「皇室」カテゴリーアーカイブ

全てに時があり…

太陽院院長  近藤  千恵子です(^-^ゞ

平成の時代が 終盤を迎え…なんだか名残惜しくもあり、またこの御代替わりを2度も経験させて頂ける時に 生を受けてることに大きな僖びを感じます。

昭和天皇がご病気で 長い間入院されてたころ  私自身 全く皇室のことなど、存じ上げることもなく  また崩御されたその時も  さほど悲しみにくれることもなく…

今思えば  本当に申し訳なく 恥ずかしい限り…

私自身、皇室や天皇陛下のこと…また日本のことを知りたいと思った一番初めは、2010年11月。

その数年前に  ケイシーグッズを取扱っているテンプルビューティフルさんが主催された「イエスを人生に招き入れる」という講演会のDVDを購入。

DVDの中 ピンクのシャツを着た三重県津市にある赤塚建設社長…赤塚  高仁氏のお話に…

赤塚さんが出会った神さまに私も会ってみたい!

神さまに繋がる祈りの力を感じてみたい!!

何より…赤塚さんに逢ってみたい!!!

なんと…そんな思いが  2010年2月から始めた西条でのエドガー・ケイシー探求講座  3回目の8月に実現。

ちょうど 初代はやぶさが見つかり  奇跡のような帰還を果たす直前。

そして、間髪入れず ケイシー講座4回目の11月にも再び 来て頂き  その時は ペリリュー島へ行かれた直後。

ペリリュー島のお話とそして、私の大和魂に火がついた マッカーサー元帥と昭和天皇の謁見のお話。

実は、赤塚さんが 来てくれる事が決まった 2010年5月…

来て頂くのならば  「聖書を知っていなければ…」と、プロテスタントの教会の門を開き、その週から毎週日曜日 礼拝に参列。

ちょうど 若い牧師さんが赴任したばかり…。

マルコによる福音書を毎週 学び、初めてイエス様の事を知ることに…。

赤塚さんが再度来て下さった11月のころには  聖書を通してイエス様の愛の世界を ありありと感じる事が出来る様になっていた頃…。

そんな私が、初めて聞いた昭和20年9月27日の昭和天皇がマッカーサー元帥のところへ伺った時のお言葉…国民を飢えから救ってくださいと…国民への愛

天皇陛下って  イエス様の様…な方だったんだ…。

と、思った時から涙が止まらず…。

ただただ 有り難く…そしてまた、その時から開かれた日本のこと…古事記の世界。

平成の今上天皇まで、125代。

イエス様の様な無私の愛で国家の安泰と国民の幸せを祈り続けて下さっていることで続いている大日本国。

今の時代、この日本に生まれたいと思い  生まれてきた私が  9年前 47歳で気付かされ…

26歳の時、昭和天皇が崩御された時とは全く違う思いで  今回新しい御代を迎えられること。

聖書の中 、「全てに時があり…」そして「神のなされることは皆その時にかなって美しい」

この度の御譲位も全て神さまのなされること。

イエス様が神さまとは、こういう生き方 考え方をするんだよ。

と、見本を見せてくれたように  我々日本人は 陛下を通して また天皇皇后両陛下を通して  神の子としての生き方、考え方を学ばせて頂けること…本当に有り難く また感謝しかありません。

令和という きっと美しく明るい時代を前に  昭和天皇、また平成の今上天皇に改めて感謝申し上げます。

平成最後の満月の夜

太陽院院長  近藤 千恵子です(^^)/\(^^)

