「大和魂」カテゴリーアーカイブ

ヤマトの心、島人の心、お産の心

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

朝8時過ぎ、西条を出発…広島フジハラレディースクリニックで開催の講演会、主人と一緒に行って参りました。

「日本はひとつ」と題した今日の講演会。

お話は、日本のジャンヌダルクと言われる我那覇 真子(がなは まさこ)さんと、岡田准一や松本潤と肩を並べる(?)ほどのイケメン(??)ヤマト心の伝道師 赤塚 高仁さん…そして 日本人の持つお産のイメージを払拭し、バーストラウマからの解放を願うフジハラレディースクリニック院長 藤原 紹生氏。

フジハラ先生のお話の中、お産への痛い!ツラい!怖い!のイメージの中生まれてくる子供達への影響を思うと…なるほどな~と…

フジハラ先生のところでの 出産直後のお母さんの表情や言葉に、私自身出産経験はないモノの そんなに倖せなお産って体感してみたいな~と、思うほど…。

そして、今日の講演会の最中にも、ひとりの命の誕生があったそうで…1階の講演会場から分娩を終えたお母さんと赤ちゃんに「おめでとう!!」の拍手と祝福の言葉 みんなで贈らせて頂きました(*^。^*)

そして、我那覇 真子さんのお話にも感動!!

まだ20代の彼女は沖縄の北部出身。

そして、今報道される沖縄の基地問題や、沖縄へ群がってくる日本をダメにしようとする報道や左翼の人々への 島人(しまんちゅ)の思いを熱く熱く語ってくださいました。

誰にも、何にも屈しない姿勢…なんと真実を伝える為に国連でも演説をされたほど…。

彼女の中に流れているのは、まさにサムライスピリット!!

そして、彼女の根っこにあるものは、まさに沖縄への愛…島人の心。

お話の中でも、我那覇という3文字の苗字は、沖縄では昔サムライだった人の名前なんですよ!!と語る彼女の笑顔。

久々にスカッとするような 講演に…エネルギーを頂きました。

そして、最後に読まれた回天の搭乗員の遺書に、ノックアウトされました。

ありがとうございます…祖国日本の為に 命を懸けて戦ってくれた先人の思い…私も忘れません!!

そして、そして…赤塚さんのお話は、我那覇 真子さんのお話を引き継いでの特攻兵のお話から…。

赤塚さんの著書「聖なる約束 ヤマト人への手紙~教育勅語と言う祈り~」の中にも書かれていた、ハワイ真珠湾にある戦艦ミズーリのお話。

戦艦ミズーリに体当たりするために突撃した特攻兵…石野節雄さんのお話。

へこんだ船体とその後米軍によって弔われたお話とミズーリ号の写真。

そして、お話の中 聴けなかった石野さんの遺書。

赤塚さんのメルマガより添付してみました!

石野節雄
神雷部隊第5建武隊
昭和20年4月11日 12:15出撃
岡山県出身

遺書
『お母さん、いよいよ最後の花を咲かす日が来ました。
私も笑って行きます。
すべて御国の為ですから、
何も言わないでください。
今度会う日、靖国神社で立派に咲いた花の下です。
良くやったと泣かずに、にっこり笑ってください。
私も皆の健康を何時迄も祈っております。

 では、御元気で。

 今日あるを
   かねて覚悟のあずさ弓
 敵の母艦に真一文字

      節雄 拝  4月6日』

何度も赤塚さんのお話を聴かせて頂いてますが、やはり 現場を歩き感じて来られたお話は心動かされます。

突然決めた 広島行き…。

本当に素晴らしいお話の数々に また今を生きる日本人として 出来ることを考えさせられます。

企画し無料でこんなに素敵なお話を聴かせて頂いたこと…フジハラ先生やスタッフの皆様にも感謝いっぱいです。

今日、夜10時半 自宅に戻り 沖縄オリオンビールで乾杯!!
沖縄へ思いを寄せてみました。

 

 

 

 

