「大和魂」カテゴリーアーカイブ

同行二人…2

太陽院院長  近藤  千恵子です(^_^)v

3年ほど前、ひょんな事から知り合った 高知の晃子さん。

色々共通する出来事もあり、今年何度か会う機会がありました。

その時 四国88ヶ所遍路の先達の資格を取るっていうことを言われてましたが、この度  見事 「公認先達」を取得されたこと連絡頂きました。

よく見ると、納経帳の上に 「公認先達」の文字。

公認先達とは「(一社)四国八十八ヶ所霊場会」に公式に認められた先達の事

先達とは同行二人の教えを核とする弘法大師信仰を拠りどころとして、四国を巡拝し、一人でも多くの人をこの道に誘い、それらの人々の指導者として、あるいは模範として、信仰修行に勤める方です。

と、Googleで検索すると書いて有りました。

先達さんになっても 上には上が有るようで、まだまだ若い晃子さん…これからまた 弘法大師様と「同行二人」素晴らしい大先達さんになる日も今から 楽しみです。

お遍路さんといえば、隣の新居浜市で治療院を開いてた頃、近くに善根宿をされてた 「萩生庵」の高橋 芳子さんと、歩き遍路の「遍路幸月さん」を思い出します。

「萩生庵」の高橋芳子さんは、息子さんを病気で先に天に送り、御主人様と二人 お遍路もされたけれど、

高齢となり88ヶ所をお参りする事もままならず  昨年 芳子さんが天に還られるまで善根宿で歩き遍路さんを御接待し続けて来られてました。

私が西条に治療院を移してから、月に一度施術に伺うと いつも誰かお遍路さんが来られており

「萩生庵」でお洗濯させてもらったり、お風呂に入れてもらったり、お母さんの美味しい食事も頂いたり…と至れり尽くせり…

外国人のお遍路さんとも 言葉はわからないけれど 心通う御接待をされてた高橋芳子さん。

NHKのドラマ『歩く、歩く、歩く~四国・遍路道~』は、高橋芳子さんがモデルとなったドラマ。

1ヶ月近く 芳子さんに密着し 台本が書かれてました。

こんな風に年を重ねていきたいな…と思う本当に素敵な女性です。

そして、お遍路と言えば 「遍路幸月さん」

2017年に書いたブログに 幸月さんのお話も書かせて頂いてました。

同行二人

「みどり児に  子安大師の  恵みあり」と書かれた

幸月さんの俳句入りの写真。

幸月さんも NHKのドキュメンタリー番組で取り上げられ、その後  若い頃の殺傷事件の容疑で逮捕され…

とても 殺傷事件を起こしたとは思えない 穏やかなお顔。

お遍路で巡礼する方、一人ひとりに 一つひとつの 人生のドラマ。

同行二人、南無大師遍照金剛…

御先達に成った晃子さんにも、四国遍路のお遍路さん達にも  素晴らしい光が降り注ぎますように…

善光寺参り

太陽院院長  近藤  千恵子です(^^)

