「介護」カテゴリーアーカイブ

今日は母の誕生日

近藤 千恵子です(*´-`)

今日、11/15は 7年前に天に還って逝った母の生まれた日。

昭和8年、4人姉妹の末っ子で生まれ  長女のハルヱさんは 看護婦となり満州で還らぬ人となり…

後に残った次女の叔母シメ子は、7歳の時 脊髄カリエスで大手術の末  当時は 障害を持ったことで 結婚もせず生涯独身。

その次女シメ子を 洋裁と介護の仕事で支えて来た参女トミ子も、独身のまま 両親の代わりに姉であるシメ子と共に暮らし…

四女であった 私の母だけが  結婚。

そして  娘3人の母となりました。

私の母のまわりには  自身の姉達や 父の姉…小姑達の思いや考えに従いながらの毎日。

小さい頃は、貴重な牛乳を末っ子でありながらも 5つ上の姉が 脊髄カリエスという重い病気だったため  飲むことも後回しで…

ただ 母がお見合いで結婚した私の父は 子煩悩で優しく、晩年は 共に病気に成りながらも 一緒にデイサービスに行き、父より 7年も早く 天に還って逝ったけれど…

今年5月、同じ所へ還って逝った父ときっと再会しふたり仲良く 私達のことを見守っていてくれる様で…

今日、生きていたら87歳の誕生日。

生まれた時から 常にそばに必ずいてくれた 父と母を天に見送り、思えば天からのエネルギーが半端ない毎日。

生きてる時も、天に還ってからも 変わらぬ父母の愛。

今日、母の生まれた日…改めて 母の子に生まれて来れたことを嬉しく思います。

 

 

有難い日々…

太陽院院長  近藤  千恵子です(^_^)v

3月3日、今日は父の92歳の誕生日。

昭和3年3月3日生まれの父は、今年1/23  発熱から  低酸素、低血圧状態になり  主治医より 危篤宣言。

…が、有難いことに 今年もお誕生日を無事迎えることが出来ました。

人生の中で、何度も死にそうになりながらも  生きててくれてることに感謝いっぱい。

で…、今朝は  病室に チューリップを持って行ってみました。

3月は 伊曾乃神社の御幣も黄色。

チューリップの黄色と御幣が  いい感じです。

花瓶は、父がまだ元気なころ 作った 花瓶。

いつかは 訪れるお別れの時があるけれど、身体や顔 この肉体をまとった 父との 一瞬一瞬が 有り難く嬉しいひととき。

危篤を宣言されたからこそ  いつか訪れるお別れの時を悔いのない様に迎えたいから…

若くて 今から一緒に色々楽しめるね…と言ってた友がこの世から居なくなり

会えなくなることの寂しさを教えてくれたから…

今の一瞬一瞬の尊いこと…

生きてることの奇跡…

出逢えることの奇跡…

私は 私の父の3番目の娘として生まれて来たこと

父がいっぱいの愛で守ってくれたこと…

今日父の誕生日に改めて感謝です。

父ちゃん…生きててくれてありがとう~(о´∀`о)

不死鳥

太陽院院長  近藤 千恵子です(*^^*)

1月が後数時間で終わろうとしている今、入院中の父の病室で 久々のブログの更新です。

今月22日、父の入院先の病院から 電話が入ってるのを  気付かず 三重県に住む友人家族と久しぶりの再会を楽しんでおりました。

10代の頃 臨死体験をしたという彼女の話や 脳出血から 見事に復帰したお母様の話で盛り上がり 昼食後 ふと携帯電話を見ると 父の病室から 3度も着信。

一昨年前の11月入院後、ほとんど電話等なかっただけに  ただ事ではなく…

昼食後 友人家族とは 別行動だった為  慌てて病院へ電話。

父が大変危険な状態だと…

自宅から数分の病院だけれど、しまなみ海道の見える今治まで来ていただけに  病院まで 車で急いでも1時間以上。

父の生命力を信じるしかなく…慌てても仕方ない。

病院でまず 先生にお話を伺うと、今朝  嘔吐し、熱が38度。

血圧も上が60程しかなく、酸素の値も40に減ってしまってるけれど、血圧 上げる点滴はしますか?…と。

「血圧は上げられるのならば、上げてください」と、お願いし…

その後、姉も揃って 先生からのお話…

「非常に危険な状態です。」と、再度告げられ…目の前で 酸素マスクを付け 寝ている父を見るけれど  信じられず…

そして、翌日の23日~27日まで 断ることの出来ない予定に   23日だけは 事情を説明し何とか良い形でクリア出来、24日~27日までの予定は変更する事もあえてせず…

