「家族」カテゴリーアーカイブ

夫婦別姓?

太陽院院長  近藤  千恵子です(^_^)v

昨今、選択的夫婦別姓の法制化を求める動きが目立って来てるようですが…

時代が変われば、考え方も変わってくるものなのでしょうか?

調べてみたところ、夫婦同性になったのは、明治8年「苗字一称義務令」と言うもので、全ての国民に苗字が義務付けらたそう。

その翌年、結婚後の妻の姓をどうするのかについて、問い合わせが相次ぎ、当初政府は結婚後も女性は生まれた家の姓を使用することと定めたそうだが、

多くの国民が違和感を訴え、明治31年制定の民法で「夫婦同姓」が定められたそう…。

子供の数が少なくなった現在では、一人っ子同士の結婚もあり  誰が親の面倒をみるの?とか…

お墓は 誰が守っていくの?とか…

ただ、夫婦別姓になり  そこに子供が生まれ、長男はお父さんの苗字、次男はお母さんの苗字とか…

夫婦別姓で、生まれた子はみんなお父さんの苗字でお母さんだけが 別姓っていうことも…。

現在、ペンネームのように旧姓の通称使用も認められており、知り合いのバレエ教室の先生は 結婚後 戸籍は旦那様と夫婦同姓で有るけれど、バレエ教室では旧姓のままで活動されてたり…

市のファミリーサポートで幼稚園の送迎支援させてもらってる5才の男の子が  お友達の所へ遊びに行き、

「○○君のおうち、みんな中丸って言うんよ。」ってビックリしたように話してくれて、

それが  苗字って言うんよ…と。

「△△ちゃんのお家もみんな越智っていうよね…苗字があって  名前はみんな 違うよね。お兄ちゃんもお姉ちゃんも みんな越智○○だもんね。

お母さんは お父さんと結婚する前は、何て苗字だったか知ってる?

等々、夫婦同姓ならでは…家族単位での考え方が学べる

何はともあれ、夫婦別姓で2つ3つ ひとつの家で苗字が混在するっていうのは、なかなかややこしいお話です。

今日は母の誕生日

太陽院院長   近藤  千恵子です(^_^)v

今日、11/15は  母の誕生日。

昭和8年生まれなので、生きていたら  88歳。

8年前の2013年12月19日、その日を選んで  天に還って逝きました。

末っ子で我が儘な私は、母の言うことは 素直に聞くこともなく、母の言うことを「はい」と聞く姉たちと比べて、何でこんな娘に育ったんだろう…と思うこともあったと思います。

