フィリピン…3

太陽院院長  近藤  千恵子です(^-^ゞ

フィリピン滞在3日目は いよいよ今回の旅の目的である  75年前の昭和19年…

世界で初めて 250キロの爆弾を抱え 敵空母に体当たりするという 特攻作戦の為  片道燃料だけで たくさんの若者が飛び立って行った 場所…マバラカット東飛行場へ…。

ホテルから95キロも離れた場所は 高速道路を1時間余り走り やっと到着した所は  マニラ市内とは 違う田舎の町…

 

そして、「鎮魂」と記し我々五軍神奉賛会の名前を入れた 日章旗を掲げ…

元皇宮警察の安藤さんが特別に取り寄せてくれた 献上酒「二重橋」と

地元石鎚酒造のお酒や愛媛のお菓子、お米とお塩、西条の水もお供えし…

ろうそく と お線香、菊の花を 各々で捧げさせて頂きました。

そして、その風景を動画で撮影してたとき  近寄って来た現地の方が  突然私に差し出し渡してくれた 日本統治時代の10ペソ紙幣。

これまでも 何人もの日本人が訪れて来たと思うけれど  私に手渡してくれた不思議に 感謝し…

きっと飛び立って逝った特攻兵の方からのプレゼントだと思って大切にさせて頂きます。

この地では、「君が代」「関中佐の顕彰歌」「同期の桜」そして「悠久の5つ星」最後は「海行かば」を合唱。

ちょうど一緒になった 沖縄から慰霊に来た方々も加わり…皇居のお酒「二重橋」を皆で献杯…。

関さん…やっと あなたが飛び立ったこの地まで来る事が出来ました…

あなたが  命をかけて守った祖国日本は 今、また令和という新しい御代となり  少し良い国になりかけてると思います。

なんて…語りながら献杯させて頂きました。

この後、私設の博物館…バンバン歴史博物館へ。今回 慰霊の時 掲げた 鎮魂と記した 日章旗は このバンバン歴史博物館へ納めさせてことに…。

その後、当時関 行男さん達に 特攻を指示したと言われる 大西 瀧治朗中将のお墓に…

「俺も後に続く…」と 片道だけの燃料で飛び立った行った多くの若い特攻兵達を見送った 大西中将の気持ち…

今は、靖国神社で共に  皇室の弥栄と我々後輩達のために、毎日きっと祈っていてくださっていることに改めて感謝。

今回の旅の目的である マバラカット飛行場慰霊の日が  当初12月7日の予定が  前日のコレヒドール島と前後し…

12月8日、太平洋戦争開戦の日に訪れることになり  カメラを通して 天からの優しい緑色のひかりが常に射して来て  天からの大いなる計らいと思えてなりません。