「介護」カテゴリーアーカイブ

今日からまた始まり…

太陽院院長 近藤   千恵子です(*^^)v

12月14日から、ほぼ一か月入院していた叔母が 今日から戻って来ました。

5月末から我が家で暮らし始め、11月で丸々6か月共に過ごし…認知症の叔母との暮らしが当たり前になり慣れた頃の入院。

ほぼ一か月…ほとんど寝て過ごしていた叔母はちょっと筋力落ち、

お風呂から上がって髪を乾かすとき座ってる椅子…いつも終わると運んでもらってたから、今日も「これ…あっちに持っていける?」と聞くと…

「いける!いける!!」とガッツポーズ。

で、持ちあげた途端、後ろによろけそうになり…

うわっ!!危ない危ない。

寝る時も、2階に上がって寝てるため…入院前よりもゆっくり、しっかり…確実に…一段一段、氣を引き締めて…。

正直…5月末、一緒に住み始める時の氣構えとは違い 一緒の生活に慣れては来てるけれど、またあのバタバタ生活が始まるんだ~と思うと

今回の一か月の入院は神さまが「ちょっと休んでいいよ~」とプレゼントしてくれたような入院。

実際、年末年始…氣もあせるし、実際やる事も多い。

叔母の今回の病状は「大腸憩室炎」による下血。

大腸の内視鏡検査後 本来ならば3~4日の入院で自宅療養の所、糖尿病もあり、年末っていうことで、年明けまで入院させてもらえることに…

叔母にとっては、おむつして  ずっと寝たままの毎日。

きっと退屈だっただろうな~と、

そして、また始まった叔母との生活。

お正月も終わり、今年は叔母との生活をしながら 自分自身のことも大切に 隙間を見つけて 頑張らない介護。

叔母は今年数えで88歳…米寿。

今回の入院で少し体力も筋力も弱った叔母。

どんなことでも「できるよ!」「大丈夫よ!」と氣持ちが前向きなのが 何よりのもの…それがまた  厄介だったりもする時もあるけれど…。

明日から、デイサービスも利用。

脳の中では、記憶はされない日常…だけれども

天に還るその時まで、私の出来ること…しっかりさせて頂きます(^^♪

 

 

 

皇紀2678年始まりました!!

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

奈良の橿原で2月11日神武天皇が建国宣言をされ…日本國が誕生し、今年の2月11日で丸2677年を過ぎ…2678年目が始まります。

初代神武天皇から125代目の今上天皇。

そして、今年平成30年。

今上天皇の御上位が決まり、平成という年号が最後を迎えることが 寂しくも有り、またわくわくも致します。

2014年5月に4日間、皇居勤労奉仕に参加させて頂き、天皇皇后両陛下、そして皇太子さまの御会釈を賜りました。

両陛下も皇太子さまも内側から滲み出てくる 慈愛に満ちたお姿は今でもしっかりの私の胸の中に刻まれ…言葉には出来ないほどの感動も…。

そして、今年平成30年が始まりの今日…実は朝6時から天照さまの荒御魂をお祀りする伊曾乃神社での歳旦祭に参列する予定が…寝過ごしてしまい、起きた時間は6時半。

あちゃ~と思ったけれど時は戻ってもくれず…。

そして、12月インフルエンザにかかった後 大腸壁からの出血で入院検査し、異常は無いものの 今年7日まで入院させてもらう予定の認知症の叔母を迎えに…。

入院中、ほとんど歩くことなく 寝た状態だった叔母は 少し弱ってはいるものの 機嫌よく戻り…久しぶりに水素風呂にも入浴。

少しの間だったけれど今年  数えで88歳米寿を迎える叔母の外出も無事出来…久々の介護は楽しくも有り大変でもあり…。

昨年、5月末から共に生活し始めた認知症の叔母…今回突然の入院で、私達夫婦にとっては  ほぼ、1ヶ月の骨休め。

年末年始…夫婦水入らずで迎えた大晦日までの日々…。

認知症という肉体の病ではない状態の叔母の介護をして来たことで、ふたりだけの生活だけだった時では味会うことのない解放感も経験。

今年の始まり 寝坊し歳旦祭に出席は出来なかったけれど、これもまた現実。

2018年…今年 現実を受け入れながら、明るい未来をしっかりと引き寄せて参ります(^^ゞ

 

生と死を見つめて…

太陽院院長 近藤  千恵子です(*^^)v

8日、インフルエンザA型と診断された叔母…ようやく熱も平熱になり、あと数日でデイサービスにも行けるかな?と思ってた12日朝、排泄物に大量の出血。

えっ?何これ??何処からの出血?

