「生老病死」タグアーカイブ

ケイシーはやっぱり最高♡

太陽院院長 近藤  千恵子です(^.^)

毎月届けられる日本エドガー・ケイシーセンターの定期講座のCD。

12月24日の定期講座のCDが、1月届き…やっと今日車で聴くことが出来ました。

毎年、クリスマスを迎える12月の定期講座ではイエスさまに関するケイシーリーディングが届けられており…

昨年12月24日のクリスマスイブの定期講座のテーマはやはりイエス様の「十字架と復活」

なぜイエス様は十字架にかからなければならなかったのか?

復活は何を意味するのか?

聴きなれたケイシーセンター会長光田先生の声。

そして、2014年4月に10日間行かせてもらったイスラエル。

イエス様が生まれ…生き…そして十字架にかけられ…復活したイエス様が現れた所が残る…イスラエル。

光田先生の講座の中、十字架を背負い…イバラの冠を打ちつけられ…服を剥ぎ取られ…鞭打たれ…あのヴィアドロローサと呼ばれる苦難の道を歩くイエス様の姿が目に浮かび…。

そして、十字架のイエス様も…。

ケイシーの遺したリーディングの中、イエス様は30回の転生を経験したのち、神の長兄としてこの世に生まれ…

30回の転生を経験したことで、人間の負う苦悩を経験したからこそ、人々の苦悩を背負い十字架にかかり、そして復活し  また人々の為にわが身に苦悩を受けてくれることが出来るのだと…

そして、ケイシー存命時イエスさまは何歳まで大工をしてましたか?との問いに、14歳~16歳…そして24歳~29歳まで…とも言われており、そこから浮かぶマッチョなイエス様♡

またずっと以前聴いたリーディングでは、イエス様はエジプトのクフ王が作ったと言われるピラミッドの王の玄室にある棺の中でも瞑想をしたり、トルコにも行ってたのだとか…。

生まれて来た時から、十字架にかかることを使命とし…イエス様が十字架にかかってくれたことで、主の名を唱えれば 主が私たちのところへ来てくれるということ…。

主を信じ、自身の心の扉を開いてくれないと、ひとり一人のハートの戸口で待っている主は働くことが出来ないと…。

そして、同胞に先駆けて導かれた我々は、世間の人々が苦悩を覚えてしまう様な出来事に対して、同じように苦悩に陥ることなく…主の御名を呼び…御恵みを信じることだと…。

主の慈しみは、人間の思いでは計り知れない程のものであり…そして、イエス様が十字架への道で鞭打たれ…服を剥ぎ取られ…イバラの冠を打ちつけられ血を流しながらも、群衆に微笑みを向け…

十字架にかかって後も、天の父に 「この人たちは何もわかっていないのです。どうか赦してください…」と祈る姿。

私達がこの地上で「愛する」を学ぶならば、イエス様に学ぶことが一番の近道であり真実であると…。

ただ「我が神!我が神!!」と祈ったイエス様の様に、主を信じ…主の名を呼び求めること。

クリスマスからは、もう2ヵ月近く経つけれど…

光田先生曰く…「毎日がクリスマス」

主を待ち望み…主の名を呼べば…

大変な修行や…瞑想…断食…などをしなくても…

♫主は来ませり~ 主は来ませり~ 主は~主は~来ま~せ~り~♫

ちょうど、今回送られてきた12月の定期講座の開催日が24日クリスマスイブということで、光田先生の大好きな讃美歌「慈しみ深き」も…

慈しみ深き 友なるイエスは 罪とが憂いを 取り去りたもう
心の嘆きを 包まず述べて などかは下ろさぬ 負える重荷を

慈しみ深き 友なるイエスは われらの弱きを 知りて憐れむ
悩みかなしみに 沈めるときも 祈りにこたえて 慰めたまわん

慈しみ深き 友なるイエスは かわらぬ愛もて 導きたもう
世の友われらを 棄て去るときも 祈りにこたえて 労りたまわん

そして、今月からケイシーの映画「リーディング」がいよいよ一般公開。

2月23日(金)~3月2日(金) 東京 イオンシネマ板橋

3月3日(土) 大阪 シアターセブン(阪急十三駅 徒歩3分)

3月3日(土) 名古屋 シネマ スコーレ

3月10日(土) 長野 シネマ ポイント

イエス様も、はじめ病に苦しむ方々を癒した様に、エドガー・ケイシーも最初は自身の失声症から始まった催眠状態からのリーディング。

そして、ホリスティック医学の原点と言われるエドガー・ケイシー。

人として生きてく中、逃れることの出来ない「生老病死」…その中の「病」からはじまり…ケイシーが遺したリーディングの数々によって、心も魂も肉体も…そして精神力も…きっとUPすることの出来るエドガー・ケイシー。

是非多くの方々に観て頂けますように…(^O^)/

 

ナイチンゲール誓詞

「ナイチンゲール誓詞」

世の看護師さんたちの戴帽式で読まれるこの誓い。

われはここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わんーーー

わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを。

われはすべて毒あるもの、害あるものを絶ち、

悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。

われはわが力の限りわが任務の標準を高くせんことを努むべし。

わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事のすべて、

わが知り得たる一家の内事のすべて、われは人に洩らさざるべし。

われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。

この言葉は、「ヒポクラテスの誓い」にならってつくられたものらしい。

ヒポクラテスの誓いはこんな感じ…。

医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う。私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。

1.この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。

2.その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。

3.私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。

4.頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。

5.純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。

6.結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。

7.いかなる患家を訪れる時もそれはただ病者を益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷の違いを考慮しない。

8.医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。

9.この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい

医は仁術…。愛の世界。

ナイチンゲールの名言集の中に、

「私はすべての病院がなくなることを願っています。」とあり、また

「天使とは、美しい花をまき散らすものではなく、苦悩する者のために闘う者のことだ。」…とも。

生老病死…人の人生の中、一度も病の苦しみを味わうことなく過ごす人はいないし、医療が発達した今 どの病院を訪れ、どのお医者様に診てもらい、どんな治療を受けるか…。

ここに、ヒポクラテスの誓いがあり、ナイチンゲール誓詞を胸に、目には見えない大いなる力が働くことで、病に苦しむ中でもきっと一筋の光が射してくるんだと…。

エドガー・ケイシーのリーディングの中、

ホスピスとは、次の生まれ変わりへの準備の場所であり、次の生まれ変わりのことを理解する場所でもあり、苦しみながら死を迎えると次に生まれ変わる時、魂が躊躇してしまうことがあると…。

病も死もそして老いることも、避けることの出来ないもの。

その時、どう関わるか!その時、自分自身でもどう思うか…。

お釈迦さまも、人はなぜ生まれるのだろう?(生)

人はなぜ老いるのだろう?(老)

人はなぜ病になるのだろう?(病)

そして、なぜ人は死んで行くのだろう???(死)

と思い、瞑想…。

また、なぜ愛する人との別れがあるのだろう?(愛別離苦)

なぜ、嫌いな人と出会ってしまうのだろう?(怨憎会苦)

なぜ、お金や地位や名誉が手に入らないんだろう?(求不得苦)

なぜ自分の心や体をコントロールできないんだろう?(五蘊盛苦)

この四苦八苦しているときに、忍び込むのが悪魔。

聖書の初め、アダムとイヴが 神さまと共に暮らしたエデンの園を追放され過ごすこの地上で、如何に悪魔に支配されず…歓び生きていけるか?

この世は、混沌。私も療術家の一人として、凛として主の道を歩んでいきます。

今日は、光になった本田美奈子さんの歌う讃美歌「アメイジング グレース」