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原子爆弾投下…前夜

太陽院 近藤  千恵子ですヽ(^。^)ノ

73年前の明朝8時15分…

世界中を驚かすような世界で初めての核兵器…原子爆弾が一般市民が生活するヒロシマに投下された日

患者さんで呉市内で暮らしてた方が、その朝、広島に立ち上がる火の粉に 唖然としたそうな…

明日…命が終わると知っていたら その場にいたでしょうか。

今は、自然が原子爆弾と同じように 人の命や住まいまでも一瞬で奪い去ってしまう様なことも有るけれど…

人の手によって、無差別に人が殺されること…。

アメリカ軍から見れば、実験だったのでしょうか?

それにしても、その後3日目に長崎にも落とした原子爆弾…。

アンビリーバブル!!

それが直接の原因では無かったと聞くけれど、その後8月15日に迎える終戦。

今も被爆された方や、被爆2世の方々は やるせない思いで 今月6日や9日の哀しい日を迎えてきた73年。

多くの日本人たちが原子爆弾だけでなく、戦地でも 命よりも大切なものを守る為に散華していった事実。

8月は慰霊の月…鎮魂の月。

命ある者…みな時が来れば滅び…天に還って逝くけれど…

あの時代に この日本に生を受け…旅立って逝った尊い命の数々。

その尊く気高い命の数々が遺してくれた祖国日本。

遠い遠い空の上から、今の日本を見守ってる先人の方々。

海行かば みずく屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
かへりみませじ

海を行けば 水に浸かった屍となり…
山を行けば 草の生す屍となって
大君のお足もとにこそ死のう
後ろを振り返ることはしない

73年前 終戦を迎えるまで、君が代と共に第二国歌とも言われる
「海行かば」

国を失った民族はどんな人生を歩まないといけないか…。

そして、この日本の国が建国以来2678年という世界で一番長い歴史を持つ国であることが出来ているわけ。

大切なことが 伝えてもらえない今。

慰霊の月…鎮魂の月…目を閉じ深く息を吸い込めば 聞こえてくる天界からのささやくような小さな声にフォーカスさせること。

明日の朝、瀬戸内海の向こう…ヒロシマの地で多くの御霊が今この時代を生きて居るモノたちに伝えたいこと…しっかり受け止めていきたいと思います。

日の本

今日2月11日は、建国記念の日。

日本國が誕生して2677年。

明治21年に作られた「紀元節唱歌」

紀元節

一、
くもにそびゆる たかちほの  たかねおろしに くさ
なびきふしけん 大御世おほみよを  あふけふきょうこそ たのしけれ
二、
うなばらなせる はにやすの  いけのおもより なほひろき
めぐみのなみに あみしを  あふけふきょうこそ たのしけれ
三、
あまつひつぎの たかみくら  千代ちよよろづうごきなき
もとゐさだめし そのかみを  あふ今日きょうこそ たのしけれ
四、
そらにかがやく もとの  よろずくにに たぐひなき
くにのみはしら たてしを  あふけふきょうこそ たのしけれ

