「信仰」カテゴリーアーカイブ

聖なる導き

2010年5月、三重県津市の工務店の社長…赤塚高仁さんに会う前に聖書を知っておきたいなー!と、思い  市内のプロテスタントの教会に行き 毎週行われる日曜礼拝にも参加させてもらうようになりました。

礼拝が終わり、そのまま帰る日もあれば  婦人部での勉強会にも混ぜてもらうようになりました。

礼拝に来られてる方々は、本当に清らかで神様と共に生きる生き方をされておられました。

そんな中お昼の食事…愛餐会が終わり、婦人の方だけでのお話の中、ある方が「私などダメでダメで…」と謙遜しておられ、

それを聞いて私もったいないなーと思い

「こんなに素晴らしい聖書の世界を勉強しているのに、ダメなことはないと思いますよ。なかなか聖書を手にすることの出来ない人の方が多い中、こうやって勉強出来てること事態、幸せですから…」と…。

「そして、日本人は、イエス様のことが一番理解しやすい国民だと思います。だって国家のために命をかけた特攻隊の人たちはイエス・キリストの様なもの。」

「天皇陛下も国民のために命がけで祈り続けてくれてる方だし…」

と、話した途端 そこにいた婦人の方々から総攻撃。

イエス様と特攻隊を一緒にしないで!!
天皇陛下は神さまじゃない!!…と。

えっ???  日本人なのに…天皇陛下は神さまじゃないけど、古事記から続く神様に一番近い人だし、

戦争で国家のため命懸けで戦ってくれた人たちって、イエス様と同じとまでは言わないけれど、何かのために命をかけるって神さまの示した愛のかたちじゃないのかな?と思わされ…

でも、ここで言ってもきっと平行線。

賢くその場は「そうですか…」と。

でもその翌週の日曜礼拝あたりから、あんなに心躍りながら通ってた教会へあまり行かなくなり…。

そんな中、たまたまyoutubeで見つけた「凛として愛」という映画。

1/7~7/7まで続く動画。

1/7を見始めたのが、夜中。7/7が近づいた時には夜中3時も近くなりながら、主人とふたり泣きながら見終り。

そして、知ったのがこの映画、靖国神社で上映するために作られた映画なのに、たった2日上映されただけで上映中止になってしまった映画だと…。

この映画の泉水隆一監督は無念の中、天に還って逝かれたとか…。

この映画を知ったのは2012年。

そして、知ってしまったら  どうか多くの人にこの映画を観てもらいたい!!2012年8月18日西条の文化会館で上映会を開催。

そして、その時赤塚さんにも講演をお願いし、その後の懇親会でまた聖なる導きが…。

赤塚さんの沖縄のお友達が癌にかかり、何度もお見舞いに沖縄まで行った時、共に友達のために祈ってくれたという、キリストの幕屋という無教会宗派で伝道をされていた、竹下先生。

ちょうど愛媛松山で伝道をされており、赤塚さんが西条に講演に来られることを知り、映画「凛として愛」も観に来て下さり、懇親会にも参加して下さいました。

そして、私も御挨拶させてもらいプロテスタントの教会にも行ってるという事をお話させてもらったところ、

「あなたの魂は、教会では浮かばれませんよ」…と。

あっ!!はあ~…と。

「西条まで来ますよ。お勉強してみませんか?」…と。

即答しないまでも、竹下先生ご夫婦はすごく感じの良いご夫婦で、赤塚さんも良かったら竹下先生から学んでみたら…と声かけて下さり…。

そして、またまた翌週松山での明治天皇の玄孫竹田恒泰氏主幹の「竹田研究会」で竹下先生とも再会。

「いつ西条に行きましょうか?」との言葉に、その場にいた仲間と相談し「では来週の木曜日からでも…」という事で、8月最後の週の木曜日我が家で初めての幕屋の集会が開催されることに…。

集会当日、竹下先生夫婦と「凛として愛」を一緒に観に来てくれた仲間の方も一緒に来られ、

そして引き続いてピンポーンという音に玄関に出てみると、なんとなんと三重の赤塚さん!!!