神さまが きっと良い風にしてくれると信じ…

昼間は姉達が 父に付き添い、私は動ける夜 付き添いに…

今年3月3日に92歳になる父は、人生の中、何度も死と直面しながらも  その度に生還してる生命力。

まさに不死鳥。

状態が非常に悪かった22日から  おかげさまで  4~5日で 血圧は、ほぼ120/70前後で安定するようになり、酸素量も99まで…

22日から9日経った今日の夜も   肺炎の症状から  タンが呼吸を苦しくさせるけれど  後は  今までと変わらない程 元気に復活。

末っ子で父親大好きな私は、夜 父の側に付き添いし見てる事が苦痛でなく 楽しみに…

毎日代わる夜勤の看護師さんが  父のタンの吸引に来てくれた時に  嫌がる父の手と身体を押さえるだけで  それ以外は 能天気に熟睡。

この世での 父との時間が 後 数時間なのか、数日なのか、数ヶ月なのか、数年なのか…

いつか訪れる 別れがあるから、病院で父の寝息を聞きながら 側に入れるこの時が  有り難くもあり貴重なひととき…。

神さま…どうか よい風に(*´-`)

歯医者さん!

太陽院院長  近藤  千恵子です(*^^*)

先月 7日から  認知症の叔母を歯科受診に連れて行って ます。

今年 4月から  ショートステイを上手に組み合わせてもらって  自宅での介護の負担はなくなってましたが

病院受診や、今回の様な歯科受診は 家族が連れて行かなければならず  片道車で40分程離れた 施設に迎えに行きます。

自宅で介護していた時と比べると  少し痩せて、歩く力も衰えてしまったものの  相変わらず 会話にならないお喋りは健在。

で、週に一度の歯科受診も昨日で5回目。

毎回、先生には頭が下がります。

と言うのも、認知症の叔母  「口開けて…」と言ってサッと開けられるものでもなく…

私も 叔母の手を押さえ  「はい…あーんしてよ~」と、側でずっと歯医者さんの治療を見ながら付き添い。

歯医者さんの仕事をこんな身近で見ることがなかったから  細かい作業をコツコツとこなしていく先生に天晴れ…感動。

で、私自身も  気になる歯が有りながら  受診する機会がなかったので  先週から 私も歯科受診。

細かい治療風景を見ていただけに  私の歯を治してくれてる時も  「今  あれやってるな~!」と 想像することが出来て…今までの歯科受診とはちょっと違って安心。

叔母の歯も 私の歯も 治すところが多く  しばらくは 週に一回づつ  2日間の受診が続きそうです。

歯は女優の命…ってコマーシャルがあったけれど、女優でなくても  歯は本当に命。

しっかり治してもらって  いつまでも美味しく食べていきたいものです。

母の日のような1日

太陽院院長  近藤  千恵子です(*^^*)

今日は朝から 主人とお義母さんと私で  大阪までお出かけ~。

先日九州へ行った時、友達との待ち合わせしてた場所で  凄い引き寄せで出会った方が薦めてくれた エネルギー治療を受けに…

会場には  人がいっぱい!

主人も私も 疑心暗鬼…だけれども 興味も津々。

お義母さんは…というと、何が何かわからないけど 椅子に座って…

今日、初めて受ける人は30名程来られており  私達は17~19番目。

先ずは私…そして主人…その後にお義母さん。

施療後、一番エネルギー療法の効果が出たのが お義母さん。

世の中には  数々の見えないエネルギーでの治療も溢れており、今の時代はどれも 信じられるものでもあり…

お義母さんの歩き方にかなり変化が有ったことで、私もパワーを受けに行ってみたら…とも 言われたけれど…

ちょっと  その氣にはなれず…保留~。

強引な勧誘もなく、3人でまた淡路大橋を越えて 四国まで…

日頃、遠出する事の無いお義母さん。

朝からそわそわ…。

ここは、どこ?

今、何時?