と、思い主治医に相談に…。

インフルエンザにもかかってるから、あと少し様子見て総合病院に紹介状書いてもらうことに…。

ところが、その日の夜も…翌日の朝も…出血が続き…原因が分からないだけに心配!!

で、昨日インフルエンザ以来姉がみてもらってた叔母、我が家に戻り 8日から入ってなかった水素のお風呂に入り…膣からの出血かと、まずは産婦人科へ…。

2年程前にも 大量出血した事もあり、その時は原因も分からないまま 出血も止まり…

今回2度目っていうことで、しっかり調べてもらったところ、婦人科系の原因でもない様で…もしかして「ぢ」かも?っていうことで総合病院の外科に紹介状書いてもらい…

今朝9時、早速受診。

先ずは「ぢ」の疑いも消え、大腸が原因かも…?と言うことで、明日内視鏡検査するために入院することに…。

病院内、腹部のCT撮りに行ったり…入院するために肺のレントゲン撮ったり…大きな病院を3階に行ったり、1階に行ったり…。

そして、4階に入院。

インフルエンザで体力弱ったことで起こったのか?

もともと病気が隠れていたのか?

結果がちゃんとわかれば良いんだけれど…。

しかし正直、叔母が入院してくれたことで、ちょっと介護から解放される自分が居て…

しばらく入院してくれても良いかも…なんて思う私。

叔母は年が明けると87歳。

まだまだ…と言えばまだまだ平均寿命くらい。

ただ、何もかも忘れてしまう認知症の叔母にとっては、長生きってどうなんだろう?と今日色々検査を受ける姿をみて 改めて思ってしまったりもして…。

母の介護の時、何も話せなくても この身体がこの世にいてくれてたことが嬉しくて、病室に行き全身にオイルマッサージし…触れることが嬉しくて…。

母の時ほどではないけれど、半年も一緒に生活すると 普段元氣すぎるほど元氣な叔母さんの人生の終焉の時を思うと 大変ではあるけれど また寂しくもあり…。

生きるも死ぬも…天任せ!!恐れた奴が負けなのさ…。

この世の旅路の中、親子として…叔母と姪として…夫婦として…姉妹として…友として…出会わせて頂いたご縁の数々に改めて感謝(´▽`*)

 

あらゆることが相まって 益へと導かれ…

太陽院院長 近藤  千恵子です(*´з`)♥

毎日、寒いです!!

洗濯物もシャキっと乾いてくれず、あの夏の陽射しが懐かしい毎日。

今夜は、また特に冷え込みます。

先週8日、私が大阪に行った日  一緒に暮らしている認知症の叔母はインフルエンザA型だと診断され…

ちょうど姉が  8日からずっと代わりにみてくれており 今日、3時間ほど手伝いに行ってみると、叔母…熱は平熱になったものの身体はシャキンとしない様で、立つのがやっと…。