あれほどビックリしたことはないほど、ビックリさせてもらって 仲間も加わり我が家での最初の集会。

讃美歌をみんなで歌い、竹下先生が初めて幕屋の集会に行った時のお話や聖霊を受けた話、赤塚さんとの出逢いの話等々  本当に聖霊舞い降りる有難い時間を過ごさせて頂きました。

その日から、毎月2回竹下先生が松山から来て下さり旧約聖書の初め「創世記」から学ばせて頂くことになりました。

なるほど、なるほど…「教会ではあなたの魂は浮かばれませんよ」と言われた竹下先生の言葉通り、日本人が大和の心で読み解く聖書。

内村鑑三氏があの「Boys,be  ambitious …」と言ったクラーク博士から、札幌農学校での在学中聖書を学び

大学卒業後、「聖書が読まれている国に行ってみたい!!」と熱い思いを胸に、アメリカに行ってはみたけれど、

聖書に書かれてる神の愛の世界を感じることが出来ず、日本に戻り、教会に神様はいない…と無教会主義を唱え

その内村鑑三氏の無教会主義の流れを受け、自ら戦後 熊本阿蘇の山の中で聖霊に打たれ、「キリストの幕屋」を創設した手島 郁郎氏。

ヘブライ語から聖書を読み解き、自らイスラエルに行き、聖書を日本の心で読み解いてきた手島郁郎氏が、説いてきた聖書の愛の世界。

竹下先生は出会った時、70歳を超えており また手島先生から直々に聖書を学び、聖霊に導かれ伝道してこられた素晴らしい方。

その竹下先生から、聖書を毎月2回仲間と共に、学ばせて頂き 2014年4月にはちょうど赤塚さんの呼びかけでイスラエルに行く際にも、

10日間で巡る先々の聖書のことを予習させてもらい、あの聖地イスラエルを巡らせてもらったことは、旅を何十倍も有意義なものにしてくれました。

おそらく竹下先生がお元氣な間は、我が家での聖書集会が続くものと思っていた所、あの私を聖書の世界へと導いてくれた赤塚さんが名古屋で10回の聖書講座を開催すると知り、

「参加したいな~。」

「でも竹下先生から学ばせてもらってるし、名古屋遠いしな~。」

と、思って迎えた2015年新年。

幕屋での新年聖会に参加させて頂き、祈る前に歌った讃美歌

「二つなき誓」

1、寂しさの 極みに耐えて 祈らまし 暮れゆく み空に 魂極るまで

2、主は近し 天主イエスの 世紀近し 熱き涙もて 聖前に誓う

3、二つなき 心を 主にとどめおき 我さえ我にぞ 別れぬるかな

4、生き死にも 神のまにまに キリストの 御使いのごとく    仕えまつらん

5、山は裂け 海はあせなん 世なりとも 主にふた心 我があらめやも

この讃美歌を聖会の中、竹下先生が選ばれ、この歌詞を知った時、私の心の中のふたつの心

・赤塚さんの聖書講座に行きたい!
・竹下先生が伝道できなくなったら我が家での幕屋の集会も終わらせてもらおう。

と、この竹下先生が伝道できなくなる=寝込んだり、この世でのお別れを望んでいるような私の心をみてしまい…

あ~こんな人の死を望むような自分がイヤで、そしてふたつの心を持つことなく、私を聖書の世界へ導いてくれた赤塚さんのされる名古屋での聖書講座に行かせてもらおう!!と、