11月24、25日と 大好きな長野へ仕事も兼ねて 行って参りました。

そして、25日  北陸新幹線で東京まで帰る前に  ゆっくり「善光寺さん」お参りさせて頂きました。

スキーインストラクターとして、志賀高原へ冬になると行かせて頂いてた頃は、1年に一度はお参りさせてもらってた「善光寺さん」

20年ほど前、主人と一緒にお参りさせてもらった時には、なんと本堂の中にある「戒壇めぐり」でお財布をスリに持って行かれた ツラい思い出もあったりしましたが…

今回も ご本尊様にご挨拶させて頂いたあと、戒壇めぐりもさせて頂き、極楽浄土の鍵触って参りました(^_^)v

御朱印帳を持って来てなかったですが、戻って貼れる御朱印頂いて参りました。

善光寺の御本尊は「一光三尊阿弥陀如来」さま。

百済から日本へ渡った最古の仏像だそうで、本田 善光卿によって 長野の今の地に祀られ日本仏教の草分け的な存在っていうことで

宗派を越えて全ての人々受け入れてくれる有難いお寺。

ちなみに本田 善光卿の名前 善光の寺と言うことで、善光寺となったのだと今回初めて知りました。

御朱印は、折角なので  特別御朱印を頂戴して来ました。

ひとつは、「牛に引かれて善光寺参り御朱印」

今年、丑年にお参り出来たのも  良いタイミング。

「牛に引かれて善光寺参り」…とは、

強欲で不信心なお婆さんが、観音様が化身した牛に 布を奪われ、取り戻そうと牛を追いかけて来たところ  善光寺さんにたどり着いた!とのことらしい。

御朱印のまん中には、梵字で

「阿弥陀如来」キリーク

「勢至菩薩」 サク                       「観音菩薩」サ

と、善光寺の御本尊

“一光三尊阿弥陀如来” を 表しているのだそう。

この”一光三尊阿弥陀如来”こそ 、もうひとつ頂いた御朱印

「悪疫退散特別御朱印」

お釈迦様がまだこの世にあり、人々に仏の道を教え導こうと心を砕かれていたころ

インドの毘舎離国に月蓋という一人の長者がいて、月蓋は 大変な財を持ちながらも欲深く、他人のことを全く顧みないような人。

なので、当然 仏様を敬う心もなく、自分中心に振る舞っては、まわりもそれを諭すことのない日々を過ごしていたころ…

ひどい悪疫が国中を襲い、多くの人々が苦しんで、果ては死に至るという有り様の中、

月蓋が掌中の珠よと慈しみ、愛情を注いでいた一人娘の如是姫も病気に罹ってしまったそう…

月蓋は、高価な薬を求め、国一番の名医を招き、あらゆる手を尽くしたけれど、いっこうに効果はなく、如是姫の命は風前の灯。

「どんなにお金があっても、どれほど考えても、どうすることも出来ない」

月蓋は、失意のなかで  やっとお釈迦様にすがることを受け入れ、

「お釈迦様、これまでの罪業をお赦しください。教えを守り、日々精進いたしますので、どうか娘 如是姫の命をお救いください」

お釈迦様は、月蓋の懺悔を真と認められ、

「救済は我が力の及ぶところではないが、西方極楽世界を創世された阿弥陀如来様におすがりしなさい   『南無阿弥陀仏』と一心に唱えれば、必ず如是姫の命も、国中の苦しみも救ってくださるだろう」

月蓋は急ぎ家に戻ると、お釈迦様の教えどおり西方に香華灯明をお供えし、ひたむきに念仏を続けました。

すると、南無阿弥陀仏の声を包むように、一光が差し、その中に阿弥陀如来様が観世音菩薩様と大勢至菩薩様を伴って姿を現され

そして、三尊仏の全身から大光明が放たれると、一瞬にして悪疫は国中から消え去り、如是姫の病気もすっかり治ってしまったそう…。

月蓋と一族の者たちは喜びと驚きを持って この功徳に感謝し、この時に顕現した三尊仏像を尊し生涯側にあってお仕えしました。

という、一光三尊阿弥陀如来の有難い御朱印。

一昨年発生し、 昨年今年と  世界中を苦しめたコロナ。

「南無阿弥陀仏」

「南無妙法蓮華経」

「南無大師遍照金剛」…

先に書いていたように、宗派を越えて全ての人々を受け入れてくれるという 大いなる光に  どうか混沌としたこの世の中  照らして頂けますように…(祈)(祈)(祈)

そして参拝後、善光寺仲見世で出会った 「あんじょさん」のキューピー人形

 

東山天皇と清和天皇の家系図の中、鷹司家のお姫様となる栄子さまが出家され  善光寺121世となった「鷹司誓玉上人」

なんと、1929年(昭和4年)生まれで92歳の上人様

 