元氣な時は、あれやこれや触ったり ペラペラしゃべったりしてたものの、今はずっと横になってるだけ。

他の人にうつっては大変と…一週間ほどは、デイサービスもお休み。

こんな時、姉妹が近くに居るのは本当に有難い。

まっ!姉にとっても叔母さんだし…実際叔母は姉の方を小さい時から可愛がってて…

今でも、本人の区別はつかないけれど、姉の名前はちゃんと覚えてるほど…。

まっ!どこの家でも 第一子ほど可愛い者はなく…しかし また初めての子育てで、余裕などは無く…。

末っ子の私からすると、不器用な姉は(ゴメン)何もかも母や叔母のあやつり人形のような 育ち方のせいもあるような…。

姉や叔母の望む通りに、学校の成績も良く 中学校の頃は生徒会の役員までするような姉。

洋裁をやってた叔母は、「〇〇高校じゃなかったら  制服なんか縫わんよ!!」とも言ったとか…。

今でこそ10年程前合併し、高校の数も増えては来たけれど、昔は市内に二校だけ…

私自身は、末っ子だし 私の時まで熱い情熱が母や叔母には残っておらず…私は思い通りの隣の町の高校に。

しっかり、叔母には高校の制服も作ってもらい…。

叔母には、すっごく大事にしてもらったこともあるけれど、かなり自分本位の所があり、私達三姉妹の一人を養女に…と 誰かをエコヒイキしてみたり…

私の母に「あんたの子育てが間違ってる!!」と言ったり…。

実は、そんな叔母が私…世界で一番嫌いでした。

私が嫌うと、叔母も意地っ張りで 私の結婚式にも出なかったほど…。

そんな叔母と今、暮らし…数日我が家に居ないとなんだか氣が抜けたような…。

叔母が、認知症になってなかったら、今のような関係は絶対無かったかも…。

7年前…久しぶりに会った叔母は ひとりで暮らしていたものの 何度も同じことを話し…また知り合いの人に騙されてることが分かり…

急きょ、グループホームへ手続きし…入ることに。

認知症で無かったら、騙されることなどなかったかも知れないけれど、認知症になったから 私自身過去のことも覚えていない叔母を許すことが出来たり…

神さまは、あらゆることが相まって 益に導かれる…と言われるけれど、誠にその通りだと…。

今、叔母が姉の家で世話になってることも、私自身が一緒に住む様になった事も…全ての事が良き方に…。

今日、4日目は36.6分 平熱!!

インフルエンザの菌も、ちょうど今 かかって…身体の中に抗体をしっかり作ってもらっておくのが、良いのかも…。

また、氣が休まらない介護の毎日が始まるまで、私も身体にエネルギー蓄えておきます(´∀`)

インフルエンザ

太陽院院長 近藤 千恵子です(´▽`)

5月末から一緒に暮らし始めた認知症の叔母が昨日インフルエンザA型と診断され、ちょうど預かってもらってた姉の家で療養中。

11月初め、デイサービスやお泊りもお願いしてる小規模多機能型介護施設の方から、「インフルエンザ予防接種お願いします」と連絡が入りながらも、

予防接種が賛否両論言われる昨今 私自身一度も予防接種受けたことなどないのに、インフルエンザにかかったことも無い為、叔母にも予防接種してませんでした。

ここからは、わたしの勝手な想像ですが…もしかするとそうかも…などと思ったりもしたので…書いてみます。

介護施設内、利用者も施設の方々も11月にきちんと予防接種をし、インフルエンザの菌を保持させている状態。

そして、身体の中に入ってくるインフルエンザの菌と闘うため、予防接種で注入された菌たちが増殖。

そんな利用者さんや施設の方々のいる中、無菌状態の叔母がデイサービスで朝10時前から4時過ぎまで共に過ごし…

仲間を求める菌たちは、ここぞとばかり 無菌状態の叔母の身体に侵入。

そして、難なく叔母の身体の中にインフルエンザが増殖し、発熱したのかと…

あくまで、私の想像だけですが、小学校や中学校で「インフルエンザの予防接種をすることで、菌を日本中にばら撒き…

そして、もはやWHOでも特効薬としては認められてない「タミフル」…100人に一人の割合で異常行動を起こしてしまうほどの薬を全国の病院で処方。

そして、もしかするとインフルエンザにA型、B型があるのであれば、製薬会社によって、この病院にはA型…そしてこの病院にはB型…と振り分けられ、

予防接種している子供や大人でも、A型の予防接種しててもB型の菌に侵略されてしまい発熱してしまうこともあるのかも…

こんな医療や組織的な関係で予防接種が行われてるとしたら…日本大丈夫?と問いかけてみたい。

実際、女子中学生に摂取を義務付けたような「子宮頸がん予防接種」

これに関しても、副作用や後遺症で大変な目にあっている10代の女性が多発。

実際、私が生業としているカイロプラクティックや水素関連商品にしても、効果あったり、周りの先進国では認められたものであっても、日本では認められながったり…

今、インフルエンザにかかり 声は変わり…身体に力が入らず 寝ている いつもとは全く違う菌に侵略された叔母をみながら…そんなことを思ってます。

 

