日本エドガー・ケイシーセンターから毎日届けられる「珠玉の言葉」
肉体が食べ物を必要とするように、霊と精神にも食べ物が必要です。
It is just as necessary that there be food for the spiritual and mental man as for the physical man.
(3624-1)
私たちの身体の中の
ボディ(肉体)・マインド(心)・スピリット(魂)
よーし!頑張るぞ!!と、思ったとき 身体が動き、思いが溢れ、そして魂がわくわくと震える。
この魂がわくわくと震えるほどの、トキメキを人は何度経験するのだろう。
思いは、考え方 思考で、いい風に 変えることが出来る。
しかし、魂は本物にしかきっと反応しないし、魂に刻まれたツラい思いは簡単には癒えないのかも知れない。
そしてまた、喜びの記憶も…しっかり刻まれた喜びの記憶はブレずに生きる指針ともなりそうです。
そして、この魂の記憶が示されたものが「アカシックレコード」
人は、何度も生まれ変わり前世でやり残したことや、過去世での傷の修復や喜びの再確認をするのかも知れない。
過去世や前世の記憶が消されて生まれて来てるにも関わらず、人は逢うべき人に出会い、様々な経験もしていく。
そして、私の魂をいつも震わせてくれる聖なる書物…聖書。
数年前、私自身 津の赤塚さんの薦めもあり「幕屋」という無教会でのキリスト信仰の師に学ばせて頂いておりました。
そして、今は離れてはいるものの毎月「生命の光」という信仰誌が届けられ、その誌面に示された信仰者手島郁郎氏の言葉にもまた力を頂きました。
宗教は、人生の苦しみ、これをどう解決するかを一つの大きな課題とし、宗教によっては、この世に生きる苦しみ、矛盾に対し考えても仕方がないからと…諦め、悟るべきことを説いているけれど…
キリストの宗教はそうではなく、イエス・キリストは人々の苦しみを共に背負おうとし、その姿は十字架上の死によっていちばん深く表され…。
自ら傷ついてでも人々の苦しみを背負おうとする姿。
「私のさばきは正しい。ただ、父なる神の御心だけを求めているから、この世の常識や倫理、考え方、道徳と違うのだ」
と、いうキリスト・イエス。
また、「天の父は悪しき人にも善き人にも太陽を昇らせ、義(ただ)しき者にも不義な者にも 一視同仁、雨を降らせたもう神様である」とも…。
人の心の奥底に潜む「神性」
「自分からは何一つできない」というキリスト・イエス
しかし、長い間苦しむ者を見ると、その苦しみを分かち合い、背負い、その苦しみの中に自分自身も共に身を置き…癒す。
「血を流し、命を捧げた人たちの涙というものは、ただでは終わらない」とも言われる。
肉を十字架上に置き、身を以て示した 神のひとり子キリスト・イエス
…その生き方が示されている聖なる書には魂が震わされます。
触れることによって、傷ついた心も 乾いた霊も 満ち足りた精神にも多くの栄養を与えてくれます。
良いときも 悪いときも 富めるときも 貧しきときも 病めるときも 健やかなるときも…
どんな時も降り注いでいる神さまの愛と光…。
そして、その愛と光は信じ受けるだけ…。
食べ過ぎがないほど 常に受けることの出来る霊の果実の詰まった聖なる書…出会わせてくれた主に感謝いっぱいです。