善光寺仲見世の中では、このお店でしか売ってないと奨められ、我が家に招かせて頂きました。

ケンタッキーのカーネルサンダースさんと 何だかお似合い…。

隣には 大阪のビリケンさん。

善光寺さん、来年は 7年に一度の御開帳の年。

どうか、コロナも治まり  本物の鷹司誓玉上人にも御目にかかりに、また善光寺さんお参りしたいと思います。

ユダヤに学ぶ「変容の法則」

太陽院院長   近藤  千恵子です(^_^)v

2014年4月、アジアの西の端にあるイスラエルへ旅をしました。

その旅に誘って下さったのが、私が聖書を読むきっかけを作って下さった 三重県津市に住む赤塚  高仁さん。

今では、「人生を変える聖書漫談師」として  各地で引っ張りだこの赤塚さん。

9月に  赤塚さんの最新刊である、

ユダヤに学ぶ「変容の法則」

送って頂き  あっという間に2ヶ月。

やっと今日、一気に読ませて頂きました。

著者である赤塚さんが書かれた  一文字一文字を通して、イスラエルの旅の景色  や  神の愛を感じ

細かく書かれた聖書の引用と赤塚さんの聖書の読み解き…

たった一度ですが、イスラエルを巡ったあの景色が ありありと蘇って参りました。

2014年、訪れた シオニズム運動の始まりとなったトルンベルドールの開拓地「テルハイ」

トルンベルドールが最期の時まで大切にした言葉は、日露戦争のあとロシア兵として捕虜となっていた時、日本人から聞いた「国のために命を使うことほど名誉なことはありませんから…」との言葉。

そして、アラブ人からの襲撃によって失くなったトルンベルドールのお墓には…

「祖国のために死ぬことは、良きことかな」と刻まれており

テルハイで トルンベルドールの偉業を誇らしく 語ってくれた女性モリヤさんのことも…昨日のことのように思い出します。

そして西暦70年、要塞マサダでのイスラエル滅亡と2048年初代ベングリオン首相によって再建されたイスラエルという国。

長い長い間、流浪の民族となり どこにいても手放すことなく守り続けてきた旧約聖書の世界。

そして、洗礼者ヨハネによって30歳のイエスが洗礼をうけたヨルダン川の洗礼所

イスラエル国再建の1年前 「死海文書」が発見されたクムランの遺跡

弟子ぺテロとの出会いと 再会のガリラヤ湖

イエス様が生まれたナザレの町

最後の晩餐がされたと言われる 部屋の柱

イエス様が十字架に架かる前  父に祈り…

祈ってる間、弟子ぺテロとヨハネとヤコブは眠っていたと言われるゲッセマネのオリーブ園

 

そして、イバラの冠を被らされ ムチ打たれ歩いたビアドロロッサ

ペテロがイエス様の預言通り 三度イエス様を知らない…と言い ニワトリが鳴いたとされる像

「聖墳墓教会」とは違う イエス様が葬られたとされる「園の墓」

この中で、著者である赤塚さんに聞こえたイエス様の言葉…

「I love you.Because you are you」

あなたがあなただから、愛するのです。

生まれる前から ずっと知っていてくださり  何も求めることのない神さまの無条件の愛の世界。

訪れた2014年から 7年経った今でも  ありありと瞼に浮かぶ聖地イスラエルで見たもの 感じたものが

今日また一冊のこの

ユダヤに学ぶ「変容の法則」

を通して 昨日のことのように 感じさせて頂くことが出来ました。

聖書を知ることで  日本の古事記が分かり、キリスト・イエスを知ることで、神様の愛の世界を知り…

日本人の根底に流れている 思いやりやおもてなし 武士道や愛国の心も 改めて大切にしていきたいものです。

著者の赤塚さんと 洗礼者ヨハネの母エリサベツに受胎告知されたマリアさまが訪問した

「訪問教会」での一枚

最後に 新約聖書 ルカによる福音書1章46節~55節に書かれた

「マリア讃歌」

わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救主なる神をたたえます。
この卑しい女をさえ   心にかけてくださいました
今からのち代々の人々は   わたしをさいわいな女と
言うでしょう
力あるかたが、わたしに大きな事を
してくださったからです
そのみ名はきよく
そのあわれみは   代々限りなく
主をかしこみ恐れる者に及びます
主はみ腕をもって力をふるい
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし
権力ある者を王座から引きおろし
卑しい者を引き上げ
飢えている者を良いもので飽かせ
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます
主は、あわれみをお忘れにならず
その僕イスラエルを助けてくださいました
わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
とこしえにあわれむと約束なさったとおりに