ただ、少し  奔放に育ってる我が儘な娘を  少しづつ理解してくれてたのも事実です。

30歳過ぎても、結婚もせず…スキーに没頭し、秋になれば  こっそり準備して 毎年ヨーロッパに1ヶ月スキーに行き、

戻ったと思ったら、志賀高原まで車で向かい春まで戻って来ず…

春に戻って来ると思ったら、春スキー場の山形月山まで足を伸ばし、勝手にアルバイト始めて今度は夏まで戻って来ず…

怪我して、スキーやめたと思ったら  カイロプラクティック勉強すると言って、結婚する気配もなく…

でも、そんな 母の言うことを全く聞かない私を、一番信頼し  陰ながら応援してくれてたのも 母。

母の青春時代には出来なかった数々のこと。

志賀高原で、スキーのインストラクターをやってた頃、届く母からの大きな段ボール。

ミカンやカップラーメン、お菓子がたくさん詰まった中に、入っていた母からの手紙。

53歳でパーキンソン病になった母の手紙は、昔と違い 文字が震え、書きづらい中で書いてくれた手紙。

まさに さだまさしの「案山子」という歌の様な 手紙。

縁あって、主人と結婚した後は、ホッとしたのか どんどん身体が衰えていき…

亡くなる前3年ほどは、会話も出きず…寝たきりの状態が続き…

一番の我が儘で甘えん坊だった私。

いつか触れなくなる母の身体を毎日毎日  マッサージオイルで全身マッサージし、

帰りには 「ごめんね!ありがとう!もうちょっと甘えさせてね!」と…おっぱい触って、ホッペにチューして…。

私が、12月伊勢の神宮にいき  4日ほど会いに行けず、その日も夜 会いに行こう…と思ってた12月19日夕方…危篤の知らせ。

きっと、私が行って甘えてたら、まだまだ限界越えても頑張ってくれてたかも知れない母。

「もう 行くね~」とその日 お風呂に入れてもらって、熱も何も出てなく 看護師さんもビックリするほど  その時が来て…

還って逝った母。

「おなごの子は、気が利く子じゃないといかんよ」

母の言うことは 全く聞かなかった私だけど、この言葉だけは、私の一番大切な教訓。

今もきっと遠い空の上から 自由奔放に生きる私を  はらはらドキドキしながら見守ってくれてる母の娘として恥ずかしくない人生過ごして参ります(^^)

生んでくれてありがとう!

育ててくれてありがとう!

見守ってくれてありがとう!

今日は母の地球に生まれた記念日…おめでとう!!

ツガイノツバメ

太陽院院長 近藤 千恵子です(о´∀`о)

我が家の軒下には、今年もツバメがやって来て、南向きに2つ 東向きに2つ、北向にも1つ…

大勢のツバメが どんどん家族を増やして行きます。

で、そのツバメ達の中で、ここ3年ほど 1羽だけで巣も作らずに 夜を過ごしていたツバメが  今日ふと見上げると 小さな巣だけれど 巣を完成させてました。

そして、なんと夜になると2羽のツバメが仲良く並んで巣の中に…。

あ~

そんな寄り添うツバメを見ると 今月5日に天に還って逝った 父と 7年前に先に逝った母が やっとまた天上界で 寄り添っている姿を見せてくれたようで凄く嬉しくて 久しぶりのブログ更新となりました。

大好きな父は 昭和3年3月3日に生まれ、令和2年5月5日夜10時14分 天に還って逝きました。

女の子のお節句に生まれ、男の子のお節句に 寿命を迎えた父。

5月7日、葬儀を終え 肉体をまとった父とお別れし 見上げた空には 大きくまん丸の月。

後で、ウエサク満月だったことを知り 天の神様がこの日を選び 父を満月で照らし迎えてくれたんだな~と

ひとつの大きな節目を越え 新しい時の扉をまた開いてくれた様です。

思えば、平成15年…

父が脳出血で倒れてから 始まった両親への介護。

元々 パーキンソン病の母を 父が看てくれてたところへ 父の介護がプラスされ、

父母ふたり揃ってのデイサービス…

父母の新しい形での夫婦生活が始まった時でもありました。

今日、ツガイで寄り添うツバメを目にし 父母ふたり寄り添い過ごした晩年を見たようで…

母を見送り、まだまだ父とも共に過ごしたかったけれど

「死ぬに時があり…」

「生まれるに時があり…」

きっと全ては 神様の壮大な計画の中…

これからは もっともっと近くで 常に父母の大きな愛を感じながら しっかりと生きて行きて参ります(^_^)v

有難い日々…

太陽院院長  近藤  千恵子です(^_^)v

3月3日、今日は父の92歳の誕生日。

昭和3年3月3日生まれの父は、今年1/23  発熱から  低酸素、低血圧状態になり  主治医より 危篤宣言。

…が、有難いことに 今年もお誕生日を無事迎えることが出来ました。

人生の中で、何度も死にそうになりながらも  生きててくれてることに感謝いっぱい。

で…、今朝は  病室に チューリップを持って行ってみました。

3月は 伊曾乃神社の御幣も黄色。

チューリップの黄色と御幣が  いい感じです。

花瓶は、父がまだ元気なころ 作った 花瓶。

いつかは 訪れるお別れの時があるけれど、身体や顔 この肉体をまとった 父との 一瞬一瞬が 有り難く嬉しいひととき。

危篤を宣言されたからこそ  いつか訪れるお別れの時を悔いのない様に迎えたいから…

若くて 今から一緒に色々楽しめるね…と言ってた友がこの世から居なくなり

会えなくなることの寂しさを教えてくれたから…

今の一瞬一瞬の尊いこと…

生きてることの奇跡…

出逢えることの奇跡…

私は 私の父の3番目の娘として生まれて来たこと

父がいっぱいの愛で守ってくれたこと…

今日父の誕生日に改めて感謝です。

父ちゃん…生きててくれてありがとう~(о´∀`о)