今日は、平成の時代でみる 最後の満月の日。

しかも 天秤座で満月に入るそうで、太陽星座が天秤座の私は 何だか嬉しい…。

そして  今日の満月は 雲ひとつなく  まん丸なお月様が暗闇を明るく照らしてくれてます。

そして  ネイティブアメリカン達がつけた名前が「ピンクムーン」

そして4月の伊曾乃神社の朔日御幣もピンク。

お月さま自体がピンク色って言うわけでもなく  春…草木が芽吹き 新しいスタートの時。

昨日 天皇皇后両陛下そして黒田清子さまに寄って 伊勢の神宮に…

いつもとは違い、天皇陛下は剣と勾玉と共に御料車両に乗られ  その後ろの車両に美智子皇后が…

美しい日本の神話が息ずく伊勢の地。

陛下が神宮にご入りの前に降った 雨によって  全てのものが天の采配の中 浄められ キラキラと光る宇治橋。

何度か雨の宇治橋を渡ったことが有るけれど  テレビにうつる雨上がり光輝く宇治橋から桧の薫りが  ぷ~んと漂って来る感じです。

いよいよ  平成も 残りあと10日ほど…

カウントダウン状態の日本列島。

今日カイロに来てくれた方は  来週土曜日から10連休

海外に…と色々当たってみたけれど  もう定員いっぱいで航空券もなかなか取れず、結局北海道へ …

といっても、北海道!!

美味しいお魚やお肉…

我が家は  どうやって平成を見送り、令和の時を迎えましょうか。

ちょうど 4/30は、20回目の結婚記念日。

色々あった平成30年の日々と  我々夫婦の20年の日々。

全てに感謝し  そして今 この時に生まれて巡り逢ってることに感謝感謝です。

卯月月次祭

太陽院院長   近藤千恵子です(*´-`)

卯月 4月

地元の伊曾乃神社での月次祭 今日も朝9時から参列させて頂きました。

爽やかに晴れ渡った空の下   皇祖天照大御神(アマテラスオオミカミ)と国土開発の祖神である武国凝別命(タケクニコリワケノミコト)をお祀りし、御鎮座から一千八百有余年続く伊曾乃宮。