日本の夏

太陽院院長  近藤 千恵子です(^-^ゞ

終戦から75年目の夏…

大きな難局を生きた日本。

250㌔の爆弾を乗せて突撃していった 特攻兵…

8/6の広島、8/9の長崎…

今日、8/15終戦記念日 そしてお盆。

義父、父母、叔母のお墓参りのあと 四国中央市にある 関 行男氏のお墓にも行って参りました。

大義院釋暁忠居士…我が町 西条で大正10年 生を受け、昭和19年終戦の前年 始めての特攻隊「敷島隊」隊長として 飛び立ち敵鑑に体当たり…

散華していった関 行男中佐のお墓。

お母さまのサカエさんの遺志により 昭和29年、四国中央市の地に建立されたお墓は 綺麗に掃除されておりました。

蝉時雨の中、線香をたて、般若心経を唱え…深々とご挨拶。

靖国神社に眠る 英霊の御霊に恥じないよう 生きて参ります。

見えない敵?…

太陽院院長  近藤 千恵子です(^-^ゞ

目には見えないコロナウイルスの脅威で  世界中が 今までにないほどの 激震…。

2011年 未曾有の大災害となった   地震と津波によるあの被害を目の当たりにした時の恐怖と不安とは また違う意味での  国難。

小学校も中学校も高校も、3/2から日本全土で休校…

長い長い  春休み。

八ヶ岳に住む 滝沢 泰平さんは、Facebookでの投稿に「強制不登校」と表現。

なるほど…

ウイルス拡散を防ぐ為に  子供達は 外出も出来ず引きこもり状態となるようで…

まさに、強制不登校…

テレビや新聞も、新型のコロナ対策を唱えているけれど

ふと 頭をよぎった日月神事の中にある 「悪を抱き参らせよ」の言葉。

以前、勉強させてもらっていた キリストの幕屋という 無教会の信仰の集団を創設した手島 郁郎氏は、ハンセン病の療養所を訪ね  ハンセン病患者にハグしたという事実も…

聖書の中、「恐れるな  主はあなたと共にいる」という言葉があるように…

もしも 我が子が  コロナウイルスに かかったならば 、母は精一杯の愛を持って 我が子を抱くことでしょう。

今、地球規模で 大きな意識の革命の時。

この時期に神さまが、中国武漢を通して 作ったコロナウイルス…

きっと大きな神の様な愛が  一番の特効薬…。

コロナウイルスでこの地上での人生を終えた方々を数え、あちらで感染者が…こちらでも感染者…とまるで犯人探し…

手段や方法論を  あ~でもない!こ~でもない!と テレビでは 有識者が朝から晩まで報道するけれど…

神様から授かった神宿る大切な身体…

免疫力をしっかり高め、邪気を祓い無邪気に…さらに正氣を高めて参りたいものです。

如月朔日

太陽院院長  近藤 千恵子です(^-^ゞ

2月1日…父の入院先で 夜を過ごし、朝9時 伊曾乃神社での朔日祭に参列させて頂きました。

境内の梅の木にも 赤や白、ピンクの花や蕾が 寒い中でも春の訪れを感じさせてくれます。

そして、今日は 松山の通称「お椿さん」と言われる伊豫豆比古命神社での お祭りに 夕方から行って参りました。

旧暦正月8日を例祭日として、その前後の3日間斎行され、初日の午前0時の大太鼓から始まり、最終日の24時迄の72時間行われる長期のお祭りで、「縁起開運」「商売繁昌」「大漁満足」を祈るお椿さん。

大好きなお友達の惠子さんと一緒に夕方西条を出発して行って参りました。

長い長い参道も 両脇の出店を見て楽しみながら  前に前に進み…

ちょうど御神門のところへ来たとき  軽快で 賑やかなお囃子も鳴り  30年ぶりの椿祭り…何とも有り難く迎えて頂きました。

そして ご本殿を参拝し…ぐるりとご本殿の裏を回り、御朱印と椿祭りの名物「貸し銭」で20円をお借りし、戻ろうとした時  御神体が 境内に…

あーーーーー

神さまが 来たときも、帰る時も最高の場を プレゼントして下さり  感謝感激。

今年は、旧暦のお正月が  1月…と、早く 今年は 1/31~2/2までということもあり  椿祭り行きたーいと思わされ  ホント30年以上ぶりの椿祭りの時期での参拝。