文献によると、天照大神の孫 ニニギノミコトが高天原に降りてきた後、神武天皇が奈良の橿原に向かうまでの時は179万2470年あまりになると書かれていました。

古事記の中、神武天皇はニニギノミコトの子供…山幸彦の孫。

ニニギノミコトが山の神さまの娘コノハナサクヤヒメと結婚し、

また山幸彦は海の神さまの娘トヨタマヒメと結婚。

そのトヨタマヒメと山幸彦の間に生まれたウガヤフキアエズノミコト。

このウガヤフキアエズノミコトの孫が神武天皇となるんですから、ニニギノミコトから6代。

初代神武天皇は、天照、山の神、海の神の全ての血縁を得ての建国。

179万2470年間で6代…それは1代約298,700年づつ生きていたことのようで、

また神武天皇から125代目の今の今上陛下までが2,677年を単純に計算すると、1代21,4年間。

聖書の中でもノアは950歳まで生き、アブラハムは175歳だったと…。

まっ深く探求はしませんが、「日の本」日本を治めていく天皇とは 身を犠牲にしながらも国民、国家の平安を祈り守っていく尊く有り難い存在。

そして、日本國の建国を宣言する前

スサノオノミコトの子孫が納めた179万2470年と

アマテラス子孫が繋いできた2677年を足してみると、

179万5147年。

ニニギノミコトが天孫降臨の時預かって来た詔

「天壌無窮の神勅」

豊葦原の千五百秋の瑞穂の國は、
これ吾が子孫の王たるべき地なり。

爾皇孫、就きて治らせ。
行矣。

寶祚の隆えまさむこと、
當に天壤と窮まりなかるべし
(日本書紀巻二)
~~~~~~~~~~~~~

現代語に訳すと次のようになるそうです。

~~~~~~~~~~~~~
豊かな葦原で、
秋になると稲穂がたくさん稲が稔る國は
私の子孫が統治する地です。

なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。
元気で行きなさい。

寶祚(天皇の御位)が栄えることは、
当然に天地と共に永遠で窮まりないことです。

~~~~~~~~~~~~~

奪うことなく、和をもって尊しとなすと読んだ聖徳太子

シラス國。

和の国。

紀元節第4章に「万の国にたぐひなき」と示されたように

世界に類を見ない唯一無二の日の本日本。

イザナギ、イザナミによって国生みされ179万5147年余り。

出雲の国譲りからアマテラスの世へと移り2677年。

人の寿命は、長く生きても今は100年。

多くの人が生まれては死に、死んでは生まれ…。

永い永い年月を山や海、大自然に包まれ、また地震や津波 厳しい天からの試練をも越えて存在する「今」

アトランティス大陸などは、3度の地殻変動で海底に沈まされたんですから、「在る」ということは奇跡の連続、神さまの計らい。

「今」を歓び、堪能し、何が私に出来るのだろうと天に問いつつ

世界が、日本が主の御恵に満ち満ちたものとなりますように…。

日本國 皇紀2677年 お誕生日 万歳…!!

そして、今日は吉元由美さん作詞 平原綾香さんの歌う「Jupiter」

 

 

 

 

 

国旗

今日は、1月9日成人の日で カレンダーでは国民の祝日…旗日。

ハッピーマンデーが制定されるまでは1月15日が成人の日。小正月。

我が家が、祝日に国旗を掲揚するようになったのは、もう6年前になるでしょうか。

ホームセンターで購入し、6年前の元旦。しっかりと国旗掲揚させてもらいました。

白地に赤く 日の丸染めて
あぁ 美しや 日本の旗は

アサヒの昇る 勢見せて
あぁ 勇ましや 日本の旗は

戦前の唱歌「日の丸の旗」

歌の通り、昔日本の家々の軒先には祝日となると、国旗がどの家にも掲げられ、赤と白のおめでたい色が 心を穏やかにしてくれていたように思います。

011正月の朝

私がまだ小学生のころまでは、我が家でも祝日には国旗を揚げて…

翌日、学校では「昨日、国旗を揚げた人?」と調査があったのを覚えてますが、これは日教組の行った調査だったのでしょうか?

そのうち、右翼と呼ばれる街宣車が、車には天皇陛下万歳と書き、日の丸をはためかせ、軍歌や君が代を大音量でかけて街の中を走ったり、若者がバイクにまたがり日の丸を振り回し…。

国旗を揚げたり天皇という存在が軍国主義の象徴のような錯覚を起こさせるようになってしまったようで…

祝日の街中では、日の丸を掲げる所がなくなり、挙句の果てには学校で君が代も歌わない学校も出てきたりしているようで・・・。

そういう私も、私が師と仰ぐ三重の赤塚さんから 7年前の47歳の時、日本のことを教えてもらうことがなかったら…国旗を揚げることもなかったと思います。

6年前の元旦の朝、ホームセンターで購入してきた新しい国旗を玄関に…。

1年間の祝日や祭日は、たった15日だそうで、心躍らせながら朝国旗を掲揚させてもらい始めました。

ところが、その年の5月3日夕方4時私が往診に出かけるときはあったのに、戻ってみると

「ない!!」

しかも棒が半分残って…。

ちょうど、夕方6時半から来ていた主人の塾の子供たちに、

「塾に来たとき国旗掲かってた?」と聞くと、

「あったよ!」と。

じゃ~塾の子が来た夕方6時半~私が帰ってきた7時半までの間の1時間に誰かが持って行ったとしか考えられない。

ホームセンターで5千円もしないくらいの値段だったので、特に被害届を出すようなものではないけれど、モノが国旗だけに なんかもやもやして、警察に電話。

そして、事の経緯を告げて もし町の中で旗振り回してる子がいたら注意してください。そしてなんていう名前だったか忘れましたが話を聞いてくれた警察の方の名前を教えてもらい電話を切りました。

そして、またホームセンターに行き2つめの国旗を購入。

しかしまたその年の9月の祝日、2度目の国旗盗難。
この日は、朝掲げたと思ったら すぐに消えてしまい…

すぐに警察に電話。前回の警察官の方がその日はおらず、5月にもあった件を伝えさせてもたったですが、聞いてもらっただけで、その後何も音沙汰なし。

取られることよりも、なぜ国旗を取って行ったのか?

そこが知りたい!!

そして3代目の国旗は、今年のお正月や今日の祝日にも 我が家の軒先で力強くはためいておりました。

ちなみに、70歳くらいの知り合いに国旗紛失事件を言ったところ

「あんた 国旗なんかあげるけんよ!右翼みたいなけん もうあげられんよ!!」と一言。

自分の祖国の国旗を尊いと思えないようになってしまったこと。

オリンピックやワールドカップでしか日の丸を大切にしなくなってしまったこと。

私自身は、何度盗まれようと、自分自身の出来ることで もう一度この日本に生まれて良かったな~と思える生き方をしていきたいし、

私が来た時よりも、もっともっと素晴らしい日本になって天に還るようにしたいな…と思います。

「来た時よりも 美しく!!」ですね。