そして、竹下先生は私の思いをおおらかに受けて下さり、2015年1月大いなるキリストの愛の恵みによって導かれた我が家での聖書集会最後の集会をきちんとさせて頂き、

2015年2月から10回名古屋に通わせてもらいました。

赤塚さんの伝えて下さる聖書の世界は、教会よりも、我が家での集会よりも  また素晴らしい聖書の学びの時を持たせていただきました。

その学びはまた、ゆっくりと書いてゆけると嬉しいです。

やまとこころで読む聖書の世界は、本当に世界までも変えていくと感じます。

聖なる書

2008年、「イエスを人生に招き入れる」というひとつのDVDで知った、赤塚高仁さん。

この人に、会いたい!!と思って2年たった2010年8月初めて西条に来て頂き会えることが決まった、5月。

赤塚さんに会うには、聖書知っておかないと!!…と、思い本屋さんへ。

エドガー・ケイシーの福音を伝えてくれる光田先生が、「新共同訳」の聖書がいいよ!!ということで、探してみたけど  聖書そのもののことを全く知らない私には、本屋さんで一冊を選ぶことが出来ず…。

主人が、教会に行ってみたらあるんじゃない?…との言葉を受けて教会を訪ねてみました。

初めて訪ねた教会で、小坊主さんのような、ちょうど神学大学を卒業したばかりの牧師さんが出て来られ、私が「聖書…新共同訳の聖書が欲しいんですが…」と言ったところ、ここにありますよ。

お貸ししますから、どうぞ持って帰って下さい。そして、良かったら日曜日 精霊が舞い降りるこの場所に来てみませんか?

そして、実はその日から2年半毎週日曜日、教会の日曜集会にも行かせて頂き、学ばせて頂きました。

スキーでオーストリアに行ってた頃、村の教会にも行かせて頂いたり、ザルツブルグまで出かけて行った時には、大きな教会にも入らせて頂きましたが

その中に描かれたキリスト・イエスと十字架への道の絵。

私自身、あんな犯罪を犯した人のことをなんでみんなアーメン、アーメンって祈るのかな?と思っていたくらい。

精霊舞い降りると言われる教会で、聖書を学び、讃美歌を歌い、救世主イエスさまのことを知り、私の中で救世主イエスさまがありありと描かれ始めました。

8月7日第3回目の西条でのケイシー講座の時、初めて赤塚さんにお話して頂いた時は、ちょうどあの「はやぶさ」が見つかり地球に帰ってくる前。

はやぶさの打ち上げのお話や神さまのお話もして頂き…やっぱり来てもらって良かった~と。

そして、8月二人の講座が終わった後も、また来て頂きたい!!と、思いは益々湧き上がり…。

いつ?いつ来てもらおう??

その時、ふと「間髪入れずに来てもらいたい!!」と思わされ、光田先生を通してお願いさせて頂き、そして次回11月開催の時にも来てもらうことに…。

2回目の時に聴いたお話が、ペリリュー島での日本兵のこと。

そして、昭和天皇とマッカーサー元帥との謁見のお話。

2010年11月、私は日本に生まれたことを…、
この天皇陛下が祈ってくれるこの日本に生まれて来たことを…、心底有り難いと感じることが出来るように変えられました。

マッカーサーとのお話の中、昭和天皇が

この度の出来事は、全て私の責任です。私の身体はどうなっても構いません。どうか国民を飢えから救って頂きたい」と言われたお言葉。

そして、この言葉を聴いた時、あの聖書の中のただひとり 神様が
「神さまとはこういう風に生きるんだよ」と、無私の心で、神共に生きる生き方を示し33歳で何も悪いこともしていないのに、鞭打たれ   十字架にかけられた

救世主キリスト・イエスのような人が天皇陛下なんだ!!と思えた時、魂震え有り難く…私自身この天皇の国、日本に生まれたことに感謝溢れ…。

そして、ここから続く伊勢の神宮、ペリリュー、イスラエル、皇居へと導かれていくのですから、本当に聖なる書  精霊が働き導いてくれた様なこの始まり…人生は面白いですね。

 

 

新年

2017年 皇紀2677年 元旦

明けましておめでとうございます(*^^*)