20円の貸し銭もさせて頂いたので  また 来年は倍額にして戻しに参拝させて頂きます。

2月如月…我が家の夫婦揃って 算命学の中 戌亥天中殺だった為、立春を数日後に控え  気分も上々。

そして…今朝、伊曾乃神社でのおみくじは大吉…

「神の教」は…

神の心に叶えば嬉し、暗いこころも、晴れて来る。

金をためたら、慈善をするといい人は、ためるお金に限度がないからなかなか慈善が出来がたい。

物がなければ力で、力がなければ言葉ででも、人を慰め、人の力になってやれ。

情は人のためならず慈善をすれば心が明るくなって、まず自分が救われる。

フィリピン…3

太陽院院長  近藤  千恵子です(^-^ゞ

フィリピン滞在3日目は いよいよ今回の旅の目的である  75年前の昭和19年…

世界で初めて 250キロの爆弾を抱え 敵空母に体当たりするという 特攻作戦の為  片道燃料だけで たくさんの若者が飛び立って行った 場所…マバラカット東飛行場へ…。

ホテルから95キロも離れた場所は 高速道路を1時間余り走り やっと到着した所は  マニラ市内とは 違う田舎の町…

 

そして、「鎮魂」と記し我々五軍神奉賛会の名前を入れた 日章旗を掲げ…

元皇宮警察の安藤さんが特別に取り寄せてくれた 献上酒「二重橋」と

地元石鎚酒造のお酒や愛媛のお菓子、お米とお塩、西条の水もお供えし…

ろうそく と お線香、菊の花を 各々で捧げさせて頂きました。

そして、その風景を動画で撮影してたとき  近寄って来た現地の方が  突然私に差し出し渡してくれた 日本統治時代の10ペソ紙幣。

これまでも 何人もの日本人が訪れて来たと思うけれど  私に手渡してくれた不思議に 感謝し…

きっと飛び立って逝った特攻兵の方からのプレゼントだと思って大切にさせて頂きます。

この地では、「君が代」「関中佐の顕彰歌」「同期の桜」そして「悠久の5つ星」最後は「海行かば」を合唱。

ちょうど一緒になった 沖縄から慰霊に来た方々も加わり…皇居のお酒「二重橋」を皆で献杯…。

関さん…やっと あなたが飛び立ったこの地まで来る事が出来ました…

あなたが  命をかけて守った祖国日本は 今、また令和という新しい御代となり  少し良い国になりかけてると思います。

なんて…語りながら献杯させて頂きました。

この後、私設の博物館…バンバン歴史博物館へ。今回 慰霊の時 掲げた 鎮魂と記した 日章旗は このバンバン歴史博物館へ納めさせてことに…。

その後、当時関 行男さん達に 特攻を指示したと言われる 大西 瀧治朗中将のお墓に…

「俺も後に続く…」と 片道だけの燃料で飛び立った行った多くの若い特攻兵達を見送った 大西中将の気持ち…

今は、靖国神社で共に  皇室の弥栄と我々後輩達のために、毎日きっと祈っていてくださっていることに改めて感謝。

今回の旅の目的である マバラカット飛行場慰霊の日が  当初12月7日の予定が  前日のコレヒドール島と前後し…

12月8日、太平洋戦争開戦の日に訪れることになり  カメラを通して 天からの優しい緑色のひかりが常に射して来て  天からの大いなる計らいと思えてなりません。

フィリピン…2

太陽院院長  近藤  千恵子です(^-^ゞ

昨日に引き続き、フィリピン報告です。

フィリピン滞在2日目の12/7は 旅の予定が 前後し 船でコレヒドール島へ…

コレヒドール島は  フィリピンの島々の中でも唯一戦いの跡が残る島。

そして、今回の旅の仲間であり メンバーの中の最高齢となる91歳の岡村さんにとっては  この島に渡る船から  フィリピンの海に眠る お兄さまへの慰霊の時。

日本初の特攻作戦が行われた10/25より少し前の10/16…偵察機で飛び立った岡村さんのお兄様は そのまま 戻らず 還らぬ人に…

今年 愛媛県西条市での追悼式典の前日、当日と 愛媛新聞で追悼式典の事が大きく取り上げられ  その中でフィリピン慰霊の旅のことも知り  旅の仲間に…

91歳とは思えないほど 若々しく 元気な岡村さん。

コレヒドール島に渡る船の上から  現地で準備してもらった菊の花と 自ら書いてきた般若心経の写経  そして日本のお米とお水を お兄様へ…