信仰によって…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

今晩から、うちのトミ子さん…従妹に連れられて奈良県の天理教の教会に参りました。

うちの叔母は、浄土宗…南無阿弥陀仏の世界。

ただ、四国という土地柄のため、弘法大師が開いた真言密教を唱え、たしか もう一人の叔母が荼毘(だび)に付す時は、四国88か所参りで頂いた納経帳を懐に隠して持って行った様な…。

認知症になり、何も覚えてない叔母を グループホームに居るときも、我が家に来てからも 毎月8日にお参りに誘ってくれ そして今晩からフェリーに乗り大阪まで渡り…奈良県の天理市まで連れて行ってくれるという。

もともと、信仰心はある叔母だったけれど、毎月のお参りも…今回のお参りもどこかで神さまが叔母をその場に導いてくれているのか…

片時も目を離すことの出来ない叔母を連れてのお参りは、本当に大変なことなのに それを使命としてしてくれる従妹。

従妹と言っても、父方の従妹。

叔母とは全く血は繋がっているわけでもなく…本当にこの信仰心には頭が下がります。


ずっとずっと昔…。

やはり、大阪に向かうフェリーの中で、まだ私が20代の頃…熱心な天理教の信者さんと隣り合わせになったことがありました。

その女性は、ずっとずっと昔、自分自身のおじいちゃんが目が見えなくなったところ天理教の教祖様に見えるようにしてもらい…それから代々教会を継続させているのだと…。

まだ若く、全く見えない世界のことを知らなかった時…その話は、私自身にはかなり興味深いものでもありました。


と、言うことで今晩フェリー乗り場まで送っていき…月曜日まで少し解放される週末。

そして、明日は広島へうちの主人と大好きな赤塚さんのお話を聴きに参ります。

そして、今回は2年前名古屋で、昨年は神戸で一緒に赤塚さんの聖書講座を受けていた 名鉄構内にある「小さな時計屋さん」の照ちゃんとも講演会場近くの駅で合流。

楽しみに行って参ります。


そして、赤塚さんの聖書講座の中、伝えてもらった信仰によって変えられた聖書の中の人々のこと

「へブル人への手紙11章」

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。

信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。

信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。

信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。

信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。

信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。

彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。

信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。

このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。

もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。

しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。

この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。

彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。

信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した。

信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。

信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。

信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。

信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、

罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、

キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。

信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。

信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。

信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。

信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた。

信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。

このほか、何を言おうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう。

彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、

火の勢いを消し、つるぎの刃をのがれ、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。

女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。

なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。

あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、

(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。

さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。

神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。


「へブル人への手紙」11章1節から40節までの間に何度も何度も出てくる「信仰」という言葉。

単純に…信仰とは、信じて仰ぎ見るモノ…。そして、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認すること…とある。

アブラハムもヤコブもモーゼもノアも…そしてキリストイエスも…このへブル人への手紙を書いた使徒パウロも…目には見えないけれど確実に存在する大いなるモノに動かされる世界。

明日、久しぶりに話を聴かせて頂く赤塚さんも 何か大いなるものによって導かれ、話させられてる世界。

今日、叔母を天理にまで導いてくれた従妹もそう…。

求めよ…さらば与えられん
探せよ…さらば見つからん
叩けよ…さらば開かれん

信仰によって与えられ、見つかり…そして開かれていく世界。

日本人こそ  この見えない世界を大切にしてきた民族。

そして、日本にたくさんある新興宗教もまた神さまの臨済によって開かれて来たであろう宗教。

どうか、教理や教則ではない真の信仰が世の中を救っていきますように…祈り求めます。

梅雨明け

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

今日、四国も梅雨が明けました!!

夏です!!

夏はプール…。

私は、小学校の頃から水泳大好き!!