新しき年、皇室の弥栄と国の平安を祈願に
まだ暗い朝6時、伊曾乃神社での歳旦祭に参列させて頂きました。

鶏が天岩戸開きを告げるように、今年は酉年。

始まりの時でもあるようです。

コケッコーな1年で有ります様に…。

今日、引いたおみくじ 27番大吉♪

神の教
「神のこころが天地の真理(まこと)、真理はなれちゃ生きられぬ」

神の御心=天地の真理に従って行くのが神道である。

心を清め、身をきよめて、けがれなき誠の心を以て、平和な住みよい世界をつくる様に、

神に仕うる天津務(あまつつとめ)、
社会につくす国津務(くにつつとめ)を果たすのが神の道。

吾人共に、神の真理の光の中に、真善美(まこと)の幸福(さいわい)をうくる道である。

新年、心を清め、身を清め、けがれなき誠の心を以て 過ごさせて頂きます。

今年の年賀状…同級生からは

「初孫です」と写真入りが増えてました。

もう、そういう年なんですね。

我が家は、孫は出来ませんが 今日は主人の塾の卒業生がカラオケに誘ってくれたので  今から出掛けます。

今年も 良い年になりそうです(*^3^)/~☆

 

祈り…

もう何年か前、友人が言うことをきかない我が子を、お仕置きで押入れに入れた時の話。

ごめんなさーい…と、言いながらけたたましく泣く息子。

いやいや今回は、しっかり反省するまで出せないよ!と、しばらく側にいたが、突然泣き止み「神さま~ 助けて下さい!」と。

特に家族が信仰を持っているわけでもなく、神社に通ってるわけでも無いのに、小さな子供が窮地に立たされた時  出てきた 神さまを求める言葉に  お母さんはびっくりしたそう。

当然、すぐに押入れからは出したそうですが…。

日頃、見えない世界からの愛の存在は感じることが出来にくいけれど、窮地に立たされた時、「神さま!」と、求め祈ることを生まれた時からきっと赦されてる私たち。

まだ言葉も話せない幼子は、泣いて自分の願いを伝え その声を聞いて大人が動く。

ツラい、苦しい、どうしたらいいんだろう…という時、あきらめず、祈り求めること。そして、その祈りによって示され何かが動く。

「人の最悪は神の最善」

あのイエス・キリストも鞭打たれ、十字架に張り付けられながらも

「父よ、赦して下さい。この人たちは何もわかっていないのです…」

と天に祈ったのだから、祈りの更に上級編には、誰かの為に祈ること。

あと4日で新しい年。

宮中では 元旦まだ夜が明けない早朝、陛下は特別の建物に入られ、四方の神々をお招きして、『四方拝』

「どうかこの1年、災いが起きませんように。
もし起こるのであれば、私の身体を通して起こりますように」

と、祈り捧げられるそうです。

神武天皇以来125代今上天皇まで、今もずっと変わらず、国家の安泰国民の幸せのため祈り続けてくれている天皇という存在。

まさに自分を十字架にあげられても祈り続けた、キリスト・イエスの様な愛。

エドガー・ケイシーが言った祈りの言葉

「私が願うことでなく、主よ…あなたの御心が私の内に私を通して行われますように。
今日、今 私が出会うすべての人に私を祝福の水路として下さい。」

この祈りを知った時から、日々の生活の中  カイロの施術中にも 見えない何か偉大な力が、ますます近くにいる感じでもあり

私たちは神さまや2676年続く皇室の祈りに守られ存在しているように感じます。

聖書 民数記(6-24)

願わくは主があなたを祝福し、 あなたを守られるように。
願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、 あなたを恵まれるように。
願わくは主がみ顔をあなたに向け、 あなたに平安を賜わるように。

讃美歌「歌いつつ歩まん」

 

クリスマスイヴ

2016年前、12月25日イスラエルのベツレヘムという町に生まれたひとりの子 ヨシュア ベン ヨセフ・・・のちのキリストイエス。

実は、催眠状態で色々な問いかけに  的確に答えたという今から71年程前に亡くなったエドガー・ケイシーによると、キリスト・イエスの誕生は3月18日前後春分の頃だとか・・・。

道理で、我が家のクリスマスローズもその頃にちょうど花を咲かせるので、きっとそのころ 救い主イエスは生まれたのだと思いますが、

そういうことよりも、なぜイエスは生まれて来たのか?