記憶されない脳

太陽院院長 近藤 千恵子です(^^♪

11月も今日で終わり…明日から師走今年最後の月。

認知症の叔母が我が家に来て、丸6ヶ月が経ちました。

我ながら、頑張ってるな~と自分でも思うほど…記憶されない脳からの行動。

9月に介護度の調査があり、身体的には元氣過ぎるほどの叔母…グループホームに入った時が介護2の状態から、5年目辺りで介護度が高くなり、介護4に…。

そして、我が家に来て必ず目の届く範囲に居ることで、グループホームで生活していた時のような数々の失敗はなくなったものの、今回の調査でも介護度は4のままで、認定はおり…。

身体の機能が低下して介護を受けるのとはまた違う、認知症の叔母との生活。

朝起きて、身支度をしデイサービスに送り出し、夕方帰って来て寝るまで…何度 「とみおばさん!」と呼びかけることでしょうか?

そして日々子供ならば記憶され成長していく脳と行動。

トイレの蓋を開ける所から座ること…水を流すことも全て毎日繰り返し繰り返し「これはこうして…これはこう…」

そして、時に全く違うことをしたり…なかなかやってくれなかったり…。

子育ての経験のない私…良く小さい頃 母が言う事を聞かない私に、「もーーー何しよん!!」「はよ これもせんかね…」と、イライラしながら怒っていたことがあるけれど、

私自身、今 叔母との生活の中 自分でもびっくりするほど 声を荒げて怒鳴ってたりする自分に出会い…、そして、そんなにひどく怒っているのに、30秒もすると忘れて 私に甘えてくる叔母が居たり…

2年前くらいは、グループホームに行っても 「千恵子ちゃん!!」と名前を呼んでくれてたのに…今ではいつも「お姉さん」と呼ばれ…。

何度、覚えて…と言っても 一瞬で忘れ…「お姉さん」

もう6ヶ月も呼ばれると慣れてくるのも…不思議(^^)

デイサービスも毎日初めまして…。

戻ってくる我が家も、我が家ではなく…遊びに来ているような叔母。

私自身は、ちゃんと社会生活を送っていた まともな叔母を知ってるけど、主人からすると 叔母のどの行動も信じられないような行動。

「これが認知症」と、わかっていても 理解しがたい行動の数々…。

「認知症の人と暮らす体験セミナー」でも開きたいくらい!!

いつでもお貸しします(笑)

ただ、本当に日々誰かの為に動くこと…考えることは僖びでもあるし、私が居ないと何も出来ない叔母が愛おしくもあり…♡

6ヶ月も一緒に暮らすと、何となくパターンがわかり智慧がわき…なんだかんだで11月も無事1ヶ月終えることが出来ました。

普通でも慌ただしい師走12月。

どんな状況も、笑って超えるために神さまが与えてくれた修行の様な日々。

どんな風に、この一年が締めくくられるのか…そして、なんだかんだで片づけも後回しの我が家…どうなるんだ~(>_<)

祈っても…願っても…動かなければ 何も起こらない!!

よ~し…先のことは誰も分からないけれど、叔母と暮らすことによって 自分の中の凄い怒りにも出会い…

そして、やっぱり放っておけない愛の世界も日々体験し…。

この坂を越えた向こうにまだ見たことのないような 大きな光があること… 自身の中で、不思議な確信となっている今。

このブログも もう少しで投稿日数365日。

三日坊主の私だけど…何だかこうして書くことで頭の中が整理され 私を改めて生きる。

お風呂に入り…赤子のように寝る叔母の倖せな寝顔に 今日も無事終えられたこと 全ての人に…感謝感謝です。

ビバ徳島♡

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^^)v

今日は、朝から徳島へ民生委員高齢者専門部会にて ケアハウスと特別養護老人ホームの視察研修行って参りました。

徳島、高知、香川、大阪、兵庫で福祉事業を展開している「健祥会グループ」の中の施設…健祥会モルダウと健祥会リバティ。

自由と正義の草の根政治を志した 創設者の中村博彦氏。

今日、視察させて頂いたケアハウス リバティから見える吉野川の景色と チェコ・プラハから見えるモルダウの景色が似ていることと、

チェコ・プラハ市民が自由を求めて、ソビエトを中心にしたワルシャワ軍の武力弾圧に抗議した時の光景。

そして、まさに介護施設を利用する方々の「自立と自由」こそがケアのすべてであり、永久に止まぬモルダウの流れの様な福祉を…と、志した中村博彦氏の思いを実現した施設。

ケアハウスと特別養護老人ホームそして、デイサービスを案内して頂き、まさに目からうろこ!!