酔わない?                                                                            乗り物酔いする人は  こんな長いこと車に乗ると 酔うだろうね…と。

この3つを何度も繰り返すお義母さん…。

お義母さん!…100回目  時間聞いたよ!

と、言いながら大笑い。

普段 家でのんびりテレビ見て 一日過ごすことが多いお義母さんにとっては

今日はかなり刺激的な一日だったよう…。

夕方4時半には  会場である大阪第一ビルを出発。

途中休憩しながら…夜9時半 無事家に到着。

お姑さんや小姑のいる家に 嫁ぎ、自分の為に 時間もお金も そんなに使うことのなかったお義母さん。

まだまだ 足で歩け、食べることも出来る今。

今度は何処へ連れて行こうかな…と  次も一緒にいきたい!!と思った今日でした(*´-`)

今…ここで出きること

太陽院院長   近藤 千恵子です(*´-`)

昨年8月 認知症病棟に入院した叔母。

それから 昨年12月初め 老健施設に入り4ヶ月過ごし…

今年4月から ロングショートステイとショートステイを利用させてもらうことで、自宅での叔母の介護からは解放され…

そして、今日本当に久しぶりに主治医の病院へ受診に連れていきました。

施設では  車椅子で移動し…ほとんど歩くことのない生活に 脚力が極端に低下し…ヨロケめきながら主治医の病院へ…

結局、病院の車椅子を借りて受診。

昭和6年生まれの叔母は今年88歳。

実は大っきらいだった叔母…だからこれで良いんだ!!

と、言い聞かせる様に 1ヶ月分の薬をもらい また施設へと送って行きバイバイ。

家でみてた時は 白髪もヘナで染め  御化粧もして 綺麗にして出掛けてたのに…

認知症となった人間や寝たきりになっ人間を施設で1:1でみることは不可能なのだけれど…

右手の爪の間に茶色い汚物を発見した時は ちょっとショック。

しかし…私自身認知症の叔母をみることは もうお手上げ…

好きではないけれど  人として弱っている人を放ってはおけず…

また自分自身で出来ない事が多くなったからこそ 爪の先までも 清潔に保ちたいものです…

今、関わっているプロジェクトが始まり  時間も金銭的にも余裕が出来る時まで  あともう少し…。

高齢者の問題、子育ての問題、地球環境の問題…私自身がしっかり地に足つけて取り組んでいく令和の時代。

叔母がどうかストレスない毎日が過ごせるように…と 願います。

おとひめさんの呟き💛

太陽院院長  近藤  千恵子です(*^^*)

今日 火曜日は、お昼1時から おとひめ会での「イキイキ100歳体操」の日。

体操の後のおしゃべりタイムも楽しみのひとつ。

今日もおしゃべり中  大正生まれのMさん…

「私  令和まで生きられるかな~」と…。

生きれます!生きれます!

あと、15日も経たないうちに 訪れる令和の時代。

そして、今日9人の参加者の中、大正-昭和-平成-令和と  4つの時代を生きているおとひめさんは、なんと3人。

大正12年1月、大正15年1月、そして大正15年3月生まれ…。

そんな話のなか 大正15年が11月に終わったこと 大正15年は知ってたものの  大正15年が11月で終わり 大正元年が1ヵ月程しかなかったのだとか…

大正15年10月に生まれた今は亡きご主人さんが、昭和5年生まれの嫁さんに  昭和生まれをなじったのだとか…

ほんの数ヶ月違うだけで  何かが違ったのでしょうか…。

実際、令和元年をあと数日後に控え  ひ孫がもうすぐ生まれるんだ…という話も。

平成で生まれていれば良いのか…令和元年生まれが良いのか…微妙なところ。

全ては 主の 御心のままに…

そして、話は新紙幣発行の話へ…

今年 89歳のFさん…発表が会った日  家で娘さんに  新紙幣までは生きてないわ~と言ったのだそう…

そうすると  オリンピックが決まった時にも言いよったね!!と ズバリなお言葉に(笑)

