顔や頭…身体を撫でる父。

そして、なんとドライアイスをも 重いじゃないか…と除けてしまうほど…。

あ~私の父と母は、若い頃は喧嘩もしたりしてたけど 母が病気になり、また父も脳出血で倒れて…ふたりでひとり。

一緒に仲良くデイサービスにも通っていた頃が二人にとっては本当に倖せなふたりの時間だったのかも知れません。

そして、母の葬儀の後 焼かれて帰ってきた骨壺の骨を 新聞紙の上に並べてたという父。

骨まで…愛した父の愛。

今度生まれ変わっても絶対一緒になって欲しいと思うし、またこの両親の子に生まれたことを誇りに思う今。

私自身、今年結婚18年。

36歳で結婚し、金婚式を二人で迎えようと思うと 主人が87歳と私が86歳までお互い元氣でいないと迎えられない。

まだまだ、愛の修行は続きます♡

 

母の記念日

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^_^*)

11月15日は、4年前天に還って逝った母がこの世に生まれた日。

昭和8年…1933年酉年11月15日に、この世に生まれ来て…

平成25年…2013年巳年12月19日に、天に還って逝った一つの魂。


日数…29,255日

週数…4,179週+2日

月数…961ヶ月+5日

年数…80年+35日

年月数…80年+1ヶ月+5日


そして、私が母と過ごした時間はその内の

日数…18,712日

月年数…51年+2ヵ月+23日


と、言っても1999年4月30日嫁ぐ日までとするともっと短くなってしまうけど、実家から車で3~4分の場所に住み始めた私としては、やっぱり生まれてから 天に還って逝く日まで一日でも多く見積もりたい感じ…。

実際、お腹の中に居る時も足すと、+10ヶ月と10日も足すと…約52年

長い長い地球の歴史の中、親子で居た時間。

末っ子だから、姉妹の中では一番短い時間。


母娘だから、わかることも有るけれど…

母娘だから、言いたくないことも…

でも、確実に言えるのは やっぱり「母の娘に生まれて来て良かった~」と…。

52歳からパーキンソン病と診断され…今の様に簡単に情報を入手できる時代でもなく、難病と診断されたことで益々病気に近づいて行ってしまったような…。

母がちょうど亡くなった時、私は母が病気になった年齢。

そして、5月末から一緒に暮らし始めた認知症の叔母は母のお姉さん。

52歳で病にかかり、きっと元氣だったら、あれもこれも…やりたいこともあったはず…。

そして、結婚しなかった叔母をみるのも きっと母が元氣で身体が動いていたら 母の役割だったかも…

そんな母の出来なかったことや、やりたかったこと…命ある者が引き継ぐ役目。

そして、天に還って逝った母の魂も、きっとまた魂を磨きにこの地球にやってきて 私自身もまた同じ時を選んで生まれ出て来てるのかも…

私自身の死生観…そして輪廻転生。

2008年に出逢ったエドガー・ケイシーを通して学ばせてもらったことで、超えられた大切な人の肉体とのこの世のお別れ。

魂は永遠不滅の高貴な存在!!

今日この世に生まれた魂も…明日天に還って逝く魂も…

限られた肉体を背負ってのこの世での生活。


29,255日…80年+1ヶ月+5日

この世で生きたひとりの女性であり、子であり、妻であり、母であった私の母。


母と叔母は、姉妹であっても全然違うけれど…叔母が天に還って逝った時 母が姉である叔母に…「いい子育て…したね!」と、言ってもらえるように コピッと頑張ります。

 

花の27歳おめでとう!!

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^_^*)

今日11月8日は、私の4つ年上の姉の娘…姪っ子の誕生日。

姉は、2回の流産の後 姪っ子を帝王切開で27年前の今日出産しました。

色々あって、姪っ子が幼稚園の時に離婚。

まだ独身だった私は、結婚するまで姪っ子と一緒に暮らしていたので、もう一人の姉の子供達より絆が強く、幼稚園から借りてくる絵本を読んで一緒に寝てたほど…。

私の父は お父さんのいない姪っ子のお父さん替わり…。

姪っ子がまだ小学校低学年の頃、香川県にあるレオマワールドへ姪っ子を連れて行った父。

今89歳の父は、70歳前後のころ…

しかも高血圧で、数年後には脳出血で倒れた父。

そんな父は、姪っ子と一緒にジェットコースターの列に…。

幼児用のジェットコースターだけど、年齢制限は60歳まで…

しかも高血圧の方は、おやめください…と書いてあったのだとか…。

B型の父は、そんなこと全く氣にすることも無く、また係りの人に年齢は?…と、聞かれ「65歳です」と。

「65歳の方は、乗れないんです」…の言葉に「60歳です」と言って一緒にジェットコースターに乗ったというほど…。

4年前に天に還って逝った私の母も、小学校の時は宿題を見てたりしたけど、おかげで姪っ子…算数が出来ない(笑)