デイサービスは、個々にみんなが自由すぎるほど自由に過ごし…そして、ケアハウスは 最高に贅沢な施設が普通の人が無理せず利用できるような価格で提供。

そして、デイサービスの部屋の壁に書かれていた言葉は…

「老う程に 笑顔のなんと 美しき」

また、認知症の人たちのデイサービスのところには、

「もちをつき 松竹立てて 祝う時 桜とちりし 勇士を忍ぶ」

たくさんの人々の心と心が通う場所。

事業が儲けを優先するのではなく、思いを優先させることに視点を置くと…見えてくる成すべき姿。

そんな姿を今日しっかり見学させて頂き、爽やかな氣持ちにもなり…。

その後、徳島駅近辺で昼食後…四国遍路一番札所「霊山寺」と阿波一宮樹齢1000年の楠が迎えてくれる「大麻比古神社」へ。

一番のお寺と、一番のお宮…大麻比古神社の側には、日露戦争後の捕虜施設もあったのだとか…。

で、ドイツ軍の捕虜が造ったドイツ橋やメガネ橋…捕虜という苦しいイメージではなく、地元の人々と国境を越えた暖かい友情で結ばれた日本とドイツ。

今も、日独友好の灯がともし続けているのだとか…。

徳島に居る間、雨に打たれることも無く…バスで西条に戻る頃 パラパラと雨が降り…そして到着の頃は雨もなく 美しい夕焼けを拝み…。

今日は、近いようであまり寄ったことのない 徳島の魅力を満喫。

良い時を過ごさせて頂きました。

そして、また今度ゆっくり訪れてみたい徳島…万歳!!

 

母の記念日

太陽院院長 近藤 千恵子です(*^_^*)

11月15日は、4年前天に還って逝った母がこの世に生まれた日。

昭和8年…1933年酉年11月15日に、この世に生まれ来て…

平成25年…2013年巳年12月19日に、天に還って逝った一つの魂。


日数…29,255日

週数…4,179週+2日

月数…961ヶ月+5日

年数…80年+35日

年月数…80年+1ヶ月+5日


そして、私が母と過ごした時間はその内の

日数…18,712日

月年数…51年+2ヵ月+23日


と、言っても1999年4月30日嫁ぐ日までとするともっと短くなってしまうけど、実家から車で3~4分の場所に住み始めた私としては、やっぱり生まれてから 天に還って逝く日まで一日でも多く見積もりたい感じ…。

実際、お腹の中に居る時も足すと、+10ヶ月と10日も足すと…約52年

長い長い地球の歴史の中、親子で居た時間。

末っ子だから、姉妹の中では一番短い時間。


母娘だから、わかることも有るけれど…

母娘だから、言いたくないことも…

でも、確実に言えるのは やっぱり「母の娘に生まれて来て良かった~」と…。

52歳からパーキンソン病と診断され…今の様に簡単に情報を入手できる時代でもなく、難病と診断されたことで益々病気に近づいて行ってしまったような…。

母がちょうど亡くなった時、私は母が病気になった年齢。

そして、5月末から一緒に暮らし始めた認知症の叔母は母のお姉さん。

52歳で病にかかり、きっと元氣だったら、あれもこれも…やりたいこともあったはず…。

そして、結婚しなかった叔母をみるのも きっと母が元氣で身体が動いていたら 母の役割だったかも…

そんな母の出来なかったことや、やりたかったこと…命ある者が引き継ぐ役目。

そして、天に還って逝った母の魂も、きっとまた魂を磨きにこの地球にやってきて 私自身もまた同じ時を選んで生まれ出て来てるのかも…

私自身の死生観…そして輪廻転生。

2008年に出逢ったエドガー・ケイシーを通して学ばせてもらったことで、超えられた大切な人の肉体とのこの世のお別れ。

魂は永遠不滅の高貴な存在!!