我が家から車で10分程で到着出来るところに こんなに由緒正しいお宮が鎮座していること…これこそ私への神様からの祝福。

昭和の時代に生を受け  平成の時代も過ごさせて頂き…そして、あと半月で迎える令和…新しい御代。

126代目の天皇の時代も  皇室の弥栄…陛下への感謝の思いを  伊予のお伊勢さんとも呼ばれている伊曾乃神社にて祈らせて頂きます。

建国の日…♡

太陽院院長 近藤 千恵子です\(^o^)/

2679年目を迎えた今日は日本国の誕生日♡

朝8時、伊曾乃神社の敬神婦人会が集合…紀元節の御神事の後、振舞う「小豆粥」の準備に行って参りました。

そこでみんなと同じ真っ白な割烹着をプレゼントしてもらい、割烹着デビュー(^^)v

紀元節のあと、初めての割烹着で振舞う小豆粥と紅白まんじゅう…

そして、空には今日の紀元節を祝うように飛び交う 渡り鳥たち。

まるで航空ショーを見ているような 鮮やかなフォーメーション。

その後、我が家に戻り…主人と共に松山ひめぎんホールで開催の

「天皇陛下御即位30年奉祝!!建国記念の日奉祝愛媛県大会!!」へ…

3000人収容の会場いっぱいに集まった大会参加者。

国歌斉唱し、橿原神宮を遥拝…

その後、祝辞や来賓者紹介のあと、皆で斉唱する「紀元節唱歌」と「万歳三唱」

「天皇陛下…万歳\(^o^)/ 万歳\(^o^)/ 万歳\(^o^)/」…

そして、今年の記念講演は、明治天皇の玄孫…竹田恒泰先生のお話。

ちょうど平成から新元号へとかわっていく中 元号があることの尊さ、また神武天皇から続く建国の精神。

しかし、1時間のお話の中 絶え間なくお話下さる皇室のことや日本のこと。

笑って…泣いて…共に日本国の誕生をお祝いすることが出来たことに感謝いっぱいです。

真実の光

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

未来は誰にもわからず 世の中には不安をあおるようなこともたくさん…

NHKの朝ドラの 日清食品を作った 安藤 百福氏も ラーメンで成功するまでは 誰もこの人がスゴイ発明をするようになるとは知ることもなく…。

パナソニックの松下 幸之助氏も…ホンダの本田総一郎氏も…。

世の中の多くの人が知っているものを 知るのは簡単だけれど、まだほとんどの人が知らない時に その中に光る光を見つけることが 出来るかどうか…。

聖書の中、ヨハネの福音書には

「ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。

この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし  彼によってすべての人が信じるためである。

彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。」

こう紹介されている 洗礼者ヨハネと 光であるキリスト・イエス。


洗礼者ヨハネによって紹介された キリスト・イエスでさえも 世の人々は 光と認めることが出来ず…

実際  私自身が その時 その場に居たとしたら 神の子イエスを信じることが出来たでしょうか?

ふと思ったのは…

「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」という言葉。

心が正しい状態でなく うわの空であったり 常に真実の光へと集中していなければ 真実は見えず…

今日、一度我が家へ来たことのある方が お友達と二人で 訪ねて来られ「日本は仏教国であり、法華経こそ 日本を救うものである」と…私に話をされ…

そして、我が家に貼ってある教育勅語や 古事記 また神道は 間違っている。とも言われ…

何をどう学べば そんな風になっていくのか…

また 話しを聞いても 私自身受け入れることもできず…

うんうんと聞くけれど、話しは平行線。

今年初めブログにも書いたように…
「主を讃え 仏に暮れて 神に明ける」と、世界で唯一 全てのことをわかり受け入れられる事の出来る 日本人。

神話から続き、125代天皇陛下を拝する神国日本。

2679年…見て来た人も無く、何が正しいか 分からないけれど、自分のハートが 喜ぶ方を信じていたいと思わされた今日でした。

平成の30年間♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(^_^)/

一昨年の8月8日、今上天皇陛下によるお言葉から 2年半の歳月が過ぎ…

今年の夏頃からよく耳にするようになった「平成最後の~」

何か、期限が定まると凄く一つひとつの出来事が尊く、昭和天皇の御崩御から平成の時代へと変わった時とは また違う元号への思い。

年末、テレビでは 平成30年間の出来事を総ざらい。

思えば、政治も企業もまた芸能界も恥ずかしいような出来事も多く…またメディアやネットからの影響で 良いことも悪いことも 情報が入りやすく…

こんな時代だからこそ 自身のアンテナの精度をあげておきたいかも…。

私自身は…というと、「平成」と発表された30年前の1月は、志賀高原でのスキーインストラクター生活が始まった年。

そして、平成8年11月カイロプラクティックを学び…翌9年10月開業。

平成10年8月に主人と出会い…平成11年1999年4月30日21世紀を前に結婚♡

平成14年2月父が脳出血で倒れたことで、介護にも関わることに…

平成16年2月、ふと隣の新居浜市で開いていた施術院を自宅のある西条市に移転することにし…。

その後、平成19年8月25日主人が脳出血で半身不随に…。

その翌年平成20年、エドガー・ケイシーを知り 広島まで主人と講演会に出かけて行き…

平成22年2月第一回エドガー・ケイシー探求講座を西条で開催しはじめ…平成28年12月まで年に4回合計28回ケイシー講座も開催させて頂き…

その間に、三重県津市の赤塚高仁さんをDVDで知り…平成22年8月の第3回目のケイシー講座で赤塚さんにお話しをして頂いてからは ケイシーを伝えて下さるケイシーセンター会長光田秀さんと