小学校6年の時は、水泳の記録会…個人では予選落ちだったけど、4人での自由形200Mリレーでは、県で3位以内に入ったことも…。

あの日、泳いだとき 私の中の人魚だった前世が呼び起されたような感じ…(笑)

しかし、本当にもう42年も前の夏のプールでの出来事を本当に鮮明に記憶している自分がいることも 不思議なほど…。

ちょうど、25mプールをターンする直前から視界に入った隣のレーンの子。

あれよあれよ…と追い抜く事が出来た時の感動。

実際、個人戦で予選敗退の事実を知った後の団体戦。

個人戦は緊張しすぎて後半 息が続かず、6回掻いて1回ブレス…が2回に1回ブレスとなってしまった大失敗もあったから…

きっと小学校の頃から 痩せてはいない私…浮力は他の子達よりもあり…。

実は、スポーツ万能の同級生の女の子…浮くことが出来ず、小学4年生の時の担任の先生 体育のプールの時間 その子だけを浮かすためにずっと私たちは放りっぱなし…。

可愛い子だっただけに、ひとりだけを特別扱いし「あ~エコヒイキだ!!」と思ったことも…。

勝手に浮いてしまう私には想像もできないような カナヅチ状態。

今、それ自体、体脂肪が大きく作用してた事を知り…納得。

私の小学校の頃は スイミングスクールもなく 夏にプールで泳ぐだけ…。

で、中学校の1年の時 学校のプールが完成。

で、「水泳部」に入りたかった所、春 入学と同時にはまだプールは出来ておらず…私はバスケットボール部に!!

そして、夏前にプールは完成したけれど、部活をやめる勇気もなく…結局3年間バスケットボール部の補欠で過ごし…

何だか、やっぱり水泳部の夢が捨てられず、選んだ高校。

そして 入学と同時に、「水泳部」に入部…。

でも…いくら泳いでも爽快さは全く感じられず、1年生の時 一度大会に出ただけで、退部。

その後、ブラスバンドへ…。

過去の記憶が自分自身を奮起させてくれたり、また過去の記憶があるがゆえに執着してしまうことも…

人の記憶…6月から一緒に住んでる叔母は、日々新しい。

…が、しかし 深部にきっと記憶された日常での動作…歩くこと、食べること…排泄は まだしっかりしているから有り難い。

先日は、お風呂上りに歯磨きしてもらおうと 歯磨き粉をつけて渡したところ…髪をブラッシング。

わわわわわ!べったり髪についた歯磨き粉。

そして、鏡の自分に向かって話しかけることも…。

忘れられることを、羨ましいとも 思えるときもあり…。

今言った事をしっかり忘れていたり…。

そして、前世の記憶が 生まれながらに残っていたとしたら、逆に面白くないかも…

私など、勝手に前世は「人魚」だとか・・・「マリーアントワネット」だとか、「楊貴妃」までも 前世っていうことに(笑)

真実は全くわかりませんが…言ったもの勝ち!!っていうことで…(*^^)v

とにかく各地で水の災害も多く出た今年の梅雨が明け…今から夏本番。

海へ山へ…たくさんの思い出が多くの人々の胸に広がりますように…。

 

 

 