傍らで日の丸の小旗を振り 共に遠い戦争の時に思いを寄せ、大切な家族との時を共有させて頂きました。

コレヒドール島に渡ると  あちこちに日本兵が掘った洞窟の跡が残り…

海から襲ってくるアメリカ軍に対する奇襲作戦の跡が…

おたまじゃくしの様な形のコレヒドール島は 1日で 島をぐるりと回ることが出来…

島にある日本平和庭園では  平和観音さまや記念碑に、ろうそくとお線香を供え  皆で 「君が代」「海行かば」「ふるさと」を合唱…。

志を果たして いつの日にか帰らん…と続くふるさとの歌詞がなんとも切なく 胸を締め付けられます。

そして 夕方 マニラ市内に戻ると 金曜日の夜の市内では  クリスマスイベントで大盛りあがり。

ガイドのバージーさんの気転で 市内の大きなスーパーに連れて行ってもらい  バナナチップスや 乾燥マンゴー、バナナケチャップを購入。

ずっと前に 戦時中フィリピンに居たことのある方から 「日本のバナナは美味しくないので食べん!」と聞いたことがあり  本場のバナナ食べてみたい!!と購入。

んんん~本当に食べて納得(*´-`)

そして 2日目の夜は黒ビールを初めて作ったと言われる老舗のスペイン料理店。

もちろん黒ビールで乾杯…

朝から充実の2日目を終え、いよいよ 翌日は今回の旅のメインイベントマバラカットへ…参ります。

師走朔日

太陽院院長  近藤 千恵子です(^_^)v

令和の御代の始まりと同時に なかなかブログ更新が進みませんでしたが、本日12月1日…

また 新しい何かが開き…新たな気持ちで 書いております。

先日は、我が家の10年目のクリスマスツリーも  「もろびと~こぞりて~♪」と 高らかに歌いながら 飾らせて頂きました。

そして、本日も朝10時からの  伊曾乃神社での朔日祭御神事にも参列…。

御神事の終わる頃には  次々と 七五三の可愛い紳士淑女の姿もあり  どの子も可愛いな~と思いながら神社を後にしました。

そんな私の元に、今晩 市の子育て支援ファミリーサポートで預かってる 「そうちゃん」のママから  七五三の写真…送って来てくれました。

私も主人も 孫のように可愛いそうちゃんの写真に萌え~。

そして、なんと…待ち受け画面にしてしまいました(笑)


そして…本日朔日の御神籤は「末吉」

神の教えは…

憂さも、つらさも腹立たしさも、心ひとつのおきどころ

大空にすむ 月の光(かげ)も、見る人々の心によって、楽しくも、悲しくも、腹立たしくも眺められる。

自分の身辺に起こるすべての事柄の中に神様の有難い御教え、忝ないみさとしを味わって、感謝の気持ちで眺めれば、

身も心もほがらかに、禍も自から転じて幸いとなって来る。

と…


そして、本日は 新しい月の今日 2020年の手帳も購入。

昨年に引き続き 「蔭山手帳」

新しい御代になったことで  ここ数年黒色だった手帳から  2020年は 白色の手帳を選択。

手にした瞬間  なんだか 気分も新しく 全てがリセットされた感じです…。

13の月で構成されるコズミックダイアリーでも 2019年7月26日から マヤ暦の「白い魔法使い」の13年に入った様だし

本日、伊曾乃神社の朔日御弊も白色でした。

白…

来てます!来てます!!って感じでしょうか(笑)

令和元年も 残り ひとつき…。

4月の新元号発表から  11月の大嘗祭 そして 先日の伊勢の神宮へのご報告。

皇室を抱く  日本国民として  本当に古式ゆかしく 粛々と神の息吹きを感じさせてくれる 数々の儀式を

メディアを通してですが 受け取れる今の時代に生を受けてること…

有り難くも感謝感謝の 数ヶ月。

そして、今月12月は  数年前からお手伝いさせていただいてる  敷島隊五軍神の飛び立った フィリピン  マバラカットへの追悼旅行に 12月5日夜から 地元奉賛会の仲間と出発。

西条市出身の敷島隊隊長 関行男さん始め  多くの若者が 祖国の為  家族の為に飛び立って逝ったフィリピンで 何を感じるかわかりませんが  しっかり思いを受け取って来たいと思います。

また  ブログ更新しっかりさせて頂きたいと思っておりますので  どうか引き続きよろしくお願い致します(^.^)