日本のこと皇室のこと…そして聖書や古事記またイスラエルや皇居勤労奉仕、ペリリュー島にまで導いてくれた赤塚さん…

お二人との出会いは 私自身の人生にとって本当に尊い出会い。

そして、平成28年2月からご縁頂いた 水素風呂レンタル事業で教えられた「身体の健康」♡「心の健康」♡「経済の健康」

カイロプラクティックで「身体の健康」を学び…

光田先生が伝えて下さるケイシーや赤塚さんの語る言葉の一つ一つから「心の健康」を学び…

そして、今まさに「経済の健康」を学んでいる最中(^^)v

主人や父母の介護や、多くの方々と出会わせて頂き、多くの場所にも行かせて頂き学ばせて頂いたからこそ

何かをしていく為にも 経済的な健康は不可欠。

また、平成から新しい時代の幕が開かれようとしている今、戦後の高度成長から物は行き渡り…

有名な電機メーカーまで買収されるような今の時代。

大きな時代の変化と共に変わる元号。

私にとっても26歳から56歳までの 本当に大きな変化のあった30年。

振り返ってみれば 数々の大変な出来事も…楽しい出来事も…

一つひとつに 私自身の意志ではなく、神さまによって導かれてきた様な日々。

人生120年時代とはいうものの、わくわくイキイキ動ける時に しっかりと 見えないけれど確実に導いてくれている大いなる力に導かれて行きたいものです(*^^)v

陛下の祈り

太陽院院長 近藤 千恵子です\(^o^)/

3ヶ月に一度の愛媛竹田研究会…今日夕方から行って参りました。

古事記の学びの後、今日の時事話は

『天皇とは何か?』

陛下のお仕事は…祈ることであり、

まつり と まつりごと なのだと…

天壌無窮の神勅には

『豊葦原の千五百秋の瑞穂の國は これ吾が子孫の王たるべき地なり

いまし皇孫 ゆきて しらせ さきくませ

あまつひつぎのさかえまさむこと まさに 天壌と窮まりなかるべし』

この中の「治らせ」は、知ること…。

そして、知るからこそ 祈りたくなると…。

東北の震災の時も…今年の集中豪雨の時にも…

何処が どういう状況にあり どうなってるのか…細かく知り祈って来られたのだそう…。

そして、歴代天皇がお詠みになった 和歌の一つひとつは 神さまへの祈りの和歌なのだと…。

昭和天皇が、昭和21年から29年まで御行幸された際 広島に到着し詠んだ和歌が・・・

「ああ広島 平和の鐘も鳴りはじめ たちなほる 見えてうれしかりけり」…と、やっと広島に来れたことを ああ…と表現され

また、昭和天皇が 沖縄への御行幸を願いながらも 結局 病に倒れ昭和64年病床にて詠んだ和歌が…

「思わざる 病となりぬ沖縄を たづねて果たさむ つとめありしを」

沖縄の地の神々への祈りを込めた 和歌。

そして、その思いをしっかりと受け継ぎ訪問された今上天皇

なんと 平成の世…天皇となり初めて沖縄を行幸啓された際の和歌は、琉歌で詠まれたんだそう…

沖縄の神々への祈りを込めた 八八八六の琉歌

「ふさかいゆる 木草めぐる戦跡 繰り返し返し 思ひかけて」と

誰よりも国を愛し… 民を愛す… 天皇陛下。

かたじけなさに…涙こぼるる という感じです。

来年初めの竹田研究会 3月20日(水) 松山」椿神社会館にて開催です。

平成最後の新嘗祭の日

太陽院院長  近藤  千恵子です\(^^)/

11月23日…皇居内の神嘉殿で午後6時からの「夕(よい)の儀」と 午後11時からの「暁の儀」執り行われる 新嘗祭。

今上天皇での新嘗祭は今年で最後…。

儀式の間の2時間暖房などない寒さの中、正座で執り行われる御神事…75歳からは「暁の儀」は、変わりの方が執り行われるそうだけれど…

皇紀2678年…万世一系脈々と続く皇室に祈り守られている私たち。

そして、今日は満月。

まん丸なお月様もこの宮中での祈りを 共に見守るように…。