聖書の中の初めての人、アダムとイブ。

天上の楽園「エデンの園」に住むふたりへ言われた神さまとの約束事はたったひとつ。

園の中央にある「善悪を知る木」その木の実は食べてはいけないと・・・。

しかし、そのたったひとつの約束事でさえ、蛇の誘惑によって破ってしまった、アダムとイブ。

その上、神さまに知られないようにと隠れて見たり、誰かのせいにしてみたりと、「善悪を知る木」を食べたことで、神々の住む天上の楽園「エデンの園」では住むことを許されず追放。

エデンの園が神の支配する国であれば、この地上は悪魔の支配する国?

蛇だけでなく様々な誘惑溢れる地上世界。

実際、分厚い旧約聖書の中に登場する人物の中でも、この地上で神と共に過ごせた人は数えられるほど。

地上世界が神から離れ、氾濫し神様がこの地上世界を創ったことを悔い、全てのものを洗い流してしまいたい!と思い実行された「ノアの方舟」のノアや、

ソドムの町に住んでいたロトの家族、息子を燔祭に捧げるほど神の声に忠実な人類の父アブラハム…などなど。

そして、エジプトから約束の地カナンを目指しイスラエルの民を連れ40年荒野を歩いたモーゼ。

このモーゼが神さまから受けた10の約束事。誰もが耳にしたことのある「モーゼの十戒」

1.あなたは、わたしのほかに、何ものをも神としてはならない。
 2.あなたは、自分のために、刻んだ像を作ってはならない。
 3.あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
 4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。
 5.あなたの父と母を敬え。
 6.あなたは、殺してはならない。
 7.あなたは、姦淫してはならない。
 8.あなたは、盗んではならない。
 9.あなたは、隣人について、偽証してはならない。
10.あなたは、隣人の家をむさぼってはならない。

そして、10個の約束事を守って過ごしてきたユダヤの民と、それを裁く律法学者。

これがだめならこれもダメ。こっちも違法になるよ!!と年月を経て増えていく律法。

最後には細かく分けられ10個の戒律は「613」にまで増え、ユダヤの民は救世主を求めた。

「神様!神さま!どうか我々に救世主を授けて下さい」と・・・。

そして預言者(神の言葉を預かる者)を通して告げられた言葉は

「救世主は来るよ!こういう形で生まれ、こういう形で人々に教えを伝え、こういう形で死んでいくよ。そしてこういう形で復活するとも・・・」

そして、その予言どおりに今から2016年前に処女マリアから生まれたひとりの男の子

神のひとり子として、この世に生まれ30歳からたった3年間、神さまだったらこんな時はこうするんだよ。神とはこういうもんなんだよ。神と共に生きる生き方を伝えた救い主イエス。

善悪を知る木の実を食べたことで、神さまから離れてしまったそれぞれが  また神と共に歩む「エデンの園」に戻れるように・・・。

そして、今日は2016年前 その救い主が生まれた前夜。  

主を待ちわび 共に賛美してみませんか♪

讃美歌「もろびとこぞりて」 

もろびとこぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

悪魔のひとやを 打ち砕きて
とりこをはなつと
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 主は来ませり

この世の闇路(やみじ)を 照らしたもう
たえなる光の
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

しぼめる心の 花を咲かせ
恵みのつゆおく
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

平和の君なる 御子をむかえ
救いの主(ぬし)とぞ
ほめたたえよ ほめたたえよ
ほめ ほめたたえよ


 

 

 

求めよ、さらば与えられん!

