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小春日和の中の清掃奉仕と四十九日

太陽院院長 近藤 千恵子です(^.^)

今日、3月最後の日曜日…毎月一回の神風特攻敷島隊 関行男中佐の慰霊碑のある楢本神社の清掃奉仕。

先月、大分へ行く為出席できなかったので 久しぶりのご奉仕。

朝、7時…太陽は昇り、春の陽射しは暖かく…

寒い間 生えてくることのなかった雑草も あちらこちらで芽を出し…境内のまだ出て来たばかりの雑草をコツコツ根っこから除き まだ少し厚着をしてきた身体からは汗が出てくるほど…

8時までの1時間…しっかりご奉仕させて頂きました。

そして、今日は2月8日 天に還って逝った 主人のお父さんの四十九日の法要。

お義父さんは7人兄弟の長男。

お義父さんの妹弟夫婦や 姪っ子 甥っ子、孫やひ孫…30人以上が主人の実家に集まり 賑やかに四十九日。

つくづく、お義父さんは倖せ者だな~と思わされ、また末っ子の主人は小さな頃から可愛がってくれた 叔父さん叔母さんの傍で 子供時代の様に可愛がられ…ほっこり。

お墓での納骨では、先に入っている 主人のお爺さん お婆さんの骨壺の横に置かれ…無事 魂の故郷へ戻って逝ったような…。

まだ寒く、少し雨の降った2月の葬儀の日とは違って、春の暖かな陽射しの中 お線香の香りと煙…と共に穏やかに還って逝ったお義父さん♡

どうか自由に大空を渡り また私達の毎日も 笑ってみてて下さい。

 

 

 

ありがとうございました…

太陽院院長    近藤  千恵子です(*´-`)

今年お正月…主人の実家に行った時 いつもお義父さんが座ってる所に姿がなく…別の部屋で酸素マスクをし、布団に…。

「お義父さん!」

呼んでも眠ったまんま…。

主人も、行って覗いてみる…。

人氣を感じ、こちらを見るお義父さん。

「お義父さん!あけましておめでとうございます…しんどい?」

昨年の11月頃 お義父さんとお義母さんをモーニングに誘い、行ったけれど 2~3口食べて…そのまま食欲もなく…。

12~3年前、まだ主人が脳出血で倒れる前、肺がんと言われ…抗がん剤治療も放射線もしないことを選択。

そして、今年お正月寝込んでしまうまで、比較的元氣だったお義父さんが、今日夜7時容態が急変…そして、あっという間に天に還って逝ってしまいました。

本当に、あっという間に…。

お正月に、お義父さんの容態が良い状態ではないことを知り、主人と あれやこれや持ってちょこちょこ主人の実家へ。

そして、今日も「ずっと寝たきりだと退屈だから…」と、CDラジカセと、落語のCDを持って、主人の実家へ。

今日から、介護用のベッドを設置してもらい…心地良さそうに寝ているお義父さん。

落語のCDを聞こえるようにセットし、手の先が青くなってたので しばらく撫でていると、血行も良くなり…

「お義父さん!病気に負けたらだめよ~!!」と、声かけて…

我が家に帰って、夕食の準備してる所に…主人の実家から電話…

「容態が急変して…今お医者さん呼んでる…」と…。

私と主人が行ったのが、夕方5時~6時。

そして、「えええええ~?????」と信じられないような連絡に、慌てて主人の実家へ…。

お医者さんはまだ来ておらず、訪問看護の看護師さんが駆けつけて、お義父さんの脈を確認したり…目の瞳孔を確認…。

そして、お医者さんもその後に来て…「よく頑張られましたね」と…。

お医者さまから、入院を勧められても、ここが良い!!と、自宅で最期まで過ごしたお義父さん。

夕食の準備をし、リクライニングベッドを起こし…お茶を二口飲んだ所で、むせることも無く 息をしなくなったそうで…

私と主人が再び訪れた時には、顔色が青くなり ピクリとも動かないお義父さん。

そして、バタバタと親戚が集まり…葬儀場の方が来て…白い布団に寝かせられ…。

肺がんになって、自身の選択で癌に対する治療を拒否し…最期2ヶ月くらい寝込み、それでも尚 自宅で家族との生活を望んだお義父さん。

昭和3年(1928年)5月7日に生まれ…今日平成30年(2018年)2月8日逝去。

今年90歳の誕生日の3ヶ月前に天に還って逝った義父。

残されたお義母さんとは、62年共に過ごし…今日もお義母さんの目の前で旅立って逝った義父。

少しづつ…少しづつ…天に知り合いが向かって行き、いつか私も最期は行く場所。

今日は お義父さんに献杯…

そして  ただただ…お義父さんには、

「ありがとうございます」

お義父さんの分までしっかり残された人生頑張ります…と、天に向かって叫びます。