2025年新紙幣発行までも 是非是非 今と変わらず  わいわいおしゃべり出来ると嬉しいです。

しかし  昭和の初め…あの大東亜戦争を経験し生き抜いて来た おとひめさん達の話は 本当に濃い人生。

大正15年生まれで  小学校の先生でありながら  自身の子供も育ててきたMさん。

産休は42日間だけだったんだとか…

そして、小学校でのお昼ご飯…お弁当持って来てる子も居るなか  家で食べて来ます…と言いながら  家に帰っても何も食べ物がない時代。

家に戻ることなく  お昼ご飯を食べずに教室に戻って来る子供もいたのだと…。

女の先生ならではの 気付きがあり  こっそりおにぎりを渡したこともあったのだとか…。

修学旅行だって 行ける子供と 行けない子供がいた時代。

先生も生徒達も お父さんもお母さんも  あの時代…必死で築いてきた日本。

大きな時代の変わり目  ひとときでも楽しい時間を共に過ごせる様に お手伝い更にしっかりさせて頂きます

Spring has come!

太陽院院長   近藤  千恵子です(^_^)

桜の開花予想が  発表されたけれど  西条の桜の名所…武丈の桜はやっと1分咲き。

桜の見頃はもう少し先の様だけれど…菜の花や れんげ、そして チューリップは今 花盛り。

そんな中  我が家のつばめも 卵を温め始めた様で…雛鳥に会えるのも もう少しでしょうか。

そして、12月初めから3月末までの予定で 老人保険施設…通称「老健」に入っていた認知症の叔母。

どうにか何処かで…と祈り、探してたところ…

特別養護老人ホーム「特養」は どこもいっぱいで入所待ちだけれど…

ショートステイならぬ  ロングステイのような感じで  上手くプランを立てて頂き  我が家での介護からは  解放されそうです。

捨てる神  有れば  拾う神 有り…っていう感じでしょうか。

神さま…助けてくれて有り難うございます(*^3^)/~☆

回りまわって…

太陽院院長 近藤    千恵子です(*´▽`*)

今日は、ええ~!!ってことが3つ。

うわ~!!ってことが3つ うまく回って来ました。

えええええ~と言う出来事は、朝 療養型の病院に入院中の父の部屋で起こりました。

父は、脳出血の後遺症から嚥下がうまく出来ないことがあり よくむせることがあり…その影響から肺が弱っており 今の病院に入った時から 胃瘻からの栄養摂取となりました。

で、世界で唯一高熱処理せずカカオの効果をのこし、砂糖も油も入っていないヘルシーチョコレート

このチョコレートだけは主治医の先生にお願いして 食べさせて下さい…と言うことで ほとんど毎日2回チョコレートを食べさせるために父の所に通っています。

で、突然寄る時のためにと、病室の引き出しに置いてあったチョコレートが7つ…今朝引き出しを開けると消えており…えええええ~と。

父のために昨日補充してたチョコレート。

今までも んんん? 数減ってる?と思う時もあったけれど、今回は昨日赤と緑のパッケージのを4つづつ持ってきて ひとつ食べてもらって…

で、昨夜は結局いけなかったので、ほぼ24時間後に訪れた時には 引き出しの中のチョコレートは何も無くなってしまってて…。

看護師さんに言ってはみたものの 誰も心当たりはなく 犯人探しも出来ないと…。

なんとも言いようのない虚脱感に襲われた朝。

そして、毎回1枚づつ持っていくことに…

で、今日は大きな生みたて卵を購入したので、今年初めてのシフォンケーキ作りを…

で、シフォンケーキの命のような 卵白をメレンゲに泡立てた時、お砂糖を入れ忘れてるのに気づき 黄身と混ぜ合わせたメレンゲをもう一度泡立てることに…

メレンゲは黄身と混ざると 二度とふわっふわになってくれず…

せっかくの大きな卵の卵白が中途半端な状態になりアワワ…。

何とか焼き上がったものの ふくらみが納得できずえええええ~!!と。

で、3つめのえええええ~は、私のスマホのアプリ「LINE」が消えてたこと。

朝夕のファミリーサポートの時、わたしのスマホを子供が触り 最高にバッチリなタイミングで LINEアプリが削除されてしまったようで…

今日は何だかんだで 朝から夕方までスマホを触ることもなく 気付いたのは夕方保育園のお迎えが終わってから…

どうすれば復活するのか…

変なことしてややこしいことになるのも面倒なのでauショップへ

15分ほどで何とか元に戻り…一件落着!(^^)!