不死鳥

太陽院院長  近藤 千恵子です(*^^*)

1月が後数時間で終わろうとしている今、入院中の父の病室で 久々のブログの更新です。

今月22日、父の入院先の病院から 電話が入ってるのを  気付かず 三重県に住む友人家族と久しぶりの再会を楽しんでおりました。

10代の頃 臨死体験をしたという彼女の話や 脳出血から 見事に復帰したお母様の話で盛り上がり 昼食後 ふと携帯電話を見ると 父の病室から 3度も着信。

一昨年前の11月入院後、ほとんど電話等なかっただけに  ただ事ではなく…

昼食後 友人家族とは 別行動だった為  慌てて病院へ電話。

父が大変危険な状態だと…

自宅から数分の病院だけれど、しまなみ海道の見える今治まで来ていただけに  病院まで 車で急いでも1時間以上。

父の生命力を信じるしかなく…慌てても仕方ない。

病院でまず 先生にお話を伺うと、今朝  嘔吐し、熱が38度。

血圧も上が60程しかなく、酸素の値も40に減ってしまってるけれど、血圧 上げる点滴はしますか?…と。

「血圧は上げられるのならば、上げてください」と、お願いし…

その後、姉も揃って 先生からのお話…

「非常に危険な状態です。」と、再度告げられ…目の前で 酸素マスクを付け 寝ている父を見るけれど  信じられず…

そして、翌日の23日~27日まで 断ることの出来ない予定に   23日だけは 事情を説明し何とか良い形でクリア出来、24日~27日までの予定は変更する事もあえてせず…

神さまが きっと良い風にしてくれると信じ…

昼間は姉達が 父に付き添い、私は動ける夜 付き添いに…

今年3月3日に92歳になる父は、人生の中、何度も死と直面しながらも  その度に生還してる生命力。

まさに不死鳥。

状態が非常に悪かった22日から  おかげさまで  4~5日で 血圧は、ほぼ120/70前後で安定するようになり、酸素量も99まで…

22日から9日経った今日の夜も   肺炎の症状から  タンが呼吸を苦しくさせるけれど  後は  今までと変わらない程 元気に復活。

末っ子で父親大好きな私は、夜 父の側に付き添いし見てる事が苦痛でなく 楽しみに…

毎日代わる夜勤の看護師さんが  父のタンの吸引に来てくれた時に  嫌がる父の手と身体を押さえるだけで  それ以外は 能天気に熟睡。

この世での 父との時間が 後 数時間なのか、数日なのか、数ヶ月なのか、数年なのか…

いつか訪れる 別れがあるから、病院で父の寝息を聞きながら 側に入れるこの時が  有り難くもあり貴重なひととき…。

神さま…どうか よい風に(*´-`)

我が家のチョウちゃん

太陽院院長 近藤千恵子です(*^^*)

我が家で1月4日生まれたチョウちゃん

実は1/8…籠から脱走

家のなかのどこかにいる…と思ってましたが、今日1/10  私が民生委員の新年会から酔っぱらい状態で帰って来たとたん

チョウちゃん   出て来ました~!!

もう見つからないし…きっと家のどこかで死骸となって現れる…と思ってただけに  嬉しさ100倍

酔っぱらいの私は  なかなか家の中で捕まえられないチョウちゃんと戯れながら 涙。

あーーーーーーありがとう

生きててくれてありがとう!

狭い籠の中だけど  また音楽に合わせて    精一杯生きてね!

ペットロスの方々の思い…

我が子への愛

いろんなこと…小さなチョウちゃんから学ばせて頂いてます(*´-`)

生まれて来た蝶々

太陽院院長  近藤 千恵子です(*^^*)

12月…知り合いから 自家製の野菜をたくさん頂きました。

…で、1/4ほど残ったキャベツをみると  アオムシがにょろにょろ。

自家製野菜 頂戴したとき キャベツには アオムシもいるから気をつけて食べてね…

と、言われてたものの 目の前にアオムシが現れたときはびっくり。

そして 空いてる卵パックに キャベツを入れて アオムシを保護。

数日すると  アオムシ君…卵パックの上部にピタッと張り付き、動かなくなり…

なんと どんどんサナギに…

で、見つけてから 半月以上経った 新年1/4(土)

なんと蝶々に!!