今日この世に生まれた魂も…明日天に還って逝く魂も…

限られた肉体を背負ってのこの世での生活。


29,255日…80年+1ヶ月+5日

この世で生きたひとりの女性であり、子であり、妻であり、母であった私の母。


母と叔母は、姉妹であっても全然違うけれど…叔母が天に還って逝った時 母が姉である叔母に…「いい子育て…したね!」と、言ってもらえるように コピッと頑張ります。

 

今まで生きて来た中で…

太陽院院長 近藤   千恵子です(^^)/

25年前14歳でオリンピック金メダルを獲得し、優勝の感想を聞かれ

「今まで生きてきた中で一番嬉しいです」と、答え…誰もがその初々しさと歓ぶ姿に感動した水泳の岩崎恭子選手。

今日、夕方かかっていたテレビの中で、

「今、39歳になった岩崎恭子さん…バルセロナの金メダルが今でも生きてきた中で一番嬉しい事か?」という質問をする番組。

14歳の映像も流れ、そして現れた39歳岩崎恭子さんは 柔らかな笑顔で、テレビのインタビューに答えておりました。

そして、今でもあのオリンピックで金メダルを取ったことが人生で一番嬉しかったことか?との問いに…NO!

にこやかに笑いながら、これまでの人生で嬉しかったことは

「娘の成長」だと…。

そして、今日も学校に行く姿に、倖せを感じ…。

更に、恭子さんの話では、水泳は自分だけのことだけど…娘の為に何かする方が嬉しい…と。

倖せになる定義そのもの…。

そして、娘の成長の次には、「結婚・出産」が、オリンピックの金メダルよりも倖せ感は上!!

バルセロナの次のオリンピック…アトランタにも鳴り物入りで出場…かなりのプレッシャーだったと思うけれど、アトランタでは 予選落ち。

さぞツラい思い出のアトランタかと思い見ていると、

「アトランタにも出させて頂き、人生の中 2度もオリンピックに出られたこともバルセロナで金を取った時と同じくらい嬉しかった」と…。

人は自分だけの為に生きようとしても…所詮自己満足の世界。

誰かの僖ぶ顔を見る時、自分自身のなかで僖び物質セロトニンやドーパミンが発生。

こうやってブログ書きながら、私の母が52歳からかかっていた「パーキンソン病」のことを思うと、今更ながら我儘な私を反省してしまいます。

パーキンソン病とは、脳の中でドーパミンが出ないことで 半身の筋肉が硬直したり、震えたり…。

家族や子供の為に、一生懸命してくれた母に…私自身「あたりまえ」と思ってしまってた所がいっぱい。

生まれた時から、ずっと母の愛は変わらず降り注いでくれるものと、思い込み…あたりまえと感謝すらなかった若い頃。

病にかかり、老いていく母を見せられた時 初めてあたりまえでない存在に、感謝が改めて湧き出たほど…。

母の愛にもっともっと素直にありがとう…と感謝していたら、母の脳内物質ドーパミンも、もっともっと出ていたかも…。

今更…ですが…。

岩崎恭子さんの「娘の成長」がオリンピックの金メダルよりも、2度のオリンピック出場よりも…僖びが2倍だという言葉に、

私の母も同じように 娘達の成長や僖びを何よりも誰よりも 僖びにしていたのかな~と思い、また天に還った今でも同じ思いで見守ってくれてることを思うと…

本当に母の愛に…感謝いっぱいです。

エンジェルアンサーカード♡

太陽院院長 近藤  千恵子です(*^^)v

最近知り合った方と急接近。

そして、凄くキュートなその方は、レイキを学ばれたり…オルゴナイトを手作りしお家に伺うと、凄い数のオルゴナイト…。

そんな彼女が、お薦めの「エンジェルアンサーオラクルカード」

なにせ、迷った時にカードに尋ねてみると、明確に答えを導いてくれるのだと…。

そんなことを聞くと、私もひとつアンサーカード迎えたいな~と思い、ネットで検索…通常3,000円代のカード。

ところが、色々みてみると…2,000円弱で購入できるカードが…。

しかも新品!!

