太陽院院長 近藤 千恵子です(^o^)
5月31日、7年間お世話になっていたグループホームを出て、我が家で一緒に暮らすことになった認知症の叔母…トミ子さん♡
癌の患者さんが2人にひとり…と言われる今、認知症やその予備軍とされる患者さんの数も65歳以上の高齢者の中、4人にひとりがかかってしまうと言われる病。
そして、叔母自身 結婚をしておらずもちろん子供もいなかったので認知症で一人暮らしをさせることは無理…と思い、7年前にグループホームへ入所。
その頃、私自身の両親も介護が必要な状態でもあり、とてもとても叔母の世話までは無理…ということで、迷いもなくグループホームへ。
そして、5年くらいたった頃から、私自身の名前も忘れてしまうようになり…施設の人からも「かなり認知症進んできてるね」と…言われながらも認知症の叔母を家でみる…なんていう発想は全くなくて…。
それが、今年5月…色々な流れから我が家でみることに…。
そして、1ヶ月と20日!!
介護4の叔母…日曜日以外は、ほぼ毎日デイサービスにも嫌がらず出掛けてくれて…そして、なんだかんだ想定外のことも 想定内のことも有りながらの生活。
認知症の人と一緒に暮らすこと事態、凄くいい経験。
一緒に暮らすまでは、絶対無理!!と思ってたことが、「え~なんでこうなるの~?」っていう出来事も交えながらも、本当に人間の脳が様々なことを忘れてしまう事実を体感。
7年前、グループホームに入る前の状態で引き取り、ほぼ1対1の介護状態だったらどうだったんだろうか?
過去には戻れないけれど…
叔母の入っていた施設自体 個人経営でかなり少人数でアットホームなグループホーム。
でも、一人だけを介護するわけではなく…どこかでやっぱり介護が業務になってるところもあったのか…。
我が家で住むようになって一週間くらいたったころ、お風呂で身体洗っているとき
「こんな 人間らしい生活させてもらって…お姉さん トミちゃん嬉しいわ~」と…。
どこまで解っての言葉なのかは、わからないけれど 介護ってやっぱり業務じゃない!!と。
私のことを、「お姉さん お姉さん…」と呼ぶ叔母に、何度 「姪の千恵子よ」と言っても、「そうそう 千恵子ちゃん」と言いながら 30秒で忘れてしまい「お姉さん!!」と呼ぶ叔母…。
そして、自分自身は5歳くらいの状態なのか… 「トミちゃん 嬉しいわ~」「帰ったら母ちゃんに言うとくね」そして「ありがとう ありがとう」と…。
「帰ったら母ちゃんに言うとくね!」には、
「あ~ いずれ天に還った時 私のおばあちゃんに 伝わるのかな」なんて、思うことも…。
現実の世界と何かが違い、そして本当に脳の中はどんな働きをしているのかを覗いてみたいほど…すぐ忘れてしまうし…何が見えてどう理解しているのか?
ただ、私自身 一緒に居るときはずっと叔母から目を離すことも出来ず、本当に目を離せない子供を育ててる親の思いを感じられるほど…
ただこうして接してきて思うのは、わからないからこそ寄り添うことの重要性。
すぐ忘れてしまうから、もっともっと側に居て笑ったり話したりすることが大事なんだろうな~と。
太陽院で扱ってる水素も、叔母には ずっと 飲む!吸う!浸かる!!の三点セットで実験中(*^^)v
86歳の叔母は、若い子たちよりも 細胞の生まれ変わりが遅いとは思うけれど 信じて飲む!吸う!浸かる!!を機嫌よくやってもらってます。
今日も目を うるうる させながら、「トミちゃんはホント倖せモンじゃわ~」 「有り難いわ~」 「帰ったら母ちゃんに言うとくけんね」 「お姉さんホントにありがとう」と、言いながら布団に入りました。
2013年12月天に還った私自身の母も きっときっと こんな自身の姉と娘の生活を喜んで見守り、 我儘言ってきかない時の叔母さんと私のバトルをも 笑いながら見てくれてるのかも知れません。
これからの世の中、認知症はまだまだもっと増えてしまうかもしれないけれど、病氣になりにくい身体にするための生活改善となってしまってからの介護や関わり方次第で、何かが変わる様な氣がしています。
自分の居場所が、頭の中では理解できてなくても 身体の深い所で ストレスなく 倖せを感じてくれるような状態になってもらえるように…
頑張らない介護…やっていきます♪