愛媛二つの慰霊祭

太陽院の近藤 千恵子です(^^ゞ

今日、夕方7時半より毎年10月25日に行われる神風特攻五軍神及び愛媛県特攻戦没者追悼奉賛会の役員会開催されました。

そして、帰り際頂いた7月1日に発行された防衛協会会報新聞。

その中に、「愛媛県の二つの慰霊祭」として、昭和16年12月8日真珠湾攻撃に先立って潜水艦母艦から発進し、密かに至近距離まで接近した特殊潜航艇5隻。

愛媛県佐田岬半島の三机湾で特殊潜航艇の訓練をしてきた20代の若者9人がその日海底の中 散華していったそう…。

先任艇長岩佐直治海軍中佐(27歳)の辞世の句には
「身はたとへ 異郷の海に果つるとも 護らでやまじ 大和皇国(みくに)を」

そして昭和41年須賀公園に地元民の浄財で当時の首相佐藤栄作揮毫により建立された「大東亜戦争九軍神慰霊碑」

毎年、地元の青年団によって12月8日の命日に慰霊祭が続けられており、こんな青年団主催での慰霊祭は全国でも珍しいらしい。

青年たちに脈々と受け継がれる慰霊の営み…

三机の人々は、そこに純粋な心で散華された方々を記憶に留め語り継いでるそうです。

そしてもう一つの慰霊祭は、私の住む地元西条。

昭和19年、10月25日…大東亜戦争末期の戦法で魚雷・爆弾を抱いたまま航空機もろとも敵艦艇に体当たりした特別攻撃隊。

そして、特別攻撃隊最初の敷島隊隊長 関 行男中佐と共に散っていった若人4人。

戦後、西条市楢本神社宮司の石川梅蔵氏は小さいころから知っている関中佐の慰霊碑を建立しようと各方面に協力を求めたけれど叶わず

ところが昭和49年5月7日、フィリピン人のカミカゼ記念協会によってマバラカットの海軍航空基地跡に建立された慰霊碑

「第二次世界大戦に於いて日本神風特別攻撃隊」と刻まれた慰霊碑の除幕式にはたくさんの参列者があったにも拘らず、日本人からの参列者はひとりもいなかったという事実。

楢本神社の石川梅蔵宮司はその事実に日本国民として恥ずかしく思い、翌年3月関中佐の慰霊碑を建立。

そして毎年10月25日五軍神だけでなく、愛媛県出身の散華された陸海軍の特別攻撃隊員93柱の慰霊祭も同じ日に催行されております。

そして、この記事を書かれた、愛媛県防衛協会 折戸善彦氏は、9月11日に発生した民間人を犠牲にした「同時多発テロ」

このテロと特別攻激隊を同列に扱うことに対して大きな間違いであると…。

日本の「特攻隊」が民間人をターゲットにしたことがないと…。

西条での慰霊祭は毎年10月25日。

そして、石川梅蔵宮司さん亡き後 2年前まで奉賛会会長として慰霊祭を仕切って来られた寺田幸男氏が 昨日13日ご自宅の庭で倒れ 誰にも氣づかれず天に還って逝かれました。

享年91歳…きっと天に還り、海軍での戦友と再会し「今の若いモノは…」と話してるのでしょうか。

寺田元会長のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

今の若いもんも若いモノで精一杯先人の思い繋がせて頂きます。

 

さぬき富士

今日、日曜日は認知症の叔母がデイサービスに行かないため、朝もゆっくり起きて 朝昼兼用の食事を済ませて 主人と叔母と私でドライブへ…。

東へ東へと車を走らせ、とうとう香川県へ。

同じ四国でも、愛媛の山と 香川の山は形が全く違って いや…全国的にも あの香川県の綺麗な三角山は珍しいかも…。

あっちの山も こっちの山も…きれいな三角の山。

まるで富士山の様なので、「さぬき富士」と呼ばれる山々。

ある説によると、昔 隕石が落ちて来て池や沼が出来、その衝撃でポコンと山が創られたという奇妙なお話…。

まるで、もぐらたたきのように出来た山?

ある方が、四国四県の魂のことを

香川は、奇魂(くしみたま)
徳島は、和魂(にぎみたま)
高知は、幸魂(さきみたま)
愛媛は、荒魂(あらみたま)

と、四つの県それぞれが違う魂であり、四つの県がそれぞれの役目を知り果たし、ひとつとなった時 弘法大師のかけた封印が解かれるのだとか…。

ウィキペディアによると、「一霊四魂」(いちれいしこん)とは…

心は、天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と、四つの魂から成り立というものであるそうです。

勇 - 荒魂(あらみたま)
「勇」は荒魂の機能であり、前に進む力である。勇猛に前に進むだけではなく、耐え忍びコツコツとやっていく力でもある。行動力があり、外向的な人は荒魂が強い。