あまり詳細も確認せず、3週間ほど経って 先週末到着。

そして、開いてみると…新品なのは間違い無いけれど…、中の説明書きや使い方等々 全て英語!!

カードには、「ABUNDANCE」 (豊かさ)
「A YEAR FROM NOW」 (一年後)
「ASK FOR HELP FROM OTHERS」 (誰かに助けを求めなさい)
「YES」 (そうです) 「YES!」 (絶対にそうです!)
「ASK YUUR ANGELS」 (天使にたずねなさい)
「FORGIVENESS」 (許しなさい)
「SUCCESS!」 (成功します!)
「TAKE ACTION」 (行動しなさい)
「WAIT」 (待ちなさい)…等々

カードも解説も全て英語~(+_+)

きっと慣れてくると、直ぐに意味がわかって来るんだろうと思ってるけれど、かなり初めは不便…(~_~;)

でも、せっかくエンジェルが伝えてくれるメッセージ…ネットでいちいち検索し、楽しんでます。

今朝も、5月末から一緒に住むようになった叔母…。

実は、今まで4~5回 夜中私が寝てる間に そ~っと起きて トイレの場所も分からず…部屋の中で排尿。

私が氣付いた時は、もう遅い…。

そして、本人は全く覚えておらず…「わたしじゃないよ!!」と…他人事。

ちょうど、7年前にリフォームした際 畳からフローリングに変え…水が滲みない床になってたから、拭くと大丈夫だけれど、貴重な朝の時間…

ホント見つけた時は「えっーーーーーーーー!!」

そんなことが、今まで4~5回あったから最近は、叔母が起きたのを氣付くように くっ付いて寝てた矢先…

今日、今朝…やられてしまいました…(>_<)

しかも夜中3時。

「なんで…なんで…起こしてくれなかったん?」と、聞いても伝わらないこの氣持ち。

「もぉーーーーーーーー!!」と、やり場のない怒りに ついつい叔母に当たってしまい…とりあえず着替えて 濡れたマットの上に応急処置でタオル敷いて…もう一眠り。

そして、明け方6時。

なんとなんと…濡れたマットの上のタオルの上に寝て…また同じところに放尿…犬のマーキングじゃないんだから…

でも「もぉーーーーーーー!!」って勢いで…かなり叔母にきつく怒り…。

子育ての経験も無い私にとっては、かなり想定外のことが数々起こり…その度に、え~?ここまで怒ってしまうのか?と思うほどの私にも遭遇。

とりあえず、今朝 シーツもマットも、パジャマも上布団カバーも…全部洗濯機に入れて…床を拭いて…。

1日に…しかも2度も されてしまうと、落ち込んでしまうし 怒りが込み上げて…朝から言っても覚えていない叔母にしっかり説教。

怒れば怒るほど…本人動いてくれないことをわかっていながら、今日はいっぱい怒ってしまい…

10秒前のことを忘れてしまうような叔母も、怒りの感情だけは 結構持続力もあり…

そして、デイサービス行くまでに シャワー浴びて…髪も洗って… 本人もスッキリすると、今朝のことは全部忘れて いつもの通りニコニコし…。

これが、認知症!!と、わかっていながらも まだ振り回されてしまう私。

そして、叔母がデイサービスに行き、アンサーカードのエンジェルさんに「今日怒ったこと…知ってると思いますが 私のこの対応は良いんでしょうか? 教えて下さい…」

と、聞いてみたところ…「IT’S UP TO YOU!」

あなた次第です!と…。

ちょっとこのエンジェルからの答えに…救われました。

喜怒哀楽…当然人が人と共に生きる時に起こる感情。

笑えば笑いが…
怒れば怒りが…
哀しめば哀しみが…
楽しめば楽しみが…

本当に、私次第だな~と…。

44枚のカード…「考え直しなさい」 「やめてはいけません」 「妥協しなさい」等々 かなり いい感じで答えを伝えてくれます。

昔、プロテスタントの教会に通ってた時、牧師さんが

「人は自分の悩みを他人に言うものではない!主に問いなさい!!」と…。

44枚あるカードの中 たった1枚選ばれる エンジェルからのメッセージ。

主の使い…エンジェルからのメッセージ、大切にしたいです♡