吉本やドリフが大好きで…昔は吉本興業の花子をリスペクトしてたこともある姪っ子。

姪っ子がいたことで 父も母も姉もそしてもちろん私も倖せな時間を共に過ごし…

一緒に住んでる私の両親の介護も手伝ってくれ…なくてはならない尊い存在。

もしも、姉が3度目の子も流産をしてたら、出会って無かった姪っ子。

人がこの世に生まれて来る奇跡。

家族になる奇跡。

今日、バースディーケーキを持って行った時、「私、付き合って下さい!」って言われたんだ~と、嬉しそうに話す姪っ子。

最近、友達から紹介されてちょこちょこ会ってた彼氏。

我が家に子供がいないだけに、我が子のような姪っ子。

花の27歳…姪っ子に倖せ山ほど降り注ぎます様に…(*^^)v

 

今まで生きて来た中で…

太陽院院長 近藤   千恵子です(^^)/

25年前14歳でオリンピック金メダルを獲得し、優勝の感想を聞かれ

「今まで生きてきた中で一番嬉しいです」と、答え…誰もがその初々しさと歓ぶ姿に感動した水泳の岩崎恭子選手。

今日、夕方かかっていたテレビの中で、

「今、39歳になった岩崎恭子さん…バルセロナの金メダルが今でも生きてきた中で一番嬉しい事か?」という質問をする番組。

14歳の映像も流れ、そして現れた39歳岩崎恭子さんは 柔らかな笑顔で、テレビのインタビューに答えておりました。

そして、今でもあのオリンピックで金メダルを取ったことが人生で一番嬉しかったことか?との問いに…NO!

にこやかに笑いながら、これまでの人生で嬉しかったことは

「娘の成長」だと…。

そして、今日も学校に行く姿に、倖せを感じ…。

更に、恭子さんの話では、水泳は自分だけのことだけど…娘の為に何かする方が嬉しい…と。

倖せになる定義そのもの…。

そして、娘の成長の次には、「結婚・出産」が、オリンピックの金メダルよりも倖せ感は上!!

バルセロナの次のオリンピック…アトランタにも鳴り物入りで出場…かなりのプレッシャーだったと思うけれど、アトランタでは 予選落ち。

さぞツラい思い出のアトランタかと思い見ていると、

「アトランタにも出させて頂き、人生の中 2度もオリンピックに出られたこともバルセロナで金を取った時と同じくらい嬉しかった」と…。

人は自分だけの為に生きようとしても…所詮自己満足の世界。

誰かの僖ぶ顔を見る時、自分自身のなかで僖び物質セロトニンやドーパミンが発生。

こうやってブログ書きながら、私の母が52歳からかかっていた「パーキンソン病」のことを思うと、今更ながら我儘な私を反省してしまいます。

パーキンソン病とは、脳の中でドーパミンが出ないことで 半身の筋肉が硬直したり、震えたり…。

家族や子供の為に、一生懸命してくれた母に…私自身「あたりまえ」と思ってしまってた所がいっぱい。

生まれた時から、ずっと母の愛は変わらず降り注いでくれるものと、思い込み…あたりまえと感謝すらなかった若い頃。

病にかかり、老いていく母を見せられた時 初めてあたりまえでない存在に、感謝が改めて湧き出たほど…。

母の愛にもっともっと素直にありがとう…と感謝していたら、母の脳内物質ドーパミンも、もっともっと出ていたかも…。

今更…ですが…。

岩崎恭子さんの「娘の成長」がオリンピックの金メダルよりも、2度のオリンピック出場よりも…僖びが2倍だという言葉に、

私の母も同じように 娘達の成長や僖びを何よりも誰よりも 僖びにしていたのかな~と思い、また天に還った今でも同じ思いで見守ってくれてることを思うと…

本当に母の愛に…感謝いっぱいです。