親 - 和魂(にぎみたま)
2つ目の魂の機能は和魂であり、親しみ交わるという力である。その機能は、1字で表現すれば「親」である。平和や調和を望み親和力の強い人は和魂が強い。
愛 - 幸魂(さきみたま、さちみたま)
3つ目の魂は幸魂であり、その機能は人を愛し育てる力である。これは、「愛」という1字で表される。思いやりや感情を大切にし、相互理解を計ろうとする人は幸魂が強い人である。
智 - 奇魂(くしみたま)
4つ目は奇魂であり、この機能は観察力、分析力、理解力などから構成される知性である。真理を求めて探究する人は、奇魂が強い。
更に、ウィキペディアに一霊四魂を五行に当てはめたモノも書かれていて、興味深いので添付してみました。
五方-五行思想の五方(5つの方位)
五方では、北が水、南は火、東は木、西は金、中央は土、になるそうで…

一霊四魂に五行をあてはめると、荒魂は火、和魂は水、幸魂は木、奇魂は金、直霊は土、に相当すると考えられるそうです。

先日、陰陽の氣の働きについてお話を伺ったことがあるけれど、

木 ・ 火 ・ 土 ・ 金 ・ 水 が五臓の働きをも作用し、また五つの真ん中の氣が乱れると邪氣が入ってしまうのだとか…。

一つの霊である…直霊(なおひ)

この直霊が四つの魂の働きを、フィードバックし、良心のような働きをするらしい。

例えば、智の働きが行き過ぎると「あまり分析や評価ばかりしていると、人に嫌われるよ」という具合に反省を促す。つまり、この直霊は、「省みる」という機能を持っているそうで…

悪行を働くと、直霊は曲霊(まがひ)となり、四魂の働きは邪悪に転ぶと…

四魂…全て行きすぎず また休ませず程よい働きで、この世での人生を刻み、一霊が…肉体の死後も輝き輪廻転生していきたいものです。

 

 

 

 

 

これは何?

九州や山陰での大雨特別警報…。

その数日前には、北海道と九州で震度5の地震。

普段、自然の中 雨の音や川のせせらぎで 人は癒され、自然と一体に…。

そして、今 空から降り続く雨が 人を恐怖に追いやり、悩み苦しめる時…。

メイド喫茶に、「ツンデレ」と言う言葉があるらしいけれど、まさにお天道様も「ツンデレ」

ニコニコと心地よい光であったり、さわやかな風であったり、そして恵の雨であったりする事象。

一緒に住む認知症の叔母もずっとニコニコ心地よく過ごしていたかと思うと、突然爆発…我儘モード全開で自分の世界へ…

まるで眠っていたゴジラが眠りから覚め、怒っているような何か?

モノ言わず…氣づきを与えようと懸命に 九州をいじめているとしか思えないような現象。

ただのいたずら?

この世に意味のないモノなんて存在しない!!

障害を持った子を授かることも…年老いて忘れてしまうことも…

台風も地震も、津波も…暑い夏も 寒い冬も…ずっとずっと自然に逆らわず、智慧を絞り…生きること、繋ぐことを続けてきた日本人。

同じ国に、同じ時代に生きた同胞として、今 不安の中で夜を過ごしている方々に 祈りと愛を送ります。

やまない雨はない!!

空のうえはきっと青空…!!

明日は今日よりきっときっと素晴らしい1日に…シャローム平安を(^^♪

 

