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良い種蒔きを…

太陽院院長 近藤  千恵子です(^_^)/

今朝、車に乗って走り出した時…?????

走りが重い!!

で、降りてみると 右前方のタイヤがパンク…(+_+)

昨年9月に新車購入したあと、一か月ほど経った時にも、朝車に乗った時、今日と同じような状態で走りが重く、見た時も右前方のタイヤのパンクがあったばかり…。

最近のタイヤ事態、あんまりパンクしない様に思ってたので、NBOXに乗り換えてまだ9ヶ月で2回のパンク。

しかも…同じ右前方のタイヤ。

?????いたずら?

と、思いながらも一昨日右側ちょっとガツンと縁石の様な所に当てたしな~と思いながら、オートバックスへ…。

で、まだまだ変えたばかりの新しいタイヤ…側面だけに新しくした方が良いですよ!とのことで、一本のみ購入。

四本セットの方が断然安いけれど、取りあえずパンクの一本のみ取り替えてもらうことに…。

で、交換待ってる所に 修理担当のお兄さんが来て…

「ちょっとパンクの所、何かで刺された様なんです」…と。

初めに感じた悪い予感が、当たり?

で、見せてもらったところ 千枚通しで穴をあけたようなパンクの原因の箇所。

んんんんん~。

我が家の車庫は、外から誰でも入ることが出来、こんなイタズラ誰でもすることが出来てしまう!!

前回、買ったばかりの時のパンクもそうだったのか…と思うと、ゾッとしてしまう。

犯罪を起こさせないようにするのが大事って言う事で…センサー付ライトや防犯カメラも…そしてシャッターを今晩からはきちんと閉めることに…。

犯罪はなぜ起こってしまうのでしょうか?

余りにも 能天気に日々を過ごしているように見える我が家への嫌がらせ?

自分自身のうっぷん晴らしから、誰彼構わずのイタズラ?

どちらにしても、「自分がされてイヤなことはしないこと」

「自分の蒔いた種は必ず自分で刈り取る!」という世の中の真理。

聖書の中にも、
「豊かな収穫を得たいならば 良い種を蒔きなさい」と…。

そして、エドガー・ケイシーのリーディングの中、「霊の果実」と呼ばれる実は…

「忍耐・辛抱・隣人愛・親切・優しさ・柔和」

そして、逆に「邪悪の果実」と呼ばれる悪魔の実は…

「憎しみ・怒り・敵意・不正・嫉妬」なのだとか…。

どうか、こんなことが二度と起きないように イタズラの出来ない環境づくりと、イタズラをしてしまった心の平安を祈ります。

霊の果実

日本エドガー・ケイシーセンターから毎日届けられる「珠玉の言葉」

肉体が食べ物を必要とするように、霊と精神にも食べ物が必要です。

It is just as necessary that there be food for the spiritual and mental man as for the physical man.

(3624-1)

私たちの身体の中の

ボディ(肉体)・マインド(心)・スピリット(魂)

よーし!頑張るぞ!!と、思ったとき 身体が動き、思いが溢れ、そして魂がわくわくと震える。

この魂がわくわくと震えるほどの、トキメキを人は何度経験するのだろう。

思いは、考え方 思考で、いい風に 変えることが出来る。

しかし、魂は本物にしかきっと反応しないし、魂に刻まれたツラい思いは簡単には癒えないのかも知れない。

そしてまた、喜びの記憶も…しっかり刻まれた喜びの記憶はブレずに生きる指針ともなりそうです。

そして、この魂の記憶が示されたものが「アカシックレコード」

人は、何度も生まれ変わり前世でやり残したことや、過去世での傷の修復や喜びの再確認をするのかも知れない。

過去世や前世の記憶が消されて生まれて来てるにも関わらず、人は逢うべき人に出会い、様々な経験もしていく。

そして、私の魂をいつも震わせてくれる聖なる書物…聖書。

数年前、私自身 津の赤塚さんの薦めもあり「幕屋」という無教会でのキリスト信仰の師に学ばせて頂いておりました。

そして、今は離れてはいるものの毎月「生命の光」という信仰誌が届けられ、その誌面に示された信仰者手島郁郎氏の言葉にもまた力を頂きました。

宗教は、人生の苦しみ、これをどう解決するかを一つの大きな課題とし、宗教によっては、この世に生きる苦しみ、矛盾に対し考えても仕方がないからと…諦め、悟るべきことを説いているけれど…

キリストの宗教はそうではなく、イエス・キリストは人々の苦しみを共に背負おうとし、その姿は十字架上の死によっていちばん深く表され…。

自ら傷ついてでも人々の苦しみを背負おうとする姿。

「私のさばきは正しい。ただ、父なる神の御心だけを求めているから、この世の常識や倫理、考え方、道徳と違うのだ」

と、いうキリスト・イエス。

また、「天の父は悪しき人にも善き人にも太陽を昇らせ、義(ただ)しき者にも不義な者にも  一視同仁、雨を降らせたもう神様である」とも…。

人の心の奥底に潜む「神性」

「自分からは何一つできない」というキリスト・イエス

しかし、長い間苦しむ者を見ると、その苦しみを分かち合い、背負い、その苦しみの中に自分自身も共に身を置き…癒す。

「血を流し、命を捧げた人たちの涙というものは、ただでは終わらない」とも言われる。

肉を十字架上に置き、身を以て示した 神のひとり子キリスト・イエス

…その生き方が示されている聖なる書には魂が震わされます。

触れることによって、傷ついた心も 乾いた霊も 満ち足りた精神にも多くの栄養を与えてくれます。

良いときも 悪いときも 富めるときも 貧しきときも 病めるときも 健やかなるときも…

どんな時も降り注いでいる神さまの愛と光…。

そして、その愛と光は信じ受けるだけ…。

食べ過ぎがないほど 常に受けることの出来る霊の果実の詰まった聖なる書…出会わせてくれた主に感謝いっぱいです。