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般若心経

今から3年前の2013年12月、母が天に還りました。

今年も19日まで、あと2日。 4回目の命日です。

今日は、3年前 母が亡くなり、実家に戻ってお経をあげていた時 私がふと感じたことを少し…書いてみようかと…。

弘法大師空海さんの故郷四国は、遍路88か所のお寺はもちろん、真言宗のお寺が多く いろんな形で「般若心経」を耳にすることもありお経は凄く身近なものでもあります。

「般若心経」
[仏説]摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五
蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不
異色色即是空空即是色受想行識亦復如
是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄
不増不減是故空中無色無受想行識無眼
耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至
無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死
亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無
所得故菩提薩捶依般若波羅蜜多故心無
罫礙無罫礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢
想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三貌三菩提故知般若波羅蜜
多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等
呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜
多呪即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経

そして、私が幼いころから、母はよく般若心経を唱えてました。

そして思ったのが、人はご先祖様や身近な誰かの為にお経を唱えて来たつもりだけれど、一番そのお経を聴いてるのが 自分自身の肉体の細胞そして、自身の魂。

今誰かの為に唱えているお経って…自身が天に還る時の為のものかもと。

そう思うと、母はスーッと天に戻って逝ったように思えたくらい。

自らの魂の修行は自らが行い、そして何億年という魂の旅路の中で様々な肉体をまとい 修行していくとしたならば 善をしたことも、悪をしたことも全て自身の元に戻ってくる…まさに「情けは人の為ならず」

  お経を唱えることも人の為ならず…って感じでしょうか?

そして、最近知ったのが「般若心経」の中の最後

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶  般若心経

それ行け それ行け 動いていけよ!!という意味でもあるそうで、

聖書の中でも動くことが テーマでもあるそうで…。

現に弘法大師様が持ち帰った「真言密教」の元をただせば、聖書に繋がるとも言われてる様だし…。

そして今回、般若心経の訳を探していた所、こんなに若者風の訳があることを知り 貼り付けてみました。  ラップ調でどうぞ…。

現代語訳「般若心経」
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。
この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。いいか、耳かっぽじってよく聞けよ
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
  『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』心配すんな。大丈夫だ。

般若心経=「大乗仏教の空・般若思想を説いた経典」          (別名=般若心経ロック)  tam3さんより抜粋

宗教と信仰は全く違うものであり、

今、情報過多の時代

ぶれずに何か大いなる

エネルギーの存在を知り

信じて仰ぐ信仰こそ 

本当に大切な氣がします。