翌日、100円ショップで  籠になりそうな 物とネットを購入。

籠の中には  花も入れてみたり、蜂蜜を薄めて染み込ませたガーゼも入れて…

蝶々の住まい完成!

外は寒い冬…

我が家で  共に過ごせる幸せをたくさん感じながら  籠の中で  飛ぶ蝶々に 癒されてます(*´-`)

 

光の中で愛…

太陽院院長  近藤 千恵子です(*^^*)

お正月休み 最終日…

香川県まんのう町のまんのう公園行って参りました。

今日まで 冬のイルミネーションイベント。

初めて訪れた まんのう公園…大きな期待もせず  中に入ってみました。

午後5時 イルミネーションに点火され、まだ夕暮れの時間…幻想的な世界が 拡がります。

途中、車椅子の主人を押すのだけれど  急なのぼり坂や 下り坂に悪戦苦闘していたら…救世主の方が現れ助けて下さり…

スマホで主人を撮影してたら…一緒に撮りましょうか…と。

嬉しい言葉や  助けに、目頭が熱くなり…有難いな~と。

主人が車椅子だからこそ  知ることの出来る 人の心の優しさ…

撮って頂いた写真はこちら↓

   

たくさんのイルミネーションの光と 出逢った人々の優しさに  目頭も熱くしながら…

素敵な時間を過ごさせて頂きました。

感謝…いっぱいです(*^o^)/\(^-^*)

57歳になりました\(^^)/

太陽院院長  近藤 千恵子です(^.^)

本日 57歳になりました\(^^)/

57年前の今日8時50分…産婆さんのところまで 母は歩いて行き  私を生んでくれました。

姉ふたりの後の出産…

当然待ち望んだのは、男の子。

みんなの期待を大きく裏切り…生まれて来ました!!

検診では、健康優良児で表彰され  末っ子で生まれた私は  期待を大きく裏切ったけれど 末っ子という事で父も母も 本当に大切に育ててくれました。

子供が親を選んで来る…と言われる今、この父と母の子供として生まれて来た私の選択は 大正解だったと思います。

57回目の誕生日…主人とふたり いつもと変わらない夕食だけれども  今日は赤のチリワインと 鹿児島の焼酎…晴耕雨読で乾杯。

昭和、平成、令和と生きて来て  そしてこれからも生きて行くなか…

父母から始まった私の人生で出逢う数々の人々。

どの出逢いも有り難く  かけがえのない出逢いの数々。

これからどんな毎日が 訪れるのか 楽しみにまた新しい一年過ごして参ります。

出逢ってくれてありがとう…

生まれてくれてありがとう…

生んでくれて本当にありがとう…

父母に感謝いっぱいでまた今年もお誕生日を迎えることが出来ました。

 

台風の来る前に…

太陽院院長  近藤千恵子です(*^^*)

8月、9月となかなかブログを更新出来ず、久々の投稿です。

ちょうどお彼岸に入った昨日から  台風17号接近のニュースが流れ

明日 明後日と続く連休がどうなるのか?ちょっと心配な今日 近藤家と実家の安藤家 そして 母の実家で認知症の叔母の小西家のお墓参り行って来ました。

安藤家のお墓で  香の花を交換しているとき  今まで見たことも無いような 赤や緑の色のついた虫に遭遇。

そして、その後鮮やかな緑のカエル

そしてそして、最後は てんとうむしまでも遭遇。

普段の場所とは違う 6年前に亡くなった母と出逢える場所で 出会う小さな事柄に  母を感じる瞬間。

そして、一番初めに会った 赤と緑の鮮やかな色の昆虫をグーグルさんで調べてみると…

ハンミョウという名の昆虫でした。

別名「道先案内人」とも呼ばれているそうで  それが今日は何だか嬉しくて 久々にブログに残しておきます。

きっと天上界から我が娘を思い道先案内人となってくれてる母。

何気無い 小さな虫を通して  母の優しさを思い出させてもらいました。

ありがとう…私は幸せ者です(*´-`)