聖書の中の一説

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。

捜せ、そうすれば、見いだすであろう。

門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

私の魂が本当の事を求め始めたのは、きっと父が脳出血で倒れ、右半身に麻痺がおこったあの時からだったのかもしれない。

私自身、3人姉妹の末っ子で父は私をいちばん色々な所へ連れて行ってくれました。そして母より優しい父が大好きでした。

母はいつも「父ちゃんは千恵子に甘いんだから・・・」と言ってたくらい。

国鉄に勤務していた父は、若いころ列車を連結する際の事故で、左足の膝下5センチくらい残して挟まれ、切断。

私が物心ついた時も、父は隠すことなく川や温泉でも 義足を外し泳いだり温泉につかったり、また西日本最高峰の石鎚山にも私が幼稚園くらいのころ登り山頂で撮った写真があるほど・・・。

義足であることの弱音など一度も聞いたことがありません。

昭和3年3月3日生まれの父。

そんな父が2002年2月脳出血で入院。1ヶ月以上ものあいだ意識も戻らず・・・そして、意識が戻ったものの  脳の左側に出血していたため、右半身が麻痺。

神さま、神さま、、、あなたは、なぜ一生懸命仕事もし、3人の子供も育て、まじめに生きてきた父を こんな風にしたんですか?

なんで、なんで、、本当に、神さま ひどすぎます。

と、両手両足のうち  動かせるのは左手と膝下から切断された左足だけの父をみてこの世の不条理を痛切に感じ憤っていました。

そんな時、ちょうどカイロを受けに来られた患者さんが、「先祖よ。先祖。先祖供養をするといいよ。」っていうことを聞き、

私がお経をあげることで、父が元気になるなら、いくらでもお経くらいあげられる!!と、その日から朝夕ろうそくと線香を立て、法華経を唱えました。

姉たちにも、お経をあげるともっと回復するから・・・と本当に父の回復だけを信じ唱えさせて頂きました。

新年年明けから立春までは、「南無妙法蓮華経…南無妙法蓮華経…」と朝5時に起き、水をかぶり寒行もさせて頂きました。

ただ、やはり新興宗教…

真剣に祈り供養し仲間も増やして参りましたが、「~せねばならない」と思うようなことや ちょうど何か違和感を感じ始めた頃

カイロで往診に行った患者さんより旦那さんが大腸がんにかかった時の話を聞かせてもらい、その話に背中を押されるように、新興宗教からは脱会。

そのお話と言うのが、

ご主人さんが病院で「大腸に癌が出来てますが、今なら手術で取ることも出来ますよ。」とのお医者さまの言葉に

「わしは、手術はせん!」と先生の前で一言。

「あっそう…ええよ。あんたが死んだら私も一緒に死ぬから」と先生の前で奥さんも宣言。

そうすると、旦那さんが「お前は死んだらいかん!お前が死ぬんだったら、わしは手術する!」ということで手術に!

この奥さんのええよ!と受け止める凄さにもビックリでしたが、

その後、手術を終え  入院中の抗がん剤投与の際、看護師さんより
「抗がん剤の副作用で目が見えにくくなって来るかも知れないですが何か異常があったらすぐ言ってくださいね」と…。

そして、その看護師さんの副作用の言葉を聞いたその時言った奥さんの言葉が「深いぃ~」

「あんたの目が見えんなったら、私の片目あげるけんね・・・」と。

私がこの新興宗教に入り、唱えてた法華経。

この法華経を読んで、書いたと言われる宮澤賢治の「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

何の宗教も知らないこの患者さんの言葉に、法華経の神髄を感じ、いくらお経を唱えようとも、実際行っていかないと意味がないな~と、目が開き新興宗教からちょうどまる1年たった2003年5月脱会させてもらいました。

ただ1年間真剣に祈り唱えてきたこと、夏も冬も1年間 水を浴びた修行の日々は私にとっては見えない世界とつながる始まりの尊い一歩であった様にも思えます。

大好きな父が倒れたからこそ、求めた本当のこと。

ただ一人の者を目覚めさせる為に、愛する我が子に重荷を負わせる主の愛。

求めよさらば与えられん!

探せよさらば見つからん!

叩けよさらば開かれん!

求め、探し、動いたその時また違う世界の扉が開いて来るのだと・・・。

あっ!!私の大好きな父は歩くことは出来ないけれど、2017年年が明けた3月3日89歳になります(^^)