日の丸

今朝、松山空港7:40発のJAL430便に乗り 東京へやって来ました。

小型のジェット機の最後尾席に座り、窓を開けてみると…JAL日本航空の日の丸が右翼で輝いておりました。

そして、私自身73年前 機体と共に散っていった特攻兵と同じような景色へと連れて行かれました。

にっこり笑って、敬礼し エンジンの音と共に上昇。

眼下に広がる家々の中に  自分の家を探した人もいるでしょう。

どんどん機体は上昇し、瀬戸内の海が見えた時…敵艦目指して急降下していった英霊たち。

梅雨の晴れ間…青い海と右手にみる日の丸に朝からひとり涙が出て…誰かに見られないように必死で溢れる涙をぬぐっておりました。

私は、今日松山空港を出ると 無事にたどり着く場所がある。

片道だけの燃料を積み…笑顔で乗り込んだ若者たち。

今日 フライトの途中 放送でも またスチュワーデスさん達も 「今日の富士山は本当に美しい姿を見せてくれてますよ」と誘われ…左翼の最後部座席へ。

山の広がるなか、凛と一際美しい姿を見せてくれた富士山。

スチュワーデスさんも「こんなに綺麗に見える富士山は珍しいですよ。きっと良い日になりますね」と、言って下さり…

朝から感動のフライト。

そして、途中仲間とも合流出来て、スムーズに目的地の葛飾区にある「金町駅」へ…

着いたらすぐに  お手製の具だくさんの冷やし中華を頂き…

そして、何とも楽しい時間を過ごさせて頂き…夕方には江戸前寿司をごちそうになり…

至れり尽くせりの1日を過ごさせて頂きました。

そして夕方、ちょうど4つ向こうの駅「北千住」へ向かい…5月までご近所で住んでた昭子さんのところへ…。

軽い認知症だけど…家を離れ 北千住の介護施設に入り  元氣な姿をみることも出来…感動。

こんな豊かな国で過ごせる今…改めて日本に生まれて良かった…と感じた今日でした。

文月朔日

7月文月…文書く月。

思いを口に出して言うのではなく、文にしたため伝える言葉。

今日、文月朔日…伊曾乃神社での朔日祭に参列させて頂き、引かせてもらった御神籤は44番末吉。

そして 書かれていた「神の教」

なさけこもった 其のひと言に 死んだ心も 生き返る

優しいひと言が どれ程 先方の胸に暖かい光を与え、力を添えるか。
言葉には魂があり、力がある。常に神さまと御一体になって、暖かい心を養い、よい言葉、優しい言葉で人を慰め、人をいたわり、明るい世の中を作りましょう。
とげある言葉は 人をきずつける。

文月に言霊のチカラを改めて氣付かせてくれる メッセージ。

そして、名古屋に住む照ちゃんが届けてくれた熊本の大野勝彦先生の7月のカレンダーには こんな言葉のことが…

きれいと言われたことは ありません
好きも 結婚してくださいも ありません
でも言われなくても 分かっていました
今 孫の笑顔を見ながら 
正解だったと 微笑んでいます

実は我が家もプロポーズの言葉を言ってもらってません。

きっとこの世を終わるまで言ってくれないと思います。

でもそんな旦那さんだからこそ 一緒に居られるのだと思います。

上っ面の言葉ではなく 深い深い愛をきっと持っていてくれるから、こんな我儘な私と一緒に居てくれるのだと…。

昨日、散髪屋さんで私は前髪を少しカットしてもらってヘナ染とシェービング。

そして、旦那さんも隣で長~い髪をカットしてもらって、ほぼ出来上がった頃…「わっ!!男前上がったね~」と言ったのに、何も言わず…。

で、お店の旦那さんが 「旦那さん…無表情スルーですね」と…。

お~いつも私が話してもそんな時がチョコチョコあるけど、「無表情スルー」って、いい言葉。

早速、「ホント!無表情スルーっていい表現ですね~」なんて喜んでたら、こらえきれなくて うちの旦那さんニンマリ…

もうひとつある 大野先生の日めくりカレンダーには

あなたの瞳の中に やさしさを見た
ついて行こう その時 そう 思った

ともあり、そうなんだよな~ 千の甘い言葉よりも やさしいまなざし。

ちょうど大野先生の下の伊勢修養団で頂いた日めくりには

やさしい目 明るい声で 「こんにちは」

そして、岐阜のぜんきゅうさんの日めくりは

笑顔から はじまる

おまけに洗面所に置いてある坂村真民さんの今日一日の日めくりは…

念ずれば 花ひらく

ちなみに今日の御神籤のもうひとつの言葉の方は

もえ出ずる 若葉の色ぞ 美しき
花さき 実る 末もみえつつ
次第次第に運がひらけて盛んになります。あまりに一足飛びに飛んで事をしようとするとあやまります。
時を見て 心ながくのぞみを 達しなさい