朝から なんだかんだあった今日。

だけれど、お昼 探していた場所へスムーズにたどり着けたり…

泡立てに失敗したシフォンケーキも 食べてみると 美味~。

そして、夕方からサポートさせてもらいサポート代金2時間分1200円頂くところ、なんと夕食代金ずっと払ってないので取ってくださいと2000円頂戴し…

800えんも多めに…

チョコレートが一枚 ほぼ100円なので 無くなった7枚分がお金で戻ってきた感じ…と思うと

嫌な朝の出来事を帳消しにするように嬉しいことがあり…何だかいろんなことが まわりまわって来てるのかと…

まっ お金だけの問題じゃないですが…

と、実は昨日観た映画ボヘミアン・ラプソディーの曲を 朝から主人が大きな音で響かせて起きて来たけれど

そして、その曲たちは毎日かかっていた曲。

洋楽を聴かない私には 今まで全くハートに入って来なかったQueenの曲たちが 今日はどんどん身体に沁み込んでいく(笑)

おかしいものです。

きっと数学が嫌いだった子が 突然数学の面白さを知ったような…

いや神様の存在を信じなかった人が すべてに神様の存在を感じるようになったような感覚でもあるような…

心地よいフレディーマーキュリーの声とリズム。

今日、何かを失い… またその空いた隙間に何か新しい光が入ってきたような…

父の病院での嫌な出来事も どうか一時の過ちでありますように…。

思えば人生色々…♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

昨日、父の療養先の病院への手続きに行って参りました。

ずっと父を介護してくれてた姉が体調を崩し…姉の入院先と父…そして認知症の叔母のことも含め、11月色々と施設や病院そしてデイサービスなど 3人分の手続き やっと 何とか ひと段落っていう感じです。

今週月曜日から 老健に入った叔母は 昨日 所用で行ってみると、リハビリ中。

若いお兄さんに 手を繋いでもらって 優しく「これ…なんて読みますか?」と、部屋に貼ってある自分の名前を問われると、

「○○ トミ子」と…。正解

312という 部屋番号も立派に言えて、絶好調。

認知症に対する リハビリも取り入れられており 叔母にとっては最高にパラダイス…。

ただ期限が決まってるために この3ヶ月というか 桜の花の咲くころまでに 特養…特別養護老人ホームへの入所が決まってくれる様 ただ祈るだけ…。

そして、父はというと まだ確定はしてないけれど 今は病院で穏やかに過ごしてくれており…

そんな父の担当医が書いた療養所への紹介状…覗いてみると父の発症時期がきちんと記されており…思わずメモさせてもらいました。

父が、国鉄で左足を切断したのが 昭和20年17歳の時。

そして、脳出血により右半身麻痺になったのが 平成14年2月7日。

16年前のあの日、神様は なぜ父をこんなに苦しめるのか…本当に天の神様は何を考えてるのか…と、見えない世界に問いました。

それから 父、母の介護…そして主人も平成19年8月25日脳出血で左半身麻痺となり…

その度ごとに、私を強くしてくれる何か大いなる力。

そして、その時 その時の最善へと導いてくれる 見えない光。

逆境の時だからこそ 目的が明確に示され…人やモノ この三次元の物質世界で 光と共に歩んで行けます。

若い時…自分の好きなことだけをやって来たからこそ 好きなことしか出来ず…。

きっと 欲しいモノを引き寄せる磁力は ちょっと強いのかも知れません。

もちろん 見えない存在が働いている!!と、いうことを知っているから…。

父の発症記録を見たことで、甦ってくる その時々の思い。

先祖供養の宗教にも入り…毎朝寒い中水をかぶり 念仏を唱えたことも…。

そして、生・老・病・死 愛別離苦(あいべつりく) 怨憎会苦(おんぞうえく)  求不得苦(ぐふとくく) 五蘊盛苦(ごうんじょうく)…全て逃れることが出来ない 四苦八苦の人生だからこそ…

光がまぶしく 光を求めることが楽しい(*^^)v

父が倒れてくれたから… 母が病を背負ってくれたから…

主人がツラい人生を覚悟してくれてるから…

叔母の認知症もそう…

一つひとつが 私を育て 真実の光を見させてくれるもの…。

激動の平成最後の年。

この世に起こること…本当に全てがきっと最善(*^^)v