そんな今日…私も伊予のお伊勢さんと呼ばれる伊曾乃神社での9時からの新嘗祭 参列して参りました。

昨年1880年を迎えた 伊曾乃神社でも ずっと続けられている新嘗祭。

堀川宮司の祝詞に 巫女さんの「浦安の舞」

粛々と執り行われる御神事に ご縁頂き悠久の歴史を感じさせて頂けることに改めて感謝いっぱいです♡

73年目の夏の日

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^ゞ

8月15日…大東亜戦争の終結を昭和天皇の玉音放送にて全国民に伝えられた73年前の今日。

日本のみならず、大日本帝国軍によって 統治していた国々は この日本の敗戦によって 他の国々の植民地になることではなく 次々に独立を宣言。

まさに アジアの多くの国々の歴史をも変えた 終戦。

73年前の正午に ラジオにより受けた昭和天皇のお言葉。

どんな思いでその玉音を聴き…そしてどんな思いでその夜を迎えたのでしょうか。

昭和天皇は、只々日本の國體を守るため…124代続く皇室が祈り守ってきた 「国家の安泰」と「国民の平安」

空襲警報が鳴らない…鳴ることの無くなった敗戦の夜。

お月さまや夜空をどんな思いで見上げたのでしょうか?

今日、8月15日…終戦記念の日、伊曾乃神社での月次祭に ファミリーサポートで預からせてもらっている 来月2歳になる「そうちゃん」と共に参列。

輪廻転生があり、そうちゃんもまた この日本に再び生まれて来たのであれば、1880年続く伊曾乃神社の静寂で神聖な空気をどう感じたでしょうか?

太鼓と雅楽の音色と、境内の蝉の声。

もしかしたら、前世へとタイムトリップしていたかも…。

古事記の中、この世に住むイザナギと黄泉の國に住むイザナミの喧嘩。

毎日1000人呪い殺すというイザナミに、毎日1500人生み出すというイザナギ…。

生れては死に…死んでは生まれる…。

どちらが本当に生きる場所なのかは 分からないけれど 私自身今年9月に56歳。

そして、そうちゃんは、9月に2歳。

生まれては死に…死んでは生まれ

そして、出逢いもまた同じく…。たくさんの英霊の方々の熱い思いが

出逢っては別れ…そして別れてはまた出逢い…。

73年前、戦争の最中 愛する祖国や家族の為に戦い散って逝った尊い魂の数々もまた 同じ愛する国に生まれ…そして家族と共に生きるために生まれ変わってるのかも…知れません。

平成最後の終戦記念日。

終日降る雨が、たくさんの英霊の方々の思いを伝えてくれてたようでした。

敗戦前夜…

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^)v

テレビで「モスグリーンの青春」という宮崎県から特攻で飛び立って行く若者を見送って行った 整備士として飛行場で勤務していた安田郁子さん。

当時…20歳

安田郁子さんが、ひとりでも多くの方々にその時の思いや様子を 伝えていきたいと 語りべとなり宮崎特攻の事を伝え続けている安田郁子さん。

そして、明日終戦を前に93歳の安田さんが今でも忘れられない音があると…

モールス信号!!

ツゥー ツ ツ ツ ツーーーーーーーーーーー

我 只今 突撃す!というモールス信号の後、ずっと信号を押したまま通信。

音が消えると同時に、消えていく命。

明日 「終戦の詔」が発令されると同時に全てが変わっていく日本。

祖国の為に散華していった尊い命と、荒れ野原の中築き上げて行った戦後を支え生きてきた命。

どちらも尊い命。

その尊い命から繋がってる今を生きる命。

お盆と終戦記念日を前に、73年前の先人や先祖と繋がる時間。

忘れてはいけない命。

日本よ永遠に!!

そして、ヒロシマ・ナガサキと被爆地を持つ日本が、世界平和の先駆けとなります様に…