とあり…まさに「笑う門には福来る」のような今日の御神籤。

目は口ほどにモノを言う…と言われるように、目と目で通じ合う関係。

目の奥の奥に輝く愛の光。

今日、朝の連続テレビ小説「ひよっこ」で主人公みねこのお父さんの弟、叔父の宗雄さんがすっごくイイこといっぱい言ってました。

「東京の空には星がないな~  でも若者諸君  星は見えないだけで無いのではない… わかるか!」と…。

そして、ビートルズの初めての来日武道館ライブを前に ビートルズラブの宗男さんがビートルズを語った言葉が…深イイ!!

かっこつけずに 思ったことを 思いっきり叫んでるのがビートルズ。
ビートルズの音が大きいのは、出来るだけ大きな音で思ってることを遠くまで届けたいから…だと。

きっと音に包まれる感覚なんでしょうか。

私自身、あまりビートルズは知らないけれど、「イエスタデイ」や「イエロー・サブマリン」、「レット・イット・ビー」は魂が喜ぶ名曲だと思います。

言葉は世界をも変える力があり、聖書の中一番長生きしたイエスさまの弟子ヨハネが書いた「ヨハネによる福音書」のはじめのところにも…

最初に言があった 言は神と共にあった。言は神であった
この言は初めに神と共にあった。

すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

この言に命があった。 そしてこの命は人の光であった。

光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝てなかった。

言葉の世界は奥が深いです。

語らずとも伝わる言葉もまた言葉。

7月文月…優しい言葉、暖かい言葉で 少しでも明るい世の中を作れるように 謹んで過ごして参りたいと御神籤や日めくりから学ばせて頂きました。

水無月大祓い

夕方5時からの…伊曾乃神社での水無月大祓式。

ギリギり間に合い参列させて頂きました。

「水無月の 夏越の祓ひ する人は 千歳の命のぶというなり」

水無月は、水の無い月とではなく 「水の月」

もともと古事記のお話の中でも、黄泉の国から逃げ帰り、川に入り水によって…目を洗い…鼻を洗って…禊してきたもの。

水の月…梅雨となり 人間だけでなく世の中の全てのモノが水によって清められる月。

そして宮中でも 1300年ほど前から水無月晦日には 夕刻大祓いの儀式が執り行われているのだそう…。

6月までの半年間の罪穢れを 人形に移し 祓ってもらう大祓い。

一人ひとりが川に入り、禊をするのではなく 人形に移し 茅の輪をくぐり そして、その青々とした植物は再生を促す力を宿すのだそう…。

今日の水無月大祓いと同じように、旧暦の6月15日…今年は8月6日には、西条市内を流れる加茂川の河原で執り行われる「夏越祭」

河原に幕屋が作られ、大勢の人々が この夏を無事に過ごせますように…と祈りこの日も人形に罪穢れを移し、茅の輪をくぐり 神さまに全託。

京都の祇園祭が行われる 7月17日などは 聖書から繋がるお話の中、疫病を祓う儀式として 伝わって来たのだとか…。

小さな頃から 夏越祭の日には お風呂上りに 人形(ひとかた)さんを手に…

頭がよくなりますように…
目がよく見えますように…
耳が聞こえますように…
顔がきれいになりますように…

と、手や足や身体全部を撫でまわし…なんだかホッとしたものです。

罪穢れを祓うより人形に願いを込めて…

50歳を過ぎた今でも、人形さんを手に 身体中を撫でまわし…たくさんの罪穢れを身代りになってもらいました。

清められ、そしてまたこれからの半年間…身も心も神さまと寄り添い過ごさせて頂きます。

 

 

 

日本が日本であり続ける為に!!

3ヶ月に一度、松山の椿神社で開催される「愛媛竹田研究会」

初めて参加させて頂いたのは、もう6年ほど前…。

明治天皇の玄孫…竹田恒泰さんが来られるから行ってみませんか?と誘われ、参加させて頂き…行ってビックリ!!聴いてビックリ!!

その頃、まだ竹田先生自身 テレビにもあまり出ておられず、明治天皇の玄孫…なんて、私はてっきり初老の老人を想像しておりました。

なんと、音楽と共に登壇!!そして「こんばんわ~!!」…と、まるで吉本の芸人さんのような抱腹絶倒のお話。

数年前まで毎月開催されてた愛媛竹田研究会も、今では3ヶ月に一度。

前回、参加出来ず久々に聴かせて頂いた「古事記の解説」と「時事問題」は、あっという間の3時間。

今日は第15代天皇応神天皇の崩御の後、皇位継承をめぐるお話と、渡来人により伝わってきた中国からの技術…稲作、シルク、陶磁器、漢字、ラーメン等々。

ちなみに15代応神天皇のあと16代目は誉高い仁徳天皇。

中国から伝わってきた数々の技術を、本家のオリジナルよりも良いモノへと学び作ってきた民族が日本人であること。

中国へ200回以上訪れ、中国を知ってるからこそ 日本人の技術力や勤勉さを誇りあるものと伝えて下さる竹田先生。

実際、中国から伝わってきた漢字。

日本に漢字が伝わり…そこからひらがな、カタカナが生まれ…表記しやすくしていった日本人。

中国では、漢字表記だけの為に…外来語を表記する際かなり無理が生まれて来ている現状もあるそうで…。

そして、時事問題では 眞子内親王殿下のご婚約のお話から、今また「女性宮家設立」に向けて意気込んでいる野党のお話。

皇室を外から支えていきたいと…皇室の皇位継承のお話や、万世一系男系で継続し続けている日本の皇室のお話を毎回わかりやすく伝えて下さる竹田先生。

実際、2677年続く神国日本の歴代天皇125代のうち、女性天皇は8方10代。

天皇は、血統の原理により継続されており、女性天皇はあるが 女系天皇は一度も存在していないこと。

また、天皇の娘の嫁ぎ先というのが 身分の違いからなかなか結婚が難しかったらしく、藤原家五摂家に嫁ぐか…出家し尼になることが多かったそう…。

また、明治時代には 皇族へ嫁ぎ…、昭和の時代には 藩主の家に嫁ぎ…そして、今上天皇の娘清子さまは一般の方のところへと嫁がれ…

皇室の女性は 皇族では無くなって 来てたこと。

戦後、GHQによって11の宮家が廃止され、現存では皇室の存続が危ない!!と、女性宮家擁立を訴える話がまた浮上してきているようだけれども…

竹田先生曰く

・旧皇族の復活
・現存の宮家に旧皇族の男子を養子に迎える
(現在旧宮家の男子には10名以上の男系を継承できる方がいらっしゃるそうです)

まさに…血の継承。血統を守り続ける為に用意されているのが宮家のお役目。

そして生まれた時から、皇室に生まれた男子は天皇になることが皇位継承順位が付けられ…そうなるように決まっているから…。

明治時代、神宮の式年遷宮に使う木が枯渇し、式年遷宮を20年に一度から60年に一度にしませんか?との問いかけに

明治天皇が〝ばかもん”と一喝。

「伝統を変えることを議論する前に 伝統を守ることを議論しろ!!」と…。

歴史上、民間の女子が嫁ぎ宮中に入ることはあっても、民間の男子が宮中に入り 皇族になったことは一度もなく…!!

もしも、そんなことが まかり通る様な事態になれば、愛子さまに近づき、言い寄ってきて…仲良くなり まんまと皇族に居座ろうとしてしまう様なスパイか不届き者が生まれてしまうはず…と。

2677年、脈々と伝え守られてきた皇室の掟。

日本が日本であり続ける為に!!

万世一系男子によって継承されてきた この美しくも尊い民族のひとりとして、皇室の弥榮を祈ります。

そして、次回愛媛竹田研究会は 9月20日(水)18:30~です。

他にも全国17か所で開催されております。詳細は「竹田研究会」まで…